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2019年3月

2019年3月30日 (土)

音創り⑫ ツーバス用Hi-Hat Stand小改良 編

今週のスローン改良のキッカケは実はHi-Hat Standで、それはツーバスでの踏み替え問題に端を発する。
従兄現用品のTAMA HH95NLは脚無しのツーバス専用だが全奥行が長く(所謂Lever Glideの「レバー」が主原因)、同系列のバスドラペダルHP60よりフットボードが奏者視点でかなり手前に来ていた。
そのせいで足を横移動するのには前後位置のズレの他にも、高さに段差が生じていたのである。

従兄が昔購入した時はツーバス経験無しだったので見過したかもだが、同じシリーズとして売られてたにしちゃ不親切過ぎるもんだ。
そこで調査してみるとHH85なる「非Lever Glide」のモデルもあり、脚無しツーバス専用 バージョンが無い処をみるとこっちが先に同時発売されてたっぽい。

HHの95と85の違いはLever Glide部分と、それを全く同一のフットボードへ俺的には「安易に無理矢理」追加する為に妙な前後延長をしてしまった様に伺えた。
それなら寸法が揃ってる85の方で脚無しツーバス用バージョンを出せば良かったのに、新メカに目が眩んだか「叩かない人」が判断したか「わざわざ合わない方」のだけ出しちゃった。

こんな調査へ至ったのも最近従兄がツーバスには慣れられたが踏み替えがと言って来たのが原因で、彼より俺は下手だからこそ!?道具の問題洗出しに目が向いた。
余りに道具選択や設定が悪いと新技獲得の練習時等に人のせいか道具のせいか不明で混乱した挙句、練習方法を間違えたりしちまいそうだからだ。

例えば右利きの場合で右手がSnareからFloor Tomへ瞬時移動させたい時、手首の返し(腕を捻る)を使うと良いと俺に指導したのは他ならぬ従兄だ。
にも拘わらず踏み替えでは脚全体を一々持ち上げて「よっこいしょ」となっていて、この矛盾こそが手が得意で足が苦手な証明かであった。

尤も前述の如く前後ズレ・上下に段差では横だけ移動なんて全く不可能で、習得の為にも道具を対応させる必要があると思った。
そこで全長については大改造が要るし特徴を損ねるので後回しにして、シャフトの上昇ストッパとStandフレームの間に「挟み物」を追加してフットボードを低くするのを考案した。
せめて段差だけでも解消して様子を見ようってんだが、このStandは幸いシャフトがネジ式で簡単に着脱可能だったのもあった。

ここへ6角ナット3コ(実際は2コしか無かったから後はワッシャで代用)を挿入、前後ズレがある状態でも横移動が可能となる高さまでフットボードを低くする事が出来た。
但し俺みたいにHat間隔を広目(つっても昔の標準程度だが)にしたいと若干フットボード「底突き」懸念が出るが、Open Hat+ツーバスの為に従兄は普段は間隔狭めにしかしないのを確認した上での話しだ。

それでもここに至る前にかなり設置方法を研究・工夫もしたが、あちらを立てればコチラが立たずで根本的解消には程遠かった。
この辺を含め何時もの如く概念図へ行ってみよう。

Photo_3
先ず上段が従兄はメイン左利きなので右バスドラへ2つ並べて装着した様子で、左が従前の・右が小改良後で亡霊みたいに後ろに薄くなってるのがバスドラペダルのつもりだ。
下段は左がHat Stand・右がバスドラの端っこのつもりで、丸数字がもっと近付けようとすると支障する箇所だ。

赤の①は滑り止め剣先ネジがフープやフープのフックと干渉した。
青の②はそのフックがダイキャスト製で厚みもある為、昔からの鉄板プレス物なら平気な位置も無理となった。
緑の③は①②を綱渡りで回避してもLever Glideの「Lever」がかなり出っ張って、今度はヘッドに接触してしまった。

バスドラペダルはビータとヘッドの関係上正規位置からズラすのはダメなので、
Hat Standだけで位置合わせをしようとするのは当然で必然だ。
それが只でさえ全長が長く異なってるのに、ご自慢メカのお陰で奏者視点でHat Standの後ろ側に普通のより空間を要求されるんだからもうお手上げだ。

普段踏み替えを一切しない俺が想定するのも不適切そうだが、それでも「速さ」関係は一応ヲタなので考えてみた。
太鼓関係は特に体験後に知ったのが多いが、その1つにツーフロアがある。
触れる前はFloor Tom2は横移動が増えるから、その分FT1より体に近いと楽かと思っていた。
が実際は逆で移動は横より斜めの方が、楽だし・安定するし無理無く速くなった。

達人達の例を眺めると右利きならFT1よりFT2は体から遠目になってて、例え単純な移動距離が伸びても「横だけ」じゃなく斜めに移動出来る位置に置かれていた。
これが脚となるともっと顕著で試せば誰でも分かりそうだが、体の「外側」へ瞬速移動させたい時「遠くへ」は平気なのに「近くへ」だととても困難だ。

これは転びそうになった時どうするかにも表れてると思うが、十中八九倒れそうな側へ急いで脚を出して支え様としません?。
これ理屈だけなら倒れる反対側の脚を「縮めて」重心移動したって効果は同じ筈で、スキーで曲がろうとする時なんかはこれじゃなかったけ。

つまり人脚はどうやら手前に引くより前に出したり突っ張ったりする方が得意みたいで、従兄の所の状況は太鼓なのにスキーをしろってな無理注文になってた訳だ。
単に「引く」だけなら未だしも横へ行きながらで、更に速さもでは無理×無理で難易度格段上昇だ。
せめて逆だったら良かったがそうも行かないので、せめて足首「捻り」を可能化させるのを狙ったのだ。

俺想定は的中して踏み替えが格段に楽になったそうだが他にも1つ懸念があり、それはHat Open時の脚の上げ方についてだった。
従兄は大昔体操に興味を持ってたからか何でも割と美しいしなやかな動きをするが、これがバスドラのと同様時と場合に依っては不適合なのだ。

カカトより足の爪先が逃げるのが遅れるせいでHatの開きも遅れ、アタックはClosedで余韻はOpenとまるでコンプでも掛けたかの様な変な音になり勝ちだった。
自称ベタ足大家の俺自身ですら油断してるとしばしばこの現象がコンニチハするが、間隔僅少時は余計にこの現象が起こり易くなる。

これの原因の根源にはコイルスプリングの性質もあって、それはバネ張力が全体の強さとは別で順次変化するからだ。
押しバネだろうと引きバネだろうと最初は弱く、その後は段々と強くなるのが要点だ。
この結果フットボードのニュートラル位置付近ではそれ以外時よりかなり反発力が弱まっていて、爪先が軽く触れてる程度でも大抵はフットボードが多少なりとも「沈んでしまっている」のである。

故に素早いHat Openを確実化するには全速で足が「逃げる」必要があり、その必然性はバスドラより更に高いし必至なのだ。
それで俺の場合かつては全て脚上げでしてたのを、最近は可能な限り足首動作で制御する様に心掛けている。
これはフットボードもヒンジ近くと先端では反発力に大差があるからで、兎に角「爪先がフットボードから逃げる」のが最優先条件になるからだ。

ツーバスは象徴化させたのはMetal系だが創めたのはJazz屋さんで、バスドラが足首踏みメインで踏み替えの心配が少なかったのもあったのかも知れない。
この面で俺言い柔軟アップヒールで超速踏み替えが出来る人は神レベルで凄いわ、けどアホっぽくても単純な動かし方にしたらもっと楽に速さが稼げるのにとも思っちまう。

だってですよ、兎に角爪先が上がってれば爪先を引っ掛ける心配は無くなる。
少なくとも単打だったら普通カカトだけを使って踏んだりしないでしょ、そしたら全く踏めなくなる心配からは開放される筈なのだ。

2019年3月29日 (金)

音創り⑪ ドラムスローンⅠ「ソファなのそれとも作業台なの」導入編

今週の収穫!?はドラムスローンのタイプについてでこれは良い話のタネになると目論んだ処、従兄に先を越されちまったのが以下URLだ。

https://twitter.com/StudioLiteDrum

ベテラン講師に対してではあるが少し補足と異論を述べとくが、太鼓演奏用の椅子については俺は未だ立派な初心者!?だからだ。
と言っても状況は特殊かもで普通は初心者なら道具は新し目が多いのに、宅のは30年位経過の昔のイスだ。

当時の俺都合で思い切り低く出来る条件は付けたが、その中では一番の普及品と当時としては何の変哲も無い物だ。
それが最近迄はより兼業ドラマーだったのもあって座面が酷くヒビ割れてるのに未更新だし、他のイスも特に試しもせずにずっと来ている。
通常他所で叩くとお金が掛るから避けてたのもあって、ドラムスローン経験値に関してはホントに僅少のままだったのだ。

20代半ば以降は自宅で爆音を出せる環境を持てたのは幸運だったが、それも元は貸スタジオ代節約が最大理由だ。
その頃世間はバブルで浮かれて皆遊び捲ってたが、かなりストイックにこれを追及したので俺には無縁だった。
それでか今頃になって遊びたくて仕方無くなったが、子供の教育費でオケラ同然とあっては今更無理な相談と代償は大きかった。

