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2019年9月

2019年9月30日 (月)

音楽備忘録54 ちっとも細かく無い所の演奏姿勢Ⅰ

快適志向全盛の今日うっかりそれに反する様な話しを出すと、どっかのテレビのご意見番の人みたく思われちゃ敵わない。
もしかしたらそれで話題に上り難くなってると思うのが、楽器の演奏姿勢だ。

ここで話題とするのは細かいフォーム等では無く、ドラムだったら普通は座って叩くが立って演るのも一部にある様な類のについてだ。
ロカビリーの兄ちゃんは気合入ってるから立ってるなんてもし誰かが言ってたとしてもそんなの真っ赤な嘘で、実際は昭和の根性論とかそんなのとは全く無縁だ。

Cymbalの刻ませ方が4Beat Jazzの影響の強さか、通常Hi-Hat不使用なのが最大要因だ。
4Beatでは基本刻みはカウントがCymbal 
LegatoでBackbeatはFoot Hatなのを、BackbeatだけSnareに変えたからだろうか。

楽か大変かを別とすれば出来るか出来ないかが最大の問題で、根本的な演奏姿勢はそれに依って先に決まってしまうもんなのだ。
寧ろHatを常用してるとAccent Crash時以外は立ち上れず、「立ったままでも出来るなんて羨ましい」と捉える位で正しいんじゃないだろうか。

Pianoの場合も同様で両足のペダル操作が必要だと立てないが、右足のDamperしか使わなくて済むなら立つ事も出来る。
この発想に基づけば普通だとStrapが付けられないGatt Guitarは座れるんじゃなく、座らないととても弾き辛いだけなのだ。

これ等は前回のドラムスローンのを他へも拡大してみただけの事だが、本末転倒になると困るだけじゃ済まない場合もあるのが危惧される。
最初に俺が検知したのはもう20年位前だが、それは当時最新型のロマンスカーに乗った時の事だった。

シートの座面奥行きが俺には深過ぎて、腰が背もたれにもたれられなかったのだ。
これは俺がバランス的には短足じゃなくてもチビだから腿長さの絶対値は決して長く無いせいだろうが、身体の大きい人へだけ合せたかの様なちょっとした差別感を味わわされた気分だった。

女性だって子供だって座るのに、ファミレスみたいにベビーorチャイルドシートをお姉さんがそそくさと持って来るでも無く…。
そこで先ず思い当たったのがどうせ皆ずっぺって座る(深くは腰掛けない)んだからって想定で、それでもこれは只座ってるだけだからまだマシだ。

その5年後位に自家用車を寿命で買換えた時はギリギリセーフだったが、やはり座面の奥行きが深過ぎるのは気になった。
車の場合はオプションや用品店でランバーサポート等隙間を埋める物も売られてはいるが、急遽小柄な女性が運転しなきゃなんなくなる事だってあるから最早危険な仕様だ。

昭和のクーペなんかと比べるとかなりの差があるが、近年ご家庭用タイプの多くは高目に座らせる設計になっている。
そこへ小柄な人が座ると視界確保の為には座面をより高めなきゃなんないが、そうすると脛の角度がより立って来るから座面前縁の干渉はどうにも無視出来なくなって来る。

大柄な人に楽なら小柄な人に危険で良いのかってなもんで、何とも方向性がオカシイと思うのは俺だけかい!?。
確かに楽器では命の危険なんて先ず無いからそこ迄じゃないけれど、楽か大変かより大丈夫か大丈夫じゃないかの方が優先されるべきなのにね。

それからすると平均より5cm以上背の低い人には、保険料を値下げするのが妥当なんじゃないの。
本人のじゃない原因で危ないのを頑張って運転してんだから…、なんてどんどんおかしな論法になっちまいやすぜ。
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処で「ココログ」側の事情で今迄使ってたテンプレートデザインが提供中止となってしまい、以前以上に見辛かったら済みませぬ。
提供中止のインフォメーションは7月末には出てましたが、ギリギリ迄対応策を考えたものの基本スキル不足等で代案が浮かばず時間切れに…。

<つづく>

2019年9月29日 (日)

音楽備忘録53 ドラムスローン簡易修理のその後Ⅲ

道具ってのは相性や慣れ等もあって古いのを敢えて使い続ける場合もあるが、近年本邦では機能面の都合でそうしてるのが増えたのは由々しき事態と感じている。
従兄が問題があったせいで保留してたスローンを復活させたのも、大袈裟に言えば腰痛対策もあったのだ


本人談に依ると大昔俺の引っ越しを手伝った際に少し腰を痛めてしまい、それ以来特定の角度とか特定の向きで動くと痛むのだそうだ。(どうせ暴露するなら20年以上経つ前にお願いしたかった、スンマセン)
それもあって近年迄予防策として本人理想の高さより、敢えて座面を低くしていたんだそうだ。

しかしツーバス再挑戦や彼本来の姿を取り戻すのには低イスが支障となり、元のオーソドックスなと云っても旧標準かもだが高さに戻す事になった。
すると低くした時は気にならなかった座面の安定度が大きく問題となり、もし不安定だと本人意思に反して突発的に彼にとってヤバイ角度になってしまったりするのだ。

それには座面の固定度もだが現在生徒用にはまだ継続使用中の、座り心地の良いクッションも仇となってしまった。
このスローンは座面自体の安定度はとても高かったが、厚みのあり過ぎる高級クッションのせいで座面上の尻の位置がズレ易いのだ。

仮に厚みがあってもチープなクッションだと荷重が一定を超えると完全に潰れてしまい、弾力は殆ど無くなってしまう。
座り心地観点ではそれでは痛みを生じて不都合だが、支点って視点で見れば基準点が動かないとも看做せる。

高級クッションで問題が出たのは腿に明らかに角度が付く以上の高さにした場合で、座面が大きい為に座面と腿の不要干渉を避けるには殆どの人が低目時より浅く掛けなければならないのも災いしている。
そう掛けるとあまりにも弾力が良い為に、腰を前方へ押出す力が働いてしまうのだ。

中心上へ体の重心(座面真ん中に座る)を持ってけば尻位置は安定したが、俺みたいに脚が激重の者ですら今度は腿の動きに制限が掛って今回の高さ変更の主眼を台無しにしてしまう。
そこで色々対策を進めて行ったがクッションの改造は大変そうだったので、座面自体の彼との相性は一番良かった件のを簡易修理する事となったのだった。

因みに彼の教室にあるイス
はこれの他に随行者等の為にパイプ折り畳みイスが用意されてるが、俺の体感としては只座ってるだけ用のそっちより寄り掛かれないがその高級スローンの方が長時間に耐え得るあべこべ状態だ。
尤もレッスンは最長90分なので俺みたいに半日以上居座る奴は他に居ないから、実用上は何の問題も無い。

俺が宅で座面の合皮が劣化して割れても放置してるのは経済事情もあるが、その最大の理由は座面の大きさなのだ。
自身のガニ股コンプレックスからすると小さい座面は「内側からしか支えてくれない」感じなので、これをより悪化させそうな気がして今も毎日恐れている。

だが腰の安定を第一義とするとデカ尻の俺でも近年の標準的座面サイズでは浅く掛けなきゃならなく、体の重心をスローン支柱と一致させられなくなって芳しく無いのだ。
連続スライドなんてアホな真似をするとそれをしてる間は、フットボードに触れるにしても脚はずっと宙に浮いている。

それでいて色んな方向へ動かそうとするんだから、腰位置がどんな向きに振られても復元出来る様にしときたい。
それに一番良いのはイスの中心に座ってる事で、浅く腰掛けてると前へ振られる力が生じた時に腰では抵抗出来なくなってしまう。
尻の前には支えとなるクッションがもう全く無いからよ。

尤も普通の踏み方をしてる場合なら短時間堪えれば脚にすぐ休みが来るので、決してお薦め出来ないが脚で支えるのも不可能では無い。
でも連続で踏んでればその間、脚は自分の体であっても自分の為には使えない。

敢えて座り心地を無視して演奏だけの都合で座面を考えると、股関節が乗るだけの直径があれば道具としてはそれで事足りるし不要腿干渉の心配も無い。
そうは言っても1曲終る迄座ってられない程座り心地が悪くては駄目だが、演奏し易さを現代のみたいに犠牲にするのはオジサンにはどうにも解せないのだ。

それがこんな状況なのをみると今他のドラマーの皆は、ドラムに座って演奏しないで居る時間の方がよっぽど長いんだろうか!?。

<つづく>

2019年9月28日 (土)

音楽備忘録52 ドラムスローン簡易修理のその後Ⅱ

今回は現代一般型ドラムスローンの構造的弱点から行くが、その根底にあるのは二律背反だ。
調整や分解・変形は出来る程便利だし自由で結構だが、動かせれば動かせる程固定し辛くなるのは自明の理なのだ。

長年の様々な改良のお陰でかなり克服されたので、昔のみたいにすぐ問題が出たりはしなくなっている。
しかしどんどんゴツくなって初期投資額が増してるのに、部分修理がより困難化・高コスト化したのは道具としては感心しない状況だ。

俺知りでは大昔のドラムスローンってば、普通のイスならパイプ折り畳み式と動かせないソファなんかと似た様な状況だった。
廉価版は脚がパイプで大抵はと分解ある程度の調整が可能、高級品だとドラムセットのシェルと全く同じ外装で筒形(座面は蓋として開けられるが変形不可)のだった。

当時の無知ガキ的には高級品は高さ調節が出来ないけど、達人はそんなの不要なのかと勝手に思ってた位だ。
実際には後から良く調べてみると数種類高さ違いのが用意されてるケースもあったみたいだが、そもそもドラムセット自体の位置調整の範囲の狭さからして今よりは全然調整が効かない感じだった。

それを不親切とかケチとか勘違いし掛っていたが、今になってみるとこれは楽器に対する無知の典型だったかも知れない。
最初にこれの気付きのキッカケになったのは鍵盤楽器で、当時ミニ鍵盤なんかも出だしたが正規サイズは奏者の肩幅等完全無視の唯1種類だけな処だ。

ドラムスティックにしたって40cm前後のばかりで、あるか無いかは知らんが少なくとも50cmとか30cmので叩いてるのを見た記憶は見つからない。
ではどうして大柄な大人でも小さな子供でも一部特例を除けば、同じサイズの鍵盤やバチで演奏しなきゃなんないんだろうか。

これは鍵盤サイズなら指の太さ・バチなら太鼓の口径がその原因で、指の太さだと普通はせいぜい2倍以下の差しか無いからだろう。
バチに関してはドラムの標準的口径が10〜16inch、凡そ25cm~40cmなのへ対応した結果だろう。

セットドラムみたいになるべく狭く並べられたあちこちを叩くには、余計な所で何処かへ突っかからない為にはバチの長さは最低限が宜しいからねえ。
今はTomやCymbal等の位置調整範囲は無限に近くなったけど、それだって本来の目的は奏者体格へ合せた訳じゃ無いのだ。

人や時に依って今では数が大巾に違うので、並べ方や位置関係の配列がとても増えたからなのだ。
あまり極端に近過ぎると却って叩き難くなる場合もあるが、たった独りであっちからそっちへと瞬時に移動するには近さは大事だ。

で近い方が良いのは多点セットのみに非ずで、そうなるとシンプルセットになる程各楽器位置は殆ど固定に近い程「同じ位置」となって来る。
勿論広い世界にはとても奇抜な存在は何時何処にだって居るもんだが、露骨に人と違える為には調整範囲云々如きでは大抵役不足なのでそこ迄配慮しても仕方無い場合が多かろう。

またその条件も至ってシンプルで、単にお隣さんとぶつからなければOKとなる。
って事ぁ各太鼓の位置は夫々の口径に依ってほぼ定まるとなり、それを叩くのに都合の良い位置も自ずとかなり限られた狭い範囲となる訳だ。

膝角度の適正もあるけれどドラムセットの高さって、基本的には横置きされたバスドラの口径に依存してしまう。
余程のお珍しさん以外普通は何かを必ずバスドラの上へ設置するので、Snareとの移動も考慮すればSnareの高さもある程度の範囲内へ追従させる事になる。

そして叩く都合として特に昔はSnareのOpen Rim Shotは必須だったから、最低でもSnareのRimが太股上面を僅かでも上回る位にしなきゃなんない。
さすればドラムスローンの高さはセット高さ依存となるから、バスドラの各口径へ対応するだけの高さの種類さえ用意されてれば最低限ならそれで足りちゃってる訳だ。

因みにペダル操作を支障しては困るので筒形は大抵只の円柱とするのを3脚・4脚型にすれば向き次第で避けられるので、脚部だけ視点では間隔の拡大に依って安定度を上げられる。
だが座面支持部が中心のみでは理論的には簡単に座面が「傾けてしまう」し、脚の丁度中間方向に対しては2本を直線で結んだ範囲までしか踏ん張りは効かなくなる。

なので筒より脚式が真に有利なのは調節可と可搬性の他では床に凸凹がある場合にグラつかないとか位で、実は安定度や固定度では必ずしも勝ってはいなかったのだ。
俺自身筒形スローンはブリキのゴミ箱の代用品以外記憶に残っちゃいないが、外見からの想像と違って思いの外安定度は高かった。

流行りや見栄え等もあるから特に筒形を進める気は無いけれど、せめて誰でも一度は気楽に体験出来ると良いのになと思ってしまった。

<つづく>

2019年9月27日 (金)

音楽備忘録51 ドラムスローン簡易修理のその後Ⅰ

春に施工した拙ブログ「音創り⑬ ドラムスローンⅡ 使用経過と本施工!? 編」のその後だが、施工前よりは改善したものの時間の経過で再度グラつきが出て来てしまった。
昨日訪問した際に考え得る最終手段を講じてみたが改善しなかったので、その原因を再考察してみた。

従兄から申し出があったのは夏の終わり頃だったので、その面からはこの方法の有効期間は3~4ヶ月となった。
但し概述の通り従兄はドラム教室の講師でほぼ毎日、しかも叩かない時も教室在住時は大抵これへ座している。
ので一般人が並の使い方をしてる分には、もう少し長く持ちそうだ。

とは云え完全な解消には厳しいので原因を探った処、固定の接点が2点なのと回転許容や抜き差しの都合で隙間ゼロには出来ないのが問題の様だ。
その1は座面軸受部はダイキャスト製なので入口部と最深部の口径の完全一致が見込めない上、支柱上面共々それと接する部分が平面にはなっていなかった。

平らじゃ無い物同士となるとそれだけでグラつきが起こり易いが、それを補えるとすれば水平方向が駄目なら垂直方向だ。
が上記の如く隙間ゼロが理論的に不可能なので、理論段階で既に僅かでも動く可能性が残っていた。
それでも許容範囲に収められれば何とか実用にはなりそうだが、それには座面と支柱の固定度をかなり高められなくてはならない。

近年のドラムハードウェアでパイプを止める必要のある物は、その固定機構がポリエチレン等柔軟性を持った物で全体を包み込む様になっている。
んが昔のなのでネジ1本を直接支柱へ押付けるだけだし、ネジの反対側も面では無く贔屓目に見ても線でしか接触出来ていないのがその2だ。

