多重録音備忘録③
この辺で録音方式自体よりそれに関する収録楽器について触れるとするが、それは爆音系の生楽器の扱いだ。
かつてデジタルサンプリングが無かった時代にだって、無理に言えばアナログサンプリングによる楽器もあるにはあった。
それが所謂メロトロンであるが高価且つ入手難だったのと、音色的に生とは歴然たる差があった。
だから普通に使うとせいぜいLive時に生の代用とするので精一杯で、録音時は意図的にわざとじゃなければ用いられなかった。(ブームはあったけど…)
それが今では元が生のでもかなり加工したりするしクリックも常用するもんだから、デジタルサンプリングのだと少なくとも無意識に耳にするには音色だけなら大差無くなっている。
すると録音では普通に演っても大音量の楽器の扱いに影響が出た様で、それ等が非生になるのさえ妥協すれば所謂レコーディングスタジオグレードの防音室等無くても全部録れちゃうんだよね。
又打込みの方も作業の早さと編曲の基本バリエーション等では多少の進化はみられるが、音楽的度なんて視点で捉えると却ってかなり後退しちまった様に伺える。
商業ベースの打込み物の黎明期は周囲は達人達の生で溢れかえってたし、機器レベル的にもそのままでは全く太刀打ち出来ない状況であった。
そんなほぼ純粋に機械であってもかなり大変だが使い方を上手く工夫すれば、少しは音楽的にもなるしそうせざるを得なかった。
一々パッチケーブルを繋がないとそもそも音がロクに出なかったりしたアナログシンセ等がその典型で、実際技師観点からだと機械としては音響測定用の発振器と殆ど相違点が見出せぬ位だった。
この件については最近修理をしたりしたのもあって、色々と再認識等もあったがそれは後程。
ここではそんなほぼ機械で弾いてたのの方が全数的には、近年のデジタルシンセで弾かれたのより何故か音楽的だった点だけに一旦留めとく。
そもそも人の肉声等の自然音以外だとどんな古典的な楽器だって、少しは元から機械的だったり機械なのに他ならないのだ。
死語連発気味となるが昭和末期の一軒家の応接間に放置されてたUplight Piano、音を聞かなく・聴けなくてもそれを目にして楽器じゃないと思った人は多分皆無だ。
しかし実質的には無理に実用面を探ってもオブジェとして以外では、花瓶や縫い包みを載せる棚位の役目しか果たしていない。
その内建物の解体と同時に悲しい末路を辿ったであろう…閑話休題、要は誰でも楽器として使われてる姿と音を良く知ってたから楽器と認識してたに過ぎないのだ。
全く非現実的で無意味だがどっかの子供に絶対楽器としては触れさせず、あれは高級な棚なんだとずっと教え込んだらどうなるか一寸知りたくなったりもする。(※某国政府みたいに実際やったらアカンぜよ!!!)
つまり楽器の「機械化度」に依って程度差はかなりあるが、どれでも「音楽になる様に操作する」から楽器に見えるだけの話しなのだ。
近年の打込みだけで名を成した者の多くもその成功者の殆どは、演奏技術レベルは別としても大抵の場合後から本人の生の部分が加えられている。
極端なのだと曲で売れたのに、今では演奏家として大成してるのなんかだって散見される。
これをまとめれば結局は楽器かどうかは無関係でも、音楽を演るとか「音楽にする」技や知識はどんな方法を取るにしても必須だってこった。
それを強烈に再確認させられたのが上記のアナログシンセで、今回修理したヤツはモノフォニックで一度にたったの1音しか出せない骨董品だ。
鍵盤楽器感覚だけで捉えると「1音だけ」は真に不便であるが、管楽器系等だったらそんなの常識だ。
それに弦楽器だってポピュラー系でのSoloを弾く時は、今だって和音不使用の方が圧倒的多数だ。
その面よりも出来る事に限りがあっても、出来る範囲内でならどれだけ意図した操縦が可能かへ今回再着目させられた訳。
近年は自動車を持たない人が多いから余り良くない例えかもだが、まるで車の変速機のマニュアルかオートマかなのととても似てるのだ。
皮肉になったらゴメンよだがF1チャンプだったらきっとマニュアルの方が、免許取りたて若葉マークとかペーパードライバーだったらオートマの方が速いし乗り心地も良い筈だ。
音楽ではそれが恰もアナログモノシンセとオールインワンデジタルシンセが該当してる感じで、何とかして「もっとこう云う感じに弾こう」とかした時に近年のはそれを受付て貰えなくなっていたと。
その原因は少し前の回等で記して来たが、時として普及とか一般化にはこんな弱点を内包してるもんだ。
これは一概に優劣を論じられはしない性質の問題だが、最低限そう云う差異があるのは知っといて然るべきと思う。
昔のが操縦面では自由だったのも裏を返せば機器的に不備だらけだったからとも看做せ、使い方で何とか間に合わせて貰おうって魂胆も見えなくはない。
けれども音楽っぽいのじゃなく人の息遣いが何処かに感じられる様な音楽を演ろうとする時、優先的に要るのは機械的性能よりも操縦性なのだ。
お題の多重録音から乖離感のある話しを暫く続けたが、案外それも録音の仕方に影響してると考えられたからだ。
例えば現代基準からしたら酷くLo-FiだったAMラジオ等で聴いただけなのに、あの○○って歌手は実に美声で素晴らしいなんてどうして昔は皆が分かったのかだ。
これを分析すると音の情報量は極端に少なかったんだからオーディオ的素晴らしさはあり得ず、歌声の何処かほぼ一ヵ所に他とは圧倒的に違った優れた音楽性があったからとしか考え様が無い。
録音技師の立場でなら音全体の状況を気にするのは当然だが、音楽家だったら例え他の全てを犠牲にしても優先すべき点があったんだと。
要はその音が多少しみったれだろうとみすぼらしかろうと、何処かに他ではあまり耳に出来ない「魅力」が無けりゃ話しが始まらないのである。
理屈では高音質になる程その魅力を余す処無く収録出来て良いんだが、現実にはそれよりも今迄は埋もれてたりボヤケてたりして見過してた「音楽に直接は無関係」な部分が目立って気になってしまっている。
少なくとも不完全人間の俺等「頭ではかなり他人より熟知してる」筈にも拘らず、余程気を張って注意してないとすぐにそんな聴き方になっちまってる。
それが知らず知らずの内に録音でのテイクの可否等にも及んでたりして、何となく出来栄えの訴求力が低下気味になってる様な気がしてならない。
それ以前に収録音の調整や可否からして怪しくなってる時もありそうだが、それは次回へ。
<続>
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