それはさて置きそんなだから他のイス体験となるとLive Houseでの位になるが、それも時期が大昔だから似たり寄ったりのしか無かった。
ここでの俺言い「昔のドラムスローン」とは現代比で1にクッションは薄目で、2に固定が甘い若しくは安定性が今の程は高くは無いのを指している。

今回案件の従兄の所のは現行のは超高安定でクッションがしっかりしてるのと、宅のより高級だが「昔の」の2つだった。
この「昔の」は座面固定ネジを締めてもグラ付きが残るしそのネジがすぐに緩んで来るので、教室に不適だから「悪例サンプル」となっていた物だ。

クッションの性質に関しては最初から俺はこっちの方が演り易かったが、グラ付きが酷過ぎたので使用を断念していた。
俺にとって座り心地も格段に良い現代クッションが不都合だったのは俺の腰が古いから!?、さもありなんだが兎に角足のスライド時に体勢維持が困難だったのが主因だ。

現代クッションは昔タイプ比で座って体重が掛ってもクッション性が残るので、長時間腰掛けててもどこも痛くなったりしないのでは秀逸だ。
だが演奏=作業用となると話は別で「座面上で腰が動け過ぎ」てしまって、重心が幾らでも本人意識に反して動いちまう。

それでも確実に元の位置へ戻れればまだ何とか対応出来そうだがクッションからの反発力方向がランダムで、その内に滑ってとんでもない座り位置になっちまうからどうにもアキマヘン。
結局これへ何とか慣れるのにほぼ週1で約2年が費やされ、それでも宅で演るよりは滑るから兄弟同然の従兄の所なのに「余所行き」なプレイに留まっている。

で俺的結論がお題に唱えた「ソファなのそれとも作業台なの」で、座り心地が良いに越したこたぁねえがそっちへ行き過ぎては本末転倒なのである。
これは見栄えや伝統等の事情があるにしても、生Piano用のイスを思い浮かべて貰うと好例かと思う。
背もたれレスで分厚いクッション付きで横幅があるタイプのもありはするが、基本形は未だ座面に申し訳程度のクッションしか無い背もたれ付きの木製のじゃありませんか。

更に使われ方を眺めると背もたれ無しのは大人がメインで、子供だと大抵は古典タイプを使わされている様だ。
子供の方が体重が軽くて負担は少なさそうだが、一見大人の方が楽するなんてのは今時流行ってないし炎上もんの筈なのにだ。
だがその実は歌舞伎や相撲界みたいな時代錯誤じゃなくって、どうやら肩幅・胴や腕の長さが原因の様なのだ。

つまりリーチが短い程最低音や最高音の鍵盤を弾く時に、辛うじて手が届いてもより不安定な体勢になるのが理由だ。
ギリギリでコケ無い様にするには支えが微動だにしない方が頼れるもんで、どんなに掛け心地が良くったって晴れの舞台でイスから転げ落ちたい子なんか居る訳無いのよね。
太鼓では楽器側も調整出来るからそこ迄の事態は招き難いが、どっちも演奏に直接役立つのは座り心地じゃなく「体勢維持力」の方なのだ。

Pianoでは基本的には指の自由さえ確保出来ればどうにか制御可能だが、太鼓では体全体に自由≒常時は脱力が確保出来ないと苦しくなって来る。
脚は論を待たずにしても手ならバチさえ動けば良いのだが、実際にはバチや太鼓からの反動を体の何処かで対処せねばならない。
従兄が最近背中を硬直させるなと散々唱えてるのもこの為で、ってこたぁ姿勢維持如きに一々普段から力が要っては演奏に不利に作用するのだ。

ロカビリーなんかじゃ立って叩くスタイルもあるが、通常ドラマーが立ち上った場合はHi-Hatや第2バスドラはあっても不使用なのがほぼ前提だ。
至極当然の結果ではあるが座らないと両足を上げられないからで、元はってば楽する為に座った訳じゃないのである。
片足より両足を動かす方が疲れるがそれは受容し、疲れてでもどうしても両足使いたいから始まったとも言える。

ではここで思考範囲をもっと広げて楽器演奏時の姿勢へ行くが、座ったまま演奏出来る方が本当に何時も楽なのかって疑念に至るのだ。
長時間の立ちっ放しは無論辛いが、それよりマシでも座りっ放しだって決して幾らでも平気では無いだろう。

俺知りでは長時間連続演奏後だとドラマーはその多くは先ず立ち上って伸びをしたりしてた印象が強く、片や弦楽器で立ち詰めだった俺等は楽器を降ろして自らもどっかに座りたくなっていた。
要は長時間姿勢固定が何にも増して辛いってこって、就寝時だって寝返り不足だと起床したら体のどっかが凝っちゃってたりするよね。

さて最後に今回の従兄所持の昔タイプのの改良内容をもう少し詳しく記すが、具体的には軸側へアルミテープの重ね張りをして隙間を減らしてある。
理想的には厚みが丁度フィットする金属板の方が耐久性がありそうだが、従兄の所に無かったので取敢えずは暫定措置として考えている。

Photo_2
例の如く概念図の登場だが左が対策前・中が傾いた様子の強調・右が対策後の様子で、座面部はデフォルメして実際より小さくしてある。
そして赤で示したのがアルミテープの重ね張りでその枚数は3か4ぐらい、耐久性に不安は残るが微調整には持って来いだ。

それと原因がハッキリしなかったが止めネジの位置が変にズレてたので、支柱の上へ水色で示したワッシャも乗せた。
そのままでは止めネジ先端がホントに点接触になってしまってて、固定力も弱まるし摩擦抵抗も少な過ぎてより緩み易くなってたと思われる。
元仕様がネジ位置だけその上下より細くなってるがこれはネジを座面が回転可能な程度緩めてても、座面を持って持上げても
スッポ抜けない為だろう。

今回最初にグラ付きの原因を調べると始めは座面のパイプ受け部と支柱パイプの頭の形状不一致を疑ったが、単に隙間が大き過ぎなせいだった。
それの証拠はネジを一杯迄締めても座面が固定しなかった処で、少なくともネジ1本だけで360°方向への傾きを止めるのは無理な相談だ。

ネジがある場所と正反対の場所だけは締め上げれば隙間を殺せるが、特にこの対角線と90°の対角線部分に対して基本的には全く無効なのだ。
座面の「フチ」が押された時それに抵抗出来るのは水平では無く垂直方向で、どうしてこんなに隙間が大きくなってるのか疑問の残る処だ。

原因が摩耗ならこんなに一様にはならないので、上下左右両方向とも最初は何か他に部品が付いてた可能性も否定出来ない。
尤も俺知りでは20世紀中の国産の一般用金属製品の多くは、理由不知だが大体どれもこんな感じに「遊び」は大き目だった覚えがある。

2019年3月23日 (土)

音創り⑩ バスドラのシングルヘッド・ダブルヘッド 後日談

今週は従兄が自分用のフロントヘッドを入手・装着したのでその様子等を試し録り結果と併せてだうぞで、サブタイトルとして「機械演奏(打込み等)と生演奏の相違点」にも踏み込んでみよう。
今回彼が入手したのは皮の内側にリングミュートが付いてる物で、且つTAMAのロゴのあるヤツで以前からお試し用として1つ持ってたのと同じのだ。

この以前~のは現在生徒用にしてるImperialstarに付けてて、今回最初は先生用(従兄)Artstarに代用装着してたCSに張替えテストもする腹積もりだった。
だが試し録り(Micの都合等でアート君のみ)の結果より俺が中止判定を下したが、それはアタックの明瞭度が理由だった。

Remo CSは中心部が重ね張りになってるから打面に用いればアタック音色が相対的に太くなるが、この「相対的」ってのが本件では明瞭度低下の要因だ。
要するにぶたれる場所が厚くなったので高域成分が減りその分低域成分が目立つって仕掛けで、これの効果が高いのはあまり強く叩かれなかった場合だ。
因みにちょっと変な表現だがもし皮の厚みが関係無い程強く打たれれば、打撃力の違いの方が音色への影響力が増すものなのはどんな皮を張ってても一緒だ。

それを共鳴側(レゾナント)へ用いると「点」での力を受けないので、単にアタックも余韻も全体の高域がミュートされて減る事になっている。
近くにしても通常状態で生耳で聴けば両面の音が聴こえるが、今回試し録りでは表皮(レゾナント)にだけMicを構えてたのでアタックの明瞭度が低下したのだ。
ではリングミュートだって「2重になってる所がある」のは一緒なのに何故違いが出るかってぇと、それは皮の「分割振動」の違いからである。

Photo

ここで概念図の登場だが上段は皮のCoated・Clear CS・Clear内臓リングミュートで、すぐその下がそれぞれの振動の様子を断面的に誇張したもの。
赤は皮の「基盤」部分・黄緑は2重になってる部分・青が内臓リングミュートのつもりで、大事な「但し」が表皮(非打面)な処。


内臓リングミュートは接着されてないので打面に依る内部空気圧で「最初に押される時」はCoatedと同じ動きだが、反動で戻る時はその1回目からもう動きが干渉されている。