それでも宅のの現況みたいに無法状態では無いのでそれなりに安定度は高いんだが、「動きそうに無くて突然動く」となるとあまり気持ちが良くないのも確かだ。
外圧の大きい箇所で固定が緩み止め無しの手締めネジ1本では何処ぞの有名ペダルのビータ固定案件の如く、少なくとも時間が経てば必ず緩むシステムと言って過言じゃないからねぇ。

従兄は座面回転は不要と言ってるので大巾改造をしないとすれば、後は隙間を埋めてしまう打込み式にするなり接着剤を充填する等で固定するのしか思い当たらない。
尤も通常なら運搬時の分解要求や回転・非回転を選択可能としとくには不都合だし、力ずくで打込むには軸受がダイキャスト製で柔軟性に欠けるので割れる心配がある。

一応来週訪問時に接着固定案を提示するつもりだが、突詰めて考えればそれでもあまり効率の良い方法では無い。
どんなに固定度が高くても座面を中心部でしか支えていないので、大昔の筒の上面にクッションが張られた構造のよりは僅かでも座面フレーム・支柱・脚部の「しなり」の分構造上安定度が低いのだ。

ここで再々度ドラムスローンの必要条件を提示しとくが別物へ例えるなら、万力等の様に「作業用の支点」であるのが近年は忘れられたかの様に感じている。
座る処だからイスと捉えると掛け心地が良いに越した事ぁ無いが、座った状態であってもかなり体全体を動かすとなると様相が違って来るもんだ。

例えばそんなのまずありっこ無いだろうが公園に 、フカフカの座り心地のブランコとか極端に撓る鉄棒があったとしてアナタ挑戦する勇気ありまっかっと。
鉄棒が取り立てて得意じゃない俺にすればオリンピックの鉄棒シーンなんかを見てて、良くあんなに撓る棒基準で神技なんかが出来るもんだと感心し切りだ。

自分がそんなのでやろうとしたら急所を打付けそうな気がして、とてもじゃないがまっぴら御免だ。
どんなに快適仕様でもオフィスチェアはソファより大抵は硬い物だし、音楽界でも何故ドラムスローンだけあんなに俺言い「只座ってるの専用」みたいになっちゃったのか理解に苦しむ処だ。

座らないと演奏し辛いのでドラム以外だとPianoやOrganが典型的かと思うが、それ等のには只の板だけよりはマシな位うっすぅ~いクッションののが今でもしっかり残ってるってのに…。

<つづく>

2019年9月26日 (木)

音楽備忘録㊿ 速過ぎて冷徹に一定のテンポⅪ

説明が分り難かったり例示も最適じゃなかったかもだが、キリが無いのでこの辺で締めに掛るとする。
極最近になって本邦でも一部の若い世代で機械に全く囚われない者も出始めてるが、それがメジャー系にも波及するには後どれ位掛るのだろうか。

最近じゃ所謂ボカロ系(機械主体)での才能も一旦一通り出尽くした感があるが、それでも近年名をなした作曲者を眺めるとボカロ系出身が殆どとなっている様だ。
私的には本チャン演奏が機械中心(若しくは同等)とするなら彼等は人の演奏力に依存しない曲作りをするしか無かったので、半ば必然の結果だし妥当な処とも思える。

そもそもはリズム案件も何処迄拘るべきかは議論百出であろうが、問題はどの程度達成されてれば聴者万人に伝わるのかだ。
中でもダンスミュージック等メロよりリズムが重要なのだと問題があると思うので、このまま過修正・無駄速テンポを続けていたらマイナー化する危惧が拭えない。

近年の本邦リスナーはホントに歌詞ばっかり聴こうとする者だらけなんで、或はリズム重要系はニーズが減ったのかも知れない。
しかし何時も吠えてるが如くその様な文学テイスト溢れる作品も、反対指向のも存在する中にあってこそその特徴が活きるもんなのだ。

当節コンビニスイーツなんてのがお流行りだが、甘いものの甘さを一番実感出来るのは甘く無い物との対比が出来た時ではなかろうか。
そこでもし体制が歌詞重視に傾いてしまった(てる!?)場合他所様に敵役を演じて貰えんので、例えば自分達のアルバム内に捨て曲と迄は言わんも仮想敵を用意するのが得策かと思う。

現行のメジャー系での成功だけを目指す人にゃ余計なお世話かもだが、それでも一度でも名をなせて今だけ売れりゃ良いのなら幾らでも忖度しとくれ。
けれども流行ってのは何年かすりゃ変わるもんなんだから、現況にだけ合せ過ぎると音楽家生命を自ら縮めるのに繋がるのだけは指摘させといて貰いまひょ。

現行の流行りが好都合な人はその持てる資質が恐らく合致してるので、流行りが変化すれば亜流になる覚悟が必要だ。
只問題なのは先々に得意・苦手で済めばまだ救いがあるが、知らないから出来ないとなったら亜流程度では済まないだろう。
だいち冒頭に記した様に曲の作り方の段階でズレる可能性が高く、才能があっても大巾にやり方を間違えればそれを他人に示せなくなってしまう。

また体験からすると本人としては幾らも必要性が無くても仕事の都合で機械音楽!?も扱う様になったが、ある意味仇の事は知ってた方が勝負に有利になるのは確かと云える。
利点や強みを最大限に活かす事は弱点を補ってくれるので機械と人力のどっちをメインに据えるにしても、両方を知ってた方が進むべき方向が明瞭化するのだ。

なので最初からずっとどちらかにしか全く興味が湧かないなら迷う心配も無いが、もし迷いが生じたらある程度まで徹底して体験してみるのがお勧めだ。
急がば回れったって目的と違う方へ行くのはかなり不安だが、中途半端では体験不足で勉強が足りなくなってしまう。

たかだかポピュラー音楽如きにあれもこれも学べなんて面倒だけれど、なるべく多くの人に同じ様に受止めて欲しいならこれは避けては通れない。
その逆にヲタネ申様になりたいのならその専門に於いては、誰よりも詳しいのを維持する必要がある。

こんなのは好き者じゃないと難しそうだが、その好き者にとってはどうせほっといても勝手に心が追及しちまうからそんなに負担とはならないもんだ。
もしあまりに面倒を感じる様なら一番向いてるのが音楽じゃない可能性が高いし、追及したがりさんは方向性だけ気を付けてりゃそんなに大変な話しじゃ無かったんだけどねぇ。

<続>

2019年9月25日 (水)

音楽備忘録㊾ 速過ぎて冷徹に一定のテンポⅩ

著作権にウルサイ当節だがとても古いのだし極一部の抜粋なので、概述の実験音源を披露してみる事にした。
それは是迄にも他所様で似た様な物がとっくに出されてるとは思ったが、知る限りでリズムのタイミングだけを変えたのに出くわした覚えが無かったからだ。

どの程度参考になるか不明だが一応こう云う目的に特化させる為(或は単なる手抜き!?😅)、純粋に問題となりそうな箇所の鳴らすタイミングだけ違えたのを3つ作ってみた。
尤もとても短い上楽器も4つしか入れて無いので、過剰な期待はせん様に…。

上のの内容と順番は既に記した通りで上が全く跳ねさせない・中が全く跳ねさせる、で下がその中間に設定した物だ。
中段の完全跳ねさせは本来なら3拍子ベースで打込むべきだが、曲自体がそのカテゴリーには入って無いと判断して8Beatの裏になる16分音符部だけ数値入力で修正してみた。

具体的には小節分解能960に於いて跳ねないの時240や720のが、完全跳ねさせでは割り算計算の結果から320や800となった。
その結果棚ボタではあったが下段の「中間」のを作るのが楽になり、数値的に単純に両者の「間の値」にしただけの事となっている。

これは具体的には上記の要領で280と760としたが、こう云う「譜面的には半端」なのだと最初から計算だけで的値を得るのは困難だ。
筆者はあまり譜面は得意じゃないので普段使ってないが、試しに譜面入力の画面を開いてみたらどれも全部同じになっていた!!!。

オマケに裏技か一般的かは知らんがGuitarの所謂「空ピッキング」(弾くけれど弦を押える指を緩めて音程は殺す)は、発音時間を極短に短く設定して得ている。
が、Guitar譜なる物ではおたまじゃくしの玉を別の表記としてるがそうなっていなかった。
ドラム譜でもHi-Hat等金物系はやはり玉を×等としてるのがそうなってなかったが、使用ソフトが古いせいなんだろうか!?。

だが元を辿れば現行の西洋式楽譜の規格が古くて、未だに譜面だけでSwing度等を正確に指定出来ちゃいない。
俺みたいなのにとっちゃそんなの欠陥規格だが、今回上述みたいに実際計算してみて少し見方が変わった。
それは計算も面倒だがそれ以上に、もし割合が分かってもそれを正確に再現出来るかって問題がある処だ。

楽譜のリズムは分数に依っているので現実的に人に再現性があるのは、せいぜい1/2・1/3程度が限界だろうからだ。
16分音符は理屈では1/16だが、現実的には「8分音符の半分」ってだけの解釈で加減する場合が多い。
実際「○の半分の半分」等の意識が無いと、細かい音符を均等にするのは困難になる気がするし。

これ等と楽譜規格の「当初の狙い」を鑑みると、何時でも何処でも確実に同じに出来る必要を重視してた筈だ。
当時は録音なんて概念すら持てなかったのだから、録音機の代わりとしての責務があっただろう。
曲を提供する立場に立ってみれば演奏の具合で違って聴こえ、そのせいで評価が左右されるのは悪い方の場合はホント勘弁願いたい処だからね。

となるとどうもSwingやFunkみたいなヤツは例え理屈を知ってようと知らなかろうと、感性を鍛える以外仕方無いしその方が手っ取り早いものって事になるね。
更にそれより上のレベルでは微妙なタイミング差が奏者の個性等にもなっていて、許容範囲に収まってれば何処がどう突っ込み気味だったり重かったりしても自由なのだ。

無論これは「したい表現」に対してはかなり厳密に縛られるが、奏者の意思と音が合致してるならそれこそが大正解なのだ。
それが不幸にも「ノリの加減」が出来ないの等を無駄速テンポで忖度しちまえば、もしそれなりに技量を持っていても「自由に選べる時間」が短くなり過ぎて幾らも発揮出来ないと。

それじゃあ本来はちゃんと存在してるものを無きものにしてしまうので、嫌いだしこれからの人達の行く末が危惧されるって寸法なのだ。

<つづく>

2019年9月24日 (火)

音楽備忘録㊽ 速過ぎて冷徹に一定のテンポⅨ

本題の無駄速テンポに対してかなり遠回り感が強い感じだが、大事だしあらゆる角度から知って貰いたくてこんなになっている。
そこで再確認しとくと機械はスピードを出すのは得意だが、スピードを出すのはえらく苦手である…だ。

重複覚悟で少し概要を整理してくが非一定のテンポが機械は苦手な点で、例えば徐々に速くなって行く様なヤツだ。
機械でも人も含めて高級になればある程度は可能だろうが、聴者を始め奏者等の気持ちに沿わせるのはかなり難しそうだ。
ってのもその「速くなり方」自体に無限のパターンがあり、これを反映させる為のData収集が膨大な上に適正化させるのも難しいからだ。

サビだけバカ騒ぎでそれ以外はシレッとした曲を盛り上げようとした時、サビ部だけテンポが速まるなんてのもありがちじゃないかな。
或はどんどん速まるが最後には元の速さへ戻ってるのとか、但しこれ等は皆物理的分析での話しなのだ。

聴者感覚的には上記の「サビだけ速い」も目論見通り興奮して貰えてたならそうは聴こえず、「盛り上がってるネェ」とか単に「遅れてはいない」と感じる場合の方が多い筈だ

また聴き始めは速いと思っても人って慣れがあるから、暫く経つと速さを感じなくなったりもするよね。

そいでもし予測より僅かでも遅かったら気持ちに水を差されたみたいになって、音のおとぎの国からすぐ現実へ引き戻されてしまいそう。
ホントは聴き手が興奮したせいで当初のテンポじゃノロく感じる様になっただけの事なんだが、「首尾一貫して飽く迄冷静に聴いて欲しい曲」なんてのでも無い限りそうなってはアウトだ。

こんなのを機械で何とか実現しようとするならアニメ映画を作るのと似た様なもんで、理想を追求したら全て架空でも各奏者のキャラクタ設定迄必要となる。
例えばその架空BandのGuitaristはAコードに何故かやたらと興奮するとか、Drummerは16Beat嫌いでそうなると急に元気が失せる等々…。

どしてそんなにするかってば奏者の組合せ次第で盛上り・下がり方に違いが出るからで、少しでも偽物にリアリティを持たせて感情移入をし易くしたいからだ。
その根底には曲の元となった感情は人が感じた本物だからで、「嘘の気持ち」に聴こえては困るでしょ。

大昔何処ぞの映画プロデューサが免許も腕も無いのにサーキットでレーシングバイクをぶっ飛ばして、案の定!?事故って大怪我をしたなんて話もあったのぉ。
それを俺はずっと因果応報と思ってたけど、今にしてみると大馬鹿だけどもしかしたら作品作りの為に体験が欲しかったのかもと気付ける様になった。

或はそんな膨大な手間を省いて最低限つまり「遅れはしない」だけを確保しようとすれば、聴者がどんなに興奮してもそれを確実に上回る速さにしとく位が関の山だろう。
それが俺的「無駄速テンポ」の原因と思っているが、聴者の気持ちへ寄り添うのが欠けてる独りよがりに感じられてしまった。

もう1つ加えときたいのがポピュラー系での「機械音楽」についてで、本邦は当然乍ら諸外国でもそれの嚆矢はYMO辺りだったと思う。
ジャンルとしては「Popな」テクノとなるが、如何にもロボットが演ってそうになってても実際は殆どが「手弾き」だったのだ。

今からしたら妙な感じだがその頃迄は「人間味を排除した感じ」のが、例え機械を使ってても無かったから斬新だったのだ。
当時は機械のレベルが低かったから音楽に聴こえる様にすると人間味が漏れちゃって、それを抑えると機械的には出来てもモールス信号かなんかみたいに音楽には聴こえなくなっちまってたからなのである。

私見ではホントに機械に演奏させる様になったらテクノが退化した様に感じてるが、ここには「聴くのは結局今も生身の人間」ってのが鍵になってると考えている。
下らん話しだが上記のロボットってのも飽く迄人が勝手に想像したもんで、想像と実際が違っても聴者に一切責任なんて無いんだからさ。

それが最近じゃ逆転して過修正のせい等で、人が演ったのの方が機械的になってたりするんだから分からんもんだ。
只困るのはそれを全く意図せず作った曲迄「機械化」してるからで、それならせめて作曲だけでも打込みにすべきだろう。
今だと機械で生っぽく・人で機械っぽくも出来はするが、所詮それ等は手法選択の誤りで一時のデモンストレーションに終るのは最初から分かってるんだから。

<つづく>

2019年9月23日 (月)

音楽備忘録㊼ 速過ぎて冷徹に一定のテンポⅧ

遠くのF1・間近の自転車の続きからだが先ず視覚的に視線の角度と追従速度の違いで、実速度と感覚速度に大きな違いが出たりするもんだ。
そしてメカニズムは少し違うも音にもこれは日常的に起きていて、音の場合これの要因は「間隔」となっている。

