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2019年8月

2019年8月31日 (土)

音楽備忘録㉔ Mixer卓の話しⅠ:バーチャル機とリアル機の相違Ⅲ

前回は今の世の中気に入らんみたくなってたが、だからってめげても居られんので考えを巡らせてみよう。
今回はもしバーチャル機しか使えない場合、先ずは何処からどうやって行くのかだ。

近年の若人だとスマホはあってもPC不所持の人も多いそうだが、本案件に関してはスマホがあるならバーチャル機の少なくとも最低限は体験可能だと思われる。
多重録音機のアプリがあるって事は、録音機と一体になってるにしてもMixing機能も必ず付いてるからね。

だが少し前に記した如く通常スマホには音声信号入力はStereoになってても1系統しか無く、打込み以外では先ずここの足りないのを何とかするのが第一歩となる。
それが概述オーディオインターフェイスだが、実はリアル機の中にもMic Preampが付いて無かったり数が足りないのだってあるのだ。

普及版デジタルオールインワンタイプマルチトラッカーでは、従兄所持のだとトラックは24あってもMicプリは8しか無い。
Mixer卓でも最適用途にズレがあったり設計思想に依っては似たり寄ったりだしで、Mic Preamp数に関してはリアル機だって不足する事暫しなのである。

一応ここではオーソドックスな4人Bandの録音を基準に考えて行くとして、安全圏だと16は欲しい処だ。
勿論各パートをバラ録りしたりすれば12位迄減らせるが、絶対に一発録りしないとかLive録音をしないので無い限り下手にケチらん方が賢明だ。

特に何も持って無い場合がこれに該当し短期間での2度買いを避けたり、どっかのオッサン(俺)が出先で(従兄宅)何年も忍耐を要求される様な目に遭わずに済むでありましょう。
そしてこれも概述だがもし現況そのコストが問題となるなら資金が貯まる迄は、思い切ってワンポイントStereo収音で乗り切っちまうのが良かろう。

更にこれを状況パターン別にに分けて行くが、それは録音の頻度やどれ位その環境を継続させる必要があるかだ。
その1:頻度少なく長期継続の予定が無い場合
専用機器を揃えても使い方を覚えなきゃなんないしで、この場合は録音Studioへ一任外注するのが良い。
上記のワンポイントStereo録音はスマホを持った時点でほぼ即可能で、俺みたいに持たせて貰えん!?奴以外一切何も買わなくったって録音は出来ま
すから。

その2:頻度は高いが継続期間不明の場合
俺的にはスマホを頻繁に録音に使うせいで消耗が激しくなるのが心配で、趣味で頻繁に機種変する人なら別だけどね。
機種次第にしてもスマホは記録用量他色々な面で小型化の為の制約が強く掛かってて、接続系統だってかなり限られ特に複数人で大音量でモニタするのは殆ど無理だ。

そこで少なくともバッテリー消耗の心配も少ないPCを活用するのがお勧めで、オーディオインターフェイスだけニーズに余裕のある物をおごっちまおう。
呼称の定義にも依るとは云え「バーチャル」と名乗るからには、「現実の入力部」は付いて無くて当然だもんね。

因みにPCでもポターブル(ノートパソコン等)よりデスクトップタイプがお勧めだが、特例を除きラップトップでも内臓充電池よりACコンセントから電源を取るのが無難だ。
バッテリー切れ予防以外にも、電源の変動は音に悪影響する場合もあるので。

その3:気持ちとしては死ぬまで止めるもんかの貴方の場合
予算事情に左右されるのは必定だけれど、飽く迄目標としては独立したリアル機を揃えるのを目指しましょう。
現状一般向け汎用PC系機器は何時迄も使える想定は元からされて居らず、もし機器自体が折角長持ちしてくれても互換性等のせいで終了ってのがあるからね。

しかしMicの接続規格のCannonとかはライフタイムがPCより全然長いのが既に実証されてるし、電気楽器と密接な関連がある規格は楽器が存在する限りは無くなる心配が無い。
もっと言っちゃえばスピーカの接続に至っては業界系では「スピコン」なるコネクタも普及してるものの、未だにケーブルの芯線を直接ネジ止め(恐るべき事に何と所謂コネクタ自体が無い!)なんて原始のまんまが健在だ。
そう云う規格の物は先ず長く使えるし、万一不要となった際にも「規格が現役」なので売り易い。

<つづく>

2019年8月30日 (金)

音楽備忘録㉓ Mixer卓の話しⅠ:バーチャル機とリアル機の相違Ⅱ

前回その方式・原理の都合でデジタルは音色生成が苦手なのをバラしちまったが、若干ヲタ度向上ももう少し内容詳細に触れとく事にしますわ。
単に沢山提示すりゃ理解されるもんでも無いんだけれど、それ位色んな原因があるから苦手ってのが少しでも感じて貰えると嬉しゅう御座居ます!?。

デジタル音響電子回路内で音色へ貢献出来る部分は先ず劣化の少なさで、それ以外ではせいぜいジッター(Jitter)の改善程度しか無い。
ジッターは和訳すると「いらいらする」等だそうで、音が本来より時間的に僅かだが早くとか遅れて出てしまうのを指している。
それもずっと定量的に変化する(これはレイテンシ)のでは無く、突発的にとかランダムに発生するもの限定だ。

依ってアナログでは録音機みたいに記録メディア部分の機械的精度以外では、原理的にレイテンシはあってもジッターは発生しない。
これは全体的には高性能なデジタルでの完全排除不能な数少ない弱点であるが、この手の微妙な失態こそが案外「音色の印象」には大きく影響する様だ。

アナログでは結構な劣化があってもそれが定量的なので不完全ではあるが少しは補填可能で、代表例の高域の減少ならEQ等で手当てが一応出来る。
だがデジタルでは基本的には回路内の担当LSI・IC(集積回路素子)自体を高級化する以外道が無く、設計側としてはほぼ素子機種選択とその組合せが腕の見せ所となっている。

楽器界では古典的で手の掛かる物でも全部が歴史物化しては居らず、一部は結構未だ日常的に使われている。
乗物でも特に味に拘るとこっちは非日常的ではあるが、SL(蒸気機関車)も未だに絶滅しては居ない。
それ以外でも電動式の価格がかなり低下して来ても、未だ人力オンリーの自転車が街に溢れている。

音楽製作界で他と一寸様相を異にするのは旧来のの方が高コストな処で、基本的に何十年も前からあった音楽を作るのにも新しい道具の方が使われ易い様だ。
但しとても注意しなきゃいけないのが他分野ではシステム刷新と並行して機能拡大が図られてるが、こっちでは寧ろ削られてる部分の方が多くなってる処だ。

計算に基づいて合理化される度合いが上がると数の売り難さを問題にせざるを得ず、現代の製造システムでは数が少ないと内容に比例しない高コストとなっちまうからね。
だがその代り昔より少ない予算しか無くても、取敢えず始められる様になったのは悪い事じゃない。

これを毎度の妙ちくりん比喩へ持ってけばスマホはインバータエアコンで黒電話は扇風機に対し、実機卓が旧式クーラーでバーチャル機は一時話題になった「羽根の無い扇風機」ってな按配だ。
昔より窓を開けてられなくなったし夜中でも暑くなったから、人が長く居る場所では扇風機では耐え難いし熱中症の危険がある。

だが録音なんて一般生活の中で見たら廊下を通ってる瞬間みたいなもんだから、クーラーが無くても生命の危険は殆ど無いからなぁ。
でもじっとしてる部屋で
よりか大抵は誰でも何か作業してる台所とか、洗濯機も回ってたりする脱衣所の暑さってかなり苦痛になる事があるじゃない。

だから多分無意識だとは思うけど道具に変な制約なんかなるべく無い方が良いし、売る側には申し訳無いけど「気付き難い欠点」は使う側にとっちゃ最悪なんだよねぇ。
近年本邦じゃ何でも忖度で既得権益の為に必要な正しい情報が得難いのも困りもので、穏健な従兄も流石に最近の太鼓雑誌の錯誤練習法にはキレちゃってるわ。

何が不味いって怪我したり体を壊す危険性があるからで、責任取る気なんてどうせ無いならせめてそう云うのだけは絶対避けるべきなんだけどょオ。

こう云うのって視野の狭さが原因で、これからの時代国内だけを対象にしてたんじゃもうお話しにもならんのだがなぁ。
だってさぁYoutubeじゃあらゆる国のあらゆる音楽が、隣り合わせになって出て来るんだものよ。

すべからく自衛策ってか人夫々ニーズだって違う訳だし、情報や知識も受け身だけで済まそうとするのは危険だし無理がある。
自分にフィットするのが何時も新しい物になるとは限らんから、新旧やデジタル・アナログ等の枠を取り払って検討しないとね。

<続>

2019年8月29日 (木)

音楽備忘録㉒ Mixer卓の話しⅠ:バーチャル機とリアル機の相違Ⅰ

概述のと重複もありそうだが、今回はMixer卓としての部分限定で記して行こう。
昔と比べるとかなり安価になったしデジタル化のお陰で場所もあまり取らなくはなったが、それでも実機は小さくは無いしコンビニ商品みたいに決してお手軽では無い。

それでか相変らず狭苦しい本邦では特に近年実機を買う人が減ってる様だが、柔軟性や音質(音色)の面で未だバーチャルのにはかなり不利が残ってるのを一応知っといて貰おうって趣旨である。
毎度のパターンだが例えバーチャルしか使わないとか使えないとしても、長所・短所を知ってる方が上手に活用出来ますから。

では最初に音楽にとっては一面で死活問題にも拘わる音色案件であるが、デジタルが現行の方式である限りは正直言って期待しては酷ってもんなのだ。
現行のPCM方式は安定度や雑音特性等には優れているので、元の開発目的の汎用オーディオ用としては及第点と云える。

しかしどんな時でも一定の状態が得られる様にした反面、システム的に加減が効き難くなっているのだ。
端的には全てのDataを電気信号(デジタル)の有無だけに変換してるので、その間の部分に違いのある物でもそこが無視されてしまう。

Effect等の部分ではデジタルでもそのアルゴリズム次第である程度の加減は効くが、無劣化→無変化を追及した代わり音を弄るのが苦手となっているのだ。
近年の若者の一部にもアナログレコードの方が高音色と敏感に察知する人が途絶えないが、必ずしも皆が単に好奇心やノスタルジーで思い込んでる訳じゃ無くちゃんと上記みたいな理由があるからなのだ。

これが具体的にどう反映されてるかっつうと、デジタル音響機器での音色差はその僅かに残ったアナログ部分だけでほぼ賄われているのだ。
なのでデジタルMixer卓ではやれなにがしが高音質等と言われてても、肝心のデジタル部分には大差なんて無いし原理的にそれは出来ない相談なのである。

俺の場合諸事情もあるにせよこれを知ってたから、アナログ卓の更新やデジタル化を急ぎもしないし半ば放置している。
現状よりグレードアップするには現用のより明らかに高音質なアナログ卓で、なるべくなら全段真空管のでも持って来ん事には飛躍は望めそうにないからだ。

ここでどんな方式でどれ位音色差が得られるかを、その程度が大きい順にプチまとめしといてみよう。
1.音声信号経路にトランスが使われてる物
2.真空管による超古典的回路
3.増幅素子は半導体(トランジスタ等)だがディスクリート(非集積回路)のもの
4.増幅素子がオペアンプ(集積回路)のもの
5.音の出入口(インターフェイス部)以外がPCMデジタル回路のもの

登場時期の古いのだってオーディオ用途には極力変化・劣化を避けたのもあるから、各部品の個別比較では例外も生じるけれど全体的には上記の様な状況だ。
但し上記は単に違いを出し易いってだけでそれが必ずしも都合の良い方にだけ作用するでもないし、雑音だとか所謂電気性能的にだと見事に順番が逆転してるのが悩み処ではある。
すべからく音色創造以外の目的ではほぼ全てがデジタル化一辺倒になった、なってるのは当然の結果ではあろう。

これが音色形成用途の場合リアル機なら必要箇所のみ適宣敢えてアナログに置換するのも可能だが、バーチャル機だと出入口の間は一切それが不可能となる。
この辺は個人的にはシンセの大昔のモジュラー式(各機能・作用をさせる回路が独立している)と近年のオールインワンタイプの相違みたいに思え、普段は便利なオール君もいざ必要が生じても融通が全く利かないのと似ている。

尤も実機でも卓がデジタル・アナログを問わず、信号経路の途中から出し入れが出来る様になってるタイプじゃないとそうは行かないけどね。
現実的にはニーズ充足度と満足度の個人千差万別って感じだが、万一の際に他を試せる可能性の有無については万人に影響があるのを記しときまっせ。

処理対象が音楽でも音質や電気的性能は決して無視出来ぬが、だからって全く望まぬ音色の物が使えるのかをもっと気にすべきだと思っている。
これは記録や再生の性能とも大きく関係してて、現代の様にほぼ無劣化になったからこそ思い切った采配が揮えるようになったと考えられる。

現代まで延々と続く明瞭化・高音質化競争!?だが、そもそもは昔はずっと録るのも聴くのもその度に劣化が避けられなくて始まったものでもあったのだ。
オールデジタルでも素人投稿作品等の出来の悪いのになると多くの面で低音質だったりして、結局は人が作る限りは馬鹿と鋏は使いようなのは不変の様だ。

<つづく>

2019年8月28日 (水)

音楽備忘録㉑ Mixer卓の話しⅠ:AUXって何なのさ

その昔はテープレコーダ等にも付いてたAUXって端子、最近ではMixer卓位でしか見られなくなって久しい。
業界での慣例等があるにせよ何で日本製のでも未だにこんな馴染み難い呼称をされてるのか、その辺りがお題だ。

AUXとは英語Auxiliary(オグジリアリ)の略称で、和訳すると補助とか予備だそうだ。
個人的には幼少時からヲタってたので言語より実態で何となく把握し、大して気にもせず利用して来ていた。

冒頭の「その昔はテープレコーダ…」の例では今では考えられんだろうがAUX Inと書かれててその実只のLine Inで、Line In端子が無いなんてのもあった。
これは恐らくそれ位録音ってばMicじゃなきゃ出来ないもの認識が高かったからだろうで、ラジオのイヤホン端子がイヤホンの規格の都合で録音機の入力と整合性が全く無いのすらあったからだと思われる。

さて現代でAUXが付いてる様な大袈裟な!?卓は業務用もしくはそれに近い物で、最初から一度に沢山繋いで使われるのだから今更「予備」なんてのも一寸変な感じがしないでもないが何故か。
それは対応用途の広さを示したいからと思われ、Liveと録音では異なった用途に割り振られる場合が多いからだ。

他にもターゲットがマルチ録音機送り用のBus(バス:訳は乗物のとほぼ同じ)と呼称される親戚みたいなのもあるが、Live指向の卓等だとBus出力系統が付いて無かったりするのでAUXは奏者個別モニタ(所謂コロガシ等)への送出しに使われる。
もっと特化したのだとちゃんとMonitor Out 1,2,3…等の表記のも見られるが、何れにしてもその多くはMainやSub Outとは別Mixのが出力出来るのを意味している。

ある意味「何でも屋」を誇示してるかの如くAUX君は実際柔軟性に富んでるが、実質的には各作業のニーズのせいである程度定番な使われ方が多くなっている。
それがLiveでは上述の様になるが、録音では「Effectorへの送り」に用いるのが半ばデフォとなっている。

