ドラムセットのマイキングⅥ
前回未到達分のバスドラフロントヘッド「穴開け」、完全に個人的だが俺嫌い。
人のだってあんま感心し兼ねるが、極力穴があるのは叩きたくない。(訳は後に記しますぅ)
Butこれから書くのは好みにゃ無関係でありんす。
最初に穴開けの歴史と経緯を振り返ると、前述の如くPA事情の様に伺える。
そして当初は今より穴は全然大きくて、かつての従兄談に依ると「バスドラの上へTomを載せてるから」だった。
昔のは胴が薄く貧弱だし原設計的には両面張りなので、片方の皮を無くすと潰れない迄も胴が変形しそうだとか何とか…。
他にもその頃「書かれてるのが当たり前」のBand名・ドラマー名・メーカ名、その場所が無くなっちゃう。
原設計両面張りのだと皮だって不透明(Coated若しくはSmooth White)のばかりで「中が見えない」からか、内部が汚っぽいとか格好悪いからモロ見せ勘弁○×□△。
わしゃ良か知らんが兎に角最初はかなり大きかって、音的にはそんな皮のは付いてても付いて無くても同じにしか聴こえんかった。(多分同じになる様にわざわざしてたんだろうけど)
でもそんだったら音的にどうでも良いのに、そんなんにコスト掛けとう無いわいで反逆?。
しかし一部のトラッドな方々を除き大多数は穴開きにシフトしちゃって、俺的には「生だと低音の薄い」のが主流になって残念至極だった。
Ampやスピーカの項で述べた通り低域には「空気の仕切り」が必須なのに、セットドラムのバスドラだけ何故か逆行しちまった。
好み的には人次第だけどそれやっちゃうとマズイと思うのは、本来低音が「生でも出せる」のを皆が忘れ去る恐怖だ。
も少し突っ込んでくと低音にだって色んなのがあり、奏者は極力自らの操縦法だけで所望の音色が得られる訓練をしとくべき処だろう。
また普段只の練習でPA使う奴なんて先ず居ないから、電気的後処理で補っても低音の質の低下が酷い様に感じたのだ。
得意の逆発想をしても「PAの為の穴」を最大限に活かすには、「穴開き用の踏み方」をされたら効果が下がっちまって意味も薄くなる。(元が録音時の次善策ですので)
それとバスドラ音色創りに関しても皮が1枚になると2枚より実は余韻が伸び気味になるんだが、その分ミュートを増やすのも是又欲しかった低域を削ぐのにつながってる。
ここで太鼓の余韻についてひとくさりさせて貰っとくが、大まか分類すると2種あると俺は認識している。
この内分かり易い方のは文字通りの余韻だが、もう1つの分り難い方が今回は注意点となる。
それはシンセで言う処のDecay部分で、アタック音と半ば一体化してる部分だ。
このDecay部は皮のシングル・ダブルに余り左右されず只の余韻の方は大き目な影響を受けるが、それは「ミュートが同じまま」だったらなのだ。
上述の如くでシングルヘッドで単にミュート増加させて余韻を所望値へ収めた時、大抵はDecay部が不要短縮されているのである。
そうなると明瞭度的にはご結構でも「アタックは細く」改悪してて、出せる筈の最低域がDecay部短過ぎのせいでマトモには再生し切れなくなるのだ。
これとは別件で先週両面張りの内部へMicを入れる方法の検討で、太鼓胴の空気抜き穴を塞ぐのはやっぱ不味いってのがあった。
何のこっちゃって中に入れたMicからのコードをどこから外に出すか思案した時の話しで、極力太鼓自体は未加工で出来るのを探してみた訳だ。
そこで馬鹿丸出し的だが試しに指で穴を塞いで鳴らしてみると、上述様式に則れば今度はアタックとDecay部だけで殆ど余韻が無い変な音がしたとですよ。
そろそろ本線復帰を図るがここまでのはそれの予習を兼ねてて、その昔録音したら音がどう変身しちまってたかに降りかかる。
