« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »

2019年4月

2019年4月30日 (火)

ドラムセットのマイキングⅥ

前回未到達分のバスドラフロントヘッド「穴開け」、完全に個人的だが俺嫌い。
人のだってあんま感心し兼ねるが、極力穴があるのは叩きたくない。(訳は後に記しますぅ)
Butこれから書くのは好みにゃ無関係でありんす。

最初に穴開けの歴史と経緯を振り返ると、前述の如くPA事情の様に伺える。
そして当初は今より穴は全然大きくて、かつての従兄談に依ると「バスドラの上へTomを載せてるから」だった。
昔のは胴が薄く貧弱だし原設計的には両面張りなので、片方の皮を無くすと潰れない迄も胴が変形しそうだとか何とか…。

他にもその頃「書かれてるのが当たり前」のBand名・ドラマー名・メーカ名、その場所が無くなっちゃう。
原設計両面張りのだと皮だって不透明(Coated若しくはSmooth White)のばかりで「中が見えない」からか、内部が汚っぽいとか格好悪いからモロ見せ勘弁○×□△。

わしゃ良か知らんが兎に角最初はかなり大きかって、音的にはそんな皮のは付いてても付いて無くても同じにしか聴こえんかった。(多分同じになる様にわざわざしてたんだろうけど)
でもそんだったら音的にどうでも良いのに、そんなんにコスト掛けとう無いわいで反逆?。

しかし一部のトラッドな方々を除き大多数は穴開きにシフトしちゃって、俺的には「生だと低音の薄い」のが主流になって残念至極だった。
Ampやスピーカの項で述べた通り低域には「空気の仕切り」が必須なのに、セットドラムのバスドラだけ何故か逆行しちまった。

好み的には人次第だけどそれやっちゃうとマズイと思うのは、本来低音が「生でも出せる」のを皆が忘れ去る恐怖だ。
も少し突っ込んでくと低音にだって色んなのがあり、奏者は極力自らの操縦法だけで所望の音色が得られる訓練をしとくべき処だろう。

また普段只の練習でPA使う奴なんて先ず居ないから、電気的後処理で補っても低音の質の低下が酷い様に感じたのだ。
得意の逆発想をしても「PAの為の穴」を最大限に活かすには、「穴開き用の踏み方」をされたら効果が下がっちまって意味も薄くなる。(元が録音時の次善策ですので)

それとバスドラ音色創りに関しても皮が1枚になると2枚より実は余韻が伸び気味になるんだが、その分ミュートを増やすのも是又欲しかった低域を削ぐのにつながってる。
ここで太鼓の余韻についてひとくさりさせて貰っとくが、大まか分類すると2種あると俺は認識している。

この内分かり易い方のは文字通りの余韻だが、もう1つの分り難い方が今回は注意点となる。
それはシンセで言う処のDecay部分で、アタック音と半ば一体化してる部分だ。
このDecay部は皮のシングル・ダブルに余り左右されず只の余韻の方は大き目な影響を受けるが、それは「ミュートが同じまま」だったらなのだ。

上述の如くでシングルヘッドで単にミュート増加させて余韻を所望値へ収めた時、大抵はDecay部が不要短縮されているのである。
そうなると明瞭度的にはご結構でも「アタックは細く」改悪してて、出せる筈の最低域がDecay部短過ぎのせいでマトモには再生し切れなくなるのだ。

これとは別件で先週両面張りの内部へMicを入れる方法の検討で、太鼓胴の空気抜き穴を塞ぐのはやっぱ不味いってのがあった。
何のこっちゃって中に入れたMicからのコードをどこから外に出すか思案した時の話しで、極力太鼓自体は未加工で出来るのを探してみた訳だ。

そこで馬鹿丸出し的だが試しに指で穴を塞いで鳴らしてみると、上述様式に則れば今度はアタックとDecay部だけで殆ど余韻が無い変な音がしたとですよ。
そろそろ本線復帰を図るがここまでのはそれの予習を兼ねてて、その昔録音したら音がどう変身しちまってたかに降りかかる。

最初の凡例はノーミュートSnareの音だが広い場所で離れて聴くと気にならず、近くで聴くと良く響いてる余韻。
JAZZ主流期に意図的に鳴らしてたの等を除くと、昔の録音のは案外そんなに余韻は目立ってなかった。
それらのは殆どは少なくともホールでの生演奏のと同程度で、近年のみたいに思いっきし「カァアーン」なんてのは覚えが無い。

この原因は音響機器のダイナミックレンジの狭さとOff Micで、要は余韻を全部は記録出来なかったが偶然人耳感覚に近くなってたのだ。
それが機器性能向上とMicが音源に接近するにつれ、今度は生耳よりも余韻を多く拾ったり記録される様になって行った。

そして穴開けを語るにはそれより少し前にミュートし出したのを抜きには出来ず、ミュートはMicの接近で生耳より長く大きくなり過ぎた余韻を減らすのが当初の目的だった。
また今日では明瞭度獲得には音色を硬くするのも常套手段だが、昔は録音機器の反応が鈍かったからそんなのほぼ無効だった。

なので明瞭度を得るのに余韻を短縮したり割合を小さくするのが最適で、シングルヘッドは明瞭度の為では無いのがこれから紐解けるのだ。
それが前回提唱した録音時のMic位相原因説で実際大昔初めて耳にした時に、俺には「普通の大太鼓」の音としか聴こえなかったさ。

そして近年の小穴開けは興味が無いのもあってロクに調べて無いからホントはどっかで正解発表されてっかもだが、俺思考に依ればMic常用アカペラでの擬似リズム音の原理と同じかと思った。
普通は叱られるMicを吹くと「ブッ」とか「ボッ」とか凄い音が出ちゃうヤツ、あれをわざと意図的に利用して肉声では出せない低音を出す裏技ですよ。

乱暴だけど今はそれやっても壊れんMicがあるので、太鼓ならその調整状況に殆ど左右されずに低音獲得出来そうだ。
しかも限度はあるが普通に拾ったんじゃ無理な低域に及ぶので、低音域用Micが無い時等には救いの神かも知れない。

では太鼓でどうやったらMicを露骨に吹けるかってば、それが小穴だって按配だ。
バスドラは皮の面積が広いから動かせる空気量も多いが、Mic振動板を充分吹くにはそれを一点に集めないと1に速度2に量が足りないからね。

だがもしそれだけにしちゃうと口で吹いたのとの違いが出難くなるから、皮や胴から出た音も一緒に拾おうとした魂胆が透けて見える。
しかし俺的にはそれって「嘘バスドラサウンド」だから、どーせならわざわざ皮へ穴開けるより元から胴に付いてる空気抜き穴へMicを構えたくなるなぁ。

現実的には目に見えない音楽芸術は音的結果オーライで結構ですが、もし俺の推理が当たってるなら別の欠点ってか制約が御座居ます。
Micをこの手の極限アブノーマル使用するとその音は元が「只の風」で音色差なんてほぼ皆無なので、「そのMic固有の」吹かれ音にしかならんのです。

なので風偽造した重低音は特定の物になり、音色選択は使用Micのみに依って決まってしまうのよ。
それってつまり誰がどう叩いて(踏んで)も得られる代わり、Micが一緒なら同じ重低音にしかならなくて個性が殺されるですがな。

何でそこ迄無理して安定追及すっかねぇ、今はいい機械が沢山あるんだからだったらもう打込みでええじゃないか。
そして高度なテクの要るフレーズとかじゃない意味でちゃんと叩けさえすれば、明瞭度なんか全然気にしなくったって今の録音レベルだったらとっくに大丈夫になってんねん。

古い俺が言うから可笑しいけれど皆さんもうこの辺で、旧来の次善策なんかからいい加減脱皮しやしょうぜ。
機材性能が高まった分誤った組合せや手法を選ぶと、その間違いやLo-Fiさが却ってモロに結果に反映されますよってに。

ドラムセットのマイキングⅤ

今回のキーワードは「太鼓の位相」と「シングルヘッド」で、シングルヘッドには穴開きも含めて進めて行く。
前回の如くMic位置次第で「低域に変化」が現われる場合で、音源との距離が殆ど変らないのなら位相の容疑が濃厚となるものだ。
しかも従兄が高域の位相回転現象(Phaser掛ったみたいな)を聴き抜いてしまったから、面倒が嫌でも考察してみるしかなくなった。

従兄は各太鼓とMicの位置関係(特に
距離)に目を向け、俺はそもそもの太鼓の出音の位相はどうなってるのかを想像してみた。
今回案件での逆相を簡単に言うと音波の一方が山の時にもう一方が谷だとで、波は上下「交互」に振れてるから相の正逆も距離次第で交互に訪れる。

先ず単純思考をすると叩かれた皮は凹むので、その反対側の皮はその時凸ってそうに思える。
だがもしそうだと太鼓が垂直で皮は横向きの場合左右片側でだけなら平気でも、上下前後から聴いたら音量が左右からのより減ってないと位相の理屈に合わなくなる。
でも普通は場所が変わっても電気楽器Ampなんかよりゃ、太鼓だと音が幾らも変らない様に感じられるんだが…。

Photo_6
そこで今回は観念図で1だが太鼓の皮両面の打撃瞬間時の様子モデルで水色が打面皮、左は上述単純思考の・中と右はそうでなかった場合の想定だ。
矢印で描いたのが周辺空気の流動方向で、黄緑とオレンジは両方共引っ張られるか押されるかが違うだけだ。
ご注目頂きたいのは黒矢印の場合で、引くと押すだとどうなるかだ。

詳細には胴厚分の距離はあるし空気の移動に僅かでも時間が要る等、この観念よりもっと複雑だ。
しかし今回案件で必要なのは空気の向きが「同じか反対か」だけなのでそこへ焦点を当てさせて貰うとして、その時の空気流動に離れた場所だと影響力差がありそうってのが検証点だ。

図左の場合だと赤皮で押された空気は「近くの」水色皮が丁度引っ張っているからその流動は、近所の空気が中心となって黒矢印みたいになりそうだ。
一方図の中と右の場合はどっちも押し引きが同方向なので「太鼓周辺」の空気だけでは足りず、結果的にそれより遠くの空気も押したり引っ張ったりしそうだね。

これ等を音に変換すればある程度より低い周波数域では遠くの空気に影響小のは離れたら音が随分小さく、影響大のは出元のから距離減衰分が差し引かれただけの大きさで聴こえるとなる。
って事ぁ太鼓が充分鳴る様に適正調整されてたら、その皮の状態は実は図左の様な単純思考にはなって無い事になる。

またドラムセットがちょっと他の楽器と違ってるのが各楽器の基本的な向きで、バスドラだけ打面の裏がお客へ向いてて他のは皆「横から」となっている。
バスドラだけに限定してもClassicのオケ等他のでも、大抵は横向きで皮はお客からはモロには見えない。

今回最新マイキングで試し録りした各トラックの波形をAudacityで拡大してみると、やはりバスドラのだけ波形(音)の出だしが「上から」となっていた。
この「上から」はMicダイアフラム(振動板)が「押された」のを意味してて、他のトラックではMicから打面が見えてるので「叩く→皮凹む→Micダイアフラム引っ張られる」で下からスタートとなっていた。

だが良く見比べるとバスドラトラックのだけスタートのタイミングが極僅かだが遅れていて、それは凡そ波形1サイクルの1/4程度他のより「後ろへズレて」いた。
もしこれが1/2や1サイクルだったら音波の山と谷が同時になるので、混入がある全トラックを同時再生したら単独トラック再生よりバスドラ音量が逆相のせいで小さくなってしまう。

1/4だと足し算と引き算の両作用があるのでトータルでは音量は増えも減りもしなくなり、それでウルサイ従兄も納得したんだろう。
但しこれはバスドラだけ共鳴皮側のOn Micで両面穴無し、それ以外のはどれも俺言い「準On Mic」で打面側収音の場合の話しだ。

2_1
試し録り結果を踏まえ観念図2を描いてみたのが上図で、一応上下問わず波形が最大になった瞬間を想像してみた具合だ。
実際にはこれ等の間の状態が連続で存在してるし、 両皮の状態ももっと中途半端な位置になってる場合が多そうだ。

しかし兎に角観念図1左或はそれに近い状態だと最大限に褒めても「指向性が鋭すぎ」で普通の太鼓としては不便でしかなく、それでは構造的にもわざわざ「そんな形」にこしらえる意味さえ無くなる。
しかも元からドラムセットではバスドラだけ「裏」がお客へ向いており、それでもし完全逆相状態になってたなら他のと同時に鳴らした時だけ音量低下と珍妙な事態に陥ってる筈だ。

その逆もしかりで参考に他楽器で単音のみと複数音同時に鳴らした時の音量差を考えてみると、総体的には複数時は単音より若干音量増位がデフォって処じゃなかろうか。
例えばずっと楽譜的に同じ強さのメロディで単音に途中からハーモニーが付く場合等、そこから急に余計な音量増加があっては不便なだけだ。

奏者側もそうならない様に自然と加減はするだろうが、楽器側の度合いが極端だったら対応が面倒で大変だ。
これの象徴例が単音と複数音の音量差が殆ど気にならない生Piano辺りかと感じるが、ドラムでも例えばリズムパターンの自由度等を考慮したら余り極端だとやはり不都合だと思う。

んでもってMic位置改良後に体験から少しだけでも増えたであろう知識を基に、従兄が先頭に立って他人様の例を2人で再分析へと展開した。
従前の解釈の錯誤修正もあるがそれ以上に、そうしてた理由の見落としがあるかもってのが中心だった。

要約から行くと元が2枚なのをシングルにした発祥はレコーディングが主な様で、収音方法がOffから俺言い「準On Mic」への移行と時期的に重なっていた。
皮への穴開けに至ってはもうほぼPAの都合に依っていて、これは次回とするがどっちも端的にはMicの都合なのが明らかだろう。

感覚的には例え裏からでも共鳴皮より打面のを拾ったら明瞭度が高そうだが、以前記した如く特にバスドラでは実際は差が僅少だったのは概述だ。
だったら何の為だったのよで、現況2人の推理はもしや録音時の位相が原因かとなっている。

対照的な例としては所謂メロタム(最初からシングルヘッド仕様)の収音で、宅で当初他のダブルヘッドのと同様表側から拾ったら生耳より著しく音程感を損ねていた。
小音量の小技を多用するならタッチ感保持の為には打面表一択だが、どうせそんなテクはロクに持ってないので試しに裏からそれも胴の中へMicを突っ込んでみた。

結果的に今度は音程感が大勢を占めた様になったが、シングルヘッドは元音がダブルのよりアタック中心なので俺ニーズとしては充分許容範囲内だった。
つまりシングルヘッドTomを表近くから拾うんだと、裏側の胴に依って作られた音が殆ど拾えて無かったと。
しかも皮が折角出した低域成分は皮が無くて増えた裏からの逆相回り込み音のせいで、皮の近くでは更に削がれちまってたか。

