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2019年5月

2019年5月31日 (金)

多重録音備忘録⑬ Mic録りとLine録りⅠ

新項目に入る前に前回迄の若干の補遺をしとくと、録る時の奏者モニタ音量は当然だが演り易さが基本条件だ。
この場合は限度はあるが各個人に適合させるのが優先なので、本人以外は余り口を挟まない方が良かろう。

但しもし「個性的な音量・音質」を望んでるなら、それ用のヘッドホン位は奏者が自前で用意するべきでっせ。
他所へ出向いて録って貰う時等は、場合に依っては持参ヘッドホンの駆動Ampもあった方が良い。

この点も個人差千差万別だがモニタの具合が出来栄えに響いてる様なら、ヘッドホンとそのAmpは買っても壊れる迄は1回こっきり。
スタジオ代が2~3回位迄なら兎も角、それ以上になれば時間を要する他にトータルではコストも嵩むからね。

では本編のMic録りとLine録り、今回は先ずMic録り「か」Line録りかから行ってみよう。
生楽器の場合エレアコタイプの以外は選択の余地が無いので外すとして、電気楽器以上の機械寄りのでは一応選択可能だ。
ってより現実的にはコストや場所等の都合を鑑みると、今では「可能な限りLine録り」が多そうだが。😓

上手に処理すれば元は「スピーカから鳴らす物」をLineにしても何とかなるが、もし空間処理等に不安があるなら遠回りするかも知れん覚悟が要る。
また生が歌だけとかたった1つならまだしも、太鼓と歌が生なんて時は可能な限りMic録りをするのがお勧めだ。

パッと聴きはLine録りの方が大抵小奇麗で、Mic録りのは下手すっと素人臭さが出るかも知れない。
だがLine録りはリアリティや存在感が「後から薄れ」易く、小奇麗だがひ弱とでも思っといて頂こう。

今はマルチEffector等にそれ専用の出力が付いてたりして昔よりかなり楽になったが、それでもMic録りと比較すると楽器音としての完成度が実は低い。
幾らAmpやスピーカの高度なシミュレーション回路が付いてても、完全再現には未だ程遠いのが真実だ。

それは電気(電子)だけで処理しようとしてるからで、実際の楽器Ampには物理的作用も大いに含まれてるからだ。
またベテランなら脳内イメージが強くて平気かもだが、聴こえる音の様々な違いのせいで演奏自体が望まぬ変化をしてる可能性も高い。

例えば3段積みMarshallを実使用すれば、極一部の方を除き一にも二にもその「ウルサさ」と先ず格闘するであろう。
それがウルサいからって遠慮がちに弾いたら失敗だが、そこ迄の爆音だとどんな僅かの雑音や弾き損じだって嫌でもハッキリ聴こえてしまう。
なので慣れられさえすれば、大抵は自然と丁寧に弾く様になってる筈だ。

それをEffectorで小音量モニタなんかで演ってたら、現物では聴こえた部分がその時点では聴こえなくなるのだ。
だが録った後はどっちでやっても概述の通りほぼ同音量になるんだから、この場合は無配慮に演ればLine録りの方が「荒い演奏」になってる確立大なのだ。

ここでの注意点は楽器自体へのタッチノイズ等はLine録りの方が一聴分かり易いが、それが楽器音として体裁を整えた後には不一致となるのも多い処だ。
楽器音として不要な周波数帯域の雑音は、あっても無くても処理後はどうせCutされるのよ。

寧ろ雑音がその楽器を構成する中心的な周波数帯域にだと、Line録り時点では「こん位なら平気だべ」と思ってたのが処理後には巨大化してアウトになる心配をしといた方がいい。
これを会話に比喩するならMic録りは同国人同士・Line録りは通訳付き、そんな風に解釈しとくと相応しいかと思う。

勿論音色の都合で意図的にとか環境等の都合でLine録りってのもままあるが、一言で言えばMixはLineの方が手間が掛って当然って覚悟はちゃんとしといておくんなましよ。
つまりMic録りとLine録りの差はもし奏者と求める音が同一なら、旅の前半・後半のどっちで有料道路を使うかってなもんなのよ。

例えばその道程が前半は雪道だったら南国出身者はそこで有料の方が除雪が行き届いてそうとか、後半が急坂なのに乗ってる車が非力だからそっちで有料乗ってとか。
故に出来んのを無理してでもやれってんじゃなく、もし選べる時はどっちが合うか良ぉ~く考えてねって話し。

一応の選択指針を例示しとくと、演奏と音響細工のどっちにどれだけ得意かが先ず一点。
電気や機械は苦手だけど演るのなら楽勝の人だったら、Webへ上げる弾き語り動画はもう思い切ってワンポイントMicだけで行っちゃいましょう。

音響理論のみではOn Micの方が明瞭となるけど、PAレスの生演奏が得意ならその影響はとても小さくなります。
On Micにも欠点・弱点はあって、距離や角度の僅かな不適当でもう利点は台無しになりますから。

逆にカラオケならしょっちゅう行って歌い慣れてるけど生演奏なんて滅多にの人だったら、上記の逆で試行錯誤した方がゴールが近いでしょう。
但し最低限の音響処理技術を身に付けるか、出来る人に手伝って貰わんとだけれど。

<そら続くわ、初回だもん>

多重録音備忘録⑫ モニタ音量Ⅲ

続いては小音量楽器等を録る時のモニタについてだが、今日みたいに遮音性能に優れたヘッドホンが出回ってると爆音物みたいな苦労は無い。
でも強いて言えば記録のデジタル化等で、どんな微小雑音でも全部記録されちまうのが注意点だろうか。

また雑音ってばMicプリ部の雑音も、他がここ迄静かになると考えずには居られんかもだ。
小音量の収音だからMicには感度の高さを求めるのは当然だが、録ってから高域を盛大に盛りたい場合等は感度より雑音の方が問題となる。

よって録られる人もだけど特に「録る人」の方は、楽音と雑音の比率が良く監視出来る状態が必要だろう。
こんな用途には俺嫌い過剰演出気味近年ヘッドホンの方が、差を感知し易いから向いている。
それと楽音が鳴ってる時は雑音は目立たなくなるが、音響後処理の仕方に依ってはEffectorの反応に違いが出る可能性もある。

尤も小音量収録で一番大変なのは今昔関係無く、静かな環境必須なのは変わらんか。
どっちかっつうとこの場合のモニタは、録る時より録った後の仕方に注意が要るだろう。
それは他の場合より大き目音量で聴いてみとく事で、特にスピーカのみでモニタするなら尚更だ。

奏者と録るのが同一人物なら「録りながらモニタ」でヤバきゃ途中で止めるのも考えられるが、雑音が奏者の粗相じゃない限り責任は録る側と考えるべき処。
しかも演奏に集中するには微小雑音検知は負担が大きいから、下手に同時進行させて共倒れする位なら時間で分けた方が賢明だろう。

もしこの時点で変に気になる雑音があった場合、後でしっかりコンプを掛けたりしたいなら録り直すのが無難だ。
楽音が完全に無い部分ならGate等でCut出来るけど、微小楽音とそれなり雑音が同時に鳴ってる部分はそれを治める手立てが無い。
最悪だとコンプが雑音の方に反応したりするからでそうなる前にとするには、録った直後のモニタで可否判断が付くのが最短コースとなるだろう。

流れに乗って!?ここからは録った後のモニタに入ってくが、以前触れた機器の適正から今回は作業の都合での適正音量についてだ。
その一例が上記のだとかだが、モニタ音量次第で調整の加減に影響大なのは何っつってもやはり低域ではなかろうか。

一番起きがちなのだと小音量で足りる様にすると大音量時が低域過多或はその逆と、なるべくなら音量に左右されない低域としときたい処だ。
これも概述だがそうしとかないと音量次第で「違う低音に聴こえてしまう」で、こっちの意識の有無に依らず聴き手には別物と思われる危険すらある。

また高域に関しても小音量時には平気だったキツさも、大音量にしたらとてもじゃないが耐えられない代物だったなんて可能性も多々ある。
敢えてハードルの高いのも参考に挙げとくと、本当に優れた中域は柔らかいのに小音量でも明瞭なんてのも…。

これ等をなるべく達成させるには聴き方や回数も力にはなるが、音量の影響は計り知れぬ程大きい。
概述の如く可能な限りの方法で試聴が推奨だけれど、何時も再生装置が手元に多種あるとは限らない。
究極的にはたった1つのヘッドホンしかなくても、再生音量のバリエーションが多いだけでも結構カバー出来るかも知れないのだ。

俺の場合最初は好みの音色に先ずは注力していたが、近年録音時にはそれより常に「聴こえるか」のみへ殆どの神経が注がれている。
個人的だけれど音色を在り来りから個性的にして意味を為すには、極力常に聴こえるのが先決だからだ。

特定条件下でしか聴こえない個性では幾らこっちがその気で居ても、大多数には恐らく気付かれぬままに終ってしまう。
それにアンサンブル的にバランスが宜しく無かったらそのせいで悪印象にもなったりするから、ホントはそこそこの音色に仕上がっててもそうは評価されんかも知れない。

たまたま俺は担当楽器種が多いから早くに気付けたのかもだが、人が評価してる優れた音色の多くは「アンサンブル内に於いて」の条件付きの方が多いのではないか!?。
体験印象ではClassic・Jazz系なら未だしもポピュラー系では、ずっと延々楽器単体Soloってのはかなり僅少なのだ。

単一楽器だけで長時間飽きさせぬにはやはり技量がかなり必要で、弾き方からして他種擁してるのが望ましい。
けれどその修練に時間を取られればどうしたって合奏の方はその分疎かにならざるを得ず、常に分かり易い親しみ易いのだけを続けるのだって困難になる。

となるとその手のはどう頑張っても「楽器ヲタ向け」寄りになるのも当然で、音楽をシンプルにしたければこそ単体より小規模アンサンブルの方が適性があると思うが如何かな。
そんな考えに基づくと「再生音量を選ばない作品」ってのがスタート地点で、限界はあるがそれを目指すのが他の部分を向上させるにも近道と思えるのだ。

んなこって俺的には録ったののモニタ音量は、そんな極端なの要るんかいって位なの迄広範囲な増減をして聴いてみるのがお勧めなのだす。
またそれの体験が蓄積される事で所望音色の獲得方法なんかも「無駄無く」コツが掴めて来ると思うので、他の操作よりコレが土台となると思っとるのです。

機器の方もだが何しろ人耳は音量に依ってかなり周波数特性が変化するので、幾ら頑張っても物理的に同一バランスを提供するのは不可能に等しい。
どうしてもってんなら「この曲は必ず○○dBの音量でお聴き下さい」とでもするしか無いが、音が耳到達時点で○○dBを確実に実行するのは専門家ですらかなり大変だ。

しかもそもそも耳の個人差更には同一人物でも左右差が想定され、数値的に絞り込む意義が無い。
厄介なのは機器の方は特に近年はデジタルなので、全部完全に数値でしかないのが噛み合っていない。
それでも音楽としては誰にでも狙った通りに聴こえさせたい処で、正に感性勝負なのである。

例えば低音の感度か平均よりかなり低い人が居たとして、他人比較だときっとどれもが軽目に聴こえてるだろう。
けれど「1曲目より2曲目のはBassの大きさが倍になった」なんて、比率だけなら他の人との違いは出ないのだ。
これから考えると音色って結局は比較に依る要素が大きい訳で、再生音量に各パートのバランスが左右されんのが音色の変動が無いとも置換出来る。

本来は録る前の段階でなるべくそれが達成されてるのが理想で、後処理が少なく済む程バランス等「別事情」に依って音色が弄られる危険が減る。
それが無理でもせめて一通りのパートが録れた時点で、最低限の加工でバランスさせとくとやはり後の心配を減らせるだろう。

<続!?>

2019年5月30日 (木)

多重録音備忘録⑪ モニタ音量Ⅱ

歌と爆音楽器の録りモニタの続きからだが、その適正音量には低音の含有量も関係がある。
低音量が多い時場合に依っては、実際よりも少し高い音程に聴こえる現象があるのだ。

音は物理的には空気の振動なので、空気に別の何らかの力が働くと音に変化を生じる場合が多い。
最も代表的な所謂ドップラー効果は音源が移動するせいだが、実際に出てる音程より近付いて来る時は高く・遠ざかる時は低く聴こえるアレだ。

これは音源が移動するせいで近付く時は音波(空気の振動)が「後ろから押される」為に少し圧縮されて波長の短縮化に繋がり、これが音としては音程(周波数)の上昇となって聴こえるのだ。
移動音源が離れる時は音波は「前から引っ張られる」状態となるので、波長延長→周波数低下→音源より少し音程が低下となっている。