最初の凡例はノーミュートSnareの音だが広い場所で離れて聴くと気にならず、近くで聴くと良く響いてる余韻。
JAZZ主流期に意図的に鳴らしてたの等を除くと、昔の録音のは案外そんなに余韻は目立ってなかった。
それらのは殆どは少なくともホールでの生演奏のと同程度で、近年のみたいに思いっきし「カァアーン」なんてのは覚えが無い。
この原因は音響機器のダイナミックレンジの狭さとOff Micで、要は余韻を全部は記録出来なかったが偶然人耳感覚に近くなってたのだ。
それが機器性能向上とMicが音源に接近するにつれ、今度は生耳よりも余韻を多く拾ったり記録される様になって行った。
そして穴開けを語るにはそれより少し前にミュートし出したのを抜きには出来ず、ミュートはMicの接近で生耳より長く大きくなり過ぎた余韻を減らすのが当初の目的だった。
また今日では明瞭度獲得には音色を硬くするのも常套手段だが、昔は録音機器の反応が鈍かったからそんなのほぼ無効だった。
なので明瞭度を得るのに余韻を短縮したり割合を小さくするのが最適で、シングルヘッドは明瞭度の為では無いのがこれから紐解けるのだ。
それが前回提唱した録音時のMic位相原因説で実際大昔初めて耳にした時に、俺には「普通の大太鼓」の音としか聴こえなかったさ。
そして近年の小穴開けは興味が無いのもあってロクに調べて無いからホントはどっかで正解発表されてっかもだが、俺思考に依ればMic常用アカペラでの擬似リズム音の原理と同じかと思った。
普通は叱られるMicを吹くと「ブッ」とか「ボッ」とか凄い音が出ちゃうヤツ、あれをわざと意図的に利用して肉声では出せない低音を出す裏技ですよ。
乱暴だけど今はそれやっても壊れんMicがあるので、太鼓ならその調整状況に殆ど左右されずに低音獲得出来そうだ。
しかも限度はあるが普通に拾ったんじゃ無理な低域に及ぶので、低音域用Micが無い時等には救いの神かも知れない。
では太鼓でどうやったらMicを露骨に吹けるかってば、それが小穴だって按配だ。
バスドラは皮の面積が広いから動かせる空気量も多いが、Mic振動板を充分吹くにはそれを一点に集めないと1に速度2に量が足りないからね。
だがもしそれだけにしちゃうと口で吹いたのとの違いが出難くなるから、皮や胴から出た音も一緒に拾おうとした魂胆が透けて見える。
しかし俺的にはそれって「嘘バスドラサウンド」だから、どーせならわざわざ皮へ穴開けるより元から胴に付いてる空気抜き穴へMicを構えたくなるなぁ。
現実的には目に見えない音楽芸術は音的結果オーライで結構ですが、もし俺の推理が当たってるなら別の欠点ってか制約が御座居ます。
Micをこの手の極限アブノーマル使用するとその音は元が「只の風」で音色差なんてほぼ皆無なので、「そのMic固有の」吹かれ音にしかならんのです。
なので風偽造した重低音は特定の物になり、音色選択は使用Micのみに依って決まってしまうのよ。
それってつまり誰がどう叩いて(踏んで)も得られる代わり、Micが一緒なら同じ重低音にしかならなくて個性が殺されるですがな。
何でそこ迄無理して安定追及すっかねぇ、今はいい機械が沢山あるんだからだったらもう打込みでええじゃないか。
そして高度なテクの要るフレーズとかじゃない意味でちゃんと叩けさえすれば、明瞭度なんか全然気にしなくったって今の録音レベルだったらとっくに大丈夫になってんねん。
古い俺が言うから可笑しいけれど皆さんもうこの辺で、旧来の次善策なんかからいい加減脱皮しやしょうぜ。
機材性能が高まった分誤った組合せや手法を選ぶと、その間違いやLo-Fiさが却ってモロに結果に反映されますよってに。
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