多重録音備忘録Ⅱ⑳ 楽器の構造とらしさⅠ
技術は低いより高い方が良いし、脆弱より強固な方が楽器だって良い。
ばってん闇雲にそれをしちまうとその楽器固有の特性はどんどん損なわれ、最終的には超高級な音響発振器となってしまう。
1.丈夫過ぎる胴の太鼓
理想の皮振動特性だけを追及すると、太鼓の胴はどう叩かれたりしても微動だにしないのが宜しい。
胴が皮と共鳴した方が「良く鳴る」場合も出て来るが、共鳴が何時も都合の良い方向に作用するとは限らない。
だから理屈だけならそれぞれが個別に黙々と仕事してくれるのが最良となるが、これが実現される程「太鼓らしくない」音に実際にはなってしまう。
これ極端に言うと「胴の音」が無いも同然になるからで、胴の材質や構造の違いがお留守となってしまうのだ。
最近は少し持ち直した感があるが、それでも俺的にはまだ丈夫過ぎる物が多過ぎると痛感させられている。
思想や実用的強度にも依るとは云え、「胴が出す音」が余りにも軽視されていると思っている。
そんなら胴なんて無くしたって大差無いじゃん、乱暴だがそれが本音だ。
2.丈夫過ぎる電気弦楽器の各部
こっちは太鼓よりは近年はマシになったが、一頃の国産の勘違いした豪華競争は最悪だった。
重くて高価の泣きっ面に蜂もだが、それより何より丈夫過ぎるボディでは弦に対する反応が減り過ぎていたからだ。
部品でもStratのブリッジの駒等が典型例で性能面では丈夫に越した事ぁ無いが、それでは変な癖を伴ってたが独自の個性が弱まってしまう。
元は鉄板を折り曲げただけだったのが立派な鋳物が主流となり、確かに音色の安定度は上がり余韻も長くはなった。
けれど使い易くはなっただろうが響きは単調になり反応の癖も弱まり、個性は大巾に減ったからそれなら他のでも構わんじゃんってね。
相手に依っちゃかなりの失礼となるが「チャラいからこそStrat」で、ろくでなしと知ってても優しいイケメンが人気なのと同じ事なのだ。
ここから後半は上記への反対意見を(あった場合)勝手に喝破させて頂くが、最初は変な正義感による公平性維持の為に上記の欠点を挙げて行こう。
1.についてはそれを避けると耐久性を気にしなきゃなんなくなったり、余韻長さが縮まったり鳴るポイントが限定される弱点が強まる。
なので楽器固有の反応や音色を無視すりゃ使い勝手が悪化するが、それでも平気な皆さんにはもっと安価に提供すべきだと考えている。
現にConga等パーカッション系では樹脂系胴を用いてそれが常套化してるが、本来ならドラムセットの方が悪影響が少ないんだが。
ドラマーに偏屈が多いのか妙な事にアクリルは残ったがファイバーは壊滅的で、木で分厚く作って機械的なのは許すってあべこべちぐはぐとは恥ずかしい限りだ。
2.についてはソリッドボディの変遷を追うと良く分るんだが、初期の物程分厚かったり削り込みやザグリが少なかった。
材質にしても後年のになる程柔らかいのの方が増えていて、硬いのを使ったのだと薄かったり極端に小さくしてあったりだ。
それでも使用弦の特殊性もあったにせよ一時結構なブームになったSteinberger等、現在本邦では入手が酷く面倒になった位廃れている。
所謂変形Guitarは元からニーズは少ないが加工性の良さとそんなに大きな材が要らないのもあってか、デザインは奇抜でも材質はオーソドックスが主流の様だ。
弦系はその揺さぶるエネルギーが太鼓等よりかなり小さいんだから、共鳴側がヘヴィ過ぎちゃ厳しいのだ。
機械の権化の様なアナログシンセを自在に操る様な達人も居るけれど、だからって楽器が機械っぽ過ぎても良い訳じゃない。
特に近年では「現物の苦労」等を避けたけりゃ、打込んじまえば済む話しなんだからさ。
<続>
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