ここでの要点は 空気は弾力性に富むのでちょっとの事でも簡単に伸縮する処で、それが音源位置が不動の場合でも悪戯作用する場合があるのだ。
部屋みたいに空間に限りがある場合、当然空気の容量にも限りがある。
すると低音の場合部屋の響き具合も関わるが、一定以上の音量になると出してるのより少し音程が上がって聴こえる現象が起きるのだ。

そのからくりは引かれも押されもしないけど、壁に音波が「突っかっえて少し縮んじゃう」からだ。
過去作品でBeatlesでもStonesでもMG’sのでも初期のにこれがみられるが、これ等ではBassだけ音程が少し他より低くズレてる様に聴こえる。

何れのBassistも達人中の達人だってのに若い頃は大した事無かったのかってば否、恐らく現場ではそのチューニングの方がピッタリ音程が合ってたからだ。
つまり上記の現象が発生して、正規のチューニングでは現場では上ずって聴こえてたからなんだと思われる。

その俺的根拠はMG’s以外は歌があってしかもコーラスも多いので、もしBassをそうしとかんと歌全体が恐らく全部上ずってしまうだろうからだ。
歌の「音程取り」はGuitar等でも不可ではないが、音域が近かったり被ったりもするので「音程の距離間」が判別し辛い。

それがBassみたいに離れてると分かり易くなるし、コーラスも和音の響き具合も聴くけどもし主旋律より小音量なんかだと歌同士だけでハモらせるのが困難だからやはりBassを頼りにする。
当時は今より全体は小音量だったろうし歌の明瞭度を確保するにゃ極力PAからの音は無いのが望ましく、PAはあっても殆ど恰好だけに近かっただろう。

Mic本数が少ないと音源からの距離も出て望まずとも周囲の音の混入が増えるんだから、不要なら「余計な所から」音が出て無い方か都合が良かった。
歌には流石にOn気味に構えてたけど過去記録写真等を見れば一目瞭然、「歌全体に対して1本」が多かった様だ。
すると「歌う同士」は隣り合ってるので、伴奏音量が適切で声量充分ならPAなんぞお呼びじゃないやね。

また広さもあるが録るハコがデジリバなんて無かったから残響多めで、しかもそれが低音程響く様になってたろう。
そうしとかんと録ったら軽くて迫力の無い音になりそうだったからで、エレキBass登場以前はそこ迄低域の量を出せる楽器なんて無かったし。
Micはまだしも一度録音関連機器を通ると、恐らく生より低音減少が必至だったろうからだ。

今ではハコ等の都合でこの現象が起きる事は、武道館にでも出られる様になる位まではほぼ不要だろう。
だがヘッドホンはある意味とっても「狭いハコ」とも看做せるので、結構簡単に頻繁にこの現象を誰でも日常的に体験出来るししてると思われるのだ。

歌うのに聴こえないと困る頼りになる味方のBassパートも、低域量過多だと歌の音程を惑わす敵へと寝返る。
声量が無けりゃ余り心配無いが、爆声の場合気を付けなきゃイケナイ。
「そんな大声出さんでもエエからもっと音程正確に」なんて、本人の聴取状況未確認のままで安易に言っちゃ可哀想ってもんよ。

でも上ずり聴こえが回避出来そうな位にBassを下げたら、小さいよなんて言われたらチョイ焦るか?。
その場合はBassの「倍音」で音程が分る様に全体レベルを下げるんじゃ無く、EQで低域の過剰分だけを削るのが良い。
それで少し全体音量が低下する場合は寧ろその分を補って、チョイ上げすれば大抵は解決する筈だ。

これが歌以上に割と何時も関係しそうなのが爆音エレキGuitarのリードパートで、特にアーミングをする場合は音程がホントに手加減オンリーになるから「聴こえ方」は大問題だ。
加えてその奏者がもし歌わん人だったりすると、この現象の認識が無い事も多いから本人任せは危険かもだ。

今回案件は機器や人耳に対する補正ってより、鳴らす空間に対する補正と言える。
但し爆音太鼓の音程の低いのとかAmpで歪ませるBass等だと、それ自体の音量は抑えるのが不可能だ。
理屈だけだと低域を減らしといて録って後から復元すりゃって思うかもだが、それをすると楽器の鳴り方や歪み方が変わってしまう。

そんな時は高遮音性ヘッドホンは救いの神にもなり得るが、耐入力と出音のバランスに配慮しないと意味を為さない。
一部の古典機以外は必要最低限音量再生を主軸とした設計なんで、その多くは低・高域が実際と同等かそれ以上に大きくなる様になってるからその配慮も要る。

最近は昔より小音量化した気がするしPA等の進化で昔比だと遭遇頻度は減ってるが、それで逆に業務用Bass Ampでの「対応」が省かれた面も伺える。
宅では俺の齢やキャリアの都合もあってそれが’70年代の物だが、Low Endは確かに出せるが当初の想像よりは意外と低域量が少なかった。

後に俺が時々やってる太鼓練習用シミュレーションの俺言い「擬似Band」で、一度に沢山の爆音を同時に鳴らす様になってその意味が漸く良く分った。
もし低域過多だと真っ先にバスドラが喰われて犠牲になるが、それ以外のも「巨大なうねり」に飲まれるからかアンサンブルの聴き取りはかなり悪化したのだ。

また主目的の太鼓練習にはBassのリズム聴き取りが最重要項目となるが、Bassの高域が足りないと音の始まり(アタック部)が不明瞭になるので不都合だった。
その度合いがBass単体だとそこ迄いらねんじゃねって位ちょっとオーバーにしといても、いざアンサンブルに入るとそれでやっと足りたか位に聴こえたのだ。

周囲の音色の影響もあるだろうが幾ら重低音ヲタの俺でも、先ず殆どの場合生太鼓は録音調整後のより高域成分が豊富なのが原因の様だった。
よって全パートをイーヴンなバランスで心地良く聴こえる様にしようとすると、宅の化石ベーアンの設定が見事にビンゴだったのである。

録ってからだって低音過多だとリスナーの聴き方次第ではこの懸念があるが、録る時や録る前だとマトモに録れなくなり兼ねんからスルーするのは自傷行為並と思って然りだ。
因みに読者様の疑問を勝手に先取りする積りでもう少し述べるが、中高域にだって波長圧縮は起きている。
だが周波数が高くなるにつれ音程に与える影響度が低下するので、通常は殆ど気にしなくて差し支え無い。

冒頭のドップラー効果では音程変化が中高域にも及ぶが、音源若しくは聴点との移動相対速度が低くなると効果も低下する。
つまり速度が高まるにつれ高い周波数でも変化が起きていて、それ故音源と聴点が固定なら影響が出るのは低い方だけで済んでるのだ。

またここ迄語るなら適正音量の具体的指標位は挙げるべきだが、ヘッドホンの形状と人耳の形状が実に多彩な上組合せも膨大なのでそれが不可能なのだ。
スピーカとハコにしても同様でこっちは更に響き具合等の差異も加わるから尚一層で、何れも実地試験で確認するしか仕方無くなっている。

けれども全然知らなかったり疑わずにやって後から「アリャー」よりゃ、そんな場合があるって知識を持ってるだけでもイザって時には助けになると思うんだ。

<つづく>

2019年5月29日 (水)

多重録音備忘録⑩ モニタ音量Ⅰ

では具体的にモニタ音量の実例へ進めるが、先ずは録る時点での奏者のから考察しよう。
一発録りでは普通なら奏者に録音モニタは不要だし、寧ろ余程録音慣れしてる人以外にはしない方が好結果に繋がり易い。

だが今は大昔みたいに伴奏は小音量・歌手は爆声量の正反対が多いので、歌う人は被るのが常態化している。
ここで難しいってか厄介なのは、そんな歌手でも普段はMic→スピーカ経由後の音でバランスを取ったり加減してる処だ。

一発録りでも歌だけ後録りも一般的だが、それだってモニタがスピーカからヘッドホンになるのが普段とは異なる。
このモニタ方法が録る時だけ違う点では、歌手はある意味「常に多重録音」で録るのと同じかも知れない。
それがMic程度しか道具を使わない分、どうしたって道具の使い方や慣れに難があるのは予め認識されたしである。

ホントならMicがあると「マイクワーク」も利用出来て、表現巾拡大も出来たり歌い易くなるもんだ。
一般的な歌唱用Micには指向特性が持たされていて、口とMicの距離や角度で音量以外に音色も変化する性質を持っている。
それを意図的活用するのがここで挙げたマイクワークなんだが、絶対的声量が不足だとOff Mic≒歌ミュート状態となって折角確立されてる技も使えなくなる。

声の鳴らせ方も問題で響いてる範囲が狭すぎると、ちょっと位置がズレると全く子音が聴こえなくなる等も。
結局はMic無しでも何処からでも聴こえる様な歌い方の人程、マイクワークもフルに使えるって2極化の極みだ。
そのせいか近年登場のマイクワークの達人ってのが記憶に無く、恐らく活用度が下がった分Mic自体の知識も低下してると思われる。

歌手のモニタ音量は本来なら本人の声量とバランスを取るのが原則で、歌・伴奏のそれぞれが別々に最大・最小となった時にも両方が聴き取れる様にするのが基本だ。
体験的には人のは声も真横とかに並ばん限りモニタ経由だが、自身の声は自身の「体経由」で聴こえるのが中心だ。
この内部経由は音質は今一だが、外部の影響を殆ど受けない強みを唯一持っている。

にしても迷惑大声な俺だと知る由も無いが、最近のはしゃぐ時より小さい歌声の人達だとどうなってんだろねえ。
恐らくLive時の自身の声は完全にモニタスピーカからだけの音を聴いてて、それだと俺なんかよりモニタからの歌が大きくないと不都合かも知れない。

だが先ず本人単位でもステージモニタからの自分の声が大き過ぎると歌が不要に遠慮しがちになったり、弾いてる楽器の聴き取りが阻害されたりもするから困る。
次に自分と周りでみても歌がハモり(コーラス)付きならメインとハモりが同じ一ヵ所からしか聴けないのは不利で、楽器同士でも同様にハモらせ辛くなるからそんなのホントは迷わず却下じゃ。

折角健常なら耳は2つあるしそのお陰で方向性もあるんだから、複数音を聴くのにわざわざ纏めてしまうのは勿体無いと思うんだよ。
それがもし全部外部経由とかモノラルとかになったら聴き取りが大変な気がして、もしかしたらそのせいで楽器も歌も同列に聴かせられる人が減ったんだろうか!?。

またこの問題は大音量楽器奏者にも関りがあり、本来とんでもない爆音楽器だったらそれ自体のモニタは不要なのが当然なのだ。
どころか寧ろヘリコプターの搭乗員みたいに心の平静を保つ為に、遮音して体に加わる過度な音響エネルギーを減らすべき位だろう。
現にドラムの練習で被ってウルサくなくなると落ち着けて、今迄何処でヨレてたかが簡単に分かったりしたし。

録音では重要度が上がる耳と神経の健全を維持するにゃ過大音量はマイナスだから、被ったのから流れる他パートのと被ってても聴こえちゃう自分の奏でた音でバランスさせるのが一番静かに事を運べる方法だ。
近年の高遮音性のだとまた様相も違って来るが、今でもまだ録音での標準機となるとSONY CD900STなのでそれだと外の音も結構聴こえてしまうからね。

もし楽器の音量が爆音でないならこの限りじゃ無いけど、楽器は音色の都合で音量が決まってしまう場合も多い。
俺知りのドラマーでは従兄が一番音量の割にしっかりした音を出せるが、彼の教室に訪れる最近の若い生徒さんからするとそれでも結構な爆音なのだそうだ。

それにGuitarのフィードバック奏法等は音量が大きい程歪ませなくても可能になる等、求める音に依っちゃ小さくするのが無理なのもある。
歪ませGuitarの音色についてもEffector利用で極小音量のと、Ampへ過大入力でのとでは明瞭度を始め様々な相違が出る。

先ず問題視すべきは機器の雑音で音量に無関係に出てるのもあるので、極端な小音量にするとそれと楽音との差が縮まって録るとノイジーになったりする。
次に大抵影響が考えられるのが前回迄に記したスピーカの適正音量域案件で、特に業務用系Ampのはその設定が最大音量近くになってるのが多い。

生耳にはけたたましい爆音だが、そのけたたましさがもし無くなったらどう聴こえるか考えて欲しい。
無駄な爆音は決して推奨しないが弾く時にどんな音量でも、普通は録るのにレベルを合せるものだ。
すると録った後のは大体同程度の音量となっているから、そこで漸く同じ土俵に上がったと思っとくれ。

録音ってんだから録った後の音で比較するのが当然で、言葉では当り前過ぎて誰も言いそうに無いけれど。
バカっぽいけどでもしかし、結構こんな原始的な部分に意外と落し穴ってあるもんなのよ。
どっかを有償で借りて録るんだと時間=コストだからテストを省きがちかもだが、もし試し録りレスでパーになれば財布落しちゃったのと同じだかんね。

