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2019年1月

2019年1月26日 (土)

邪道シリーズ③ 無理ムリ延命措置 L-1286図説編

とっとと概念図を提示するが、飽く迄私的実験なのを先にお断りしておく。
俺的には昨今何処ででも目に付く「自己責任で」は使いたくないが、俺自体が珍しいケースとも思うので他所でまんま模倣は困難だと思われる。
けれど傾向とか具合を知るには誰でも参考になりそうって、そう云う意図だ。

 
Photo_3
 
図説は左が新品でその次が俺式向き癖軽減対策(後述)で、右から2番目は宅の消耗品で右が今回の実験実施状態だ。
又オレンジ色はゴム系ボンドで赤がワッシャ・青がナット
、大変見難いが緑の線みたいなのが隙間埋めのプラ板でこれも後述する

1.我流向き癖軽減策
フェルトは方向がランダムな繊維の集合体なので、特殊製法でも用いないと重心がセンタに来ない様だ。
その為踏んでる内に特定箇所だけが当たる「向き癖」があるが、そのままにしとくとそこだけが他より早く消耗してしまう。
これが電車の車輪だと「フラット」と呼ばれるもとのなり、円周上の一部が平らに近くなるせいで転がる度にガタガタとかド
ドと騒音を発して大変だ。

ビータではそこ迄深刻とはならないが、打面の形状・面積が違って来れば音にも操縦性にも何らかの差異が出るのは避けられない。
また平面的になる程回転し辛くなり、それで余計に同じ所ばかりでぶつ様になるから偏摩耗が一層進んでしまう。
ここで考えられるのはフェルトが回転しない様固定すればだが、完全固定となると今度は向きが変えられなくなるから却下だ。

そこで手で意図的にやれば回せるが、少し回り難くするのを探った。
尤も元からの個体差もあるし、消耗度が低い内は余り不要な物もあった。
Ludwig L-1286は構造上フェルトは非固定で、位置保持は上下のクロムメッキされた鉄板で挟んで為されている。
この鉄板下側はフェルト部とそれ以外部のシャフトの太さ差で、上側はシャフト先端を叩き潰して大きくして保持されている。

宅のSpeedking初号機付属品ではこの「叩き潰し」が不足だったらしく、1度外れたので叩き直しをした事もあったけ。
そう云や大昔にも1度経験した様な気がしなくも無い。
は置いといて戻るが、故に鉄板も自由に回転出来る構造だ。
軸:鉄板:フェルトのどれ間がより回転し易いかを調べると、
軸:鉄板間が金属同士だからか動き易かった。

一方フェルトは軸に対しては無制限だったがプレス加工された鉄板の縁との抵抗でか、ほぼ鉄板と一緒じゃないと回らないのが判明。(未加工時)
それで上下鉄板と軸間をゴム系ボンドで止めてみたが、上側は軸端で面積僅少の為直に剥がれてしまう。
本来両面固定の方が回転し辛くなって良いが、片方だけでも曲の途中位迄は一ヵ所だけでぶつ事は無くなっている。

2.無理再生施工
その前段階として必須の消耗状態から行くが、外見上は単にフェルト上側中心に摩耗して小さくなっただけだった。
だが手で回転抵抗を確かめたらもう全然無くなってて、それ以外にもぶつ時にグラつきが出そうな位全体が緩んでいた。
金属系は未だしもフェルトは力が掛る部分も摩耗したらしく、ってこたぁ上記対策だけでは
効果は逸失しそのままだと偏摩耗が加速されそうだった。

代用重り追加で音量・操作性を復元出来ても、回り過ぎからの偏摩耗とグラつきからの雑音等を回避出来ねば意味が無い。
そこで過去にSpeedkingの雑音低減策でやったの同様、軸用の穴と嵌める為の切り込みを入れたプラ板を下鉄板とフェルト間に押し込んでみた。
これについては概発表済みなので必要に応じて、過去記事を参照願います。
因みにフェルトの下側としたのは、前述の如く上鉄板の固定が不安定だから。
この段階で今後の寿命等は不明・未明だが、
取敢えず俺の用途には足りる状態が復活出来た。

ここでビータフェルトの回転について、過去記事重複をなるべく避けるつもりでもう少し論じよう。
現況俺は正確な理由は把握し切れて無いがフェルトが円筒形のだと、無回転のってのは知る限りでは思い当たらない。
演奏時無回転になるのは近年の狭めの面で打つタイプの等で、これはコスパは悪くないが消耗は早くなるだろう。

消耗早しってぇのは例えビータ側が持っても打点面積が狭いから、皮側の方が持ちそうにないからだ。
少なくとも同一人物が同一音を出すならば、そうなると思われる。
またこれも過去ネタだが昔常用してたPearlのビータはボルト締め式だったので、随時増し締め+随時人力回転で一点集中を回避させていた。
したっけ何時の間にかフェルト本体が横方向に、正に扁平して縦寸法が足りなくなっちゃって駄目でやんの。

これって確か長寿命ハードフェルトとか何とかの売り文句だったが、減りが遅くたって簡単に扁平するとは想像付き難いじゃんか。
尤もビータの寿命が長いったって、スティックやGuitarのピックと比べりゃなのかもだが。
そんなこって円筒形フェルトのは回り過ぎると困るが、完全無回転は困難だしどうもよろしくないみたいですわ。

要はお馴染み「手足一緒論」のお出ましで、バチのグリップは状況に応じて強さは「手加減」されてるのと同じなんざんしょ。
もし足指でビータが掴めでもしたなら、難しくてもこれが理想へ近付けそうって按配やね。
勿論無理だから他の手を用いるんだが、多用途対応を考えるなら「回り難いけど回る」がベターですかねぇ。

邪道シリーズ② 無理ムリ延命措置 L-1286 編

今回はあのSpeedking純正ビータでもある、Ludwig L-1286についてだ。
世間ではこれの最大の長所は音色と語られてる様だが、大きな異論は無いが音色は個人の嗜好差もある処だ。
だが俺唱えの「ヘッド(皮)を長持ちさせられる」は誰にでも関係するので、こっちを推しときたい。


等と宣伝意図も無くほざくのも妙だが、その実情を先ずは参考に述べとこう。
これ迄の俺体験では
L-1286以外のビータでは、2年以上皮(ヘッド)が破れずに持った事は無かった。
また破れる前でもコーティングされてる皮ならそれが剥がれて無くなる他に、皮が張られた状態でも打点に凹み痕が出来ていた。
これは放置するとそこから破れやすくなるので打点位置をズラす為、1~3ヶ月位毎に「ヘッドを回す」必要があった。

又過去体験で皮がCS等打点部が2枚重ねになってるのだと打痕はあまり付かなかったが、それで油断してると外側1枚目が先に破れたりしていた。
ビータの他にペダルが
Speedking常用となったのも皮に優しいのに効果はあるが、打痕の出来る時間が延長されただけの感じだ。
だがL-1286だと他のペダルであっても明確な打痕が付かず、皮や太鼓が違っても現況では同様となっている。

けれども良い事尽くめばかりとは行かず多少フェルトの減りは早いみたいだし、最近は値上がりして残念乍ら昔の値段!?に戻ってしまった。
音色案件に関してはフェルトが硬くないのが影響してる様で、長持ちして欲しいがその為に硬くすると駄目みたいだ。
俺はローエンドを出す目的で、一時は高価稀少なウールビータ導入も考えたりしてた位だし。

これが従兄の太鼓の先生曰く俺言い「無意識Closed踏み」時に、それこそほぼ無意識で止められて良いのだそうだ。(現用ペダルはTAMA)
普通皮は高価な本革でなくプラ製で柔軟性に乏しいので、そこへ固目なフェルトだとバウンドし易く高域雑音も出易くなるからね。
それでフェルトが「踏み固まる」と止め辛くなるそうで、俺から見たら新品同様でもお取替えとなるのだそう。

尤も俺にはその状態だとまだ不都合0%なので、ちゃっかりお下がりとして頂戴出来るようお願いしてしまっている。
それの第1回目が
近頃訪れて、彼は現行ツーバスなので2本貰った。
この内1本は俺が従兄の所で踏む時彼の負担を減らす為用として存置し、もう1本は持ち帰って来た。

これを期に約3年弱使い倒して小型化!?した現用のと、貰って来た俺には新古品のとを比較してみた。
結果は音色・操縦性は俺的には大差無かったが、いざ比べてみたら音量が結構違っていた。
最近はそうでも無くなって来たが従兄とは丁度真逆で、俺は元は手のパワーを出すのに苦労した口だったから単独では気付けなかった様だ。
今だってまだ指を使う速いストロークでは、速さパワーともに苦闘中だ。

ここで毎度の如く変な思考が勝手に働き、音量さえ補えればまだ古い方も使えるな等と良からぬ事を思い付いてしまった。
ローピッチ好きは皮の張力弱目な関係もあって皮寿命には厳しいらしく、足についてはそれに加えて音数の膨大さで過酷な状況なんだろう。
なので他所様より例え最大差と思しき経済面を除いても、俺にとって寿命延長は重要課題なのである。

先ずは以前持ち出したバネ秤を用いて重さを測ってみたが、これはフルスケール2kgの簡易品なので精度が足りなかった。
次に奥方様が台所で使ってるのを拝借して来て測ってみたら、
小型化君は77g・俺新古君は82gだった。
専門サイトに依れば新品は84g程度だそうなので、大体妥当な線だろう。

重量計測の理由は
音色・操縦性に大差無いのは、フェルトの硬さ・打点面積の差異が少なさそうと読んだからだ。
フェルトは円筒形なので
普通だったら横方向の長さは減り、でも大抵上側が先に減るので縦方向が微妙に長く(実際宅ではそう)なって面積自体は同等だ。
だがそれだけだと形は変わる処だが、これには何故か「向き癖」があって割と同じ処が偏摩耗しつまり平らになり易い。

偶発的だがこれ等に依って面積も形も余り大きくは変わらず
、結果的に目に見えて小型化したのに音色・操縦性が保たれてた模様なのだ。
とすると今迄はフェルト側面と皮が平行に当たるのが良いと思ってたが、演ってる最中から擦り減ったり変形するのを含めるとそうでもないのかもだ。
でここからが毎度の変態工作へ行くんだが、何かを足して重さを同等化したら音量が復活しやしないかとなったのである。