その中で大分類するとリズムパターンやBeat(含む拍子)と、同一フレーズでもその中の微妙な音のタイミングの2つがある。
上記前者に関し単純打込みだけでは再現不能なSwingやFunkは後者へ、人力の場合はこれ等は後者へ含まれる特異性が生じている。

例示その1としてSam & DaveのSoul Manを取上げるが、これの拍子を無理に理屈へ沿わせれば3拍子系となるかも知れない。
現況では公表努開力中だがこれの基本部を打込みで遊び半分にプチ実験としてやってみた処、当初想定よりも跳ね度が高いのが分かった。

しかし原典ではシャッフルだと「タッタ」の後ろ側は「たまに」しか弾かれないので、何拍子かと問われれば4拍子系にしか聴こえない。
しかも跳ねさせ方が音に依って違っていたり、バスドラに至っては跳ねさせない処も一部跳ねさせに合せて最適化されてるのかメトロノーム的には敢えてジャストにはなってなかった。

個人的にこの手のは幼少時から一番馴染みがあったので、実演の方が何の労も無いのでこれ以上の実験は億劫になって来た。
今回実験は具体的には全く跳ねさせない・完全に跳ねさせる・その中間と3つ実施してみたが、中間のが一番マシだったにしても結局原典のグルーブへは大して近付けた気がしなかった。

全く楽器を演れない人には詳細分析からのシミュレートもそれなりの価値はあるだろうけど、自ら何か独自のノリを企てるのが機械発祥では不可能に近く感じられた。
弾けない人でも開発には機械以外に鼻歌って手があるが、ダダダとかだと良いが「チョイ―ガ・ツクチャァー」なんてなると弾けないと酷く再現が面倒だ。

最終的には弾けても弾けなくても音楽への造詣の深さがものを言いそうだが、すぐに弾ける様になりそうな物迄律儀に打込む義理も無いのだ。
本チャン用なら安定度等で打込むにしても、気楽なお試し段階でそんなのを気にする必要なんて無いからね。

それを今回例示ので示すと単純なドミソコード(キーはCつまりハ長調では無いが)の、まばら弾きになってたPianoなんかリズムの裏取りだけ出来れば誰でも即弾ける難易度だった。
打込みだって音数が少なきゃその分楽にはなるが、手弾き入力をしないならタイミング調整は計算に基づいた数字との格闘になる。

これも参考に今回実験の詳細を披露しとくと使用ソフトの音符分解能は960で、跳ねないなら240とか720になってるヤツを跳ねさせる場合は320や800へ「書換え」が必要だった。
俺には死ぬ程面倒でも数値設定さえ誤らなけりゃヨレる心配は無いが、元がかなりランダムで曖昧な物へそこまでの正確性は必須じゃ無い。

しかも上記の如く原典ではズラし加減が一定では無いので手弾き入力からの修正をするにしても、どれが駄目でどれがOKなのかの判定が単音単位だと「流れ」を聴けないのでより難儀するであろう。
何より音楽の表現には「人の気持ち」とか「気分」とかも多いので、可能な限りダイレクトに反映されられると「漏れ」を減らせるのだ。

<つづく>

2019年9月22日 (日)

音楽備忘録㊻ 速過ぎて冷徹に一定のテンポⅦ

では漸く俺的には最大犯罪たる俺言い「無駄速テンポ」へ、いやぁ愉しみ楽しみ…!?。
敢えて釘を刺させて貰っとくけどこう見えても(見えんがな)割とスピードには自信のある口だし、機械関係もかなり得意なのに言ってるってのは分かっといておくれよ。

さて概述の如く音楽のスピード感はその速度(テンポ)よりタイミングが及ぼす影響の方が絶大なんだが、基本的には人が受けた印象だって事で以下に例示して行こう。
そしてこの手のには個人差やその時の気分の違い等も大きく響くが、誰にでも速さを確実に感じて貰うには力技では通用しない。

今回の1は番手「大きさの違う乗用車」であるが、軽と3ナンバーでは同じ速度でも随分違ったりするもんだ。
その1は所謂「振動周期」ってヤツで主にタイヤの間隔に依存していて、同速で同じ道の出っ張りを乗越えた時を想像してちょ。

この時タイヤ左右が乗越えるのが同時なら同速度の前提なので、車体の揺れは前後タイヤの間隔所謂ホイルベースに左右される。
大袈裟に擬音化すると軽が「ガタン」なら3ナンバーは「ガッタン」ってな感じで、小さい(短い)方が「細かい揺れ」となりますですよね。

けれども軽だって速度が遅くなれば「ガッタン」となる訳で、普段軽に乗ってる人が3ナンバーに乗った当初はゆっくり走ってる様に誤解したって変じゃ無いよね。
えっ!?側窓から景色を眺めりゃそうならないって?、あのぉ一応「乗ってる」って運転しなきゃなんないから横は見てらんないつもりだったんだけど…。

って聴くだけの音楽には映像は無いので、音楽じゃ脇見運転自体がそもそも不可能だがや。
そら最近じゃ音楽だって映像付きがデフォでやんすが、映画とかだったら目を瞑ったら楽しめんからのぉ。
これを逆から見れば上手く演れば見なくても見えなくても速さを感じさせられるのは、寧ろ音楽に与えられた特権ですがな。

その2は業界復帰させて音楽の中での話しだが振りを考えて踊ろうとでもすれば別だが、普通聴いて楽しむのに一々何拍子かなんて意識しないよね。
そーすっと目立つリズム音(Beat:強拍)の間隔が短きゃ忙しなく、長きゃゆったりしてる様に聴こえちゃう。

これが無いと慌ただしいJazzとかリラックスした16Beatなんて出来なくなる訳で、ベーシックで鳴らす音数が前出はBeatより多く・後者は少なくするのに依って達成されている。
何なら上記でドラマーの代わりに単音色で強弱無しのメトロノームへ置き換えたらすぐ分かる筈だが、メロディの進み具合もあるからそれだけじゃ無いって?。

勿論その通りで御座居ますが、ではでは近年本邦の「無駄速テンポ」のの歌とかってどうなっとるかねえっ!。
言葉数が多いのもそこそこありゃするがそのままじゃ聴き取れんからか、速いのは伴奏だけでメロの進行はその半分の速さしか無かったりしてるやんけ。

それをですねもし鼻歌にするとどうなりまっか?、当然伴奏無くなるからエライのんびりした歌になるわなあ。
曲の速さって歌物なら歌がメインテーマざんすから、結局は周りを幾ら捏ねたってそこが遅きゃのろまじゃんかっ!!。
だから俺みたいなスピード狂にはそんなんじゃトロくてじれったくて、幾ら喧しく奏でられてたってもう体中のあちこちがカイカイカイなんて拒否反応みたくなっちゃうんだよねえ。

んっまっそんでもこの辺は好みの問題とするとして、何で皆そんなにスピード不足で離陸出来ないジェット機みたいなのがそんなにええんかい…。
って言ってないで頑張って戻すとして、一般人が日常的に味わえる速度って思考も大事かなと思うんですよ。
速い車が好きったって本邦は速度制限厳しいし、普通の運転免許じゃサーキットは走れないし。

そこでその1で持ち出した軽自動車がヒントなんだけど、欲しいのはスピードじゃ無くて「スピード感」だけで良いんじゃないかって。
聴くだけだってそうなんだがもし運転しろって言われりゃ急にF1なんか無理だし、乗せて貰おうにもF1はお1人様専用だからそれも無理。

そのF1で300km/hを超えててもサーキット上空のヘリからの映像だと、意外と普通に道を車が走ってる様子にしか見えなかったりする。
それでいて例え普通速の自転車でも目と鼻の先スレスレを突然通ったら、驚くはぶつかるかと思って脂汗が出るはで物凄い迫力だもの。

<つづく>

2019年9月21日 (土)

音楽備忘録㊺ 速過ぎて冷徹に一定のテンポⅥ

毎度クドイが実例も混ぜて続きとなるが、今回は人力よりも強弱にひと手間増える影響の考察だ。
古いのが混ざるのは年寄りなので勘弁願うとして例えばジャンル(ここでは主にリズムパターン)と乗り物の種類のイメージリンクから行ってみまひょ。

近年本邦J-POPみたいな異形を除くと、意外に古い物程テンポは速いのが多いから聴いてみそ。
だがCountryならどんなに速く調子良くてもそれは疾走する馬の如しで、バイクの速いのをイメージ出来る人の方が馬より少なさそうだ。

若干屁理屈気味るがバイクの速さには実際の速度の他に、そのエンジンが発する音も重要なファクターと思えるのだ。
ってのも動力非搭載で殆ど無音のグライダーの方が、もっと高速でも飛べてるんだからね。
依ってバイク→車…と大きく重くなるにつれ、速さの他に重さ等が一緒に表現されてた方がそれらしく感じられそうだ。

また別面では馬とバイクじゃ同じ40km/h出しても余裕が違ってて、馬は結構頑張ってる感が出そうだがバイクでは軽く流してる様にしか見えない点だ。
この様に一口に速さ感覚と云っても色んなパターンもある訳で、ある意味限界感の感じられるのが一等賞的な側面がありそうだ。

ここで本案件はリズムなのでそれだけで表現させようとすれば、重さを表現するにはCountryの速さでは時間不足なのだ。
自然界で物が落ちた音は小さく軽いと短く大きく重いと長くなるもんだが、それ故どっかである程度以上長さの稼げる部分が無いと重く出来ねって寸法なのだ。

これらの結果で最高速ではより速いバイク(Rock)の方が、馬(Country)よりローテンポって逆転現象が起きている。
但しこれで成立させられる様になったのは当時新案だった、テンポ依存度の低い速さ表現が開発されたからなのだ。

私見ではそれ以前の音楽では愚直にテンポの速さを追及してた感があるが、単純な速さがCountry位の時期で遂に人の限界に到達してしまった様に伺える。
その時点迄の力技にも魅力は大いに感じるけれど行き着いてしまえば、別の知恵を持ち込まん限り似たり寄ったりのスピード感しか出せないからね。

して結局は必ずしもBeatは全部の音を鳴らさなくても平気なのへ目を付けて、一部にそれより分解能の一段高い音符の連打を入れれば素早さを感じさせるのを誰かが見付けたと。
その証拠として分かり易いのが基本リズムでのHi-Hatの刻ませ方等だが、近代のになる程「全部を鳴らしていない」のが耳に付く。

或は極端な強弱を付けてパターンとしては強い方だけ、弱い方は隠し味の様に聴かせてるヤツだ。
例に依ってしっかりと検証して無いのは杜撰だが、1Beatとか2Beatのでそれを端折ってるのは記憶に御座居ません。
だが16Beatのだと実際それするとダサダサ満開になるからかもだが、Beat数よりHi-Hat打数が少ないのが当たり前な位じゃんか。

ここで念押し再確認のご登場だが黎明期のゲーム音楽についてもっと正しい認識が欲しく、当時は強弱が付けられなかったからああなってた点だ。
しかもその前後時期の背景世相も重要で、音楽がオサレなのが増えたは良いが捉えように依っては単純明快なのがかなり少なくなってたって処。

もしこのコントラストが無かったなら「ゲーム音楽」がジャンル化してたかは怪しいもんで、音自体には強弱の無い音楽ってだけならそれ以前にだって幾らでもあったんだもの。
いや寧ろPianoの歴史的経緯なんかかすればそっちの方が先だった位で、ご先祖様のチェンバロなんか完全生楽器なのに強弱無しだ。

今なら強弱の有無は両方可能なんだから適宣選びゃ良いんだが、人だと同じなのが機械だと手間が違うのが時に問題だってんだ。
尤も基本的に弾けない人対象のケースかもだが、誰だって楽な方へ行こうとするのは当然だもの。

実際「機械へ機械らしい入力」をする場合フレーズ等を先ず入れて、強弱は大抵は後からじゃないのかな。
少なくとも俺も普段そうなっちゃってるし…。

<つーづーくぅー>

2019年9月20日 (金)

音楽備忘録㊹ 速過ぎて冷徹に一定のテンポⅤ

前回事例等が起きるとどんな影響があるかが今日のお題だが、俺等が体験した録る時面倒なんてのはまだ序の口だ。
そんなのは注意して聴いて修正すれば済むんだが😓、それだって既にリズムに充分な知見があったから助かったのだ😃。

根本レベルで厄介なのはリズムに問題があるのにそれがやたらと分り難い処で、楽器が弾けず打込みから音楽を始めた場合を想像すると実に恐ろしい。
弾けぬ者にとっては機械の正確さに頼りたくなるのが人情だから、本来はガイドさんたる機械に音楽的不備があってはならない処だ。

現に前回事例みたいなのが知らぬ間に勝手に起きてる可能性はかなり高く、自信や確証を持って無けりゃフレーズやパターンが悪かったかと誤認し兼ねない。
これは一寸の事が被害を際限なく広げてる訳だがそれ以上に罪なのはリズムを学べなくしちまってる処で、もし基礎の段階で間違った方向へ行かされてしまえば努力研鑚をしても却ってリズム感を悪化させてしまう危惧だってある。

これの具体内容へ入るとその筆頭はノリ等と呼ばれてる「タイミング案件」だと思うが、元が出鱈目だと基本刻みは跳ねてないのに全体印象では跳ねてる4BeatのCymbal LegatoやFunk等の時に窮するのだ。
これ等パターンだと例えテンポが少しヨレる等他はどうなろうと肝になる音だけはベストタイミングが必須で、それが狂えば最悪はもうSwingしなくなったりFunkyじゃ無くなっちまう。

つまり音楽的に必要なリズムの正確さとは前回指摘した通り各音毎に重要度に差があり、しかもそれがパターン次第で場所や数等が変化するのだ。
機械だろうと人だろうと何だろうと得意と苦手があるのは普通の事だけど、この俺言い「分かり辛い欠点」は性悪でアカンですとばい。

体験的にも遥か昔だが誰だって初心者時代は必ずありその頃は「打込みに自信無し」だったから、入れ方が何か不味いのかと思ってしまった。
たまたまその時点で既に弾けたから機械を諦めて手弾きにしたので宿題化したけど、弾けなかったら迷宮入りして己の能力とか才能を疑って病んじゃってたかも知れんもん。

して上記の第1ステージを運良く突破したとして、それでもまだかなり深刻な危惧が待ち受けている。
その第2ステージとは俺言い「分かり辛い欠点」のせいでフレージングに影響を及ぼす点で、散々打込んでみても良い感じになんないから「止ぁ~めた」ってなりそうな処だ。

私的見解では無駄速テンポ(これは次回以降で)の他に上記のせいで、幾ら流行りとかがあるにしてもパターンが少なくなり過ぎたと考えている。
音楽に触れるのに楽器より機械が先となれば後で知ったり見付けられるにしても、機械でやって結果が駄目だったら最低でも不要なトラウマ位にはなりそうだからねぇ。

更にまだ先があって第3ステージは俺言い「リズム遊び」の多くの部分が奪われちゃうヤツで、新しいとか独自にとかリズムパターンの開発にはかなり有害率が高いのだ。
今更リズムパターンを語ったって既にあらゆるのが出尽くしてるとも言えなく無いが、実は昔のにしたって正真正銘100%新しいのなんてせいぜい何拍子か位のもんだったのだ。

