プロの定義① 基準編
益々身分不相応拡張著しいが、一石を投じさせて頂きたい。
キッカケは認知度ではメジャー在籍経験がこれを支配するのは納得だが、専門的スキル不足のままでプロと呼んだりそう捉えて構わんとは思えない処だ。
免許証等がある分野だったら良し悪しは別として、兎に角分類は簡単だ。
だが芸術みたいに絶対評価が不可能なものだと、何らかの資格制度を設けた処で実質的にはそれすら曖昧なライセンスとなってしまう。
現代本邦は資本主義社会なのでそれに則れば収入面からの判別をするのが当然だし、英語のProfessionalを意味も含めてそのまま使ってるならこの話しはこれでお終いになる。
だが日本語でのプロって言葉の中には専門家等の意味も大きく含まれてるので、幾ら儲かっててもスキル不足の者迄含めるのは本来お門違いってもんだろう。
英語を採り入れるなら知識や実力が達人ってのに対応するExpertとかSpecialistってのがあるが、現状の本邦でそれを簡略化したエキとかスぺなんてのは無いから使い辛い。
音楽でもそうだがコピーして勉強になるのは不都合でもそれも含めた場合で、都合の良い処だけ安易に失敬して来りゃこんなもんだわね。
「食えてるからプロ」で不味いのは音楽ビジネスとしてならとても立派でも、ミュージシャンや音楽家としてはアマチュアの足元にすら及ばない者迄含まれてしまうからだ。
売れたらプロの音楽家では無くそれだけだったらスターやタレントとかアイドルと呼ぶのが相応しく、全く売れて無くても人並み外れて専門性や技術力があってもそんなのはどうでも良い事になっちまう。
これは世間で職業を訊かれ会社員なんて答えるのが一般化してるのと同様で、うやむやに出来て都合が良いなんて面だけに気を取られてるのと一緒だ。
だがそれだとヤバイ会社で社名を言い辛い場合等も含まれてる訳で、相手はこっちが思ってる程何時も都合良く解釈してくれてるとは限らない。
またこれはプライド(誇り)の面でも顕著で、過去のとは違うが妙な職種差別もプンプン臭って来て臭くて堪らん。
音楽ビジネスのプロだってとても凄い事なのに、どうも音楽界だとミュージシャンの方が良く思われてる節がある。
ミュージシャンは自らが立ち上げた企業で大儲けとならん限り、世間一般で言う社長とか重役なんて呼び名とは本来無縁なものだ。
なので音楽ビジネスのプロならそう云うのを前面に出すのが本来一番恰好が付く筈で、無理して音楽家ぶる必要なんて無いんだけどねぇ。
一方プロミュージシャンの99%以上はもし晴れて社長と名乗れても、ビジネス界観点では零細企業主の域を脱し得ない。
それと現在はミュージシャンも経済活動の一種と認知されてるが何時の時代もそうだった訳じゃ無く、今でもマイナージャンルのみに携わってたらどんな凄腕・大天才でもそれだけからの収入では暮らせて無いだろう。
しかしそんじゃ専門家に足りないのかってばそんな苦境でも続けられてる位だから、超専門家である可能性が高い。
世間に悪影響の無い範囲でならどう称したって構わんけれど、そんなのでその立場の人が劣化する様なら考えなきゃいかん。
収入観点では本邦では役職名や企業名でもそれを表せるのでそっちにして貰って、こう云う業界のはスキルに対する呼称と是非して頂きたいもんだ。
例えば相撲とレスリングを比較すると近年劣勢のプロレスですら、実質的な業績ではレスリングの方が遥かに上を行っている。
伝統芸能などを社会で支援するのは良い事だけどこれや税制の優遇等をもし全部排除して比べたら、恐らく相撲も歌舞伎も廃線検討すべきローカル線並に成り下がると思う。
更に別視点からとするなら学校の公立・私立なんかの学費と上記を比べりゃ一目瞭然で、公立系の相撲の方が大抵観戦チケットが高額なんだから随分妙な話しだ。
俺的には国技を広め親しんで貰うには寧ろ大巾値下げして、子供が小遣いでも見られる様にする方が将来の繁栄に繋がると思うんだけどねえ。
角度を変えて格闘家としての「本質」で比較すれば相撲に他流試合が無いのもあって、現況だと恐らく相撲以外の方が平均スキルは高いだろう。
でもだからって相撲の価値が減るもんでもなく、減るとしたら今相撲をとってる力士や協会がだらしないだけだろう。
概吠えだが実際の仕事内容が何であれ就業形態のみで「会社員」って馬鹿かじゃないが、そんな呼称を最優先するのは「金持ちじゃなきゃ偉くない」とか「金持ちだったらどんなロクでなしでも偉い」と認めてる様なもんじゃんか。
それじゃあ幾ら暴対法でヤクザさんを居なくしたって、国民全員がコソ泥化しても無理無いでしょうよ。
ここで特技を持ってない只のサラリーマンでは難しいけれど、何か技的なものを持ってる人なら違う呼称が使える。
それは楽器が弾ける者だったら担当パートの呼称で、PianistだのGuitaristってのだ。
世間での呼称や認識はこちらで操縦不可だからそれは諦めたとして、上手くなりたいのに良い意味での自覚が持てる呼称を放棄するのは勿体無い。
どう名乗りどう呼ばれどう思ったとしても、それで実力が落ちなきゃ結構ですがね。
そして意識の持ち方次第でアプローチ等に後から違いが出て来るのも考え処で、少なくとも「実際にやって見せる」必要がある分野では「名実ともに」じゃないと無理みたいですけど…。
<続>
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