そこでガラクタを漁って、丁度ビータシャフトに穴が通るナットと厚手で大き目のワッシャを見付け出した。
これをフェルト直下部へゴム系ボンドで固定して、両者で試奏比較をした処「効果」アリと出た。
厳密にはフェルト硬度の他小型化で角度に差があり、それはペダルの角度にも差を生じさせてはいる。
だが俺は無意識Closed常用なのでストローク最後の部分では元から操縦していないからか、これは問題とならなかった。

今回変態実験したのにはもう1つ訳があって、寧ろこっちの方がホントは重要かも知れぬ。
それはビータが軽い程速度を出し易く、操縦もし易くなり勝ちだからだ。
例え音を妥協しても道具由来で悪影響して、
腕(足・脚)が落ちたり伸び悩ませたりしては困るからだ。
もしそれで妙な癖と慣れが付いてしまったら、マトモな道具になる程好結果が出せなくなっちまうからねえ。

ココが貧民でもプロとアマの差で、金に腕を左右されぬ技と自慢じゃい。
っつってもそれだけじゃぁ虚しく悲しいのも確か、このままではお寂しやなので次回は概念図を載せて誤魔化すのである。

<続かせるのだッ>

邪道シリーズ① 無理ムリ延命措置 金属弦 編

今回からは殆どギャグみたいな珍妙チャレンジ歴を出してくが、かなり不謹慎且つ無茶もあるので話しのネタ程度に読んで下され。
その内容は楽器の消耗品部分の苦し紛れの延命方法で、けれど元のキッカケは不良品と迄は言えないがから来ている。

最初は主にエレキGuitarの高音弦だが、つい先日の録音でも新品張替え直後にこのトラブルに見舞われた。
弦最後尾のボールエンド部での弦の「捩り」が少しづつ解けて、弾く度に延々と
0.10ゲージの1弦のピッチが下がってしまったのだ。
では早速概念図を見て頂こう。

Photo
赤矢印部分は弦自体の端の固定で、青矢印がボールエンド保持の為の捩りだ。
今回の現象は青矢印部分がどんどん緩んだのが原因だったが、余程の不運に見舞われなければ滅多に赤矢印の部分は緩まない。
なのである意味青が解け切る迄頑張ればピッチ低下が止まりそうだが、この部分がかなり長くなっててそのままでは弦自体が何回転分も捻れて不味い。

そこで青矢印部分を強烈に捩り直してみたが、演奏内容がアームを多用するののせいかそれでも緩んだ。
今迄にもそこそこ遭遇してたが
強烈捩り直しで未解決なのはお初で、仕方無くネジの緩み止めよろしくペンキで塗り固めて漸く危機から脱出出来た。
普通なら他の弦に交換しそうだが、今更返品は無理そうな昔に買ったのでも袋から出したばかりだったので捨てる気になれなかったのだった。

過去経験値が高く無かった頃はそのまま半ば意地になって、ひたすらペグを回したりもしていた。
だが不具合放置・未処置にしといて
青矢印部分(今回該当)が元から不要に長くなってると捩り回数も多いので、例え赤矢印が健全で伸びが止まっても弦自体の捻れが酷くなってしまう。
そもそも意味があっての赤・青2段構えでなので、両者最低3回づつ位は巻けてないと不安な処だ。

オマケにそれだけ沢山伸びれば、本来ならストリングスポストに依る「曲がり癖」が付かない筈の部分迄巻いてしまう事となる。
すると癖が付けちまった後からボールエンド部をやり直しても、もう新品状態では無くなってしまうのだ。
なので数回とか10分位連続演奏後に
修正しても収まらない様なら、面倒でも先に確認を取るのが安全策と思う。

これが高じて(低じて!?)俺個人は練習にしか使わない時で張り直せる長さが残てったら、
ボールエンド部をやり直してしつこく再使用したりもしている。
こんなのは邪道の極みではあるが例え新品で張り方が完全でも、弦自体が不完全だったりすればクウォリティは似た様なもんだ。
しかし通常
ボールエンド部の状況を張った状態で克明に監視するのは困難で、特にテイルピースのデザインに依っては不可能だ。

一々ひねて考えてる訳じゃ無くて少なくとも普及品レベルの弦では、新品でも起こり得る事例なのを指摘しとこう。
一方巻弦(ワウンド、ラウンドでもフラットでも何でも)の場合は芯線が太いので、ボールエンドより巻線の緩みに
コツが要る。
これが弦の余りを切るのが「張った後」ならそうでも無いが、ストリングポストの穴(非貫通)へ先端を挿し込むタイプなら
注意がある。

切断前に90°若しくはそれ以上の折り目を残す側の端近くに、わざと先に付けとくのだ。
上手く加減が出来るなら丁度張った時に折れ曲がる位置と一致させとくと、張る時にペグから弦が滑って抜けるのにも予防効果があるから一石二鳥だ。
これをしなくても平気な弦もあるみたいだが絶対の保証でもされて無い限り、どうせ「張れば折り目は必ず付く」もんだからこっちは推奨だ。

最後に究極の延命術を披露するが、決してお勧めはしないが参考に。
それは切れてボールエンド部再生は不能だが、特定の好条件だった場合の策である。

Photo
上図がその実態!?であるが釣り糸とかじゃあるまいし状態だし、緩み・不要回転のリスクは倍増等欠点弱点のオンパレードだ。
当然弦の長さ方向の位置も従前からズレるので、不都合な処に折癖が残ったりとロクなもんじゃない。
しかも「押える・弾く」場所では邪魔になるので、ナット-ペグ間若しくはブリッジ-テールピース間で継げる場合限定だ。

またこの俺言い無茶継ぎ方は「見るからに」弦の状態が正規とは違って来るので、録音時等は流石に無理だろう。
更に巻弦となれば弦が切れた時点で巻線が緩めばハイそれまでよで、その関門を越せても加工はかなり大変だ。
そもそもラウンド系は使用時間が長くなると切れなくても、巻線と芯線の間が手垢等で汚染されるので音色的限界が先に来る場合も多い。

プレーン弦も切れなくても音色以外にも様々な寿命があるし、テンションが弱まればフレットの減りも増加させるのでリスキーでもある。
だがしかし細いの程切れ易いし新品なのに余りにも短命だとか、何らかの事情で替えが無い場合には窮余の策でも選択肢が残ってるに越した事はないと思う。

俺が珍妙な事をやらかしてるのは単に貧しいからだろうが、それでもなるべく録音や本番に新品を回せる様にする意図はある。
し、その為の温存で練習が制限されては元も子もない。
何れにせよ弦が消耗品である以上半永久品より、品質が低くならざるを得ないのは明白であろう。
あれだけ細く決して柔軟性に富んではいない金属のを、結構引張り捲られ乍ら揺すらされるのだから。

2019年1月22日 (火)

真実の音質とは⑲ 生演奏の方が明瞭度が低い異常事態 編

近年の高明瞭度サウンドは聴き取りが楽な処はストレスフリーになるし、小奇麗に整ってるの自体は小気味良いとは思う。
けれど音質由来のムードは良くても、表現由来だとか味(独自の音的世界観等)では画一的に過ぎて没個性になってしまった。
そして環境にも依るとは云え
録音物より生演奏の方が、ほぼ必ず明瞭度や鮮度が劣るってのは全く異常な状態だ。

俺的にはこれを食べ物の作り立てと冷凍食品等に見立てて進めるが、調理レベルが同等だったら加工プロセスが少ない作り立ての方が美味しいのは分かるでしょ。
故に本来なら音楽だって当然生演奏の方が音が良い筈なんだが、幾つかの原因で原理に反した結果になってるのは恐るべき実態だろう。
その内2つについては以前に「不要PA」論等で語ったが、それだって録音でも必ずMicを使うんだからせめてイーブン位にならねばオカシイ処だ。

もう1つは批判覚悟で申すが、近年の奏者は基本部分での奏力が過去より低下したと感じられる。
但し一概に人自体が悪いってんじゃなくって、
道具等の進化の悪影響に気付けないせいだと考えられる。
道具等の進化は便利な一方で、どうしたって基本プロセスがそれに依って不透明になるのが避けられないからだ。

どんなに高級なのでも
Effectorに頼り過ぎて、特にAmpの調節が疎かになってるらしきも最近目に余る感じがする。
もしEffectorからPAに直結させて音を出すなら別だが、一般的なLive Houseでそれをやってるのを俺は知らない。
現実的には好みのAmpが使えなかったりとか制約も多々あろうが、アンタはどっから音を出してんのってね。

それから残響系
Effectorの使い方にも近年は俺的には疑問が多いが、Delayは未だしもReverb系の下手な多用がまたお粗末だ。
普通演奏会場は無響室とは程遠く例え無意識だと響かないと感じても、人のざわめき等に残響が隠れて目立ち難くなってるだけなのだ。
つまり余程上手に加減して
Effectorとハコの残響をブレンド出来ない限り、実際は妙ちくりんな「2重エコー」になってしまう。

そしてこれは出す音量も大いに関係してて、大きい音を出す程残響は等倍以上に増えてる事が多い。
簡単に言って響くとは屋内ならば壁・床・天井等で音が反射して、直接耳へ来たのより経路が長くなる分遅れて「後から聴こえる」ものだ。
通常無損失
で音が反射する事は無いので、何回かで音のエネルギーは無くなる。

だから元のエネルギーが小さければ回数は少なく、大きければ回数は増えるのだ。
但し余程広く無い限り直接音と反射音の時間差が短いせていで、人耳に「やまびこ」みたいに分離しては聴こえない。
まとまって聴こえるから
Delayに感じられず、ちょっとした短いReverbみたいになる訳。

狭い自室やカラオケルームなら臨場感を得るには有能なエコーも、Classic用の大ホールだったりすると無用だし寧ろ邪魔者になるでしょ。
そこ迄じゃないにしても大抵は
、カラオケルームよりLive Houseは「響く」様に作られている。
それとどんなに音だけ雄大にした処で、実際は奏者が手の届きそうな目前に居るってのはどうなのよ?。

であるからして特に近年状況しか知らない人には、是非「考え方」をもっと気にして欲しいのだ。
何時でも何処でもどんな音も出せますって言われても、視覚と聴覚の不一致をどうするつもりなのかですよ。
それとエコー無しだとボロが目立つから嫌ってのも分かるけど、折角「目の前に居る」臨場感を考え無しに放棄するのが得策かどうかだ。