メロディやコード(和音)の話しだったら誰でも即承認すると思うが、音楽なんて殆どは「既に実在してる音」の組合せを捏ね繰り回した物に過ぎないから。
これがリズムだって同様で例えばJeff PorcaroがRosannaのパターン解説で、アレとコレとソレを足してみましたなんて実演付きで明言している。

この手のの初歩段階としては例えば3拍子と4拍子を同時になんてのも考えられるが、現行の並の打込みではやたらと手が掛ってこの目的に全くそぐわない。
だが人だったら2人居るだけでつられちゃったりはしそうだが兎に角即試せるし、ある程度以上のドラマーだったら左右や手足を割り振るだけで済むのだ。

また同じ機械でも録音機ですら最低2回録りゃ一応試せると、打込みに限定しなきゃ全然どうって事無いレベルのが出来ないんだから。
して最後に格言っぽく行っとくが感覚を要する類のものなら、先ずは体験ありきでっせとしとこう。
有り得るかどうか分かんなきゃ、そもそも試す気すら起きないのだから。

<つーづーく>

2019年9月19日 (木)

音楽備忘録㊸ 速過ぎて冷徹に一定のテンポⅣ

さあお待ちかね!?希少な最新の体験談でありまするが、打込みの方が「元からズレてた」案件であります。
宅周辺の楽器環境では生や電気系迄はそれなりも、打込み系は最貧古典なので現代平均レベルではここ迄にならないかもとお断りしときやす。

だども基本システムの方式が別物でないならば程度差の問題で、影響が少なくても起きている可能性が高いので参考にしとくんなまし。
して何がどうしたってぇと、正しく打込まれててもシンセBassが遅れて鳴っていたのでした。

その経緯は何時もの様に従兄要望でClick使用の録音での話しで、今回の曲は当初は演奏は全部人力の予定だった。
それが主作曲者たる従兄のイメージの具体化が進むにつれ、Bassに極端な音色が欲しくなって先ずは色々加工を試みた。
ものの思ったような感じが得られず、音色自由度の高いシンセの方がとなったのである。

で当初は彼所持のアナログシンセで音色を作り従兄が弾く練習を始めたものの、弾き方の僅かな粗で音色が大巾に所望とは違ってしまう問題が発生。
従兄は昔から録音で鍵盤をそこそこ弾いてたんだけど専門外故か惜しい腕前で、フレーズの都合でタイミングが変えられない処もあって今回は問題となった様だ。

それってのも従前に彼が使ってたのは主に程々昔の電子鍵盤系ので、弾き方に依って音色変化の出ないのが殆どだったからかも知れない。
そこで俺は弾くのはどうするかをやってる内にフレーズを忘れると不味いと思い、取敢えず打込んでおく事にした。

これに際し直接使うつもりは無かっても音色イメージは決定してるので、従兄に類似の物を選んで貰ってハイ無事打込めましたっと。
それを聴いて従兄がこれ位なら弾かなくてもいいやとなったので、急遽この新パートだけ音声Fileに書き出して既に録れてた太鼓以外のと合せて聴いてみたのでありんす。

そしたらなんとシンベだけ他の音とタイミングが何故か合わず、遅れちゃってるじゃありませんか。
最初俺はClickとシンベのズレを聴かなかったから自分が弾いたGuitar・Bassがズレてて、
ボロが出たかすわ録り直しかと焦っちゃったですよ。

幸い相棒がリズムの専門家で先ずClick基準で判断してくれたので濡れ衣を免れられたけど、正確性に関しては機械優勢なので良く聴かないで犯人扱いされそうな状況だったと思うですね。
まさか機械の方がズレてるなんて中々普通思わんだろうで、あり得るのを知ってる俺でもビビった位なんだからさ。

何れにせよズレてる物は直せでPC上でタイミング修正をしてみたら、嘘みたいに簡単に解決しましたとさ。
で終わっちゃここにはそぐわんのでってより音響屋としての探求心から、その後改めて打込みのを分析耳で聴き直してみやした。

そしたら何の事は無い、最初から遅れてんでやんの。
それを幾らお間抜け君にしたってベテラン技師が何故聴き洩らしてたかっつうと、他にも遅れ目の音色があったし「全体としてのズレ巾」が一定に狭目で許容範囲内に収まってたからってのが最終分析結果で御座居ました。

なので安定観点ではバッチリも最初からタイミングはちっとも正確にはなってなくて、許せる範囲だから気に留まらなかっただけの事だったんでしょうなぁ。
これだって厳しく見れば結果は道具より使用者側の責任なんだけど、気付け難いとかズレる場合もあるのを黙ってたのはソフト側の過失だやね。

本日のまとめをするとこれは極端な一例っぽいけれど、音楽用ソフト(アプリ)と名乗ってても大して音楽用には出来て無い可能性が高いでありました。
現状シーケンス部と音源部は別開発のが多いので、本案件の諸悪の根源たる所謂デジタル物のレイテンシが完全規格化でもされないと完全回避には程遠そうだ。

<づづぐ>

2019年9月18日 (水)

音楽備忘録㊷ 速過ぎて冷徹に一定のテンポⅢ

途切れてーの読み辛いだろーのスマソーので、勢いに関しての機械の敗因から続けよう。
端的には機械の現行方式が原因で強いて責任を問えば、機械自体より作者や使用者が真犯人だ。

スピード感対策の作戦その2案件の続きで、機械と人の夫々の出来る・出来ない事からだ。
ミスらない点では機械の方が速さを維持できるので有利と見えるが、ミスらなくても不足が残るのを前回記した。
それを人はかなり補えるとは云えミスの完全排除が厳密には困難なので、この点だけなら一応引き分けとしとこう。

だが音楽やリズムは常に一様に影響力がありはせず、ドンズバじゃないと駄目なのと多少甘くなっても全体に影響を及ぼさないのの両方がある。
機械からしたら狡いんだが人力の場合不完全な癖に、要点だけは何とか抑えるのなら訓練次第でそんなに無理な相談では無くなって来る。

これを野球の試合へ置換すれば機械は失点しないが得点出来ない、人は大抵失点するが得点も出来ると云った処だ。
なので機械は剛腕投手だけのチーム・人は凡庸だが仲良しチームってな感じになるが、選手の能力の割に試合に勝てるのはチームのゲームなので後者が有利だ。

珍しくとても分り易く(つもり)言うと音楽は通常単音のみでは成り立たないので、野球の試合と同じく得失点の合計が正負のどちらへ傾くかで勝負が付くのである。
テンポ・リズムパターン・メロディライン・コード等のどれ1つとして、複数音無いと構成出来ないでしょ。

そして少なくとも一番最初は聴きたい者が特には居ない処から聴いて貰おうとするんだから、欠点の有無より何らかの魅力のあるのが先に必須なんですよ。
しかし機械は得点能力(ノリの付加等)が無いのでどうするかってば、リズムパターンやフレーズで勝負するしか無いと始めっから窮屈なので御座居ます。

それを適正を無視して無理に補おうとすると、例えば速っぽく出来ない代わりに遅っぽくなるのを無くしてしまえ等と思ったんでしょうな。
確かにどっかでモタるよりモタりゼロの方が「非スピード感」(遅さ・鈍さ等)は減らせるが、悪くは無いと感じさせるのが精一杯でノリの良さを作るのは出来ないんです。

厳密にはヲタマクロ視点で人のを分析・シミュレートしてけば全く不可能では無いんだけど、手間暇やソフト若しくはアプリのリズム分解能の制限で自由にはならんです。
して皮肉な事に上手く弾ける人程高い分析力を既に持ってるもんで、それだと打込む必要が無いと…。

尤も世代や音楽を始めた時代に依って俺みたいに機械では大変でも人力なら何とかとか、今では騒音問題や楽器より音楽を作れる何らかの機器を既に持ってる人が多い等条件が反転してはいる。
では機械でも少しでも何とかするとしたらの助け船であるが、手拍子・フィンガースナップ・足踏み等道具(楽器)レスで構わんから俺言い「人間パーカッション」の研鑚だけはある程度以上積んどくれ。

メトロノームに合せてなるべく意図したニュアンスが出る様に打ち鳴らし、それを録音して聴いて修正して…を繰り返して行くのだ。
楽器毎に適正タイミングに違いがあるの迄はそれだけだと獲得出来ないが、少なくともリズムパターンやリフ等の夫々の傾向は掴める様になると思う。

全く作編曲はしないのならこんなのの影響は半減しそうだが、少なくとも上記等の体験から「こんなのやあんなのもアリなのか…」ってのを知ってるかどうかで後で大差が出るのは請け合いだ。
そして機械か人力かの適正選択や、機械の不調や失策なのか打込み損ねてるのか等の判断力が高まると思う。

過去体験では腕や録音機材の都合で太鼓を機械で録っていた時期があったが、普通に打込んだだけでは違和感があった際に耳に従って修正する事があった。
これは太鼓自体もそうだったがそれ以外が全て人力演奏だったのも大きな要因で、ドラムマシンに合せるのを優先すると聴いたら変になってしまったからだった。

極最近も類似例に見舞われたが、次回へ。

<つづぐ!?>

2019年9月17日 (火)

音楽備忘録㊶ 速過ぎて冷徹に一定のテンポⅡ

今回から現状機械が出してるテンポってかリズムへ寄せてみるが、再三出だが機械にとってのと音楽にとっての安定には結構な相違があるのを念押ししとこう。
これはある意味電波時計の存在意義とも似ていて、人間が系統立てた物理法則と自然界に未だズレが残ってるのと同じ様なもんだ。

安定してはいるが地球の自転は完全に等速ではないので、どんなに正確な時計を作っても何時か何処かで僅かだが必ずズレが生じる。
それを電波通信で自動修正してくれる物だが、実在の音の世界では間に自由奔放の権化みたいな空気が介在するのもあってより顕著に誤差が出るもんなのだ。

故に音では無く音楽って観点からだと機械の出すリズムは安定はしているが、意外と「不正確」な物となってしまうのだ。
ここで機械が出すのと人が出すリズムの最大の相違へ目を向けると、前者は聴いてないし加減してないが後者は大抵は無意識にそれをしている処ではないだろうか。

これは音源や環境等様々な要因の組合せで生じる差異に対し、現在迄の機械は修正機能を持っていないからだ。
今後AI等の搭載で機械も「聴く耳」でも持つ様になれば改善されそうだが、「見る目」も与えられて聴衆の様子迄となるとその頃には俺はもうこの世に居ないかも知れない。

それでも物理的安定度では機械とても優秀だが、「音楽の安定」となると俺言い「最適化能力」の無いのが仇となっている。
音と言えば誰にも聴かれなくても成立するが、音楽は必ず誰かに聴かれる前提で成立してるものだ。
なので聴者に対してリニアなのが正確とか安定で、もしそれが物理的にはズレてたとしてもそんなの知ったこっちゃ無いのである。

この為フレーズや演奏されてる場所の状況等に依って時間的には僅かだが、ベストタイミングはかなり多種多様でメトロノーム通りとはなっていないのだ。
ではベストを諦めざるを得ない機械でどうしたら少しは人間に対抗出来るかっつうと、その1は人が出来ない事をやらせる作戦だ。

今となっちゃもう時効もいい処だがこれが実施された当初は「人々が聴いた事がある物は殆どが人力の」だったから、今迄訊いた事が無い世界で斬新さがあった。
フレーズに関しても同様で「弾ける人が居ないから避けられてた・思い付けなかった」物等が、実現可能となったのは朗報だった。

しかし人間だって俺みたいなどっかのアホが間違って進化する場合もあって、片足の16分音符は2個位迄しか踏めない筈のが覆っちまう事だってある。
質の悪いのがエエ加減な人間様の所業って処で、まさかン10年以上続けてて50歳も過ぎてそんなのが起きようとは本人だって全く予想出来なかった。
故に機械の作戦その1は期間限定商品が多く敵がエエ加減なだけに、その賞味期限も設定困難と頼り無い。

その他にもスピード感を得る或は維持する目的で作戦その2(苦肉の策で遅い処を無くす)が実施され、実は当初から負けが確定してるにも係わらず未だにしがみついてる者が多い様だ。
何故勝てないってばシステム的に出来る事が人より少ないからで、それには少し俺言い「ノリの科学」知識が必要だ。

これも再三出だが音楽の表現には「比較に依って得られる」物が多く、テンポやリズムにもそれは適用されている。
単純物理思考ではテンポが速まる程勢いは出るもんだが、全体が速ければそれが一番元気に聴こえるかってえとそうでもないのが実情だ。

それは前出フレーズ次第で違って聴こえるのがあるのでどんなにハイテンポに設定しといても、「その部分」だけあたかも少し遅くなった様に聴こえちまうからだ。
これが出ると「調子に乗った聴者」にとっては来る音が予測より遅かった為、勢い(興奮とか気持ちの隆盛)を簡単に削がれてしまう。

だが現行機械では基本的にはこれへ非対応なので、先ずこの点で勝ち目が無い。
尤もだからって機械が全部アウトにはならないが、無理強いをしたって仕方無いのを知って頂きたいのだ。

<つづく>

2019年9月16日 (月)

音楽備忘録㊵ 速過ぎて冷徹に一定のテンポⅠ

俺毛嫌いのJ-POPで良く遭遇する無駄なハイテンポ、単に齢とって追付かなくなったんじゃないのよ。
なんてぇと余計嘘臭くなりそうだけどどうしてってば、曲やメロディの最適値より速過ぎるとしか思えないのが多過ぎるからなんよ。

流行りがあるにせよこんなになるからには原因もありそうで、それを探ろうって企画でありんす。
普段なら回りクドくなるのは多分筆者のせいだが今回は違って、経緯を辿るにはやむ無しで願います。

先ず問題視したのはPOPと名乗る割にはメロディや歌詞の聴き取り負担が随分増えたと感じたのが発端で、それが不要にハイテンポでけたたましい伴奏のせいの様に思えた。
でその訳を推察するとゲーム等打込み音楽の台頭・普及で、それに下手に対抗した感が拭えなかった。

初めて「取込んだ」人のは希少性を伴う遊びとして容認出来るが、まるでそれしか無いかの如く執拗に囚われるのは愚の骨頂なのだ。
それはどうして機械のはあんなに速めたりけたたましくにぎにぎしくしたのかで、要は生演奏でしか得られない盛上りやスピード感を補う苦肉の策でもあったからなのだ。

極最近に至っては演るのが機械だろうと生身だろうと、技術的には殆どどう料理するかその人の腕次第となって来た。
しかし当初は特にゲーム系は限られたリソースを音にそんなに割り振れず、音楽自体の方での調整が必要だった。
今となってはその独特な部分が1つのジャンルやパターンともなっているが、「仕方無くそうしてた」部分があったのは否めぬ事実だ。

別に人力でそれを演って罪にはならんけどとっても簡単な話し、今更機械だけで足りるのへわざわざ延々汗を流すのもアホらしかないですかってのよ。
だいいち正確性や安定性では太刀打ち出来ないのは概知なんだから、もし演ってる人の姿が見えなきゃ「壊れてる機械で演ってる音楽」みたいにしか聴こえないんじゃないのかなぁ。

人力では「常にそこ迄」が不要な理由は次回以降へ譲るとして、音楽を知ってて機械が操縦出来ても「適宣で加減する」のは生演奏より格段に手間暇を要する。
不可能じゃないがそれを盛込もうとすると一部恵まれた境遇にある者を除けば、音楽を機械で演る利点の完成迄の時間的早さだとか不安定の排除を台無しにしてしまう。