また従前表時代は中低域をEQで後で盛大に盛ってたが、それだと他楽器からの振動的共鳴が不自然に目立って弱った。
今裏式で今度は高域を後盛りしてどうなるかは未体験だが、何れにしてもMic「超On」だと対生耳では一点豪華主義化するのを覚悟しといた方が良さそうだ。

現況未実験だがこれに則るとシングルヘッドバスドラも、もし打面表(奏者側)から拾ったら低音が減っちゃうから誰もやってないんだろうか!?。
尤もそれなら両面張りのを打面側から拾う手もある訳で、しかしそんなの殆ど記憶に御座居ません。

マルチマイクが分離度向上目的ならバスドラ打面表は至近にSnare裏皮があるので気になるが、それも多くの場合は次の理由で不問になるケースが多そうに思う。
その鍵はドラムセット音のStereo化黎明期にあり、バスドラかSnareの一方をセンタ定位させると他方はほぼ無例外で左右のどっちかに寄っちゃってたヤツ。

原因はMic本数の少なさで2本なら火を見るより明らかと思うが、バスドラだけ専用にした3本だって普通に構えたらSnareにとっては2本と全く同条件で寄っちまう。
結局の処バスもSnareも比較的無理せずセンタ定位に出来るのは、超On Mic且つなるべく「個別立て」迄やんないと難しい。

ならないと困ってもなったら御の字のバスとSnareのセンタ定位、それに貢献しそうな両面張り打面表側収音が…無い。
それに特に昔のに多かったのが折角共鳴皮が無くてもっと近付けるのにMicは「胴の外」ってので、もうその頃のは耐入力音圧性能が超Onでも平気なのが使われてんだよねぇ。

この準Onは分離度的には超Onには劣るけど、実際録られた音は殆どOnの音でしかなかった。
するてぇと音色の為とか耐圧の為に遠ざける意味が無く、んじゃMic用ブームスタンドでも足りなかったかってばそれも違った様だ。

まだ検討要素に不足や欠落があるやもだが、消去法的には録音時の位相しか残ってる理由が無いんだわ。

<つづく>

2019年4月28日 (日)

ドラムセットのマイキングⅣ

今週ヘンテコな新発見があったのでまた追記するが、今後は随時書こうと思うのでタイトルから音創りは外すとした。
従兄のドラムマイキングは既にほぼ固まったとみていたが、近頃請負ってた彼のMic修理の絡みでまだ動きが残っていたのだ。

数年前まで従兄は自らでの太鼓録音ではMic数少な目だったからか、彼所持Micの状態把握が曖昧だった様だ。
これ等のMicはかつてのLive House時代の遺産で年代物の上に酷使もされてた代物だし、今はドラム教室主体なので過半数を同時使用する機会が訪れて無かった。

例えばTom2つへ同じMicを構えてれば彼みたいなベテランドラマーだったら、片方のMicに不調があった場合その発見は比較的容易いだろう。
だが楽器も向きも距離も相当異なってたら音が違ってても、何のせいかを見分けるのは専門家でもかなり大変だ。

それで最近になって彼は「どうもちょっとオカシイかも」を毎度頻発する様になり、使ってるのそうでないのも併せて俺へ修理依頼となったのだった。
いざ調べてみたら想定を遥かに上回る悪状況で、極例では大丈夫と思ってたのが実際は全く駄目だったりと散々だった。

生存率6割程度も上記からすれば妥当だろうが、使えてるのもそこそこあったので2人共に想定外の事態だった。
最初から全部まとめて調べてたら良かったが細切れ修理となってて、治ったのを持ってって健全と思い込んでたのと並べて使うと音が違うの連続だったんだからこりゃたまらん。

それでも修理は一応終息したがそれで新たな疑念が従兄に芽生えて又しても面倒な事に…😓、俺は音響屋だけど従兄ん所へは純粋に音楽を演りに行ってるつもりですが。
でそれは音の違いにMic本体以外にも原因があるんじゃってので、マイキングに関しても再考察をする事となってしまったのだった。

大雑把な俺と違って几帳面な従兄だし太鼓の腕も違うからか、音色的には満足してたバスドラのマイキングを疑い出した。
それは録音したのにバスドラ音量の「踏んだのと合ってない」妙な増減があると言い出し、実際単独トラックで聴いたのと全トラックでのに妙な差異が認められたのだった。

録ってる最中にMicの移動や振動が無かったのを目にしてたので、俺は軽い気持ちで「だったら位相かなんかじゃないの」と口にした。
但しこれの位相については但し書き必要案件で、ドラムセットみたいに密集させてるのへ個別立てすれば完全回避がほぼ不可能なのは当初から概知なのだ。

D_1
ここで概念図の登場で左が従兄左利き用ツーバスドラムセットのマイキングの状況、右がバスドラへの構え位置で青丸が従前・赤丸が今回変更後のだ。
図左で色分けした「つもりMic」は黄緑4本が太鼓(バスドラのは省略)・桃がメインHat、青がサブClosed Hat&Ride用で赤がそれの今回変更後だ。

素直に読むとCrash3枚とSplashのMicが無くて変だが、Hat用のの位置(主に高さ)を工夫して一緒に拾っている。
数や位置に変なのがあるのは従兄のデジタルのオールインワンタイプ録音機の都合で、Mic入力・同時録音トラック数が8なのに依っている。

元Live Houseであるから24chのMixerもあるがまだ修理中なのと、同じトラックに録った分は後から個別調整はどうせ出来ない。
のともし8chでも何とか出来たら録音機へMicをつなぐだけですぐ録れる等で、若干変則的だが現状は実に従兄らしいとも言える独特な方式となっている。

先ずは従兄知りの参考例を雛形として従前は図右青だったのを赤へ変更してみたが、俺の全くのいい加減な「物は試し」だったのに録ってみたらかなり違った。
前出の妙な音量増減が無くなったばかりか、セット全体の低域量が増えてドスの利いた音となったのだ。
因みに従前のツーバス左右に対するMic位置は、セット中心に対して線対称としていた。

立て続けの因みにⅡはBass・Floor:俺言い鯨擬き君・金物用2本:SM58・後はSM57で、Snareに58を試したが従兄に良かったのは第一印象だけに終ったので57へ戻している。
「鯨擬き君」ってのは偽物じゃないがMD-421じゃなく派生形の「521」だからで
、殆ど差は無い筈だが直接比較未体験の為。

俺みたく大雑把な上魔改造をいとわぬなら同じと認識して無問題だが、微妙なニュアンスに拘りがあってまんまで使うと人次第では気になるかもだ。
従兄の場合は521でもそれがお気に入りなので、何も弄らずで済んでいる。

そして熱し易く冷め易い癖に従兄のどうして小僧魂に火が付いちゃったか、今度は「Crashの余韻がPhaser掛ったみたいで変」と言い出しやがった。
昔からこうなると納得出来る迄どうにもならないので必死に考えて、金物用Micの1本だけ向きが大きく違ってたのの変更を提案した。

それが図左の青から赤へで「Crash余韻のPhaser 」も減ったが、それ以上に全体の明瞭度ややはり低域がかなり従前より向上したのだ。
もしこれが俺みたいに分離度最優先で超Onにしてるなら、何かのせいで削れる等より混入するのが兎に角困るから余り気にしてなかったしする意義も少し低くなる。

これは言い換えるとそもそもの音(ナチュラル派)か結果オーライ派のどっちを優先するのかとも云え、元来重視なら太鼓は寧ろ分離してる方が不自然にも基づいている。
俺みたいなアホを筆頭に普段は「セットかどうか」なんて無意識で聴いてるのが多いが、現実的には割合が少なくても共鳴し得るのが有ると無いとでは音が違って当然だからね。

けれども遊び心的にどれか1つだけに極端にReverb掛をけたいとか、楽器とか腕(本来はご法度ですが…😓)の都合て拾っただけじゃ所望の音色が得られん場合はそうも行かなくなる。
天然水しか飲まない人と知ってても脱水症状でも起こしてたら、水道水しか無かったらそれを飲めと勧めても当然ってな感じだ。

不自然容認なら寧ろわざと近所と逆相にして混入してるのを誤魔化したい位で、原理上完全分離が不可能なドラムセットならではだ。
そしてナチュラルを追及するなら位置はワンポイントで、数も人耳に合せて2本とするのが理想だし成功率が最高だ。

この両極からすると今回の等は真に中途半端だが、主に’70年代前半頃迄だと結構類例が多かった手法だ。
昔は今と違ってMicは大き目だし本数も少なかったし、或は物と奏者に依っては耐音圧の都合でOnだと歪んで駄目だったりしただろう。

耐久性(万一の誤打に依る破損)も弱いし・高いの壊されちゃたまらんし…等々、少なくとも超Onなんてのは今より中々条件を揃えられなかったのは間違いの無い処だ。
もうすぐ令和になろうったって従兄の現状は8トラックで当時からあったMicだけと、デジタル録音機ったって条件的には’70年代前半と一緒だかんね。

それはさて置きこの結果を受けて俺のした安易発言がまたぞろプチ波紋を呼んでしまい、「太鼓の位相論」へ発展したが次回じゃ。

2019年4月26日 (金)

音創り㉔ エレピ等Ⅲ

更に長々しつこく続いてしまう体験的その後だが、専門性が高くないのに使い続けてる稀有な例と思って頂ければだ。
個人的に最近特に痛感してるのが録音物レベルの向上で、誰が聴く時も皆デジタル化したのの影響だ。
単純に捉えたら良い進化も副作用無しとは行かないのが世の常か、俺的にはデジタルには原子力と同じ様な魔物が潜んでいたと痛感している。

普段耳にする上でデジタルとアナログの最大の相違っつうと俺的には、音が鳴って無い時ではないかと思っている。
デジタルでは音の内容に拘わらず喋って無い・弾いて無い・鳴って無い…時、基本的にはバックグランドの雑音が無い。
しかしレコードならパチパチとかそれ以外のだとシーとかサーなんて、僅かでも機械や電気の力を借りてる物には必ず気にせざるを得ない位の背景雑音があったものだ。

誰だってお邪魔な雑音なんて無い方が良いが楽器で最優先されるのは「弾いた時の音」であって、先ずそこが充分優れていない事には「使って無い時」にどうだろうと話しが始まらない。
どの程度諸君は騙されてるのか分からんが俺が惑わされたのは、無雑音なせいで却って楽器自体の音色への注意が低下してしまった事だ。

単純な理屈だと余計な労力が無くなると本職に精が出る筈なんだが、ここが人間様のちょっと変で複雑な処!?。
かなり消去法っぽくて後ろ向きな発想かもだが、「どうしても雑音が減らせんからにはそれをも凌駕する音色にしなくては」なんてのが鈍ってしまったのだ。

加えてもし楽器本体のみに不足を感じても本体だけでそこそこ色々やれるのに、何か追加してわざわざ低音質化させるのかとか…。
それすら覚悟して臨んでも例えば弦を違うのに張り替えるとかPickupと弦の距離や角度を変えてみるとか、そう云う原点レベルの変更はどんなに僅かなのでもデジタルでは一切受け付けない。

とても便利で高性能ではあるけれどほんのプチ調整をしたくても、それが設計段階で設定されてないパラメータだったりしたら既に結審済みでもう何の余地も残っていない。
初期時点では親切なデジタルだが機械的には絶対的安定性を誇っても、楽器理論的には「カスタマイズ」に対してはかなり脆弱
だったのだ。

確かに機種に依っては弄れる範囲が広がるがその「場所」が問題で、実在楽器音は基本的にそれのサンプリングデータより後ろしか弄れない。
それでか過去にはAKAIのサンプラーみたいに自分でサンプル録り込み可能なのが流行ったりもしたが、求める音の入手性に難があったりで表通りからは消えて久しい。

俺自身も当時手持ちのKORG DSS-1とかSDD-2000へ、概述Colombia EP-61Cを入れてみたりもした。
これの理由は低音域の拡大で一応当初の目的自体は達成されたのだが、電気楽器では俺的必須案件の「真空管経由の音」としてはその部分がどうやっても旨く拾えなかった。

サンプリングシンセのプリセットやオプション購入したフロッピーにFender Rhodesは当然の如く入っちゃいたが、妙に歪みが目立って「使えない音」だった。
これ電気的・理論的には真実に忠実だったのかもだが、楽器である以上は「少し嘘」でも「必要な部分が満たされて」ないと意味がないのに…。

現行機種では当然改善されてはいるだろうが何時も何か何処かが制限付きで、もしそれを完全に払拭しようとすれば幾らデジタルでも本家のより恐らく高価で大掛かりとなるだろう。
結局ちょっとそれらしいのが欲しいってのにはデジタルの方が向いてるが、本格派であったりとってもアブノーマルなのが欲しくなったりすると古典的でも本家のの方が手っ取り早くなったりする。

そんなこんなで宅の鍵盤楽器のデジタル導入も半ば当然に録音機と同時期で、当初はこれで今迄の色んな余計な苦労から解放されるぞと喜んだもんだった。
処が暫く色々試行錯誤して行く内段々何だか息苦しさみたいなのが出て来て、それが今にしてみりゃ上記の如く「デジタルはカスタマイズがほぼ無理」だったのである。

人に依っちゃあんまし困らんのか分からんが、ここで問題にしてる独自性とはどんなのなのか記しておこう。
例えばエレキGuitarなら○○君の音はどれも他のと比べると、問題は無いが何か籠り気味な音色だねとかそう云う類のヤツだ。

それも楽器やAmp・そのセッティングのせいじゃなく、以前載せた俺の昔の仲間宜しく「手が脂性」のせいで弦自体の音色が人と違っちゃってたのねぇみたいなのですよ。
だどもそんなのこそがちょっとの違いであっても真の「その人の音=その人の個性」で、今や機械でも演れるのにわざわざ人力労力を注ぎ込む最大の意義なんですからねぇ。

尤も欲しい音なのに弾けない楽器はどうすんだが未解決なのでデジタルのニーズも残っちゃいるが、少なくとも最低限に留めたい今日この頃の心境だ。
楽器音構成にどうしても拘りたくなったら機械主体で、何とか美しい妥協とか打開策が見付けられたら手弾き主体でと考えている。

ここで鍵盤系とは限らんが生内デジタル併用での俺的成功・失敗例を参考迄に少し提示するが、異論噴出覚悟での失敗例は近年の生の方を無理矢理機械っぽく加工して整合させた類のでだったら打込もうその方が安い(易い)でぇだ。
成功例で印象的だったのがTVドラマ「あぶない刑事」での劇中音楽で、少し昔のラップなんかでわざとLo-Fi化させて引用してた名曲の一部みたいな手法が用いられてた。