演者とお客さんが同じ場所に居て生のパフォーマンスだったら、生楽器はMic等の電気的経路無しに聴く事も出来る。
電気楽器にしたって楽器Ampからの直接の音と、間に他のが入るのとでは差の大小は様々にしても同じではないのだ。
だからそれを踏まえると放棄すべきはエコーの方で、それこそが無添加純正Liveの強みなのだ。

この様に単なる電気・電子技術面ではどんな音でも出せる様になってても、演奏会場の方はそれに見合う進化がなされていないし現実的には不可能に近い。
だからAmpだのPAだのと持ち出した処で少なくとも太鼓や歌などに生が残ってるのなら、もっと生楽器しか無いのと同じような視点から考え始める必要があると思うのだ。
前述の通り「人」は通常3D映像でなく、生身が登壇するんだしね。

メンバー不足とかの都合で人と機械を併用したりもあるけれど、合図をする迄延々続けたりしたかったら機械にも専属の「操作員」が要ったりする。
その代り人が全部に着けてたら気紛れでも伝達さえ上手く行けば、その場で幾らでも変更が効くのがリアルタイムの強みだ。
録音物では掛ける度に曲の長さが変わるなんてのは、出来たら面白いかもだが至難の業で非現実的。

しかも聴者の気分を捉えられるセンサを開発して、再生機器に付けとかなきゃ駄目だしね。
でもそれが人力手動だったら意図も容易い事で、今一度そう云ったリアルタイムとかLiveの「特権」への再考を強く促しておきたい。
グループ又は個人演者のコンセプトにも依るけど演奏会場に厳しい制限を付ける等したくないなら、基本的に録音とLiveは別物と思っとくのが無理が無い。

Liveでは幾ら頑張っても録音みたいに
電気・電子の力を借りて音に大きな加工を施せはしないのだから。
けれどもお客さんの反応に応じて加減したり出来るメリットだって大きく、やり直しの可否なんてのは殆ど未来永劫不変だろう。
結局Liveは刺身で録音は煮込み料理なのは、変えられないし変えたってメニューを減らすだけで仕方無いんじゃないの。

となれば刺身(Live)では加工をせいぜい軽く炙る位に留めるが如く、極力Effector等を減らすのが良いのだ。
是迄に拙ブログで紐解いて来た様に、どんなに機器が高性能化しても弄ればどっかが必ず劣化する。
それをLiveでは聴者は「直接」耳にするのだから、影響は拡大するのだ。

これら機器の乱用は生演奏と銘打ち乍ら、レトルト食品をレンジでチンしたのを食べさせる様なもんだ。
それでいて時間は演る側等の都合で勝手に決められてて、インスタント食品最大利点の好きな時好きな場所でってのは剥奪されてるじゃないすか。
音に関しては単に明瞭度や鮮度をわざわざ手間掛けて削ぐだけってんじゃ、演者も客も両方で大損してるだけなんだよねぇ。

昔は人と機械の競演が無理だったからそれが出来る様になった最初はそれだけで面白味もあったろうが、最近はある意味機械を擬人化させる為に共存させてるみたいだ。
本当に機械しか登場しなくて良いのなら、今はもうネット上で充分だろう。
友達同士で集まってワイワイ騒ぎながら鑑賞出来れば、わざわざ会場へ出向く意義はもう残って無いからね。

つまり昔は機械が珍しくて凄かったけど、今は生身の人の方が珍しくなったって事ですよ。
電車に乗るの1つとったってその昔は、切符を買う段階でもう駅員さんとのやり取りが要った。
駅員さんから買ったんだから駅では乗るのが分かってる筈なのに、更に改札口で切符を渡して鋏を入れて貰わんと乗れなかったんだからさ。

2019年1月18日 (金)

改良・進化した楽器は演るのが楽だけど…

今従兄とLudwig評で一部意見が割れちゃってるけど、腕の違いでそうなってるのかも知れない。
従兄は操縦が楽と言うが俺にはじゃじゃ馬で、どうにもならなくは無いが結構骨を折ってる感じだ。
近年の太鼓の方が出来る事が限定的でも、計算通りになってくれる気はする。

けれどいざ録ったりしてみると結果は逆になってたりするが、少なくとも演奏時には新しいの程安定感がある様に感じられる。
なのでもし「録らない」んだったら、皆が新しいのへ好印象を抱くのも納得だ。
これは俺体験では太鼓以外の楽器にも共通なんだが、少なくとも楽器とまだ他人の関係の内は今のの方が高得点だ。

例えるなら今のは愛想の良い店員さんで、昔のは少し困ったちゃんの家族みたいなもんだ。
だから古いのは馴染むとか慣れるのに結構時間を要するが、一度仲良くなれると利害に無関係に助けてくれたりもするのだ。
と、ここまでなら各自の好みで選べば良さそうなんだが…。

真っ先に気を付けたいのは、それでずっと練習してるとどうなってくかだ。
例えばドラムスティックのチップ形状1つとっても、当たる角度で音色が変わらないのだけだとどうなるか。
もし始めて暫くそれしか使わないでいたら、角度で音色を変えられる・変わってしまう事もあるのを知るのが遅くなってしまうだろう。

結局近年のオートマ車のペダル踏み違え事故みたいなもんで、過度な便利や楽は別のリスクを持ってる訳だ。
人のやるのに絶対は無いけれど、最初から下手に完成されたものしか知らずにいるのが不味いんじゃないかと思う今日この頃だ。
車ならエアコンの操作等を覚えるより先に、どうしたら動いて止まるのかの原理的部分にもう少し詳しくなれてたら事故にならなかったかもと思ってしまう。

諸事情絡んでの結果だろうけどオートマ限定免許とかに疑問を感じ始めてて、自動度の高いのだけでは原理を理解し切れて無いのではと勘ぐっている。
今高齢者の
踏み違え事故が目立つのも丁度正反対の原因で、大昔の教習所では恐らくオートマを充分には体験出来てないだろうからね。
マニュアル車だとアクセルだけではあんな猛発進は原理的に不可能で、
踏み違えただけなら大抵は情けなくエンストを起こす。

もしエンストしなくても
マニュアル車は1つのギアが受持てる速度範囲が限られてるから、アクセルを踏み続けても例えば1速だと普通ならせいぜい30~40km/h位迄しか上らない。
それがオートマだと車自体の最高速に到達する迄は、幾らでも速度が上がってしまうんだから。


しかも突然踏むとその直後の反応が違って、マニュアルなら大きな前後衝動が必ず出るがオートマでは最初は滑らかだ。
そして暫く経ってから凄い勢いで加速し出すが、この反応の仕方がもし意に反してたとしても正に「後の祭り」状態なのだ。
だから少なくともオートマはマニュアルより加減が分り難くなったと、言って良いのではないだろうか。

楽器の場合趣味で演る分には不可能が幾らあっても不味くは無いが、だからってホントはどんなもんなのかが分り難くて何処迄楽しめるのかは不透明だ。
安易な楽ってのは裏を返せばどう演ったって同じ音が出るなんてのも内包してるから、それじゃあ「変えられる」のを知る機会を損ねているのだ。

なのでオートマ車でも楽器でも熟知した上で都合に応じて活用するなら良いが、学ぶとか知る段階でそんなのにしか触れられなくなるとしたら不幸だと思うのだ。
正直シビアでも音楽自体に対する才能に個人差はあるが、楽器の種類や奏法を限定しなけりゃ誰でも必ず何かしら少しは得意を持合せているものなのだ。
けれど眠れる才能は目覚めてからじゃないと知り得ないので、最初から楽器に下手に傾向があり過ぎると一生寝かせたままに終るかも知れんのよ。

年々バリエーションは増えても生ピアノ等は他のに比べると、
使われる場がほぼ無制限だからかまだフラットに近い性質を保ってる様に感じている。
突詰めれば向き不向きはあるにせよ、未だ例えばメタル専用ピアノなんて売り文句は目にした試しが無い。
それがエレキや太鼓だとどうだ、寧ろこれさえあれば何でも行けますなんてのはとんと見掛けなくなっちまった。

確かにピアノよりゃ大分後発で、太鼓もドラムセットの姿になったのはJazz以降ではある。
でもエレキやドラムセットだってMetalは愚か、Rockよりずっと前に登場したもの。
寧ろ実際はJazz用楽器の一部を利用してRockを、更にその一部を利用してMetalは始められている。

だから基本的には変な癖付けをされ過ぎてなかったら、Jazz以降のなら即対応出来る筈なのだ。
最近になって漸く知った驚愕の真実体験を、これの参考例として提供しとこう。
それは中学時代FMラジオで知って以来お気に入りになった、今は亡きJazz GuitaristのJoe PassのHang Toughて曲にまつわる話しだ。

俺は長い事興味対象がRock中心だったから、本人健在の内にJazz雑誌を眺める等は殆どしなかった。
曲自体は知ってるのも既にそこそこあったけれど、先ず題名をロクに知らないし人もよくは分からない。
そんな状態ではたまに一寸覗いた処で、サッパリ分からなかったからだ。

全く別件でその頃では特に珍しいプロの使用楽器の本(プロフェッショナルロックマシーン)を買ったら、Rockの人じゃないのに何故か偶然それに載っていた。
小さなモノクロの肖像写真では禿げ頭・口髭・スーツで、フルアコらしき(少ししか見えない)を抱えた姿で典型的な容貌だった。
そこに書かれた使用楽器もそれらしいのだけで、だからお気に入り曲もそんなので演ったてたとずっと思っていた。

極最近になってもう少し知りたくなって、今はWikiもあるからネットで色々調べてみたら…。
この曲が入ってるアルバムSounds Of Synanon自体が、実はとんでもない代物だったのを知らされる。
前述の写真と聴いた感じでリッチで紳士的なJazz屋がと思ってたら、アル中・薬中の更生施設内で結成・録音された物だったのだ。

このレコード(CD)のライナーノーツに小さくモノクロだが現場写真も載っていて、思ってたのとは殆ど全てが正反対であった。
先ずオフステージとは云え格好からして違ってて、ピアノのオッサンなんか半袖のアロハ着て弾いてる。
普通の環境で無かったからか俺が気に入ってた音はフルアコじゃなく、Fender Jazzmasterを弾いてるではないの!。

名前的にはJazz対応ではあるが、ソリッドボディでこれでは彼は未使用だがアーム付きである。
Fenderにしたってこの名付けはJazzでもオーソドックスなのじゃなくて、斬新なアバンギャルドなのを想定してた筈だ。
その当時GibsonやEpiphoneから良いフルアコが既に一杯出てたんだから、こんなのでそのまま対抗しようとは思わなくてご尤もだ。