なので結局は適材適所でそんなに表現力が不要のは機械で、微妙だったりピンポイントな表現が必要なのは人力でと使い分けりゃ済む話し。だったんだけどねぇ。
因みに音楽なのに「そんなに不要」のとは所謂聴いて楽しむ用の曲等では無く、駅へ電車が近付いて来る時に知らせる為の駅メロ!?みたいなのの需要もかなりあるんでやんす。

この手のは認知し易さの為極力余計な変化は無いのが好ましく、Classicのフルオケで突如フォルテシモになるのなんかを流したらそれだけで驚かせて転ばせちゃったりしそうだからねえ。
近年では「聴いて楽しむ用」のも聴取環境へ過忖度すれば平板なのが便利かもだが、それじゃあバスト・ウェスト・ヒップが全く同サイズのヌードに興奮出来るのかって感じ…。(おっと失礼😓)

随分差し迫っちゃったけどお題へ「冷徹に」を加えたのはリズムタイミングでは表現が放棄されてるからで、派手な音色やアンサンブル等のせいでこれに気付ける人は少ないかも知れない。
だがリズムってのはどんなに弱くショボイ音でも僅かなタイミング次第で逞しい感じを出せたり、どんなに強い音でも「イジケちゃって無気力な横綱」みたいな表現だって出来ちまうもんなのだ。

これだってリソース等技術的制約が厳しかった当時なら兎も角も、今だと本来ならやろうと思えば無理では無くなって来ている。
しかし困った事に打込み等のテンポ設定の自由度が未だ低次元の物ばかりとなっていて、例えば♩=100.5とか大して難しくない筈のが出来るのに出会った試しが無い。

いやもしかしたらどっかにあるやもだが、誰でも知ってる位普及してないと人間の意識改革へは繋がらないからねぇ。
何の意識改革ってば元は退化してただけなんだけど、テンポに小数点のは無いって一体誰が決めたのよって。
実際は誰もそんなん宣言して無いと思うが、幾らでも実在してるそんなテンポがまるで無き物みたいになっちゃってるんでね。

<つづける>

2019年9月15日 (日)

音楽備忘録㊴ スプリングReverbⅤ

そろそろ締めへ向かうつもりで補足と、そもそもReverbを掛けるのに都合の良い音質にも触れておこう。
最初はスプリングReverbの使用例からとするが、正直に吐露すると特に浅く掛けられてる物はバネ君かどうかサッパリ分かりまへん。

ってんな無責任な杜撰な…もしかしたら少し当りかもだが、それ位残響が僅かな付加だととても判別が困難な音だからなのよ。
でも慌てなんさんなでこれって裏を返せば実は汎用なのの証しで、そもそも各方式のReverbの音の癖自体をよぉ~く再確認しとくんなまし。

つまりバネ君の強烈なビヨョ~オォンのイメージってフルに掛けた時の音でしか無く、正しく比較するには同じ掛りの深さのでしないとホンマはアカンねん。
でも普通は誰だって象徴的な印象が真っ先に思い浮かぶもんだから、しゃーないっちゃしゃーないんだけどさ。

ここで年の功体験談へ行かせて貰うと個人的に一番分かり易いのが、実はチープなデジリバで御座居ました。
無礼千万な表現になっちゃうけど、単調で平面的で妙に画一的…つまり響き自体はショボイ癖にヤケに音質だけクリアだからなんだよぉ~んっとね。

失礼の次はかなり大雑把か荒っぽいに思われそうだが、当り前だけど低音質な程癖だって分かんなくなるし。
この辺で少しは真面目に戻ると、これ等から残響付加装置の条件みたいなのが薄っすらと見えて来ませんかの。
音を扱う機器である以上決して音質は無視出来ないけれど、記録系の機器とは第1目標(或は目的)が違うんですわ。

要は残響自体の音質がオーディオ的部分のそれよか上回ってるのが望ましく、上述チープデジリバ君はものの見事に真逆を行っちゃってんだわ。
良かれと思った高音質のせいで、一層響きの貧相さが露呈しちゃうって究極の自虐だわさ。

また多くの場合残響は脇役なのも思うと却って正体不明なミステリアスな方が良いってなるが、近年の闇雲明瞭度追及とか効果の分かり易さ等のせいで残念だが逆行しちまってるみたいだね。
しかしこれは原理的に二律背反でしか無く、どう頑張ったってどっちか(原音か残響音)をある程度犠牲にしない限り成立しないからのぉ。

そこで2つ目案件へと向かうのだが、何でこんなに迄「ハッキリした残響」を皆が欲しがってしまったかが問題だ。
これを正しく考察するにはそもそもどんな原始的なのでも、Reverb自体が「バーチャル残響」であるのも忘れちゃダメよ。

俺みたいに武道館には全く縁が無さそうな人はReverb以外に気分を味わえませんから、この件には絶対の自信が満ち溢れて居り…😢。
今では異空間とか必ずしも何かの代用じゃ無くなってるけれど、それだって元ネタは何とかホールのとかにゃ違いないからね。

こう云う場合に少しでも生楽器だとかPAレスの体験があるとヒントになるんだけど、楽音の必要明瞭度ってかなり響いちゃっても込みで本来作っとかなきゃなんですよ。
今だって生&PAレスじゃないとおかしいジャンルのとかある訳で、基本的にどんなジャンルのどんな楽器だろうと「ある程度の劣化があっても聴き取れる」にしとかなくちゃでしょ。

因みにある意味で「生過ぎる」Line録りの音でやんすが、オーディオ的にはそれなりに高級ですが楽音的には2流で御座居ます。
その心は劣化や妨害音に対して案外弱いからで、音色の特徴などはAmpのアシストが無くなるせいでかなり弱まっている。

斯様に脇役氏には「主役より後ろへ」ってなるのが当然なのに、セリフ忘れが酷い主役のせいで仕方無く脇役がってなってるのと同じじゃないのかな。
なので名作を良く聴き込んで頂くと鮮やかなエコーの第1原因は、それを掛けた元音のせいなのが分かると思うんだよね。

けどその手の録音技師とかでもなきゃ一々原音と残響を無理にでも分けて聴こうとなんてしないから、是又仕方無い側面はあるんだけどねえ。
そう云えばこのせいか分からんが最近ノーエコーのって凄く少なくなった気がするが、また皆さんは機械に屈服するんでしょうか?。

<つづく>

2019年9月14日 (土)

音楽備忘録㊳ スプリングReverbⅣ

シミュレート物には自由がある代わり詳細Dataが必須、古典実機は使うの簡単でも自由が幾らも無い。
とそう都合良く出来て無いのは残念だが、バーチャルとリアルの使い分け等を考えてみよう。

こう言うからには古典スプリングReverbが今でも使える場面が残ってるのを知ってるからで、先ずはそれから語らせて頂こう。
流石に最近ではコスト等の都合でAmp内臓物ではバネのは減って来た様だが、未だ完全に無くなってないのは単にThe Venturesに代表される所謂テケテケが出来る為だけじゃ無い。

深く掛ければ確かにテケテケにしか使えんが、ごく軽く掛けるとバネ特有の癖はかなり弱まって殆ど気にならなくなるのだ。
また邪道ではあるがAmpのパワー段で歪ませたい場合、バネ君の低性能のお陰で普段より深さを浅くすればどうにか掛けられてしまうのだ。(歪ませで感度が上がった分下げる)

因みに一応技術面の裏付けをしておくと1にバネ君周りの周波数帯域の狭さ・感度の低さ、2に原音と残響音に加わる歪みが基本的に同じににしかならない性質を持っている処がポイント。
これ等のお陰!?(本来ならかなりの低性能?)で余程の歪ませをせん限り、歪ませても殆ど残響音には変化が出ないし耳では検知し難くなっている。

これは録音時なら録ってからデジリバ等を加えられるが、小規模Liveでお客へAmpからの直接音が大きく聴こえる等の場合はこれ以外に方法が無い。
Effectorループでエコーを掛けるには「その前に歪み完成」、じゃなきゃなんないので。

今の特に本邦ではPAレスは無いだろうからそこで掛けて貰えばと思うだろうけど、PAスピーカからの音にしかエコーが入って無いと次の様な状況が想定される。
お客さんの位置に依って必然的にPAスピーカとAmpからの距離に差が出ると思うが、そのせいで場所に依ってエコーの深さや一体感に大きな差が出ちゃうからさ。

尤もLiveでAmp歪ませをする人自体が殆ど居なくなってそうだが、もししようと思えば未だこの方法しか無いのは紛れも無い事実だ。
それとお好み次第だが本家系バネ君(特に真空管式の)の響きはエレキGuitarとは好相性で、響きの密度についてはリアル機なだけに現行方式のバーチャルでは到底追従不可能だ。

とは云えそんなの持って無いとか置いて無い場合も多いし、他パートと同じ響きにしたい事も多いだろう。
この場合の注意点としては例外を除き、低・高域が響き過ぎ無い様配慮するのが肝要だ。
Guitarの場合はBass程じゃ無いけれど、中低域が膨らみ過ぎると明瞭度が阻害される。
これがアコギだったら極端なOn Mic時等以外は問題になり難いが途中で一回音を電気へ変換してるので、「弾かれた自体」のより電気的には低域が大きくなっているからだ。

近回の「大ホール用の楽器」の件と近似でもし最初からある程度以上の残響を加える予定なら、それプラスそれに使うReverbが低域も響く物なんだったら音色自体を逆算しとくのも一方策だ。
しかし歪みのフィーリング等「それ以外」の部分にも変化をもたらしてしまうので、Guitar奏者自身が充分これ等を把握出来て無いと難しいかも知れない。

それを考えるとバーチャルやデジタルを主用とするには、最初からPAや音響の知識が必須なのが透けて見える気がする。
単なる一奏者がある程度思い通りに操れるとなると、古典的だろうと低性能だろうと単純リアルの存在意義をもっと考え直すべきかと思ってしまう。

<つづく>

2019年9月13日 (金)

音楽備忘録㊲ スプリングReverbⅢ

さて前回バネ君は瞬間音と低音が苦手なのを書いたが、前者はどっちらけだが後者は案外結果オーライだったのだ。
何とも旧時代的で大雑把な話しだが、Reverb送りにローカットとかを考えなくても済んじゃうから…。😓

近回再三登場の「低音響かせ過ぎちゃ駄目」案件に対し知識不足でも何とかなっちまう、は酷過ぎにしても録音に使える機材の都合に依ってはあながちバカには出来ないのだ。
また例え知識を持ってても機材が豊富で自由になったとしても、必要なプロセスが少なくて済んでた処は万人に影響があるでしょ。

しかも次に述べる部分に大きな違いがあり、実機でもバーチャルでも単に「低音を送らなかった」のとは実は違っていたのだ。
毎度のヘンテコ表現をすれば「低音入れたら高音の響きが帰って来た」みたいな感じで、ちっともリニアじゃ無いけれどだからって無反応では無いのである。
瞬間音に対しても妙な癖の強い響きしか得られんし今更欲しくなる音では無いけれど、やはり無反応では無いのだ。

近年では録音機がバーチャルが主流となりつつあるし肝心のバネ君の入手難もあるのにこの話を持出したのは、それだけバーチャルでは人の方もより考えて使う必要があるのを周知して頂きたいからだ。
所望の響きにも依るけれど実際「何かに響いた音」を、単純にバーチャルに置換えただけでは到底敵わないのは論を待たないから。

徐々に深部へ進めてくが何でも出来て自由になればその分の操縦が必要になって来るもんで、先ずは不要分の削除を考えなければならない。
その筆頭が100Hz以下に対する響きで、特にその響きが長い場合は要注意だ。

Cymbal等の一部例外を除くと通常楽音は倍音から減衰するので、元から高域の方が音が短めになるのが多い。
そこでその「短め」な方が目立つからとそっちへ所望残響時間を合わせれば、目立ち難いが低域の方は所望より長くなってしまう。
それに輪を掛けて耳に同音量(音)=オクターヴ下は倍電圧(電気)のせいで、Effectの掛かりが深くなってしまう。

これの具体的な対策としては1に送り量の削減若しくは送らない、2に低域をカットした信号を送る等がある。
因みにこの中で「送らない」とは大胆不敵で不安が過るが、これは再生時にそこで少しは響いてしまうだろうと見越した考え方だ。

他にもドラムセットの場合だと例え厳密にMicを完全個別立てしたとしてもその隣接度の兼合いで、必ず所謂「被り」(非目的音の混入)が生じる。
なのでバスドラMic(トラック)のを全くReverbへ送らなくても他へ混入した分は必然的に送られてしまって、寧ろバスドラを完全に無残響にするのが無理な位だ。

シンセBass等の場合は近年の音源では予め残響も込みになってたり、旧来のマニュアル設定のだったら所謂残響とは全く違うから邪道ではあるがRelease Timeの設定で余韻を盛るのも可能だ。
エレキBassもAmp→Mic録りの場合ガタイがデカい分と音域の低さのせいで、他のよりは無意識に響きが僅かでも元から混入し易い。

依って問題不可避となるのは主にエレキBassのLine録り位となりそうだが、その場合専用Effectorで掛けないなら上記のローカット送りが必要になる。
しかしこれが可能なのは録ったBassの音が独立してる段階とかの場合限定で、生Pianoみたいに大抵は低域と中域が混在してる場合は面倒になって来る。

そして一番お手軽にReverbを掛けるとすれば録った後の全体へ一括でとなると思うが、そんな時は楽器別の調整も効かないのでバーチャルでは妥協するしか無くなる。
それもローカット送りをした上での話しなので、この面ではお手軽になった筈のバーチャルで安易にやるのは無理だ。
バーチャルで比較的安易に行けるのは音源に残響も入ってる様な打込みの場合で、未だ案外機械と生はそこ迄仲良しでは無い様だ。

<続>

2019年9月12日 (木)

音楽備忘録㊱ スプリングReverbⅡ

今だと音色・音質面からして伝統的なエレキサウンド以外ではあまり用いなくなったが、実は一応何にでもホントは掛けられるのだ。
今更推奨する程懐古趣味でもないんだが、何故調整パラメータが僅少なのに何にでも使えたかの部分を参考知識として披露したい。

ここで念の為現代のデジリバの設定に少し触れとくが、もし外見上調整箇所が少なくても実際にはかなり多くのパラメータがプログラムに依って内部では変更されている。
それどころかたった1つのデジタルシグナルプロセッサ(半導体LSI)は内部で七変化し、Reverb・Delay・Flanger…と正に変幻自在だ。

なので○○用と書かれてればそれ用の専用設定がプログラム切替毎に行われてて、もしデジリバだってその手の最適化を抜きにすると却って用途は極端に狭くなるもんなのだ。
何分微に入り細に入り合せられるので、それをしなけりゃ全て非最適となってしまう。
この点で幾ら今比じゃ貧相にしても何故デジタル化以前のは、大して最適化出来なくても使えてたのかが考察点だ。

その中でテープ式と残響室式(エコーチャンバー)は一寸例外的で、所望より低域だけ響き過ぎてしまう場合もあるので本件には対象外とする。
尤もこの2つも必ず残響音のクウォリティは原音より劣化するので、その点では原音と残響音の区別は付き易いが…。