これの実態は拙ブログ「多重録音備忘録」の6月位から記したのを参照して頂くとして、AUX経由で送れば各トラックへのEffectの掛かりの深さ等を各々個別調整出来るのが売りだ。
もし全体に一様に掛けるので構わなきゃエレキGuitarのEffectorなんかと同様直列に、原始的手法なら単に卓の後録音機に入る前にEffectorを挿入しても構わん。

尤もそれなら必ずしも卓と録音機の間じゃ無く2ch Stereo信号に纏めた後なら、どの時点でどんな繋ぎ方でも掛けられるからAUXを使う必要は無い事となる。
それとEffector送りはBusが付いてりゃそれでも行けるが、通常はあまりそれをしないのも訳ありだ。

Busは上記の如く録音機への送り出しを想定されたのが一般的だから、録音終端部でのFade Outを考慮してその音量調節ツマミが大抵はFaderになってるのが相違点だ。
つまりAUXは1度設定したらリアルタイム調整があまり不要なもの、Busの方はそれが要るものが想定された設計とも云える。

さて近年ではPC内アプリではどうなってるかのかも省けないのでそれへ進めるが、開発時期が新しいフリー物についてはAUXはあまり用意されていない様だ。
これは一面では実情に則した結果でPC内ではその殆どがバーチャル故、Effectorの台数制限が無いに等しいのにも依っている。

この件についても既に拙ブログで触れてる通り本式なMixingには不向きなシステムだが、操る人の頭の中は単純化出来る利点があるとは看做せる。
差し詰め東京の電車乗換の経路みたいなもんで最速・最安には複雑なのを我慢するのか、乗換の簡単さ間違え難さを優先するのかみたいなもんだ。

俺自身がPCも常用してるし電気屋なので誤解は避けたいが、録音機もMixer卓もやはり実機とバーチャルには何かしらの違いはまだ残っている。
し一寸見でPC利用の方が格安で機能面が同等の様でも、実際に同等化させ様としたら大体コストはイーヴンになるみたいだ。

この続きは次回送りとするけれど特にPC内でしか殆ど体験しない人に対して、AUXって存在は必須では無くも知識としてはなるべくなら一応確保されたい。
やりたい事に対する方法が本来ならどれ位どんなのがあるもんなのか、もし知らなければ最悪不可能そうだからと諦めてしまったりする可能性だって考えられるから。

<続>

2019年8月27日 (火)

音楽備忘録⑳ 基本的な歌唱の話しⅢ

狭い日本では日常生活で他人に迷惑を掛けぬのには声は小さ目が普通になってると便利だが、それなら泥酔しても絶対夜中に道端でがなっちゃアカンでぇ。
でも実際は昔より夜間騒音はウルサくなったと感じてるが、昭和のオッサン(俺)の気のせいなのか検証してやるべ。

たまたまだが宅の隣に7F建てのワンルーム主体のマンションがあるんだが、声は泥酔時以外は殆ど聴こえんが門扉等の開閉音にはとても無神経なご様子だ。
かなり広い道路に面してて常に車の通過音がしてるからかも知れんが、真昼間と同じ様に威勢良く開け閉めするのに違和感を覚えんってのは異常と云えば異常だと思う。

歌は小さく世間での会話等は興奮や酔いがあれば無制限がまかり通ってるのは何とも不自然で、上記みたいな生活雑音と同様全くあべこべでおかしな状況なのだ。
その一因に歌の声量不足も含まれてるのではと踏んでるが、下らん理屈かも知れんが一応筋は通ってるのでそれを以下に。

とある男子学生の母親が余計な暇や体力なんか残って無い方が健全で宜しいと語ってたが、「やれる時」に好きな事を思う存分やって来れば帰宅してから無用に騒いだりはしないし草臥れててもう出来ないってシステムなんだそうだ。
気持ち的にもアクティブな分は昼間に消化し切れてたら狭い家に帰って迄夜にやろうとは思わないだろうし、ある意味生活のメリハリって事なんでしょうね。

概述の一部再掲となるが近年の小学生の合唱発表会にそれが顕著で、会が始まる前はあんなに元気でウルサかったのが歌い出したら声がその1/3の音量になったのには愕然としましたよ、えぇ。
んでその原因を探れば失礼乍ら教育が誤っていて、様々な理由があるにせよ楽に出せる高さの音でも女児には全部ファルセット(裏声)で歌わせる指導が為されていたですと。

基礎を学ぶべき場でそれを抜きにして技術を学ばせちゃうっても、砂上の楼閣状態なので無理があり過ぎ。
結局は基礎不足(特に知識)だと歌う時は平気でもそれ以外の生活の中で喉を壊す危険性が高まるばかりで、これは飽く迄小学校の音楽でだけは壊れなかったって極度な場当たり主義なのよ。

そしてこんなのが困るのは自分の声の大きさに対する感覚も育めなくしてしまってて、それ故小声でカラオケで盛り上がった勢いで外に出て来てから夜中でも絶叫しててもそれに気付けないと…。
ごちゃごちゃ書いたけどこれとっても簡単な事で、満腹になってたら誰でも空腹時よりゃ食欲が落ちるのと全く同じ。

尤も近年本邦カラオケ声量を下手に逸脱するとケチ付けられそうだから一筋縄とは行かなさそうだが、だったら気付けずにどっかで余計な騒音出しちゃてるままで平気なのかって究極の選択ですか。
は大袈裟だけどもし自分のBandで歌うとかって時なら、客席への最大音量はPAさんが調整してくれるんだから歌声が大きくったって心配ないよね。

普段自分達だけで練習する時だってMic使用なら、声の大きい分Micのボリウム下げれば済んじゃうし。
音響屋で録音屋でもあるから注文を出させて頂きますが、こっちとしては何しろ声量不足はとっても困るし助けてあげらんなんい事が多いんです。

LiveではMic感度を上げるにもハウリングマージンの都合でかなりシビアな限度があるし、録音の場合はどうしても雑音が大きくなってしまいますんでね。
でもお客さんアレなんでしょ、声量不足が原因でもあっしら技師がヘボって言い張られるんでしょ。
他の仲間の手前とかもお有りなんでしょうが、無理強いされてもこっちだけじゃどうにもならんのやさかい勘弁しとくんなはれ。

<続>

2019年8月26日 (月)

音楽備忘録⑲ 基本的な歌唱の話しⅡ

今回は声量の意義についての考察ですが最近はより体裁を気にするのか、皆さん妙に控え目なご様子ですね。
確かに大昔のもう殆ど暴力的怒鳴りだけの軍歌みたいなのは、一緒に叫ぶなのら未だしも聴くだけの人にとっては殆ど騒音公害なだけではありましたが…。

先ず冒頭に指摘しときたいのが話し声と歌声の音量バランスで、本来であれば危機的状況以外でなら歌の方が大きくて当然な処だ。
それが近年は若者なら友人とのやり取りで興奮した時とか、年寄りならキレた時とか酔っ払った時の方が大声ってのはどうにも頂けない。

歌った時と上記のを両方を
目に出来る機会は少ないかも知れんけど、「迷惑なら掛けられます」ってなるんだから可笑しいよね。
偶然だとしてもそうなってれば自らの体裁を崩すより迷惑掛ける方が平気ってなって、信用を失うのにも繋がる危険があるんですがねぇ。

とは言え歌でも恰好悪くても平気な人は少ないだろうからここで救いの手となるんだが、小さく歌えば必ずコントロールし易いのかを良く考えて欲しいのだ。
実際声量だけに注力したら他の部分は制御出来なくなるけど、それって大きくする方だけに作用するのかが考察点だ。

例えば興奮してる時にヒソヒソ話しをしようとしても、僅かな気の緩みで所望より大きな声が出ちゃったりするじゃない?。
一番声の制御がし易いのは「状況に対して自然な声量」の時で、それ故会話より小音量で歌っては実は制御はかなりし辛くなってるんですわ。

俺から見ると良く皆あんなにオシッコ我慢してるみたいな状態で歌ってるわと、ちっとも憧れないけど感心しちゃうよ。
ここから少しそのメカニズムを説明してくが小声歌いの最初のポイントは、出せる音量の大小範囲をわざと狭めたのと同じになってる処だ。

何かの加減が要る時にその幅が狭まれば、とても微妙な調節が要求されるんだから困難化するのだ。
それとこれが多分最大の影響が出るんだが、声量を制限すると本来は出せる高音域がその分出せなくなる処。

小声で高い音を無理に出そうとしても出ないだけで喉を傷める心配は無いけれど、それって一番高度なテクニックを要する部分なのだ。
人にはそれぞれに音域があるもんだがその端っこになると、誰でも音程を出すだけで精一杯になるもんだ。

高い方で限界に近付くと大きい声でしか出せなく、低い方の限界近くでは小さい声でしか誰でも出せなくなるのだ。
この時高い方はうるさくなって困るけれど、歌の場合は低い方で聴き取れなくなる方がもっと困る筈なのよ。

これを現代的!?にド素人でもMicで歌うとして、ウルサイ高い音程の時はMicを遠ざけなんてのが所謂マイクワークってヤツだ。
だから低くて小さくなる時はMicを近付けりゃ良いんだが、ここで所謂ボーカル用Micの性質が問題になって来るのだ。

見た目か流行りかは知らんが今時歌用ってば例え模倣品でもShure SM58タイプの独壇場で、このMicは兎に角ハウリングし難いのを最優先の設計としてある。
これは周りがとてもウルサイ処でも使える設定なので口とMicがくっ付いても平気な位、張り付いて歌う前提となっているのだ。

結果として小さくする為に離れる方はフォローしてくれっけど、普段より近付いて大きくする方が殆ど出来ないんですわ。
まあ普通なら爆音下で小声で歌う訳ゃ無いからこれで良いんだけど、それを大してウルサく無い場所でも使う様になったから生じたミスマッチとも看做せるがね。

今回最後に貴方の歌の声量の適正診断例を提示しとくがこの手のMicだと、本来であればカラオケルーム程度の音量でだとまともな使い方をしてたら絶対にハウリングは起こらないものだ。
もし時々「ピー」とか「キーン」なんてハウリングが起きる様なら、よっぽどMicが口から遠く無い限り歌声が小さ過ぎる証だよ。

<つづく>

2019年8月25日 (日)

音楽備忘録⑱ 基本的な歌唱の話しⅠ

近年殆どちゃんとは歌ってないので僭越乍ら、余りにも皆がMicに頼り過ぎているので苦言だか愚痴だか不鮮明だがこぼしたくなっちまったぃ。
そして必ずMicなんなら、せめてもう少しMic関連の基礎知識位は知っといていただきたいのだが…。

最初に今回生贄に相当する人しない人についてから述べるが、純粋に自己満でカラオケ等で楽しみたいだけなら無罪放免だ。
もし理想には程遠い酷い使い方をしていようと壊さなきゃ良いし、本人が満足出来てるならそれでも一向に構わない。

だがどんなに軽いお遊びの投稿作品とかだったとしても、少しでも他人に聴いて貰おうと思うなら逮捕だッ。
ってそんな法律は無いから捕まりゃせんけど、その代り聴き手の耳にも全く捕まらなくなってしまうのであるよ。
近年だと恐らく見た目・歌詞の明瞭度・声量等の都合でMicを使いたがってる様子だが、夫々に対する最善策から提示して行きましょうかね。

その1:見た目
どの動画でもMicケーブルがMixer卓にちゃんと繋がってるのが映ってるのなんてほぼ無いので、手に持って居たりスタンドに付けてるだけで実際に繋がなくたって殆ど分りゃせんて。
もしMicにコード(シールドケーブル)を繋げてないのすら「ワイアレス」も氾濫してるご時勢だから、素人相手なら「コードの要らんヤツ」のフリでもしてりゃ誤魔化せるって!?。

その2:歌詞の明瞭度
録画・録音するからには歌専用のが無くたって必ずMicはある訳だが、どっちにしても歌い手の口が収音する物へ遮る物無く真直ぐ向いてるのがひとつ。

母音が「あ」とか「お」の歯の間が開いてる時収音部から所謂「喉ちんこ」が、確実に見える様な口の角度・開き具合とするのがふたつ。
上記以外の母音で特に「い」「ん」等の時も、極力完全に歯や唇を閉じない様にするのがみっつだ。

と何だか杜撰ぽかったり在り来り過ぎる感じがするかもだが、現実は案外こんなもんなのだ。
1について反対意見をお持ちの方の内、一体どれ位確たる証拠を確認出来てるだろうか!?。
2については特に本邦では近年の環境からの影響等が大きく感じられ、遠くの人へ声で伝達する機会が甚だしく減少してるのがその根底にあると考えている。

距離が離れると声量だって要って来るがそれ以上に、子音で言葉の意味が変わる日本語ではこれの確実な伝達が重要となる。
感覚的に静かな環境であっても雑音皆無な事なんて先ず無く、通常母音より弱く小さい子音が先に影響を受け判別を困難化させるもんだ。

欧米白人系に比べ狭い環境だったのでアクセントが判別基準の英語等より元から遠くでは分り難い日本語、しかし歌だのMicだのの使い方では幾らも違いが無い様だ。
となれば元から原理的に明瞭度が低い訳で、声を出す時点から余程注意を払わんとどうにもならんのでありんす。

それが上記の経験値僅少化も災いしてそもそも何処迄自力で明瞭化出るのかを、知らないままに居る方が多いと感じられるんだす。
普段よりかなりハッキリ発音・発声しては居るんでしょうけれど、ホントはあなたの知らないその先がもっとあるので御座居ます。

多くのMic・PAは受け身でしか作用出来ませんので、歌い手が出さない音は絶対に出せません。
もしAIを搭載したとしてそれでは今度は声がサイボーグ化しますから、それなら今だとボカロで打込んだのと同じになるので生身で歌う必然性が消滅しますです。

<つづく>

2019年8月24日 (土)

音楽備忘録⑰ Mixer卓の話しⅠ:持ってる人にはお得なスマホ録音

俺個人は未だケータイ不所持なのもあってずっと見過してたが、今回スマホ所持者ならどの程度録音に使えるのかを調べてみた。
すると¥1万位から色んなインターフェイスが売られていて、そう云やスマホって中身は超小型コンピュータなのを全く今更だが思い出した次第だ。

全てはお好み次第だけれどもこうなるとスマホ所持者は、尚更低価格機能限定の録音機を他に買うのは非効率だ。
本格的な録音をしょっちゅうやるつもりならストレージ容量等の不利もあるから不向きだが、少人数でニコ動やYoutube用の動画収録をするのなら取敢えずは充分だ。

是又情けなくも宅のビデオカメラよりクソガキ君のスマホの方が断然高画質で、こっちのが古くクソガキ君のが新しいせいか記録容量ですら負けていたとは…。
勿論俺は電気屋ですから知識としては概知だったものの、実用上の具合は悲しいかな持って無いだけに未体験だ。

けれどWeb上の投稿作品を眺めれば結果の様子は一応掴めて、俺的には画質に問題は無いが音楽物としてはその音質がかなり画質に負けてるのが多いのが気になっていた。
現代は昔と違って何でも見た目から入るご時世だから画は大事だが、一度興味を持たれた後は音楽物では程度差千差万別も画より音に興味の中心が移行するのが常だからだ。

もしも画がアニメ等で逐次変化し続けるのだったら未だしも、普通に人が出て来てジャンジャカアーウー演るのだと視覚の方が飽きが来るのが早そうだからね。
美人は3日で飽きるとも言われるがそれよりも今だと何時でも気軽に何度も見られるのも影響ありそうで、どうしたってプレミア感は減っちゃうもの。

そこでもしもう少し音を良く出来るのなら本式の機材は取敢えず後回しでも間に合いそうで、ではどうすれば足りるかがテーマとなって来る。
そして俺みたいな古い奴からするとそれは機材では無く、やり方のコツを知れば解決するのだ。

その鍵はマイキングってので、先ずは中途半端にやるのが一番良くない。
本項執筆動機のクソガキ君のを今回は参考として生贄に捧げるが、この者達はPiano弾き語り+Violinと云う編成であった。

また奴等は正規のClassic教育を受けているのだから、本来なら楽器音量をその奏力に依って歌に合せるのが俺的には正解だ。
しかし現代の若者故か歌にだけMic使い、しかしそれを録音機(スマホ)へ繋げず部屋のPAで鳴らしやがった。
あのねえ録画ったって音は「録音」なんですよ、しかも記録機器に対してスピーカの向きが最悪なのにですかぃ!?。

尤も経験が浅いのだから乞うご期待ではありまするが、録音に対する極基本的知識が欠けていたが為の残念賞もので御座居ました。
もしこの者共がポピュラー系で声量皆無だったならやむを得ぬ措置だが、折角長年PA抜きで頑張って来たのに勿体無いったらありゃしない。

まあそうで無くてももしどうしても歌に専用Micを使いたいのなら、スマホやipadの内臓Micとにせよ方法は何であれMixingが必要だ。
だがビデオカメラでも一緒だがレンズとMicが分離出来ないと、声は直近のだが楽器のMicは音源から遠いままとなってしまう。

その時に恐ろしく歌が小声ならセーフだが、それ以外の場合楽器用のへも声が入ってしまったりする。
そうなると概述やれ位相がどうのとより専門知識を要する上に、その処理もとても面倒となってしまうのだ。
なのでこう云う場合は最低でも冒頭のオーディオインターフェイスを用意するのが得策で、簡単な機器なだけに操作も楽なのだ。

ばってんそれでも俺的最推奨は録音用以外はMic無しで、拘り出せばMicだって種類がどうのと面倒が増えるばかりだからだ。
機械に征服されるな人間、ってか。

<つづく>

2019年8月23日 (金)

音楽備忘録⑯ Mixer卓の話しⅠ:そもそも使うのかどうか!?