1度でも干渉されて動きが弱まればその又反動も小さくなるので、2回目以降の振幅がCoatedより小さくなる。
CSにしても中心部がCoatedより撓り難くなってるせいで振幅が小さくなり、打撃の瞬間は兎も角「振れ難い」事で余韻も短くなるって寸法だ。

で下段の4等分に仕切られてて黄緑とオレンジ色の点線が斜めに掛ってるのが分割振動の一例で、点線の部分が例えばこの4分割丸の皮の揺れに依る凹凸の様子だ。
それぞれが別若しくは反対向きに振れてるがそのせいで色曲線の長さが半分になってるが、これは音的にはオクターヴ上の音程になってるのを意味する。
要はGuitarで12フレットを押えると弦長が開放時の半分の長さになるのと同じで、弦楽器に疎い方でも弦の長さが音程に関係してるのだけは分かるんじゃないかな。

んでもってもし完璧な精度の皮・均一チューニング・中心点ピンポイント打撃が出来れば理論的になら分割振動が起こらないが、どれか一要素にでも不完全があれば程度差はあれ太鼓の皮は「勝手に」分割振動も始めてしまう。
尤もその場合分割振動成分のみの震え方になってはいないので皮口径と張力由来の音程(基音)は無くならず、分割振動が出す音は所謂「倍音成分」となっている。

この面からは部分的に2重になってる皮はその部分だけ動きが悪くなる事で、分割振動の仕方を制御してると言える。

手で叩く時真ん中だと太く丸く音程感に優れ端っこを叩くとブライトになるのとも同じ原理で、音色的には真ん中ミュートのCSはアタック時の倍音抑制・リング君は余韻時の倍音抑制効果を持たされている。

実は当初は打面に使うんじゃないからCSだってそんなにアタック籠んないだろうと安易にタカを括ってたが、上記原因で「どっちへ張ったってほぼ一緒」なのが現実であった。
しかも上図の如く表皮の「初動」時瞬間はリング君はまだ働き出していないんだから、内臓リング君ならアタックのド頭の瞬間は殆どノーミュートと同じ音になってた訳だ。

因みにCSとリング君のMic収録音色をもう少し詳しく明かすと、CSはアタックは籠り気味でも余韻部の「皮の揺れ感」を表す倍音は豊富であった。
一方アタックは生っぽさ全開のリング君も「皮揺れ感」には劣勢で、余韻長目な音が欲しい場合には不向きそうだった。

因みにⅡで今回のMic位置は皮の中心と端の間位で通称クジラの使用で、低音専門のMicより低域の限界が狭く低下量も多い物だ。
アタックを重視すれば中心狙いが良いがそれだと低域不足になるからで、宅では中に入ってるのがAUDIX D6なので少なくともMicの頭はしっかり中心を狙っている。
以前今回と同じ位の位置へ向けてたら低音過多になってしまい、音量を下げるとアタックが不足となってアカンかった。

勝手に大奮発で因みにⅢであるが前出リング君の皮揺れ感案件は、余韻を短くしたいから用いるもんだから当たり前っちゃそれまでの話しではある。
只気を付けたいのは特殊な場合を除き、基本的に共鳴サイドは打面よりミュートは軽くするのが半ばお約束だ。
極論的にどんな太鼓も「直接叩かない方の皮」だからってグッと押えて叩けば、低音も余韻も皆無な変なフン詰まった音しか出ない。
現実にはそこ迄至らないだろうが傾向は同じなので、「後で聴いたら変だった」を避けたけりゃ鉄則だ。

皮が1枚か2枚か・穴があるか無いかの違いは基本的には前回迄に記した通りで、常にキチンと踏めていれば気にするレベルでは無かったけれど「踏みムラ」があれば正直に音に表れた。
そこで1に生徒用となると初心者や耳が慣れて無い(聴き分け力)人が使うと分り難くなりそうなのと、元々インペリ君の方がまろやかな反面明瞭度ではアートに負けてたからってのが2だ。
ここ迄の本件での試し録り結果を列記してくと、シングルヘッドのみ若しくは表が「大穴付き」の場合明瞭度は高いがアタックの低域成分が不足気味であった。

この点は一般的にはイコライジング等で補うのが常套手段だが俺には過去に苦い体験があり、それはある意味低域を「実際以上に」増やすので低域暗雑音を増やしてしまうからだ。
こ奴はちっとも音っぽく無いが何か「ウン」とか「オン」とか「モン」とかってな変な超低音が記録されてしまい、厄介なのは超低域なだけに思いの外余韻が長い処だ。

それが昔のアナログオンリー時代ならサブソニック領域はマトモに記録出来なかったが、デジタルでは不親切にも正直に記録される。

すると雑音と求める音色の新たな戦争開始になっちゃって、両者共々望まざる妥協を強いるしかなくなるのだ。
それって昨今の本邦税政の「悪循環」みたいに負の無限ループで、この手の案件には対処療法は合わないしゴールが来なくなるのだ。
景気悪いから税収減る→税収足りないから増税する→値上がりしたからもっと買わなくなる→景気悪化…で御座居。

だから幾ら苦しくてもせめてどっちか一方に先に専念しなきゃしゃーなくて、経済の場合は何てったって先ずは元手を増やすのが他の全てより最優先ってか「無い袖は振れない」やね。
それがバスドラやBassだったら低音域が「元手」で明瞭度ったって「低音中心なのに」が本来は原則なのに、今は昔より自由が効く様になったので迷い易くなったのか「前提条件」は何処へだ。

この件で最初に困窮した当時は納得出来る低音が出せる太鼓を持って無かったから他に手が無く苦しんだが、録音じゃなくてもバスドラの低音不足は合奏時にも悩まされたもんだった。
個人的にBassは音域よりも低域含有量の多い音色が好みなので、バスドラが「アタック主体」過ぎると同時に鳴らした時Tomでも何でもと似たのにしかならなくなってイカンで遺憾。
近年はどんな太鼓でも低域が出る様になってるからあんなに苦しめられはしなさそうだが、ここで何時もの如く過去の実情体験へ行ってみよう。

本場のちゃんとした奏者・楽器・録音はどんな感じだったのかで、
最近の特に本邦では俺的に録音・楽器・奏者の順で優れてる様に感じられ当時の本場とは真逆の様だ。
達人でも楽器が悪いと普段よりつまらん音になり、それを貧相な機材で録れば更にお淋しやサウンドに成り下がっていたのだ。
私的にはこれの境界線は’70年代の内にデビューしたか否か辺りが目安となってるが、全く環境に左右されぬ腕の持ち主となるともう10年位遡るだろう。

これは本邦での一例だがテレビが生から録画放送主体になった時期と重なり、特に大人数の楽隊が付く音楽番組だったら決定的だ。
例えアナログだろうと業務用だろうとビデオはおろか、マルチトラックレコーダが普及したのが’70年代に入ってからなんだから。
時間の経過で当時の人たちがどんどん亡くなって行ってるが、彼等の生にお耳に掛れないからか
一般には具体的なレベル差の理解がどんどん失われてる様に伺える。

本筋へ戻ってそれでも穴を開けたがる輩が多い様だが、所詮誤魔化しでもアタックの明瞭度安定がその主因であろう。
だが穴を開ければ録音と生音に差が生じてしまうから、録音機材の性能が上がったのに今更そんな古いの何時までもってのはお止しなさいだ。

それと皆さんの多くがお忘れになってると思うのの1が、例え打面へ直にMicを構えるにしても殆どのは「裏」からな処だ。

ホントにアタックの倍音成分を漏れなく拾いたいなら「打面の表」つまりビータとMicを並べる様な感じで行かないと駄目で、そうじゃない普通の方法は障子越しに盗み聞きしてるのと同じ状況に過ぎない。

そいじゃあペダルの出す雑音とかSnareのスナッピーの音がジャンジャン入るって?、アタック明瞭度至上主義ならんなもんは我慢せいや。
って暴言ってんじゃなくって「裏から」で籠ったのをもしEQで持ち上げたりすりゃ、折角皮の陰になったお陰で小さ目になってた雑音だって大きくなっちゃうからヨン。
だったら「裏の表」(ややこしいが打面の打点側)から拾ったって、逆にEQで削ったりすれば大同小異って処じゃない。

俺思いお忘れその2は安定度案件で、機械並の確実性が欲しいならせめて電子ドラムがお勧めだ。
現にMetal系等では見た目は生でもバスドラの音はトリガー利用で生音じゃないのなんかが一杯あるし、プロの公開録音ででも無けりゃ無観客だから見てくれを気にする意味が無い。
Live Houseで生のを叩くのに足りる腕が持ててれば、生っぽさより安定からの聴き易さを気にするならである。
裏を返せば視覚無しで生っぽさを最大に表現するにはある意味、「少し不安定だが聴くに堪え得る」状態へ持ってける腕が必要ってもんだ。

真に厄介な話しだが超安定を求むるなら今なら打込みが出来る訳で、「腕に依らない安定」を機械に求めるのは筋違いである。
また機械物も経験のある俺からすると精密に打込んであっても「他の音がどうなってるか」で一定には聴こえなくなる事もしょっちゅうで、現実的な視点で良い意味の妥協をしないと本件も無限ループへようこそだ。
余裕が大きいと安心感は高まるがカーレーサーが少しでも速く走る為に必要最低限の燃料しか入れないが如く、スリル満点だがギリギリでも「足り」れば結果に大差はないのだ。