放映開始時はまだ昭和で基幹局製作であるから資金・人材とも潤沢で、全てを生演奏とするのも簡単且つ無障害だったであろう作品だ。
流行の導入とか新味を得る目的だったからか「SEのSE」みたいな使い方で、それなら多少不自然だろうと何だろうと寧ろ「デジタルのじゃなきゃ無理」だ。

海外では’80年代初頭頃からYes等に類例が見られ、Kate BushのアルバムThe Dreamingでは殆どの楽音がサンプリング物ってある意味今のボカロへ通じる源流みたいなニュアンスであった。
こうしてみると結局生と併存してるデジタルのを、無理して「生に聴かせる」のは無いみたいだ。

勿論時を経て機材はどんどん進化してるしして行くだろうけど、例えば鍵盤で管や打楽器特有の奏法を再現しようなんてのはとてつもなく大変だ。
もし実現出来ると神だけどそれだけ労力と時間を費やすなら、本物を練習するのと大差無いか下手すりゃもっと苦労させられちまう。

管なら口と手の両方で演るのが手だけでしか出来ないし、んだば打楽器ならバチで鍵盤上でロールでもさせてみますかってな。
変態度・面白度満点で大変結構で御座居ますが、それは「普通の演奏」とは別ジャンルになりますな。

そう考えて来ると全く出来ない楽器=演奏の仕方自体に疎いor多分不足や欠落もあるだろうで、音色へ拘るより聴感的に同効果が得られる弾ける楽器で何とかする方が賢明そうだ。
そう云や概知の方も少しは居るかもだがドラムマシンの第1次流行期、そのプログラミングで名を馳せてた中にあのJeff Porcaroが居たと従兄の先生から訊いた覚えがある。

俺自身にしても当時ド下手であっても叩く真似事は既に体験してて、「分かっちゃいるけどまだ出来ね」を機械の力を借りてやってただけだった。
今は大体当初機械で代用したのを叩ける様になってて、結局はドラムマシンは時間稼ぎ・場つなぎの代役だったみたいだ。

この際ダメ押しも披露しちゃえばシンセBassですら上記みたいな類例が多数な様で、イメージ的に鍵盤の人なStevie Wonderが実は結構エレキBassの人だったなんてねぇ。
何でも出来る人だけど思い出してみるとGuitar系だけ覚えてる範囲には無く、クレジットを確認するとエレキBassは本人ってのが結構あったのを見るとその様ざんすョ。

要するにBassに詳しいし得意だから「何Bass」だろうとって事みたいで、お金の力だけで一生心から愛して貰うのが無理なのと似た様なもんか。
稚拙で恥ずかしくて録音に無理だろうと例えば管に拘りたきゃ、少しはテメエで吹いてみろって寸法になってましたか…😓。

2019年4月21日 (日)

音創り㉓ エレピ等Ⅱ

前回具体的な使い方迄言及出来なかったのでその辺り、Ampのセッティングや録り方等を少々。
大枠としては収音が電磁気式で電気楽器用のAmpを使うので、エレキGuitarやBassと基本的な部分は一緒と考えて良い。
キーワードは「ハイインピーダンス」と「真空管Amp」だ。

音色を極めるのは最後は感性頼みとなるがそれだけでは遠回りなので、俺らしく簡単な構造解析から始めよう。
Organ(持続音)系以外のはGuitar・Bassの生対エレキと同じく、基本的には生の発音方式を継承している。
弦では無くボディやブリッジの振動を拾うエレアコ式もあるが、鍵盤でそれに対応してたのがYAMAHAのCPシリーズ等だ。

前者の音色は高域目立ち・中域主体・後者は比較的ワイドレンジとなっているが、これぞまさしく構造・方式がその原因となっている。
順を追っていくと先ず「高域目立ち」の原因は「発音方式」にあり、鍵盤系の殆どは発音体(主に弦)のとっても端っこを叩いたり引っ掻いたりさせてるからだ。

Clavinetに一番近似な音色得るのにGuitarの低音弦でブリッジすれすれを弾く手があるが、弦の真ん中を弾くのに比べて一番倍音含有量が豊富になるよね。
だが良く聴き込んで貰うと分かるが、Clavinetの方はGuitarよりオーディオ的には高域が全然出ていない。


この「実際は中域主体」の原因が拙ブログで再三登場してる「電磁Pickupの方式」で、その多くは各鍵毎に個別にPickupを持っていて全部「直列」につながれている。
過去に並列接続仕様もあったが鍵盤楽器の特徴の音源と鍵盤が同数に反するからか、音色や反応に不都合で普及せず電気音響的には芳しくない直列接続が主流だった。

すると鍵盤数が少ないのでも数十個が直列になるのだから、弦系のより更にインピーダンス(交流信号抵抗)は高くならざるを得なくて「籠って来る」のだ。
S/N比(信号対雑音レベル)や伝送特性に不利だがハイインピーダンスには特有の様々な事象・特性・音色があり、電子式(デジタル音源の)みたいなオーディオ的Hi-Fiは望めないがデジタルでは代替不可な別の魅力もある。

鍵盤系電気楽器にもGuitar・Bassと同様ローインピーダンス仕様があったり、Bufferを入れたりして使う場合も勿論ある。
けれど電気楽器にとってはローインピーダンスのはバリエーションで、俺的には基本はハイインピーダンスも含めての物だと思っている。

物理的音質としてはローインピーダンスの1人勝ちなので必要性が無けりゃその方が良いが、楽器・手弾き…等を最大限に表現しようとするとハイインピーダンスの方が適しているのだ。
本来低性能では困る処なんだが例えば狭い道を通って近所のスーパーへ買い物に行くなら、フェラーリより軽自動車の方が何かと好都合なのと似た様な感じなのだ。

そしてハイインピーダンスとなると真空管Ampの方が適合性も高く、上記比喩に準じると石のAmpへ繋ぐのは軽自動車にフェラーリのタイヤを履かせる様なもんとなる。
そんな事をすればタイヤ巾が広過ぎて最小回転半径が大きくなって取り回しが悪くなるし、走行抵抗が増えて燃費も悪化するだけだ。

また聴感と理論が異なる原因には楽器とオーディオの違いもあり、人が音程として感知出来るのが音響的には中域迄ってのもある。
つまり音程としての高域はどんなに高くても音響的には中域の範疇で、Cymbalにだって音程はあるんだが大抵はそれを誰も簡単には言い当てられなかったりするでしょ。

見掛け上は石のAmpでもToneつまみのMiddleを上げたりすれば特定音単独では近似状態が得られるが、違う音程を弾いたとたんに所望のバランスから外れてしまう。
機械的に正直なのが楽器として好都合とはならない場合があるからで、石Amp専用電気楽器が未だに現れないのも原理的にほぼ不可能だからなのだ。

要は電磁Pickup式ハイインピーダンス出力のなら、どれでもつなぐ相手は真空管Ampが基本なのですわ。
鍵盤楽器って弦楽器と違って普通は音源に直に触れないし触らないからその面で小手先の小細工も出来ないしで、実は鍵盤系こそ真空管Ampが必要で特別な意図も無しにうっかり石経由のみでLine録りになんかすると魅力を発揮し損ね易い。

さていよいよ具体的段階へ突入するがかつては真空管のでMarshallを例に挙げると、Guitar用Bass用の他にKeyboard用なんてのがありやした。
が今は多分何処もそんなの出してない(石のは別)のでどうするかっつうと、ある程度低音が出せる物ならGuitar Ampで大抵はOKだす。

もしBassレスの編成だったらBass Ampの方が良い場合もあるけど、それよりも兎に角「真空管」へ是非拘って頂きたい。
デジタル音源のだって真空管へつなぐ価値はあるけれど、前出「ハイインピーダンス」出力の時にローのとはAmpの反応が大巾に違って来ますのでね。

因みに(石のは別)って言うのは近年のはデジタルのをつなぐのが主流だから、なるべくレンジの広さでPAに負けないのを第一義とされてるからです。
デジタル音源のは生演奏時のアンサンブル内でどうかは別として、基本的に楽器から直にヘッドホンで聴いてもLine録りしたのをオーディオで聴いても音が殆ど変わらないしそうなる様に作られている。

この様にデジタル楽器は単体で完結してるけど、電気楽器は楽器とAmpのセットで成り立ってる楽器なのを呉々もお忘れなく。
2つ無いと駄目とは面倒ではあるがその代わり組合せを変えて音色バリエーションを得られる利点もあり、デジタルのでは基本的に持ってないカードだ。

こんなん語っといて俺はLive等ではIC Buffer Ampなんかも多用する口なので一見矛盾と思われそうだが、基本的性質を知ってる上で適宣用いる分には大丈夫だからだ。
「知らずにやるな」と唱えるのは、そのせいでAmpのToneセッティングや弾き加減を誤認する危惧も大きいからだ。

もっとぶっちゃけちゃうと特にBassの場合で常用楽器がとても弦の状態に対して正直なので、古い弦でも高域を誤魔化して出すなんてしょーもない理由があったりする。
最近記した如く個人事情でBassはスピーカ録りが困難な現状だが、それだけに真空管Pre Ampだけは最低でも必ず通す様にしている。

加えてもし歪ませ音色が欲しい場合はもうどれでもスピーカ録りじゃないと無理で、歪み方の他に後述の周波数バランスの相違もあるからね。
理想と現実に距離はあるのが常だし知らなくたって死にぁしないが、知らなくて損しても知ってて損する事は無い。

楽器の音って感性等を抜きにするとオーディオ的にはローインピーダンスの方が音色が美しく、下手をするとその美しさへ依存してしまう。
だがオーディオと楽器では高音質の条件に相違があり、聞えて綺麗よりも絶妙に奏でた際に最高に美しくならないといけない。

楽器理論でデジタルとアナログ・機械と人力・インピーダンスのローとハイを比べると、前者はリニアだが融通は一切効かず後者にはその正反対の性質がある。
また後者で俺的に特筆しときたいのが、「ショボくても何とか使うに耐えられる」音が出る処だ。

ここで電気楽器(ハイインピーダンス設計)のをローにして鳴らすとどうなるかを挙げとくと、先ず中域に次に高域に違いが現われる。
一聴段階では高域増加で明瞭度が上がった感じを受けるが、大抵は中域の割合が減少・不足し各楽器の個性や艶がかなり低下する。

場合に依りけりだろうが折角聴き取りが向上しても「肝心な部分」は減ってしまうし、中域の「鳴り方」自体にもかなりの変化があってこれはEQで補う事は出来ない。
なので何かの意図があってわざとじゃないなら、楽器の「原設計と違う使い方」は少なくとも録音ではなるべく避けた方が良いと思う。

また理解不足の業者等は「今迄途中で欠落してた高域がちゃんと伝わって聴こえる様になります」等とほざくが、マトモな楽器だったら
予めそれも考慮して設計されている。
なので幾らオーディオ的にHi-Fi化しても、多くの場合「そのまま」だと楽器としては高域過多な音色となっているのに注意が必要だ。

かつて本邦でスラップBassが流行り出した頃、録音トレンドも丁度Line録りと大体同時進行した時期があった。
当時は記録媒体がアナログテープだったので誰もが高域が削られるのと格闘してたが、それで兎に角一番ブライトな音を出せた奴が勝ちみたいな風潮があった。

処がそれが行き過ぎてBassなのに肝心な低域割合を減らし過ぎて、アンサンブル内でのパートとしての役割を果たし切れん様なのも出て来よった。
Bassでは幾らブライトな音色を求めるにしても低域が主体でなくては、音域が同じだけの別の楽器になっちまうのを見落してた訳だ。

今回の鍵盤系電気楽器の音色はしかるに倍音主体だが中域主体で、これが音色上の最大の特性となっている。
エレピはクラビより倍音が少ない印象があるかと思うが、倍音の帯域が低目だったり整数倍のが多いのでそう感じられてるだけだ。

或はCymbalってば高域の上の方が目立つのでアホな俺は一時期超高域ばかりをブーストさせたりしてたが、実際に一番キレや鮮やかさを司ってる帯域は中域の「すぐ上」位にあった。

大サービスで種明かしすると大凡4kHz辺りが肝で、ここをほっぽっといてそれより上だけ弄り倒しても「Cymbalらしい高域」は得られなかった。
そんな「失敗サウンド」はどんな感じかってぇと、音程感が乏しくなったり音量の割にちっとも目立たないなんて風になる。

では最後にオーディオ的高域は楽器ではどんな部分に値するかと言うと、エレキBassの指弾き時が顕著だがズバリ「タッチ感」だ。
触るのの象徴として本のページをめくる音を例に挙げるがそれどんな音?、シュッとかシャッとか掴み損ねてカサカサとか声で言えば囁きみたいな音でしょう。

但し今回の鍵盤系は少しここが例外的で「音源のタッチ」を直接は加減出来ないのと、構造的に殆ど扱えなくなっているので弄っても弦系よりは効果が少ない。

2019年4月19日 (金)

音創り㉒ エレピ等

今回のお題はFender Rhodesが有名なElectric Pianoを始め、今や半ば幻同然の鍵盤系の電気楽器についてだ。
今回のお断りは電気若しくは電動Organは対称外としたが、発音源が足踏み式と同じ笛で電磁気の作用に依って無いので。

俺予想に反してもう少しは生き延びるかと思ってたOrgan系は全滅で、主要顧客が教育・宗教関係ではコストやメンテの都合は厳しい様だ。
唯一Hammond Organ用のLeslie Speakerには122XBだけ旧来の方式のがまだ残ってるみたい。


何故「旧来」を気にするかってばその方が不安定で曖昧だからで、高名な発音源の Tonewheel式がデジタル化されちゃったから尚更だ

元からだけどその「Wheel」を回すのが電気モータで足踏みOrganよりゃ安定度は高く本来「安定=当てになる」は良い事なんだけれど、大元が機械ってのは「範囲を超える」のはどうやったって不可能でもある。

人にだって限界はあるけれど火事場のナントカみたいに「巾がある」のが、機械だとあり得ないのが違ってるって寸法だ。
それを分かっててかHammondもメンテや故障率等で不利な音源はデジタル化したのに、Amp側つまりLeslieだけは今ん処残してるね。

電気鍵盤にかつては他にも
Clavinet等があったけど、どれも音色データに化けてシンセとかに大抵は入ってるから音色自体は半現役だ。
のっけから毎度のヘンテコ表現「音色自体は半現役」としたのにはパッと聴きでは差が無くても、ブラインドテストで合格してもそれはオーディオ的な面だけに過ぎないからだ。
楽器として匹敵するには寧ろ音色等が幾らか違ってても、「同じ様に使えるか」が必須なのを皆忘れかけてると思うのだ。

ちこっと思い出しとくれよ、所謂弾き語りってアコギだとか生楽器の方が未だにポピュラーだよねぇ。
最近じゃ電子ピアノも多いけど主に環境の都合なんかで、それの大部分は生ピの代役が多いんじゃないかな。
電子楽器も今ではもう立派な歴史もあるし楽器として有能だけど、だったら弦だって電子Guitar・電子Bass(売ってるか知らんけんども…😓)が主流になってないのって変でしょ。

