音楽備忘録㊺ 速過ぎて冷徹に一定のテンポⅥ
毎度クドイが実例も混ぜて続きとなるが、今回は人力よりも強弱にひと手間増える影響の考察だ。
古いのが混ざるのは年寄りなので勘弁願うとして例えばジャンル(ここでは主にリズムパターン)と乗り物の種類のイメージリンクから行ってみまひょ。
近年本邦J-POPみたいな異形を除くと、意外に古い物程テンポは速いのが多いから聴いてみそ。
だがCountryならどんなに速く調子良くてもそれは疾走する馬の如しで、バイクの速いのをイメージ出来る人の方が馬より少なさそうだ。
若干屁理屈気味るがバイクの速さには実際の速度の他に、そのエンジンが発する音も重要なファクターと思えるのだ。
ってのも動力非搭載で殆ど無音のグライダーの方が、もっと高速でも飛べてるんだからね。
依ってバイク→車…と大きく重くなるにつれ、速さの他に重さ等が一緒に表現されてた方がそれらしく感じられそうだ。
また別面では馬とバイクじゃ同じ40km/h出しても余裕が違ってて、馬は結構頑張ってる感が出そうだがバイクでは軽く流してる様にしか見えない点だ。
この様に一口に速さ感覚と云っても色んなパターンもある訳で、ある意味限界感の感じられるのが一等賞的な側面がありそうだ。
ここで本案件はリズムなのでそれだけで表現させようとすれば、重さを表現するにはCountryの速さでは時間不足なのだ。
自然界で物が落ちた音は小さく軽いと短く大きく重いと長くなるもんだが、それ故どっかである程度以上長さの稼げる部分が無いと重く出来ねって寸法なのだ。
これらの結果で最高速ではより速いバイク(Rock)の方が、馬(Country)よりローテンポって逆転現象が起きている。
但しこれで成立させられる様になったのは当時新案だった、テンポ依存度の低い速さ表現が開発されたからなのだ。
私見ではそれ以前の音楽では愚直にテンポの速さを追及してた感があるが、単純な速さがCountry位の時期で遂に人の限界に到達してしまった様に伺える。
その時点迄の力技にも魅力は大いに感じるけれど行き着いてしまえば、別の知恵を持ち込まん限り似たり寄ったりのスピード感しか出せないからね。
して結局は必ずしもBeatは全部の音を鳴らさなくても平気なのへ目を付けて、一部にそれより分解能の一段高い音符の連打を入れれば素早さを感じさせるのを誰かが見付けたと。
その証拠として分かり易いのが基本リズムでのHi-Hatの刻ませ方等だが、近代のになる程「全部を鳴らしていない」のが耳に付く。
或は極端な強弱を付けてパターンとしては強い方だけ、弱い方は隠し味の様に聴かせてるヤツだ。
例に依ってしっかりと検証して無いのは杜撰だが、1Beatとか2Beatのでそれを端折ってるのは記憶に御座居ません。
だが16Beatのだと実際それするとダサダサ満開になるからかもだが、Beat数よりHi-Hat打数が少ないのが当たり前な位じゃんか。
ここで念押し再確認のご登場だが黎明期のゲーム音楽についてもっと正しい認識が欲しく、当時は強弱が付けられなかったからああなってた点だ。
しかもその前後時期の背景世相も重要で、音楽がオサレなのが増えたは良いが捉えように依っては単純明快なのがかなり少なくなってたって処。
もしこのコントラストが無かったなら「ゲーム音楽」がジャンル化してたかは怪しいもんで、音自体には強弱の無い音楽ってだけならそれ以前にだって幾らでもあったんだもの。
いや寧ろPianoの歴史的経緯なんかかすればそっちの方が先だった位で、ご先祖様のチェンバロなんか完全生楽器なのに強弱無しだ。
今なら強弱の有無は両方可能なんだから適宣選びゃ良いんだが、人だと同じなのが機械だと手間が違うのが時に問題だってんだ。
尤も基本的に弾けない人対象のケースかもだが、誰だって楽な方へ行こうとするのは当然だもの。
実際「機械へ機械らしい入力」をする場合フレーズ等を先ず入れて、強弱は大抵は後からじゃないのかな。
少なくとも俺も普段そうなっちゃってるし…。
<つーづーくぅー>
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