毎度乍ら出す順番が逆っぽいけど録音等で、そもそもMixer卓を使うかどうかに触れておきたい。
これは今回案件のニーズ元のクソガキ君が複数生楽器+歌って、小編成・電気電子楽器不使用なのに由来している。

近年の理想としては明瞭度確保の為Micは個別収音の方が良いが、それには前回のをさわりとした機器操作スキルの他機材の選定等も必要となって来る。
費用も嵩むがそれ以上に上手く扱えなければ効果が得られんので、そこをやる前に良く考えてみるのがお勧めだ。

今時は純然たるClassic系の以外のだと、歌と言われりゃすぐに皆「ホレMic」と思ってしまう処だ。
実際にクソガキ君の前例ではMic使用・Mixer卓不使用の組合せで録られていたが、わざとじゃ無いならこれは最悪の収録方法だ。

PAを経由すればそれだけで必ず音質劣化があるし、場所が残響ゼロじゃ無い限り響き(ルームエコー)を複雑化させてしまう。
それが歌い手には残響より歌が充分に大きく聴こえてるので
気付き難く、予備知識を持って無いと録ってからありゃと大抵はなってしまいがちなのだ。

そもそもMicを使うにしてもやはりスキルがかなり必要で、それがMicが何用のかどんな方式のかに依っても結構な違いがある。
習得には普段から常にMicを通しての歌の練習が必須だし録音と練習でMicが違っても不味いが、生楽器(爆音物除く)+歌の編成にMicは必須では無いから恐らく練習ではMicレスな事が多いだろう。

ここで肝心なのは歌用Micが無いと必ず音がボケるのかどうかで、環境にも左右されはするがその基本は歌い方に依存している処だ。
ボーカル用Micの最大の使命はハウリング回避で、それ故Micと口の距離や角度が僅かに違ってもかなり音質が変化したりする。

これを知ってるとMicがあっても無くても歌声がなるべく広範囲に分布出来てるのが望ましい訳で、歌唱自体が上手じゃないと最悪はMicを使えばボロが分り易くなるだけなのだ。
声量と楽器の音量バランスの問題は常に付き纏うが、結局は歌ってMicには頼れないのである。

これらを総合判断すれば先ず何を置いても歌唱力のアップに励むべきだが、現実的に大声が出せる場所の確保も含め決して楽では無い。
だからMicとなるのであるが慌てる乞食は貰いが少ないで、Micを使って上手に録ろうと思ったらホントはそれだって同じ位大変なのだ。

だからこそ録音技師とか音響屋が仕事として成り立つってもんで、もし歌だけMic(≒PAを通す)を止しても何とか録れそうなら断然そっちがお勧めなのだ。
全部自前で行くには生楽器奏者にはちっとも必須じゃない録音や音響の猛勉強を要すし、人に頼めば機材や場所代に加えて人件費も掛って来る。

なので才能皆無の大金持ちだったら割が悪くても物量作戦・人海戦術に打って出るのもお好み次第だが、そうじゃないなら経費が嵩むのに歌はロクに上手くは成れないってとっても損なシステムなのだ。
同じ経費をボイストレーニングに回せば幾らかでも歌唱力が増し、それは1回こっきりで終わりじゃ無く後に残るんだからさ。

これだとMicレスの分声量が要求されはするけれど、元から小声に明瞭度を求めるのが不可能な点に配慮されたい。
明瞭度は声量自体に依存するでもないが、人の口の開き具合やその角度等様々な面が「遠く」とか「全員へ向けた」のとは大抵は違う形になってしまうからだ。

かなり遠くにいる人に呼び掛けようとしてうつむいたままで居るなんてあり得んし、逆にすぐ隣の人に地味に愚痴るのに凄くハッキリした声を出したりは誰もしないでしょ。
なので余程専門的訓練でも積んだ人じゃ無い限り、声量と明瞭度や到達度は自然と比例してしまい易いのだ。

「音響も趣味だ」とか「本式な方法で録りたい」のなら止めはしないけど、特に要望が無いならもっとワンポイント収録で粘るのが歌唱力・演奏力共に向上させるのにも役立つのである。
次回は只のミュージシャンつまり楽器やスマホなんかは持ってても、防音室や録音機材は一切不所持の場合どうなるか等を綴ってく予定。

<つづく>

2019年8月22日 (木)

音楽備忘録⑮ Mixer卓の話しⅠ:入力Jackの実態とGainツマミ

今回からとある事情でクソガキに教えるニーズが生じたが、口頭だけでは忘れられるだろうし個人宛だけに綴るのも億劫ってんでこうする事にした。
また普通の説明書的なものならそれ自体を読めば済むので、書いて無いけど知らんと不便なのをなるべく取上げてくつもりだ。

普通なら信号経路の概略としてチャート図等から行くべきだがそれは取説に載ってるのもあるので、最初は入力Jackの実態辺りから始めよう。
その1は間違えて挿し込めちゃうヤツで、MicシールドからのPlugがPhoneタイプ(標準プラグ)の場合等。

昔は一般用のだとCannon ConectorなんてMicにも卓(ミキサー)にも付いて無かったが、最近は音楽用のとなるとPhoneの方が珍しくなった。
が完全に無くなっては居ない様でそうすると、現行卓ではLineレベル専用のPhone Jackに挿さってしまう。

他に電気楽器でもシンセみたいに出力がLineレベルになってればバッチリだが、PreampレスのエレキGuitar・BassのシールドでもPlugは全く同じのだから挿さっちまう。
が、それだと信号レベルのミスマッチ等で必要な音量迄上げられなかったり雑音がとても増えてしまう。

しかも近年は知ってる人には草臥れて知らん人にはより分り難くなったのが、CannonとPhoneの兼用Jackだ。
1つで両方扱えるのは場所を取らなくて良いけれど、Plugの抜き差しがかなり固いのが多い。

もし親切設計でどっちのPlugを挿してもMicとLineの感度切替が可能なら平気だが、誤った接続をしててもそれがとても視認し辛くなってしまった。
因みにPlug・Jackは抜挿しの固い方が接触不良が起こり難そうに思えるが必ずしもそうでも無く、固くて助かるのは間違ってケーブルが引っ張れても抜け難いのだけだ。

信号レベルミスマッチも含めその2のGainツマミへ入るが、そもそも卓にはFader(直線的に動かせるボリウム) って音量調節ツマミがあるのに何で2重装備されてるかだ。
これの意義は現代では「歪ませる心配無く音量調節が出来る」事で、完全では無いものの有無で結構な違いが出て来る。

理屈的にはGain(時々Trimとも表記・呼称)ツマミは入力感度最適化用で、Faderが音量調節用だ。
なのでどっちのツマミでも音量を変えられはするが決定的な違いがあって、Faderなら音量ゼロに出来るがGainではそれが出来ない。

この分業制度はその昔なら雑音低減にも大いに効力があったがデジタルではそれよりも、例えばソロの時に大きくして元へまた戻す場合を想像しとくれ。
音量ツマミが1つだけでも出来るけれどその場合一定値より大きくすると歪み始めるが、他の沢山のと一緒に聴いてると僅かなオーバーで僅かに歪み出しても感知し難い。

だが単独で目一杯弾いて貰って歪まない処へGAINを設定しとけば、その時Faderをフルアップにしといたなら後で歪む心配を無くせるのだ。
またこれにはもう1つ意味があって、Mixingのやり方を示唆してくれる。

もしソロパートのFaderをフルアップにしても音量不足だったらどうするか?、でも上記設定済みだったらそれ以上大きくしたらもう歪んじゃうから出来ないよね。
すると他のをバランスが取れる処迄下げる事となるが、それこそが正にMixingなのである。

この手の音処理作業では人は増やすとか加える方だけに意識が向きがちだが、機械には明確な限界があるからインフレ一辺倒なんて不可能なのだ。
必要次第で抑えるとか控えるって意識も大切で、実際の作業では盛るのと削ぐのの両方への意識が同等なのが一番好結果が得られるのだ。

因みに近年のPC USB接続オーディオインターフェイスだと、本体にはMic入力にGainツマミしか付いて無いのもあると思う。
これFaderはPC内のソフト(アプリ)に付いてるからで、ツマミの場所が実機Mixer卓とは分離しちゃってるが内容には違いは無いですから。

<つづく>

2019年8月21日 (水)

音楽備忘録⑭ Funkってどうすりゃ演れる

音楽の多くには感情表現が含まれてたりするもんだが、個人的にはFunkは自然とつい浮かれた場合のひとつの表現と思っている。
それも隠し切れぬ喜びが漏れるみたいな感じでいて他人へ特に強要するでもなく 、もし参加したければご自由にってな感じだ。

喜び表現でもBeethovenの第9なんかは世界にアピールしまくりパターンで、こう云うのだったら多少不自然でも強引な勧誘をしようとも極力大袈裟な方が適してそうだ。
何が何でも全員に分かって欲しいってんだから例え迷惑になっても、分かった分かったハイハイあんたはそんなに嬉しかったのねと思って貰う必要があるからね。

だが「隠し切れず漏れ…」となると実際には盛り上がるにしても、形態的には通常運転じゃないと駄目だ。
これは技術・手法的に極端なのは使えぬのを意味してて、その気持ちの再現ってか奏者にとっては演り難さのある方だと考えられる。

但し形に関してはJazzに迫る程Funkは自由で、例えばアンサンブルに於ける各パートのタイミングで見て行こう。
上出第9等では荘厳さを損ねてはいけないから、大きい楽器や音程の低いのが先に鳴ってしまうと安っぽくなってアカン。
一面でRock系ならZEPなんかが近い処があり恐らく意図的にそうしてるんだろうけど、「ZepでのJimmy Page」は何時も突っ込み気味で浮足立った感じだ。

だがそんなZepですらアクセント部分では普段より太鼓が後出しにはなって無く、先頭のGuitarは割と不変でもそれ以外のは順番が固定ではない様だ。
それがFunkでは重くても軽くても場所に依って変化してもOKなんだから、何時誰が先頭になってもビリになっても構わない。

差し詰めはしゃぐのが力士でもマラソンランナーでも、Funkyでありさえするなら何でもアリOKなのよ。
依って科学的分析をして再現させるのも特定の1つのだけなら不可能じゃ無いかもだが、無限のData量を克服する覚悟でもあるならお好きにどうぞとなる。

また各自に好みや目標とする音があるだろうし追及して損は無いけど、かなり近付けてももしFunkyさが劣っていたりしたらそれは本案件では不合格だ。
寧ろ目指したのと全然違っちゃってもそれよりFunkyになってたら大成功で、更に他の誰とも似て無かったらもう神の思し召しレベルである。
少なくとも運良くブームに当たれば大儲け間違い無しってなもんで、例え不幸にも儲からなくても一生モノの財産だ。

最近じゃ真昼間でも近所の幼稚園児の遊ぶのがウルサイなんてとんでもない年寄りも居るご時勢だから、大きな声で歌う機会が何人にも著しく少なくなっている。
なので昔より分かり辛くなってると思うが、人の声ってかなり似てる人が居ても完全に一致する事は無いよね。

これ楽器でも同じでどんなに似せても演る人が違えば、「本当にそのまんまを演った」なら却って同じ音にはならないの。
けれど「聴いた感じ」を同等にするのなら幾らでも可能で、「感じ」であるから極端な場合フレーズが全く違っていてもバレ無かったなんて酷い話も…。

手前味噌ると俺がそのタイプの典型だったみたいで応用性に富むのは良かったが、後になって過去にやったコピーがまるっ切り紛い物だったのが判明なんて悲喜劇に。
例えばGuitarソロだとすると独りで弾いてる分には結構だったが、キチンとコピー出来てる人がハモりパートを弾いてくれたらとんでもない前衛作品化しちまったなんてのが。😓

もしやこんな所謂お約束が少ないからFunkが割と得意なんて勝手に誤認してるのかもだが、兎に角譜面での記録が難しい物程感性頼みで演った方が良い。
し他にどうしろってのよ???。

<一旦本項漸く終了>

2019年8月20日 (火)

音楽備忘録⑬ Funkってどうすりゃ演れる

前回の「奏者観点で恰好付けてばかり居るな」はFunkだけでは無いが、やはりジャンル次第でご法度度にはかなりの差があると思われる。
例えばヴィジュアルMetal系等では全体の景色的美しさが大事だから、姿だって崩れては不味い。

Funkだって恰好は決して不要じゃないが、少なくともどんなのが一番恰好良いのかの価値観が違ってると言え様。
一部のを除くと黒人発祥系のに共通してるのは、静止してる時のじゃなく動いてる時の美しさを追及してるとも看做せる。

音の話しなのに容姿ってのも繋がりがあるからで、シワの無い衣装でミストーンだらけだったら見掛け倒しの典型になるからね。
これの逆に個性的な民族衣装を纏って居乍ら幾ら正確無比でも、没個性で冷徹な音を奏でるのもミスマッチだ。

尤も本案件に関してはそれより更に踏み込んだ部分が問題で、恰好っても服装では無く演奏時の様子と考えて頂こう。
一面で白人的美徳を奏でる姿の美しさ重視とすれば黒人系はその反対と言え、白は姿を黒は音の方を最優先とした風潮が感じられる。