しかもオマケにこのGuitarは本人の所有じゃなく
施設の「備品」と書かれてて、少なくとも録った時点では単なるリハビリの道具だったみたいなの。
何かに夢中になってる間だけでも、呑んだり・吸ったり・打ったりが遠ざけられそうって事か。
因みに
Joe Passは稼ぎを全て呑み代に注ぎ込んじまって、殆ど無一文で転がり込んだみたいにもWikiに書かれてた。

音色もプレイも典型的な「それらしい」スタイルになってるが、道具や場所がそんなだったとは全くオッタマゲーでありまする。
聴き出してから40年後なので又もやの今更であるが、映像的イメージは見事に完全に覆されましたわ。
それでいて音の印象はちっとも変りゃしなかったんだけど、知らないよりは知れて良かったと思ってるよ。

少なくともフルアコ持ってなくても、練習すりゃJazz演れるのが良く分かったからね。

2019年1月17日 (木)

Hi-HatとそのStand⑱ クラッチと余談 編

今週(昨日)の収穫は、DWのHi-HatクラッチSM379の試奏体験だ。
このクラッチ案件は従兄の太鼓の先生由来で、宅のYAMAHA HS-710を持参した処から本格化した。
最初は彼の教室にある近代スタンドと宅の中古骨董との違いからで、この辺は以前記した通りだ。

その後の研究で彼は海外一流人の使用アイテムの共通項を発見したが、それがクラッチとそのフェルトだったのだ。
彼曰くスタンドは様々だがクラッチはほぼ2種類しか無く、フェルトに至っては上側は大多数が灰色で薄目のばかりだったそうだ。
けれどフェルトなんぞには当然ブランド名や型番等書かれておらず、これの特定が第一関門であった。

こんな場合に時々役立つのが俺様の変な勘で、早々に行き当たり大当たりが偶然出た。
元のお目当ては昔から変わらないYAMAHAの灰色のフェルトで、これは俺所持のの更新用に徒歩5分と至近のカノウプスで買った事があった。
確認の為一応ネットで調べたが、その時半ばついでにカノウプスのオリジナルスタンド用のフェルトが安価で売られてるのを発見した。

買う時不思議に思ったのはホントのバラ売りになってた処で、普通上下に要るから同じ物のならセット販売されてる筈なのである。
それを従兄が見た処「多分コレだよ」となり、確かに最近は灰色ってとても少なくなったしそんな薄いのは調べても他には殆ど見当たらない。
実験結果については概述なので過去記事参照願うが、どうやら単品で欲しがる人が多かったからそうなったらしい。

つまり多くの者が「上側だけ」これを使いたがってるらしく、下は恐らく上記のYAMAHAのを使ってるみたいなのだ。
俺だったらそこで納得して終るんだが、専門家の従兄は続いて「クラッチ怪しい」と拘り続けたのだ。
YAMAHAのクラッチU0631090(安い方)はシャフトに止めるツマミのデザインこそ新型化してるが、それ以外は一点を除き宅のに付いてるのと違いが無い。

その差は宅のは初期型なのでボトムを止めるハンドナットがプラ製で、後期以降現行のはアルミ製って部分だ。
従兄はこれを買って試してGOサインだったが、それでもまだ気になる処が残ってると言った。
それはYAMAHAのクラッチが細目シャフト対応な処で、自社の仕様に従った結果一部他社の太めのには使えないのだ。


前述の如く「スタンドは様々」だと使えないのもある筈で、もしや太軸用代替品がDWのなんじゃと彼は推察したのだ。
それで彼が注文してたのが丁度届いたってんで、早速実験開始したのだった。
結果的に彼の目論見は大当たりだったが、音色等はYAMAHAの方が好みだったって辺りが何とも彼らしいオチ!?か。

体験した限りでは他の近年のより遥かに良好だったが、それでも設計が骨董のYAMAHAのよりは薄手・柔らか目Cymbalへの適応は劣る様だった。
そこで普段は生徒用・俺がお邪魔中は俺様専用!?のドラムセットの方へ装備する次第となり、小一時間位とは云え連続で体験する事が出来た。
因みにこのセットのはHatがZildjan New Beatにしてあって、従兄の先生用のよりは厚手で重さもある。

でインプレとしては付属フェルトのままなら兎に角操縦性が秀逸で、スタンドが俺には若干苦手のTAMA Lever Glideでも楽に思い通りにプレイ出来た。
苦手の理由は踏力が少なくて済む代わりフットボードのストロークが大きいからで、普段俺は踏むというより重さの乗せ加減中心で演ってるからなのだ。
それがこのスタンド+鷹揚反応のYAMAHAのクラッチだとしっかり確実に足を動かさねばならんので、未だ慣れずどうも不足しがちなのだった。

ちょっと面白かったのはDWの付属フェルトは色は灰色なんだが、厚みはあるしかなり硬かった処。
これ迄の体験では硬いのだとCymbalがちゃんと全部鳴った試しが無かったが、これは良い意味で稀少な例外であった。
硬いけれど隙間が空かない位に調整しといてもCymbalの動きは全くスポイルされず、鳴りに貢献してるらしき材質の関係から灰色をしているのかも知れない。

一方我々お気に入りの音の良いカノウプスのはその薄さが災いして、柔らかくても充分動ける様にするには隙間が少し必要だ。
この隙間とフットボードロングストロークスタンドが組み合わさると、かなり精緻な操作が何時も出来てないと意図した状態が得られなくなるのだ。
それがDWのだと一寸でも足が浮けば直ちに緩んでくれるので、ほぼ誰でも手よりは必ず動作が大雑把になる足にはとてもフィットしてたのだ。

この結果を受け従兄の先生は、これを当分は生徒用に確定した模様。
これで普通ならメデタシでさあ次へと行かないのが拘り派!?の従兄で、更にもう1つ別件で悩みがあると言う。
先生用ドラムセットでFloor Tomのエッジ寄りを叩くと雑音が出るんだそうで、協力して調べた処俺的には胴のエッジとヘッド(皮)のエッジ部から発生してるとの診断結果だった。

今彼はかつてない程のローピッチとなってたので、エッジ部形状の不一致を疑ったのだ。
ローピッチ好きの俺にはそれが為、求める処までピッチを下げられなかった
過去経験があったからだ。
ヘッド張力が強ければ半強制的にフィットしてくれるし、摩擦雑音もまず出ない。
だが逆条件の際は形に違いがあると、叩く度に少し擦れ乍らエッジ部が動いてしまうみたいなのだ。

これを彼は最初持っていた「エッジグリース」を試そうかと言ったが、万一シェルに浸み込んで音色が変化してはと危惧し待ったを掛けた。
代案は生徒用にしてるセットに付けてるメーカ違いのヘッドとの挿げ替えで、もしそれで収まる様なら手間だけで済むからね。
これも当りが出てくれたがその他に太鼓のラグの内部からも少し雑音が出てたらしく、こっちは取敢えず諦めろと言っておいた。
少なくともOn Mic収録だったら距離差と指向性のお陰で、気になる程ラグ内部雑音は拾わないので。

それより弥次喜多珍道中みたいになったのは、両方の太鼓の音色が良くなった事だった。
先生用従前はTAMA Art StarへRemo Clear Emperor、生徒用は初期型TAMA ImperialstarへEvans G2 Clearだった。
この
従前状況では俺的には正直Art君の音って値段不相応に安っぽくて、Imperial君は一緒に叩くと埋もれ易いとずっと感じていた。

それがひょんな事で一気に解決しちまって、Art君はちゃんと高級な音にImperial君は埋もれない上良い意味で「普通の音」に変化した。
Imperial君の方は大昔従兄が購入当初に叩いた時の音が蘇り、俺にはとても懐かしかった。
これの原因は今は推察の域を出ないが、ヘッドエッジ部の形状フィットで安定度が上がったせいだと思っている。

太鼓のエッジは音色もだが、何と言っても鳴りに直接影響するからね。
普通は俺もそうだがエッジってば胴の方ばかりに気が行くが、現実には皮の方が原因でも合わなけりゃ同じ事だ。
因みに従兄の先生からのプチ知識で、昔からRemoのは薄いのでも割と硬くEvansのは柔らかいんだそうだ。
そのせいか
Remoのはアタックの明瞭度には優れるそうで、俺得意の逆転発想だと柔軟なEvansはこんな部分でもローピッチに向いてそうだと思った。

2019年1月15日 (火)

PAオペレータも神じゃない②

職種単独で取上げたら神様若しくはみたいなPAオペレータも居るが、音楽全体から俯瞰したらどんなに凄くても一介のスタッフに過ぎんのだ。
楽器じゃないのを駆使してとか歌わなくてもそれに近いのとしたら、強いて云えば近年のDJ辺りか。
昔のラジオのDisc Jockeyと違って主に編曲の部分だけだが、直接音楽を作ってるから。

それだって元ソースの円盤が無けりゃ仕事にならん訳で、ミキサー(音響卓)の操作だけで作れる音楽はほぼ無いに等しい。
奏者だって譜面なりメモ録なり何か無いと弾けないが、一般市民は譜面を読めてもそれだけじゃ頭の中に音は鳴らないのでこの辺を境界線としとこうか。
では神に近いのはってぇと、自作自演の弾き語りの人辺りでは無かろうか。

その人が居ないor演んなきゃその音楽は存在しないのだから、音楽的には天地創造みたいなもんだ。
尤も宗教でもそうだが正しいとか優れてるってのと人気や一般性は別物で、流行り廃りやニーズに左右され不人気な神様だっているわな。
でもだからってどっかの女優さんの失言or曲解みたいにスタッフに価値が無いってんじゃなく、そうだったら一翼を微かにでも担う事もある俺の存在価値も否定される。

要は物には順番があるのを訴えたくて、幾ら頑張っても後ろへ行く程「出来る事」が限られて来るのに気付いて貰いたいのだ。
概述俺過去経験ネタの「一般Live Houseで三味線」の一件も、誰も悪くは無いけれど救いが無いとも言える状況だった。
もし当時店長の従兄の今は太鼓の先生がもう少しMic知識等を持ってたなら、安請け合い紛いには仕事を受けなかっただろうから。