そんなら何で衰退したかってば何つったってデカくてお高いからでしゃーないんだが、体験的に「電気を電子ので」でかなり苦労をしたから拘ってんだいっ。
現代では昔では到底想像だにし得なかった煙草ですらと、何でも「電子式」が優勢でそれ自体は有難い位だ。
しかし打込みでも行けるのに敢えて旧態依然の手弾きを選択する場合があるのにも、ちゃんと理由があっての事だからね。

なのでそれを活かすには楽器としては電子迄行かず電気位に留めとくのにも必要性があって、生楽器よりは割合が減っても「楽器側に生が残ってる」のが結構響くのである。
ここでとってもマイナーなエレピをとあるキッカケで今も持ってんだが、これにまつわる悲喜こもごもをひとくさり訊いとくんなまし。

そ奴は日本ColombiaのElepian EP-61Cってので、意地悪に言えばRhodesの代用品だ。
これの経緯は当時Piano&Vocalだった友達からお手頃価格で譲って貰った物で、オモチャキーボード(それでも今より全然高価だったが)以外持ってなかった時分の話しだ。

未だ真っ当な鍵盤奏者だなんてとてもな俺の大昔であるから、他の部分を無視して本物へ注ぎ込む余裕は無い。
とは言え自作曲の巾を広げたくて「伴奏に使える」のが入用になるも、宅の実家だけ仲間達のとは違ってPianoが無かったのだ。
恐るべき事に恐らく戦前製の足踏みOrganなら何故かあったが、Rockを演るにゃ反応がトロ過ぎて特に伴奏には全く無理だった。

それでも高校最後の音楽のテストのお題が実演だったので、どうせ演るなら好きなのをってんで上述「足踏み」で無理矢理練習してJohn LennonのImagineの弾き語りを演ったっけ。
本番は音楽室のGrand Pianoだから数回は学校のUprightを借りたが、怖い物知らずもいい処だった。

けれどもコード弾きに毛が生えたの程度なら手に負えそうなのが分かって、これで小学生時代のOrgan教室を言葉通りの三日坊主で投げ出した過去は払拭出来たかもだった。
遺憾にも恒例化しつつある言い訳としては投げちゃった原因に「畑違い」があったのだけは確かで、当時は子供が近所で普通に通えるお教室にRockのなんて皆無だったですから。

兎に角それなりに鍵盤演奏のスタートの火蓋が切って落とされたが、その少し前から前出Piano&Vocalの友達の自作曲でBassを担当し始めていた。
そこで俺にとってプチ革命みたいになったのがコード(和音)で、鍵盤だと弦より自由な組合せが比較的簡単にこなせるのを知ったのだった。

しかもOn Chord概念を持出せばかなり変態的組合せも簡単に可能で、これこそ実際この友人から伝授して貰った宝であった。
この手法には簡単なコードとその「押え方」しか知らなくても、ルート音との組合せを変えるだけで殆どどんなコードでも合成出来る利点がある。

弦楽器使用でも不可能じゃなく実際Earl KlughやCharなんかが多用してるが、鍵盤より可能な範囲が狭いし何より「見付ける」のがとても大変だ。
それが鍵盤だとRock系なら左手のBass(ルート)と右手のコードのどっちかをずらすだけで達成されるんだから、お手軽だし即応性に長けてるってもんだ。

例に依って人次第だろうが何らかの方法で頭で先に習得するのも悪か無いが、殊「編み出す作業」には出鱈目でももっと簡便で実践的な手段の方が手っ取り早いし実用的だ。
そんな訳でエレピも常用する様になったが、手持ちのには俺的には色々不都合もあった。

先ずは61鍵だと下の音域がRock系伴奏には不足なのと、メンテ予算皆無の為自前でこなせる以上の事が施せずな処だ。
それに結局
自分では弾けないとか持てそうに無い楽器の音の欲しい分は、他に選択肢も無いのでその後サンプリングシンセを購入した。

しかし当初想定ではメジャーな皆さんがそんな様子なのでほぼ全面移行出来ると考えてたが、実際演ってみたら却って移行に無理があるのに気付いてしまったのだ。
当時入手したサンプリングシンセは初期のなのでその性能不足もあろうが、兎に角伴奏で使うのに電子式だと音色安定度が高過ぎて駄目だったのだ。

最初は誰だってもっと安心して聴ける様に弾けないかと苦心するが、それも度が過ぎると手作り(人力実演奏)感を損ねるだけになるのを知った。
また誰もが認める音色は用意されてるが微妙なヤツ、例えば他では無理だけど特定の曲だけはその変なのが合うなんて音色を勝手に作るのが出来なかった。

普通で考えりゃ余り良くない音なんて作れない方が安心だが、曲や使い方に依ってその「良い」が実は変動しちまうもんだからさぁ。
又またの以前から吠えシリーズだが「知らねば天国」なお便利電子楽器も、モノホンの音と比べちゃったら当り前だが比べる自体が野暮ってのは不動だ。

個人的に最近特に感じるのが楽器数の多さで、けれど耳に残ってるのは入ってるのの1/3も無いって現象。
弁当に緑のギザギザのビニールの葉っぱなんかが良く入ってるけど、大抵はそれを覚えて無いなんてのみたいな感じですよ。
無論隠し味なんて編曲もあるけれど、しこたま投入した割にゴージャスにならないんじゃご苦労さんも良い処だがや。

なので仕方無い面が多いんだけど、もう少し電気楽器の利点にも関心が高まると良いんだけどなと思ってしまう。
これだけ録音がハイレベルになって来ると、昔通用したまやかしなんてもうとても無理だしねぇ。

2019年4月16日 (火)

音創り㉑ Ampのマイキング 余談編

今回は少しヲタ度高目だが、Fender Bassmanの録音業務用旧標準としての衰勢等を探って行こう。
当時でも他にAmpeg SVTもそれに次ぎそうな存在だったが本邦でそうなったのは近年になってからで、本国でもずっと使われてはいるが割合がそんなに高くない様だ。

それよりAmpegの場合時期が少し遡るがDonald ”duck” Dunnの使用等で有名な、B-15S等の方が録音現場では多用されてた模様だ。
これはその名の通りスピーカが15inchでバスレフ式と、当時としては最小サイズで重低音って感じだ。

尤も強力なのでも出力は60W止まりだしバスレフなのでOn Mic1本録りは不向きだが、前々回「音創り⑲」に掲載した初期Beatlesの様な録り方がデフォな時代だったので問題にならなかったんだろう。
Bassmanもこれ以前のはスピーカ方式等が大きく違っていて、頻繁に用いられるも用途がGuitar用が殆どだったらしい。

汎用面からは大きさと重量は大問題だがそれならSVTこそ先に消えそうなもんだが、ここでは敢えてそれを無視して続けてみよう。
Ampは俺言い「楽器の半身」なので最後は音最優先になるが、Bassmanのスピーカは12inch×4の集中型だったのが功罪両方に影響したと思える。

実は大昔だってBass帯域には15inchの方が適してるのは概知だったが、製作上の問題か耐久性の低い物しか無かった様だ。
加えて駆動が真空管では今みたいに自由にパワーアップ出来ないので、スピーカたる物は能率優先度が今より格段に高かった。

高能率一点追及するとどうなるかってぇと、その分低域再生には巨大な箱を必要とする様になってしまう。
Bassmanよりスピーカ口径が8cm大きいDual Showman Reverb Bassでは代りに数を半減させたってのに、奥行以外箱の大きさは大差無く尚且つ後者はバスレフにして容積を節約している。

近年の小型スピーカ+電気代ではエコに反する大飯喰Ampってのは、スピーカもハコも小さくして能率がかなり低下するのを補う戦法だ。
更にその電気代を少しでもケチりたいのもあって、デジタル増幅段も浸透しつつある。
尤もフル装備だと軽自動車でも思った程の低燃費にならんのと同じで、車でもAmpでも入れ物以外に仕事量には大差が無いのを考えりゃ当然の結果かもだ。

またこれは原理的由来なので今でも傾向は不変だが、スピーカは大口径になる程反応は鈍くなってしまう物だ。
それ故今でも口径30cmのツィータなんて存在せず、例え無理に作った処で誰も買えない値段とかになりそうだ。
それでBassmanでもSVTでも敢えて理想よりは口径は我慢して、アメリカだからかお得意の物量作戦に出た訳だ。

当時としてはBassmanの方が美しい妥協点を見出していたが、徹底度ではAmpegに軍配が上がる。
何せSVTでは非力で低音に不利な10inchスピーカとは云え、一箱8個×2で都合合計16個とホントに桁が違った。
単純計算すればSVTにはBassmanの4倍あるから、ユニット単体能率が1/4でもトータル能率では間に合ってしまう。

能率を気にしなくて良ければその分を再生帯域拡張等へ回せる訳で、逆にBassmanのは4個しかなく大きくても口径が理想に8cm足りない分ユニットの条件が厳しくなっていた。
ローエンドだって好みに依るとは云え少なくとも余裕はゼロで、そっちへもリソースを与えたいなら8個は欲しい処だ。

しかし太さやまとまりではBass用かGuitar用かを問わず12inch×4ってのの良さもあり、今でも無くなってはいない。
それと同じ爆音を出すなら最小数・サイズより余裕のある方が音色は伸びやかで硬くなり過ぎないものなので、運搬不要で金持ちだったら小ささへお金を払うのは無駄ってもんだ。

処で「Dual Showman Reverb Bass」をネットで調べたら出て来なく、出るのは「Dual Showman ReverbでBassを鳴らす」ばかりだった。
高校時代に近所で入り浸ってた町田の楽器屋で貰ったカタログに載ってて知り、珍しいけど俺の中では誰でも知ってるとずっと思ってたんだが時の悪戯なのか。

未確認の使用例だがもし「特殊な使い方」をしてなければ、TVドラマ「傷だらけの天使」のOPのBass辺りが可能性が高い。
Bass AmpでVibrato内臓のなんて他に覚えが無いんだよねぇーで、今回は俺的禁を破って証拠画像を載せる事にした。

Fbmdsrb
Fenderのは普通Guitar用とBass用ではヘッドの一部が別回路になってるが、これに限ってはどうか不明だ。
しかしMarshall系等より元から低音を盛大に盛れるトーン設定になってるので、受け手(スピーカ)が対応してればそのままでも行けそうだ。

これも体験的に正規Bass Amp入手迄手持ちBandmaster Reverbで代用してたが、宅に来た殆どの人はガタイが大きいのも手伝ってBass Ampだと思い込んでた位だ。
また昔のHIWATT何ぞは最初からGuitar・Bassの区別が無く、そんな芸当も可能となるのは大型業務用Ampの特権だろう。

何れにしても現代ではLine録りの普及が先か運搬の都合が先か分からないが、Bassのスピーカ録りは昔より条件が厳しくなったと感じている。
録音とLiveで同じAmpが使えないケースは昔からあったが、最後にその例を1つ掲載しとこう。

全盛期のDeep PurpleのRitchie Blackmoreの音色の話しだが、レコードでは美しいのがLiveのだとどうも今一なのが不思議だった。
それが第2期当初のだとLiveでも美しかったが、かなり後で知った原因は「美しい=使用AmpがVOX AC30」だったからであった。

それでも中々「Ampが違ってた」のに気付けなかったのは、「音色の系統は一緒」だったからだと勝手に言い訳にしている。
後にBrian Mayが実施に踏み切った「並列使用」を除けば、当時は他に選択肢が無かったのだ。

軟らか目に充分歪ませられた上必要な爆音が得られるのが当時はMarshallオンリーで、今だったらBoogieのDual若しくはTriple Rectifire辺りも候補になったかも知れない。

因みに整流管式で出力100Wを超えたのは上記のRectifireがお初で、整流管は歪ませ時の音色に有利でもパワーを限界迄絞り出させるのは不得意だからだ。
そんな今更で中古で偶然手にした整流管式(前出Bandmaster~)だが、俺的には歪ませてもうるさくならないのの源なので…。

音創り⑳ AmpのマイキングⅢ

続編最初は一箱にスピーカユニット複数の場合についてで、例に依って少し面倒だが基本特性の確認から始めよう。
誰にでも想像・理解し易いのは能率の向上で、この点は拙ブログを含め頻出してるが今回案件には関連性が低い。
だが周波数指向特性は大いに関係するのに掲出も稀の様で、これを知らずに頑張るのは暖簾に腕押しになるから 僭越乍ら筆を取ってみる次第。

例に依って登場順がおかしいが拙ブログでは断り無き場合、生合奏に耐え得る音色調整がされてるのを前提で綴っている。
ってのも今別件で録音風景画像をちょっと眺めた処、結構スピーカユニット中心狙いのも散見されたからだ。
けれど画だけじゃ具体的な音色バランスは不明で、通常Liveより明瞭度不要のStudioでは高域
控え目にされてるケースも多そうだ。

何しろエレキの高域と来たら爆音量も手伝って喧しい事この上ないから、不要なら下げたくなるのが人情ってもんだろう。
だがそれも本来は離れた聴衆に届かせるのと・爆音アンサンブル内での聴き分けの為なので、目前では好ましくない音色だとしてもある意味当然の結果なのは忘るるべからずだ。

理屈だけで想像するとAmpで出してもMicで補っても構わない気がしそうだが、後者では弾きながらの加減が含まれていない。
なのでMicを含め楽器より後の処理だけで完全補完するには極論すれば、殆ど1音単位で弄らなきゃなんなくなる。
実際に過去の下手俺ドラムでそんな体験をしたが、地道で膨大な苦労の割にゃ不自然な結果しか得られなかったで御座居ましたよ。

2
それでは概念図説明に入るが上段は同一スピーカが複数ユニットになった場合の指向特性で、今回は複雑化回避の為に敢えて中域のみの描写としている。
各ユニットで色を変えてるのは重なりを分かり易くする意図で、違う帯域や音が出てるって意味では無い。
下段は複数でも角度が同じじゃないのの凡例で、当然それは指向性にも影響があるものだ。

上段の内容へ進めるが左2つは2個の場合・右が4個の場合で、2個には縦のと横のがあるが特性も単に90°倒しただけなので各自で脳内変換しとくれやす。
先ず2個のであるが机上の理論と現実には差があるので2倍迄は増えないが、「重なってる部分」は音量が1個だけの時より1.5倍位は優に増加している。

そして「システムとしての指向特性」は距離の増加に伴って範囲も拡がって行くが、図中の「重なりの形」がそのまま拡大して行く。
なので縦2個は横方向への拡がりが1個の時より広くなり、横2個なら縦方向が拡大される。
但し上段最左の如く少しは離れないと重なっていないので、気を付けないとOn Micでは「重なる前のエリア」にMicが入ってしまう場合もありそうだ。