それでもっつうなら少し面倒でもちゃんと補う手があって、それが以前記した昔のSimon Phillipsのやり方だ。
皮に穴が無くたってバスドラの内部空間は広大で、Micを中にセットする余裕は有り余っている。
邦人での俺知りでは過去に東原力哉氏がやっていて彼の場合はTomホルダパイプ穴へMicケーブルを通して、ケーブル自体でMicをぶら下げるなんてのの写真を雑誌で見た。

彼等の正確なニーズは知らないし手法は少し違うが俺も「中入れ派」で、共通事項は生音は所謂大太鼓なのが分かる感じだが録音のそれはかなり穴から突っ込んだのと同じになる処だ。
従兄は先生な位なのでムラ僅少に踏めるので大昔式の「表皮の外Mic」で構わんそうで、俺の場合は分離度と空間的都合が主因で中へとなっている。
「中入れ」の利点には設置がしっかりしてれば位置関係が狂う危険が僅少になるのもあって、もし演奏中にバスドラが少しズレたりしたってその影響は皆無な処だ。

俺的には一口に安定度っても別観点の方が何時も気になってて、バスドラヲタとしては折角のフレーズが聴き取り難いのは不合格としている。
例としてベーシックな16Beatで「ドッ・タンッ・ドドッ・タンッ」てのがあるが、これの「ドドッ」の頭は弱くなり易いしそれで変では無い。

だが弱目でも「聴こえなくなる」のが俺は嫌で、Hi-Hatもダブルストロークでの弱い側(通常は裏)が聴こえない程弱くなるのは特定時以外はとても嫌なのだ。

極端な話しそれでは聴き手には「演って無い」のと殆ど同じになっちまうからで、またそんな奏法が下手に身に付いてると違う場所で応用が効き辛くなりそうに思うのだ。

これは楽曲やアンサンブル次第でもあるけれど昔より全体のテクレベルが上がったからか、意外と不注意になってるのが増えた感じがしている。
「灯台下暗し」は仕方無い現象ではあるが些細でも「ベーシック」に見落としがあるままで、「アタックが・明瞭度が…」とか気にして一体どれだけの効能があるのか甚だ疑問で御座居ます。

2019年3月17日 (日)

音創り⑨ バスドラのシングルヘッド・ダブルヘッド 理屈編

前回起きた現象の検証へ行くが、それプラスプチオマケも。
太鼓の皮の打面のみか裏もあるかの違いは、胴の深さや材質等以上に根本的なものがある。
その1は皮の震え方の内特に余韻の部分で、その2は低音の出方だ。
PianoやAcoustic Guitarだって「入れ物」の影響はあるが、
入れ物じゃなく土台としての部分と比べたらかなり小さい。

それが両皮の太鼓となると特異で、空気抜きの小穴があっても「閉ざされた空間」を持つ事となっている。
Pianoだって蓋を閉めれば隙間は減るが、弦が震えるのに足りる空気移動量に対してはとてつもなく広大な空間がある。
だが特にバスドラみたいに皮の面積が大きいと、空気の移動容量はかなりのもんになるのだ。

発音体がそこ迄大きい面積なのは他に類は僅少で、それ故音への支配力も絶大となっている。
小口径で超々深胴のオクタバンみたいに普通の太鼓より「
極端な割合」になれば状況が変わっても来るが、口径の数倍以上の深さにならない限りは胴の影響比率は桁違いに低い。
因みにこの「長い管」によって音を制御する物はオーディオにもかつて存在し、BOSEからキャノンウーファーなる物が売られていた。

簡単に例えるならパイプオルガンの低音用の管みたいなもんで、太さは30cm程度なのに長さは4m近い代物だった。
後に改良小型化もされたがそっちは性能は妥協で、重低音を「管だけ」でしっかり出すには理論的に最低必要な長さだったからだ。
どんな手段を用いても低音を出すには嵩張るもんだが、それでも「箱」と云う形が最大寸法の部分を小さく出来る方法だ。

この箱型にも基本形と発展形があるが何れにも共通してるのが、「外からは隔離された空気の空間」を持たされている処だ。
当ブログで割と最近にも少し触れてるが、この隔離が無いとすぐに「回り込み」が生じて低域が相殺されてしまう。
音響世界ではスピーカキャビネットの基本形は密閉型で、発展形がバスレフ型を始めとした低音反射方式だ。

上の基本形を当て嵌めると極端な深胴以外の太鼓は、特に低音域に関しては穴無し両面張りじゃないと不都合だ。
片面張り・大穴開きにすると拙ブログ「音創り③」の図の「後ろが開いてる」のと同じで、打面皮の「裏側で揺さぶられた空気」がすぐに表側にやって来て喧嘩しちまう。
では発展形はっつうと勘の良い人は両面張り小穴開けが該当と思うだろうし間違いでは無いけれど、スピーカキャビネットでは箱の板は動かないが皮は動くのが違ってるのを忘れないで欲しい。

マイナーなので見落とされ易そうだが実は両面穴無しに見事に的中する方式がスピーカにもあって、パッシブラジエータとかドロンコーンと呼ばれるものがある。
先ずは概念図を見て貰うが、まとめた都合で現況従兄の処でやってる臨時外付けミュートのも同時掲載だ。
これは両面穴無しを試すに際し、ミュートの加減がその時点では不明だったのもあっての措置だ。

 
Photo_2
上図左2つがパッシブラジエータで右2つが臨時ミュートの様子で、右の左がTAMA 
Artstar・右右がImperialstarの現況だ。
説明が短く済むミュート案件から先に行くが、インペリ君は昔のなのでフープがクロムメッキの鉄製なのも再現した積り。

は置いといてピンクで表したのが折り畳んだタオル・茶色がガムテだが、インペリ君のよりアート君のが小さいのはピッチを限界迄下げてる事情に依る。


貼付け位置が左右逆になってるのは設置位置の都合で、奏者目線で先生のが左・生徒のが右に置いてある。

これは生徒は右利きの方が多いので、先生は左側の方が見易い為だ。
このミュートに大した厚みは無いが柔らかさを損ねぬ様に貼って膨らみはあるので、ビータの「奥側」のほうが視線を遮る可能性が無いからだ。
因みにタオルは雑巾代わりとして切られていた物で、丸々1枚分より量は少なくなっている。

ではお待ちかね!?のパッシブ~へ入るが、左左が正面からの・左の右のが断面図的な様子である。
外見は単に同じスピーカが縦に2つ並んで付いてるだけで、実際違うスピーカでは所望の効果は得られなくなる。
処がどっこい外は一緒でも「中身」に差があって、下側のは黒で示した磁石やコイル等が見当たらない変な格好をしているねぇ。

これ俺が書き漏らしたんじゃなくて、上側のスピーカの「反動」で動かしてるから要らなくなったのだ。
ここでの反動は箱内の空気の仕業で、上のが外向きに動くと箱内気圧が低下して「動ける場所」があったら内向きに動くのだ。
その「動ける」がこの場合下の特殊スピーカ「ドロンコーン」なんだが、これだけだと上が出た時下は引っ込むで逆相になるから音が小さくなりそうだ。

だが現実には空気はその豊富な弾力のせいで伝わるのに時間が掛り、下のが動き始めるのが遅れる。
その遅れるお陰で逆相にならずに済むので、低音がちゃんと聴こえる様になっているのだ。
しかし極僅かでも上下が同時には鳴り始めないので、
厳密な検聴用途等では昔は用いるのは避けられ気味であった。

んでやっとこさで本題の本題となるが、入れ物があって「音の出る所が同じので2つ」あるのってダブルヘッドの太鼓と全く同じなのにご注目。
確かに動くのの付いてる場所は違うけど、動ける物と内部空気の関係はホントに全く同じなのだ。
入れ物の形の違いにケチを付け様ったって、そいつぁ旦那拙速ですぜ。
昔Acoustic社のBass Ampのスピーカで、外見は角箱でも内部でスピーカの後ろにチューブをくっ付けてたのなんかがありまっせ。

これ作者に依れば普通の只の箱より音の濁りが減るそうで、実際効果はありましたよ。
でもそのせいで唯でさえデカくて重いのがさらにヘビーになっちゃって、値段もその分増えたからか流行んなくて止めちゃったみたいだ。
では現代標準かもな両面小穴開けが対応するのは、「穴だけに依る」バスレフ式のが該当する。

このバスレフ式(
Bass Reflex)には多様な種類があるが、一般的なのは穴だけじゃなく「ダクト」が付けられている。
部品・手間・コストが増えるのにわざわざ付けてるのは、確実性が上がるからだ。
穴オンリーの場合その大きさ誤差が滅法シビアで、近年の小型スピーカみたいに全部が小さいと0.1mm違ったってもう完全アウトになっちまう。

