音楽備忘録⑧ Funkってどうすりゃ演れるのⅧ
今回はFunk以外にも大いに影響する「リズムの捉え方」についてで、近年は基本的に何でもピッタリ合わせるのが常識みたいになってるが…。
ポピュラー系では聴者の慣れも意識してかかなり一致一辺倒だが、民謡系や古典大編成オケなんかじゃ今だって結構鷹揚でも許されてるがどうなのよっと。
今回案件は俺的には例え全く打込まぬ人でも打込みからの悪影響に流されちゃった感があるが、確かに露骨にズレてるよりゃピッタリしてる方が整った感じを受けるのは分かる。
けれどもそりゃどっちかってば「分析耳」的判断をした場合の話しで、単純に音楽とか曲を聴こうとしたらやってる事が分かる範囲でならズレの有無等大した問題でも無いのでは。
僅かでもズレるとヤバそうなのの筆頭ってば軍楽隊辺りが思い浮かぶが、それだって行進の足並みを乱さないなら上官に殴られはしなさそうである。
無論「合ったら駄目」とは言わぬが、さりとて常に何でも機械のみたいに一致してる必要性があるとは思えんのよ。
またリズムのみならず音程の正確性でも同様で、今でもClassic Guitarには普通はオクターヴ調整機能は非搭載のままじゃんか。
実用上取り立てて差し支え無いのもあるんだろうけど、それよりも微妙に音程に依ってズレ方が違うのがその楽器の特徴ってのの方が大きいと考えられる。
Acoustic Guitarでも金属弦のには一部で少し配慮されたのもあるが、何時まで経ってもちっとも主流にはならぬままである。
これ等は物理理論的にだと旧時代的でしかないが、音楽理論的には迂闊に排除・修正するとどえらい問題となり得る。
奏者の訓練段階で正確性を求めるのは自然だが、特例以外でまさか機械の音を目指しては居るまいね。
そっちの路線にもそっち用のスキルがあり対称的な部分が多いので、だったら今時楽器なんか弄ってる場合じゃない。
尤もより動物的にするにしろ機械的にするにしろ表現力が必要で、味方と敵の両方をある程度以上知っとかなきゃどっちだって不完全になる。
自分では機械っぽいと勝手に思い込んでても、皆の同意が得られねば下手すりゃ逆行させてんだからさ。
何気に精神論・観念論的に寄ってると思われそうだが、一旦無用な縛りを解かないと核心には到達出来ない。
そこで別視点から考察願いたいのが時代性で望んで無かった加齢を痛感させられるのは辛いが、Funkなんてもう50年も昔の古いものなのが厳然たる事実なのだ。
例えば物理量の基準変遷等にそれが現われてるが、本日の生贄はエンジン等の「馬力」でありんす。
俺が無垢な子供の頃はPS基準・生意気になり出した頃はPH基準、近年は電動物が増えたからか電気モータでも無いのにkWが基準と変化した。
これを意地悪解釈すると同一のパワーが、上記の順で段々小さい数値となっている。
これが又昔からkWがデフォだった電車なんかのモータだと逆行してて、昔の表記の方が様々な点から随分と控え目であった。
例えば昔は今以上に消費電流の増加に依って電源電圧の降下が著しかったので、その分を差し引いた値とされていた。
なので大昔の電車を今走らせると古くなってヨレた筈なのに、昔より妙に走りが元気になったりした様に勘違いし易い。
この様に背景ってか環境差等にも充分な配慮が必要で、全くの現代感覚のままで処理するとそれだけでもう再現性を悪くしてしまう。
しかしもし妙にFunkに心奪われるってんならそれって侍に憧れるのなんかと似た様なもんで、どうでも良い場面で拙者とかカタジケナイとかほざいて「なったつもり」から入れば良いのだ。
尤も受け身で良いなら本邦には得意な人の多そうな「形から入る」で構わんが、楽器を実際演奏したいとなると流石に外見の格好だけでは苦しい。
そこで上記例に従えば歩く時今の普通は手足の左右は互い違いに動かすが、侍は右手右足・左手左足を一緒に動かすなんてのがヒントとなる。
これは演奏のフォームなんかだって含まれるが、先ず第一に配慮して頂きたいのが楽器のセッティングだ。
一度マスター出来て慣れてしまえば殆ど影響は無くなるが本項ⅥでBassで触れた如く、あまりにもやり辛い状況ではまともな練習にすら中々入れないだろうから。
<つづく>
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