続いて上段右の4個の場合は少し変わっててパッと見音を出す面積が広くなってるのに、全部が重なってる場所を見ると音が大きいのは4つ真ん中の「狭め」の範囲になっている。
聴く場所が充分遠けりゃどうってこたぁ無いが、重なりスタート時が狭いだけに2個のより適正距離が遠いと看做せる。

これがもし3個や5個であっても「中心点を囲む」様な配列であれば同傾向で、所謂指向性が鋭いとか狭い状況をもたらすのには変わりがない。
LiveやOff Micであればパワフルになるが、ことOn Micに限定すると4つあっても殆ど1つを狙うしか無さそうとなる。

そして数が幾つでも共通するのは「全ユニットからの高域が欲しい」場合で、これはもうOff Micにしないと無理だ。
高域は何も細工してなけりゃ前回の如く拡がりが狭いので、交わり始める位置も格段に遠くなる。
これは裏を返すと近くではせいぜい2つ分しか直接は届かないので音量の割にうるさく無くて良いかもで、その面では距離に依って違って聴こえる度合いも少なさそうだ。

但し外見と裏腹な癖を持つとも言えるので奏者の音色調整には配慮が必要な方式で、もし一度も高域軸上へ耳を持って行かずにやったりすると本人には丁度良くても面倒を引き起こす。
「軸上の人々」には「何てキンキンで喧しいセンスの無い奴だ」と思われ兼ねないし、そもそも奏者が意図した音色にそれではなっていない。

この問題は単一ユニットにも存在するが直近の場合個数が増えるにつれ低域の量は指向性に乏しいだけに、どんどん増し盛りされるので低・高域のバランスが違って来る。
Mic位置等で録音で小細工してもそれだけならアリかもだが、Live等での再現性を損ねると折角の晴れの舞台で自分の音色が出せないなんいてのも考えられる。

故に特例状況下を除き録音で下手な忖度何ぞにふけるより、奏者は先ず単に求める良い音を普段から追及しておくのが必須だ。
技師としても良い意味で出来上がってる方が楽だし、より良い音へ持ってける可能性も高くなる。
もし無理くり加工を職人の技なんて自慢してる技師が居たら勘違いで、そんな輩は折角の名人を迎えた暁にボロを出す羽目に陥るだろう。

次に概念図下段だが左は前回「昔の標準」と言った一時期のFender Bassmanの独特な様子で、正式名称は年代順にSuper Bassman~Bassman 100~Bassman 135だ。
その右は同じ4ユニットなら馴染みのあるMarsall系の但し上半分が傾斜してるタイプの例で、前者は真ん中へだから集中型・後者は拡散型と正反対だ。
尤も前者は「交点」より遠のけば二度と交わらないので、拡散型でもあるとは何とも変態的だ。

後者は下手したらどんなに遠のいても超高域(つっても電気楽器帯域だが)は上下が「混じれない」かも知れないから上下泣き別れ型とでも仮に命名しとくかね。
俺言い「泣き別れ型」ってば4個の狭指向性を補おうとしたか、恐らく唯一だが通称赤ノブのDual Showmanのが該当する。
また角度が縦と横で違うし数は半分だが黎明期の非力なAmpでは結構頻繁に見られ、どうせ遠いと聴こえないならせめて近くなら何処でもって発想だったんだろうか。

俺は年寄りなので😢!?Bassmanのキャビネットの方式は昔から知ってはいたが、今回確認の為に調べて「傾き度合い」が想定を大幅に上回ってたのには驚かされた。
昔のFender系にしてはキャビの奥行が例外的に深かったが、てっきり密閉型の容量稼ぎの為と誤認していた。

設計に録音時のOn Mic想定が含まれてたかは知らんが、こんなに傾けてれば結果的に交点は保護ネット直近になる。
のでスピーカ複数ユニットで・Micは只の1本だけで・全ユニットのほぼ軸上で、Onで収録可能なキャビネットは俺知りでは唯一の存在だ。

こんな面も業務用標準だったのかもだが欠点も色々あり、今でも用途限定なら使い出は充分なのだがかなり前には作られなくなってしまった。
Bass Ampは昔からGuitarのより販量が少ないからかモデルチェンジや統廃合も多いが、Ampeg SVTみたいな例外もたまにある。

このBassmanの音色はスピーカサイズ12inchが災いしたかいささかナローレンジで、僅少だか俺過去体験では近代的な音色は苦手で低・高域の伸びが足りなくその面ではあまり良い印象は無かった。
それを分かってたかFenderでもDual Showman Reverb Bassって上位機種が存在し、こっちは15inch×2だったがバスレフなのでOn Mic1本こっきりには非対応だ。

結局On Mic1本収音限定とするとBassmanの以外は殆どユニット1つしか狙えなく、キャビネットエンクロージャが密閉型以外のも対象外になる。
フィードバックさせたりすればユニット数や面積で反応に違いも出るが、それ以外の場合はOn Micだとユニット数は関係の無い話しとなる。

そして良し悪しは別としてかつては合奏が当たり前・今では個別録りも一般化となると、演奏に支障しない限りスピーカの数は要らない事になる。
勿論数が違ってもその人の「いつもの音」が出せる条件は必定だが、個別録りならOff Micでもそんなに困らなさそうとあちらを立てればこちらがな話しだ。

2019年4月15日 (月)

音創り⑲ AmpのマイキングⅡ

前回はほぼ意義と概念に終始しちまったが今回は図も交えて、実例とその理由や結果へ踏み込んで行こう。
今回は断り無き場合にはOn Micの場合を前提としているが、これ迄にも述べて来た通り距離が離れると懸案事項は別の点へ移るので。

Photo_5
毎度の事乍ら飽く迄概念図なので細かい突っ込みは自重願うが、それでもスピーカユニットの描写等それなりにグレードアップさせたつもりだ。
先ずは上段から説明してくが上左は1.スピーカ(コーン型)の周波数指向特性(前面側限定)で、水色:低域・黄色:中域・緑:中高域・桃:高域の様子を視覚化したつもりだ。

次に上右の2.スピーカが4つ並んでるのはMicの指向軸位置(構える場所)で、色丸印は上左の各帯域への対応を示している。
下段左3.はBeatles初期の録音時のMic位置をAmp正面斜め上から眺めた様子で、実際にはブームスタンドだったりMicサスペンションが付いてたりしてたが省略させて貰った。

そして下右4.はバスレフ型のキャビネットでの音の周波数指向特性の視覚化で、やはり色は1.と共通としている。
どれもに共通事項なのは大凡の一般的な傾向で、スピーカ・その箱等次第で拙図とは結構異なるのもあるのをお断りさせて頂く。

1.スピーカ(コーン型)の周波数指向特性
周波数帯域の分別についてはオーディオとは少しズレてて「電気楽器用」で、大体水色は200Hz以下・黄色は400Hz以下・緑は800Hz以上・桃が2kHz以上ってな感じ。

因みにオーディオでは大凡可聴帯域を均等割りとしてるので、その意味では電気楽器には高域は殆ど存在しないも同然となる。
尤も含有率は僅少でも実際はある程度オーディオ的高域も出てるが、割合が増えすぎると多くの場合は「らしさ」が損われるだけとなる。

兎に角音域が上がる程正面軸上近くじゃないと聴こえなくなるのを知って貰う趣旨で、スピーカコーンの凹み具合が深い程普通は指向性も鋭く(聴こえる範囲が狭く)なるものだ。
んでこの指向性は距離と大いに関係があり「近く」だからこうなるのであって、充分に離れれば影響が殆ど無くなるのを分かって貰えるだろうか!?。

2.Micの指向軸位置
出てる高域を漏らさず欲しけりゃ「中心軸上」の赤色位置を狙うのが正しいが、多くの場合Bassで水色~黄色・Guitarなら黄色~緑色辺りへ構える事が多い。

その訳が上記したものでその1は奏者が「中心軸上」に居られるのは少ないのと、その2聴者も「平均すると」聴いてる位置が軸から外れるからだ。
又例え軸上でも距離が遠くなると大抵は到達音に複数の反射したのも含まれて来るので、相対的に高域の割合が低下する。

敢えて極端に言うなら低域オンリーになったら電子音や振動みたいに、高域オンリーだと物と物が接触しただけみたいな音になってしまう。
昔は充分にはありつけなかった迫力の低音とか明瞭度抜群の高域ばかりに気を取られがちだが、実は「何の音か」の成分は中域が主体だし大変重要だ。

録音では録画と違い視覚が無い分音だけで姿を想像させねばならぬのを加味したり、個人聴取ではLiveより聴き取り条件の良い場合が多いのも考慮すれば尚更だ。
中域は余りにも何時でも聴こえて当然・当り前なのもあって気持ち的にはちっとも目立たないが、これまた極論すれば中域が無い=空気が無いも同然と思って良い位なのだ。

かつて低・高域両端の確保に精を出してたのは収音・記録共に困難且つ必ず劣化してたからで、楽器の種類は良く分っても似た様な音色になり易かったからだ。
今では不要となって録音業界での悪癖でしかなくなったが、いい加減で脱却すべき処だろう。

3.Beatles初期の録音時のMic位置
俺的にはClassic的発想に基づいてる印象もあるが、それ以外にも理由を見付けられる設定だ。
先ず云えるのはMicの指向範囲に丁度Amp若しくはスピーカキャビネット全体が入る位の距離になってて、出てる音の取りこぼしの心配が無い。

次に安全度が上がるのが電源トランスからの雑音から逃れられそうな処で、初期の初期にはComboタイプのAmpだったからスピーカの割とすぐ背後には電源トランスが付いていた(る)からだ。
Micは電気・磁気に依って動作するので、なるべくそれらから離せた方が雑音が入らんって理屈だ。

真空管Ampでは他にもトランスが載ってたりするが、チョークトランス(電源電流平滑)は直流(厳密には不完全で脈流と呼ばれる状態)だからもし混入しても殆ど「音にならない」。
Reverbや出力トランスには交流が流れてるが「録りたい音」の一部であるのと、低効率な回路のせいで電流がかなり弱体化してるので大きな心配は不要だ。

そもそも多くの電気楽器Ampでは楽器からの入力信号が微小で雑音に弱い為、Input Jackと電源トランスはなるべく遠ざけられてる筈だから気が向いたら見てみとくれ。
大き目の電源トランスでは作りが悪いと(失礼)電気を流すだけでも唸り音の出るのもあり、加工精度の問題で昔の程唸っていたのは体験済みだ。

但し当時は録音機のトラック数が音のパートより少なかったので、今の様な分離度はMicを張付けたり別々のブースで録っても無意味だったのが注釈である。
それでもトラック数よりMic数を多くしてたのはソロの時「リアルタイム」で音量を単独で増減させたり、やはり「リアルタイム」でエコーを増減させたりが可能となるからだ。

因みにⅡで当時残響系ではスタジオクウォリティとなると所謂コンパクトエフェクタ等夢のまた夢で皆無、どんなスーパー奏者でも弾きながら操縦するのは不可能でした。
しかし技師も「リアルタイム」となると録音だとその場限りでなく生涯残るので、録音時奏者と同じかそれ以上の緊張を強いられたかと思うと頭が下がるですよ。

4.バスレフ型のキャビネットでの音の周波数指向特性
内容は既に述べてるので詳細は割愛するが、音の出処から距離が離れれば音量が下がるのに留意されたしだ。
例えば1.の黄色位置へMicを構えても水色の「範囲に入ってる」がMicがスピーカキャビネットへ「最接近」させてたら、黄色の元からと水色の元からでは距離差が倍以上あるのが分かる筈だ。

Mic1本だけで全部賄える様になるのは桃色の巾が、スピーカキャビネットの高さと同じ位になる迄遠ざける必要がある。
が、それはもうOff Micの範疇だ。

最後に敢えて1.に戻るが中心から離す方向が、図では左斜め下へ向かってるのは何故かだ。
それは3.で登場した電源トランスからの雑音回避の為で、ComboタイプAmpの多くは電源トランスが正面から右上奥に位置してるからだ。

通常Amp正面側からは電源トランスの姿は目に入らないので俺自身も含めうっかりしがちだが、「何処でも良か無い」って原則を持ってるだけでも注意喚起のキッカケ位にはなるんじゃないかって発想だ。
では因みにⅢで左上だって大差無い場合もあるじゃんに対しては、前述の如く入力ケーブルとの不慮の干渉の危険性が高くなりそうだからだ。

Ampがセパレートタイプだったりスピーカユニット数が多いと少し条件変化があるが、それは次回の講釈をお楽しみに!?。

2019年4月13日 (土)

音創り⑱ AmpのマイキングⅠ

さて今回はOn Micを前提に話を進めるが、Offの場合は例えばBand全体練習のメモ録りなんかが似た様な状況なのででゲス。
更に電気楽器のAmpでも小出力のは対象外としますけど、これもMicの耐入力音圧等の心配が無いので。

生楽器と比べたら簡単なので入門者が最初に取組むのにお勧めだが、最近はBassスピーカキャビネットに関してはかなり難しくなってしまった。
現況本邦のJ-POPサウンドの傾向からすればBassはおろかGuitarにしても、小奇麗さ優先なら過去にはあり得なかった超絶デジタルエフェクタでエレキ系は皆Line録りの方が無難なのだろう。

Butどうせ「音の規格化」を極度に求めるんなら人力なんかとても打込みにゃ太刀打ち出来ねんだから、例えばゴールデンボンバーの発展形みたいな感じで映像では生演奏・録音では打込みでももうええんでないのって思ったりして。
それでもどんどんニッチになってっても電気楽器の生演奏がこの世から消え去りはしないと思うので、打込めなかった時代からの経験は記録でもしときますかってね。

なんて何時にも増して悲観的なのはより一層の貧困からかもだがそれはさて置き、先ずはエレキGuitarでもAmp(スピーカ)録りじゃないと厳しそうなのを例示しとこう。
これの際たるのが宅の休養中のギタリストが執着してる「フィードバック奏法」で、確かに最近ではエフェクタでも真似事ならかなり出来る様になって来た。

理屈だけで考えれば親切エフェクタ利用の方が安定度抜群で弾き易いんだが、それだと単なる音色のバリエーションだけとなる。
今時ニーズがどれだけ残ってるか知らんけど、実はフィードバック奏法の最大の魅力は「不安定」にあるのだ。

弾く方としちゃ上手くフィードバックしなくてハウリングになったりして面倒だけど、先が読めないハラハラドキドキ
・かなり再現性が低いのが却って独特な魅力なのだ。
何処迄実音が伸びて何時から倍音メインに変身してそれからハウリングに…、言わば季節物だとかの類である。

それとフィードバックの「させ方」には大別すると2種類あって、Gain(感度)を極度に高めるのと単純に非常識な爆音にするのとがある。
両者の違いは歪みの深さで近年は体験者が僅少化したと思うが、ちっとも歪ませて無くたってフルアコで爆音にしようとしたら簡単に起きたりもするもんなのだ。