んで脱線臭いけど録る都合がそんなだと、どんな高遮音性のヘッドホンを持って来ても厳しいのが低音ざんす。
光では赤より赤いのが赤外線で見える見えないでその境界線が引けるけど、音は凄く低い音域になると振動とは連続的で明確な境界線が無いんです。

全く同じ周波数でも体に揺れを感じない小音量だと音、耳にどうこう以前に全身が揺さぶられりゃ振動と感知したりしてませんかね。
故にそこ迄低く無くても中高域よりは遮るだけでは止められず、完全に揺れられない様に出来ないと低音は少し伝わっちゃうんだわ。

んでも皆さんヘッドホンは軽くてちっさいのがお好きざんしょ、そんなんじゃ低音は戦車が森の木をなぎ倒して進むみたいに役不足で御座居。
それで首に過酷で古臭さ100%でも一部にゴッツイのも生き残ってるが、それでもマシにはなるけど完璧には程遠い。

遮るのがとても困難なら漏れるのを許容するか前提として考えるしかなく、それが上に記した「大きいのはヘッドホン越しの音を聴いちまえ」なのである。
それと最後にまた重い指摘をしとくと各個人の適正聴取音量域は、その人が出せる音量と強力にリンクしてんの。

噛み砕いて言うと歌の声量が一番の指標で、もし絶対歌わんなんてんなら自分が演る生楽器のがそれに近い。
面倒なのは蚊の鳴く様な声しか出せない癖に、生じゃない楽器って武器を持つと豹変するタイプの人。
よく巷でハンドル握ると性格変わるなんてのは居るけど車は自転車みたいに漕ぐ必要が無いが、音楽だと耳にだけは必ず来ちゃうからね。

更に考えると難聴になるのって工場騒音とかのを別とすると、音楽なら「聴くだけの人」の方が多いと思うけど気のせいかな!?。

<だら続き>

2019年5月28日 (火)

多重録音備忘録⑨ モニタ機器Ⅴ

お間抜けな俺様君なので又しても順番が変で悪かったけど、このモニタ案件でもう1つの重要素が「モニタ音量」だ。
過去比較では環境差と担当差の影響が考えられるが、残念だが近年の方が考慮すべき箇所が圧倒的に増えたと思われる。

少し高度若しくは高級な録音って、その昔は基本的に個人では不可能だった。
何しろ機器がべらぼうに高価な上ガッツリ場所取るし、どちらさんでも扱える様な代物じゃなかったから。

それが今じゃかなり誰でも少なくとも簡単にチャレンジ可能となってそれは喜ばしいんだが、ちょっとしたでも重要な専門家の指導や助言を受け難くなっている。
これが俺的観点では基本的な部分に程多くあって、当り前過ぎるから却って誤認したままでも人に訊こうと思わなかったりする処だ。

今回案件に際し僅かだがヒントになりそうな例があったのでそれを披露するが、それは宅で使ってるモニタスピーカの耐入力表示である。
それは惜しくもスピーカから撤退しちまったAUDIXのNile Ⅴってので、50~250Wって全く奇妙な表記となっていた。

普通なら平均(rms)○○・瞬間(Peak)□□Wと書かれてる物なのに、無論方々へ訊いて回ったがその訳をずっと把握し切れずに居た。
それが本案件に直面して全くもってして今更もいい処だが、その範囲で鳴らせば設計通りの音で鳴るって意味だったのかもと気付いた。

ニアフィールドタイプの小型のなので250Wは恐らくPeak値だろうけど、50Wは入れないと駄目かもとは変てば変な感じ。
でも良く考えりゃ能率より周波数特性を優先した設計なので、力不足だと反応不足になったとしてもおかしくないのだ。

尤も低能率なので50W入れたって楽器Ampみたいな大音量にはならないが、見た目が近いミニコンポでBGMなんてのよりゃかなりウルサくなる。
因みに昔の「生同然再現」を目指した所謂「フロアタイプ」のモニタの能率は最低でも95dB位はあり、上の方は楽器Ampの高能率なのと同等の103~105dB位迄のが存在した。
宅のは87dBなのでPAや楽器Amp等と比べると凡そ10dBも低能率で、50Wでもそれ等だったら5W入れた時のと同音量だ。

今は環境や機器が昔とは違うから、モニタのデフォルト音量だって低下してると思う。
けれどもしカタログや取説に明記されてなくてもそのスピーカに合わない音量で鳴らしたりすれば、公表通りの性能が得られなくても当然なのだ。
大きい方は物理的限界のお陰で半ば自動的に定まりそうだが、小さい方はどれでも出せる事は出せてしまうので却って要注意だと思う。

ここで改めてスピーカやヘッドホンの音量に対する基本的な性質のおさらいをしとくが、構造原理的にどれでも適正音量域を外れると性能低下並びに音色変化が程度差はあれ避けられない
もんだ。
また公表されてるのは少ないが設計上の想定音量域がそれぞれにあって、値段やグレードよりも先ずはこっちに気を付けるだけで音質が向上すると思う。

近年の俺が嫌って「過剰演出」なんて言ってる機種も、元は小音量でも「普通の感じ」を得る為の施策だったのだ。
逆に近年巷で残念乍ら不人気の古典的なのでも、殆ど爆音になっちまうがそれ等の適正音量で鳴らすと決して地味では無くなる。

従兄推奨のドラマー用ヘッドホンは現代では標準的でも音色はかなり派手な方だが、極端な高遮音性を持たせて「小さい音で聴く」設計がなされている。
この小さいは太鼓を生耳でのより何分の一って位「小さい」で、サイレントPianoの太鼓版みたいな発想と言える。

であるからかなりな高能率とは言え現に最大入力もとても小さく、その値はうっかりしてると普通の機器に繋いでても飛ばしちまいそうな位となっている。
そこまで小音量になると人耳の聴こえ方にも普通時とは差が出て来て、低音高音の感度がかなり低下するのでわざと逆の性質を与えといて中和する作戦だ。

なので高遮音でもヘッドホンの音量が不足気味になる様な一部の爆音君には不適合で、どうせサイズが足りんからそれ以前の話しだけど俺には不都合だった。
各自にとっての適正音量等に配慮すると案外選択肢が少ないのは残念だが、実は良く調べると全く同じ領域に被ってる様な商品は殆ど無い様だ。

俺がKOSS PRO4AAなんて化石みたいなのを手離せないのも録音技師だからで、モニタしながら人が叩いてるののMic調整をしたりしなきゃなんないからだ。
そんな時は往々にして奏者より太鼓に接近する場合も多く、遮音性の高さだけではもうどうにも聴こえなくなる。

何しろ最悪だとバスドラの中へ頭を突っ込んでなんてのもアリで、ホントなら演奏の合間に調整するのが普通だろうけど。
時間的問題がある時も多いけどそれ以上に、奏者に一切余計な意識が無い状態での音でこっちは試行錯誤したいのもあるのでね。

無論拷問でしかない爆音なんかわざわざ聴きたか無いが聴こえないと仕事にならんし、頻度はどーでもモニタに制約が無い方が好都合なのは間違いの無い処だ。
但し音量は許しても音質に妥協は禁物で、折角聴こえても「違って」いたら何にもならない。
そこで音量だけなら他にもDJ用等選択の余地もあるが、爆音時でも音がニュートラルなのとなると化石君だけしか無かったのが選択の真相だ。

故に各自好みのブランドとか色々あるだろうけど、本件がもし不一致だったらアッサリ諦めるしかない。
普段は良くても肝心な時に、実際は好みの音が得られなくなってるだろうからだ。
俺も元からKOSSも好みではあったけれど、特に昔信奉してたのはSONYだった。
だが段々と自分のニーズとはズレが拡大して来て、接点が希薄になって来ている。

しかし何でも通販時代となって、聴いてから買うのが困難になって来てるのは本件では退化そのものだ。
又例え店頭へ出向いても上記の化石君が「本来の領域」で鳴らせる様になってる処はほぼ皆無で、この辺も選択を一層困難化させてるかも知れない。
そんな中所詮次善の策の領域を脱し得ないけれど、それでもカタログの売り文句等を熟読するとヒントが隠れてる場合も多い。

ニアフィールドタイプだから近くで良い音なんてのは大抵再生音量は大きいより小さ目が得意で、見た目に反しある程度の音量を要求する物だと上記例みたいな半ば指定があったりする。
モニタ音量は小さ目な程「量に誤魔化される心配」が減るし負担も少なくて良いが、楽器を生耳で聴いたのより1/10とか迄小さくなると別の副作用が大きくなる。

例えば本当に綺麗な音を求めた場合、それが達成されてると少し位過剰音量になっても耐えられるものだ。
場合に応じてだが余り小音量だとどんなに分解能が高い再生装置でも、含有量が僅少の部分は聴こえなくなってしまう。

経験的には小奇麗さのみで良けりゃ近年のニアフィールドタイプだけで、それに合ってる音量だけでも何とかなる。
だが迫力だとか太さだとかを言い出すなら、上記の小音量だけで判断・調整するのはチト厳しい。
迫力や太さは必ずしも「荒い音」と同じじゃないので、小音量なら合格だったのがちょっと音量あげてみたら思ったより只乱暴な音だったなんてのが露呈して来る場合も多い。

<まだ続くか!?>

2019年5月27日 (月)

多重録音備忘録⑧ モニタ機器Ⅳ&

こうなったらクドさを売りにします迄言わんけど、録音機材の中で今ではモニタ部分が一番修正必須な筈なのに放置されてんのが多いからだす。
機器の記録や調整部分が向上して味気なくても余計な変化が僅少となった今、音が「何処で一番不要変化してるか」を気にしない方が変ってもんだ。

そしてこれを無視して継続させると、技師や音楽屋には致命的な悪癖が「知らん間に」すっかり付いてしまう危険を孕んでいる。
要するに物差しの基準点がズレちまうかも知れんのだから厄介で、後からどんなに学んでも感覚全体が偏寄しちまうんだぜ。

過去比較では近年のモニタスピーカは小型化に依る弱点を除けば、癖にせよ何にせよかなり改善されている。
だが俺的にはそれが返って諸刃の剣で、少しなだけに指摘でもされないと気付け難いと思っている。
具体的には例えば各トラックがそのせいで僅かに高域不足になってたとして、トラック単位だったら確かに大差無いがもしそれが24コ全部とか積み上げられて来るとサルでも分かるレベルとなって来る。

しかしどれか特定のトラックが他を引っ張ってたりしたならそこから順に修正すれば良いが、全部がとなるとそもそも犯人特定が困難だ。
まるで島民全員が泥棒の島へたった独りで流れ着いちゃった状態で、道案内を頼んだお巡りさんにすらお財布をスラれるかもなんて…。

Micやスピーカは一面で単純明快なので他機器より見落とされ易く、けれども機械的部分については「後から修正」が無効だ。
さて只ほざきばかりでは仕方無いので、ここらで各自の現状無変更で出来そうな手を披露しとこう。

EQが余ってるor余裕のある者は、先ずモニタスピーカ・ヘッドホンの補正がお勧め。
それが無理な場合は録った物を可能な範囲で、違う機器や違う方法で聴いてみるのがお勧めだす。
そして後者には「真実を聴く」(大袈裟だけど本当!?)他にも、結構大事なスキル獲得につながってるだす。

それは色んな環境や機器だと自分の作った音が「どんな風に聴こえるもんなのか」で、ある意味囲碁や将棋で先の手を読むのと似た効果がありんす。
これの一例示としてドラマーの従兄が自身で録った作品だと、どんな酷い録音(スンズレイ)のでもCymbalが籠って聴こえたのは皆無となっていたのがある。

デジタル化以降のは別としても習得した経緯すら訊いてもいないけど、大体4kHz辺りが引っ込まない様に気を付けてそれが達成されてる様に聴こえる。
Cymbalの高域倍音ってばもっと上の10kHz以上とかに着目しがちだし俺もその口だけど、ボロいラジオ(特に昔の)だとそんな帯域はマトモに再生されなかった。

正規のオーディオで再生すれば10kHz以上盛りでもちゃんと聴こえるんだけど、それだと再生機器(環境)次第で彼のCymbalの音色は違って聴こえてしまう。
従兄は恐らく「俺のCymbalは常にシャープで美しい」を維持したかったが為、どれで聴いても「あの音」にすべくそうしたのは訊くまでも無い。

それと再生可能でも超高域は指向性が鋭く狭いので、スピーカと聴き手耳の位置関係が悪けりゃ「鳴ってても聴こえなくなる」性質がある。
この面からも「超高域のみに頼った音創り」等の極端なのは色々と危険性が高く、少なくとも環境差が音色差に繋がり易い。

俺の場合自分のはもう少し従兄より上を目立たせたいけれど、それでも何ででも聴ける帯域を疎かにすれば「違って聴こえる」から個性が揺らぐ危険がある。
なのでまだ研究途上だけど上が一杯出てるのの「下の方はこんな風に聴こえるもんだ」の堅持を目指してて、例え聴こえなくても印象変化の最小化を狙っている。