その上スピーカなら普通は壊れなきゃ付け替えたりしないから望まれる特性は一定だが、太鼓は皮の張りでピッチを変える事があるから不定になる。
それで太鼓でも表皮へ付けるダクトが売り出されたりしてるが、肝心のダクトを付ける場所が「動く所で不安定」なのがスピーカとは大違いだ。
その意味では太鼓だって穴を開けたけりゃ
胴にでもすりゃ良いんだが、ピッチ変更で小さくしたくなっても無理だから滅多にお目に掛れ無いんだろう。

これ等よりその太鼓で可能などのピッチにでも即応出来るのが
両面穴無しで、この方式なら難しい計算・消耗以外での皮交換・穴開けの何れも一切不要だ。
それと奏者にとって影響大なのが反応と音色で、前回記した如く穴を無くすと「鳴らしムラ」が露骨に反映される様になる。
本番では有難くないけれど練習で無用な楽してて上手くなりそびれてたらどうなのよで、だから大昔の人達は今よりローテクでも上手かったんじゃないかな。

既にプロで始終Liveへ持ち込む持ち出す太鼓ならいざ知らず、PAや録音用Micを突っ込む機会が年に数回あるかどうかで穴開けちゃったら勿体無い。
しみったれ発想だけどもし表裏に同じ皮を使ってたら、表裏を入れ替えて延命なんてのも穴無しだったら可能だ。
趣味嗜好の問題ではあるが稼げない物へ必要以上の経費を掛けると、練習時間だってどんどん稼ぐのに取られて減っちまう。

しかも消耗品は必ず廃れるが、本当に身に付いた演奏力なら衰えこそしても無効になる心配は無いのだ。
また穴開け以前に必要時にだけ思い切って表皮を単に外してしまう手だってあるんだし、叩いてて破れて困る物にわざわざ穴開けたいですかって思っちゃっうんだよね。

2019年3月15日 (金)

音創り⑧ バスドラのシングルヘッド・ダブルヘッド「目の当たり」編

所用の多忙で間が空いたが今回のメインはお題の通りで、自分ではやってても穴無しの他人のを聴く稀な機会に遭遇したので。
最近ではバスドラ以外は表裏両面張りがデフォの様だが、個人的にはそれなのにバスドラ表にだけ穴を開けるのが気掛りだ。
昔だって全部を必ず揃えてはいなかったが、目的と環境差の配慮が足りないままに思えてしまう。
敢えて年寄りらしくウザくても歴史から行かせて貰うが、それはかつてのは多くの場合「次善策」の部分も多かったのを知って欲しいからなのだ。

’80年代に入る頃迄は一部の業務用高級Micを除き、出てる音そのままを拾える機材はこの世に存在しなかった。
そしてMicがセーフでももうそのすぐ後からは変身マシーンなので、例え当時と同じのを用いても今とは結果は全く別物にしかならなかった。
Mic以外のにも感覚面でならアナログオンリー期にも優れたのがあったけど、結果オーライだっただけでかなりの変化があったのが実情だ。


これの悪影響は「普通に」最高の演奏をするのが無効となる処で、録音現場では求めるのとはまるで違う「変なの」に耐えねばならない。
その「変なの」を無理矢理自分に「誤解」させでも出来ないと、少なくとも気持ちが「落ちて」っちまうから調子も出せなくなる。
現に休養中のウチのGuitaristは「掛け録り」一択派で、フィードバック奏法命なのでその微妙な加減の都合があるにせよリズム隊側としては難儀させられている。

最低でも純生楽器の太鼓には幾らEffectを掛けたって、ヘッドホンを被らなきゃそれを聴けない。
しかし太鼓の目の前で叩いてる本人には元が巨大音量なので、どう頑張ったってヘッドホンからの「だけ」の音を叩き乍ら聴くなんて不可能なのだ。
エレキGuitarなら爆音Ampに繋けば例えフルアコだって本体からの音は聴こえなくなるが、それとは違うのを何とか説得しようとしてる処で休まれちまった。

Bassにしても失礼乍ら現在の活動本拠地のAmpが好みに合ってないし、許容出来る低域が拾えるMicもそこにはやはり無い。
また音響責任担当としてはアンサンブルのバランスを取る為に、調整後に好みの音色になる様に持って行きたいのもある。
要するに「生度」の高いヤツは基本的音色は最初からじゃないと駄目だが、そっから先は「後で」の方が好都合なのだ。

だからって俺も従兄も只手をこまねいては居らず、俺はPreampを自作してみたりしている。
太鼓の先生の従兄はMicセッティング等に多大な努力を続けてるが、最近はその延長でバスドラの表皮(舞台上でのお客さん視点)をどうするかへ至った。
最初はミュートの仕方・その結果を受けて生徒用太鼓へ穴無し表皮装着と来て、今週は遂に或は漸く本人のセットへお試しをしてみたのだった。

俺的には参考としてSimon Phillipsの模倣から入るなら真っ先に考える処だが、彼としては理由をちゃんと知りたいらしく一度に全部では頭が混乱するらしい。
しかも今回到達出来たのも半ば偶然で彼の研究に依ると、本家のがOn Micでも普通のより少し「遠い」みたいだから試したいと言い出した挙句だった。
つまり一口にOn Micとか個別録りっつってもその中にも種類が色々あり、それが看過出来なかったって訳だ。

音響屋観点に立つと全く不要な音は拾わないが、後で入用になる可能性のある音なら漏らさず拾っときたいと思ってしまうから可能な限り近付け様とする。
どうも休養中のGuitaristとの経験値が俺より高いからか、俺より従兄の方が純生楽器奏者の癖に「最初から」主義みたいだ。
だが実際に試してみると普通より少しOffにした方が、生耳に近い音が拾えるのは勉強になった。

尤も個人的にはそこへ拘るならバイノーラル収音宜しく、奏者の耳にもっと近い位置で拾うのを選択しそうだ。
それはさて置きそうして上が前よりナチュラルになってみると、極論すれば足のだけLine録りみたいで少しアンバランスになった。
「少しOff」の効能は皮から離れた分胴等それ以外の音も聴こえる様になった処で、それに対しバスドラだけ従前と同じく殆ど打面皮のだけを拾ってるからだ。

俺過去体験では低域が目立ち難いバスドラ程皮のシングルとダブルの差が大きく、従兄の処でなら生徒用にしてるTAMA Imperialstarが該当してて既に実施済み。
これからの予測通り先生用のArtstarでは音色に大差は無く思えたが、奏者若しくはその後方で聴くと大違いだった。
それより全くの想定外が起こったのは、踏み心地が全く違って「安心感」が出たと従兄は感じたんだそうだ。

俺にとっては今回のもそれ以前のもゴリ脚のせいか違いは気にならなかったが、従兄に依れば一度ダブルヘッドを体験するとシングルの方は踏み抜いてしまいそうでおっかなくなったんだと。
そして今回皮案件なのにMicに触れた訳がこっからだが、大昔みたいに表皮の外からだけの収録を試してみたのだ。
想像ではアタックがボヤケそうだったが、総体的には打面裏(太鼓内に突っ込み)収録と大して差は出なかった。

では何で今迄は穴無し表だけだとボケると思ってたのかってぇと、踏み損じたり弱くなったりするとそうなってたのだ。
甘い考えではムラが出易い方法だが、正直な考え方をするなら踏み方で音色調節が可能なこの古典式の方が秀でてた様だ。
それと余韻長さについては却って両面穴無しの方が無駄伸びせず、今回は臨時試験で表にCSを用いたが表はミュートせずに終わった。

音色差が少な目でも影響が大きかったのは「Floor Tomとの差別化」で、従兄によればコンビネーションフレーズの途中で従前はバスドラが聴こえなくなったりしたのが解消したそうだ。
音程だけの問題ならFloor Tomじゃなくホントの意味でBass Tomで構わなく、不要な胴の深さなんか無い方がセッティングの自由度だって上がる。
それが殆どのセットで今でも最低1個は含まれてるのは、形の違いから来る響きの違いも求められてるからだろう。

現に最近は小穴を開けられてしまってる様だが前出Simon Phillipsはシングルヘッドの「ゴングバス」もセットしてて、音域は足のと近似だが主に皮のシングル・ダブルの差から来る音色違いを意図的に利用している。
これはスラップBassの音色設定と似ててアンサンブル内のBassパートが主要なら一般的に、シンセBass等と併用でパーカッション的要求が強い場合だと音程は低くても低域量はかなり削られてるのがある。

最後にシングルでのアタック明瞭度について注意を載せとくが、厳密にはそれは擬似明瞭であった。
要するに踏み損じたりしてもビータと皮が触れる瞬間の音が一応入るから、一見「音のスタート地点」が見付け易くなっている。
だがしっかり踏んでヒットした時のとはやはり違う音色でこれを¥500玉を落したのとすれば、シングルのは成功して¥50・失敗すりゃ¥1玉ってな感じになる。

また今回で再認識させられたのはバスドラの「らしい音」の原因で、それは皮が大きく揺れ動くのが第一だと判明した。
爆音で無くても目立つ高域アタックが含まれる音の最右翼は、Cymbalのチックサウンド等がそれだろう。
これは大変目立つが決して力強くは無く、アンサンブル内では「埋もれにくいけど負け易い」とも言える。