Michael Jackson以降は必ずしもそうでは無くなったが、非常に微妙な面も想定されるが全盛期のFrank Sinatra(飽く迄イメージですが)みたいにスカしたFunkの人ってのは思い当たらない。

誤解回避をしとくと白人だって音を軽視してなんかいないけれど、LiveではShowとしての要素を重視してるのはBroadwayからの流れもあるんだろうか。
その証拠ってのもなんだが演奏や音質の総体的な出来栄えとしては、Studio録音のが上回ってる場合が多かったと感じられる。

それが黒人系では特に昔のになる程Live録音の方が出来が良く、これには主に2つその原因が想定される。
1つ目は録音環境の悪さであるがこれはLive時の方がマシとは言い切れんので微妙で、2つ目のノリの良さとか盛り上がりの都合が考えられる。

特にFunkみたいにお祭り音楽は人数が多い程盛り上がりも大きくなる訳で、幾ら奏者本人達だけがその気になっても「大勢の楽し気な笑顔」にはとても敵わんぜよ。
これからすると客が喜んでくれる程奏者ももっとFunkyになれる寸法で、他ジャンルにも無くは無いがその度合いが一番顕著なのは間違いの無い処であろう。

こんな話を持出したのも全くの私感だが最近の連中ったら昔のより皆恰好良いのに、どうもヴィジュアルに音が付いて来てない様に感じられたからだ。
この辺は音楽を聴くのにラジオからでは無くいきなり動画から入るのもありそうだが、聴者は見てくれ最優先なら今だってミュージシャンよりももっと綺麗なアイドルやスターに目を向けるだろう。

それでどうしろってば「音の魔力で恰好良く見える様にしちまいやがれ」で、時代遅れも甚だしい坊主頭の兄ちゃんだって甲子園のヒーローだと途端に恰好良く見えるのが参考例だ。
なので何人にも容姿を放棄しろとは言わぬが外からだけ攻めても中身の向上は難しい、かなりの練度を要しはするが内から攻めれば外にも波及があるのは確かなのだ。

Funkってのは曖昧の権化みたいな処があるから「一寸の差」が大問題で、それがどんな原因だろうと案外成立させる条件がシビアだ。
けれどももし気持ちをドンピシャに持ってけたら、驚く程急に簡単で楽しいもんなんで御座居やす。

<つづく>

2019年8月19日 (月)

音楽備忘録⑫ Funkってどうすりゃ演れるⅫ

そもそも今更Funkりたい人がどんだけ居るのか分からんが、耳に触れる機会が減ってるだけに何とも言えないと思う。
打込み若しくはClickに縛られた演奏の比率が上がってしまった今こそ、若い人に程是非体験して貰いたいもんだ。
その上で嫌っても全然OK、それでもその手の類のは色々と肥やしになる筈だから。

例えば近年では伴奏と少しリズムがズレた歌唱は、一部の民謡・演歌系等でしかお耳に掛れなくなったと感じている。
が聴いて気に入って口ずさむのに打込み程の正確さが要るのかってば、別にそこ迄は要らんのですよ。
極論すれば常人が簡単に理解出来る状態さえ確保出来てれば、寧ろ恰好悪くたって変だって面白い方が印象には残るでしょうよ。

これって俺的には1に過度な商業主義の大手レーベル、2に奏者の無理なナルシズムが原因ではと訝っている。
特に音楽への理解が足りない人が無理するとそうなり、内容で攻めらんないからその分を体裁で補おうとしちゃったかな。

1については内容の可否が分からずに立派な作品を意識すれば、リズムや音程にズレが無いとか歌詞に間違いが無いとか「その程度」の処で小奇麗にするしかないからのう。
或はオーディオで名門のあの会社のがこんなに低音質かよなんて思われちゃ敵わんから、兎に角雑音や「そう思われる可能性のある音」は一切排除しとこうなんてね。

しかし音質は良いに越した事ぁないが音色が及第点に到達して無いのなら、オーディオ的にグッドでも音楽的にアウトなんすがねぇ。
しかもなまじ音質が良いお陰で余計に音色の貧相なのがハッキリ分かっちまうって、何で何時までも気付けないんだか…。

因みにあれですよクドイがオーディオ的高音質と音楽的好音色は不一致の場合も多く、強弱(音量)や絶妙なタイミングのせいでこの違いが出て来んのよ。
故に全く同一の音色でも機械と人の生のでは差が出る訳で、理屈だけの追及では音楽は手に負えませぬ。

2については俺だって少しでも恰好はつけたいしまあ人情ってもんざんしょが、SNSの盛り過ぎ画像と同じで度を越せば後で悲劇が待ってるだけで御座居ます。
これ皆さんはどれ位お気付きか存じませぬが、盛り過ぎ画像だって静止画だからあそこまでやれるし少しは誤魔化せるのでありんす。

そうなんですよ音楽には残念乍ら静止画に匹敵するのが無くて、視覚のでだと動画のしか無いんですわ。
つまり顔真似の瞬間芸みたいなのが出来なくて、時間的にある程度継続させんと中々分かっては貰えんのよ。

静止画であれば一番表現したい瞬間のみを記録出来るし、見る側がその見る時間等を自由選択出来るので理想状態を連続させるのはいとも簡単だ。
だが普通は「止めたら聴こえなくなる」音楽等では最低でもベターな状況を連続させねばならず、依って大幅な改変は困難なのだ。

これを極論すればどうしようもない物を無理に整えれば、もし欠点はある程度殺せても魅力の全く無い物となるのである。
結果欠点の少なさでは打込みに負け、魅力が無いから手弾きした価値すらも損ねてしまうだけなのである。

これが特にFunkみたいに感性・手加減頼みのものとなると影響最大で、変換すると奏者を恰好良く見せるのかお客さんを楽しませるのかの究極の選択とも看做せる。
勿論格好は悪いより良い方がお客にだって貢献するが、誤った縛りのせいで和ませ損ねたら始まらないのだ。

まとめるとこの手の味が命みたいなのになる程、上記の優先順位の尊守が鍵を握ってるんじゃないだろうか。
もしかしたら昔は恐ろしい達人の生演奏に触れる機会が多かったので、今よりも踏ん切りが付け易かったのかも知れんが。

<つづく>

2019年8月18日 (日)

音楽備忘録⑪ Funkってどうすりゃ演れるのⅪ

跳ねなきゃFunkyじゃないかってばそうとは限らんのだが、要所で適度に跳ねさせるのが一番効果的だと俺は感じている。
フレージングの影響だって大きいし大事だけれど、真のFunkyは何物にも左右されない自由さが根幹にあるとも考えられるからだ。

これ演ってる側の意識には少なくとも俺は、跳ねさせようなんて一々思っていない。
単にもっと調子良く囃し立ててやろうなんて気持ちなだけで、それを後で分析してみたら多くは故意に少し跳ねさせていたってな按配だ。

こう云うのはある意味ひとつの自然現象で、生身の肉体を駆使して演奏してると発生するもの。
そこで過去体験の中からBandアンサンブルでの練習のひとコマを披露すると、唯の8Beatの全パートユニゾンで次の様な実験をした事があった。

フレーズと
テンポは固定しといて最初は目一杯軽くとか重く、果ては生真面目or超いい加減とかの感じを極力出してみようってなもんだった。
工夫を凝らさんと効果の程は定かじゃないが、誰でも少しは演ろうと思えばそんな真似が出来るのだけは確かなのだ。

その狙いはポピュラー系歌物グループの特に歌の伴奏時、余計な物を加えられないのでベーシックだけで表現しなきゃなんないからだ。
上記のを厳密に分析すると表情変化の主因がリズムタイミング以外の方が大きい場合だってままみられるが、この手のになると打込みで再現するのはとてつもない膨大な作業量になるだろう。

本項Ⅶで演り始め時期に打込み音楽が既に普及してたかどうかを問題視したのもこの辺で、頑張れば同じ楽器・同じフレーズ等でもかなり音は変えられるもんなのの認識に影響しそうだからだ。
人力の生演奏だと常に音が変わって当り前、困る時もある代わりだったらせめてそれを活用してやろう等と思えるかどうかなのである。

では機械比だと融通・応用は効いても著しく不安定な人力なのに、下手に安定を求め過ぎるとどうなるか。
訓練次第でかなり安定度を上げられるっても、肉体の構造自体を変えるなんてのは無理だ。
すると体で出来ない分恐らく頭の中を不要に「固める」事となり、発想や思考の時点で「変えられない回路」が構築されてしまいそうだ。

本項Ⅷの楽器のセッティング案件も同じで、演り始めにどうにも上手く出来ないなんて時は演り易い環境が必要だ。
それが将来的な各自の理想とは掛離れてても先ずそこからスタートしないと、上手く行かぬ主因が人なのか道具なのか等がサッパリ分からなくなったりするからねぇ。

これ等の発想時点からの相違をFunkじゃないけど例示するとして、今日はBeatles-Helter SkelterのGuitarにスポットを当てよう。
ヘビーにするのを最優先した点でMetal系の元祖と思しき曲だが、そのヘビーさの表現手段は近年のよりかなり多岐に渡っていた。

Guitarの歪み具合だけなら近年のに完敗だが、それとは違う部分で無茶な弾き方をしてるのが否応なしに分かる音とされていた。
それは弾く時に弦を無暗に引っ張ってからはじいてる事で、それに依って音の鳴り始めの音程が本来のより上ずってしまっている処だ。

普段エレキしか弾かない現代人は大抵は音量や歪みの増加だけで対処しようとするだろうが、アコギ等生楽器だと最大音量を何倍にもなんてのは不可能だ。
だがアコギ体験が一定以上あると音量がもう上がらなくなっても強く弾いたりすると、上出の俺言い「ピッキングチョーキング」現象が起こるのを知ってる者も居そうだ。

良し悪しや好みは別として昔は今みたいに1ヵ所を極端にするなんて無理だったから、今よりもあの手この手とあらゆる方法を駆使して賄っていたのである。
今だってこんなの知りさえすれば即使える技なんだが、先ずは気付けなけりゃ知るのも難しいからね。

<続>

2019年8月17日 (土)

音楽備忘録⑩ Funkってどうすりゃ演れるのⅩ

前回はそもそも普段から「ちゃんと跳ねられてるか」の問題提起をしたつもりだが、最初はこれの誤認し易いケースを例示しよう。
その1はシャッフルのジャァーカ・ジャァーカとジャッカ・ジャッカで御座居。

ジャッカと演らずジャァーカはそれより粘っこいのを狙ってるんだから、それだったら少し位跳ね損ねても平気そうに思えるだろう。
だがもしジャァーカ…の伴奏にタッタターなんてメロが乗るとどうなるかで、メロも極力だるそうに弾くとしても基本3拍子なので跳ね具合は幾らも減らせない。

伴奏はずっと1拍3拍しか鳴らさなくても、メロは2拍目だけ鳴らす様な場合も考えられるからねぇ。
これからすると跳ね自体をあまり劣化させるのは得策じゃ無く、跳ねてるのを目立ち難くするのが無難と考えられる。
しかし原因が何だろうと聴いた感じが似てると一々普段は誰も気にせんから、自分がどの程度ちゃんと跳ねられてるかを案外分かって無いままで居たりするもんなのだ。

因みに余韻の短い楽器ではジャァーカとジャッカの違いが殆ど出せなかったりもするが、曲の伴奏フレーズがいたずらに楽器の都合に左右されるのは感心しない。
例えば太鼓でClosed Hi-Hatの閉じ具合をわざと緩めたりした時に、他パートと音の伸びが逆になったりし兼ねんからねぇ。

次2(に)Guitarカッティングをしてる姿を想像して貰うとして、4拍子系はジャカジャカの腕(若しくは手首)の振りは上下等速だ。
それがシャッフルだとダウンから弾き始めた場合、アップの時だけ高速化しているだろう。

せめて逆順なら引力は何時も「下向き」だからまだマシだが、1拍目しか弾かない場合等も考えるとダウンスタートの方が演り易い。
その結果慣れて来るとダウン時はほぼ脱力のみでアップ時だけ急いで力を入れる様な感じになって来るが、それでも慣性と引力の両方と喧嘩するんだから最初からそれなりに労力を要すだろう。

これが人差し指と中指で弾く(ここでは主にBassを想定)のであれば、太鼓の両手Hi-Hatに近似なので出来栄えは兎も角労力は本来は少なくなる。
対して鍵盤系でコード弾きとなると達人だとダブルストロークを使うかも知れんが、多分一番労力も要して只刻むだけでも中々大変だ。

それで左手と右手に分割してブンガブンガなんて演るので良く代用されてたりもするが、実は疲れて面倒な弾き方に慣れてる人程跳ねさせるのが上手になってる場合が多いのだ。
っつうかそれ位大変でも最初から頑張ってないと足りるだけ跳ねさせらんない訳で、嫌が応にも自然と注意力が働いている事だろう。

太鼓や指弾きBassだって楽と迄は言えぬが、他の絶対にシングルストロークしか使えない楽器よりはかなり負担が少ない。
因みにⅡで是迄に登場させた4種の楽器をどれも扱った経験からすると、太鼓が一番この盲点ってか落し穴に嵌り易かった。

俺の中では太鼓が一番歴が浅いのもあるとは思うが、Hi-Hat若しくはRideのチッキだけに注意を払ってられんのもあるかも知んない。
それ以外の全てでも太鼓は僅かでも気が緩むとそれが現われ易いものの様で、実は肉体より精神エネルギーを膨大に要求される感じを受けている。

尤も他楽器でも目一杯の歯切れやノリの良さを追及してる時は、殆ど全精力をそこへ注ぎ込んでいたみたいだ。
もし精神異常等が無かったらとても悲しくて凹んでたら元気一杯の音にならないのは当たり前だから、少々厳しくても気持ちのままの音が出てくれてた方が正常だしちゃんと表現力も持ててる訳だ。

単に4拍子かシャッフル系かだけだったらテキトーに演ってもどうにか手に負えるが、跳ね難いのを跳ねさせるだとか標準以上のが欲しいとなると理屈や技術だけでは不充分な場合がとても多い。
変なアドバイスだがとても浮かれてる様な時に、先ず試してそれを記録しといてみては如何だろうか。
誰だって凹んでる時のよりは、きっともっと跳ねてると思うんだけどな。

<つづく>

2019年8月16日 (金)

音楽備忘録⑨ Funkってどうすりゃ演れるのⅨ

これだけ耳タコに唱えたので読者の皆さんの心の準備は整ったと仮定して、俺的に山場と思われそうな処を記して行こう。
やはり決め手は「跳ね加減」だと考えているが、自由に加減するには跳ねさせるの自体がある程度上手くなれないと思うに任せない。

これには勿論技術的な問題も含まれちゃいるが、それ以前に精神力とでも言うか「意志の持続」が結構難物と感じている。
速いシャッフル等でもしばしば遭遇するのであるが、僅かな気の緩みでたちまち跳ね足りなくなったりしちまうもんなのだ。

猛特訓でもすれば改善は見込めるけれどスウィング度の件と同様最適値は変動するので、実際に演奏してる最中に微調整が常に必定と感じられる。
そしてその度合いが限界速シャッフル等と殆ど同じ位で、これには以下の理由が想定される。

1.跳ねなくても演れてしまうものを跳ねさせ様とするから
2.カウントを常に全部を跳ねたものには出来ないから
3.加減出来る余地がとても狭いから

では順に内容詳説へ進めるが1と2には相関関係もあるが、スウィングみたいに必ず決まった拍で跳ねるとは限らないのが挙げられる。
スウィングのチィンチッキならキのタイミングは基本的に、曲やテンポ毎にほぼ一定で途中で変わる事は殆ど無い。

