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2019年8月 9日 (金)

音楽備忘録② Funkってどうすりゃ演れるのⅡ

さて前回気分の問題とブチ挙げてそこに間違いは微塵も無いが、実際演るには少なくとも体が気分にシンクロして上手く働いてくれなきゃ実現出来ない。
そこで先ずはFunkyさの根源となるリズムの違いへ焦点を当ててくが、簡単に言えばJazzのスウィングのバージョン違いとでも思うのが早そうだ。

打込みのJazzも一般化した今日では数量的解析も一応達成されてるが、スウィングは楽譜に正確に表示出来ないのは今でもちっとも変わっていない。
残念乍らFunkyなノリはこれよりも更に微妙なもので、打込みで再現させるにも計算では困難で人耳感性に頼って微修正する位で精一杯だ。

尤もこれは理屈に基づいた場合であって、完全では無いにしても感覚で追及すればそこ迄大変な物では無い。
一応その筋のベテランを自負する立場から申すと、先ずはリズムの勢いに執着して維持するのが第一歩と感じている。
これを全盛第2期Deep Purpleと’70年代のIsley Brothersを引き合いにして、リズムの違いをひとくさりして行こう。

正確さではDeep君達が圧倒的優位でスピード感だって抜群だが曲全体を通しての勢いとなると正反対で、一聴ルーズでテンポだって比べたら遅めのIsley君達の方が圧倒的に強力だ。
Deep君は超高速だが僅かな力で止められそうな高馬力、Isley君はそんなに速くは無いが簡単には止められそうに無い高トルク特性って感じか。

乗り物の馬力比較をするとディーゼル特急とF1が馬力だけなら同じ位だが、だからってF1のエンジンをディーゼルカーに付けたら恐らくピクリとも動かせないだろう。
馬力は速度に影響するが重さに対しては効力がとても弱く、これに有効なのがトルク(回転力)だからだ。

そやから馬力はやはり同等のフェラーリと観光バスのエンジンでもご同様で、速度は落ちても上の逆にバスのをフェラーリに載せるのなら走らせられる。
現実には用途最適化を図るのが良いからそんな真似はしないけれど、どちらでも動かせるのは強トルクのエンジンの方なのだ。

戻ってその原因を探って行くとあたかも数学的正確性と感覚的正確性の様な違いがあって、Isleyのは多少ヨレても曲の勢いには影響しない範囲に収められてるのが特筆される。
Deep君も太鼓はIan Paiceだから素晴らしい正確さだが、曲に対してってよりはパートとしての正確さが優勢な感じなのだ。

つまり曲に加勢不要な箇所では必ずしも引っ張ったり煽ったりはしておらず楽曲自体の指向性も違うからそれで全く問題は無いが、もし他の全メンバーがダレたりしたらそれだとどうなっちまうかだ。
恐らく聴者には一瞬流れが止まった様に感じられ、ある意味達人集団だからこそ成り立つリズムアンサンブルである。

これは意地悪な見方をすると聴く方もその正確性に着いて行けないと本質が味わえない可能性があり、万一リズムを一旦見失うとテンポの速さもあって復帰するのが少し大変そうだ。
それがIsleyの方はテンポは聴いた印象よりかなり遅いので直ちに何事も無く復帰出来そうで、乗り易いゆっくり目のスキー場のリフト(ずっと動きっ放しですから)みたいな感じだ。

誰でも参加容易で楽しめるリズム→タイミングを合せる猶予が広い→テンポ遅めが良いとなるが、今度はそれで勢いを出したり調子良く囃し立てるのはそのままだと困難になる。
これを補う手段として隠れた第2のBeatが想定されるが、今回案件でのそれはポリリズム等では無く「うねり」とか「跳ね」がそれに値している。

これの詳細は次回送りとするが要は気にする場所の違いで、瞬間的最高速を追い求めるのか平均速度の高さを求めるのかみたいな意識の違いがものを謂う。
速さを競うより「遅くならなさ」を競うって感じで、持続性のある勢いを得るには後者でないと不可能なのだ。

<続>

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