音創り⑯ ドラムセットのマイキングⅡ
俺が他の楽器も弾いて録るから余計感じるのやもだが、ドラムセットってのは折角個別の楽器になってる割にゃちっとも分離度が稼げなくてやんなっちゃう。
例えばGuitarとBassのAmp録り(スピーカから)だったら、同時に演るならAmpの距離を離したりそっぽを向かせたりって手もある。
それどころか別録りが出来れば、完全無欠の独立国家で混じりっ気0%も夢じゃない。
これを真似て太鼓だってもうCymbal1枚から全部個別録りすりゃ独立はさせられるが、それでリズムを合せるとかノリを出そうとしたら死ぬ程難しくなっちまう。
特に問題となるのがコンビネーションで成り立ってるオカズなんかで、連動させるから流れに乗れてタイミングも取れるって類のだ。
変な正義感で公平性を持たせるとするなら、Guitar・BassのMic録りだって面倒がある。
Guitarの場合無駄にMicの高域性能が良過ぎると、AmpのGainが高い時に「シー」とか「サー」なんて不要なホワイトノイズを余分に盛大に拾っちまう。
Bassはスピーカキャビネットの方式が近年ではほぼバスレフ一択なので、かなり遠くにMicを構えられない限り1本では全帯域を拾えない。
これ等の内容は次回へ譲らせて貰うとしてある意味1音源に2つ以上のMicの要る場合があるのはBassとバスドラはイーブンだが、それでもBassスピーカの方が太鼓よりはマシなのだ。
それは太鼓だとどれを鳴らしたって他のも「それなりに」共鳴してるのが常で、しかも普通バスドラなら触れんばかりの近さにSnareやFloor Tomが並んでる。
Snareは裏の皮とバスドラ打面の間に遮る物が何もないしFloorの方は音域が一番近いんだから、もし全然共鳴しなかったら粗悪な太鼓って位のもんだ。
これがOn Micともなると誰にでもハッキリ分かる位となってしまい、特に個別にEQやエコーを掛けようとした際に望まぬ「連携作用」が発生する。
只でさえ間近な「お隣さんの音の越境」が爆音で凄いのに、共鳴した分迄「加算」されるんだから。
それだって所詮共鳴のなんて量的には非力だが油断すればベソをかく羽目にもなり、「共鳴」の意味を紐解けば「同じ音程」とか「整数倍の倍音」が出てるからなのだ。
故に盛大にEQで増やしたりすると最悪は、叩いたのの余韻の音量に肉薄し兼ねないのだ。
尤もドラムセットは楽器としての原点に立帰れば演るのも聴くのも「生」の場合、実際には最初から「共鳴音込み」で聴こえたのをそれと認識してはいる。
これの典型例が間近で聴くセットでのバスドラサウンドで、Snareスナッピー(響線)スイッチをoffにして影響を無くすと何故か迫力が落ちるなんてのがある。
なので結局はナチュラルさを追及するならドラムセット収録のMicは生Pianoと同列視が良く、数は少なく距離は離し目な程良い。
それと先述の如くマルチ&On Micの始まりには「補填」の意味も濃かった訳で、どのマイキングを選ぶにしても予め「思い切った割切り」をした方が好結果が得られ易いのだ。
お馴染み因みに多くの方は普段無意識だと「叩いて無いのの鳴った音」は殆ど分からないだろうけど、試しにマルチで録ったのを「わざと叩いたchだけOff」にして聴いてみとくれ。
続けて因みにⅡだが上述の如くマルチのOnだって上手くやれば「共鳴音込み」の活用は不可じゃないが、それには結構な条件が付いて来る。
ってのは生耳でもOff Micでも叩いたのと共鳴したのを拾うのは全く同じ耳・Micであるから、マルチのOnでもこれを再現若しくは同等にしとかなきゃ成立しないのだ。
つまり可聴帯域全部が拾える同じMicを所望全数揃えた上、感度(Mic Gain)や位相等もキッチリ合せなきゃ前提条件が崩れちまうのだ。
そう云や最近のSimon Phillipsが録音では何にでも同じ大袈裟なコンデンサを構えてたが、もしかしたらこれに気付いててそうしてるのかも知れない。