故に脳内カウントをそうセットしといて、それに基づいてせいぜい微調節を加えればもうバッチリだ。
だがFunkでは4Beatじゃ無く多くは「8」や「非3拍子系」のニュアンスを上回らせたいので、カウント自体は普通の8Beatであるのが望ましいしその必要性だって大いにあるのだ。

これでは「あしたのジョー」のノーガード戦法みたいな状態であるから極めて危険で、わざわざ必要時のみカウントとは違うタイミングで鳴らせってな最早拷問並なのである。
演奏はその多くが奏者の肉体的には往復運動となっているからリズムも普通なら表裏一体で、その為にカウントは大きな効力を発揮してるのだ。

ずっと同じ刻みならその丁度真ん中が裏となり、それが息を吸ったりバチを振り上げたりするタイミングとなる。
特に連続させる時はテンポと腕等の往復を一度上手く一致させてしまえば、ヨレ無い限りはズレる心配をほぼ無くせる。
無意識にそれをこなしてる事の方が多そうだが、それがFunkではある意味使えなくなるのだから一大事なのだ。

3については3拍子系でもテンポが速いと片手では3つ全部の音を鳴らせなくなったりするが、それでは2つで構わなきゃ余裕は大きく拡大するのかが問題点だ。
両手でやって良いなら左右を1拍だけズラすと片方につき休みが常に2拍入るから随分楽になるが、片手だと休みの入らない部分が出て来るよね。

無論限界速は数が減る程上りはするが上述の様な状況となるので、連続させる部分の精度が余程意識しないとどんどん落ちてしまうもんだ。
なのでタタタを無理無くこなせるテンポならこの問題は生じないが、それ以上の場合は本人に自覚が無くても大抵跳ね具合が劣化しているもんなのだ。

それが3拍子系なら他パートもある程度刻んでるだろうからまだ助けられるし、幾ら跳ね具合が悪くても拍子自体が違ってしまう恐れは無い。
つまり論理的思考だけに絞るとFunkは技術的にはかなり高難度と云え、それだけに数値的思考に基づいてやろうとするのは苦しいし向いていないのである。

例えば0.007%なんてのは桁数も多いから複雑化するが、感性を主軸にすれば何%だろうと「気持ち○○」とかもうちょい○○で済んでしまう。
只でさえそれなりのテクが要るんだから加減を「計る」の位は、つまりせめて頭だけでもなるべく単純化しておきたいとそう云う按配で御座候。

<続>

2019年8月15日 (木)

音楽備忘録⑧ Funkってどうすりゃ演れるのⅧ

今回はFunk以外にも大いに影響する「リズムの捉え方」についてで、近年は基本的に何でもピッタリ合わせるのが常識みたいになってるが…。
ポピュラー系では聴者の慣れも意識してかかなり一致一辺倒だが、民謡系や古典大編成オケなんかじゃ今だって結構鷹揚でも許されてるがどうなのよっと


今回案件は俺的には例え全く打込まぬ人でも打込みからの悪影響に流されちゃった感があるが、確かに露骨にズレてるよりゃピッタリしてる方が整った感じを受けるのは分かる。
けれどもそりゃどっちかってば「分析耳」的判断をした場合の話しで、単純に音楽とか曲を聴こうとしたらやってる事が分かる範囲でならズレの有無等大した問題でも無いのでは。

僅かでもズレるとヤバそうなのの筆頭ってば軍楽隊辺りが思い浮かぶが、それだって行進の足並みを乱さないなら上官に殴られはしなさそうである。
無論「合ったら駄目」とは言わぬが、さりとて常に何でも機械のみたいに一致してる必要性があるとは思えんのよ。

またリズムのみならず音程の正確性でも同様で、今でもClassic Guitarには普通はオクターヴ調整機能は非搭載のままじゃんか。
実用上取り立てて差し支え無いのもあるんだろうけど、それよりも微妙に音程に依ってズレ方が違うのがその楽器の特徴ってのの方が大きいと考えられる。

Acoustic Guitarでも金属弦のには一部で少し配慮されたのもあるが、何時まで経ってもちっとも主流にはならぬままである。
これ等は物理理論的にだと旧時代的でしかないが、音楽理論的には迂闊に排除・修正するとどえらい問題となり得る。

奏者の訓練段階で正確性を求めるのは自然だが、特例以外でまさか機械の音を目指しては居るまいね。
そっちの路線にもそっち用のスキルがあり対称的な部分が多いので、だったら今時楽器なんか弄ってる場合じゃない。

尤もより動物的にするにしろ機械的にするにしろ表現力が必要で、味方と敵の両方をある程度以上知っとかなきゃどっちだって不完全になる。
自分では機械っぽいと勝手に思い込んでても、皆の同意が得られねば下手すりゃ逆行させてんだからさ。

何気に精神論・観念論的に寄ってると思われそうだが、一旦無用な縛りを解かないと核心には到達出来ない。
そこで別視点から考察願いたいのが時代性で望んで無かった加齢を痛感させられるのは辛いが、Funkなんてもう50年も昔の古いものなのが厳然たる事実なのだ。

例えば物理量の基準変遷等にそれが現われてるが、本日の生贄はエンジン等の「馬力」でありんす。
俺が無垢な子供の頃はPS基準・生意気になり出した頃はPH基準、近年は電動物が増えたからか電気モータでも無いのにkWが基準と変化した。
これを意地悪解釈すると同一のパワーが、上記の順で段々小さい数値となっている。

これが又昔からkWがデフォだった電車なんかのモータだと逆行してて、昔の表記の方が様々な点から随分と控え目であった。
例えば昔は今以上に消費電流の増加に依って電源電圧の降下が著しかったので、その分を差し引いた値とされていた。
なので大昔の電車を今走らせると古くなってヨレた筈なのに、昔より妙に走りが元気になったりした様に勘違いし易い。

この様に背景ってか環境差等にも充分な配慮が必要で、全くの現代感覚のままで処理するとそれだけでもう再現性を悪くしてしまう。
しかしもし妙にFunkに心奪われるってんならそれって侍に憧れるのなんかと似た様なもんで、どうでも良い場面で拙者とかカタジケナイとかほざいて「なったつもり」から入れば良いのだ。

尤も受け身で良いなら本邦には得意な人の多そうな「形から入る」で構わんが、楽器を実際演奏したいとなると流石に外見の格好だけでは苦しい。
そこで上記例に従えば歩く時今の普通は手足の左右は互い違いに動かすが、侍は右手右足・左手左足を一緒に動かすなんてのがヒントとなる。

これは演奏のフォームなんかだって含まれるが、先ず第一に配慮して頂きたいのが楽器のセッティングだ。
一度マスター出来て慣れてしまえば殆ど影響は無くなるが本項ⅥでBassで触れた如く、あまりにもやり辛い状況ではまともな練習にすら中々入れないだろうから。

<つづく>

2019年8月14日 (水)

音楽備忘録⑦ Funkってどうすりゃ演れるのⅦ

ここ迄の俺の視点だと現代には少々感覚的に過ぎると思われるだろうが、しつこく感覚優先を唱えるのにはとても合理的な理屈があるからなのだ。
感性と理論はどっちかだけで成立しなくて常に両方あるんだが、状況や目的に応じて適した比率があると思うのだ。

以前スウィングもある程度数値化可能と書いたが別に俺が独力でやった訳じゃ無く、単に買ったドラムマシンにそう云うパラメータが用意されてたのが発端だ。
近年のとかPCでならビット数単位で微調節可能となってるが、件のは3%刻みって代物だった。

それでもあると無いとじゃ大違いで、それより以前のリズムボックスでは全くJazzっぽい刻ませ方が出来なかったんだから効果は認められた。
だが厄介だったのはテンポを大きく変えると同一スウィング率では駄目で、刻みが3%なのも
災いしてちっとも万能とは行かなかった。

その後従兄の処で教わったりプチ研究したりしてみればそんなの至極当然だったんだが、数量的に調節するにしても結局は耳で判断するしかないのに変わりは無かった。
この辺りが本日の要点なんであるが、打込むにしてもその人間の方が結局「分かって」無いと仕方無い処がミソなのだ。

これに関して俺が気になるのが打楽器を始める前から打込みが普及してたかどうかで、それ次第でリズムの基本的な捉え方に相違がある可能性が考えられる。
元の質問者は我々より大体20才位は若いので、感覚すら何となく数値変換して記憶してるのではって疑念が湧いた。

昭和の昔にだって博士チックとかアカデミックなのが一々好きな奴も居たが、普通Band内でテンポを示唆するには誰それの○曲より気持ち速い位とかそんな言い方じゃないと通じなかった。
最近では俺等も誰かさんの要望でClick使用・打込み併用だから♩=123でとかになってるが、少なくとも俺自身は未だに数値指定出来るメトロノームは不所持である。(スマホも無いので大😓…)

なので帰宅すればドラムマシンでもPCででも正確なテンポは把握出来るが、出先で個人ではその手の物差しは無い。
だが「幾つが曲に最適か」の判断が付いてからじゃないと、数値化しても全く無意味なのである。

感覚を磨くのにメトロノームはとても有意義で、誰それさんの場合興奮すると凡そ♩=5とか速まるなんてのは知っとくべきであろう。
しかし順番を間違えたらいかんぜよで、上記のも人が刻んだのを計測してるだけなんだよねぇ。

んで又ベーシックなのだと只打込んだだけじゃ4拍子系は跳ねたりうねったりはしないから、幾らそんなの聴いて練習したって跳ね・うねらせ系だと絶対ゴールになんか到達せんのじゃ。
加えて近年本邦の俺言い「無駄なハイテンポ」にも触れとくが、体験からはこれを含め過去に2度程そう云う時期があったのが思い起こされる。

1回目は’60代アメリカンPopsやロカビリー系の全盛時で、2回目がJ-POP台頭から今日辺りだ。
前者はJazzやCountryを極度に単純化したのが恐らく原因で、例えばRideからレガートを排除すると只の4つ打ちとなって隙間だらけになるからよ。

後者の場合もフレージングバリエーションが極端に狭く少なく、やはり隙間がとても生じ易くなっている。
本日の暴言1と先に予防線を張っちまうが、ローテクでアホでもシャカリキに速くすりゃ何とか間延びは誤魔化せるとな。
暴言2としてそれ故近年J-POPの全てに違和感を全く感じられぬのなら、どうせ無理だからもうFunkなんて諦めちまえってね。

飽く迄誇張した暴論ですので真に受けて落ち込む必要は御座居ませんが、それ位意識とか方向性が反対向きなのにお気付き頂きたいのでありんす。
万一Funkには適正に恵まれて無くても他にも面白いのが一杯あるし、どんなのが好きでも全然OKね。
けれどどうしてもFunkりたいってんなら、それにマイナスな感覚からは一旦離れないと厳しそうですぜ。

<続々>

2019年8月13日 (火)

音楽備忘録⑥ Funkってどうすりゃ演れるのⅥ

所謂Funkとは少し違うIsley Brothersも引き合いに出したが、変な誤解を与えてもいけないのでもう少し加えさせとくれ。
その訳をこれから暫し記すが他のと比べて一番ドラムに依存せずにうねっているからで、その原因の俺分析ではどうやらBassのノリが鍵を握っている様だった。

これを演ってるMarvin Isleyも時間の経過に沿って段々スラップを多用する様になってたが、スラップを不使用でもFunky度に何の差も無かった処が注目点だ。
イメージ的に近年だとFunk≒スラップな気配を感じるが、Funkの全盛期のBassには思いの外スラップは少なかった。

ちょっと意地悪になるやも知れんが非スラップでFunkyにするには、ある意味非スラップを感じさせぬ様なフレージングとタイミングが要る分高度とも考えられる。
それとそんなのを演ったFunkyな連中は余計な拘りとかが無かったからか、スラップも上手い癖に指弾きはおろか平然とピック弾きすら持ち出す始末であった。

かなりマイナーでコアヲタな例になって済まんがInstant Funkってグループのデビューアルバム、Get Down with the Philly Jump(’76)の1曲目が中々に凄い。
これIt Ain’t Reggae(But It’s Funky)ってのだが、オートワウの効果を最大限に引出す為かピック弾きになってるのだ。

俺みたいに古いのを聴き慣れていてもこいつ等以外でFunk Bassのピック弾きはAverage White Band位しか思い浮かばんが、内容充分ももしやサムピングが苦手なのかと一瞬過った。
何せ10曲中9曲目迄典型的なスラッピングが出て来なかったからなんだが、最後の最後に至って高速サムピングが炸裂し寧ろ一番得意だったのねとなった。

当時は他のでも今より曲中全部をスラップで通す方が少なかったが、その辺も含めてスラップに頼り過ぎる危険みたいなのを感じている。
スラップは効果を最大化しようとすると自然と跳ね気味になる事も多いが、それは必ずしも曲のリズムの完全把握とかノリに完全に嵌れてたから跳ねたとは言い難いのだ。

また全く個人的な掟!?だが俺はピックも指もスラップも何時も使いたいから、極度に奏法に特化した様な弾き方やセッティングは敢えて避けている。
高速スラップは軽く小さく弾かないと苦しいがその為に細い弦を低く張ったりしてると、今度は指やピックで太く重い音が出せなくなってしまったりする。

曲単位での変更なら楽器を持ち替えたりする手はあるが、それでは1曲の中で自由に適した奏法を選択するのが無理となってしまう。
現実的には普通のピックでは一旦意図的でも落してしまうと、休符が無ければ即持ち直したりは出来ない。
なのでどう頑張った処で完全に制約を無くせはしないが、曲事情では無く奏法都合でAmpの設定を毎回変えるの等は配慮さえしとけば回避出来るのだ。

この様に何時でも何処でも使える様にするには悪い意味での最適化が為されてては不都合で、それはリズムのタイミング等の件でも同様だ。
今回案件では編成・奏法に頼り過ぎていたら危険かもって事で、初期のChuck Berryみたいにバックが全員JazzでもしっかりRock出来ればもう無敵だ。

そして奏者がそう云う状態になれた時、何時でも何処でも必要とあらば必要なだけ跳ねさせられる様になれると思うのだ。
取組み始めは分かり易いのからの方が断然良いが、本質をマスターするには「見付け難いが跳ねてたじゃん」みたいなのが最高のお手本となるもんなのだ。

<つづく>

2019年8月12日 (月)

音楽備忘録➄ Funkってどうすりゃ演れるのⅤ

前回具体的にはAl Jackson Jr.とRingo Starr辺りから始まってると書いたが、それでは彼等は一体何を参考に思い付いたんであろうか。
それで思い出したのがChuck Berryで、Guitarはジャジャじゃジャ…のRockの典型的8Beatなのに、太鼓のRideが只の4Beatのレガートになってたあれだ。

曲としてはJohnny B. Goodeなんだがレコードではそうなってたのが、発売後のLiveではThe Venturesみたいな叩き方へ変わっていた。
何でそうなったかホントは調べるべきだろうが今回趣旨から若干ズレてるし、調べなくても察しは付くのである。

何しろ当時Rock’n’Rollを演ってた人なんて数名しか居なかったんだから、発明者以外つまりバックの伴奏者はプロとなると大方はJazz系等の人しか居なかった訳だ。
8Beatとしては太鼓が跳ねない方がらしさってか疾走感には優れるのでより適しているが、ミスマッチな筈のレガートの方にも独特な魅力があったのも確かだ。

