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2019年1月22日 (火)

真実の音質とは⑲ 生演奏の方が明瞭度が低い異常事態 編

近年の高明瞭度サウンドは聴き取りが楽な処はストレスフリーになるし、小奇麗に整ってるの自体は小気味良いとは思う。
けれど音質由来のムードは良くても、表現由来だとか味(独自の音的世界観等)では画一的に過ぎて没個性になってしまった。
そして環境にも依るとは云え
録音物より生演奏の方が、ほぼ必ず明瞭度や鮮度が劣るってのは全く異常な状態だ。

俺的にはこれを食べ物の作り立てと冷凍食品等に見立てて進めるが、調理レベルが同等だったら加工プロセスが少ない作り立ての方が美味しいのは分かるでしょ。
故に本来なら音楽だって当然生演奏の方が音が良い筈なんだが、幾つかの原因で原理に反した結果になってるのは恐るべき実態だろう。
その内2つについては以前に「不要PA」論等で語ったが、それだって録音でも必ずMicを使うんだからせめてイーブン位にならねばオカシイ処だ。

もう1つは批判覚悟で申すが、近年の奏者は基本部分での奏力が過去より低下したと感じられる。
但し一概に人自体が悪いってんじゃなくって、
道具等の進化の悪影響に気付けないせいだと考えられる。
道具等の進化は便利な一方で、どうしたって基本プロセスがそれに依って不透明になるのが避けられないからだ。

どんなに高級なのでも
Effectorに頼り過ぎて、特にAmpの調節が疎かになってるらしきも最近目に余る感じがする。
もしEffectorからPAに直結させて音を出すなら別だが、一般的なLive Houseでそれをやってるのを俺は知らない。
現実的には好みのAmpが使えなかったりとか制約も多々あろうが、アンタはどっから音を出してんのってね。

それから残響系
Effectorの使い方にも近年は俺的には疑問が多いが、Delayは未だしもReverb系の下手な多用がまたお粗末だ。
普通演奏会場は無響室とは程遠く例え無意識だと響かないと感じても、人のざわめき等に残響が隠れて目立ち難くなってるだけなのだ。
つまり余程上手に加減して
Effectorとハコの残響をブレンド出来ない限り、実際は妙ちくりんな「2重エコー」になってしまう。

そしてこれは出す音量も大いに関係してて、大きい音を出す程残響は等倍以上に増えてる事が多い。
簡単に言って響くとは屋内ならば壁・床・天井等で音が反射して、直接耳へ来たのより経路が長くなる分遅れて「後から聴こえる」ものだ。
通常無損失
で音が反射する事は無いので、何回かで音のエネルギーは無くなる。

だから元のエネルギーが小さければ回数は少なく、大きければ回数は増えるのだ。
但し余程広く無い限り直接音と反射音の時間差が短いせていで、人耳に「やまびこ」みたいに分離しては聴こえない。
まとまって聴こえるから
Delayに感じられず、ちょっとした短いReverbみたいになる訳。

狭い自室やカラオケルームなら臨場感を得るには有能なエコーも、Classic用の大ホールだったりすると無用だし寧ろ邪魔者になるでしょ。
そこ迄じゃないにしても大抵は
、カラオケルームよりLive Houseは「響く」様に作られている。
それとどんなに音だけ雄大にした処で、実際は奏者が手の届きそうな目前に居るってのはどうなのよ?。

であるからして特に近年状況しか知らない人には、是非「考え方」をもっと気にして欲しいのだ。
何時でも何処でもどんな音も出せますって言われても、視覚と聴覚の不一致をどうするつもりなのかですよ。
それとエコー無しだとボロが目立つから嫌ってのも分かるけど、折角「目の前に居る」臨場感を考え無しに放棄するのが得策かどうかだ。

演者とお客さんが同じ場所に居て生のパフォーマンスだったら、生楽器はMic等の電気的経路無しに聴く事も出来る。
電気楽器にしたって楽器Ampからの直接の音と、間に他のが入るのとでは差の大小は様々にしても同じではないのだ。
だからそれを踏まえると放棄すべきはエコーの方で、それこそが無添加純正Liveの強みなのだ。

この様に単なる電気・電子技術面ではどんな音でも出せる様になってても、演奏会場の方はそれに見合う進化がなされていないし現実的には不可能に近い。
だからAmpだのPAだのと持ち出した処で少なくとも太鼓や歌などに生が残ってるのなら、もっと生楽器しか無いのと同じような視点から考え始める必要があると思うのだ。
前述の通り「人」は通常3D映像でなく、生身が登壇するんだしね。

メンバー不足とかの都合で人と機械を併用したりもあるけれど、合図をする迄延々続けたりしたかったら機械にも専属の「操作員」が要ったりする。
その代り人が全部に着けてたら気紛れでも伝達さえ上手く行けば、その場で幾らでも変更が効くのがリアルタイムの強みだ。
録音物では掛ける度に曲の長さが変わるなんてのは、出来たら面白いかもだが至難の業で非現実的。

しかも聴者の気分を捉えられるセンサを開発して、再生機器に付けとかなきゃ駄目だしね。
でもそれが人力手動だったら意図も容易い事で、今一度そう云ったリアルタイムとかLiveの「特権」への再考を強く促しておきたい。
グループ又は個人演者のコンセプトにも依るけど演奏会場に厳しい制限を付ける等したくないなら、基本的に録音とLiveは別物と思っとくのが無理が無い。

Liveでは幾ら頑張っても録音みたいに
電気・電子の力を借りて音に大きな加工を施せはしないのだから。
けれどもお客さんの反応に応じて加減したり出来るメリットだって大きく、やり直しの可否なんてのは殆ど未来永劫不変だろう。
結局Liveは刺身で録音は煮込み料理なのは、変えられないし変えたってメニューを減らすだけで仕方無いんじゃないの。

となれば刺身(Live)では加工をせいぜい軽く炙る位に留めるが如く、極力Effector等を減らすのが良いのだ。
是迄に拙ブログで紐解いて来た様に、どんなに機器が高性能化しても弄ればどっかが必ず劣化する。
それをLiveでは聴者は「直接」耳にするのだから、影響は拡大するのだ。

これら機器の乱用は生演奏と銘打ち乍ら、レトルト食品をレンジでチンしたのを食べさせる様なもんだ。
それでいて時間は演る側等の都合で勝手に決められてて、インスタント食品最大利点の好きな時好きな場所でってのは剥奪されてるじゃないすか。
音に関しては単に明瞭度や鮮度をわざわざ手間掛けて削ぐだけってんじゃ、演者も客も両方で大損してるだけなんだよねぇ。

昔は人と機械の競演が無理だったからそれが出来る様になった最初はそれだけで面白味もあったろうが、最近はある意味機械を擬人化させる為に共存させてるみたいだ。
本当に機械しか登場しなくて良いのなら、今はもうネット上で充分だろう。
友達同士で集まってワイワイ騒ぎながら鑑賞出来れば、わざわざ会場へ出向く意義はもう残って無いからね。

つまり昔は機械が珍しくて凄かったけど、今は生身の人の方が珍しくなったって事ですよ。
電車に乗るの1つとったってその昔は、切符を買う段階でもう駅員さんとのやり取りが要った。
駅員さんから買ったんだから駅では乗るのが分かってる筈なのに、更に改札口で切符を渡して鋏を入れて貰わんと乗れなかったんだからさ。

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