これに多分関係大ありの毎度の無理盛り関連案件だが実は偉そうにしとき乍ら、俺自身もかつて色んな処で無理盛り競技会化して困った経験がある。
これは一発録りより多重録音の際に、それも特に単身で全部賄う場合に起き易かった。

何が起きたって録音初期に収録するのの音質調整は、その後を予測して事前に後で不足しそうなのを多めにしとく。
それが録り進めてく内に無理な競争状態に陥ってしまい、収拾を付け難くなってしまったのだ。
或は本人無意識の心配性でも発症したか知れんが、各パートと全体の両方へ同時に集中するのは中々簡単じゃないわ。

今だって時々プチ発作が起きてる感じもするけど、解消の鍵は「最低限」とか「譲れない部分」へ集中する事だ。
近くを注視すれば遠くが呆け遠くを注視すりゃその逆となるのは仕方無い現象だし、従兄曰く「もし全部見えたってそしたら今度は頭がとても追い付かない」そうでご尤も。

具体例として半ば偶然何とかなっちゃったので、エレキGuitarのAmp直結歪ませで極端にブライトな音色にした時の話し。
その曲のそのGuitarは兎に角ペラッペラで軽薄な感じにしたくなったが、そこでAmpのVolumeとTrebleツマミのみ全開・他はゼロとした。

当初懸念されたのは音程感の欠如で、実際シングルコイルのGuitarで無歪だったらほぼパーカッション化してただろう。
しかしPUがRearでもハムバッキングだったのもあるが、次の2点が着目点だ。

宅AmpのTone回路はパッシブ型なので増減は出来るが、所謂○○フィルタみたいに削ぎ落すとかは不可能な仕様だった。
それを歪ませてるんだとAmp感度が高まってるので、小さくなった中低域も何とか聴こえる位の音量迄底上げされていた。

この球Ampはオーソドックスだがそれでか、どんな設定にしても楽器の音になる様に作られてたとも看做せる。
これは悪く言えば音色変化巾が大人しいとなるが、Amp自体に無理に逆らわない限りどんな無茶しても楽器の音になるのは保証してくれるとも言い換えられる。

この類例をも少し踏み込んでくと、例えば圧倒的重低音Bassサウンドはどうしたら獲得出来るかだ。
単純思考では周波数の高いのはCut・一番低いのを限界Boostとなり、それ自体は大間違いでは無い。
だが実は完全に超低域以外を排除すると、思ったより低域が目立たなくなったりするのだ。

それは「比較対象」が居なくなっちゃうからで、弱くないにしても一体どんだけ強いかはそれを計る為の基準があった方が効果的だからだ。
なので良く聴かないと分らん程度の僅かで良いから、強調したいのの反対側も残しとくと好結果に繋がる事もあるのだ。

これは過去の貧機器しか無かった当時の作品を聴き込んでけば分かり易く、スペック全体が絶対低性能だったのに聴いた感じはともすりゃ今以上のがあったりするのが証拠だ。
しかも俺の印象では予測に反し、割合的には古くなる程それが達成されてる様に感じられた。

そしてこう云った調整時に影響大なのがモニタヘッドホンで、近年の通例みたいに小音量だとスピーカモニタでは僅かに残ってるかどうかの判断は難しいからねぇ。
もしも熱すぎる奏者+その人用のモニタは盛大演出ヘッドホンだったら、その場で納得して貰っても過剰演出サウンドにならずに済むかも知れない。

だが後になって怒られて2度と来なくなりそうだし、こっちは思いやりの積りでも何時まで経っても中々自覚して貰え無さそうだ。
そんな場合は普段より大音量で聴かせるのも効果的で、小音量に過度の迫力を求めるのはどだい無理がある。

<続々続>

2019年5月25日 (土)

多重録音備忘録⑦ モニタ機器Ⅲ

以前からの読者様には恐らく不要だろうけど、前回最後部に疑念を持たれた方への種明かしを。
端的に述べますればカーオーディオでは空間等の制約がとても厳しいので、スピーカ能率に「しわ寄せ」が行ってるからなのです。

Bass Ampにも近年は超小型が出たけれど、生ドラムと一緒でも聴こえる代わりやはりミニコンポなんかと比べりゃ圧倒的にデカくて重たい。
だがカーオーディオのはSub Wooferを除けば、耐久性に勝る以外はミニコンポと同等ですがな。

さて多重録音のモニタ機器の項で何で今更のスピーカ能率話し再燃かってぇと、それが原因で望まざる癖が付いてしまってる場合もあるからざんす。
兎に角それ位スピーカってのは「置き去りにされた化石」ってな感じで、周囲との進化差が近年ではより拡大してるのが偽らざる実情なんざんす。

それでも昭和の頃から比べたら進化は僅かでも色々改良はされて、まあまあ聴けりゃOKだったら大して手を掛けなくても使える様にはなって来た。
だが「まあまあ」が録音モニタにとっては却って大敵で、聴けるから問題無いだろうとつい油断させられるのだ。

その昔所望通りのモニタが作れなかった頃は只接続するだけじゃ無く、使う前に必ず調整をするのが業界では至極当然だった。
実は今でも余程コストを掛けない限り完璧にはまだ遠く、JBLのを例示すると金満マニア向けの超高級品に迫らんばかりの値段のじゃないとそのままでは使えないのだ。

とは言っても物凄く特別な技が要るんじゃなく、大抵は少しEQで補正してやるだけで準備完了だ。
EQ(イコライザ)を直訳すれば等価器とでもなると思ってるが、そもそもが音色調整でも補正を目的として生まれたのがその呼称の由来なのだ。

最初は音響機器のその次の段階でMicのf特(周波数感度特性)のやはり「補正」に、更にその後PAでの会場音響の癖の補正に等と活躍の巾を広げて行った。
故にレコードの特性を戻す回路や機器に
も、Phono Equalizerなる呼び名が与えられてるのだ。

今だと特に音楽屋には意図的に音色を変える装置って認識しか無い者も多いだろうが、モニタスピーカやモニタヘッドホンにもそれをチョイと正しく用いるだけでかなり正確な音が得られてしまうのさ。
これをするに辺り好条件なのは各再生装置のf特が公表されてるヤツで、それだとグラフの凸凹になってる分を逆にしてやるだけでもう準備完了と簡単なもんだ。

前回記した宅のは不幸にも未発表だったので自分で測定せねばならなかったが、それすら録音に使えるMicとPCがあれば昔みたいに大変では無くなっている。
もし手間を厭わず正統派で行きたいなら部屋の音響特性の計測も要るが、近年みたいにスピーカの極近くでしか聴かないならこれを省いても影響は低下している。

補正の有無で何処がどんだけ変わるかってば、先ずは「音がスッキリ」するのが最大の違いだ。
これも前回述の「量過多だと他を食う」がスピーカ等の癖で起きてたのを無くせるからで、所謂高音質化とか高明瞭化とは違うが音質向上に大いに貢献する。

誰だって象徴的で目立つものへ気を取られるのは当然だけど、当初はこんな地味で目立たぬ部分だって「後からジワリと」全体にと実は一番影響力があるのである。
もしアナタが歴戦の猛者で「コイツだとこう聴こえる」等と熟知してるなら面倒な補正を省いても何とかなるかもだが、大して無理無く出来る手間を省いて得するのだけは無いと断言出来るだす。

まあそれでも個人の自由ですけれど、困った時に少しでも方法を知ってて損は無い筈ヨン。
では更にその先でなんで癖が残ってんのに対しての回答は、コストや総合性能のバランスからだと答えときます。
商品の値段を下げるにゃ量を売らなきゃなんないが、そうなると録音用とか業務用と設定してもホントにそれだけにしか使われないんじゃ全く売り上げが足んないの。

例えば週の内平日は鑑賞用で休日だけ録音に使うとか、そもそも使い方は買った人の勝手なんだしね。
そんなだと7日のうちの1日2日だけの為に値段が倍してもいいすかってば、そりゃ大抵非難轟々勘弁してってならぁね。
しかもその程度の価格上乗せじゃちっとも完璧に届かないので、「買えるけど買っただけじゃ足りない」のオンパレードになるですねぇ。

Micにしてもスピーカにしてもトランスデューサ部(音⇔電気の変換)は未だ完全アナログで、電気じゃない機械部分にはどうしても何らかの癖が残り易い。
それを逆手にとって個性としてるのが現状で不都合ばかりじゃ無いけれど、そのままが聴きたい時には障害でしかない。

PA用ともなると能率最優先なんでもっと癖も極端になるが、実際聴こえてからじゃなきゃどんな優れた特性も意味を為さん。
ただ兎に角無修正だとそのままとは違ってる可能性が高いと、それを知っとくのが始まりだと思う。

また近年はニアフィールドモニタ全盛だし、かつての様な爆音モニタの必要性は下がった様だ。
因みに何故かつてそんな真似が横行してたかっつうと、音量も極力生演奏時に近付けようとしてたからだ。
同じ音だって音量に大差があると違って聴こえる事があるからで、これはClassic系の録音での流儀の名残とも言える。

その昔Hi-Fi再生の黎明期は音色や明瞭度の他音量も含め、最初のテーマは「完全再現」だったのだ。
その時代には今みたいな生演奏より爆音のPAなんて無かったので、再生装置は先ず音量で大負けしてたのだ。
音色で補おうとしても技術的に近年みたいな過剰演出は到底不可能だったので、それより先に音量充足へ着手した結果だった。

ってこたぁ今だと録音後のモニタは昔より音量を犠牲にしても平気になったとも取れ、もっと特性にリソースを割く余裕がホントは出て来てるのである。
ヘッドホンでもノイズキャンセリングや高遮音性の進展のお陰で、昔みたいに不快な爆音を我慢する必要が無くなりつつある。

但しそれでも俺的には大音量モニタが不要となったとは考えて無く、必要頻度が減っただけと思っている。
前回迄に記した如く「名作程再生音量に左右されない」のを知っちゃうと、爆音再生も時には調整不備を他より見つけ易い方法になる事があるからだ。

それにしても画像だとあんなに誰もが寄ってたかって「修正」(俺的にゃ正しくは無理盛り!?○×△□)すんのに、どうして音の出口だと放置するんだろなぁ~。
変なのぉ~っと。

<続々>

多重録音備忘録⑥ モニタ機器Ⅱ

口下手が気持ちに走りゃロクな事の無い見本みたいで済まんが、特に多重録音だとモニタの色んな部分の影響が大きいと感じてたので続くであります。
これがもし一発録りとかLive Recordingだったら機器からの影響も、多くて2~3回程度で収まるかもですが。
それと無意識下での影響も累積すればゴールはかなり遠のき、最悪もう元へは戻れませんでしたなんて悲劇も。

んでモニタスピーカの補填からッスが、スピーカの場合もこの手のは実際より明瞭で細やかに聴こえちゃう事が多いんす。
これは駆動させるAmpにもあって、検聴になら「分析サウンド」は有難やで御座居ます。
ばってんお客はんには調べるんじゃなく楽しんで貰おうなんで、楽しめるかの判定には全く向いとらんのでゲス。

宅で普段聴き用のオーディオパワーAmpを自作した時の顛末で、俺様ですからゴミから集めた部品利用の再生工場式でありんす。
理想とは程遠いもパワーAmp ICなる半導体を2種確保出来たが、最初は単純に高性能若しくは高音質と思えた方で試運転してました。

近年は普段聴き時の音量制限が厳しい環境となったので、細かい処まで何時も聴こえるのの方が便利だろうと思ったのね。
それがテスト期間中の不慮の事故で壊しちゃって惜しい事したけれど、今の俺でも躊躇なく買える程安いのに敢えて買わなかった。

取敢えず音の無い日々は辛いので第2候補の試運転を続け乍ら、両部品の評判等をネットで調査していた。
その中で第2候補のは唯一しか見つからなかったが、その著者に依ればブラインドテストしたら球のと区別出来なかった唯一のと書かれていたのだった。

実はこの件には前があって、最初は古い管球式一体型ステレオの頭部分を抜き出して利用していた。
音質・性能ともレシーバ側(Amp+ラジオチューナ)に不足は無かったが、使えるスピーカの都合で困った問題を生じていた。

空間事情で小型とせざるを得ず、その為イコライジングを施さないとニュートラルな音質が得られない。
んで前回式に云えばそれが半ば無理くり領域に入るんで、音量は要らないのにAmpの出力はかなり必要となったのであった。

だが球頭君の当時はスピーカ能率より高出力の方が困難な時代だったので、現代の小型スピーカに対してだと恐ろしく低出力だったのだ。
本来ならどんな無理してでも癖の無い中型以上のスピーカを持って来たい処だが、空間不足迄は流石に専門外でどうにもならない。