ある意味非科学的且つ耳の健康に危険だが、極力歪ませずにソリッドボディのエレキでもフィードバックさせたかったら後者の方法しか選択肢が無い。
ニーズは不明だし大してありそうじゃないけれど、昔を知ってる俺みたいなのには「大して歪んで無いのにフィードバックしてる」とどえらい爆音で演ってんだスゲーなんてすぐイメージしちゃう。

BeatlesのI Feel Fineのイントロのブンっん・んニョォオ~が好例で、当時としては他に類が無かった高出力AmpとGuitarがセミアコで共鳴し易かったのが成立条件だった。
因みに「ニョォオ~」の最後が少し歪んだ様に聴こえるかもだが、あれは歪みよりも弦が大きく共振してフレットに当たった音で御座居。

前からここではほざいてるが極端安定指向で何時も同じで良いならこんなハイテク時代に、もう今更毎回新たに弾くのなんて非効率でしかない。
同じコードで同じ刻みを生身の体で繰り返す等の意義は、極僅かでも変化があったりしてそのお陰で飽きずに済むからだ。

個人的にカラオケへの興味は薄いけれど、だからって生演奏よりカラオケが劣る等とは決して思っていない。
その人が楽しめるなら形は無関係で、出来れば誰かと共有・共感も出来たならそれで充分だ。
俺も打込みだってとっくに出来る様になれてるのに何故いい齢してまだ飽きずに弾いてるかってば、その場の気分で微調整するのが生の方が楽だとかがあるからだ。

奏者を限定しない或は出来ない前提での作曲家視点では演奏力への依存を排除しようと、フレーズや組合せだけでも成立するのを目指したりする。
ある意味現況でのこれの典型例がボカロだとかだと思うんだが、それでも構わんならリスク低下の為に演奏なんて面倒仕事からは撤退すべきじゃないの。

そんな選択肢があるのに今時わざわざ弾くんなら聴き取れるだけの安定性は要るけれど、そんなのより「人間味」とかその時の「場の雰囲気」なんかへ拘るのが重要だと思う。
それにはなるべく「自動」を避け「手動」で演るのが得策で、Guitarの歪み1つとってもエフェクタよりAmp優先とした方が良いし差別化も図れるってもんだ。

簡単に比喩すればデジタルお便利自動タイプのエフェクタのはドラムマシンで、不便な手動エフェクタだと生ドラムみたいな程度は違うけど傾向があるのは確かだ。
この俺言い「お便利自動」も「1段階のみ」ならまだ何とかなるが、弾くの以外の全段階がなんてなれば累積して行くからかなり機械チックになっちまうよ。

生演奏録音で今と昔が大違いなのの代表は後処理の次元と記録精度で、昔と比べたら本当に後から幾らでもどうとでも出来る様になったよなぁ。
故に収録時に必要なのは唯1つで「出た音は兎に角全部拾っとく」のがコツなのではと感じていて、もし録った後で「無い物を合成」しようとするとそれは正に機械の音だから。

年の功!?でこれを分かってるつもりでも旨く行かせ難くなったのがBass Ampで、筆頭原因はスピーカキャビネットの方式の変遷がそれだ。
今へ近づくに従って録音可能周波数帯域が拡がって可聴帯域へ迫って来たが、それに伴いバスレフがより主流化したし帯域分割(例えば高音と低音を別のスピーカで出す2Way)して「1ヵ所から全部」は出て来なくなってしまった。

Line録りよりAmp録りが主流だった時代はFender Bassmanが主流だったが、俺的にはその最たる理由はスピーカキャビネットが密閉型だったからだと思っている。
Bassmanもそれより昔はBass用なのに後面開放型だったが、何れも使用ユニットはフルレンジで「スピーカの前側」なら基本的に「出せるのは全部出てる方式」だ。

無論スピーカユニットのどの辺(縁の方か真ん中か等)を狙うかで音は変わるが、それはフロントロードホーン等以外のキャビネット方式ならどれでも同じだ。
けれどもスピーカ前面から一応全部出ててくれたら、所望の低域と中高域のバランスに依って位置を調整するだけで事足りる。

処が2Wayは「出口2つ」だから当然としてバスレフはスピーカユニットがたった1つでも、低域とそれ以外の出処が違って主に低域はダクト・それ以外はスピーカからと出来る場所が別れている。
また2Wayだってオーディオ用ならまだしも楽器用やPA用のは通常「聴く距離がオーディオより遠い設計」なので、指向性が鋭くなってるのでOn Mic1本で全体を捉えるのは困難なのだ。

バスレフダクトとスピーカが近目のだったら苦労すれば同時に拾えるポイントも見つかるかもだが、それでも大抵は別の部分に周波数特性の山谷が出現し変な癖が付いたりする。
Line録り全盛の今わざとMic録りにするならそんなに明瞭度は要求されんだろうが、だからって周囲雑音等を考えれば近いに越した事ぁないしね。

それでもバスドラ同様Micを2本にでもすりゃ済む話しだが、バスドラとBassの音の質の違いでBassの方が大変になるのだ。
バスドラなら元からアタックと余韻等の持続系部は音色が違うが、Bassの場合は連続・連結しているのである。

これを比喩すればバスドラは機関車と客車・Bassは電車って感じで、機関車と客車なら形が違っても平気だが電車は1両でも違う形のが混じってると編成美がとたんに崩れて撮り鉄君達には「ガラクタ編成」と呼ばれてる醜い状態となってしまう。

どんなに鉄分希薄な人だって新幹線列車の途中に貨車が入ってたりすれば大笑いするだろうで、「1つだったのを分けて又元通りに戻す」のは案外難しいもんなのだ。
人耳でそれが大して問題にならんのは「間にある空気のお陰」で、Off Micで構わないんだったらどうってこたぁない。

だがOffだと音域が低いだけにハコの残響の影響も格段に大きく、音の長さがバスドラより長いから部屋の物が揺さぶられて出す雑音なんかもどんな僅かでも「長く出る」から無視不可になる。
最後にBassのLine録りとスピーカ録りの長短等を列挙しとこう。

1.Line
雑音・帯域の広さ・リニアリティ等では有利で、多弦Bassの低い方なんかだとAmpの選択肢が少なかったり役不足となる場合も。

気にして無い人が実に多いので危惧されるのが音色調整の問題で、楽器内臓のPre Amp程度では無いよりマシだが不充分だ。
電気楽器の音色の半分は本来Ampで作られる物なので、楽器側の選択だけでは「自分の音」にはならない。

2.スピーカ
元が「そう云う仕様」なだけに「らしい低音」が得易く、シンセベースや打込みのとの差別化が図り易い。
尤も近年本邦では、どんどん困難化しつつある様だ。

俺自身もLineでも録れる物に回せる予算は無いって感じで、スピーカ録りで満足出来るAmpは未所持のままだ。
空間的にも理想が18inch(46cm)のスピーカなので殆ど可能性すら無いが、不幸中の幸いは自らが音響技師でもあった処だ。

道具的には電気楽器用の真空管式Pre Ampを自作・常用したりもしてるが、それ以上に録音の「どの段階でも」意図した方向へブレ無しで持って行けるのがお慰みだ。
なので奏者オンリーの人が自分の音を維持したければシンセ等と同様に、録音機や録音Mixerへ「入る前」迄に音色を完成させとくのがホントはお約束だろう。

2019年4月10日 (水)

音創り⑰ ドラムセットのマイキングⅢ

今回は録音的厄介者!?ドラムセットの中でも、最も厄介と感じているCymbalを中心に行ってみよう。
何がそんなに困難にさせてっかっつうと、音の出る方向と一番それらしく良く鳴ってくれる場所にある。

全ての「音を出す物」は近い程音量も明瞭度も高いもんだが、Cymbalはある意味「鳴り方が変」な物のなのだ。
先ず最初に指摘すべきが聴いた印象と大違いに、思いの外中低域成分も多く出している処。
にも拘らず高域音楽器にしか聴こえないのは高域成分含有量の多さもあるが、その高域の拡がりや遠鳴りが格段に優れているのもあるからだ。

メーカやモデル毎に何処でどんな部分の音が鳴るかも様々でこれも録音となると厄介を招くが、同じ位大変なのが大きく沢山動く処だ。
もしMicもCymbalにシンクロして追従でもさせられたら違って来るが、太鼓同様至近に置きたくても音源との距離変化の比率が大きくなるから実質的には不可能だ。

もしMicが近過ぎると生耳ではCymbalが大きく揺れてても音自体は幾らも揺れて聴こえないのに、Fender Ampのヴィブラート(実際の効果はTremolo:音量の連続的大小変化)を掛けたみたいになってしまう。
敢えてそれに目を瞑っても鳴り方の事情で、音色的にも普段の生耳のとは違っちまうから2つも重大な欠陥をもたらすのでアウトだ。

唯一の朗報としてはMicがOff目になっても明瞭度等は余り低下しない処で、これは楽器の第1目的が指向性の強い高域なのもあろう。
もし単独収録なら思い切って少しOff Micにすれば音色を含めオーライで、太鼓等より楽器自体の余韻が長い上高域成分狙いの為ハコの残響から受ける影響も少なくなる。

加えてドラムセットでの収録で不利なのが、物理的音量が太鼓より実はかなり小さいのが苦しい。
聴感上ではちっともそうではないが目立つ高域のお陰でバランスしてるだけで、Cymbal用に構えたMicへの他音の混入度合いは太鼓の隣接のと違って必ず問題となる位大きくなってしまっている。

では非常手段で録音時にバカでかいCymbalを持って来りゃったって、それだと今度は奏者に太鼓の音が聴き取り辛くなるから幾らも出来ない。
それどころかプロの現場では普段14inchのHi-Hatの人が、キレを求めて13のに替えたりするのも常套手段と化している。

こんな風に愚痴ってばっかでCymbal嫌いと誤解され兼ねないが、従兄と比べたら全体では負けるがHi-Hatへの拘りは俺の方が上らしい。
そしてここ迄文句を羅列したのはそれでも何とかするのには、相手を良く知っとくのが大事になるからだ。

漸く具体的段階へ入るが先ず一般的な収録方法っつったら、CymbalはOver Topがデフォルトだ。
但し俺体験的には残響が短め且つ天井高が普通の部屋の倍位以上じゃないと、かなり気を付けても中々想定通りの音は得られない様だ。

無響室以外で無響室みたいな完全吸音になってる天井ってのは皆無に等しいから、天井板が近いとCymbalとMicが遠いのもあって反射音の影響の方が大きくなってしまうみたいなのだ。
加えて太鼓とCymbalの高低差が足りないと混入する太鼓と音量が拮抗したりして、確かにCymbalは拾ってくれるんだ
が実情は金物Over Topってより単なるOff Micと化す。

この様に貧民には太鼓以上に厳しいドラムセットのCymbal収録であるが、Micセッティングの不利を多少なりとも補ってくれるのがコンデンサMicだ。
ダイナミック型での収音具合は以前から触れてるが、Shure SM58等でも駄目では無かった。

だが過去宅で苦肉の策で使ってたAUDIXのD-1では58より高性能なのに駄目で、指向性が鋭すぎるのや超On向け設計も怪しいが反応の良過ぎがどうも不味かったらしくかなりザラついた音色になってしまっていた。
高音域になるとオルガンの持続音ですら鋭さが出て来る位で、収音としては特にCymbalの場合はアタックより余韻命だからだろう。

以前より拙ブログでは再三述べてるが同一クラスのMicだったら、アタックのリアリティはダイナミックが優れるが余韻についてはコンデンサの方が圧倒的に勝っている。
よって太鼓で特に超Onなんかの時アタックを漏らさず拾いたきゃコンデンサでは遅れちゃってて、実際宅の真空管コンデンサRODE K2とAUDIX Dシリーズで録った波形を見てみたらそうなっていた。

だがかなり邪道な発想観点だがCymbal用コンデンサと太鼓用ダイナミックの両方に太鼓の音が入った場合は、僅かな時間差でも「先に聴こえた方」が耳には目立って聴こえるのだ。
しかもコンデンサの反応遅れはアタック頭の瞬間最大音量部分はある意味スルーしたのと同じになるので、Micへ届いてた実際よりもピーク音量が下がったかの様な現象が起きているのだ。

近年は残念乍ら高耐入力音圧の普及版コンデンサを見掛けなくなってしまってるが、上記意識観点で極論すれば歪みさえしなければCymbal系にはコンデンサの方がとも言える。
因みにGuitar Pickupの種類に依る音色差をご存知なら、ダイナミックはSingle Coil・コンデンサはハムバッキングってな感じと思って差し支えない。(又もや詳細は次回😓)

連続で因みにⅡでOn Mic収録時は聴感上の都合等で後処理Compressorを大抵掛けるが、根源的には言わば生耳時の音源と人耳間の空気クッションの代用だ。
これもダイナミックより瞬間アタックに対しては速度的に低反応なコンデンサでは、コンプレス若しくは掛りが軽重でも耳馴染みに耐え得る音が得られる。

もう1つしばしば苦しめられるのがHi-HatとRideの音像定位の問題で、一般的には左右両サイドに離れてセットされてるのに逆側のMicが案外拾ってしまったりする件だ。
そもそもCymbalは垂直より水平方向への音の拡がりが凄いが、それで人が1人で手が届く位の間隔では音の減衰が他より僅少となってるのが災いしてる様なのだ。

しかも面倒なのが音量的には本来サイドMicの方が大きくても、俺言い目立つ倍音は反対サイドの方で大きく拾えてしまってたりする場合があるのだ。
もしそうなってると具体的にはヘッドホンで聴くとあるべき側に居るのに、スピーカから聴くとまるで反対側にあるかの様に聴こえるなんて現象が発生するのだ。(つい最近も従兄の処で体験)

気のせいかもだが過去の米作品では本邦人より録音でも全開でブッ叩くからか、或はリズムパターンの核なのでスピーカの左右どっち寄りで聴いても聴き取れる様にの意図かHatとRideはモノラルっぽくなってるのも多かった。
しかし俺的には登場頻度の低いCrashよりHat・Rideがステレオで居て欲しいので、そんな場合は最低でもHat担当のMicを限度一杯までHatへ近付ける様にしている。

その他Hatでの永遠の課題はSnareとの収音時の音的相互干渉で、特にSnareとHatの高低差が少なかったりすればSnareとHatを明確に違う場所へパンニングするのは諦めた方が賢明だ。
これも13inch Hatの件と同様、敢えてHatは殆どセンタの理由かもだ。

一方SnareにGateが掛ってたりすると、Back Beat時だけ急にHat音量が大きくなってたのなんかもあった。
’70年代一部でBack Beat時にわざと瞬間的にHatをOpenにさせてなのなんかは元は怪我の光明由来なんだろうか!?。