Bassは4分音符主体なので除外するにしてもPianoもスウィングで弾いていて、これも理論的にはGuitarとズレて当たってる筈だが何故か気にならなかった。
Rideのスウィングしちゃってる処は当然Guitarと譜割り的にはミスマッチなんだけど、完全一致してなくても一々気にし無けりゃ問題無く聴けちゃう不思議があった。

全部がユニゾンだと明確・強力にはなるけれど、リズムパターンに対してアンサンブルのバリエーションが基本的には無くなってしまう。
そこへ配慮すれば聴ける範囲内なら全部を一致させなくったって構わなく、しかし一部のJazzみたいに全く各々が自由に振舞っているのとも一味違う。

これと質問者がホーンに拘ったのは薄々気付きかけてた可能性が高いが、当時の管楽器奏者となればよりJazz系の人しか居なかった処だ。
白人系のPopsではホーン不要なのが大多数だったから近年なら未だしも、Jazzが吹けないと食べて行けるだけの仕事量が無かったのはもう明白だ。

’60年代末になってグループの固定メンバーって席を獲得出来る迄は疑いの余地が無い話しで、それ位普段がJazz寄りだったのだから余計跳ねるなってのは無理だったと考えられる。
また聴き手にとってのFunkyホーンはとてもリズミカルで歯切れが良いが、管楽器自体は決して出音のタイミングを加減するのが楽な方では無い。

出そうとしてから管の長さ分だけ必ず音は遅れて出て来てて、素手で叩く太鼓や弦楽器みたいに触れたらその瞬間に音が鳴るのとはかなり違う。
しかも吹くには予め先に息を吸っとかなきゃなんなくて、かなり予測してタイミングを図らないと合せられない。

それを少ない体験で完全に8Beatにしろったて当分時間が掛った筈で、しかも上述の如くでそこ迄そんなニーズも恐らく余り無かったと思われる。
これからするとホーンは一番遅い時期までスウィングしてた事となり、音色も明瞭なのでリズムタイミングのサンプルとしても分かり易いだろう。

だがRock系にホーンは必須でも無いし、ホーンがRockらしさの部分を担うのは今だって少ない。
なので「Funkのホーン」と思うよりそれなら入門レベル程度でも充分なので、回りくどい事を言うよりJazz自体を少しかじっちまった方が手っ取り早いと俺は思う。

それより今回例示した初期のChuck Berryみたいなのの方が、これはJazzと名乗ってたのには無かったパターンだから重要だと思われるのだ。
加えてBooker T. & the M.G.’sは至極当然の如くJazzも難なくこなせる連中ではあるが、太鼓だけがスウィングなんてケースも見受けられる。

なので少々厳しいがドラマーが訓練見本とするのには、却って最適なのではと考えられるのだ。
場合に依っちゃ他パートには一切頼れず、ドラマーがそれを出来ない限り「あの感じ」が得られないんだからねぇ。
分かり易さでは彼等のでもSam & Daveのなんかが良いが、自分達だけの以外だとホーン等が入っちゃってるのが多いので。

<つづく>

2019年8月11日 (日)

音楽備忘録④ Funkってどうすりゃ演れるのⅣ

さて本項執筆のキッカケだった「ファンクにホーンセクションの入ったバンドって、最初にやったのは誰」、随分経ったのに結局答えんのかと思った貴方。
この後に一応記しとくけどあまり効果的では無いとの判断からここ迄引っ張らせて頂きやした、無論従兄には即答したけれどやはりしっかり但し書きは付けてね。

まだまだ全体説明の途上ですが兎に角Disco等の様な定型がFunkにゃ無いのを先ずご理解頂きたかったからで、Funkyさは共通でもかなり多岐に渡るテイストのがあるんでやんす。
もし具体的にJB(James Brown)のあの曲みたいにしたいとか明確なヴィジョンがあれば適したのも紹介可能ですけど、所望次第でバイブルは全く違うのなんてのが大いにあるからなんス。

取敢えず上記告知に従って例示へ行きやすが、一応基準としては’70に入る前から演ってた人達はこんな具合。
1.意図的にJazz Big Bandの流れも取り込んだもの:ChicagoとBlood, Sweat & Tears
2.ジャンルとして意図したもの:James Brown
3.スラップBass入りのもの:Sly & The Family Stone

しかし全面的では無く部分的Funkyでも構わんとなるとBooker T. & the M.G.’sが絡んでた人達のが非常に印象的で、もう彼等のデビュー曲Green Onionsに既に片鱗が隠され!?ておったのじゃ。
これの太鼓ってRideが基本4つ打ちなので良く誤解されんだけど、実際にはスウィングさせてるのでありんす。

だがRideをチィンチッキしちゃうと唯のJazzと一緒だし4Beatだと誤認されてもつまらんからか、ドラマーのAl Jackson Jr.氏は一捻りしよりました。
それは右手足のフレージングを入れ替えていて、手は4つでも実は足(バスドラ)の方で音符で言えば16分を踏んでるんでゲス。
但し手のチィンチキチィンチキ…をそのまま足にしたんじゃ喧しいし芸が無いので、ドンタンドンタァドドンと半分に減らしてみましただと。

当時の音響のプアさにこの回数の少なさも相まってとても気付き難い仕上がりになっちゃってるけど、もし無スウィングで叩いてたらオカズなんかを入れた時に他パートとズレる筈でありんす。
もしそうしてたら16分音符の時にズレる分却って聴き取り易くなって、最初から誰でも気付く按配で御座居ます。

これ以前のJazz界にも一部のキチガイBuddy Richなんかは、曲毎のバスドラフレージング何ぞをとうにやらかして居った様です。
しかしウッドBassではフルに踏まれてはBassパートが聴こえなくなっちゃうから、世間一般の人々には中々気付いて貰えず仕舞いだった様だす。

この点で相方がエレキBassの特有のドラムパターン(特にバスドラ)を開発したのがほぼ同時期に2名、それがAl Jackson Jr.とRingo Starrだったんですわ。
エレキBassならバスドラをフルに踏んでも聴こえる様になったじゃん、を活用し出したんですな。

Booker T. & the M.G.’sはRyhthm & Bluesのそれこそ核心ですから、例えスウィングしてても基本的には4Beatじゃ無く8Beat。
跳ねる8BeatってそれFunkの源泉じゃ御座んせんか、ねぇ。

因みに初期Beatlesは優等生ぶってたが内実はとんでもない曲者で、それを最後に例示しときやしょう。
All My Lovingってリズムパターン的には何Beat!?、Bassを聴くと4分音符のランニングしてるけど…。
太鼓もツッタッタツッタって演ってからやっぱ4Beat!?、の筈がハイパーキチガイJohn Lennonの異常なカッティングのせいで全くの別物になっちまったねぇ。

普通の歌のバックで3連符を全部掻き鳴らしちまったもんだから、スウィングより跳ねさせなきゃ合わなくなっちまたぞい。
だどもこう云う変なハイブリッドこそが跳ねない筈のリズムで跳ねちゃう訳で、一旦理屈を封印して感覚だけの発想をしないと到達出来ないんだよね多分。

<つづく>

2019年8月10日 (土)

音楽備忘録③ Funkってどうすりゃ演れるのⅢ

では前回出の用語!?解説に早速取り掛かるが、「跳ね」は部分的な聴感上そのままで「うねり」は小節単位から大きく眺めた場合の印象だ。
基本的には跳ね要素が支配するんだが3拍子系なら所謂シャッフル等でまんまだが、4拍子系ではリズムの全体は足のスキップみたいに飛び跳ねはしないからウネリなのである。

そもそも跳ねとはっつうとタッタタッタなんて刻み間隔が不揃いだとなるもんで、タッタタッタなんて休符が短縮して等間隔に近付くとベタっとして来るもんだ。
それでも刻みの尺度つまり数が3つの内は全体への影響は少なく、ゆったり感を出す為にわざとキレを落す場合等もある。

だが4拍子系ではタアアタタアアタなんてやってもギクシャクするだけで勢いは出せないので、象徴例として俺の大好物のHi-Hatでのチッチキを色々捏ね繰り回して解説してこう。
又この場合のチッチキは8Beatなら最小は8では無く16分音符で、16分の表=8分音符のタイミングはBeat堅持の為弄らんのを前提とする。

ここでFunkの秘密その1が見え隠れし出した感じだが、原理的には跳ねない拍子でそれを得るには8Beatに聴こえて隠れ16Beatじゃないと無理なのがお分かり頂けるだろうか。
但しチキチキタキチキなんて叩き方をする純然たる物で弄ると、チッキチッキタッキチッキとハーフタイムシャッフルになって只の3拍子系へ変化するだけだからそれとも違っている。

先ずはややこしいのは抜きにしてチッチキをどうするとより跳ねるかから考えて貰うが、「ッ」の長さがそれを司っている。
ここを極端に短く仕舞いには無くすとチチキとなって全く跳ねなくなり、正規より長くすると元のの音符は倍の長さだがJazz 4Beatのスウィングと同じになる。

これが秘密その2とも言え捉え方に依っては「スウィングの倍刻み」とも考えられ、この辺がムード的には無縁そうなのにFunkがJazzの親戚である理由だ。
雰囲気が掛離れる訳は俺言い「規定刻み数」(誰でもキッチリ合せなきゃいけない音符)が倍増してるからで、しかもFunkでは常にチッチキと刻む場合が少ないのもあるからだろう。

もう少しFunkとスウィングの差を掘るとスウィングではチィンチッキなんて感じで、理屈では2個目の位置ズラしだけで成立するが雰囲気的には頭以外の2つが後ろに寄った感じだ。
厳密にはFunkも原理的には近似なんだが如何せん刻みが細かくなるので、大きな偏寄は与えられんし僅かな偏寄ではその効果が殆ど聴き取れなくなるのが違っている。

その結果半ば必然的にスウィングは間隔の狭さ具合で、Funkは間隔の長い場所の加減でその表現をする事となっている。
JazzのCymbalレガートは全然聴こえん程3つ目が小さいのは不許可であるが、それよりもチィンチッキ、チィンチッキの下線部分の間隔の狭さが命だ。

現実的には4Beatはテンポの速いのも多いから必ずしも偏寄量が多いと言えぬが合せにゃいかんのは4つだけ、Funkは少なくて8・ウネリ許容があっても16とBeatの縛りは遥かにキツイ。
失礼な表現をするとこの厳しさから逃避したのがDiscoとも看做せ、ホントは16Beatの癖にドンタンドンタンの4つだけ合せりゃOKってね。

何れにしてもこんなの楽譜的には旧来のしきたりからすれば脱法行為そのもので、結果的に譜面で正確に表すのが不可能となってしまった。
けれども音楽って元は譜面より先にあった物で、便利ではあるが譜面に縛られるのはあべこべだってのの証明でもある。

大体に於いて人類なんてものは善より悪に妙な興味を抱くもんで、しかし音楽のリズムがちょっと位寄ったからって誰も被害を被りはしないのだ。
盗みや殺しは悪そのものだがこう云う害の無い物は、それこそ楽しい悪戯と認識して大いに享受してええじゃないか。

<つづく>

2019年8月 9日 (金)

音楽備忘録② Funkってどうすりゃ演れるのⅡ

さて前回気分の問題とブチ挙げてそこに間違いは微塵も無いが、実際演るには少なくとも体が気分にシンクロして上手く働いてくれなきゃ実現出来ない。
そこで先ずはFunkyさの根源となるリズムの違いへ焦点を当ててくが、簡単に言えばJazzのスウィングのバージョン違いとでも思うのが早そうだ。

打込みのJazzも一般化した今日では数量的解析も一応達成されてるが、スウィングは楽譜に正確に表示出来ないのは今でもちっとも変わっていない。
残念乍らFunkyなノリはこれよりも更に微妙なもので、打込みで再現させるにも計算では困難で人耳感性に頼って微修正する位で精一杯だ。

尤もこれは理屈に基づいた場合であって、完全では無いにしても感覚で追及すればそこ迄大変な物では無い。
一応その筋のベテランを自負する立場から申すと、先ずはリズムの勢いに執着して維持するのが第一歩と感じている。
これを全盛第2期Deep Purpleと’70年代のIsley Brothersを引き合いにして、リズムの違いをひとくさりして行こう。

正確さではDeep君達が圧倒的優位でスピード感だって抜群だが曲全体を通しての勢いとなると正反対で、一聴ルーズでテンポだって比べたら遅めのIsley君達の方が圧倒的に強力だ。
Deep君は超高速だが僅かな力で止められそうな高馬力、Isley君はそんなに速くは無いが簡単には止められそうに無い高トルク特性って感じか。

乗り物の馬力比較をするとディーゼル特急とF1が馬力だけなら同じ位だが、だからってF1のエンジンをディーゼルカーに付けたら恐らくピクリとも動かせないだろう。
馬力は速度に影響するが重さに対しては効力がとても弱く、これに有効なのがトルク(回転力)だからだ。

そやから馬力はやはり同等のフェラーリと観光バスのエンジンでもご同様で、速度は落ちても上の逆にバスのをフェラーリに載せるのなら走らせられる。
現実には用途最適化を図るのが良いからそんな真似はしないけれど、どちらでも動かせるのは強トルクのエンジンの方なのだ。

戻ってその原因を探って行くとあたかも数学的正確性と感覚的正確性の様な違いがあって、Isleyのは多少ヨレても曲の勢いには影響しない範囲に収められてるのが特筆される。
Deep君も太鼓はIan Paiceだから素晴らしい正確さだが、曲に対してってよりはパートとしての正確さが優勢な感じなのだ。

つまり曲に加勢不要な箇所では必ずしも引っ張ったり煽ったりはしておらず楽曲自体の指向性も違うからそれで全く問題は無いが、もし他の全メンバーがダレたりしたらそれだとどうなっちまうかだ。
恐らく聴者には一瞬流れが止まった様に感じられ、ある意味達人集団だからこそ成り立つリズムアンサンブルである。

これは意地悪な見方をすると聴く方もその正確性に着いて行けないと本質が味わえない可能性があり、万一リズムを一旦見失うとテンポの速さもあって復帰するのが少し大変そうだ。
それがIsleyの方はテンポは聴いた印象よりかなり遅いので直ちに何事も無く復帰出来そうで、乗り易いゆっくり目のスキー場のリフト(ずっと動きっ放しですから)みたいな感じだ。

誰でも参加容易で楽しめるリズム→タイミングを合せる猶予が広い→テンポ遅めが良いとなるが、今度はそれで勢いを出したり調子良く囃し立てるのはそのままだと困難になる。
これを補う手段として隠れた第2のBeatが想定されるが、今回案件でのそれはポリリズム等では無く「うねり」とか「跳ね」がそれに値している。

これの詳細は次回送りとするが要は気にする場所の違いで、瞬間的最高速を追い求めるのか平均速度の高さを求めるのかみたいな意識の違いがものを謂う。
速さを競うより「遅くならなさ」を競うって感じで、持続性のある勢いを得るには後者でないと不可能なのだ。

<続>

2019年8月 8日 (木)

音楽備忘録① Funkってどうすりゃ演れるのⅠ

こないだ従兄からちょっとした質問を受けての話しで、有名女流ドラマーさんからの質問の悪く言やたらい回しであった。
なんて意地悪を止すと少しでも正確な情報を提供しようとした結果みたいだが、俺的には質問自体が若干本質からズレてたのが気になっている。