ではスプリングReverbへ進めるがこれ等は一旦音声信号を電磁力に変換して金属製のバネを揺らし、その振動を電磁Pickup(基本的には電気楽器のと同一原理)で拾っている。
バネはその弾力性で一度外力が加わるとそれが止んでも暫くは揺れ続けるが、この「暫く」をエコーとして利用している。

俺なんかの世代には垂涎のプレートReverbも基本原理はバネのと一緒で、バネの部分が鉄板になっただけだ。
しかし只の板はバネみたいに長く震えちゃくれんから必要な残響時間を得るのには、かなり大きな板が要るしそれを振動させるのも大掛かりで大変だ。
故に一般用なんて全く無理で、俺には恐らく一生夢で終わるだろう。

ってこって実体験の無いプレート君には退場して貰って本題へ戻るが、スプリングReverbは低音を響かせるのが苦手だ。
そして瞬間的な音源を響かせるのも苦手で、これ等は実際にバネを揺する物理的な制約が原因だ。
依ってリニアじゃないし音響理論的には間違い無く欠点なんだが、実使用面では必ずしもそうでも無かったのが今なら良く分かる様になった。

ここで音楽に「掛けたいエコー」を確認してみるが、ドラマや芝居の効果音との違いの認識が大切だ。
音楽の場合は原音は極力明瞭で「弄られてない」無いのが必要で、それを活かす為にも通常は残響音の方が明瞭度が低いのが好ましい。
画像・映像で主人公と背景のピントが全く一緒だと見分け難くなるのと同じで、コントラストがあった方が聴き取りが楽になるからね。

では背景や残響はボケてて良いんだから何でも構わんかってばそうは行かず、不明瞭であっても微細なディテール迄完璧なのが望ましい。
ハッキリしなくて分り難いからって雑な事をすると、昔の低予算のアニメーションみたいに著しく状況感を損ねるからだ。

この部分だけに着目するとデジタル(バーチャル)は「実際に何かが響いた物」に対して脆弱で、以前述のデジタルオーディオとアナログレコードの相違点と同様なのだ。
現行PCM方式は正確で膨大な情報量を持つものの欠損部分も持っていて、運悪くそこに大事な要素があったら逃してしまっているのである。

それで正確で天文学的な量があっても生成された反響音は厳密には「非連続」で、その隙間があるせいでとても高音質でも残響にも「隙間」があるのだ。
これが皮肉な事に昔の低明瞭度・非リニアなオーディオだったらそれが攪拌されて隠れてくれたが、現代のレベルだと機械的一様感が増したりして何処となく滑らかさの不足が分っちまうとは。

<つづく>

2019年9月11日 (水)

音楽備忘録㉟ スプリングReverbⅠ

上手なReverbの掛け方の参考として、今回は古典管球式Guitar Amp内臓或はそれと同等のReverbへちょっと目を向けて貰おう。
等と言ったのは近年でも触れる機会が持てそうなのはそれ位しか思い当たらんからで、要はスプリング式Reverbが今回の研究対象だ。

近年だとこの旧式のは何にでも使えるとは言い難くなっては来たが、基本的にON/OFFと掛りの深さ調節だけで対応させてる処が1つ目のポイントだ。(単独機ではもう少し調整・選択箇所があったりもするが)
性能・音質・バリエーション等色んな面でデジタルの方が勝っちゃいるが、完全プリセットタイプの以外では設定をしくじる等す
れば本来の性能は発揮させられない。

して設定ミスの心配が無い完全プリセットタイプでは、今度は音や曲に合わせた微調整が出来ない。
なのでLive等一回こっきりで兎に角響けばには使えても、何度も聴き返せる録音には所望の響きとプリセットが「偶然に一致」して無い限り使い辛いもんだ。

これに対し大昔の球スプリングReverbは大雑把の権化みたいなのの癖に、録音時にそんなに困った人は多分居なそうなのが考え処なのだ。(不調や故障は除く)
掛ける元の音が限定されてるから可能な事もあるだろうが、Ampに繋がれるであろう楽器の明瞭度をあまり損ねずに掛る様に図られている。

勿論現代的視点に立てば基本的な音色が一切選べない等欠点は多いが、操作が簡単で大失敗の懸念が無いとなれば安心して多用出来てた訳だ。
アナログで半機械式で毎回僅かには必ず音が違って来るし、録音品質が低目且つ曖昧(これも何時も僅かでも違う音になる)なので許容されてたとは看做せるが。

ここからお馴染みの年の功体験談へ入るが、大昔録音用に俺は初代としてスプリングReverbを数年間使ってた事があった。
当時はデジタル機はおろか電子式ですら高根の花で、エコー音とヒスノイズが大差無い位のテープエコーかスプリング式位しか手が届かなかったのだ。

上記の電子式もアナログ回路だから格安テープ式よりはマシでもノイズもかなりだったし、肝心の響きがDelayとしてなら合格もReverbとしては高価なのに殆ど絶望的な響きしか出なかった。
スプリングReverbだって中古購入したAmpに付いてたのに別買いしたのは、Reverb掛けるとモノラルになるのは流石に困ったからだ。

響かせたいってのは音場を広げたいってのも含まれてるから、響かせる程ステレオ感が減ったんじゃ使い物にならんって判決を下したのだ。
Delayの場合は妥協の産物でも原音とDelayを反対側のチャンネルへ振れば一応「距離」が稼げるが、Reverbの場合は原音と残響音が分離しちまうと不都合な場合も多いんでね。

でGuitarの都合でコンパクトDelayは持ってたので、Delayはそのストンプ・Reverbは上記のステレオのバネので何でも賄っていたのだ。
エレキ用を躊躇なく録音に掛けるとは今だと杜撰にしか思えんだろうが、これにはちびっと「変な正論!?」をぶつけて抵抗しておこう。

たまたま電気に興味があったのでそれを知ったんだが、当時一般市販品に使えた心臓部品のICにその秘密!?があったってのがその答えだ。
当時はアナログ電子式のDelayだとどんなグレードのでも心臓部ICはたった1種類しか無かったから完全に同一で、幾らも性能差の出し様が無かったからなのだ。

ついでで補遺しとくとアナログ電子回路時代にはReverb用の石(半導体集積回路:ICやLSI等)は存在せず、Delay用の石を何段も膨大に用いて捏ね繰り回したりして誤魔化されて!?いた。
そんな中Delayだけでもテープエコーじゃ絶対にGuitarケースのポケットになんか入れられない大きさだったし、高価で掃除や消耗テープの交換等手間も大変だったから皆大喜びしたもんだ。

所詮は「バネの響き」で独特の癖もあって妥協の産物に過ぎぬ部分も多々だったが、今とは別の面では楽だったり便利な部分もあったがそれは次回へ。

<つづく>

2019年9月10日 (火)

音楽備忘録㉞ 大ホール用の楽器Ⅲ

とうとう末端の脇道へ突入した感が拭えんが、音楽は流れも大切とうそぶいて続けてしまおう。
本題とは随分距離は離れるが、実際Bassだと使用楽器機種の選定はLiveだと結構な影響が出るのでね。

ここで当時は現代とかなり違ってたBassに求められた音色について触れとくが、それは今よりも遥かにアンサンブル要素を重視したオーソドックスなものだった。
曲のコードや和音構成を明確に聴かせるにはベースノートはその根幹で、他楽器が出せない音域の他に他楽器では供給出来ない「低音の量」も大事だったのだ。

その後は電気・電子楽器の発達でオンリーワンでは無くなってるが、Guitarより薄かったり細くても一部で許される様になったのは’70年代も終盤のスラッピングの位以降だ。
それだってシンセBass等のアシストがあって成立してた物で、その関連でGuitarより高域がブライトなのも不許可な有様だった。

しかしそんな音色でスラップやピック弾きなら未だしも、Liveで指弾きで必要な明瞭度を確保するのはとても大変だ。
今にしてみればJack Bruce(指弾き)が歪ませたのは斬新さ等の他に、明瞭度の為の倍音を増やす手段だった様に俺には思えてならない。

因みに昔のメジャーでPopなグループのBassistはピック弾きが多かったが、指弾きが出来ないなんて人は今より圧倒的に少なかったのは間違い無い。
特に’50年代に楽器を始めた人なら絶対で、エレキBassやそのAmpなんてやっと出たばかりでちっとも普及して無かったんだから。

なので恐らく1に音色2にスタイルが理由でピック弾きを選択してた可能性が高く、体験的にもプアな機材で粗悪な環境下だとピックじゃないと弾いたタイミングすら分からなくなったりしたよ。
また当時はBass弦ってばフラットワウンドばっかりだったが肝心の低音を得るには適正な判断だったが、現代比では明瞭度を上げるには当時のスピーカ仕様と相まってかなり不利なシステムだった。

スラップやLine録りBassが一般化して以降、Bassの音色はかなりオーディオ寄りがデフォになった。
それでスピーカの出せる高音域はかなり拡張され、俺はあまり好きじゃないが近年ではツィータとウーハの2Wayシステムが一般的な位だ。
こうしてあると下手な人が弾くと雑音が目立つだけとなるが、上手な人が弾くと生楽器だと良く出て来る擦れる音とか弾かれた音の部分が聴こえる様になって明瞭度のアシストになるのだ。

大太鼓の和洋の件に当て嵌めればフラットワウンド+指弾きが和で、ラウンドワウンド+ピック弾きやスラップが洋って感じなのだ。
それを低音が響き過ぎる処で明瞭度も得ようとすれば、当時のスピーカが出せた狭目の帯域(音域)に何らかの方法で倍音を追加でもしてやるしか無いって訳だ。

俺もたまたま今取り掛かってる曲でそんなのが合いそうなのが出て来たが、試す以前に早々に断念している。
それは楽器とAmpだけの力では恐らく再現不能と考えられるからで、彼の歪みはGuitarよりは暑苦しいがFuzz程は潰れていないからだ。

どゆこってすかっつうと綺麗な歪みには大胆なローカット(若しくはハイブースト)が必須で、豊かな低音やローエンドをキッチリ出そうとすると完全に反目してるからだ。
つまり歪みは大胆なハイ上がりのAmp回路のお陰だが、あそこ迄の低域は「会場の響き」のお陰しか考えられないのだ。

現況俺が録りに使える場所にそんな低域が響く所は無いので、強いてシミュレートするなら録った後に禁断Reverbでも掛ける位が関の山か。
因みに禁断ってのは少し前に書いた明瞭度を殺す低域を、無暗に響かせてしまうReverbの事だ。

餅は餅屋って事なんだろうがやはり半人工的な響きについては、本家たるヨーロッパの方が体験もし易く豊富なので上手だし理解度が高い様に感じられる。
自然界の反響を利用するなら日本人は誰でも比較的上位にランキングされそうだが、音の大きい音楽は普段は閉塞空間じゃないと演れないからねぇ。

<続>

2019年9月 9日 (月)

音楽備忘録㉝ 大ホール用の楽器Ⅱ

大ホールと題するにはちょっと裏道だが、予告通りエレキ歪ませの為の件の続き詳細内容から。

では早速だが「歪ませ準備の2段階の高域優先」の件だが、1つ目は楽器からの出力が1オクターヴ下がる毎に電圧的には凡そ2倍のレベルになってるのに依る。
生音の場合はこうしとかないとオクターヴ下の音が同音量に聴こえくなるからで、詳細は面倒で済まぬが拙ブログの過去に記したと思うので探してちょ。

んでこれをそのまま歪ませようとしても上記の様な状態なので、低音だけ先に歪むし高音の歪みだけ先に止んじゃって音が伸びなくなってしまう。
それでは弾き辛いので低・高音とも均一に歪む様に、その歪ませる深さに応じて高域を増幅させてるのだ。

2つ目はそれで歪んだ音色の都合で、高域増幅が上記の為のだけだと出て来る音はFuzzみたいな音色となってしまう。
これは低音の余韻が歪ませに依って生時より長くなるのが影響してて、良く云や太い音色になる代わり楽器毎の音色差がとても出難くなってしまうのだ。

私見ではFuzzを掛けてる多くはSingle Coil PUのばかりで、もしハムバッキングのに掛けてても直に気付けない処をみると掛けた後に音色を普段のと違う弄り方がされてると考えられる。
Fuzzも悪か無いが汎用するには個性が強過ぎるし、和音を出したい時にはそれが潰れ気味になるので困る。

それにしても歪ませて使われるのを設計に盛り込んだ嚆矢のMarshall系にしても、何処でそんなに高域ばっかりブーストしても平気(寧ろ丁度良くなる)なのを知ったのだろうか。
当時は歪ませるったって今のより全然軽度だった訳で、その程度の歪ませならあそこまで極端にしなくても事足りるんだが…。

より身勝手な推察に過ぎんが当時「低音がやたらに響く会場」「今迄に無い大音量」に対するスキルは、主に英国のAmpメーカーがリードしてたのがその一端な気がするのだ。
当時は「British Invasion」なんて呼ばれる位売れ線はイギリス人が多かったから、そのニーズへ最初に対応に追われた訳だからね。

これの先頭は言う迄も無くBeatlesであるが、彼等は機器向上の途中で一旦Liveを止めちゃった。
なので一番最初に知見を得たのはVOXでもそれでか100Wクラス以上のは出してなく、それ以上のを大音量目的で早くに出したのはMarshallとHIWATTだった。

興味はあってもVOXもAC100の情報は中々出て来なくてかなり近年に漸く知れたが、AC30には無かったツィータが付いてたのはやはり環境対策だったと思われる。
但しこっちはAmp自体の基本音色バランスは変えずにで、MやH社みたいに全替えって程には至っていない。

これ等の実使用例で俺に一番印象に残ってるのは実はGuitarじゃ無くBassで、CreamのLive Cream II(’72)のJack Bruseのサウンドだ。
どうしてそうか原因不明だがCreamはこれ以外の作品では異様なカマボコ特性(低高音の両側が下がってる)
のばかりで、チープな音質のせいで評価を誤られてる場合が多そうだ。

昔の欧米の人はLiveに接する機会が持てたから平気そうだが、本邦で周りが皆それなりに迫力のある音質になった後で聴くと影響大となりそうだ。
俺自身演奏内容としては出逢った当初から評価出来たが上記を聴くまでは、音色(実際は作品音質)は全然評価出来なかった。

これのBassはGuitarとまるっきり同じ様に歪ませてあって、それでいてローエンドの質・量共に圧巻であった。
だが楽器本体はGibsonのEB-3ってSGのBass版で、その音色は決して細くは無いが取り立てて重かったりローエンドに秀でたモデルでは無い。

<つづく>

2019年9月 8日 (日)

音楽備忘録㉜ 大ホール用の楽器Ⅰ

楽器の出す低音のさじ加減について色々挙げてくが、先ずはエレキのAmpから行きやす。
近年では体験困難となったと思しき体験談も、年の功で添えて!?。

エレキ奏者なら大抵は一度は憧れを抱きそうな伝統的なMarshallの3段積み、そのイメージは迫力でそこには低音だってある程度は含まれてるだろう。
それ等が使われた音源で低域のプアなのは少ないし、特にLive録音のだと全帯域に渡ってリッチに聴こえるもんだ。

それが本邦ではありがちな西洋より響かない場所で鳴らすと、全く低音が出て無くてキンキンカリカリでちっとも豪華じゃ無かった。
これが俺にとっての驚き第1弾で、それでも試せたのが3段じゃ無く2段積のだったので当初はスピーカのせいだろうと思っていた。

その後Ampやスピーカの知識や体験が増えて来て、Marshallは上記の予測に近くスピーカで低音を稼ぐ設計なのを知る。
処が何処でどんな3段積(年代や型番)のをGuitar側も色々変えて試しても、やっぱり過去名作の様な低音がちっとも得られなかったのだ。
またこれに加えかつて2段で50WのではあるがHIWATTのBass Ampの体験機会にも恵まれたが、やはり全然低音が軽くて同じ物が使われたであろう過去名作とは極端に違っていた。

近年はどのブランドでも小型・ご家庭専用モデルも増えてそれ等の場合は本案件は出ない様だが、原典たる昔からある形のだと今でも殆ど変わって無いみたいだ。
これ等の音色バランス設定は歪ませて濁らない為の策だとか使われる場所のせいだと考えていたが、それにしたって余りにも大違いで長年の懸案と化していた。

因みにエレキの歪ませには2段階の「高域優先」が必須となるが詳細は次回へ譲り、Bass Ampの場合は歪ませずに使う方が多い。
なので少なくとも原形旧型Marshall以外のブランドのでは、後者のみが理由としか考えられんがそれにしては極端過ぎる気が…。

それから10年は経った後自前のベーアンを「低音がかなり響く場所」で使う機会に遭遇したが、それは知人の結婚記念パーティーでそれ迄の「音楽を演る場所」とはかなり異質な環境だった。
ここで驚き第2弾とある確信を同時に痛感させられたのだが、かなり大胆に思い切って低音を下げてもまだまだ低音ばかりがやたらに聴こえるって現象だった。

宅のMusicmanはDeepスイッチをONにすればローエンド迄低音が不足しないが、OFFにしてしまうと上記例以外では量のみならず帯域すら足りない感じだ。
だいいち基本的に作った人が同一のMusicman登場時の売りは、Fenderより中高域が出せますって代物である。(低音重視ならFender買えみたいな発想だった!?)