またそれ位極度の狭小空間だとさしもの球様も、真夏に同席する人間が暑さに耐えられなかったのが諦めた真相だった。
等とほざき乍ら球っぽいから選んだじゃないし、壊したから選んだんでも無いのがこの偏屈オヤジの真骨頂な積りはちっとも無いんだけど…。

これは俺が真空管教の教祖に就任したのにも繋がってるが(あるんかいな!?)、実際より明瞭な音の機器の欠点に気付いたのが原因なのだ。
アホみたいな話しだが何でも明瞭に再生されると、奏者や技師の明瞭度具合が実態と違って殆ど無効になって聴こえたからなのだ。

俺の場合はオーディオマニア要素も強く持ってるので(音楽より先でした)、細かいのが全部綺麗に聴き取れる魅力は充分に心地良い。
けれども演ってる人や場所等に無関係な音になると最初の内暫くは良いが、「どれでも似た様なもん」じゃつまらなくなって飽きちゃったのだ。

加えて音楽家観点では誰それは環境に左右されず確実に聴かせるのが旨い、なんてのの判別も出来ない。
最悪は宅で好バランスと思って他人ん家持ってったら全然駄目で、「これの何処がそんなに良いってのよ」なんて事態に。

すべからく特に「自由に操作出来る」場合そのモニタには、一切の忖度が無いのが相応しいのを改めて認識させられたのだ。
完成品ではバランス堅持の為にも大幅変更は不可だが、「これから録ります」の場面では煮るなり焼くなりおろすだけなり制限が無い。

素材に最適な料理方法を見付けるには素材の味がそのまま分からなくては不都合で、少なくとも概知じゃない変化が潜んでいては最適解には到達困難ってもんだ。
ここでもう1つ注意すべきがミュージシャンの音への拘り方で、彼等種族は理由不問で好みの音へ猛進する。

音楽家の立場ではそれで大正解なんだけれど、原因把握を怠ってると録音スタジオでだけ思った通りの音だったなんてなる。
尤も音楽制作は通常分業なので誰がその部分を担当しても構わないんだが、ガッカリを排除したきゃ人のせいか機器のせいか位は知ってた方が確実になる。

ここでヲタ向けDataとして参考に上述の型番等を羅列しとくが、無興味な方は読み飛ばし願います。
1.壊しちゃった高性能パワーIC:TDA7265(25W+25W/8Ω)
2.現用お地味パワーIC:TDA2009A(10W+10W/8Ω)
3.球頭:Victor STL-510(7W+7W)
4.スピーカ:JBL Control 1 Plus(50W,4Ω,91dB,60~20kHz)

上記中2.は偶然2つ入手したが単体使用では出力不足の為、各々をBTL接続にして50W弱を得ている。
4.の能率91dBは誤記の可能性大で、大凡実際は87~89dB位の模様。

因みに市販一般用スピーカでは周波数特性表記が能率-10dB迄の範囲のが多いが、そこまで能率差があるとそのままでは-10dBのはもう全然聴こえない。
但しイコライジングして持ち上げると、最大入力を超えない範囲では使用出来るってな按配だ。

但しの但しで使えるっても能率が-10dBも違うと、その時10W入れて1W分の音量しか得られない。
なので宅の使用方法(極力f特フラット補正)では最大音量は数W程度に落ちると、これだけ注ぎ込んどいて随分残念な状況となる。
尤も環境的にそれ位で足りるしそれ以上は怒られるの必至なので、奇抜だが事足りている。

これも元は低音命もあったが中高域の盛上げが宅環境では邪魔で、そのままでは年寄りに塩分過剰は勘弁みたいな不都合があったからだ。
腐っても鯛のJBLが何でそんな特性にされてたかってば、店の天井から吊下げて聴き手が不適当な位置に居ても音が籠り過ぎない様に設計されてたからだ。

因みにⅡでカーオーディオの世界ではこんなの極普通で、400Wの爆音Sub Wooferなんて謳っても楽器AmpやPAと比べたら静かなもんだ。
隣にそんな車が来るとズンズン振動が来て嫌なもんだが、それだってもし100W程度のBass Ampで対抗してやりゃこっちの完勝だ。

<つづく>

2019年5月24日 (金)

多重録音備忘録➄ モニタ機器

前回書きながら勝手にエキサイトし出してしかし説明不足を感じたので、今回は主に録音時の音のモニタ機器に特化してこうと思う。
最初は必要素の提示から行くが音で最も困難なのは、聴かれる環境の影響度がとても高いのが他メディア以上な処だろう。

映像だってその昔巷のテレビに白黒とカラーが混在してた時期には、制作側で音のと近い苦労があったかも知れぬ。
だが今日映像作品の配布はほぼデジタルデータに統一されてて、器のせいで違う料理に見える心配は無くなっている。
一部にVHSテープ(アナログビデオ)での配布が残ってるか不知だが、それだって新作なら例外以外作品制作自体は編集も含め「元はデジタル」なこったろう。

それが音楽だと全体はデジタルでもマスタリング寸前に、わざと一回アナログのオープンリールを経由させたりなんてのも珍しくない。
物にも依るが未だLPレコードやカセットテープでの配布も残ってるし、聴き手が何時も好みのイコライジングしてたりと製作サイドとしては操縦不能な面が多々ありありだ。

んだば制作側としてはどーすっかだが、特定聴取方法に特化させるか最大公約数を見出すかの2手が中心となろう。
尤も過去名作の実態を踏まえると名作程聴く手段を選ばぬ様で、それはLiveとStudioでの音の差を縮めるのにも繋がるので大変だがこっちが推奨だ。

そしてこれをなるべく実現させるには、俺的には出荷前に最低3種のモニタで調整するのがお勧めだ。
近年ではコストの他空間や騒音等の都合でスピーカは極度の小型化に走っているが、どんなに高性能でもそんなのだけで確認するのは大変危険だ。

過去の定番手法では大型超高性能モニタスピーカ・小型低性能スピーカ・ヘッドホンってのだったが、今では大型実施のハードルがとても高くなってしまった。
楽器Ampのスピーカだって小型化が進んではいるが、それでも出来ればモニタにはウーハが16cm(凡そ6.5inch)以上を何とか確保されたい。

前回のヘッドホンの件と近似理由になるがスピーカも録音モニタと銘打たれると、雑音検知等へかなりのリソースが優先的に割かれているものなのだ。
ヘッドホンでもCD900系はユニット背後空間は吸音材で満たされてて、普通に聴く時よりもわざと極端に「響かない音」になる様にチューニングされている。

これは楽音と同時に混入した雑音を見付け易くする為で、しかし普通の聴者環境ではもっと響いていてそれとは別物な音となっている。
するとこの手の業務機器のみで丁度良い響きなんかにしちまうと、部屋で聴いたら風呂場かよってな位響き過ぎて訳分んないなんてなり兼ねないのだ。

低域や音圧感に関して近年J-POPのはド派手クラブのより大袈裟になってたりするが、もしかしたら冷徹なモニタで無理に元気感を出そうとした副作用なのか!?。
ここで俺らしい苦言をかまさして貰うと、簡単にバレる様なのはもう演出では無いとほざいとこうか。

バレそうな程になったらそれは単なる過剰装飾で、派手なコスプレしてる地味な人なのだよ。
演出なら演者自身が華やかに見えなきゃしゃーなくて、地味な格好してる凄い人にしなきゃ意味が無くなっちゃう。
ってホントは恰好はどうでも良いんだけど、外見と中身の落差が最大になるのが上記例なんでね。

本題に戻って「大きいスピーカも」についてだが、それは同音量で小型のとはその質に差が生じるからだ。
振動板の面積が小さいとスピーカの近くでは、空気の揺さぶられる範囲がどうしたって狭くなる。
すると場合に依ってはそのせいで記録されてるのより、音の量感が少なく感じられてしまう場合も出て来るのだ。

量が足りんと存在感が薄れたりで困るけど、では多過ぎても平気なのかである。
多過ぎると他の音を不要に隠してしまったりも起こり、多過ぎも不足と同じ位具合が悪いものなのだ。
何れにせよ様々な面で過不足を最低限に留めるには何にでも適正サイズがあって、それからサイズが外れても同等性能を得ようとすればコストは乗算的に増加せざるを得ない。

例えば従来からしたら超小型でも立派なBass Ampが近年登場してるが、軽くて小さくても低域も音量も足りるし価格もそんなに高くない。
パワーアンプがデジタル化された賜物であるがしか~しかか~し、幾らAmp部が高効率でも実は同音量が得られる電気代はかなり割高になってるのだ。

スピーカユニットを極小化すると再生帯域と能率の両方を満足させるのは不可能になり、低音が出ないと困るから帯域最忖度・能率ほぼ犠牲の図式となる。
それだけスピーカが低能率でもその分沢山喰らわしてやりゃ音量は何とか間に合うが、その為のエネルギー量がとても割の悪い領域へ入っちまうのは仕方無い。

それでいて反エコとか大して騒がれないのは、使用頻度・時間等がかなり限定的だからだろう。
もし万一それを全国の鉄道駅のスピーカ何ぞでやった日にゃ、安全完全無視で国中の原発や火力発電所も総動員フル稼働させたって一瞬で停電するだろうさ。

そしてそんな非最適には効率面以外にも、程度は軽くてもやはり結果に相違が残る。
それがスピーカでは音色的意味合いとは異なった面での音の質等(例えば量感)へ出て来て、小音量では適度と思われたBassが大音量再生では只の迷惑者だったなんてのが起き易いのだ。

なので俺の場合は道具面以外でも1つのソースに対し普通の音量の他に、ギリギリ聴こえる極少と耐えられる爆音の3種でモニタする事にしている。
爆音時にお邪魔な調整なんかになってると他メンバーに下げられちゃって、極少時にお留守にされちゃ敵わんからね。

自分の調子や出来栄えを測るのにその人なりのリファレンスを用いるのは有意義だが、それが聴者の時点でどうなってるかは別問題だ。
なので事後での事故防止には出来る限り出す前に、色んな方法や聴き方をしてみるのが近道になると思う。

何回も良く聴く事は大切ではあるが道具も人もずっと一緒だと、そのコンビが苦手な部分の発見や修正は時間も掛るし聴き逃しも残りそうだ。
細かい点も大事だがそれ以前の段階がクリアされてたらの話しなので、神経質に難しく考え込む前に半分遊びでも良いからどんどん色々試しちまう方が効果が大きいと思うんだ。

<段々ヲタへ向かうのか、否か…>

多重録音備忘録④

収録音の調整に現代式録音の方が、昔より「しくじり易そう」とは一体何ぞや!?。
端的に言えばオーディオ的な高音質等に惑わされるからで、或はオーディオと音楽の一寸したせめぎ合いかも知れぬ。

個人的に仕事でデジタル録音機っつうと充分体験があるのは古いadatだけだが、これも全く個人的だが駄目じゃ無いけど国産系のはそれ以来選べる時は避ける様になっている。
アナログ時代のマルチトラックは価格面もあってTASCAM一辺倒だったが、理論的に勝っててもどうも国産のは外製と比べると音楽性に乏しい様だ。

Mixer卓にしても偶然の叩き売りで入手したSoundcraftに耳が慣れると、やはり同じ様に感じられた。
ここでこれ等で先ず指摘しときたいのは中身の部品で、その8割方は日本製なのである。
なので部品単位だと国の内外に殆ど差は無くそれこそ理屈では音に違いは生じない筈なのに、いざ使って行くと音は違うし使い勝手も違ったのだ。

これが俺分析に依ると設計思想だとか性能の優先順位辺りしか原因が無く、音楽用としてだと近年の国産のは残念だが「間違えちゃいましたぁ」としか思えない。
これに気付き易くするには昔からある名機を分析するのも良く、耳に最高なのは電気的にはどうなってるのかを確かめてみるのだ。

その1:Mic
名機と呼ばれてる音楽用Micの周波数特性のグラフを眺めるとある共通点があるが、それは大抵想像よりはフラットじゃなく中域の感度の高くなってるのが多い。
俺的分析結果では「その方が生耳に近い音になる」からで、その原因は以前から記してる「人耳の弁別能」だ。

人耳と言っても実際に音として認識する迄には神経や脳細胞も含まれてて、耳部分だけを幾ら研究しても少なくとも音楽的には役立つ部分は多くない。
目隠しして単に聞こえた「音」ってんならかなり役立つが、音楽では聴こえたの自体よりそこから生まれるイメージの方が主体なのだ。

ウォーリーを探せみたいな間違い探しをする時最初は全体をぼーっと眺めたりするが、候補比較の段階に至ると他の部分は「見えてる」が意識からは抹消してるでしょ。
つまり見えてても「見て無い」で見て無きゃ見えないのと同然、それが音でも音楽になると耳で同じ様な事が頻繁に起きているのだ。