その内容は「ファンクにホーンセクションの入ったバンドって、最初にやったのは誰」で、恐らくはルーツから新たに学びたかったのであろう。
最近の本邦では概述の如くラジオでスタンダードが掛らんのやさかい尤もな感じではあるが、Funkの場合はDisco等と違って少々特殊なのである。

音楽ジャンルの細かい部分の発症は大別すると2つのケースが想定されるが、自らが勝手に名乗り出して流行らせたのと聴者側から徐々に呼ばれたのがあると思っている。
前者は極端に言えば内容は従前のと僅かな差しか無くてもイメージの問題で、単に広く認知されれば出来上がりだ。

またある意味専門化が定義を考案してるのだから実際の効果の程はさて置き、分類したい時に判断が曖昧で困る様な事は起こり難い。
しかし後者のパターンはその頃の聴者の印象が主体であるから、厳密には実体験でしか判別感覚を獲得出来ないのだ。

この点でDisco等の様に特定のリズムパターン等があれば良いが、Funkは実に曖昧で理屈で考えるのは限り無く不可能に近いのである。
この際ってんで言語自体を生まれて初めて調べてみて、驚愕の事実を知っちまったい。

Funkの訳その1は臆病・憂鬱・その2は何と悪臭って、オッタマゲーのげーでやんす。
ここ迄だとちっともあの楽しい音とリンクせんでどないなっとんねんやが、どうも悪臭が事の発端だった模様だ。
全く嫌な気分にさせられるが当時の白人が黒人に対して勝手にでっち上げたイメージで体臭に対して使い出したらしく、体臭って実際は肌の色が薄い程強いもんなのにねえである。

こうして当初は悪意のみで使われ出して言葉に裏用途が生じ、それが段々と毒部分が時間経過で浄化され違う意味が主体へと変わって行ったらしい。
臭いは臭いでも泥が頭に付いて泥臭い、原始的或は根源的ってのが加わる。

これが黒人が奏でる音の特徴を象徴する様になって、第3の意味である奴等の音は「Funky」だってな具合だ。
因みに今でも上記1と2の訳も健在且つ順番もそのままなのだそうで、うっかり知らずに変な使い方をあっちでしたら撃ち殺されそうだ。

って何十年もどっぷり浸って演って来た癖に酷く杜撰であるが、苦し紛れの言い訳かもだが感覚だけで捉えてたからこそ何となくマスター出来ちゃってたと思えるのはある意味本質にはちゃんと沿っていたってか。
恥を忍んで(恥じらいがあるとは思えん俺だが)こんなのも掲出したのは、それだけ感覚的なだけのものなのを知って頂く趣旨で御座居。

感性の芸術たる音楽なんつったって実際演るには49%は頭を使った方が好結果が得られるが、もし理屈が感性を上回るとこう云う部分は手に負えなくなるのだ。
Funkであれば今では過去例が沢山あるから似てれば通用するかも知れないが、核心はFunkyかどうかであってこっちは形なんか存在しないのだ。

その昔ヤクザ映画を見終えた人達が映画館から出て来ると、入ってった時と違って皆ひっかしがった姿勢でゾロゾロ出て来たりしていた。
要するに強烈に看過されてすっかりその気になっちゃって、まだその白昼夢から覚めていなかったからの現象であろう。

例えばそんな風に完全だろうが不完全だろうが、先ずは気持ちだけはその気になってしまうのがこの手のには必須条項なのだ。
ヤクザ映画の場合は目付きが悪化したり猫背になったりと姿勢に一番出そうだが、Funkの場合はそこが「気分の問題」なのである。

<つづく>

2019年8月 7日 (水)

多重録音備忘録Ⅱ㉓ 楽器の構造とらしさⅣ

続いてはFloyd Rose等がテンコ盛りのGuitarを半生贄と捧げるが、今回は珍しく弱気な予想で御座居ます。
ジャンルや求める奏法に依っちゃ助かるし無かったら困る物だが、死ぬまで皆そんなGuitarだけでは満足出来ないのではと思ったのが発端でやんす。

非常にローカルな事象であるがウチのGuitaristの愛機変遷にそれが現われてて、未だに奏法の基本はMetal系のままなのに妙に普通のGuitarを近年欲しがったのがそれだ。
これはMetal発祥以前を知ってる身からすると実に簡単に合点が行くんだが、道具に依って出来たジャンルなんかじゃ無かったからなのだ。

Van Halenでもその音色が独自性も込みで一等印象的な初期の作品では、未登場の為Floyd Roseなんて一切使われていない。
KissのPaul StanleyのGuitarも形状と外装が少し突飛だっただけで、内情はごく一般的な唯の2ハムバッカーだ。

風貌的には掛離れてるがその気になればオーソドックスなJazzだって演れそうな仕様で、逆にデビュー当時金欠のJoe Passは名前こそJazzmasterでもソリッドボディとフルアコとは程遠かった。
中学生になるかどうか頃にFMで耳にしてずっとお気に入りの彼のHang Toughって曲、最近迄ずっとフルアコで演ってたと思い込んでた始末なのはお粗末であった。

ドラムに至ってはもっとえらい状況で概出させたとは思うが、Ludwig全盛時はホントに口径と組合せの違いだけでClassicからサイケやMetal迄基本的には全部同じ型の太鼓だったのである。
無論革・バチの選択やミュートの有無や仕方は千差万別だったが、これ等はどっちかってば道具自体より使い方の範疇と考えられる。

見栄えは初級観客に対しては絶大な要素だが、だからって内容まで限られた事しか出来ぬ様にしちまう必要は無いのである。
寧ろ奏者として危惧すべきは今はMetalしか演らなくても、年取ったらJazzを演れる才能があるかも知れんのにそれが無理な楽器と云う不親切ってどうなんって話しやね。

まあそれでも勝手好きずき趣味習慣でありまするが、次の点に関しては楽器選択のせいで大きなスキル差を生む可能性がとても高い。
それは奏者側のジャンル適応度とでも申しますか何時の間にか気付かん内に、弾き方のレベル等にどんどん大きな差が広がって行く処だす。

道具頼みでギリギリ合格してたりした場合何かの事情でその道具が使えなくなったら、途端にボロが出て紛い物奏者に成り下がっちまうので御座居ます。
それがもし人間力だけで達成されてたなら例えアコギしか無くても流石生粋のメタラー、Folkとは全然違うわいなんてのも可能となりそうだよね。

現実的にはわざわざ不適切な楽器を用いて失敗ばかりでもしゃーないけど、楽器は所詮お手伝いさんで音の責任は奏者の演り方にあるんだからね。
これに加えてハードルはかなり高いが普通の楽器で普通じゃない音が出せちゃったらどうよで、これに近付く程奏者の個性や力量がより分かり易くなるのだ。

そして近年だと特に考えるべきは打込みだったらどうなるかで、弾けない人は流通してる以上の過激な音が先ず絶対使えない処だ。
正確さや安定度で手弾きは機械にゃ敵わん代わり、こう云う部分が強みなんだからさ。

<つづく>

2019年8月 6日 (火)

多重録音備忘録Ⅱ㉒ 楽器の構造とらしさⅢ

楽器らしさの定義が最近ではとても幅広くなってるとは思うが、ここでは前2回も含め俺の好みは実は排除しているつもりだ。
とてもそうとは思えない様な例示が多いけれど、その辺を少し丁寧に紐解かせて頂こう。

楽器メーカの件については組織規模を問題視していて、もしFenderやGibsonも百均でも売ってくれるならもっと大企業になっても構わんだろう。
だがYAMAHAやGretsch等より扱い品種が少ない、例えば太鼓はやってないんだから幾ら流行ったってそんなに売れないのはちょっと考えりゃ分かる事だ。

だから製造よりも経営を誤っただけなんだろうが、あたかもウチでは絶対にぶつからない車しか売ってません的無理・矛盾なのである。
もしもっと作り続けたいとか未体験の人に知って貰いたいなんて気持ちが強かったなら、あんな酷い処迄落ちはしなかったんじゃと悔やまれる。

そして是迄の表現ではオーソドックス=らしさみたいなの
だけの様に誤解されそうだが、俺が問題視してるのは本質的な部分限定だ。
例えば「普通のGuitar」の範疇に収めるには弦の本数が違っちゃ無理で、変えても良いのと悪い場所の見極めが足りるだけ為されているかなのである。

近年では譜面を常用するClassic系の奏者の方が仕事でやってるなら、電子楽譜つまりi-pad等を大抵は持ち歩いている。
日本ではまだそれ程でも無いが欧州では第1目的が実は利便性では無く、資源保護→温暖化対策の一環なんだそうだ。

こう云うのはテクノロジーの上手な活用例であるが、反面生Pianoが要るのにデジタルPianoの方が日本より現場で多かったりするのは諸事情があるにせよ喜ばしくは無い。
俺は国外へ行った事が皆無なのもあって実感ゼロだけれど、それだけあちらでは木がこっちよりかなり貴重なのの現れかとも察せられる。

もしかしたらまだ日本では木なんて幾らでもそこらに茂ってるからかも知れんが、楽器用の材となると昔よりは色々苦しくなってしまっている。
太平洋沿岸地域でも材料に対する意識がもう少し高かったら、どんなのを作るかにも影響がありそうな気がして止まない。

また楽器の耐久性にしてもどこを重視するかが近年ではズレて来てる気がするが、壊れ難くするにしても何処をどんな場合にってのが忘れらてはいまいか。
運ぶ時に壊れやすいのは実際面倒だし心配し切りだけれど、一番困るのは弾いてる最中だってのがどっかへ飛んじまってないかだ。

例えばかなり以前に書いたGuitarのダイキャストペグの件等、鋳物は丈夫だが脆いって点では壊れる時は突然となる。
充分な大きさが取れる物だったらそんなに心配無いが極力軽く小さいのが要求されているんだから、その観点からだと不適切な製法とも思えるのだ。

薄い鉄板を折り曲げて組み合わせたのより精度が出せるし緩む心配も無くなるが、演奏続行の可能性からだと不調より突如の破断の方が困るのである。
またこの違いは不具合発見の機会にも影響すると考えられ、不具合発生から破断迄の時間が長い程発見・修理のチャンスが増えるのである。

壊れる心配が無きゃそんなの確かに不要なんだが、奏者の優先事項は機材温存よりパフォーマンスでしょ。
この面で奏者側にカーレーサーと似た様な責務だってあるけれど、万一失敗しても生命が脅かされたりしない分思い切った行動が要求されてしかりなのだ。

となれば平常心感覚で万全を期してもあまり意味を為さず、他の物より絶対に壊れないを目指すのがベストとは言えなくなって来る。
レーシングカーですら壊れにくくはするが壊れない想定なんてしてないんだから、楽器みたく人が感情を直接ぶつける物に対しては寧ろ壊される前提位の考え方が適してると思うのだ。

<続>

2019年8月 5日 (月)

多重録音備忘録Ⅱ㉑ 楽器の構造とらしさⅡ

今回は俺言い「アクティブ過ぎるエレキBass」を生贄とするが、厳しく捉えるとそんなのを作るのは最早楽器屋の恥である。
これ大いに訳ありでかなり楽器にハイスキルな奏者でも、最初からじゃないと変更・改良出来ない部分を疎かにしているからなのだ。

部品を交換すれば達成される物なら後からでも出来るが、本体部分に関しては作る時点で考えなけりゃどうにも出来ない。
そんな製造者じゃないと手に負えん場所こそが作り手の腕の見せ所である筈で、材料入手等も素人では中々手に負えぬ部分なのだ。

この面で個人的に敬意を払ってるのがRickenbacker等で、失礼乍ら現代レベルでは搭載部品はBestには届いて無いとも思える。
それでもある程度使えてしまうのは本体部が良く創り込まれてるのと、本体材質のあらゆる面をずっと好評時のに近く維持させてるからだ。

Fender系の大多数みたいにネックとボディがネジで分離可能なら未だしも、スルーネックでは取替えるとしたら木部は全替えしか道が無い。
尤も過去に目にした文献では「交換用ボディ(無論ネック部含む)」すら用意があるらしいが、そこ迄に至ると楽器自体が別物になるに等しい。

どんなに高度なエレクトロニクスを搭載しようが所詮エレキは「半生楽器」、その事をあまりにも皆忘れ過ぎているのでありんす。
この件も御多分に漏れず基本的な歴史認識が足りてると回避出来るので、僭越乍ら少しそれを記しとこう。

そもそも弦楽器のエレキ化(電気武装)は音量不足が発端で、所謂エレキサウンドを得る目的では全く無かった。
近年ではより見掛なくなったが日本式にはフォークギター(ドレッドノートタイプ)と少し風貌は異なったが、ホントに只のアコギに電磁Pickupを追加しただけのが原形だ。

その格好は今でならフルアコから電気系統を取り去った様な物で、大昔はGibson等から実際に「そんなアコギ」が売られていたから興味のある人はググってみ
るべし。
Bassの場合も世間ではOld Fender Precisionが原典と誤認されてる様だが、実際はロクに流行らなかったがRickenbackerから第二次大戦前に既に売られてたのの方が本家本元だ。

Precisionを原典と看做せるのは「現代標準の」の但し書きを付けた場合のみであって、それにも大いに意義はあるが元祖なのはエレキじゃなく「フレット付きBass」の処だ。
俺的に今回案件ではこの差は大問題で、それはAmpに繋がずに使えるか使えないかの大きな違いがあるからだ。

誤認の原因は恐らくその風貌がPickup付きのコントラバスそのものだったからで、これにはシリーズ化されててViolinやViolaもあった。
肝心の!?Guitarの方は上記のと時期的には一緒だったが、当時のジャンルニーズと工作技術等の関係でラップスティール型のしか作られていなかった。

それが有名なFlying  Panであるが、恐るべきは最初なのに全アルミ製だった処か。
しかしその後リイシューがロクに登場しない処をみると、駄目では無いがわざわざ再生産させる程の魅力が無かったと考えられる。

特にオケ弦楽器のPickup付きと同時に並んでたんだから、前出Ampの有無で使える使えないに音量の他音色的にも大差があっただろうからねえ。
阿保臭いから試しゃせんけど金属胴のSnareへアルミホイルかなんかを革にして、鉄の菜箸かなかんで叩いて頂きましょう。

そんなんしたら良くてスチールドラムの出来損ないみたいにしかならんで、きっとSnareにはもう聴こえんくなりそうだし。
でもこれFlying  Panは殆どそれに近い事になってた訳で、スライドバーはガラスの他金属製もデフォだからその場合非金属はピックだけだったんだよなぁ。

今はエレキ系を本番でAmpレスになんか誰もしないだろうから無関係だけど、音色の源は電気系統より先に木部(一部金属)が司ってるんだよねぇ。
故にアクティブ(Preamp等が内臓されてる物)なだけで罪にはならんが、そこへ頼って木部(必ずしも木に限定はされんが)を疎かにしてるモデルにお金を払うのは勿体のう御座んス。

<つづく>

2019年8月 4日 (日)

多重録音備忘録Ⅱ⑳ 楽器の構造とらしさⅠ

技術は低いより高い方が良いし、脆弱より強固な方が楽器だって良い。
ばってん闇雲にそれをしちまうとその楽器固有の特性はどんどん損なわれ、最終的には超高級な音響発振器となってしまう。

1.丈夫過ぎる胴の太鼓
理想の皮振動特性だけを追及すると、太鼓の胴はどう叩かれたりしても微動だにしないのが宜しい。
胴が皮と共鳴した方が「良く鳴る」場合も
出て来るが、共鳴が何時も都合の良い方向に作用するとは限らない。