それが上記時はDeepはOFF・Bassツマミも普段の半分にしても、ボーボーモーモー低音だけでちっとも中高域が聴こえなかった。
この時のユニットは歌物のなので歌う都合上も音程感が明確じゃないと、そのせいで音痴る危険もあったからえらいこっちゃで御座居やすよぉ~。

結果的に非常識だが中高域はフルアップ・Bassツマミは何とゼロで、漸く「普通っぽい音」に聴こえる様になる始末だった。
この体験後に色々振返ってみるとどのAmpでもご家庭用とか素人用のより、「普通の設定」だと業務用のになる程低音の出方が随分と控え目になってたのを思い出した。

一応専門家だしちゃんと学びもしたんだけれど、それでも実体験をしてみないと分からない事ってあるもんだ。
低音だと演る場所の低域の響く響かないの影響が、こんなに極端に出るとはまさかまさかである。
個人的感想としては、酷暑の真昼に停電でクーラー止まったって位根本的な相違でしたがな。

<つづく>

2019年9月 7日 (土)

音楽備忘録㉛ チープなReverb下手に掛けるなッ!!のⅢ

本案件で鍵を握る低音についてまたぞろ順番に難があるが、改めて低音の伝わり方・聴こえ方に触れておこう。
では皆さんへちょいと質問なんですが、あなたは「純粋な低音」を聴いた事はありますか!?。

ここで云う「純粋」とは倍音含有量ゼロで音程では普通の4弦エレキBassなら大凡3弦の開放音より低い部分、周波数だと大体100Hzより低い物が対象だ。
電子鍵盤楽器を扱ってたら無加工の正弦波を鳴らせば聴けるが、一般的には恐らくあまり体験した事が無いと思う。

普段耳に出来る低音は感覚的には倍音が幾らも含まれて無いと感じてても、いざホントに無添加純正のを知るとかなりどれも倍音豊富なのに気付かされるもんなのだ。
俺自身も大昔のアナログシンセでさわり程度、ハッキリ認識出来たのは専門学校での測定用発振器を使い倒して以降だった。

無倍音低音ってのは実に存在感が希薄で何か唸ってて揺すられてる気もするけど、その割に幾らも音がしてる様には聴こえないねぇってな感じがするのだ。
つまり明瞭度なんて最初から全く持って無く、音程だってかなり不鮮明な物なのだ。

普段我々が耳にする低音(楽音)は物理的にはかなり倍音が豊富なのばかりで、倍音のお陰で音程も何処から鳴って何処で止んだか等も判別出来てるのだ。
それに対し無倍音低音は人耳には得体の知れない暗騒音としか殆ど認知出来ず、騒音って位だから音楽には通常はマイナス作用しかもたらさない。

これを本題とリンクさせればそもそも純粋な低音は、全くエコーを掛けなくたって最初からお邪魔虫なので御座居。
なので万が一にもわざわざそれを加えたり増やす様な真似をしちゃったら、もうお終いなのであるよ。

加えて草臥れ儲けなのが「分り難い」って事は生音だけに限らず、折角加えた残響音としても輪を掛けて分り難い音にしかなってくんない。
前回エコーの基本定義(Delay)で述べた様に音が「1個なのが2個になって」なので、2音の間隔が短くても最低でも「1個だけとのは違う」のが分からないと全く効果が出ないんです。

因みに楽器の音をAmpやEQで低音を増減すると音色の変化は誰にでも分かるけど、あれは倍音のアシストがあるからそれだって分かるのです。
これについては色々テンコ盛りなので次回をご期待願う!?として、演ってるのがClassicでもポピュラー系的録音をしたいのなら少しは勉強しとくんなまし。

兎角Classicよりその地位が低く認識されがちなポピュラー系でも、電気系の道具も常用する部分では侮ってはいけません。
その反対に利用可能アイテムが少ない中で何とか音楽や演奏を成立させてる部分では、古いと思ってもポピュラー系の人もClassicを舐めちゃいけないですがね。

本日の例示へ行くと無倍音低音は鉄道だと機関車で、楽器の低音は電車みたいな立場にある。
運転士はどっちにも乗れるけど、お客さんだと機関車じゃ乗せて貰えないよね。
これが音楽だと演奏・製作者は運転士なのでどっちも乗れるけど、聴者はお客さんだから電車にしか乗れない。
演ってる方は意図的に弾いたから分かってるが、聴いてる方は「聴こえてからじゃなきゃ分からない」んですよ。

<続>

2019年9月 6日 (金)

音楽備忘録㉚ チープなReverb下手に掛けるなッ!!のⅡ

今回は珍しく!?ホントに続きでClassic系生楽器と演奏会場(ホール)の話しからだが、件の楽器があんな風になった背景に目を向けてみよう。
俺には和太鼓の大きいの程出て来る低音の量が多いのが他に思い当たらないが、過去の西洋でだって技術的には近い物位充分作れた筈だ。

が実際にはそんなのは思い浮かばず、それより高音や高域倍音が和楽器系より遥かに豊富なのが気に留まる。
因みにオケにも大太鼓やティンパニはあるし音程は低いが、和太鼓と比べるとその倍音の出し方等でそれを認知させるシステムになっている。

これは恐らく演奏会場の音響に配慮した結果で、低音程良く響いてしまうホール等が原因だと思っている。
西洋は全体的には東洋より寒いので「締め切った屋内」での演奏が、必然的に多く為らざるを得ない。
それへ材料の都合で固い石の建物が多いとなれば、必然的に良く鳴り響いてしまう。

一方騒音問題の起こり難かった昔の温暖な(だった!?)本邦では、屋外でも演奏に支障無いし屋内でも冬以外窓戸を開けていられる。
その上建材は木や紙・土等が主体とこれ等は土以外は遮音性には劣るが吸音性等には優れていて、石のホールみたいにやたらと残響が出る懸念が無い。

なので雅楽・邦楽の方が低音が豊かで…にちっともなってないのは一見不思議だが、これには以下の様なカラクリが想定される。
西洋ではそのまま低音を出しても音程を始め聴き取れなくなってしまうので、上記の如く「その倍音の出し方等でそれを認知させるシステム」が発明された。

これがもたらしたと思しき最大のはコントラバスやPiano・パイプオルガン等の「低音域音程」で、倍音(オクターヴ上のとか)のお陰で音程判定が容易に出来る様になったからなのだ。
和では大太鼓等は今でならまるっきり巨大サブウーハみたいな振動を出してるのに、何故か「音程のある楽器」となると中域以上のしか見当たらない。

不思議な様で少し考えれば何の事は無い、幾ら響かなくても倍音が少ないと低音域は音程認識が困難だからだ。
因みにⅡだが和楽器の方が「音程以外の音」が豊富なのは誰もが認める処だろうが、その音の特徴が考え処で所謂倍音と違って音程とは気無関係なのが主体になっている。

そうなってるとある意味楽器らしくない要素が豊富となり、所謂ワビサビであるとか風情に満ちた音となる。
こっちの方が単体の音でも表情豊かで飽きが来難いが、音程等の明瞭度となると西洋に軍配が上がる。
どっちが先かは俺は未知だがアンサンブルの規模にもこれが反映していて、何処ででも演れる本邦の方が小規模なのが多いのもやはり環境がもたらしたのかも知れない。

ってな感じで途中が壮大になっちまったが要は所謂Reverbってのは、低音とか低い音程の物へ深く掛けては駄目なもんなのよ。
因みにⅢでPianoは西洋楽器なのに何で駄目って?、そりゃあ昔のノーMicの頃と違って楽器の「近くの音」を拾ってるからですよ。

昔でのホールのPiano(当然PAなんて無しッ)は一番近い観客だって最低数mは離れてて、今のMic収音方法でだとアンビエントが一番近い位なんだから。
つまり観客耳には中高域は楽器からのとホールからの響きの両方が聴こえてるが、低域は殆ど響きの分しか届いていないのです。

ここでエコーとして聴こえる条件をおさらいしとくと基本的には同じ音が2つに聴こえ、その2つ目が遅れている(これぞDelay)と何かに響いたと認知されるもんだ。
依って上例ではエコーがハッキリ掛って聴こえるのは中高域だけで、低域には実際には掛ってんだけど1コ目が殆ど聴こえないせいで掛って無いのに近くなっている。

そして今回のお題では安易な録音についてなので、収音に使われるMicがあまり専用のじゃない場合としている。
近年一番何処にでもあるMicってば張付いて歌う用のタイプなので、Micと音源の距離に依って著しく低音の拾え具合が変化するのだ。

なのでローカットしたけりゃ音源から離せば良いんだが、唯でさえ所謂録音用のよりナローレンジだし生音の低域も不足してしまう。
それに何より「近接設計」なだけに少し離しただけで途端に明瞭度が落ちるし、音源べったりにしても歪む心配も無い。

結果的に西洋ホールの生のと違って低音が拾えちゃって(これは本来なら好ましいが)、そのままエコーを掛けりゃ当然低音にも掛るって負のスパイラルが完成って寸法なのだ。
また高級なReverbのとっても親切なプログラムだったら予めローカットしてから残響が掛る様なのもあるやもだが、少なくとも廉価なのにはそんな機能は付いて無いでしょう。

<つづく>

2019年9月 5日 (木)

音楽備忘録㉙ チープなReverb下手に掛けるなッ!!のⅠ

最近知人の押売り!?でしばしば音楽系の素人投稿作品を視聴してて、特にClassicだとか生系のの音響処理の酷さに食傷気味となっている。
普通だと演奏の拙さ等が気になるかもだが俺の場合そこじゃなく、何気に「音が変なの」がどうも宜しく無かったのだ。

原始人側(俺!?、どうせね)からの疑問として現代本邦人は歌ってば1にMicで2にエコーってな按配で、聴き手が眼前に数人とかで不要でも一々道具を使いたがる様だね。
形から入って雰囲気を味わいたいって気持ちは良く分るけど、小さい子供が同じ要求をして来たのには音の出ないオモチャのMicをあてがったりしてる癖にねっと。

またぞろ怪しくなりかけたので軌道修正するとして、大人は!?お遊びでならボロ隠しに無駄をしてわざと聴き取りを悪くするのも稚拙だが1つの手かも知れない。
しかし聴いて欲しい場合はボロの有無より楽に聴ける方が大切な筈で、気に入られる前の段階ではどんな苦労をしてでも最後まで聴こうなんて気は更々無いだろうからね。

そして歌より俺的に深刻と思えるのが立派な生楽器でそこそこ行ける演奏が出来てるのに、変な加工をしてわざわざ明瞭度を逸したり音質を低下させてるヤツだ。
それも画的には決して広く無さそうな場所なのに、音だけ古く暗くコンクリ剥き出しの地下通路みたいな響きにしてたりする類のよ。

それじゃあどう贔屓目に見たってわざわざ聴き辛くしてるだけで、差し詰め幼児にライターを持たせて火事になるのを待ってる様なもんじゃないスカ。
具体的にそれ等の最大の欠陥を探ってみるとそれ等の多くは低音域の残響が多過ぎとなっている様で、Grand Pianoの低音域が信じられない程モヤっているのだ。

低音が響くのって深みが増す印象があるだろうけど実際には中域が主体で、響きが深い割に目立つ高音が出しゃばって無いのがそんな風に感じられるもんなのだ。
つまりイメージ的には低音と感じても音響的には中域で、250Hz以下の帯域を響かせると単に明瞭度を下げるだけになってしまうのだ。

それが皮肉な事にチープなReverbになる程中・高域の響きが安っぽいもんだから、ポピュラー系の録音に精通して無い人はつい騙されてしまうのだろう。
だが奏者次第とは言えClassic系の人は基礎が確立してる割が高いので、見栄え先行のポピュラー系の人よりそのままが聴こえた方がそこが売りになるんだけどなぁ。

例に依って変態例示だが爆発音とか落雷音って現実のは兎も角、イメージ的には低音も高音も全て入ってる上その音程ってどんなに頑張っても全然分かんないよね。
勿論それだけ複雑な要素が含まれてるのもあるんだけど、最大のポイントは超低音が大き目で更に良く響いてる処なんですわ。

ノーエコーでも元から超低音は音程判別がとても困難で、それを大き目で良く響かせると他の音域の音を凌駕してより音程感を無くせてるんですわ。
太鼓なんかでも高い音域のは音程感を出し易いが、少なくともドラマーじゃない人がバスドラの音程を言い当てるのは至難の業じゃないかな。

最後にもう少し例示しとくとClassic用のホールは実際低域の残響は少なくないし長いが、これはある意味訳ありでわざとそんな作りにしてあるのだ。
生楽器では音程が分かる様に作るとどうしても低域の量が出せないもんで、それを演奏会場の響きで補填させてるのだ。

フルコンサートGrand Pianoは低音だってUplightよりはかなり豊富だけれど、最大の音色差は高域が全く籠らないのと明瞭度が高い処だ。
つまり低音が出るってより実際はワイドレンジとなっていて、ある程度以上離れて聴くと大きくなってるのは低域じゃ無く高域なのだ。

<つづく>

2019年9月 4日 (水)