その2:極端な低雑音
これの典型は人間が出してる鼓動や呼吸音等で、他人のは兎も角自身のについては普段はほぼ無意識だ。
幾ら普段から何時も出てるからって小さくても音量ゼロじゃないのにどうしてってば、例に依って妙な表現だが自分がまだ生きてるのを知ってるからとでも言っとくか。

死にたいのに死ね無い時だとそれをどう感じられるか俺には未知だが、生きてるのを否定しないなら割合不明も本人の意思で出してるor意図的に出してる音だからだろう。
故にウルサく無い範囲だったら出てて当然の音は、脳内で無いのと同じと処理されてる訳だ。

つまり全く気にならないが何もして無くても通常は、全くの無音状態はアブノーマルなのだ。
だから普段はバックグランドノイズに埋もれる程度の雑音は気付かないでいるが、極端な低雑音機器のをヘッドホン等で直に耳にして初めて気になり出したりするのだ。

なのでアナログ時代に不問だった雑音も理屈の上では顕在化し、俺も含めそれに気を取られ過ぎる事態が発症している。
特に単体で鳴ってる場合はこの部分も無視すべきじゃないが、それより先に問題にすべき点が疎かとなっては本末転倒なのだ。

Micにしても近年では「生耳より近く」の音が主流で、その面では端っから「生耳とは違う音」なのを忘れてるケースがとても多い。
かつてアナログ時代は生耳より録ると雑音が増え明瞭度も落ちてたから、不完全ではあったが「マシになるからOn Mic」だったのもあったのだ。

それを無配慮でデジタル録音機にそのまま使えば例え美しかっても、現実の生耳に聴こえてるのとは全く「異質」な音になっている。
それを意図的に活用するのも初期に於いては所謂ひとつの新技ともなってたが、類例が膨大となった今では少なくとも新味はもう残っていない。

現実的には分離度や後での残響処理の都合でOn Micを避けれぬ場合も多いが、パッと聴きが美しくても少々現実離れしてるのを忘れると大変だ。
集団で録るのにバランスが良くない下手な内から練習時の記録なんかで、それこそ下手にOn Micにしてると何時まで経っても上手くなれない懸念があるからお気を付けあそばせ。

その3:業務用モニタヘッドホン
最近は価格や入手性等で某大手定番品CD900○○を猫も杓子も使いたがる様だが、あれは本来音響技師用であって音楽家用では無い。
よく歌手が録音で装着してるのを見掛るが、音響屋としては正直?マークな選択でお勧めし兼ねる。

確かに高性能だし今となってはかなり古い設計なので昔よりは気にならなくなって来てるが、ありのままを聴かせると云っても音楽では無く音響的正確さを狙った物なのだ。
職業音楽家が最適じゃなくても慣れようとしたり常用するのは訳ありで、万一の際何時でも何処でも代わりを見付けられたり技師と同じ音が聴けるから等に依っている。

最近じゃ全く見掛なくなったが文言的にも「試聴」の他に「検聴」ってのがあって、評論家等がするのが試聴・工場で完成出荷時等にやるのが検聴だ。
音楽業務用ってもどっちかってば上記だと後者の検聴用に近く、業務用PAなんかは会場への最適化の為プレハブ化してて毎回どっかが少しづつ違ってたりする。

かなりな頻度でお初の組合せとなるから、ある意味新型には毎回完成検査が要るって按配なのだ。
録音時にしても楽器と人とMic等の組合せが全く同一になるケースが少ないし、オーディオと違ってケーブルもその都度繋いだり接続も変更されたりしている。

万一ハードの何処かに問題が残ってたら録音以前の問題になっちゃうから、第1にそれは解消しとかなきゃなんない。
それで技師にはこれ等の発見が最優先課題となるので、それを助けられるツールとして業務用モニタヘッドホンは開発されてるのだ。

普段から事故の無い様機器管理には万全を尽くしちゃ居るが、上述の如く非固定のプレハブとなると理論的にも不具合の完全排除は不可能だ。
故に非技師なら買うなとは決して言わんが、それだけで音楽を「測ろうとする」のは危険極まり無い。
俺がマイナーで古臭いKOSS等を変に優遇するのはこの理由で、近年の他の殆どはその出音がどれも演出過剰気味なのを指摘しとく。

メーカさんにゃ申し訳ないがそれで奏者自身の音が良くなれなかったりしても、保障しちゃくれんのですから。
普段聴き用なら演出のせいだろうと何だろうと聴き心地が良きゃ良いが、正しく音楽を分析しようなんて時には不適合。
個人事情で旧来からあるKOSSの以外で推奨出来るのを知らないが、変に高級志向に走るより恐らく楽器も作ってるメーカの普及品の方が適してると思われる。

デジタル録音機の件でadatは…ってのも「聴こえ方」が原因で、他のと比べると「録る前との差」が一番小さく感じられたからだ。
またマルチトラックではトラック単位での演出が薄目でも、最終段階では並列だがその余計な個性はトラック数分増加する。

なのでPC等でトラック数が半ば無制限ならまだ良いが、近年多分稀少化したピンポン録音をした場合は掛け算になって癖が出て来るよ。
従兄が「第一印象が60%正解」とかつて語ってて俺もそれ自体は激しく同意してるが、何回も何個も録る場合は必ずしもこれには当て嵌まらなくなる。

<こっからのしつこさが…続>

2019年5月18日 (土)

多重録音備忘録③

この辺で録音方式自体よりそれに関する収録楽器について触れるとするが、それは爆音系の生楽器の扱いだ。
かつてデジタルサンプリングが無かった時代にだって、無理に言えばアナログサンプリングによる楽器もあるにはあった。
それが所謂メロトロンであるが高価且つ入手難だったのと、音色的に生とは歴然たる差があった。

だから普通に使うとせいぜいLive時に生の代用とするので精一杯で、録音時は意図的にわざとじゃなければ用いられなかった。(ブームはあったけど…)
それが今では元が生のでもかなり加工したりするしクリックも常用するもんだから、デジタルサンプリングのだと少なくとも無意識に耳にするには音色だけなら大差無くなっている。

すると録音では普通に演っても大音量の楽器の扱いに影響が出た様で、それ等が非生になるの
さえ妥協すれば所謂レコーディングスタジオグレードの防音室等無くても全部録れちゃうんだよね。
又打込みの方も作業の早さと編曲の基本バリエーション等では多少の進化はみられるが、音楽的度なんて視点で捉えると却ってかなり後退しちまった様に伺える。

商業ベースの打込み物の黎明期は周囲は達人達の生で溢れかえってたし、機器レベル的にもそのままでは全く太刀打ち出来ない状況であった。
そんなほぼ純粋に機械であってもかなり大変だが使い方を上手く工夫すれば、少しは音楽的にもなるしそうせざるを得なかった。

一々パッチケーブルを繋がないとそもそも音がロクに出なかったりしたアナログシンセ等がその典型で、実際技師観点からだと機械としては音響測定用の発振器と殆ど相違点が見出せぬ位だった。
この件については最近修理をしたりしたのもあって、色々と再認識等もあったがそれは後程。
ここではそんなほぼ機械で弾いてたのの方が全数的には、近年のデジタルシンセで弾かれたのより何故か音楽的だった点だけに一旦留めとく。

そもそも人の肉声等の自然音以外だとどんな古典的な楽器だって、少しは元から機械的だったり機械なのに他ならないのだ。
死語連発気味となるが昭和末期の一軒家の応接間に放置されてたUplight Piano、音を聞かなく・聴けなくてもそれを目にして楽器じゃないと思った人は多分皆無だ。

しかし実質的には無理に実用面を探ってもオブジェとして以外では、花瓶や縫い包みを載せる棚位の役目しか果たしていない。
その内建物の解体と同時に悲しい末路を辿ったであろう…閑話休題、要は誰でも楽器として使われてる姿と音を良く知ってたから楽器と認識してたに過ぎないのだ。

全く非現実的で無意味だがどっかの子供に絶対楽器としては触れさせず、あれは高級な棚なんだとずっと教え込んだらどうなるか一寸知りたくなったりもする。(※某国政府みたいに実際やったらアカンぜよ!!!)
つまり楽器の「機械化度」に依って程度差はかなりあるが、どれでも「音楽になる様に操作する」から楽器に見えるだけの話しなのだ。

近年の打込みだけで名を成した者の多くもその成功者の殆どは、演奏技術レベルは別としても大抵の場合後から本人の生の部分が加えられている。
極端なのだと曲で売れたのに、今では演奏家として大成してるのなんかだって散見される。

これをまとめれば結局は楽器かどうかは無関係でも、音楽を演るとか「音楽にする」技や知識はどんな方法を取るにしても必須だってこった。
それを強烈に再確認させられたのが上記のアナログシンセで、今回修理したヤツはモノフォニックで一度にたったの1音しか出せない骨董品だ。

鍵盤楽器感覚だけで捉えると「1音だけ」は真に不便であるが、管楽器系等だったらそんなの常識だ。
それに弦楽器だってポピュラー系でのSoloを弾く時は、今だって和音不使用の方が圧倒的多数だ。
その面よりも出来る事に限りがあっても、出来る範囲内でならどれだけ意図した操縦が可能かへ今回再着目させられた訳。

近年は自動車を持たない人が多いから余り良くない例えかもだが、まるで車の変速機のマニュアルかオートマかなのととても似てるのだ。
皮肉になったらゴメンよだがF1チャンプだったらきっとマニュアルの方が、免許取りたて若葉マークとかペーパードライバーだったらオートマの方が速いし乗り心地も良い筈だ。

音楽ではそれが恰もアナログモノシンセとオールインワンデジタルシンセが該当してる感じで、何とかして「もっとこう云う感じに弾こう」とかした時に近年のはそれを受付て貰えなくなっていたと。
その原因は少し前の回等で記して来たが、時として普及とか一般化にはこんな弱点を内包してるもんだ。

これは一概に優劣を論じられはしない性質の問題だが、最低限そう云う差異があるのは知っといて然るべきと思う。
昔のが操縦面では自由だったのも裏を返せば機器的に不備だらけだったからとも看做せ、使い方で何とか間に合わせて貰おうって魂胆も見えなくはない。

けれども音楽っぽいのじゃなく人の息遣いが何処かに感じられる様な音楽を演ろうとする時、優先的に要るのは機械的性能よりも操縦性なのだ。
お題の多重録音から乖離感のある話しを暫く続けたが、案外それも録音の仕方に影響してると考えられたからだ。

例えば現代基準からしたら酷くLo-FiだったAMラジオ等で聴いただけなのに、あの○○って歌手は実に美声で素晴らしいなんてどうして昔は皆が分かったのかだ。
これを分析すると音の情報量は極端に少なかったんだからオーディオ的素晴らしさはあり得ず、歌声の何処かほぼ一ヵ所に他とは圧倒的に違った優れた音楽性があったからとしか考え様が無い。

録音技師の立場でなら音全体の状況を気にするのは当然だが、音楽家だったら例え他の全てを犠牲にしても優先すべき点があったんだと。
要はその音が多少しみったれだろうとみすぼらしかろうと、何処かに他ではあまり耳に出来ない「魅力」が無けりゃ話しが始まらないのである。

理屈では高音質になる程その魅力を余す処無く収録出来て良いんだが、現実にはそれよりも今迄は埋もれてたりボヤケてたりして見過してた「音楽に直接は無関係」な部分が目立って気になってしまっている。
少なくとも不完全人間の俺等「頭ではかなり他人より熟知してる」筈にも拘らず、余程気を張って注意してないとすぐにそんな聴き方になっちまってる。

それが知らず知らずの内に録音でのテイクの可否等にも及んでたりして、何となく出来栄えの訴求力が低下気味になってる様な気がしてならない。
それ以前に収録音の調整や可否からして怪しくなってる時もありそうだが、それは次回へ。

<続>

2019年5月17日 (金)

多重録音備忘録②

当時だって俺等みたいな邪道なのじゃなく、所謂マルチトラックレコーダを使う素人も出始めては居た。
しかし40年位前となると外製は高価で問題外・国産のオープンリールで8トラックがやっと出るかどうか位で、4トラのでもカセットのは誕生前夜でそれもまた高根の花だった。

TEAC(TASCAM)からカセットで有名な144が出たのは数年後だったし、それだって対今比では随分と高価だった。
これは理屈的にはテープの使われ方は普通のステレオ「往復」録音のと同じで、通常裏面になる分の記録方向が逆になるだけだった。

少しでも記録容量を増す為に普通のの「倍速」になってたにも拘わらず正確な理由は不明だが、一般オーディオ用テープデッキより大分音質的に何故か劣っていたのだ。
なので重ねる回数がもし少なかったりすると、俺的には前回出「その2」方式の方が音質変化が少ない様にも感じられた。

それもあって俺等の内輪ではカセットマルチは中古が出回ってからか、俺は一気に中古4トラでもオープンリールのへ移行する事となった。
当時だって色んな奴等が居たけれど、新曲が出来る度に毎回外の専門スタジオに出費する者は少なかったと思う。