バスドラに必要とされるのは単に目立つのより「絶対負けない」のだと俺は思ってるが、それには「小目立ち」は何の力にもなってくれない。
ド派手なLead Guitarと比べたら地味に感じるBassみたいなもんで、それでも曲のコードはその地味なBassに支配されてるのと同じなのだ。
特にRock系ではアンサンブル内バランスで唯一最大音量が許されてるんだから、小手先であしらおうなんてみみっちいったらありゃしない。

バスドラとかBassみたいなベーシックなヤツは、聴こえるかよりも感じられるかみたいなので判断するのが相応しいんじゃないかな。
RingoやPorcaroなんて時に依っちゃSnareさえベーシック組に入れてたみたいで、だから無余韻ミュートしたりリム掛け無しにしてたんだろうから。
だからって「今の太鼓どうなってた?」って訊けば、まず皆「ズツタツズツタツ…」て答えるに決まってるもんね。

2019年3月 6日 (水)

音創り⑦ 歌物のミックスバランス編

俺の古臭そうな好みから外れるから余計そう感じるのか、歌詞最優先と思しきそのJ-POPの歌詞の聴き取りが疲れて仕方無い。
歌詞命ならどうしてあんなに無暗に後ろを喧しくするのよ?、工事現場で聴くべき労働賛歌か何かなのかい?。
でも老体に無理して漸く聴き取れば恋の歌が多いから、んじゃ肉体労働の職場恋愛なのかよってね。

さて当ブログではしばしば登場する音量バランス案件ですが、歌物で特に日本語の場合は他言語より本来は特別な配慮が必要なんですッ。
ハングルやヒトラー時代のドイツ語等だとアクセントが強烈だから埋もれる事はまず無いが、こっちは冷静なら延々と平坦が続きます。
その上ちっとも強くない母音と子音で、洋楽Rockテイストを出す為に矢沢永吉なんかわざと唾が飛ぶような発音にしてましたなぁ。

なので日本語で洋楽テイストを最大にしたくても本家の丸パクリで、演奏の音量バランス「だけ」を大きくするのは愚の骨頂なのだ。
英語圏では単語や言い回しが日本語より少なく、ストーリーで聴かせられても言葉自体の差で聴かせるのが幾らも出来ないみたいだ。
そもそものコミュニケーションの取り方からしてこっちなら言葉だけでも普通だが、あちらではゼスチャー併用が当たり前。
つまり各人の解釈差もあるだろうから言葉だけでなく、微妙なニュアンスは動作等で働きかけるのを選んだって事だ。

今では音楽も「映像付き」が普通になったけど、それ以前はゼスチャーの分を音で何とか表現しないと言葉足らずになっちゃうね。
それと発音のイントネーションやアクセントの差で、歌が小さ目でも聴き取りに困らない特性が元からあった。
そんなだから一部例外のAerosmithのWalk This Wayが早口の嵐でも、さだまさしのお経みたいに続くヤツに比べりゃ実際の言葉数はまだ全然少ないんざんす。


慣れや音の雰囲気のせいで実感は湧き難いが、日本語は早口じゃなくても情報量が多く限られた時間でウォーリー全員見つけろ状態になってんだ。

なので僅かな一瞬の子音1つが欠けても読解に大きく支障が出て、これ等を避けるにゃ歌を大き目にしとくっきゃ無いんだわ。
毎度の変ちくりんだけどもこれを以下に具体的に例示しましょう。

お題をI Love Youにするが、カタカナ化するとアイラブユーの6文字になる。
純日本的に発音すると文字数通り6音(伸ばす「ー」も個別に音にすると「う」)になるが、英語でしかも歌中で聴き取りに要するのは「ア・ラ・ビュー」位の3音で賄えちゃってません!?。
文自体を和訳すると「ワタシはアナタをアイしてる」で何と13音に更に大増量、歌だからって日本語ではギャル語みたく「ワタ・アナ・アイ」なんて無理に省いたら誰にも分からない宇宙語になるからそれもダメだ。

これで先ず物理・論理的にラテン語系と同バランスは無理なのが証明されたが、だからって「大人しい伴奏」しか無理との危惧は無用で御座居ます。
古過ぎ例ですぐ分かる人が居たら記念物並かもだが、洋物だが真っ先に俺が浮かぶのは
シルヴィ・ヴァルタンの悲しきジプシーだ。
これ太鼓は全編に渡ってかなり激しく叩かれてるが、音量バランスは珍しい位かなり小さ目になっている。

少しバロックチック感を出す為か鍵盤系はポピュラー系ど真ん中にしては若干大き目だが、小音量でもハードな太鼓が裏にあるお陰で俺みたいなRock好きも惹かれたのだ。
もし並音量でも太鼓が大人しかったなら只の暗めのシャンソンと思って、大奮発してドーナツ盤ゲットに至らなかったに違いない。
これ伴奏では主役の鍵盤にしても装飾フレーズ以外は白玉系中心で、太鼓だけがすっと色んな事を演っている。

それ故バランス的に小さくても1つだけ「他と違う」ので、充分耳に留まって印象に残った。
音量と音色しか目立たせる手が無いと勘違いするのはバカ丸出しもいい処、だいいち「棲み分け」を考えんと方法がたった2つだとホントに前へ出せるのもやっぱり2つしか無い。
その他にも数多の方法があるのを用いれば、お互いを邪魔せずにどれもに存在感を持たせられるのにオォ勿体な。

戻って例示曲についてもう少し触れると普通の歌とサビ間の、歌が休符の処で急にクラビコードが出て来るのも効果抜群だった。
余韻が太鼓並に短い楽器だからコンプレスだと音量を大き目にしないと音程が聴き取り辛くなるが、歌が留守なら平気とは上手く押し込んだもんだ。
近年のラップとかだと歌パートの休符区間が僅少かもだが、人は息継ぎが要るので必ずどっかに隙間が出来てしまってる筈だ。

どのパートを担当するにせよ「単体」「単純思考」では「これだけハッキリした音色なら絶対埋もれないぞ」と思いがちだが、いざアンサンブルになったら裏目に出る事の方が多くなる。
特にミキサー氏が俺みたいに音的博愛主義だったら、お邪魔な「出る杭」は下手すりゃ勢い余って徹底的に叩き潰しちゃうかんね。
これは単なる好き嫌いじゃなくある意味「曲を理解出来て無い」証拠の現れだから、程度が悪いと幾ら頑張っても「適合箇所」が見つけらんないからなのさ。

ミキサー氏は演奏してないが聴者は必ずしも不具合が「誰のせいか」は分からんし、軽く聴いて楽しむのにそんな探求は不要だ。
すると元は奏者の瑕疵でも「何でこんな変な音を大きくしてんだよ」と、ミキサー氏が容疑者にされる危険だってあるのだ。
それでも「ミキサーは最低だが曲は最高」と思われる保証がありゃ良いが、混ぜる以前の段階で欠陥がある位だから期待薄だ。

また近年ではデジタル楽器を中心に単体で出せる音の種類が無制限に近くなったが、複数楽器が息を合せて鳴らすのに依って得られる「合体音」にも再評価が欲しい。
以前に触れた気がするがAl GreenのLet’s Stay Togetherが有名な、Hi Recordsのお得意のリズムアンサンブル等が嚆矢と感じている。
実際に演ってるのはSnareのBack Beatと同時にCongaの低いのをオープンで同時に鳴らしてるだけだが、チープな録音音質と音量バランスが同一等のせいで聴き味を別物化させてるアレだ。

ドラムセットとCongaの組合せだけなら幾らだってあるが、それらとの大きな違いはもう殆ど「TomみたいなピッチのSnare」にしか聴こえない処だ。
アホな俺は中々秘密が分かんなくて超深胴とかウルトラローピッチのSnareを探索したが、それらのどれとも違う音なのだ。
従兄の太鼓の先生の指摘通りSnareは胴が深過ぎれば、単にスナッピー(響き線)の反応が遅くなるだけだった。

Wikiのバスドラの英語版にも音程下げたきゃ胴を深めるんじゃなく、口径を大きくするしか無いと載っててご尤も。
唯一残った可能性は大口径Snareとなるが、もしあっても作ったとしてもワイの短足では股裂きの刑になってアウトだろう。
今の音響環境では再現はとても厳しそうだが、こんな「あり得ない楽器」を基本的には組合せだけで作れたりもするんだから見逃せない。

一面で企業秘密だが出血大サービスでバランスの取り方を少し例示しとくが、各パートが同音量ならどうするかだ。
一体化が可能だったりしても構わんのなら同時発音しても平気だが、それが困る場合はタイミングをずらすのも一興だ。
短めの減衰音のだったら一番単純なのだと交互に鳴らすってので、余韻部は他のと重なるがアタック部は独立するから邪魔は殆ど入らなくなる。

前述の俺言い「バーチャル合成」が成立すれば2つで鳴らしてても1つにしか聴こえんから良いが、2つに聴こえると聴き手に依ってはどっちかが無視されるから犠牲が生まれる事になる。
しかもここでは同音量って定義してるので、聴きたい方に対して気持ちでは無視した他方のが大いに邪魔者となってしまう。
これより全体で目立たせるのが可能なのは、かなり完全に音が一体化した場合限定なのが分かって貰えるだろうか。