Cymbal収録は一般的にはHi-Hatだけ低い位置にあったりするので、Over Top+Hat専用ってのがデフォである。
尤もRideが音量控え目なタイプだとこれの音像定位が曖昧になり勝ちで、俺的にはCrashに「犠牲になって貰う」方法の方が気が休まる。

俺感覚では本邦では割とCrashは「遠慮の無い」録音のが多い気がするが、アンサンブル観点からするとこれは頂けない。
他楽器の聴き取りに支障しても構わんのならそこへ他楽器を入れる必然性に疑問が生じるし、ピンポイント的なニーズなんだったら追加録音も可能なのにそんな最初からバカみたいになんて思っちまうのだ。

俺言い「ドラマーナルシズム」観点では常に演ったままに記録されるのが良いんだろうけど、過去作品では曲やニーズ次第でCymbal音量バランスが意図的に増減された作品も海外のには多かった。
けれど曲全体で聴く分にはそれが全く気にならないもので、極端なのでは叩いてるらしきCrashが殆ど聴こえないなんてのもあったなぁ。

若干乱暴だが聴者最優先思考で行けば誰も聴かない聴こうと思わない音は、録音に入って様と否かろうと知ったこっちゃ無いのである。
そう云うのは良く言えば隠し味かもだが、厳しく云うとアンサンブル的には無駄な音かも知れないのよ。
或は録音初期段階では必要だったが、他楽器を色々足して行ったら不要になったとかね。

俺も該当してるので何なんだが、近年はたった1曲にも一々ご丁寧に何でも全部叩いてるパターンが多い。
だが過去の名作には意識しなきゃ全く気付けないが、良く思い出してみたら例えばCrashがとうとう最後迄一度も出て来てないよなんてのもかなり沢山ありまった。

何れにしてもHat・Rideの分離度を稼ぐにはMicの間隔をなるべく各楽器から離れずに拡げるとか 、Mic感度低目でも拾える様にそれぞれへ近付けるのが必要だと思う。
又俺がHat・RideをCrashより優先させるのには別の理由もあり、余程奇特な使い方じゃ無い限りCrashの方が必ず「長い音」で使うからだ。

短い音はその瞬間に聴こえなけりゃ無いも同然になってしまうが、長い音ならその鳴ってる間の何処かで聴こえれば最低でも入ってるのは分かるからだ。
また特例外が稀に有るか知らんがCrashで極度な小音量でリズムキープなんて場面は思い浮かばんし、特別弱くCrashを入れる場合その目的は余計な隙間を埋める等だと考えられるからなぁ。

最後にCymbalの「近くでもらしい音」が得やすい位置についてだが、それはCymbalのフチ・端っこだ。
Cymbalはスティックチップで叩いたアタック音はその上側に一番出るが、それ以外と余韻の高域成分は多くはCymbalの縁から水平方向へ出ている。

故にMicは「縁狙い」となるがそうなると「揺れ」が大問題で、中々思った様にMicを近付けられなくて参るのである

ついさっきベテランの従兄には、「ドラムセットの音は基本的に明確な分離は不可な物」って言われちまったぃ。

2019年4月 9日 (火)

音創り⑯ ドラムセットのマイキングⅡ

俺が他の楽器も弾いて録るから余計感じるのやもだが、ドラムセットってのは折角個別の楽器になってる割にゃちっとも分離度が稼げなくてやんなっちゃう。
例えばGuitarとBassのAmp録り(スピーカから)だったら、同時に演るならAmpの距離を離したりそっぽを向かせたりって手もある。
それどころか別録りが出来れば、完全無欠の独立国家で混じりっ気0%も夢じゃない。

これを真似て太鼓だってもうCymbal1枚から全部個別録りすりゃ独立はさせられるが、それでリズムを合せるとかノリを出そうとしたら死ぬ程難しくなっちまう。
特に問題となるのがコンビネーションで成り立ってるオカズなんかで、連動させるから流れに乗れてタイミングも取れるって類のだ。

変な正義感で公平性を持たせるとするなら、Guitar・BassのMic録りだって面倒がある。
Guitarの場合無駄にMicの高域性能が良過ぎると、AmpのGainが高い時に「シー」とか「サー」なんて不要なホワイトノイズを余分に盛大に拾っちまう。

Bassはスピーカキャビネットの方式が近年ではほぼバスレフ一択なので、かなり遠くにMicを構えられない限り1本では全帯域を拾えない。
これ等の内容は次回へ譲らせて貰うとしてある意味1音源に2つ以上のMicの要る場合があるのはBassとバスドラはイーブンだが、それでもBassスピーカの方が太鼓よりはマシなのだ。

それは太鼓だとどれを鳴らしたって他のも「それなりに」共鳴してるのが常で、しかも普通バスドラなら触れんばかりの近さにSnareやFloor Tomが並んでる。
Snareは裏の皮とバスドラ打面の間に遮る物が何もないしFloorの方は音域が一番近いんだから、もし全然共鳴しなかったら粗悪な太鼓って位のもんだ。

これがOn Micともなると誰にでもハッキリ分かる位となってしまい、特に個別にEQやエコーを掛けようとした際に望まぬ「連携作用」が発生する。
只でさえ間近な「お隣さんの音の越境」が爆音で凄いのに、共鳴した分迄「加算」されるんだから。

それだって所詮共鳴のなんて量的には非力だが油断すればベソをかく羽目にもなり、「共鳴」の意味を紐解けば「同じ音程」とか「整数倍の倍音」が出てるからなのだ。
故に盛大にEQで増やしたりすると最悪は、叩いたのの余韻の音量に肉薄し兼ねないのだ。

尤もドラムセットは楽器としての原点に立帰れば演るのも聴くのも「生」の場合、実際には最初から「共鳴音込み」で聴こえたのをそれと認識してはいる。
これの典型例が間近で聴くセットでのバスドラサウンドで、Snareスナッピー(響線)スイッチをoffにして影響を無くすと何故か迫力が落ちるなんてのがある。

なので結局はナチュラルさを追及するならドラムセット収録のMicは生Pianoと同列視が良く、数は少なく距離は離し目な程良い。
それと先述の如くマルチ&On Micの始まりには「補填」の意味も濃かった訳で、どのマイキングを選ぶにしても予め「思い切った割切り」をした方が好結果が得られ易いのだ。

お馴染み因みに多くの方は普段無意識だと「叩いて無いのの鳴った音」は殆ど分からないだろうけど、試しにマルチで録ったのを「わざと叩いたchだけOff」にして聴いてみとくれ。
続けて因みにⅡだが上述の如くマルチのOnだって上手くやれば「共鳴音込み」の活用は不可じゃないが、それには結構な条件が付いて来る。

ってのは生耳でもOff Micでも叩いたのと共鳴したのを拾うのは全く同じ耳・Micであるから、マルチのOnでもこれを再現若しくは同等にしとかなきゃ成立しないのだ。
つまり可聴帯域全部が拾える同じMicを所望全数揃えた上、感度(Mic Gain)や位相等もキッチリ合せなきゃ前提条件が崩れちまうのだ。

そう云や最近のSimon Phillipsが録音では何にでも同じ大袈裟なコンデンサを構えてたが、もしかしたらこれに気付いててそうしてるのかも知れない。
この方法はハイエンドコンデンサ等が多数要るのでMic代だけでもう大変な額になり、オマケにMicの柄がデカいから上手く構えるのも更に厄介ともう高跳び金メダリスト級だ。

これを恐らくSimon氏はBeatlesやKieth Moonから盗んだっぽいが、彼等の場合は金満ってより当時の欧州の録音現場ニーズの差が主因の半ば偶然の産物とも思われる。
しかし最初は偶然でもそのままに終わらせないSimon氏は流石だが、惜しむらくは選ばれし者にしか不可能な方法な処だ。

ここで因みにⅢだが説明が面倒な「位相」をつい出しちまったが、マルチでは上手く活用すると上記「共鳴音Mix」以外のご利益を得られるのがある。
前々回の概念図でMicの「頭の向き違い」ってのがあったが、収音の場合そのMicの「向き」は音の位相そのものだ。

音の他交流電流でもそうだが同相(向き一緒)だと足し算になって増強、逆相(向きが正反対)だと引き算になるので減少する性質が位相にはある。
これを活用して隣り合わせのMic同士を上手くそっぽを向かせると、擬似的だが分離度が上がる場合も出て来るのだ。

Micがマトモな位置設定されてれば音量差がそこそこある筈なので、明確に分かる程の音量自体の増減はほぼ起こらない。
けれども同相だと例えばパンポットで左右に振った筈のTomの音が、Mixerのツマミ位置より真ん中から寄って聴こえて来るなんて現象はかなり頻繁に起き
るもんだ。

そこで第1候補はマルチのOnで低域或は高域の分離度追及で、前者は望むだけの低音が出せる太鼓が無い時等・後者はその逆の時だ。
前者を例示すると足りないんだから録ってからEQで増やす訳だが、その時の余計な影響を最小に出来る方法だ。
後者では原理的に音像定位は高域程顕著に出るので、EQでHi上げたら左右に振ったTomの間隔が狭まったなんてのを極小化出来る。

第2候補は「音場の自由」(エコー等)を少し我慢して、マルチのOnの中では最大限に「生らしさ」を追及した従兄お気に入りの「ちょっとだけ離したOn」だ。
但しエコー以外にもEQやパンニング(位置定位)には第1より制限が掛ってて、それを忘れて弄ると副作用が強くなるので後処理度が低目で構わん場合向きだ。

最後の第3候補はMicの数を減らし距離は更に離れたものになるが、この場合は最早Off Micに弱い処だけMicを追加したものと捉えた方が良さそうだ。
ホントは今のデジタル全盛だと「そのまま記録」が可能となったから、Off Micのこそ以前では得られなかった良い音に出来る筈なんじゃがのォ。

だがOff Micを最大限に活かすにはMicより環境確保が先決で、しかしこれは誰にもかなりハードルが高い。
となると順番が後出しで済まないがマルチのOn Micの欠点を受容するか、理想と違っても使用可能なハコの響きをどうにか活用するかの選択が初めにあると云える。

近年は誰それの音とか何々レーベルサウンドなんてのが益々希薄になって詰らないが、俺的にはそれは度胸不足な癖に中途半端に欲張ったりしたからだと思っている。
どんな処だって少しでも良くしようってのは正しいし、試しもせず余りに簡単に放棄するのは確かに勿体無い。
何でもありのご時勢だからつい誰でも惑わされるが、分離度と一体感が対極に位置してる様に原理を覆せる様になった訳じゃ無いのだ。

その例としてBONZO式録音は明瞭度ではIan Paiceの等に負けてるが、それを凌駕する空前絶後な壮大なスケール感を持っていた。
全盛期のSteve Goddは分離度等は素晴らしかったが、人間味が少々希薄で味気無く感じられるかも等々。

年取ったからか一定の経験値を超えたせいか分からんが、俺は最近風情や個性に満ちた昔のLo-Fi録音に一層興味が高まっている。
それを少し考えて出て来た結論は「内容が優れてた」からに他ならず、音色や録音の質に全く頼れなかったからにせよそれが最強なのは論を待たない。

2019年4月 7日 (日)

音創り⑮ ドラムセットのマイキングⅠ

前回の流れからまだ試行錯誤中なのに物申すのも何だが、それでも体験から分かってる範囲の事を一度まとめておこうって趣旨で。
恐らくマイナーだが敢えてなるべく独自の観点から、でも大事だと感じたのをつらつらと。👣

始めはそれこそ前回の続きだが、そもそもどれ位の距離からがOn Micなのかについてだ。
ハコ(録音Studioとか技師とか…)によっちゃ規定があるかもだが、一般論として明確な特定距離なんて聞いた覚えのないのがコレだ。

そこで逆転の発想で少しでも核心に迫ろうと思うが、ドラムセットでマルチマイクにする意義・目的を考えてみよう。
正攻法の価値としては各楽器の自由な2ch以上での記録時の音像定位等があるが、「元の並びを再現したい」だけなら2本でも上手に配置すれば済む。
それからすると最大差は、目的楽器以外の音の混入度合いと云えるのではないだろうか。

Off Micだとどんなに少なくても無響室ででも無い限り演奏した場所での響きか必ず混入し、これが後から違う響きとしたい時等に邪魔になってしまう場合が出て来る。
収録場所と求める残響が不一致の際Reverbを掛ける等「後処理」で調整するが、足す方は出来てもマトモな手段で減らしたり削ったりはほぼ不可能だ。

故にこの点からだと極力音源に接近させるのが望ましく、もう思い切って各太鼓に内臓させたりすれば理想的だ。
だが究極近接にも弱点があって、その最たるのは生耳のとは掛離れた違う音になってしまう点だろう。
通常最も楽器近くに居る奏者ですら、騒音下でチューニングしようなんて時以外はもっと「耳は遠く」にあるからだ。

最近従兄が「On Micでも普通より少し遠目」を気に入った原因がこれで、奏者としては自分の出したとの同一性は重要だろう。
しかしこれへ平気で突っ込み入れちゃうのが俺らしいと勝手に自負してるが、もっと視野を広げれば「ドラマーナルシズム」とも思える発想に過ぎない。
主要聴者たる観客は普通はもっと遠くに居るもんだし、そもそも「聴く側が反対向き」なのである。

近年本邦ではLiveでもPA常用になっちまったしマルチの音の方が馴染みがありそうだが、本来的に聴者耳を再現可能なのは奏者反対側からのOff Micが適切なのだ。
それも耳の数とMic数が一致してる2本が望ましいが、Micが耳より多数でも近似な仕上がりになってたのが過去の名作にはあった。

それはBONZOサウンドの主流のだったり初期Beatlesのだったりするが、これを無理無く達成させるには元から所望の響きが得られる場所で録らなきゃなんない制約がある。
これ等を鑑みると求める音次第ではあるが、通常平民にはどの道「そのものの音」を最初から収録するのは極めて困難って前提を覚悟するしかなさそうだ。

かつてプロの世界でもマルチMicが普及した背景にも次善策要素が多くて、記録媒体の性能不足の補填があった。
故に暴論的に述べればドラムセットへのOn Micは、所詮次善策に過ぎんと思っても大間違いじゃない。
但しOnやマルチにして効果が得られる条件は明確なので、それを次に記して行こう。

先ずは単なる距離が問題でドラムセットの場合は、音源と各Mic同士の間隔だ。
前述の通り音源から離れる程らしい音に近付け易いが、Micから担当音源と隣接音源との距離差を最低でも倍以上にしないとわざわざ個別に設ける意義を損ねる。

次に単ならない距離と方向が出て来るが、例えばSnare用のMic等で発生し易い問題だ。
最近の従兄との実験でもより体感したが、Onでも割と離さなきゃなんないのがCymbal系とSnareだ。
要するに音を出す場所が複数だったり広かったりするからで、だがうっかりしてるとSnareへ向けたMicの頭が距離的にはHi-Hatの方が近かったなんてのが起きるのだ。

