多重録音備忘録Ⅱ⑬ PCでの無理くり編集Ⅰ
ここ迄自由な編集が可能となると最早倫理問題ともなり得るが、仕上がりの自然さを気にしなきゃ幾らでも行けるのは吉か凶か。
今時Live時の再現性とか実演奏の可否を気にするのは、俺みたいな過去の人!?だけだろうか。
結局は目的ってかその作品の位置付けにも依ろうが、俺は特例時を除き出来っこない音にしたいとは殆ど思わない。
その昔ドラムマシン登場時に一番印象的だったのがバスドラのフレーズで、人が踏めない連打をアンサンブルに加えた物等だった。
マシンが出来るまではそんな音は耳に出来なかったから新鮮で、少なくとも当時は誰もが入手出来るツインペダルなんてのも皆無だった。
その頃だって多重録音は既に普及してたが、フレーズの為の多重ってのはほぼ皆無だった。
そんなんしてたのはもっと前のBeatles後期作品位がいい処で、使えるフレーズが浮かばんと技術的に可能でも演ろうと誰も思わんかったって感じだ。
けれど暫く続けて耳にしてると我儘な人類は飽きてしまったし、機械の太鼓が合わぬジャンルには持込めず仕舞いとなった。
これに革命!?紛いが起こるとすれば僭越乍ら、俺様の片足での連打辺りじゃろうて。😵
ってつまらん自慢するのが目的じゃなくって、機械時代が発症由来のフレーズを人力で何故やりたくなったのかである。
面白そうが第一ではあるけれど、単なるサーカス芸の為だったらこんな練習嫌いの俺が到達出来る訳ゃ無いのだ。
シンプルでいてそれ迄とひと味違いが出せたらってのがあったからで、複雑では適用条件がとても狭くなるからね。
んでそんなのが例えば近年のデジタルでの編集を無理くり活用すれば、もうどんなのでもアッサリ誰にでも出来てしまう。
けれどそれはサウンドコラージュで構わなきゃの話しで、高音質化が仇となって昔より実は誤魔化しとかバレずにはとても厳しくなったと感じられる。
以前にも触れたが大昔の「尺都合編集」は意識すれば分かったが、無意識でだったら一々気にはなんなかった。
音質以外にも今より恐らく録音の場所・時間・機会・道具が限定的だったのもあったからか、寧ろどう頑張っても全く違う音が出せずに苦労してた位だったからか。
そこで俺的には演奏側の努力ゼロで大巾編集したいなら、今更わざわざ弾くのなんてご苦労さんと考えている。
編集は編集でも今なら録るより前に打込む段階で簡単に出来るし、それなら録った後でする時生じる欠点も一切出なくて済むんだからさ。
では演奏して録ったので編集出来ると助かるのはどんな場合かっつうと、「アぁ~惜しいッ」てな場合なら助けにもなる。
何分今の録音は高音質なだけに音色でもタイミングでも正確に拾えちまうんで、基本的には何回でも同じ演奏が出来る位のレベルじゃないとそれを充分には活用出来ない。
変な表現だがGuitarなら全体としてはもうとっくに弾けてるが、チョーキングの音程の上りの正確さを気にしたら次の音の頭が擦れちったみたいな状況である。
別表現とすればLiveでなら合格だが後から聴き返せるのとしては、僅かな不足が気になるなんて程度の演奏が出来てたらである。
またこの様な俺言い「マクロ部分挿げ替え」が有効化するのには他にも条件があるに等しく、同一日・同一機材・同一設定の場合じゃないと想定通りにならぬ場合が考えられる。
録音クウォリティの高さのせいで僅かな違いが分かり易くなったので、気温や湿度のせいで楽器の状態が微妙に違うのすら繋がりに不自然さを生じたりもするからだ。
依って成功率の高い心構えとしては全部通しで弾いて録るつもりで演って、どうしても残念な処だけを補填する位じゃないと効果より欠点が上回りそうだ。
近年では全部を弾いてみる前に曲の出来上がる事も多そうなので、完全に弾きこなせる様になるより少し先に録れる位のもんとでも言っとこうか。
<つづく>
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