当時物価が違うのに楽器価格相場は今と大差無く、その上コンパクトエフェクタ1つとってもデジタルマルチのオールインワンなんてのは皆無なのだ。
そうなるとどんなにグレードを妥協しても最低必要額は今より要って、アマチュアミュージシャン等の多くにとって録音にまで予算を割く余裕なんて殆ど残って無かった。

そんなこんなで今との一番の違いはトラック数案件で、かつてはグループ系以上の音楽だと大抵はこれも前回出「ピンポン録音」の回避が難しかった。
今だと音響後処理を個別に施しても実質的に劣化を気にしないで済むし、Mixだってその辺に転がってるPC等
へ取り込みさえすれば体裁を整えるだけなら簡単だ。

なので大袈裟なMixer卓が無くてもPCもエフェクタもそれぞれ最低1個 、同時使用数分のMicプリさえあればかなり結構な音が録れてしまう。
録音機器の今昔の差を映像作品に例えるなら昔のは「全て実写」、今のはバーチャルやアニメも含め何でもアリだ。

所望トラック数確保が困難だからのピンポン録音だったが、劣化のあるアナログなればこそホントはトラック数は必要だったのだ。
実質トラック数無制限且つデジタルの今だとほぼ不要になったが、ピンポンしても劣化しないのは後生な矛盾だわな。

ここで「ピンポン録音」の実情に少し触れとくが、一番の懸案事項は後からのやり直しに大きな制約があった処だ。
部分Mixを既にしてしまった分は後からの個別変更を受け付けず、特に音域の近い物同士が入ってたら殆ど何も出来なくなる。

例えばリズムGuitarとBassだったりなら、Bassしか鳴ってない音域だけEQで持ち上げるなんて擬似バランス変更も少しは出来る。
それでもGuitarのReverbだけもっと増やすとかは無理で、ある意味「録る前の想像力」が仕上がりに直結と云える感じだ。

尤も録っても録らなくても生演奏なら未来永劫何時だって一発勝負なのだから、それからしたら大した問題でも無い筈だ。
もしそんな所で悩んでる方が居られたら、それは録音機に音楽が誤って支配されてると気付くのが宜しかろう。

今後AIがより発達して設計から配送まで全て機械化されたとしも、使うのが人だったらそこに「生」が残る。
AIのData収集迄完全自動化したとしても、その持って来たDataの発祥に大抵は人が絡んでる事だろうし。
機械と人・言い換えりゃ手段と方法をもし混同したりあべこべにしたりすりゃ、そら上手く行かなくったって当然ってだけのお話しなので御座居。

又戻って前回出「その2」基本ステレオテープデッキ×2方式の最大利点は、少なくとも録音機レベルでは一切専用品を要さない処だった。
それとこれも理由不詳だがマルチトラック機の使用可能テープが何故か首尾一貫して最高グレード非対応で、それは一般市販品ではカセット・オープンリール問わずそうだった。

デジタルオーディオ普及迄はアナログだって色んな向上策が講じられていて、テープにはノーマル・クロム・フェリクローム・メタルと最終的に4段階進化していた。
オーディオ用では当然最高グレードのメタルテープ対応が当たり前になったのに、音楽用は何時まで待ってもそれより2世代も前のクロム止まりだったのだ。

だから棚ぼた的だが重ねる回数が少なけりゃ、却って非専用使用の方が実際高音質になっていた。
SoloだろうとBandだろうと当時は今より何かと人海戦術で対応するのが常だったから、一回に複数人の同時演奏をするので重ね回数は多くても大抵は5~6回だった。

そもそも作品発表手段にWebが無かったんだかんら、最低限でもカセット・普通ならLiveでお披露目するのが至極当然だった。
故に生で弾き語りが出来んとしゃーないから、今みたいに録音でだけ演れれば良いなんて思ってる人は恐らく居なかっただろう。

この面で昔の一部ヲタ性の強いの(壮大なアンサンブルとか)を除くと、当時の多重録音は人手不足補填策の色合いが濃かったんだと思う。
40年前だってBeatlesからは10年は経ってたから、プロの現場ではボチボチ各パート個別録りもそろそろ始まっていただろう。

それでも今みたいに各自自宅や好みの場所で収録したのをネットで送ってなんてのには程遠く、手間的には面倒だったかもだが1度や2度は「顔合わせ」の機会があったのはその方が良かったかも知れない。
素人が勘違いし易いのは全く相手を知らないででもこなしてると思い込んでる処で、狭い業界で名の知れた同士だとキャリアがあれば何処かで既に顔合わせしたりしてるもんなのだ。

今では俺達も引退やら逝去等で仲間が減ったし、時流に乗ったかご多分に漏れず普段は完全な個別録り主体となっている。
この完全分離独立収録は失敗等不具合箇所だけのやり直しで済むのは結構だが、実際のアンサンブルを組立てるのが楽になるかと思ったら却って大変になった様な気がしている。

それはアイコンタクトに代表される「その場で息を合わせる」のが不可になったからで、録音時に同時に奏者映像も録っとけば何とかなる様な簡単なものではないのだ。
生対生の場合もし相手がこっちを見て無いor見られなさそうな様子であれば、別の合図方法を選ぶなり予め口頭伝達するなり策も講じられる。

そのせいか今従兄と製作中のでもクリックも使ってるのに、どうも昔より合わせ辛さを感じている。
俺が生まれて以来の長いコンビで散々色々やって来ててもなのだから、単に老化・劣化等だけが原因とは考え難い。
クリック使用に関しても過去俺は当然として、従兄も「叩けない環境下」で創る時はリズムボックスやドラムマシンは多用していたから慣れているのにだ。

どっちがより怪しいのかまだ不明だがちょいと思い起こしてみると、俺自身は普段自分だけだろうと他人含めてだろうと心の片隅に他パートの音の他演ってる姿も何となく浮かべ乍ら弾いてるみたいだ。
俺的には少なくともそう云う気分で演らないとグループ音楽っぽさが出ないからで、逆にSoloの集合体みたいにしたい時は良い意味でなるべく周りを無視するのを心掛けてたっぽい。

もしかしたらこの辺も近年本邦の技術的には向上してるのに、演奏力が低下した要因なのかと思った。
それを思うと現代のリズムや音程に関する人々の感覚は、音楽的には段々ピントがズレてってるのかも知れない。

<全然続きますから!?😓>

2019年5月16日 (木)

多重録音備忘録①

そもそも今時「多重録音」なんて言い方が通用するのかって話しだが、一言で表せば奏者人数より沢山の音を録音する手段の1つだ。
今では誰でもPC等を使って1人でテンコ盛りにするのも当たり前だが、かつては弾く方も録る方も機材制約でそれはそれは大変だった。

今回の経緯は修理依頼も漸く一段落した従兄から、昨日は昨今の巷での作曲の仕方について訊いて少し驚いた件だ。
我々が一寸推してるGuitar少女が、「パソコン無いと作曲出来ない」と呟いたんだそうな。
彼女はPVでもLiveでも弾き乍ら歌ってたりしてるので、オジサンには理解し難い話しだった。

殆ど楽器を弾けないとか持ってなかったりしたなら機械が無けりゃ作れないし、マトモにゃ歌えんならボカロが無いと困るのは分かる。
けどどうせ生本番で弾き語りするなら最初からそれで演った方が手戻りも無くて済むし、歌物作曲の根源は「口から出まかせ」が第一段階なのは未来永劫不変な筈だ。

騒音問題や慣れなんかもあるにしても、「パソコン無いと作曲出来ない」ではちと可笑しなのだ。
その原因に録音手法も含まれてそうな気もしたので、ならば多重録音について色々振返ってみようって趣旨だ。
ここでは一般的なのよりも貧民素人でも可能な方法を主として、過去の実例や体験を含め綴るとしよう。

先ずは多重録音の簡単な歴史から行くがそのキッカケは、複数トラックを持ち個別再生・録音が出来るテープレコーダの出現辺りだろう。
一般的音楽商用録音の始まりはレコード盤へのダイレクトカッティングからだが、これはもし演奏等に失敗すれば刻んだ盤が無駄となるシステムだ。

しかもこれだと曲構成の編集等の後処理も一切不能なので、次にテープレコーダが主流となった。
今やこれも死語だろうがテープだと「切り貼り編集」が可能で、録った後に長過ぎたから歌の2番の部分だけ切り取るなんてのが可能になった。

それと並行して映画の音再生をフィルムのそれと自動的に同期させる目的で、レコーダに同期用のトラックが別に設けられる様になった。
この辺りからテープならレコードよりはトラック数増加が容易なのが浸透し、徐々にだがトラック数が増えて行った。

しかし記録媒体(テープ)の容量の都合で音質を気にすれば、アナログであったからトラック数の増加に応じテープ巾も広げる必要があった。
それで最終的に24トラック位迄拡張されたものの、機器もテープも高価となって誰にでも使える物とはならなかった。

因みにカセットテープでは元から狭巾で小容量なので頑張っても片面のみの8トラック位が限界で、専用オープンリールですら24位が実用限界だった。
それよりトラック数が欲しい場合はレコーダの複数同期使用が常套手段で、確かBeatlesのアルバムSgt. Pepper’sでは4トラック×3=9かなんかだったと思う。

4×3=12が
9 なのは各レコーダで同期用に1トラック取られてしまうからで、当時の彼等にしても使える8トラックはまだすぐには用意出来なかったみたいだ。
今と違ってトラック数に制約があったから「ピンポン録音」法を用いるのも当たり前で、録った数トラックのを仮ミックスして元より少ないトラックへ纏める方法だ。

或は録ったのとそれを聴き乍ら弾いたのを混ぜて一緒に別トラックへ録ったりするんだが、こうして新たな音の為の「空きトラック」を生み出して行くのだ。
但しこれをするとピンポン一回につきテープアナログ録音による劣化も漏れなく一回付いて来るから、単純計算でも普通の録音機の倍の性能は欲しい処だ。

現実にはそんなのは全く無理だったが、それ故最初から所望トラック数を満たして無い限り広巾テープも必須だったのだ。
後年補助的に雑音低減とアナログ式容量圧縮技術も開発されたが、それが今だとサラウンドの代名詞としてしか認識されぬDolbyだとかお目に掛らなくなったdbxシステムだ。

何れにしてもアナログだと容量増量は物理的増量に直結するので、柄も嵩むがそれ以上にコストが庶民にはとても耐え得る物では無かった。
俺の場合も頑張ったが8トラオープンで限界で、これはレコーダだけじゃなくMixer卓等の都合も含まれていた。
当時は極一部のEffectorを除き全てがアナログなので、録ったのを混ぜるのにもトラック数分のMixerチャンネル数が要ったからだ。

Beatlesなんかではその録音StudioがClassicオケのMic個別立て対応の所だったから、元から先に多チャンネル卓が備わっていた。
しかもデジタルと違って何らかの処理したのを再保存する際に必ず劣化が伴うので、単にチャンネル数のみならずEffectorやEQだってトラック数分用意されてるのが理想だった。

当時アナログ録音のみでは斯様に「一大プロジェクト」であったから特に庶民には妥協必須だったが、問題は何処を妥協するかで人それぞれだった。
とは言え多重録音をしたがる多くはその要因が音数(楽器数)等なので音質妥協を選択してたが、それだって数多くなったのを聴き取れる最低水準は必要だ。

その1:ラジカセ(モノラル)2台でピンポン多重
これは昔の仲間がやってた手法で彼自身の想い付きかどうかは未だ知らんが、昭和の当時としては最も敷居の低い誰でもすぐに試せるやり方だ。
最初に普通に録ったのを再生し乍ら新たに別のを弾き(歌い)乍らもう1台のラジカセで一緒に録る、要するにラジカセに分身になって貰って合奏する訳だ


先に録った分のはラジカセスピーカ再生なのでバランスとるのも大変な上音質劣化が凄いし、ラジカセ音量の限界から生太鼓みたいな爆音楽器には使えない。
音質無視にしても聴き取り限界が4回重ね程度だが、「何処にでもあり得る物だけ」で出来た処がアイデアもんだった。

今だったらこんなのは変なヲタ位にしか意味が無いだろうし、当時だってラジカセにステレオのも既に出ていた。
だがスピーカ再生→別機録音では分離度や毎回左右反転が起きる等更に問題続出で、それらの克服には次の手じゃないと厳しかった。

これはとてつもなく原始的だがそれ故他に録音機材は一切不要で、オーディオに無興味だったりしても音楽さえ出来れば即実行可能だった。
手持ちラジカセが1つだけだったとしてもモノラルので構わなきゃ、当時は何処にでもあったから借りて来るのだって大いに見込めた。