但しこれはチームとしては有名だがそのメンバーは無名って状況なので、今の本邦の指向性とは合わないかも知れない。
メンバーも漏れなくアピールしたいなら古典的で新味に欠けるが、順番に見せ場を設けるのが鉄板だし確実だ。
そしてその場合脇役に回った時には万難を堪えて、黒子に徹しないと効果が出せない。

行き過ぎた明瞭化はここでも可能性を狭めてるだけで、音量バランスも無理な画一化は弊害の方が圧倒的に多い。
息は一度吐かなきゃ吸えないのに、そんなに皆死にたいんだろうか。
近年スポーツの大選手が衰えてもクビになる迄続けるってのと、闇雲に何でも最大音量にするのとは全然別なんだけどねぇ。
衰えても続けてりゃチーム事情でレギュラーを外されるのは必至で、それは表舞台に立てるなら「脇役・チョイ役でも良いから」ってのを認めてるんだからさ。

2019年3月 5日 (火)

音創り⑥ ミュート不足のSnareに物申す!?編

近年J-POPで俺が気になる(気に入らない!?)処の1つに、何でもかんでも「オープンなトーンのSnare」が横行してるのがある。
その手のが大好きな方には申し訳ないが、例えば歌だけを聴きたい時に一々「カーンカーン」とか鳴らされるのは邪魔になってるだけの事もあるのだ。

Snareはバスドラと共にリズムの根幹だから聴こえにゃ困るが、だからって目立ち過ぎて構わない訳じゃない。

でドラマーがどうしてもその音色じゃなきゃヤダってえと、録音技師やPA氏は「んじゃチョイとレベル下げさせて貰いますか」となったりする。
必ずしも目立とうとしてそうしてはいないかもだが、こうなると少なくとも音量的にはとても「地味」になるのだ。
これを極例で表せば警官が極悪犯罪で報道される様なもんで、目立つにしてもそれぞれに相応しい「目立ち方」ってのがあるってこった。

これがバスドラなら音域の低さで歌と帯域が被るのは少ないし、タムであればポピュラー系では出て来る頻度が低いからまだ何とかなる。
楽器自体の基本的な音色の目立ち度ではCymbal等金物系の方が上だが、これは分かり易い分最初から注意されてるしSnareよりやはり頻度が低い目だ。
また演ってる側にはノーミュートでもSnareは他楽器や金物比では音の長さが短いから見落としがちだが、聴き手にとっては「大き目音量で鳴ってる」物は無視不可となる。

ではどうすればってぇと、先ずは役割を良く理解するのがキッカケとなる。
次に「使い方」を色々学び、それ等の中から適したものを各々掻き集めて行くのだ。

オープントーンなSnareの代表使用例っつうと俺はJazzが浮かぶが、そこでは叩き方でミュートを加減したり他楽器が主役の時はかなり小さく鳴らしたりして「適応」させてたよねえ。
だが近年ポピュラー系ではBack Beatを弱めるなんてのは滅多に無いんだから、せめて曲に応じてミュートを増減させ
ないと難しい。

これとは別で割と最近目にして少し驚いてるのが非ポピュラー系での太鼓でも
ミュートされてたりその機能がある皮が張られてるのに出くわした件だ。
それは学校の吹部のでほぼPAレスでしか演らないし、JazzはおろかClassic系の強弱を付けて叩くのにも拘らずだ。
だがいざ演奏が始まるとそれでも結構太鼓がだらしなく伸びてたりなんかして、どうやらバチを押付けてミュートする奏法等が指導者が居なくなったりしたのか
廃れたからの措置の様に思えた。

また個人的に最近は緩解したが
Snareのオープンリムショットも毛嫌いしていて、それは目立っても太さが削がれたりする気がしてたからだった。
リムに掛けないと明瞭度を確保するのが少し大変にはなるが、何だかパワー不足を音色で誤魔化したみたいな嫌悪感があった。
これ出音の周波数バランスの違いもあって、中低域不足だと高域含有量の多い他パートが同時に大きな音を出すと聴こえ難くなる事もあったからだ。

そんな中普段はあまり「
リムに掛けない」達人達に興味が湧いて、Jeff PorcaroのSnareに注目させられた。
本邦世間では未だに彼の風貌等のせいで非力と誤解されてる様で嘆かわしい限りだが、
普段「リムに掛けない」等叩き方に目立つ音色の使用が少ないのも誘因となってるみたいに思う。
彼は俺がまだ太鼓に特別な興味を持つ以前の若い頃、望まなくとも歌物系では洋の東西を問わず頻繁に耳にする存在だった。

また本邦で有名になる以前は黒人のバックも当時としては異例な程多く演ってたのが珍しく、実はとても強い個性の持ち主だが「余計な癖が無い」からだったんだろうと感じられる。
本邦ドラマーの間ではその前にはSteve Gaddブームだったが、確かに彼も素晴らしかった。
だが即座には解析出来ないテクニカルさが売りで、もし難しい事を一切しちゃダメな楽曲だとかなり薄味にならざるを得なかった。

この点で真逆なのが
Porcaroの真骨頂で、彼は恐ろしくシンプルにやっても発揮できる個性を持っていた。
だからあんなに何でも演れてたんだろうが、フレーズのみならず音色面でも同様だったのにご注目でそれが普段はリム掛けない等に表れている。
でこっからが話の核心になるが取立てて目立たぬ音色で何でもこなすには、一聴地味でもかなり充分なパワーが無いと成り立たない処だ。

彼のミュートは必要次第で変化はあるが当時としては珍しかったのは、叩かれた瞬間だけ擬似ノーミュートとなるもので要するにミュートが随時「動ける様に」なっていた。
Classicオケの大太鼓では「叩かない方の手」の開け閉めでその状態を得るのが常套手段で、弦楽器でも弦を押える指の力を抜く等で余韻長さ調節するのと同じだ。

この方法の特徴は殆ど無添加純正の音色のままで長さだけをコントロール出来るのの基本形だが、常に両手で叩かなきゃなんないセットドラマーでポピュラー系では彼以前に覚えが無い。
また前回触れた「事前音色調整済み」の皮では実は「本当の太いアタック」は出し辛く、ある意味周波数バランスで誤魔化されてる側面がある。
これを確信したのは好みより薄い「ご自由にお持ちください」ヘッドで叩いてる時だったが、それには2つ理由があった。

かつて一時期使ってたEmperorでは弱かったり叩き損じたりしても痩せた音にはならなかったが、気の弱いデブってのか太くても「弱い音」になっていた。
それが薄目のでも上手に「しっかり」叩けるとゴツくは無いが、まるでイチロー選手みたいな存在感に溢れた「強い」音が出たからなのだ。
これを出すにはパワーも要るには要るが、それよりもバチの軌道の美しさとでも言うか「正しく」叩けた場合に得られたのだ。

10_2
上図は上記を概念図化してみたものだが薄い水色がリム・桃色が皮、白はティッシュペーパー・茶色がガムテープで肌色がバチの先っぽのつもりだ。

上段3つがPorcaro式ミュートで要するにティッシュが皮へは固定されてないので、皮が震えると軽いからはじき飛ばされて浮き上がるのである。
皮の震えが弱まり小さくなるとティッシュの重さ等が勝って「乗ったまま」になり、叩いた瞬間(厳密には直後)はオープン・余韻部ではクローズになる按配だ。

年寄りには概知の者も多いかもだし他にも同じ効果(挙動)を得られるのがありそうだが、ミュート=演奏時は固定の固定概念に捕らわれず半固定のがあるのも知ったり思い出して貰おうって趣旨だ。
続いて下段2つは打撃時の様子を表したもので左は普通若しくは弱い場合、右が上述の「しっかり」のイメージだ。
実際の程度は図程極端では無さそうだし撮影した証拠がある訳でも無いが、「その様な現象」が起きてないと得られぬ類の音だったからだ。

これは弦楽器のエレキBassの場合だとネック寄りを指でフルストロークで弾くと音量は最大になるがアタックはそこ迄強くは無くマイルドで、音量より音質的にアタックが強くなるのはブリッジ寄りをピックで弾いた時等だ。(スラップ時を除く)
それだけならSnareのオープンリムショットと近似だが、弦がピックや指から「放たれる瞬間を粘る」とアタックの太さが出て来るのだ。

別表現では「ゴムのパチンコ」で遠くに飛ばそうとした時のリリースの瞬間みたいとでも言うか、どうやらアッサリ弾くより粘ると指やピックと弦の接触面積が広くなる様なのだ。