この時の最大案件は実際通り或はそれ以上に「柔らかく集音」出来るMicが無かった処で、俺が急遽呼ばれる迄見落とされていた処だった。
それらしく聴こえるMicが無いと誰がやったって、せいぜい「みたいな」音しか出せっこ無い。
特に当時に於いては先ず前例が見当たらなかったから、どんな慎重派でも店側に準備の発想すら浮かぶ余地が無かった。

そんな中でもし何とか出来るとしたら、自らの楽器に詳しい奏者だけだったと思う。
三味線をLive Houseで聴かせたい本人が少なくとも妥協可能なだけの音が得られるMicを持ち歩けば、何処ででも最低限が保障される訳だ。
プロ相手の一流の現場にしても全てのレアケースには対応し切れなくて当然で、でもレアなだけに誰が頑張るにしたってもし実現出来たらその価値は高い。

もし適正Micの持込みがあってロクな音が出せなかったなら、その時が初めてオペレータの過失なのである。
奏者だからってあらゆる楽器を持ってなくても普通なのと同じで、オペレータだって会場だってあらゆるMicを無制限に用意出来なくても何の不思議も無い。
例えアブノーマルでも面白そうなアイデアの実現には、やはり提案者が一番責任を持つのが実現性が高いのだ。

他人の力を借りるのと頼るのではこう云う処・時に差が現われるが、ホントは不要なのに常時PAなんてのに慣れ過ぎると誰でもやらかしそうだ。
例えばエコーの掛け方1つにしても、Reverbだったらオペレータの方が上手そうだ。
奏者は弾いてる間中ずっと客席には居られないし、その会場自体の響きについてなら「何時も居る人」の方が詳しい。

しかしフレーズの最後の音だけDelayを○回なんてのならもうフレーズの一部とも看做せるから、奏者側が責任を持たないと難しいだろう。
なので音楽の内容に直結してる部分をオペレータに委ねるのは、誰かに急遽飛び入りで弾いて貰うのと同じなのだ。
そしてこれの理解度が高いのは、極力自分達だけで演れる様な人達がそうなれるもんなのだ。

オペレータと意思の疎通を図るのにPA知識は無いよりあった方が助けになるが、オペレータ側にとって最も必要な情報はその人(達)の音楽自体についてだ。
音楽だけに詳しい演者は最初の暫く慣れる迄の間は試行錯誤を要するだろうけど、「PA氏が知りっこない部分」はオペ君に期待しても無駄だからね。

また良い意味でPAに依存しないのはどんな感じかっつうと、例えば分かり易くGuitar SoloだけPAで補ってくれとかだ。
それも曲のココとアソコと等と伝えるんじゃなく、「舞台のココより前へ出て来たら、音出して」等と頼んどくとアテに出来る確率が高い。
これもある程度経験があったら分かるんだが、録音と違ってLiveはリアルタイムで一回こっきり。
PA氏のレベルがどうあれシンプルな程ミスが起こり難いのが確かだし、PA氏はもっと大事な仕事を他に受持っている。

奏者なら弦が切れたとか皮が破れたはある意味自己責任だが、PA機器の何処かの不具合等は
PA氏側の責任負担だ。
つまり音楽は演者のだが単なる「音」については
PA氏の責任で、この部分は特に演ってる最中に起きれば奏者には為す術が無い。
しかも大抵
PA氏はBandメンバーより人数も少ないので、そっちだけは何があっても何とか対応せねばなるまい。

例えば奏者がエキサイトし過ぎてMic位置がズレるとかケーブルが抜け掛るとかは、想定外だったとしても極力助けてあげるべきだ。
先に注意点を伝えといて奏者に悪意が無くても、彼等はそれ以上にパフォーマンス自体を何とかする勤めが課されている。
もしそれが壊す程でないのなら続けさせてあげる為に、力を貸すのも音楽を聴かせる仕事の内だろう。

では敢えて比較の為にもしPAオペレータが神だったらどうなるのかだが、奏者はDJの扱う「円盤」(レコードでもCDでも)と化すのを要求されるだろう。
そうしないとどんなに絶妙にフェーダーを上げ下げしても、想定通りの音が得られなくなるからね。
尤もそうなると奏者のでは無く、PA氏の音楽にしかもうならないけどさ。

結局上手な役割分担が出来てるとPAだって最高の結果へ近付けるが、全体の完全把握には奏者・PAの両方にかなり本格的な経験値を要す。
これは個人の努力だけでは無理で、場を与えられる等の運や縁も要るから誰でもとは行かない。
ではどうするかってば最短コースでは無くなるが、どっちか片方だけでも極力把握し切るのだ。

自分の側で可能なのが分かれば、相手にお願いするのは自動的にそれ以外となる。
これが時に運悪く或は元から不可能な事で無い限り、必然的に頼れる部分である事が大多数となる。
それにどちらでも出来る事が多くなれば一方がミスってもフォローが入り易くなり、そうして気が楽になればミスが出難くなると好循環になるからお得なのよ。

PAは神様じゃない①

従前から不必要な環境下でのPA乱用を戒告して来たが、原理・物理的観点からそのメカニズムを解説して行くぞ。
近年はPAのお陰もあって明瞭度が向上したと誤解してる人が多いが、実は使わない方がもっと好結果が得られたりするものなのでした。

もし演奏会場・環境に対して音量が絶対的に足りない楽器だけを使うならPAは無いと困るけど、多くの場合混在・並立共存させれば欠点の方が出易くなる。
その原因は指向性と混変調歪みが発生する事で、空間が狭い程逃れ様が無くなる。
これは何かを必死に聴き取ろうとしてるすぐ側で、ガタガタ騒音を立てられたら誰でもイラつくのと似ている。

楽器からのとPAからのを
全く完全に同じ音にすれば平気なのではと思うかもだが、それには音源からかなり距離を離せる必要がある。
一見小さくても楽器にもスピーカにも大きさがあり、横にくっ付けて並べても普通はゼロセンチには出来ない。
そうなると真正面以外の場所では音源から耳への距離差等が発生して、色々望まざる現象が起きてしまうのだ。

1.大抵の楽音には指向特性がある
普通のスピーカが一番体験し易そうだが、高音になる程横からだと聴こえなくなる。
電気・電子楽器では必ずスピーカを用いるし、生楽器でもその多くは全方位に一様に音が出てはくれない。
なので楽器と人の「角度」が変われば、必ず違って聴こえる。

これの回避最善策はスピーカ正面の音色に大差が出ぬ範囲で聴く事だが、それには極端に幅が狭く
特に後席は舞台から遥か彼方の会場が必須となる。
当然乍らこんなの非現実的だし後席へ音が到達するのが遅くなり過ぎる副作用もあるから却下だが、だからって単にあちこちから音を鳴らしても別の問題が出るだけだ。

もし補助するなら「足りない分だけ」を鳴らすしか無いが、場所に依る差異の全部は中々カバーし切れないだろう。
普通楽器Ampは奏者より舞台奥に置かれてるが、せめてPAスピーカもそれ位奥へ置けたらベストだ。
少しでも遠ければ
明瞭度は若干落ちても、音の反射作用のお陰であっちへしか行ってない音も聞こえる様になって来るからね。

オーディオ系で広指向性とか無指向性スピーカが売られてるのはこれが原因で、置き場所・聴く場所とも制約がかなり緩和して自由に出来るからだ。
尤も俺的には性能に犠牲が感じられるし、聴き手の居ない場所でも同じような音がしてるのは要注意だ。
例えば部屋に2人居て片方だけが聴きたがってたとしても、聴きたくない人へも同じかそれ以上に音が行ってしまうからね。

これが少なくとも一般的演奏時用のPAには用意されてないが、ハウリング回避が第一原因だ。
その次は楽器至近の奏者には不要で、遠くに居る観客には必要なのが第二原因。
近年は各奏者の足元へもモニタスピーカを配置されるのがデフォだが、それだって奏者とお客さんに必要な音は色々と違う事が多いからね。

2.距離差は到達時間差に時間差は位相差に繋がる
これは当然の結果だが、人にはその時間差が小さければタイミングの違いは感知出来ない。
だがしかし音の出たタイミングは同じと感じられても、「音波の位相差」って問題はそのまま残るのだ。
敢えて完全に同じ音でタイミングだけ違う場合について、これは先ず下図を見て貰おう。

Photo
これは単純化した音波波形のモデルケースだが、最低限音として成立するのは一回づつ上下した分となる。
これが図の赤と水色では丁度半分ズレてるが、この状態が専門的に言われる「逆相」と呼ばれるのの一例だ。
赤が下へ振れてる時水色は真逆に上へ振れてるが、上下反対に引っ張り合えばそのエネルギーは相殺される。
つまり理論的のみなら、音は聴こえなくなる。

現実的にはどんなに聴感上一致させても完全同一は先ずあり得ないので聴こえなく迄はならないが、逆相になってるのだけ小音量化する等は頻繁に起きている。
ここで何故「だけ」って言うかってば、殆どの楽音には音程は1つでも倍音等様々な周波数が含まれてるからだ。
なので音色が違って聴こえるか、運悪く基音が逆相となってれば音程だけ妙に聴き取り難くなったり等となる。

これの回避策は音を出す場所を極力減らすのと、音源と聴者耳の角度を狭く保つ事が要る。
だがこれも前掲と同様非現実的なので、簡単なのは音の出所を一点に絞るのが効果的だろう。
補助の場合も1.と同様で、誰にでも出来るのはやはり「一点絞り」だ。

3.混変調歪み
一言で表せば
「混ざる事で生じる濁り」であるが、そもそも上記の如く単体楽音自体でも複数周波数の音が含まれてれば最初から入ってはいる。
この歪みの特徴は源音と無関係な周波数になる処で、それが感覚的には主に不要な「音の濁り」となるのだ。
なので明瞭度の低下や聴き取りの悪化に直結するし、程度によっては不快感の源泉ともなっている。

たった1つの楽音にでも大抵は「
最初から入っている」が、ある意味奏者が「良い音色」に調整した時に歪みは最小に近くなっている筈だ。
一切の邪魔が入らなくても酷い音色ってのは魅力が無い他に、こんな要素でも不適切で劣っているから感じられるものなのだ。
音楽は音色だけで成立しては居ないが、先ず「聴いて貰う」には大切な要素なのでマトモな奏者なら大変な労力を掛けてる事だろう。

それですら合奏すれば混変調歪みは更に増えるのを避けられぬが、余りに不快なら大抵は「音色が合って無い」と感じて修正へ向かう。
人の感覚頼りではあるがそうしてなるべく良いコンビネーションとしたのが、理想に近いアンサンブルサウンドってもんだ。