Micには前回述べた指向性があるから高域はちゃんとSnare主体になってくれるが、Hatの大抵は不要な低域だけご丁寧に盛大に拾ってくれちゃってたりするのだ。
狭い所へ角度や向きの制約もあって厄介だが、その為だけに楽器の距離を広げるのは本末転倒だ。

またここで云う角度とは例えば皮とMicの事で、指向軸はちゃんと中心を向いててもMic頭と皮の距離がかなり近かったりする場合の問題だ。
先述の如くMicに指向性があるってもそれが安定・一定になってるのは中域以上で、音域が下がる程鈍くなって「向きで感度の加減」がどんどん効かなくなってしまう。

Dmic1
少しでもこんがらがり回避の為に拙い概念図の登場だが、左2つは太鼓の皮とMicの角度違いについてだ。
右2つは横並びTomについてで手抜きのせいで同じの2つに見えてるが、気持ちとしては一般的なツインタムを想定している。
また右2つでは3色のMicが並んでるが太鼓との角度・皮との距離は同一で、方向だけが違ってるってつもりだ。

では左2つから参るが実際は状況や好み次第で軸が端を狙っても構わないが、一応アタック音を漏らさぬ意図でMic指向軸は何れもど真ん中へ向けている。
相違点は横目からか上目から狙うかだけだが、それに依って自動的にMicの頭と皮との距離にも差が出ている。

これを青と赤の線で示したがその距離が最左では3倍かそれ以上の差になってるのが、左2番目のだと倍未満の差しか無くなっている。
んでもし最左みたいに全然狙って無くても極端に距離が近いと、少なくとも低域ではMicの横からの音の方が大きく拾われてしまうのだ。

かと言って安易に遠ざければ今度はお隣さんのとの距離差が減って、独立性を損ねてしまうから限度がある。
皮に対して垂直方向の距離巾が足りないかもとなると残りは水平方向で、ちっとも万能じゃないが右2つのが対応策だ。

Micの黒のをニュートラル位置として青のは低域を、赤のは高域のお隣との分離度を稼げる向きだ。
先ず赤のは頭は近寄ってるから低域は隣のも拾い易いが、方向はそっぽを向いてるので高域は拾われ難くなる。
次に青のだと指向軸がお隣のすぐ近くを通るので高域の分離は今一だが、頭は他の2つより離ればなれになってるから低域の分離度は高めに得られる按配だ。

尤も実際には青・赤の位置がCymbalの稼働範囲だったりして思うに任せない場合も多く、従兄の現況ではCymbalがすぐ隣の低めに位置してるのでこの手が使えない。
最終決定権は奏者次第だが幾ら録音の為でも明らかな間違いでも無かったら、技師がドラムセットのセッティングに注文を付けてパフォーマンスを低下させては本末転倒だ。

んな具合だから焼け石に水と迄は行かぬが、全くドラムセットって奴は…。

<つづく>

2019年4月 5日 (金)

音創り⑭ 忘れられがちなMicの性質 編

今回のお題は「Micの近接効果」についてで、昔より音源に「近接収録」が顕在化してるからもっと取上げられてもおかしくない処だ。
それが色んな面で「専用化」が進んだせいか疎かにされてる様だが、本来は根源的に無視出来ない性質なのだ。

その中でも俺が問題視してるのは「具体的な度合い」で、知識を持つものは多くても近年ではメーカからの発表が乏しいのが惜しまれる。
それってのもこんなデジタル時代になっても「音」自体はアナログのままで、その収録だって入口部分はアナログのままで現況デジタル化が不可能だからだ。

そして「音への影響」は「入口に近い」程大きいので、どんなに後処理技術が向上したって「最初が肝心」なのは不動なのだ。
だから次善策として少なくともメーカ想定の「使用距離」位は知っといた方がお得で、特性計測が素人に困難な以上はこの辺りが登竜門かもだ。

今回スポットを当てるのはその中でも距離に依って低域感度が変化する部分で、近年は公表が稀となってしまった実例の図をご覧頂こう。
本来なら代表機種は網羅しときたい処だが探した限りでは見当たらなく、それでも具体例皆無よりはマシって事で。

Md416
上図は近年では先ず使われなさそうな主にボーカル用の某ダイナミック型のものだが、縦軸が感度で横軸が周波数(単位[Hz])のグラフだ。
俺的読みをすると10cmなら大体低・高音のバランスが同等になるが、1mも離れたら低音の拾いが減りますからねと訴えてる様に思える。

1m時も200~1500Hzの間はほぼ水平直線で一見フラットだが、2000~12000Hzの高域「盛り上がり」に均衡させるには10cmで得られる盛り上がりが低域にも必要だからだ。
それはさて置き1000(1k)Hz以上では線が完全に重なってて、距離に依る感度変化が起きないのが示されている。

でもMicの位置次第で高域にも変化出るじゃんの貴方、それは距離じゃなく向きの影響ですと答えとこう。
近年使われるMicの大多数は「単一指向性」が持たされていて、狙ってない「Micを向けて無い」方向の音をなるべく拾わない様にわざとしてある。

これは大昔と違ってMicの複数同時使用が当たり前になったからで、逆に太古のたった1本だけでだったら無指向性じゃないと「拾い漏れ」が起きて困っただろう。
体験的にも’60年代のテープレコーダ付属のとか初期のラジカセ内臓Micの多くは、庶民のMic扱い不慣れとモノラルだったせいか無指向性だった。

実は無指向性の方が周波数特性を筆頭に良好な性能を得易いので使い方次第なんだが、それよりも被りの方が問題視されて僅少化しちまってるのは少し残念かもだ。
だがそれってのも訳ありで概述 「人耳の弁別能」がMicには無く、狙ったのだけ特性にしとかないと大抵は予想より欲しくない音もこんなに大きく入るのかよになっちまうからだ。

因みに無指向性Micだって2本でステレオ収録が可能だが、それで明確なステレオ感を得るには2本の距離をかなり遠ざけないとならない。
音量差が小さいと方向性が不足するからだが、ハッキリ左右のどっちかに寄ってると認識出来るには最低3dB位の差が欲しい処だ。

殆ど左右のどっちかだけにするには最低10dBは差が無いと無理で、それには左右Micの音源からの距離差が3m以上取れなきゃ可能性すら失せる。
音には距離減衰って性質があるが1m離れると音は通常条件下なら3dB小さくなるもんで、この3dBは感覚的には大体倍若しくは半分位だ。

因みにⅡで「倍若しくは半分 」ってのは近付くと+3dBで倍の音量に、遠ざかると-3dBで半分になるって意味だ。
んでもって本来なら低域だって高域と同じ様に「向きに依って感度を変えたい」処だが、以前から述べた如く音の性質の都合で殆ど制御が不可能なのだ。

ある意味この性質を裏活用したのがステレオなのに「たった1個」のサブウーハで、低域が元から方向性が曖昧なのへ思いっ切り「甘えちゃいました」って感じだ。
尤も初期Beatlesのみたいに完全に片chにBassが寄って入ってるのとかだとボロが出るので、俺的には何時も2個にしといて欲しい処だ。

これらから何処迄が偶然でどっからが意図的か不知だし色々あるだろうが、基本的に高域はMicの「向き」で・低域は「距離」で調整するのがデフォとなっている。
因みにⅢで高域だって距離減衰はしっかりあるけれど、高域は「目立つが低域より弱い立場」にあるものなので様相を異にしている。
これも概述オクターヴ下の音は同音量に聴こえるには、「倍のエネルギーを要す」性質に基づく。

具体的には低域成分不在の純然たる高域音は別として、少しでも低域が含まれてる多くの高域音は高域と低域のバランスに左右されているのだ。
要するに高域は目立つので「入ってる」のが分かれば高音で、分からなかったり入って無ければ低音と認識され易いってこった。

これの典型例は声が小さく口も小さくしか開けない人等へMicが横向きだと、子音が拾えず何言ってっか分かんないよってのだ。
そんな時ハウリングと死闘を繰り広げ乍ら感度を上げるより、Micを口へ真直ぐ向ける方が先決だし効果的だ。

太鼓のマイキングについては真面目に研究し出して日が浅い俺だが、今迷ってるのは「On Mic」の距離である。
PianoのClassic系の録音の仕事体験からすると、弦から1mやそこらでは明らかなOff Micにはちっともならなかったってのがあった。

場所が宅でかなりデッドだったのもあろうが全長約2mのGrandだと、その半分位じゃ如何にもな「離れた感」には程遠かった。
この様に発音源の大きさと距離感には密接な関係があるので、ウィスパーボイスの歌とはこの点でもスケールの桁が違うのを認めざるを得ない。

素敵なお姉さんの声なら1mも離れてれば平常心なのが、耳元5cmとかから聴こえたら身震いでもしそうってなもんだ。
それがドラムセットだと奏者本人すら1m位は離れて聴いてる訳で、それからすると奏者より近ければOn Micと思うべきなのかも知れない。

だが隣り合わせの爆音のTomの分離度を確保しようとすると、Tom間よりMicとTom間隔をせめて半分位にしなけりゃなんない。
加えて件の低域近接効果の問題もあるので悩ましく、この先は次回へ譲ろう。

音創り⑬ ドラムスローンⅡ 使用経過と本施工!? 編

前々回の俺言い「グラつき半古典スローン」 改良のその後だが、この呼び方にしたのは従兄所持のだけがグラつく訳でも無いからだ。
また近年迄ドラムスローンに俺誤認があったみたいだが、それは回せるんだから多少グラついたってしゃーなかろうである。

かつての俺の素人印象では丸椅子でも安食堂とかのと違って、太鼓用等のは回転可能なのが利点と思っていた。
只の丸椅子は脚が4本パイプで座面直付けに対し、流石に少し高級なのは違うわなんて…。

だが従兄の先生曰く太鼓用だと本来は「回っちゃ駄目」だそうで、確かに考えてみりゃBuddy Rich御用達の大昔の筒の上に座面の付いてた様なヤツなんかだと回せなかった。

もう少し掘ると「座面上で腰が動く」のは可だが「座面自体が動く」のは不可だそうで、要は自らの体だけの動きでは「元の位置」へ戻れないからだ。
実際従兄の所のでも近年の座り心地満点クッションのは決して弾力を損なわないが、それ+座面表面が滑らか過ぎるのと相まって座面とお尻の位置関係が仲良く無かった。

もっと良く探せば適したスローンが見つかるか知らんけど俺的懸念がもう1つあって、近年のはどれも座面の大きいのしか無いのも気になっていた。
俺はチビでも腰は結構大きい方と自認してるが、座面過大だと腿が傾く高さにした時その動きに制限が掛るからだ。
Piano用での座り方の如く端へ寄る手もあるが、クッションが良過ぎるとそれでは安定を欠いてイケナイ。

だいいちなるべく必要に応じて360°方向のサポートを得るのと座り心地も含めると、重心位置が下の軸と合致してる(つまり真ん中に座る)のがどの方面からも適してるってのが俺見識だ。
例に依って個人差千差万別だろうが、クッションの厚みや質以上に座り位置の影響は大きいと実感している。

そんな中で慣れの問題も無きにしも非ずだが昔のはグラグラ・今のはデカボヨンと、どっちもそのままでは具合が悪い。
これが本案件に至った経緯だが、暫定措置のアルミテープ重ね張りは想定より寿命が短かった。

その原因は件のスローンがパイプ側にネジ部用の溝があるせいで、接着面積が小さいのもあったみたいだ。
しかし従兄としては古いの改良式が演り易いってんで、今週は本施工をやりに行って来たので例によって図へ。

Photo_4
暫定時のアルミテープをかなり薄手の鉄板(黄緑表示・実際は古くなって曇ったメッキ)巻きへ交換したが、今回は接着しないのでネジの通路を切り欠き上下分割はしなかった。
また平らな板を丸めて用いたのもあって、軸に巻き付けるってよりゃ座面側穴の壁に沿って押し込んだ感じだ。
これは切り欠きとネジの位置合わせの意味もあるし、押し込む際(完全な形状合わせ加工も困難だし)所望の位置を維持し易いのが狙いだ。

予めそうしといてから最初は座面を床に裏返しに置いといて脚の方を上から徐々に押し込んで行くが、この方が状態監視に良いし「挿み物」のズレる心配が少ない。
大凡8割方入ったら天地を正規に戻して最後に一押し、座面に重さも掛けられるしグラつき具合も確かめられるって寸法に御座居。

この追加板はプロの板金屋なんかだったらいざ知らず、綺麗且つピッタリの円筒へ加工するのは至難に近い。
それより使ってる間に勝手に馴染んで貰うのを期待しようって魂胆で、故に軸挿入時はかなり硬くて少し大変だ。
そうかって最初が楽に入る位だと暫く使用後にガタが出るのが必定なので、欲しがりません馴染む迄はで我慢しませう。

取敢えずの段階ではガタは感知領域外・ネジを緩めてれば回転可能に収まったが、後で隙間埋めが不足な感じになったら随時追加のつもりでいる。
また当初想定では大昔に買ったトタン板から切り出すつもりだったが、しまった場所が思い出せず時間切れで廃電子機器内のシールドケースを加工して用いた。

もしイスが手元にあれば現物合わせが出来るが従兄が常用中なので、板厚が隙間を超えればアウトだ。
そこで極力薄目のを探し万一厚さ不足だったら重ねる算段だったが、運良く1枚のみでジャストフィットしてくれた。

もし真似しようかなんて奇特な方が居られたら材料に関しては1に薄さ2に材質に注意されたしで、特に手持ちジャンク等が無い場合に買うならもし不適合だと無駄になってしまうので。

薄さ加減は食品関係の缶程度が良さげだが、近年は飲料系等だと殆どがアルミなのであまり勧められない。
かと言ってステンレスより硬いのも「相手を削る」懸念があるし加工も大変と、アルミやブラス(真鍮)より鉄が推奨だ。
余り物利用のお試しなら鋭利な切断面での怪我にさえ注意すれば何でもOKだが、鉄以外のだと摩耗時に出る「粉」に少し懸念が残る。

因みにアルミテープ重ね張りの約1週間使用後の劣化状況だが、最大の弱点はテープの糊とテープアルミの接着力不足の様だった。
順番としては先ずテープの位置がズレて、そのせいで「変な当たり方」となってテープが欠損・部分断裂した様相を呈していた。

施工したイスの軸端は鋼製・座面軸受穴部はアルミダイキャストっぽいが、どちらも表面は完全なツルツルでは無い。
対してテープの方が表面が円滑だったのでテープ残骸より糊残骸を剥がすのがそれなりに労力を要したが、テープやシールの類は往々にしてどれもこんなもんだ。

« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »

フォト
2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