その2:ステレオテープデッキ2台でピンポン
その1からヒントを得た発展形で、従兄や俺なんかが多分同時期にやり出した方法だ。
こっちは音楽より先にオーディオ趣味を持ってた関係で、最初はテープダビング目的でもう1台のステレオカセットデッキが入用となっていた。

今以上に生活物価全体比ではレコードは高価でそれの保護や聴き場所限定解除の為にも、普段はテープに録ったので聴くのが当時は一般的だったと思う。
最近じゃレンタルビデオ屋すら潰れる始末だが当時はそんなだったから、レンタルレコード屋が全盛だった位だ。

従兄の場合は少し事情が違って「生録ブーム」ってのがあって、それ用にカセット「デンスケ」なるポータブルのとMic等も所持していた。
ラジカセも大抵電池駆動可能だったから内臓Micでだってやれなくは無かったが、録りたいのの音源に近付けない場合等はそれでは求めるのとは程遠いのしか収録出来ないからだ。

俺は最初は簡易Mixerすら持ってなかったが、操作自体は既にあちこちで弄り倒してたので習得済みだった。
最低限の知識と技術があると安いのでもどれなら使えるかすぐ分かるから、最低限なのを我慢すれば買うのもこしらえるのも比較的簡単だった。

俺の場合はかなり演奏初期の時点でGuitar・Bassの二刀流だったし歌っていたので、これを同時に聴いて貰うには多重録音しか他に手は無い。
鍵盤だとコードを押える程度が関の山だったが、当時安価なポータブルキーボードの出現でそれを買って活用した。
格安玩具電子鍵盤の音質なんてタカが知れてたがカセットのピンポンは劣化も中々なので、それを逆手に取った様なもんでそれなりに行けた。

従兄の場合は幸運にも自宅で昼間なら太鼓が叩ける環境下にあったが、録音するのに上記「その1」では目茶目茶に歪んで無理なのも大きな理由だっただろう。
その頃40年位前当時にドラムマシンはまだ産まれて無く、Dr.Beat等の簡単なパターン自作が可能なリズムボックスが徐々に浸透し出した程度の有様だった。

それでか叩ける人且つそれ(ドラムセット)を持ってる人の地位!?は今より格段に高く、「この曲を叩いてくれ」要望も多かった。
それも有名曲ならまだしも自作曲だったりすると太鼓の編曲とその譜面迄も作れないと、学友の吹部の人に頼むのなんかも無理だからねぇ。

片や何とかリズムボックスを入手出来ても今度は「機械の操作」が出来なきゃダメだしで、当時一般人の機械操縦レベルは今のスマホと黒電話の差に代表されるが如くであるからのぉ。
そんな調子だから録るのだってちっとも誰でもじゃ無かって、「出来る人が頼まれる」もんなのが当たり前だったけか。

本筋復帰するが兎に角この方法はそれなりに色々な演奏に対応出来たが、厳密にはそもそも太鼓音量で歪まないMicを持ってなかったりといい加減ってばその通りかもだった。
それでも音質の悪さを除けば市販のに近い感じの音楽状況を作り出す事は出来たし、そこから随分他方面に渡って体験したり学んだり出来たと感じている。

<つづく>

2019年5月11日 (土)

音創り㉕ 新しいサウンドって

自分自身も今丁度直面してる最中だが、齢のせいだか時代のせいだか新しい音に飢えている。
長く演ってると未体験サウンドが減って来るのもあるんだろうけど、それにしても最近は心踊らされる様な新楽器を見掛なくなったもんだ。

一時は老いや飽きかとも危惧したが、沈着冷静且つシビアに分析してみるとどうも違ったらしい。
コストや手間等の都合で仕方無い側面はあるが、安易なデジタル化一辺倒が結局は楽器業界自体を苦しめているとも考えられる。

近年のデジタル物の多くは「楽器自体としての音色」面ではほぼ進歩皆無で、それは向上させる場所ややり方を「楽器としては間違えている」からなのではないか。
美しい音の為には雑音や歪みが無いのが良いが、それは理科論的・科学的正解であっても音楽的・楽器的には必ずしも適応しない。

概述の如く未だブラスサウンドをどうするかで逡巡する日々だが、音色を取ればソフト音源優位もリアルタイム演奏を考えると躊躇してしまう。
ソフト音源だって最近ではレイテンシも改善されてるが基本原理的にゼロにはならないので、ノリの事を意識すると少なくとも最適手法では無い。

現況ソフト音源はまたその方式も非楽器的で、「遅れたりズレたりする危険性」が多過ぎると思う。
音源自体の発音時間分は生Pianoだって鍵盤の押し始めにはまだ鳴らないからイーブンとして、MIDIやUSBやPC内部での伝達時間が俺的には「お邪魔虫」なのだ。

打込みであればソフト(アプリ)等で逆算も可能なので平気だが、現代の汎用PCは「昔のよりすぐなんだからちょっと待ってて」思考一辺倒だ。
だが生演奏では「最初から完璧」なのよりあらゆるシチュエーションへの即応性が最優先で、故にPCでも簡単に出来るのにデジタル録音の専用機が未だ売られてるのだ。

それとシンセのデジタル化当初は「それ自体での新サウンド」をより出せる努力がされてたが、サンプリング音源を使う様になってからはそこが放置された空き家となってしまっている。
原理的に困難なのは重々承知だが、それだったらモンタージュ写真なんかの技術はどうなのよってさ。

要するに現行の音のの方は同じ姉さんの化粧のビフォーアフターだけで、その姉さんのせめて双子の弟位は何とか出来んのかいってな。
それでか今抱えてる私的課題のシンセBassの音色選択でも、デジタル元祖のYAMAHA DX-7のが候補に残っている。

今手元に自前のの他に従兄からこれとV50も借用中だし修理完了した従兄のKORG MS-20もあるが、新しいの程確かに「鳴らしてない時の雑音」は少なくなっている。
だがフィルタの特性が非楽器向きだからか自前デジタルのとV50は、余計な電子音が漏れ混ざっていて音色がギスギスしてて取って付けた感があって使い辛い。

フィルタ周辺部に限るとMS-20は抜きん出てるが、本件にはデジタル的冷徹さ等も欲しいのであからさまにノイジーでもDX-7かなとなっている。
尤も生楽器(Mic使用時)やハイゲインの電気楽器も入るならそれ等とは同等以下なので、ある意味殆ど生演奏だけの時代の設計なのが却って功を奏してるみたいだ。

他にもホイール若しくはジョイスティック等に懸念があり、正確性に優れてても「段階の間」が実に不作法で困る。
それは特に掛りを深くした時1/4音程だけ変化させたいとかを受付無い処で、それなら付けとく意味が著しく低下するってもんだ。

モジュレーションには未だしも普通の鍵盤楽器じゃ出せない「各鍵の間」が出せるのがミソなんだから、そこに制限が掛る様では「おめぇさん本当に分かってんのかぃ」である。
電子機器としてと楽器では高度と言っても場所も尺度も異なる点が多々あるが、昔のアナログシンセより風貌は楽器っぽくなったが中身は逆方向へ行っちまったらしい。

迷いは尽きぬがそうなると取敢えずデジタル生楽器のは後回しにして、電子楽器より手前のの範囲でこねくり回そうかとなる。
その中で余りに不適な環境しか得られなかったら別として、昔より格段に聴こえたまま収録が可能になったのに着目されたしなのだ。

現状弄られるのが苦手なデジタルを逆手に取ればそこで、人にも依るけど昔より「録る前に弄れる範囲」も広がってる筈なのよ。
その一例が最近記した様な「過度に明瞭度を気にする必要の消滅」で、昔で素人や無名だったら絶対不可能だった方法だ。

この数年期せずして望みもしてなかったClassic系にも触れて来たが、彼等の場合だと例え録音で低下があっても生最優先にしないとどうにも成立しないのを目の当たりにした。
俺がRockと出逢った頃はそれはまだ若い成長期のジャンルだったが、あれからン十年もすりゃもうとっくに古いジャンルになってるだろう。

なので本当に新しい音を目指すならRockやJ-POPみたいに年季の入っちゃったのはもう「終わって」て、新ジャンルを開拓しなきゃ無理ってもんだす。
では従前からあるジャンルでの残された道を考えるとするなら、収音方法や楽器自体の設定辺りでは無いかと思っている。

録音での手法の多くが未だ俺言い「逆算補填」に基づくもの主体で、ほぼそのままが保存可能になった今では不要部分が多く含まれている。
なのにそれが継続されてる理由を強いて挙げれば俺的には生演奏力の低下だと考えていて、Off Micでも明瞭度が足りる様になったのにそれに耐え得る演奏の方が疎かにではないだろうか。

音楽にとってデジタル化の利点は利便性等もあるが、俺的には録音しても音の変化が僅少になったのが嚆矢と感じた。
昔のアナログでも時には幸運な偶然で、生耳で今一だったのが結構行けるのになる事もあるにはあった。
だが幾ら必死に「逆算」しといても機械の安定度に限りがあったから、当たる迄買い続ける宝くじ状態迄もってけたら上出来だった。

各方面に様々な事情もお有りの様なので敢えて観念論へ向かうが、少なくとも基本的な発想位はもっと皆に持って貰いたい。
若い人には分り難そうだがある程度誰でも体験出来るので、鉄道の乗り心地で体験的に例示してみよう。

その1は今は殆ど無くなったブルートレインを筆頭とする寝台列車で、それにも機関車・客車両方に新旧があった。
普通に考えりゃ新しいのの方が何でも良い筈だが、特に心理的乗り心地の点では新しくなる程とても酷く劣化していた。
物理的な面では新しい方が寝床が広くなったりと色々改善されてたが、実際良く眠れたのは古い方だった。

強力になった新型機関車では発車時の衝撃がとても大きくなってて、ショック軽減が機関士の腕頼みになり且つその機関士も機関車列車の本数減少で腕が低下と正に国鉄末期症状だった。
古い機関車は少し非力でも旅客専用設計なので大きな衝撃等皆無で、起きてる時ならまだしも寝てる時の「ドォン」は目が覚めざるを得なかった。

客車も新しい方が広さ以外に騒音だって小さくなってた筈だが、重くなったせいで上記の衝撃に加担した他に「騒音の音色」がとても気になった。
古い客車のはそれがリズミカルで軽やかだったのが、新しいのは重く鈍く不気味な感じだったので寝付き難くなってしまったのだ。

どんなに改良しても列車は走れば必ず揺れるし音も出るもんだが、その「欠点」をどう処理するかに大きな違いがあったのだ。
理屈では旧来のは技術の未熟を味付で誤魔化したとも取れるが、寝台客に必要なのは眠れるかどうかで技術なんて知ったこっちゃ無いのである。

言っちゃえば広さが分かるのは起きてる時だけで、転落の心配等さえなけりゃ眠れる限りで狭くたって構わない。
コンピュータシミュレーションが進むのは良いけれど、体感実験しないと分からん部分が無くなっては居ない。

その2は特にカーブで揺れが少なくなる連接式を止めてしまった小田急ロマンスカーで、小田原と箱根湯本の間の乗り心地が大いに劣化した件だ。
その部分では単線なので行き違いをさせる為のキツいポイントが沢山あるままなのに、経済効率一辺倒でオーバーハングのある普通の連結車にしちまったからだ。

この場合のオーバーハングとは台車(車輪)より外側に車体がある事で、例えば台車が2横移動した場合それが3とかに車体の移動量が増えてしまう。
単線行き違いのポイント通過では右に曲がってから左或はその逆と短時間に両方向へ曲がる事になるので、実際には上記比率の倍も横移動しているのだ。

鉄道の乗り心地向上も昔はバネを金属から空気に換えて良くなってたが、その昔小田急が連接式を考案採用したのは空気バネ実用化前夜だった 。
今のは幾ら最新の制振システム付けましたっても「レールの位置より振り回される連結式」なんて、原理的に不利な方法では何時まで経っても横へ振られる距離を縮められないだけどねぇ。

在り来りの通勤電車のイスもバネが金属から樹脂系のへ変ったが、折角材料の適性が上がったのに具体的な座り心地の試験を端折ったか「心地」としては悪化の一方から抜け出せていない。
本邦或は世界的に古い資本主義主導だとどちらさんも似た様なもんか知らんが、やはり実用での世界に於いては考え方を間違えてるとしか言い様が無い。

研究所の人達なら欠点を無くす努力で大いに結構だが、商品開発の場面ではそれより実用性に注力せにゃアカンがな。
この問題が響きそうなのが音楽とか必ずしも理屈通りにゃ行かない類ので、そもそもが「気持ち的にどうか」で評価されるからだ。

嫌味な表現だが道具製作側は大抵は営利企業だし使用者のせいに出来る抜け道があるので、例え道具のせいが大半でも結果に対しては使用者のせいと世間は認知しそうだ。
鶏が先か卵が先かみたいな話しになって来たが、親子丼か玉子丼かの問題の筈なのよ!?。

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