この状態は半ば必然的に不要成分である混変調歪みも少な目となっていて、奏者集団からしたら苦労して漸く獲得できた「低歪み率」である。
ここ迄はどうしても必要なので省けないが音を混ぜると起こる歪みだから、そうなるともうこれ以上は一切音の数や出る場所は増やしたくない処だ。

ここから共通事項になるが、敢えてPAが「上手く行ってない」原因を挙げて行くとしよう。
近年の状況では腕に自信が無い人程PAに頼りたくなるだろうが、実はそんな場合こそPAはマイナス作用を強めてしまうのだ。
どんな凄腕PAオペレータでも初対面では高くない限界があるんだが、「知らなければ最善が尽せない」からなのだ。

特にそれが露呈するのは音が変わった時等に、それの奏者意思の認否が分からないからだ。
わざと演ったんなら弄っちゃいかんが失敗だったら助けなきゃって、どっちかハッキリ分からないと無難な操作しか出来ないのだ。
なので先ず「知らない」ので苦しめられるが、その上支離滅裂で不安定だともうお手上げで為すすべが無い。

こんな場合はオペレータの腕よりも常時帯同の専属であるかが物を言い、例えば「ウチのGuitaristは花粉症でクシャミするとその後必ず音が小さくなる」なんて位熟知してたら補い様も出て来るってもんだ。
もし大音量楽器迄PA常用を前提とするなら、PAオペレータもBandメンバーとして普段からやってればなのである。

<つづく>

2019年1月13日 (日)

整流管式真空管Guitar Amp継続使用体験談Ⅱ

今回はBassでどの程度使えたか等を補足してくが、毎度の変な言い回しだが「ホンマもんを知らなけりゃ全然OK」となる。
実際に正確に違いを認識したのは極最近で、今よりナローレンジでも太く低音が豊かな音色にちょっと興味を抱いたからだった。

約30年前に例によってレンタル屋流れ中古のベーアンを購入する迄、録音で使ってても誰からも文句は来なかった。
前回記した如く大したパワーが無いのに図体がデカいから、或は黙ってればBass用と思われてた節すらある。

最近改めてテストしたのはスピーカユニットサイズが原因で、過去に主流だったFender Bassmanのが15じゃなく12inchだったから。
宅の現行ベーアンは概述のMusicman HD130だが、下が115RH×2なのを書き漏らしてたね。(つまり15inch=38cm)

代用Fenderだとローエンドは俺の好みには少し物足りなかったが、太さやまとまり感では予想通りだった。

ホントはベーアンだってフルチューブが欲しかったが、スピーカキャビのサイズと重量が問題であった。
当時の中古市場では一塊になってて独りで運び辛いのしか無く、出力的に価格だって跳ね上がるからもうこれで限界だった。
何しろ従前のBandmaster Revebで散々苦労してたし…。

更に極最近今度は逆のテスト、つまりGuitarをそれぞれで鳴らす機会を持った。
実は過去にも何度かMusicmanをGuitar録音に使ったが、その時の狙いは’70年代後半のEric Claptonっぽい音色ニーズだった。
今回のは概述従兄依頼のJeff Beckだったが、俺的に彼のは球丸出しサウンドじゃないのとある程度高ゲインが欲しかったからだった。

だがGuitarがStratの指弾きだと、低音過多となったので不採用とした。
これには他にも訳アリで以前片方はオリジナルのElectroVoiceだったが、もう一方が杜撰修理されたかGuyatoneのユニットとなっていた。
これを漸く数年前に交換したが本物が割高過ぎだった等で、色々代替品を模索してPeaveyのBlack Widowに換装していた。

元の状態が俺には高域余り・超低域不足と感じてたからで、この点は想定通りに解消された。
けれども低音の量が多めのGuitarだと以前よりそれがちゃんと出てしまい、所望によっては適合しなくなった様だ。
なのでJohnny Winterの真似事をするにも、多分別のスピーカへ繋ぎ替えるかEffector(グライコとか)追加等しないと無理だろう。

只これだって本家が録音でも常にMusicmanを使ってはいなそうだから、変に拘るのはよした方が賢明っぽい。
またニーズにも依るが宅のに限らずある意味原形的Fenderの弱点は、そのままだと不要高域のみを削るのがAmp側では出来ない処だろう。

けれども出たのを削るのは後からでも可能だが、出て無いのを後から増やすのは無理だ。
それを考えると絶対要らんって人以外には、出せる物の方がマシだと思った。
今となっては不親切でも変な風に
勝手に削られるのよりは、ワイドレンジなのの方がまだ使い手があるだろう。

ではBass用
MusicmanでGuitar時の超高域はと云うと、スピーカの相違もあるがFenderよりは元から若干控え目だった様だ。
だが整流管が無い上プリ部がICなので、量的には少なくてもやはりアタック音は当然キツくなる。
感覚的に高域より中域が目立つ様なマイルドな音色ならまだしも、ブライトな音色で鳴らすには音量が倍なのもあって相当な忍耐力が要求される。

Bassにしても長い間低域をちゃんと拾えるMicが不所持だったのもあって、特定ニーズが無ければLine録りがデフォになっている。
その特定ニーズはアーシーな深み
目的が殆どなので、整流管レスのアタック音のキツさが許容範囲に収まってる感じだ。

今俺は変な宗教の怪しい勧誘みたく整流管を連呼してるが、ここ迄気にし出したのは実は結構最近になってからだ。
宅で録音をデジタル化したのは’90年代だったが、当時一般再生はまだカセット等アナログ系の方が主体であった。
これも例の如くそれ迄の8trオープン用のテープの、入手難と価格高騰による措置だった。

それでも何処かにアナログが入れば嫌でも少しはボケるので、そのせいか今程はこの件が気にならなかったらしい。
それから10年も経つと流石に再生も皆デジタルとなって、本来なら作ったままを届けられる世相となった。
処がこれと並行して新鮮味を求めたかデジタルを誇示するかの如く、スピーカを中心に硬過ぎても明瞭度最優先が流行って来た。

宅にその手の新しいスピーカの無いのが悪いのかもだが、こうなって来ると作り手の意思より聴き手は硬くなったのを耳にしてしまう。
折角劣化や余計な変貌が回避可能となったのに、これじゃあこっちにとっちゃ本末転倒だ。
こっちが音響機器の硬過ぎを避けるのには出した音の正確な確認と爆音対策もあるから、経済面以外でもおいそれとは変更出来ない。

これが高じて「絶対意図より硬くならない」を気にせざるを得なくなり、その内の1つの対策として整流管案件が浮上したのである。
個人の好みには自分もされたくないので干渉しないが、誰にでも共通な案件があるのも忘れて貰っちゃ困りまする。

新しいものを求めるのは自然の成り行きだし必要だが、それを「何処に」求めるかを勘違いしてる者が近年増えた気がする。
普及・一般化は後年とは云え、所詮電気楽器なんて1930頃からあった物。
根本レベルで新しさが欲しいなら、今更こんな楽器にしがみついてるのがそもそもの間違いなのよ。

先週になって従兄の太鼓の先生が時期を超えてドラムの世界標準ったら、やっぱLudwigしか思い当たらんわとほざきやがった。
何十年も前からずっと俺は言ってたのに、ちゃんとは聴く耳を持ってくれなかったんでしょうよ。
は置いといて、太鼓だってもう生じゃなく電子ドラム中心位にしなきゃ古臭くったってそりゃ当り前だ。

楽器も物に依ってはどんどん衰退したり消えたりしたのもあろうが、ViolinやPiano等今でも残ってるね。
古いのに興味が湧いたって罪は無いし、新旧両者が共存してこそ双方の価値も上がるもの。
だったら余計な処を改悪したら駄目じゃねで、少なくとも知識レベルだけは維持して行けないと魅力を減らしちまうんじゃと思うのだ。

整流管式真空管Guitar Amp継続使用体験談

人は時に自慢したくなったりもするが、これには本当にそんな意図は無い単なる体験談です。(自慢したい時はハッキリ宣言します)
俺の経済事情等から迷っては妥協しを延々繰り返す内、中古購入からとうとう40年近く経ってしまったのであった。

事の始まりは高校時代で、その時点ではAmpは今は無きELK Be-25(当然石😢)なるBass用しか持ってなかった。
これが壊れてしまったがメーカが無くなって正規修理が出来ないし、当時は試しに挑戦するもまだ自前で直せるスキルが足りず中断を余儀無くされた。

しかし既にGuitar・Bassの二刀流でBandを3つも掛け持ちしてたから、その内なんて呑気にしてる猶予は無い。
Guitarの概述球オープンテレコ代用もそのまま続けて壊すのもおっかないので、意を決してマトモなのを探し始めたのだった。

先ず考えたのは石か球かでそれ迄の経験で石のは飛ばしたが、球のは平気だったので少なくとも俺でも壊さなさそうな球のを選ぶとした。
けれど球のの方が高価で2台は買えないから、万一手持ちの修理が出来た場合を含めGuitar用を主眼にする事とした。
但し個人的趣味とBassも練習位には使える様に、これも価格等に不利だがスピーカキャビネットが別になってる低音の出易い密閉式のとした。

暫く貯金し乍ら探し続けてたら当時頼っていたサウンドライクって楽器屋で、レンタル屋流れの中古品と遭遇した。
それが未だ常用中のFender Bandmaster Reverb(’70前後)で10万円弱だったのでとても躊躇したが、馴染みのよしみでサービスすると言われて話に乗ったのであった。

その内容は魔改造のせいで売れ残ってたFender Mustang(’78)とセットで10万5千円で良いよで、Ampは無理でもGuitarの修理は少しはもう出来てたので踏み出したのだった。
その当時どんな状態であろうと弾けるUSA Fenderを、
10万以下ってのは滅多に無い話しだった。

尤もJapanはまだ無かったしあってもUSAみたいな底力が無いので、今も興味は持てずにいる。
このMustangの状態は塗装剥かれ・ボディ打痕・PUがBill Lawrence L-250の1つだけとなってたが、俺に楽器は道具なので見栄えは全く気にならなかった。
綺麗なのでもどうせガンガン使ってとっとと傷だらけにしそうだし、弾くの自体には何の支障も無かった。

程無く
L-250もう1個とプラ板を買って来てピックガードを自作し、結果的に当時のCharが使い始めたのと内容は近似な状態となった。
それから20年程経過して無塗装で木部に汚れが染着くのが気になり出したのもあって、只のクリアラッカーを薄目にしたのをしぶとくしつこく重ね塗りした。
下地処理等も含めるとこれに総計1ヶ月程ほぼ毎日少しづつ費やしたが、無駄無し安上がりで塗装自体は今も健在だ。

普通ならスプレー塗りする処だがロスも多いし高く付くし、それ用の部屋等が無いと風雨があれば作業が出来ない。
ペンキは薄ければ刷毛塗りしても乾く迄に勝手に平らになる性質があるので、それを試してみたのだった。
その後やはり修理歴アリ中古のGibson SGを6万弱で買ったが、今でもこの2本を常用してるのでコスパには大いなる自信がある。(ココだけ大自慢!)