太鼓でもバスドラを鳴らすのにビータと敢えてバチで比べたら明解だが、この「接触面積」がアタック音質の太さに影響してるらしい。

それならハナっから太いバチとかにすりゃってのはご尤もだが、ここぞで何時もより太くってのはそれだけでは出来ない違いがある。

加えて皮でも弦でも伸縮性があるので、発音の初期に掛るテンションが違えば音にも影響するのは確かな処。


道具依存でも他人のと比べたら最初からでも太いのは分かるが、運悪く比較相手がもっと太かったらアウトになる。

どんな相手との比較でも生き残れるのは不要箇所ではわざと少し痩せさせといて、いざって時に極太をくれてやる様な自己完結型が良い。

人耳の感性は相対評価が主なのでもし直前直後が弱かったり細かったりすれば、その分ターゲットの強さがより強調されるって寸法なのだ。


でこの俺言い「喰い込ませショット」をPocaro氏は常用してた様で、だから決して派手で無くても埋もれずに済んでたんだと思われる。

強さを感じなくてもひ弱に感じられる事は皆無なので、地味だが真の意味で強い音の代表例ではと思っている。

但しこれをするのに厄介なのは押付けが強過ぎ(=力みが入ってる)と駄目で、皮の押し込む側は足りても反動で返って来る側の振幅が抑制されてしまうからの様だ。


全てでは無いだろうが
「事前音色調整済み」の皮が「喰い込ませショット」に不利だってのは、その多くが重ね張りとなってるからだ。
皮が1重でも2重でも全体としての強度や柔軟性は様々だが、「局部的な柔軟性」ではかなり差が出る。

特に打点が2重だとそこの硬さが災いして、スティックチップのめり込みが浅くなるの必至だ。


こう書いて来ると
俺は「事前音色調整済み皮」嫌いみたいに思われそうだが、どっちかってば買えないだけで興味は強い方だと思う。
ただ中々買えない(皮も太鼓も)上頻繁な張替えは億劫、気紛れですぐ全然違うのを突然演りたくなったりするので不都合になったのだ。

だが少しは不幸中の幸いもあったもんで、ほぼドノーマルな楽器で色んな音が出せる様になりつつある。


それって見た目はちっともだが奏法としてはより○○用のが出来る様になってる訳で、貧民の逞しさの典型みたいなもんかねぇ。

また考えてみればどんなジャンルでも黎明期には、楽器だろうが奏法だろうが「それ用」のは未完成だった筈だ。

つまり元祖とか本舗程「内容がそのジャンル」だった訳で、それを演ってた人も「その道度」は初期の方が格段に高かった事になる。


道具に頼らない太さは奏者の強さを強調する事にも繋がってて、強い時とそれ以外の時の落差が大きくなるのが最大原因だ。

叩き損じ隠蔽にはタフな道具は便利だし、実はそう云う安直な気持ちは俺は強い方のタイプだ。

だが出来れば素人を騙すより「分かる人」に分かって貰いたいし、そうしとかないと折角頑張っといても「後でボロが出て」評価が下がりそうだ。


ある程度色んな楽器に触れて来て思ったのは、生系で基本操作がシンプルな楽器程日々の地道な積み重ねが響く様だ。

苦労はしたくないし面倒も嫌だけど、例えば弦より太鼓は習熟不足だとそれが音に出易い。

その代り充分やれてると弦系等より演り損じが少なくなるみたいで、基本的な道具依存度が低いからなのかと思っている。

2019年3月 4日 (月)

音創り➄ 太鼓のミュートや皮等編

俺より詳しい人が沢山居るだろうけど、それなりに体験はあるのでその中から。
知る限りでも真っ先に思い当たるのは従兄の太鼓の先生とかで、太鼓関係自体には彼等の方が圧倒的に詳しい。
それなのに敢えて書こうと思ったのは本邦特有か分からんが、各楽器の情報が分離・独立し過ぎてると感じてるからだ。

楽器の多くはその中でも非メロディ系のは、実際の楽曲中で単体のみで使うなんてのは稀だ。
であれば固有情報も大事だが、全体の中でどうなのかがもっと大事になる。
だが誰だって自分が可愛かったりするから、一寸油断すれば自パート中心視点に陥り易いんじゃないだろうか。
そこ迄だけならご勝手にと言ってられるかもだが、聴く方には通用しまへんで。

俺は楽器的メインはBassだが欲張りだからか、他を犠牲にしてどれかだけを優先させたアンサンブルに興味は無い。
また多くのパートを同時に手掛ける事も多く悪い意味での犠牲があると、結果的には主役の足を引っ張るだけになるのも知っている。
だいいち例えば苦労して5コも弾いて入れといたのに、その内の3コしか聴いて貰えないとかなったんじゃやる気は失せるしたまらんじゃないですか。

次にアレンジャーの立場から見ると単体でどんな優れたフレーズがあっても、束になって掛って来られれば非力なんだ。
どんなに苦労させられたとしても共存させられて初めて本来の価値とか、効果も発揮出来るもんなんだよねえ。
だからどの楽器の音だって足りなきゃ困るけど、「足りるだけ」あったら「それ以上は無い」方が自由になるし使い出もあるって寸法になる。

次回特集を組むので詳細は譲るが叩き方で音の長さを自在に操れない限り、太鼓にミュートは必須と思って間違いは無いと思う。
それにポピュラー系ではやたらと太鼓の音色が変化するのも落着きを損ねたりもするので、過去の偉人達ですらセッティングを特化させたりもしてた特に録音では。
中でも個人的に気になるのがSnareとバスドラで、前者は次回として後者のそれについて語らせとくれ。

それは「フレーズ次第で不要な音色変化が起こる」処で、どっちかってば「普通の方法」でミュートしてる場合だ。
この普通には穴開き若しくは表皮無しも含んでるが、それプラスClosed踏み(アップヒール)常用のに強く感じる。
具体的には単打ではビシッとタイトなのに、「連打の間」(何らかのDouble Stroke)のだけミュートがお留守になって音質差が出る類のだ。

理論的ってよりそもそも自然現象で「動かしてる途中」が止められないのは仕方無いが、聴き手にとって奏者の都合は無関係なんだからねぇ。
これは俺みたいな脚に拘りがあると奏者にとっても看過出来ない現象で、折角演ったDoubleの所だけSingleのよりボケた音になるってね。
仕方無く一応演ったDoubleならいざ知らず、ここぞで得意のを一発入れた結果がそれでは虚しい事この上無い。

解決策としてはミュートを強めにしといてOpen踏みするか、Double等を不使用とするかってったって後者は非現実的。
前者強めミュートやClosed踏みオンリーでも低音をちゃんと出そうとすると、皮は両面穴無しが有利となる。
時間的長さで低音が稼げないからには、初期段階の低域含有量を増加させるしか無いと思うんだよね。

それと皮で気になるのは予め「音色調節」がされてるタイプので、手間要らず・高安定等便利だが「アタック音の質」等が固定されてるのが時に不都合だ。
胴やピッチ次第で皮へミュートを掛けたい場所or面積等が一定じゃないし、最適値が結構センシティブだったりするからだ。
故に先ずはCoated・Clear・Smooth White等、事前特定音色設定のされてない皮へ様々なミュートを施してみるのがお勧め。

その後で「その状態」と殆ど同じになる皮が見つかったならCSだのPin Stripeだのへ行っても良いが、当座不満が無くてもどうなるのか何処迄変えられるのかが分かる前に固定して得が少ないと思う。
またそれ等事前調整済みタイプの皮はイメージ的には丈夫だが、その多くは「複合」タイプなので案外耐久性が低いもんだ。(体験的には期待に届かず)
1枚より2枚は強いけど「2枚の内の1枚だけ」視点だと、大抵は単体では素材が薄いからだろうか。

更に打点が
2枚重ねになってるとその部分の柔軟性が低く、従兄じゃないがビータビビリ等に対しては硬いから不利になってるのだ。
因みにRemo CS(Control Sound)が登場して流行ってた時期は、バスドラは両面張り穴無しやノーミュートのの方が多かった覚えがある。
Pin Stripeにしても今では一般化し製品化もされてる「ドーナツミュート」等がほぼ未普及だったし、本邦で乱用されたのは流行りの他にLive Houseでのメンテの都合が大きかった様に伺えた。

今では折角便利なのが一杯あるのにわざわざ面倒なのばかりでやれと迄は言わないが、結果オーライも度を越せばおバカ製造装置になるだけでっせ。
これも一面ではEffectorに頼り「過ぎた」エレキなんかと同列で、どっかの誰かとそっくりで没個性とか新発見の機会を放棄するのに繋がちゃうよ。
なのでせめて知識だけじゃなくある程度「体感」してからにするのがとても大事で、それでこそ「使って意味がある」状態に持ってけるってもんなんじゃないかなぁ。

それから前々から本邦でこれまた気になって仕方無いのが、海外勢比較だと録音もそうだが奏者固有の音色がとても希薄な処。
これはある意味「便利過ぎた弊害」なのかもだが、「買えばそれだけで取敢えず何とか格好が付く」ってのの恐い落し穴よ。
人と同じ音でも構わんさっつったって、それなら今だと機械の方が安心確実低コスト。
そんなアンタだったら面白味が無いですから、
近々機械に職を奪われ呼ばれなくなるんじゃないの。

道具は使い方次第で「幾らでも」ではあるけれど、だからって売ってるのそのままのだけで何とかするってのは了見が狭過ぎってもん。
これがエレキのEffectorとかシンセだったりしたら電気屋兼業ででもないと「中身は一切弄れない」けれど、生の太鼓だったら例えば革に「何か」乗せてみるなんて風に誰にでも至極簡単に実験出来るんだからやらにゃ損よ。
うっかり最初から強力に貼り付けたりしたら後が大変になったりするけど、乗せたのだったら降ろすだけだから幾らだって試せるとはずるい位だわな。

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