この方法はハイエンドコンデンサ等が多数要るのでMic代だけでもう大変な額になり、オマケにMicの柄がデカいから上手く構えるのも更に厄介ともう高跳び金メダリスト級だ。
これを恐らくSimon氏はBeatlesやKieth Moonから盗んだっぽいが、彼等の場合は金満ってより当時の欧州の録音現場ニーズの差が主因の半ば偶然の産物とも思われる。
しかし最初は偶然でもそのままに終わらせないSimon氏は流石だが、惜しむらくは選ばれし者にしか不可能な方法な処だ。
ここで因みにⅢだが説明が面倒な「位相」をつい出しちまったが、マルチでは上手く活用すると上記「共鳴音Mix」以外のご利益を得られるのがある。
前々回の概念図でMicの「頭の向き違い」ってのがあったが、収音の場合そのMicの「向き」は音の位相そのものだ。
音の他交流電流でもそうだが同相(向き一緒)だと足し算になって増強、逆相(向きが正反対)だと引き算になるので減少する性質が位相にはある。
これを活用して隣り合わせのMic同士を上手くそっぽを向かせると、擬似的だが分離度が上がる場合も出て来るのだ。
Micがマトモな位置設定されてれば音量差がそこそこある筈なので、明確に分かる程の音量自体の増減はほぼ起こらない。
けれども同相だと例えばパンポットで左右に振った筈のTomの音が、Mixerのツマミ位置より真ん中から寄って聴こえて来るなんて現象はかなり頻繁に起きるもんだ。
そこで第1候補はマルチのOnで低域或は高域の分離度追及で、前者は望むだけの低音が出せる太鼓が無い時等・後者はその逆の時だ。
前者を例示すると足りないんだから録ってからEQで増やす訳だが、その時の余計な影響を最小に出来る方法だ。
後者では原理的に音像定位は高域程顕著に出るので、EQでHi上げたら左右に振ったTomの間隔が狭まったなんてのを極小化出来る。
第2候補は「音場の自由」(エコー等)を少し我慢して、マルチのOnの中では最大限に「生らしさ」を追及した従兄お気に入りの「ちょっとだけ離したOn」だ。
但しエコー以外にもEQやパンニング(位置定位)には第1より制限が掛ってて、それを忘れて弄ると副作用が強くなるので後処理度が低目で構わん場合向きだ。
最後の第3候補はMicの数を減らし距離は更に離れたものになるが、この場合は最早Off Micに弱い処だけMicを追加したものと捉えた方が良さそうだ。
ホントは今のデジタル全盛だと「そのまま記録」が可能となったから、Off Micのこそ以前では得られなかった良い音に出来る筈なんじゃがのォ。
だがOff Micを最大限に活かすにはMicより環境確保が先決で、しかしこれは誰にもかなりハードルが高い。
となると順番が後出しで済まないがマルチのOn Micの欠点を受容するか、理想と違っても使用可能なハコの響きをどうにか活用するかの選択が初めにあると云える。
近年は誰それの音とか何々レーベルサウンドなんてのが益々希薄になって詰らないが、俺的にはそれは度胸不足な癖に中途半端に欲張ったりしたからだと思っている。
どんな処だって少しでも良くしようってのは正しいし、試しもせず余りに簡単に放棄するのは確かに勿体無い。
何でもありのご時勢だからつい誰でも惑わされるが、分離度と一体感が対極に位置してる様に原理を覆せる様になった訳じゃ無いのだ。
その例としてBONZO式録音は明瞭度ではIan Paiceの等に負けてるが、それを凌駕する空前絶後な壮大なスケール感を持っていた。
全盛期のSteve Goddは分離度等は素晴らしかったが、人間味が少々希薄で味気無く感じられるかも等々。
年取ったからか一定の経験値を超えたせいか分からんが、俺は最近風情や個性に満ちた昔のLo-Fi録音に一層興味が高まっている。
それを少し考えて出て来た結論は「内容が優れてた」からに他ならず、音色や録音の質に全く頼れなかったからにせよそれが最強なのは論を待たない。
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