遅ればせで漸くAmpのその後であるがそれなりに弄ったりもしはしたが、結局は大した改造もせず部品交換すらほぼ皆無である。
流石にハンダのひび割れや劣化だけは適宣修理をしてはいるが、色々持って行ったり酷使した割には使用に支障が出た試しがまだ無い。

冒頭に記した「
迷っては妥協し」の最初は、ガタイのデカさ・重さに対する最大出力の懸念だった。
未だ正確な資料にお目に掛らないが、何故か世間で公表されてるのよりどうもSPキャビが大きいのだ。(ファクトリーオリジナルなのは確かだが…)
12inch×2しか入って無いのに15が楽に入れられる程で、約45kgの重量もだが取り回しの悪さと来たら余程根性を入れないと手に負えない。

当時の俺知識ではこのクラスは50Wは出せると思ってたが、件の「整流管仕様」のせいで45W止まり。
しかもかなり後年になって昇圧トランスを用いる迄は、これも昔に概述したが凡そ33Wしか出せて無かったと。
実際には過去のLive時にパワー不足で困りはしなかったけれど、結構ギリギリで余裕は無くて危ない処だった。

何故そんな出力で聴こえたかがちゃんと分かったのはずっと後になってからだが、経緯不明だがメーカ出荷時から超高能率のCerwin Vegaが載せられていたお陰の様だ。
因みにこれも概述だがBeatlesがVOX AC-30でも平気だったのも、載ってた有名なBlue Alnicoスピーカが超高能率だったからだ。

尤もそんな本邦ではほぼ無名且つ凡例の見当たらぬ組合せなので、どれ位Old Fenderサウンドなのかは不明なままだ。
このOldだって勝手に時間が経っちゃったからに過ぎず、当の本人は安さの為の中古であってVintageなんて発想は微塵も無かった。

他はサッパリでもこの辺りだけ強運だったかどうかまだ良くは分からないが、少なくとも他所やレンタルで補い難いのが手元にあるのは幸運かも知れぬ。
正規の電圧117Vでの駆動とホントのOverdriveをさせられる様な環境にするのにも時間が掛ったので、真価を知るのに30年も費やしてしまっている。

強いて勝因!?を上げるとすれば当時でも地味でマイナーな存在だったが、一応「業務用」ってのに拘ったのが良かった気はしている。
個人差千差万別だけれど長持ちとか確実性を気にするなら、やはり業務用であるか無いかには違いがある様だ。

余程安定した評価が継続してない限り、その時人気でも時がたって壊れでもすれば売るにも二束三文となり兼ねない。
面白味には欠けても使うにも売るにも、掛けた費用を無駄にしたく無ければこの手の発想はお勧めだ。

神経質な人にはこんな長期に渡っての部品交換レスは、問題視されそうではある。
しかし頑張れば60~70W絞り出せる出力管が45Wで使われてたり、Headのケースが100Wクラスのと同サイズになってるのも余裕に貢献してるのは間違いの無い処。

その他に個人でケアしてるのは冷却で、PC用の静音ファンを後付けしている。
本国より狭く蒸し暑い環境下なのと、個人経験からの電子機器の寿命≒放熱って知見からの処置だ。
俺知り過去の著名プロの多くがこれを実施してて、どうも電気屋と楽器屋の距離は何時まで経っても離れたままと伺える。

最近になる程従兄の太鼓の先生が憤慨してる「海外事情に益々疎くなる本邦」じゃないが、或は本国ではこんなのは誰でも知ってるのかも知れぬ。
余りにも原始的で簡単過ぎるので大して語られてない可能性もあり、通常時なら人も機械も少しでも楽をして悪い筈は無いからねぇ。
但しそれがサボる為では無く、他へもっと注力可能となれる為のではあるが。

2019年1月12日 (土)

電気楽器Ampの整流管とは 編

一口に電気楽器用の真空管Ampと言っても様々な回路方式があるが、今回は「整流管」に焦点を当てて行こう。
整流管とは真空管式のダイオードの事で、このダイオードとは交流から直流を生み出すデバイスだ。
本件で使われるのはAmpの電源部で、電灯線のAC100V(交流)からAmp回路を作動させるのに必要なDC(直流)を得る為だ。

’70年代以降は半導体の発達で趣味性の高い用途以外には使われなくなったが、コスト・サイズ・耐衝撃性等がその理由だ。
電気物理的性能でも石系(例えばシリコンダイオード)の方が高性能ではあるが、実は音関連機器に用いる場合は若干の欠点も持っている。
ここから少しコアヲタ化するので、興味の無い方は斜め読み願います。

Photo
上図が原理説明だが左の赤い波が元の交流で、右の水色が整流して取り出された直流だ。
普通直流と言われたら電池の出す電気みたいに連続で流れる電流を思い浮かべるだろうけど、途切れ途切れになってても±の極性が片方しか無いからこれでも立派な直流なのだ。

だがこんな電源電流をそのまま使ったら機器動作もブツ切りになって困るから、実際には連続且つ極力一定電圧になる様に
回路が追加されている。
更に整流の仕方にも種類があってほぼ連続させられるのもあるが、用いる素子が球でも石のでも0V近辺では動かない性質がある。
故に所謂整流回路のみでは、絶対に出力電流は「点線」状態となってしまうのだ。

電気的に正常動作範囲しか使わぬ一般オーディオ系だったら、これからの問題が出ない様に設計に余裕を持たせれば平気だ。
それでもコアなオーディオマニア達はかなり気にしたりしてて、これはデジタルだろうとアナログだろうと動かす源なだけに避けられない問題だ。
それが楽器Ampに最適な古典的回路となると、妙な表現だが「不完全じゃないとイケない」ので影響が大き目に出てしまうのだ。

Amp歪ませ音色を得る為にOverdriveさせても壊れたら困るとなると、場所に依っては敢えて余裕が無い若しくは意図的に足りなく作って置かなくてはならなくなる。
例えば電源がもし無尽蔵だったら、真空管や出力トランスを過大電流で壊してしまうからだ。
よって安全域はどんな無茶しても壊す程電気が流れなきゃ良い訳で、例え音は滅茶苦茶になっても供給限界を持たせる事で機器自体は保護されるのである。

しかしって事は楽器Ampのは貧相な回路にせざるを得ないので、用いた整流素子の欠点を排除し切るのが困難になって来るのだ。
現実的には管球式楽器Ampでも出音が途切れたりはしない様になってるが、

Overdriveさせた時にはこれが強く露呈して音色差が出て来る。
この後辺りからは電気に興味が無くても必読になるが、歪ませた音色のアタック音には露骨な差がある。

具体的には石のだとウルサさ或は無用な刺激が加わり、整流管仕様のだとそれが無く滑らかだ。
個人の好みやニーズ次第ではあるが録音のデジタル化で、昔よりそのままが拾えて音がボケ難くなってる今こそ一考の価値も高まったと考えている。
近年の
MESA/BOOGIE Rectifierシリーズが高価になっても、その名の如くわざわざ古臭い整流管仕様としてるのもこれが理由だ。

デジタルだって録音されたのを小音量再生する分にはそんなに気にならないだろうが、特にFeedback奏法等の都合もあっての爆音奏者には下手すりゃ難聴になるかどうか位の違いがある音色差なのだ。
一言でやかましいとかけたたましいっつっても、その中にだって気持ち良いのと悪い或は只辛いのの両方がある。
エレキ歪ませサウンドを使用するのも
特定ニーズ以外では、迫力等以外にも「使える」とか「美しさ」があるからだった筈だ。

この辺でまとめてみると整流管仕様では
①音色の柔らかさとナチュラルさがある
②球が1つ増えるせいでサイズ・重量・消費電力等は増えてしまう
③価格がその分上るのと選べるモデルが少ない
④管球式でも整流部が石のの方が大出力を得やすい
等、音楽・楽器的には良いが弱点もある。

先ずは機会があったら一度その音を体験してみるのがお勧めで、要るか要らんかはそれから決めると良いだろう。
その機会自体がちょっと難しそうではあるが、例え整流管無しのでもマトモな音のAmpだったらどれだってそんなにリーズナブルでは無いだろう。
うっかり使えん物に先に出費して買換えを迫られても、予算が減ってるだけなのをお忘れ無くだ。

因みに現代では様々な高度なシミュレーション機器やアプリ等で近似効果は得られるが、少なくとも眼前で吠えるAmpからの音色は全く別物にしかならない。
しかもこれら代用品は利便性には優れるが、良いのになればなる程ちっともお安くはなくなる。
そして最大の差は奏者が音色差から受ける影響で、こればっかりは無意識なだけに制御しようとしても大変そうな処だ。

2019年1月10日 (木)

エレキGuitarの歪み➄ Amp歪ませでの音色調節編

前回の続補足編だが、最初は少し珍しく感じられた参考例を提示しよう。
それはVan HalenがEddie呼びになってからの事だが、彼使用のスピーカユニットの仕様が変態的だった件だ。
普通Guitar Amp用のは周波数特性が80~8kHz位が多いが、何と50~4kHzと随分「下寄り」だったのである。
現行どうしてるかは知らんが元はスライダック昇圧はしてても、Amp・SPキャビはMarshallの大凡ノーマルだった筈だ。

この時期少なくとも対外的には
MarshallからPeaveyへ移行したが、俺的にはそこに原因アリと見ている。
Ampの英米個性傾向差は前回述べたが、更に各国の中でもまたタイプが別れている。(た!?)
丁度オーディオ系スピーカメーカと似ていて、例えばかつてJBLは「ドンシャリ」でElectroVoiceやAltec Lancingは「滑らか」みたいな棲み分けだ。