音楽備忘録㉘ Mixer卓の話しⅠ:バーチャル機の操作のコツ

直観的操縦は苦手目なバーチャル機だが、特有の機能と云うか利点も有している。
俺的には様々な観点からリアル機を主とするのが望ましいがこのご時勢ではそうも行かぬので、バーチャル機の長所を活用する方へ言及してみる。

ミュージシャンの立場からすると感性を直観的に反映させられるのがベストで、それは最大の武器たる音楽の知識・体験等を有効活用出来るからだ。
どっかの誰かみたいなのを除けば音響技師より音響や電気には音楽より知見が無く、機械的・論理的対応を要求されると力が発揮し切れ無くなるだろうからだ。

だがコストや手持ち機器の事を考えると理想の実現は遠そうで、どうせスマホ等は覚えねば仕方無いので先ずコンピュータ系機器の最低限のスキルはもう誰もが身に付けるしか無いと思う。
そこで「そこから先」のスキルが不十分でも何とかバーチャル機を扱えるのを目指すとすると、コンピュータ系特有の機能みたいなのが助けになりそうって話しだ。

PC系の機器は元が「電子計算機」であるから分析・解析作業は本職で、これを活用すれば「知らない・分からない」のを少しは何とか出来るのである。
例えばEQを掛けたいが何処をどれ位増減させたら良いか分からない時、Audacityなら「解析」タブ内にある「スペクトグラム」で音の状況を可視化出来る。

音響知識があるとエレキBassの4弦の開放音は約40Hz等と覚えてたりするので、即座にEQの周波数設定が出来る。
が非音響屋さんではそうも行かず普通なら試行錯誤に時間を費やすが、上記の解析機能を使えば後は出て来たグラフを眺めて読み取る事が可能になる。

私体験では分かってても耳に良い処迄持ち上げても平気か等の確認には常用してて、もしオーバーさせそうならターゲット以外の周波数域を下げるって判断も即座に付けられる。
体験例では周波数特性のバランス改善をしたい時、先ずはターゲットの周波数での音量レベルをグラフから読み取る。もしそれが例えば-8.5dBだったらEQでその8.5dB ブーストしてやれば、大体グラフ上の凹みを改善出来たりする。

これ以外にも音の可視化は雑音の有無だとか色々な状況がそれこそ一目瞭然となるので、最終判断は耳でするにしてもその前段階に掛る時間はかなり圧縮出来そうだ。
そして俺は理系の癖に音楽だと割と感覚で操縦したくなるけれど、感性に頼り過ぎると勘違い等で失敗する事も暫しだ。

数字嫌いの人には一寸辛いかもだが敢えて「ここからここ迄」とせず○分○○秒○○○と数字で良く確かめてから設定すれば、この時勿論耳での確認も必須だが編集箇所がズレたり曖昧になる心配から解放される。
ReverbやEQ等でも数値化は設定前の予測の助けになり、Delayの場合はタップして設定するより簡単に更に正確にセット出来る。

実際には聴いてみてなんぼではあるがブーストするのが不適切な程小さいのか、どれ位上げても歪まないで済むか等を可視化した時点で既に把握出来るのだ。
操作するにも役立つがどんな方法で対処すべきかの指針ともなるので、聴いただけでは適切な方法を思い付けない場合でもアウトラインが掴めたりする。

実は大昔でも特別な拘りがある場合は音響測定器を利用する場合も稀にあったみたいだが、これは本当に音響技師の人じゃないととてもじゃないが扱えない。
俺自身専門学校時代に習って使ってたけど機器がとても高価な為ずっと不所持で忘れ掛けてるので、今シンクロスコープをあてがわれても極力PCへ逃げるだろう。オホン、ゴホゴホ😓

<続>

2019年9月 3日 (火)

音楽備忘録㉗ Mixer卓の話しⅠ:バーチャル機とリアル機の相違Ⅵ

さてお次は操作性の差を考察して行くが、これに関しては引き分けと云った処だろう。
使い手の持てるスキル次第での影響が大きそうだからで、現にベテランなのに従兄はFader操作に自信が持てないのでバーチャル機指向なのだそうだ。

但し現行バーチャル機の多くは基本的にPCなので、PC関連の基本スキルが無ければちっとも楽にはならないので悪しからず。
また無暗にリアル機を推奨しはしないがリアルの場合に要するスキルは、基本的に音の加工等には必須のものなのを始めに付記しておこう。

更にバーチャル機には主にPCとスマホの2種あるが俺みたいな例外を除けば、最近ではスマホが恐らく操作は一番楽だろう。
だがこれもPC比では画面が狭いのやアプリの重さへの弱さ等で、トラック数や出来る事の範囲はかなり限定的だ。
なので人スキルの他「何をしたいか」で最適解は変動し、もし可能ではあっても適さないのを用いるのが何より労を要する。

ここからは性能等を除外して純粋に操作面を考察するとして、その最初は先ず手加減出来るのが要るかどうかだ。
この手のの自動制御はエラーはほぼ皆無だしセットしとけば手放しで良いから楽チンだが、感性通りの設定を追及すると意外と大変になったりする事が多い。

つまり設定する人間自体が「感性の論理変換」能力を充分持てて無いとならなく、試行錯誤するにもリアルタイム性が低いのでバーチャル機の方が大巾に時間を要すのだ。
細かい事は一切気にしないとか大雑把で構わなきゃ平気そうだが、少しの誤差も延々積み重なって行くとなればどうだろう!?。

じっくり時間を掛けてってのは本来は良い事なんだが、それには何があってもほぼ半永久的に消えない明確なイメージを持ち続けられてる必要がある。
また誰かさんの従兄みたいに優柔不断タイプの人だと必要以上の時間聴いてる内に、感性自体が惑わされたり疲労で違って聴こえて来たりする嫌いがある。
バーチャル機だと幾らでもやり直せるし無劣化と機械側はある意味無制限だが、人間様はすぐ草臥れる生き物なのでこっちが持たなくなりゃそれ迄だ。

体験からすると変換能力や知識もあって果ては常用するのなんかだとその値すらもう覚えちまってるが、それでも「感性に対してリニア」にしようとするとバーチャルは出恐い相手だ。
結局コンピュータグラフィックの達人等と同様で、手法が何であれ良い絵を描くのは並大抵では無い訳だ。

この辺は打込みも似ていてリアルGuitarを弾いてる分には、気紛れでここだけハンドミュートしようなんて場合に手間に大差が出て来る。
打込みでは音源音色の変更が必要だし宅常用のソフトだと途中だけ切替が不可なので、新たに別トラックを作って打込まなきゃなんない。

分かる奴には分かるだろうがそれでもまだ終わりじゃ無く、変更した部分の前に打込んどいたのも忘れず消しとかないと両方鳴っちゃうし。
こんな調子ですから全く弾けんのなら仕方無いが、同じ労力と時間を費やすなら楽器の練習をした方が間違い無くお得ですわねぇ。

んでこれは楽器だけじゃ無しに音響操作でも殆ど同じで、操縦力は兎も角先ず知識として様々な方法を知らないと使える以前にそもそも選び出せない。
だからって音楽家が皆音響の学校へ通って学んだりしないでしょ、ではどうしてたら少しは「知れる」かが考え処なんですよ。

実際にリアル機をリアルタイムで弄くり回していると色んな偶然の遭遇があって、その時ちっとも訳が分かって無くても「あの辺のツマミを回したらああなった」なんてヒントが貰えるんだよね。
これ等を考慮すると実際どちらを使うにしても「知っている」のが必須で、現時点ではバーチャルオンリーでそれを習得するのは一寸無理っぽいです。

車や電車の運転シミュレータみたいなのが卓のにもあると良いが、リアルなシミュレータの開発はとてつもなく大変だからねぇ。
乗り物は運転に失敗したら事故になるからバーチャルの必然性が高いし、大事故をやらかせばその処理には費用も時間も膨大となる。
でもMixingで失敗した処で仕事でないのなら、単に「残念でしたまた今度に」なるだけだかんね。

<つづく>

2019年9月 2日 (月)

音楽備忘録㉖ Mixer卓の話しⅠ:バーチャル機とリアル機の相違Ⅴ

今日のテーマはバーチャル機でどうやって音色を作るかだが、ぶっちゃけ大胆なのは原理的に不可能です。
ハイお終いじゃ続きが書けないから視野を広げて貰うとして、MicやLine入力で収音する物についてはバーチャル機に「入る前」に極力所望へ近付けるのがより必須となったって事なのだ。

内容へ入る前にお断りしときたいが現行デジタル音響機器の多くが弄るのが苦手なのは、必ずしも設計・思想等がもたらした欠点では無い。
アナログしか無かった昔は作り上げた音が録ったら必ず変わっちゃって、苦労が水の泡となってとても苦労させられていた。

「弄れる道具」は既にアナログ時代でもそれなりに充実してたので、アナログでは無理だったそうじゃない側へ振っただけなのだ。
その後複雑なプログラムの切替・それ自体の記憶容量・小型化…等様々な理由で、アナログでも一応
実現出来てた物にもデジタルのが登場した。

デジリバ等はアナログのより透明感に勝ったりもするが、元の主目的は音色じゃなく小型化・コストダウン・残響種類の豊富さ等だった。
全体としてだと今だって残響は求める響きの部屋で演奏したのが最高峰だが、場所を見付けて確保する他にも「録る道具」迄完全じゃないと拾い切れんとかそりゃ大変だからね。

そして買い手視点ではアナログのが廃版になって入手難も発生してるが、基本線としては単に販売量低下で維持出来なくなったのが原因だ。
それ故一旦市場から消えた真空管音響機器等は、音楽用のだと昔より遥かに豊富な機種・種類が売られている。

慣れや流行りの影響を受けて何だか「今更旧式のアナログ」みたいな雰囲気もそこここに漂ってる感じだが、正味な処は実は誰もアナログ駄目なんて言ってないのである。
かく言う俺自身「中途半端な年寄り」だからか、少し前までは無自覚でもそんなバイアスが掛ってたせいで余計な苦労をしてた様だった。

では「昔からあったから古いから駄目」意識を捨てて進めるとするが、本案件でも主に2通りのパターンが想定されるのでそれを。
1.楽器部分自体を高音色化させる
2.MicやPreamp若しくはオーディオインターフェイスを高音色化させる

これ等は元々音響機器がどんなのかとは無関係な有効策だが、音の行き過ぎた硬さ・キツさ等の軽減を欲した場合リアル機より必定と考えられる。
これの考察には例に依って過去からの学びが要るのでそこへ行くが、やはり真空管やトランスの存在の影響はとても大きかった様だ。

理論解析ではこれ等は現代デジタル音響機器と比せば全く非リニアで、当時としては最善を尽くしたにしても今となっては結果オーライも良い処だ。
しかし当時の録音技師だって考え無かった訳じゃ無く、音が柔らかいのは結構だが明瞭度が不足してたのをLine録り等で補填したりとちゃんと「調整」はしていたのだ。

またこの案件の真犯人はどっちかってば卓や録音機では無いのだが、何処で充足させようとそれは聴き手には無関係だ。
なので正しい表現をすれば機器がリニアになったからこそ、より「やるべき処」で処理しなきゃなんなくなっただけの話しなのだ。

で具体化させてくとたった1つの楽器演奏しかしない人なら上出では1.が、生楽器が含まれてたり複数楽器を操ったり歌ったりもする人は2.を主眼にするのが高効率となりそうだ。
それと体験から過去機への補足をしておくが今比では低性能だが、性能の技術的限界が低かった代わり古いの程「音的実用性」への配慮は高くなっていた。

これだって単なる苦肉の策だったんだが、近年のは余りにも音色的に論理的過ぎる嫌いが感じられる。
オーディオ理論的にはほぼ完璧でも音楽で要るのはそこよりも求める物とか使える音になってるかが肝で、その点再生装置より制作に用いる物は相当楽器寄りと考えるのが適しているんだかね。

<続>

2019年9月 1日 (日)

音楽備忘録㉕ Mixer卓の話しⅠ:バーチャル機とリアル機の相違Ⅳ

今回はバーチャル機に付いて無いから追加購入必至の逆バージョンで、リアル機だと付いて無い場合があるのへ触れて行こう。
その代表格はEffector等で一見付いてた方がお得だが、果たしてそうとも限らないのも含めて綴らせて貰おう。

卓リアル機でもデジタルのだとEffector内臓のも多いが、アナログのでは先ずそんなのにお目に掛った覚えが無い。(PA用の卓は除く)
ので歴の浅い人だと今日の感覚では不親切な印象を受けるかもだが、旧来の機器組合せの思想が違ってただけでケチった訳では無いのだ。

それとプチ暴言しちゃうと概述の如くデジタルでは音色差は原理的に出し難いので、ある意味選んでも仕方無い側面があるのだ。
特にEffectorとの音声信号のやり取りもデジタルの場合それはより顕著となり、それなら利便性や接続の安定や手間を無くせる内臓にも意義が出て来たって寸法だ。

但し音楽では「所望の音色」がそもそもは第1条件なんだから、見方に依ってはバーチャル機の内臓Effectorはこれを無視しちゃってるとも看做せる。
機器選択は飽く迄所望音色に該当するか否かから始めるのが原則な筈で、それには未だ残存してるアナログ機器だって候補に含めとくのが自然なのだ。

現況内臓Effectorに満足してても人間なんて気紛れだから何時不満が生じるか分からんし、そうなった時にバーチャル機では「外付け」は想定外の場合が多いので却って面倒な事態を招いてしまうのだ。
尤も取敢えず試すのには最初から一通り揃ってる方が助かるが、大きな変更が困難ってのは知っとくのが良かろう。

本日の因みにⅠであるが「有名プロがバーチャル機だけであの名作を作りました」なんて情報に惑わされては駄目よで、これには文章的なら別に嘘は無いが「要素の欠落」があるのである。
その欠落をバラしちゃうと「偶然運良くその曲だけは」等が省かれてて、そんな大御所達だともし必要が生じたらあらゆる手段を駆使・選択出来るんだからなッ。

それからバーチャル機を主眼にする場合他にも配慮点があり、その1つに録ったり加工した音のモニタがある。
スマホの場合普段他所様の音楽もそれで聴く場合が多そうなので、それらとの比較の点では公平性が保ててるかも知んない。
だが複数人で同じ音を聴くのが困難なのと、イヤホンの性能や音質更には「装着具合」次第で音に大きな違いが出る処等だ。

もし貴方の耳が達人級で現用機器の経験も豊富なら未だしも、録音結果のモニタはイヤホン・ヘッドホンのみで無くスピーカからも聴いてみるのを強く推奨する。
これには単独製作なら別だが何人かで録ってるなら認識の共有であるとか、少しでも多くの聴点から判断した方がチーム力も発揮出来るからだ。

スマホだって出力を多チャンネルヘッドホンAmp等へ送れば上記は可能になるが、バーチャル機主体の人に限って往々にして持って無かったり発想が無かったりするのよねぇ。
これは1例だが他にも運用の仕方に依っては周辺補器が足りぬ場合も結構あるから、作業に入る前に熟考しとくのがリアル機の場合より多くなりそうだ。

全体的にはリアル機の方が「付いてる物」は大抵少ないんだが、少ないが故に大して意識しなくても自然と考えさせられるからね。
こんなの怪我の功名でしか無いんだが、必要な配慮をし忘れ易いかどうかは結構作業の進行に影響しますから。

<つづく>

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