音楽備忘録⑫ Funkってどうすりゃ演れるⅫ
そもそも今更Funkりたい人がどんだけ居るのか分からんが、耳に触れる機会が減ってるだけに何とも言えないと思う。
打込み若しくはClickに縛られた演奏の比率が上がってしまった今こそ、若い人に程是非体験して貰いたいもんだ。
その上で嫌っても全然OK、それでもその手の類のは色々と肥やしになる筈だから。
例えば近年では伴奏と少しリズムがズレた歌唱は、一部の民謡・演歌系等でしかお耳に掛れなくなったと感じている。
が聴いて気に入って口ずさむのに打込み程の正確さが要るのかってば、別にそこ迄は要らんのですよ。
極論すれば常人が簡単に理解出来る状態さえ確保出来てれば、寧ろ恰好悪くたって変だって面白い方が印象には残るでしょうよ。
これって俺的には1に過度な商業主義の大手レーベル、2に奏者の無理なナルシズムが原因ではと訝っている。
特に音楽への理解が足りない人が無理するとそうなり、内容で攻めらんないからその分を体裁で補おうとしちゃったかな。
1については内容の可否が分からずに立派な作品を意識すれば、リズムや音程にズレが無いとか歌詞に間違いが無いとか「その程度」の処で小奇麗にするしかないからのう。
或はオーディオで名門のあの会社のがこんなに低音質かよなんて思われちゃ敵わんから、兎に角雑音や「そう思われる可能性のある音」は一切排除しとこうなんてね。
しかし音質は良いに越した事ぁないが音色が及第点に到達して無いのなら、オーディオ的にグッドでも音楽的にアウトなんすがねぇ。
しかもなまじ音質が良いお陰で余計に音色の貧相なのがハッキリ分かっちまうって、何で何時までも気付けないんだか…。
因みにあれですよクドイがオーディオ的高音質と音楽的好音色は不一致の場合も多く、強弱(音量)や絶妙なタイミングのせいでこの違いが出て来んのよ。
故に全く同一の音色でも機械と人の生のでは差が出る訳で、理屈だけの追及では音楽は手に負えませぬ。
2については俺だって少しでも恰好はつけたいしまあ人情ってもんざんしょが、SNSの盛り過ぎ画像と同じで度を越せば後で悲劇が待ってるだけで御座居ます。
これ皆さんはどれ位お気付きか存じませぬが、盛り過ぎ画像だって静止画だからあそこまでやれるし少しは誤魔化せるのでありんす。
そうなんですよ音楽には残念乍ら静止画に匹敵するのが無くて、視覚のでだと動画のしか無いんですわ。
つまり顔真似の瞬間芸みたいなのが出来なくて、時間的にある程度継続させんと中々分かっては貰えんのよ。
静止画であれば一番表現したい瞬間のみを記録出来るし、見る側がその見る時間等を自由選択出来るので理想状態を連続させるのはいとも簡単だ。
だが普通は「止めたら聴こえなくなる」音楽等では最低でもベターな状況を連続させねばならず、依って大幅な改変は困難なのだ。
これを極論すればどうしようもない物を無理に整えれば、もし欠点はある程度殺せても魅力の全く無い物となるのである。
結果欠点の少なさでは打込みに負け、魅力が無いから手弾きした価値すらも損ねてしまうだけなのである。
これが特にFunkみたいに感性・手加減頼みのものとなると影響最大で、変換すると奏者を恰好良く見せるのかお客さんを楽しませるのかの究極の選択とも看做せる。
勿論格好は悪いより良い方がお客にだって貢献するが、誤った縛りのせいで和ませ損ねたら始まらないのだ。
まとめるとこの手の味が命みたいなのになる程、上記の優先順位の尊守が鍵を握ってるんじゃないだろうか。
もしかしたら昔は恐ろしい達人の生演奏に触れる機会が多かったので、今よりも踏ん切りが付け易かったのかも知れんが。
<つづく>
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