だから理屈だけならそれぞれが個別に黙々と仕事してくれるのが最良となるが、これが実現される程「太鼓らしくない」音に実際にはなってしまう。
これ極端に言うと「胴の音」が無いも同然になるからで、胴の材質や構造の違いがお留守となってしまうのだ。

最近は少し持ち直した感があるが、それでも俺的にはまだ丈夫過ぎる物が多過ぎると痛感させられている。
思想や実用的強度にも依るとは云え、「胴が出す音」が余りにも軽視されていると思っている。
そんなら胴なんて無くしたって大差無いじゃん、乱暴だがそれが本音だ。

2.丈夫過ぎる電気弦楽器の各部
こっちは太鼓よりは近年はマシになったが、一頃の国産の勘違いした豪華競争は最悪だった。
重くて高価の泣きっ面に蜂もだが、それより何より丈夫過ぎるボディでは弦に対する反応が減り過ぎていたからだ。

部品でもStratのブリッジの駒等が典型例で性能面では丈夫に越した事ぁ無いが、それでは変な癖を伴ってたが独自の個性が弱まってしまう。
元は鉄板を折り曲げただけだったのが立派な鋳物が主流となり、確かに音色の安定度は上がり余韻も長くはなった。

けれど使い易くはなっただろうが響きは単調になり反応の癖も弱まり、個性は大巾に減ったからそれなら他のでも構わんじゃんってね。
相手に依っちゃかなりの失礼となるが「チャラいからこそStrat」で、ろくでなしと知ってても優しいイケメンが人気なのと同じ事なのだ。

ここから後半は上記への反対意見を(あった場合)勝手に喝破させて頂くが、最初は変な正義感による公平性維持の為に上記の欠点を挙げて行こう。

1.についてはそれを避けると耐久性を気にしなきゃなんなくなったり、余韻長さが縮まったり鳴るポイントが限定される弱点が強まる。
なので楽器固有の反応や音色を無視すりゃ使い勝手が悪化するが、それでも平気な皆さんにはもっと安価に提供すべきだと考えている。

現にConga等パーカッション系では樹脂系胴を用いてそれが常套化してるが、本来ならドラムセットの方が悪影響が少ないんだが。
ドラマーに偏屈が多いのか妙な事にアクリルは残ったがファイバーは壊滅的で、木で分厚く作って機械的なのは許すってあべこべちぐはぐとは恥ずかしい限りだ。

2.についてはソリッドボディの変遷を追うと良く分るんだが、初期の物程分厚かったり削り込みやザグリが少なかった。
材質にしても後年のになる程柔らかいのの方が増えていて、硬いのを使ったのだと薄かったり極端に小さくしてあったりだ。

それでも使用弦の特殊性もあったにせよ一時結構なブームになったSteinberger等、現在本邦では入手が酷く面倒になった位廃れている。
所謂変形Guitarは元からニーズは少ないが加工性の良さとそんなに大きな材が要らないのもあってか、デザインは奇抜でも材質はオーソドックスが主流の様だ。

弦系はその揺さぶるエネルギーが太鼓等よりかなり小さいんだから、共鳴側がヘヴィ過ぎちゃ厳しいのだ。
機械の権化の様なアナログシンセを自在に操る様な達人も居るけれど、だからって楽器が機械っぽ過ぎても良い訳じゃない。
特に近年では「現物の苦労」等を避けたけりゃ、打込んじまえば済む話しなんだからさ。

<続>

2019年8月 3日 (土)

多重録音備忘録Ⅱ⑲ 電子素子速度と音の関係Ⅲ

本線復帰して速度案件へ戻るが、素子動作開始時の性質が急激だと音に悪さをする件の続きだ。
このある意味逆転現象はMicのダイナミックとコンデンサの関係と似た処があり、今回はそこから攻めてこう。

この比較ではダイナミックが真空管等でコンデンサが高速半導体に対応してるが、全体性能では後者優位だが収音したアタック部の純度では前者が優位だった。
理論的波形の変形度では従って後者の方が全体では少なく、それが広帯域だとか微小音に対する感度の高さとなって表れている。

だが含有量は少なくても後者のはアタック部の頭にその弱点が集中しており、その変形のさせ方が極端なのである。
故にダイナミックのリニアリティが不完全でそれが全体に及んでいても、極端な改変が無い部分で音のシルエットが別物になったりはせずに済んでいるのだ。

但しこれが顕著に表れるのは音源とMicがかなり近い場合で、ここでは最近頻出のエアクッション「後」であるとMic到達時点でアタック部がマイルドとなっているのであまり問題にならなくなる。
けれど離れるとコンデンサは高感度故録った場所の響き等もタップリしっかり拾うので、録った場所に左右されない音源だけの音が欲しい場合はちょいと厳しくなる。

因みに開発者はコンデンサの弱点を当然分かっていたので真空管を半導体へ置き換えた際、なるべく電流増幅型のトランジスタは避け電圧増幅型のFETを選んで欠点の拡大を防いでいる。
それでも素子の耐電圧が球は大体300V位あるのがFETでは50V位しか無い為、電源電圧の低い分ダイナミックレンジが狭まったりしたので球のも生き残ってるのである。

それともう1つ重要なのが各素子に対する基本的な回路構成の違いで、これも音響電子回路理論と楽器音響理論では真っ向から対立してる部分があるのだ。
これもかなり以前に触れたが「負帰還回路」って技が争点で、一般理論と電気的性能面では使った方が良い技術だ。

だが出力からその一部を入力へ戻して回路動作を修正するものなので必ず「修正遅れ」が生じ、音色の質を一切改変したくない場合にはとても不向きな方式なのだ。
それで楽器系に特化させるのにトランジスタでもわざと極単純な回路構成にしてるのがあるが、音色面には実際ある程度効果があるがかなり音響的にはチープな性能となってしまう。

この原因も素子性質の不一致の他に前出電源電圧の低さが災いしてて、歪み易くなるか雑音が割と目立つ様になるかの苦しいせめぎ合いとなっている。
小型化は省エネ等にも直結してるのでその点では素晴らしいが、小さくして全く何の不利も生じてない訳では無かったのだ。

音楽(楽器)ってのは一面でかなり特殊性のある世界で、例えば物凄く立ってられない程揺れるトラックの荷台ではマトモに演奏出来なかったりするわな。
これを思えば他の多くの用途よりは振動に弱くたって構わないし、スマホみたいに肌身離さず常時携行しはせんのだからそこ迄小さく軽くなくても大して困らないのだ。

省エネ・高音質等が不要ではないけれど、最終的には唯一点「絶対に譲れない」或は譲るべきではない使命があるのだ。
演ったままとか得られるべき音色やニュアンスを出せるのがそれで、どんなにノイズレスで綺麗だろうと求めた音にならないんじゃ使い物にならんのである。

次回楽器自体の作り等へも言及するが技術が進歩し過ぎたか安易に取入れ過ぎたか、物理的・電気的に完全なのが楽器としてはマイナスに作用するのが近年では殆どとなっている様だ。
正確に言えば技術の適用法を間違えてるだけなんだと思うが、まだ今は機械化し過ぎた楽器ばかりでは無いので選び方次第で救いの道は残っている。

<続>

2019年8月 2日 (金)

多重録音備忘録Ⅱ⑱ 電子素子速度と音の関係Ⅱ

本日はフォトカプラ大会を開催するが、無理くり日本語化すると光結合器なんて変な名前になるが一体何者か。
こ奴が生まれたニーズは電気的に2つの回路を隔離する為だった、って余計分り難くしちたったか。😓

苦し目の例えをするならトランス等も同じ部分を持っていて、電気を一旦磁気に変換して受け渡しをしている。
トランスでは主目的は電圧・電流の変換だがそれだけで良いならCoilは1つで良く、例えば100回巻かれてる10巻きの部分からタップ線を付けて取出せば1/10の電圧に変換出来る。

だが一番お馴染みの普通の電源トランスは最低でもCoilが2組に分かれてるが、こうしとくと1次側AC100Vが直接2次側へは繋がって無いから感電事故を防げるのだ。
これが2つの回路を隔離するニーズの代表例だが、これ以外にも必要性が生じる場合は色々とある。

この中で電圧・電流変換等の機能が不要で、その代りもっと小さく軽く出来ないかの要望に応えたのがフォトカプラだ。
ここでは更に音楽関係に利用して効果があるタイプの物へ絞ってくが、それが俗にアナログ・フォトカプラ等と呼ばれているCdS(硫化カドミウムセル)フォトカプラだ。

古くは普通の電球やネオンランプを現在は主にLEDを光らせて(制御側:発光素子)、明るさで抵抗値が変化するCdS(作用側:受光素子)を動作させる構造だ。
イメージとしては光の明暗でボリウムやFaderのツマミを動かしてる様なもんで、制御側で生じた雑音等が制御される側へ原理的には混入しないのが特徴だ。

更に増幅素子では無いので素子自体が発する雑音は無きに等しく、瞬間動作じゃないからこそ所謂Clickノイズも出様が無い利点もある。
Guitar Ampの入力ch切替等は後で盛大に増幅するので僅かな雑音でも酷く大きくなってしまうが、そんな用途にも向いていて実際俺も現メンバーのAmp修理・改造の際にこれを用いている。

この部品は先ず光らせてそれを受けたら抵抗値が減少してのプロセスを経るのでその分時間が掛り、作用の仕方も一気には変化せずジワリと動作する。
本来遅いより速くて反応の良い程良い部品となる処だが、音を扱う場合速過ぎると音波の波形を壊したり雑音が出たりする場合が多い。

なので半導体で切替える物もわざと急激に切替わらない様な工夫を追加されてるのが多く、それだけ手間を掛けても心臓部が増幅素子な為素子由来の雑音が例え僅かであっても強制的に追加されてしまっている。
実際はやれ早い遅いっても人が計るのなんか無理な程少しの違いであるが、差し詰め出てる音を止めるのにスイッチを切っちゃうかサッとボリウムツマミをゼロに捻っちゃうかの様な違いだ。

そもそも電気にも突入電流等と呼ばれる現象があり、急に電気を流すとその頭の部分だけ大きな電流が流れる性質を持っている。
これがスイッチングノイズの正体でスイッチOnが無音時ならかなり小さくなるが、どんなに僅かでも通常雑音ゼロって事ぁ無い→無音でも電流有となるので結局急にだと無くせないのだ。

尤も近年の音響機器は何処を急に弄っても雑音が出ない様な回路が追加されてるから体験し辛そうだが、例えばGuitarなんかを弾いてる最中にシールドが急に抜けた時とかは大抵は無事では済まないよね。
すべからく音を扱う回路ではジワリと動作するのが向いていて、そうすると音の改変や雑音付加が一番回避出来るのだ。

リミッタ等では電気で記録する為の最適化とも看做せるので音色だけを気にしてられない側面もあるが、例え歪まずに済んだって使えない音になっては本末転倒だ。
しかしこの用途でなら今はデジタルの波形編集でそのブロックだけ選択して、上下高さ(音量)を縮めちまうなんて「嘘が簡単につける」!?様になった。

これはある意味非リアルタイム編集で、この面ではデジタル(PC)は時間を止めるタイムマシンと考えると良さそうだ。
止めとけば何でも自由に変えられるが裏を返せば止めて無きゃ無力な訳で、レイテンシ案件等も含めると意外とリアルタイムは苦手なのが想像出来ると思うがどうでしょう。

<続>

2019年8月 1日 (木)

多重録音備忘録Ⅱ⑰ 電子素子速度と音の関係Ⅰ

今回から電子素子自体に特化するとして先ずは素子の種類なんかからだけど、知らなくても気にせずゲームに新しく出て来たキャラ位のつもりから入って結構ざんす。

珍しく前書きしとくけど電子素子(電子部品、但し集積回路は除く)にはアナログ・デジタルの別は基本的には存在せず、強いて言うなら電気じゃなく電子と名乗った時点でデジタル寄りであります。
電気部品にはリレーなんかみたいに「機械的動作部」があり、その部分がアナログに相当すると云える。

世間一般でのアナログ・デジタルの分別は素子に依るのでは無く回路方式の事で、黎明期のコンピュータは皆真空管回路で作られていた。
ここではその中で音を扱うの限定で、その中でも今回は音の質(音色)に影響するのだけに絞り込みませう。

早出の因みにだがEffectorのバイパス切替等にリレーが使われる場合もあるが、リレー=電動スイッチなだけなので接触不良等が無ければClickノイズ以外は音に影響は一切御座居ません。
影響があるのは半導体スイッチ等の方で、その辺は今後をお読み下されば多分分かる予定でゲス。

音に対して整合性のある素子はその高い順に、真空管-フォトトランジスタ以外のフォトカプラ-FET等(1群)。
それ以外のトランジスタ・IC(一部以外のオペアンプ含む・2群)は、原理的には整合性が低い。
上記で「一部…」はFETで構成された集積回路の事を指し、フォトカプラは増幅素子じゃないので更に次回へ。

この分類の核心は反応と伝送性質に依るもので、単に空気中の音の性質に則っただけの話しだ。
音源に接している空気は音源の振動と同時に動き出すが、離れた所へ届くにはそれなりの時間が掛るのは前からクドクドでやんした。

これからするとスタートで出遅れちゃ不味いが、到着は少し遅れても平気って事になってるね。
それと丁度上記1群の性質が近似で、2群の方は正反対だから向いて無いんだって事なのよ。
近年全盛の高速半導体って確かに速いけど新幹線みたいなもんで、スタートダッシュは意外とトロイんですわ。

出遅れ禁止なのはアタック音性質を改変する危険があるからで、到着遅延容認なのは性質が維持されてれば個性が多少緩和されても平気だから。
んでこの緩和ってのが現実世界では音伝達に於ける「エアクッション」に相当してて、これは鋭さ鈍さよりも弾いたのか叩いたのか等の方が聴感に大きく影響があるからなのだ。

素子側でそんなある意味逆転現象が起きる原因は素子の動作タイプにあり、それが上記1群の電圧増幅型か2群の電流増幅型かの違いである。
近年の高速半導体は殆どが電流増幅型で見掛けに似合わず大電流を一気に扱えるが、これが出遅れの一翼を担っているのだ。

簡単に言えば通路の扉の大きさが違う様なもんで、大きい扉は重いからどうしたって押した瞬間に開いてはくれないのだ。
もし流せる電流が少なくても構わなきゃ扉は小さく出来るが、電力量(電圧×電流)を同等に保つにはその分高電圧にしなけりゃなんない。

回路駆動電圧が高いと電池で動かすには電池が膨大な量になったり、余計な場所で勝手に電気が流れるのを防ぐのに絶縁を良くせにゃならん等多くの制限が付きまとう。
しかも高電圧は人が誤って触れれば感電の危険もあるし、高電圧・少電流は=ハイインピーダンスとなるので雑音耐性等も弱くなってしまう。

高速半導体はトータルでは圧倒的に省エネで高性能なので、様々な面で電子回路技術としては大正解だ。
がその僅かな弱点が音を創るのにはとても不都合で、音質の特に聴感上の印象を改変する処がアウトなのだ。
しかしもっと言うなら技術や素子に罪は無く、使う方が選択ミスをしてるだけの話しなのである。

こんなのを考察した端緒はどう聴いても球の方が音が良かったからで、それでも当初は単なる好みやノスタルジーだけが原因と思っていた。
だが幾ら散々色々こねくり回してみても結果が不動だったので、気のせいでは無く何か理論的にも原因があるのではと疑いを持った処から辿り着いたものだ。

<つづく>

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