折角のついでなんで久々で脱線させるが、上記は簡単に云えば前者ワイドレンジ・後者は一番目立つ中域のナチュラルさに拘ったって感じだった。
尤も当初は人の可聴帯域をロクにカバー出来て無かったせいか、兎に角重低音や超高音が聴こえる方が流行って人耳感覚的に優れた音色の方が廃れてしまったのは惜しかった。

欧州系ではドイツを除き感性最優先であったがTANNOYは低音の柔らかさからの目立ち難さ、他は物理性能面(特に能率や耐入力)が災いして随分廃れた様だ。
その中で近年ほぼ唯一の例外となったのが、楽器用特化へシフトしたCeletion位だろう。
元は売れなくなって開発費が賄えなくなってたのを逆手に取ったものだが、お陰で昔評判だったのを
割とそのまま残せている

一部弱小系ではコアなのが生き残ったり復活したりもしてるが、近年米で似た立ち位置に居るのがEminence辺りだろう。
楽器用だって新しくて悪くは無いんだが、どうも音色的に古めの素材の方が向いてる様なのだ。
だが原料価格は世相とニーズ等で左右される都合もあって、大手量産メーカではこれが扱い辛くなってしまった模様。
儲けの少ないのへ開発費は回せんよで、スピーカ屋以外で頑張ってるのが前出Peavey位が現況らしい。

そろそろ戻るが米の楽器AmpメーカではFender系がワイドレンジ・PeaveyやAmpegがナチュラル系となってるが、こっちも
御多分に漏れずオーディオスピーカのと似た状況に陥った。
本邦ではバブルの影響でBass AmpのSVTだけは妙に流行ったが、それ以外の
Ampegの名機は消えたか変貌しちまって久しい。
尤も本家たる
Fenderだってかなりの迷走・変貌があったりしてるけど…。

この点で異質なのが
元から第3勢力!?だったPeaveyで、昔からしょっちゅうモデルチェンジしてるけど音は大して変わんないじゃんってヤツだ。
本体側メーカならまるでRickenbackerみたいな立ち位置で、ある意味個性と本質を維持し続けてるとも看做せる。
けれど音色の「暖かさ」は近くても
Marshallより再生レンジはとてもワイドで、やはり英米差は歴然たるものがある。

Peaveyは最初に支持されたのがSouthernRock系だったのもあって、元のはそこそこ歪ませられるが決して歪ませ至上主義ではなかった。
それでか
Eddie君好みに深く歪ませると高域過多になるがAmpの方は極端に弄らず、スピーカの方で好みへ持って行こうとしたらしい。
要するにAmp Headででは深く歪ませ、スピーカユニットで再生音域制御と分業させてる訳だ。

電気的に並の真空管回路だけで一定から上の音域を急激に削るのは困難で、Head側だけだと少し出過ぎを我慢するか足りないのを妥協するしかない。
もし
ハーモニクス(倍音)演奏を多用しないなら平気だが、彼の場合はそれでは見事に支障しちゃうもんね。
対してスピーカは「出す」方は一苦労だが、「削る」のは簡単なのだ。

他にももう1つこれか否かで差が出るのが、低音の「質」みたいな処だ。
楽器で真空管となれば例え生音でも、オーディオ的には殆ど必ず「歪んでいる」状態だ。
これで電気的に低音を増そうとすれば、汚くなるし明瞭度を著しく損ねてしまうだけなのだ。
しかも「低音よ、お前はもう歪んでいる」であるから、音量的に増やすのだって殆どもう無理だ。

HIWATTにGuitar・Bass用の区別が無いのなんかがこれの典型例で、昔の業務用のだとそれに近い仕様の方が普通な位だった。
現に宅のこれもレンタル業者のお下がりのMusicman HD130は最初からBass用で売られてたが、2ch仕様のnormalとBassの「
normal」はTone回路が全然Bass用では無い。
寧ろ近年のの方が専用設計度が高く、応用が効かなくなって久しい。

今では音量の場所への適応性の為Amp歪ませが特にLiveでは稀有な様だが、メーカにしても昔の方が基本的性質を分かってた気がしてならない。
これも概説だが人耳同音量でも音程次第で、電気的音量はOctave下がると倍になる。
故に余程出力容量に余裕が無い限り、Amp Headで低音を出そうとするのは非合理になるのだ。

尤もGuitarのAmp歪ませでは逆に如何に余計な低域を削るかが肝であるが、Johnny Winterのセッティングも又一見極端だった。
彼は
Marshallだって使ってたが最もデフォだったのは、Musicman 410-130HD+Gibson Firebirdの組合せだろう。
Guitar PUはFrontが主で本体Toneは適宣絞り、AmpのToneは今回の俺同様Trebleだけ10で他は0だったそうだ。

今回自ら体験する迄は流石にそれは都市伝説だろうとずっと思ってたが、期せずして必要性に迫られ認めざるを得なくなってしまった。
まったく生音時と深歪ませでは同じAmpでも随分豹変するもんで、Bassの時は低音がもっと出せたら面白いのに厄介な話しではある。

過去のBass Ampの名機代表としては球ならFender BassmanやAmpeg SVT等、敢えて取り上げる石のならAccoustic辺りか。
前者は兎に角スピーカユニット数が他より多いのが特徴で、音響物理学的には振動板の面積の広さが低音再生量に直結している。

当初は偶然だっとしても
MarshallがGuitar用でもこれが4~8コで標準が続いてるのも、スピーカで低音を稼ぐ意図が汲み取れる。
その分「頭」は思い切って高音専用に持って行けるから、深歪ませに適している訳だ。

因みに
Ampeg SVTで10inch(25cm)なのは高域も出したかったからで、開発当時低音が出せる大きいのは高域が出せるのが無かったからだ。
実際Bassmanで一番人気(ベーシストに)なのは100Wクラスで
1箱に12inch(30cm)×4ので、低音のリッチさは見事だが現代で云う高域は全く出せない。
楽器本体がFender系みたいに高域豊富なら結構だが、そうでないのだったら昔の音色でも困る場合がありそうな程度だ。

今だってSubwoofer用のユニットは低域再生限界を低くすると、超高耐入力は可能でも低能率のしか作れていない。
SVTが1箱に8コなのは能率以上に耐入力の都合からで、かつては小口径で大入力ってのが難しかったせいだ。
あたかもまるで昭和の日本の人海戦術みたいになってるが、ここ迄大量で箱も巨大なら前出
音響物理学理論で低音も大幅増大って寸法になっている。

敢えて取り上げの石のについても出力・キャビサイズとも巨大で、ユニットは最大でも4コだが箱自体は結局Ampeg並大きさとなっていたからだ。
バスドラムでは大小があるにしてもその差が、例えば26と18でも2倍迄は行っていない。
それもあるので音域よりも最大音量の差が大きくなるが、こう云う例外以外は基本低音を出したきゃ「デカくしろ」しかないのだ。

エレキGuitarの歪み④ Ampで何処迄歪ませられるか!?編

本業多忙で暫く間が明いちまったが、そこからのフィードバックよりの再認識を記して行きたい。
昨年暮れに従兄の太鼓の先生がツーバス習熟を主眼に、彼の作りかけメロを基にGuitar・Bass等のオケ製作依頼を受けていた。
これの方向性イメージがJeff Beckだってんで、それっぽい音色(歪み)を得る等で執筆出来なかったのだ。

過去経験から最初はそれっぽくし易い古いDistortionの利用を考えたが、電池切れ対処と用いるGuitar本体が別物になった都合で小休止となった。
かつてSingle Coil PUのはMustangしか無かったが、今は正体不明の偽物でもStratcasterがある。
幾らFenderでも
MustangではリアPUの音がStratより硬くなるので、今回の目的には不適かもと考えたからだ。

両者は使い方次第でかなり似た音にはなるが、弦長等の相違で低域音量の差は結構ある。
俺体験の分析では
Jeff Beck的歪みにするには、下をそこそこ出さないとそれらしくならない。
かと言って多過ぎると只のFuzzぽくなっちまうだけで、意外と量の加減が微妙だ。

また正確な時期は不把握だが
Beckの音色の特徴には「弾き方」の影響も大きいと思ってて、ピックじゃなく指で弾くせいってのがとても気になっていた。
英国人なので威勢の良いアメリカンよりゃ何処となく歪みのHi End領域が上品だが、聴こえた印象よりは結構えげつなく出してるみたいだ。
しかし指弾きのせいでアタック音はそんなに尖ってなくて、全体としてはシャープなイメージだが典型的な
Single Coil PUの音色よりはキツくない。

割と近年になってからMarshall Tucker BandのToy Caldwellの「親指だけ弾き」等を俺的再評価してるが、彼の歪ませ方は上記米の典型なのに太さと重さの印象が真っ先に来る。
他では’90年代のLynyrd SkynyrdのGary Rossingtonの音色が近いが、
こっちはピック弾きメインだが少し籠った感じに聴こえなくもない。
この様に弾き方でも歪みがかなり変わってしまうのを再認識したので、今回はStratで指でを優先させたら過去の手段が無効になっちまった訳だ。

そこで先ずは基本であるAmp中心で何処迄行けるか試す事とし、個人的には嫌いなGuitar本体のToneツマミも適宣絞ってみた。
処で何故これを嫌ってるかだが、「削ってから増やす」とするとAmpの雑音等を増幅するだけだからだ。
なるべく「最後に削る」様にすればその分Ampのホワイトノイズを減らせるからで、俺普段は太さが欲しければハムバッキングの載ってるGibson系を使えば良しとなっている。

但しこれは歪みの
Hi End領域が減るので、例えば弾き方は上品だが歪みは下品にってな場合は不適合だ。
多分普段の俺のスタイルが、ワイルドに弾くがその割に音色はマイルドなのが好都合だったんだろう。
けれども今回のはそうは行かず、Guitarの出音はマイルドで歪みはワイルドが欲しいと何時もの真逆だ。

また多少Feedbackが掛る位に歪ませたいが、宅の中古AmpだけではGuitarがノーマル出力のStratではやはりゲインが足りなかった。
100W・4スピーカユニットのなら未だしも、宅のは45W・2スピーカだから弦を揺さぶる力が足りない。
そこで急遽思い出した過去自作のBoosterでゲイン稼ぎをするとして、本題の音色調整へ進めて行った。

前出英米音色比較論の如く英はナロー・米はワイドレンジな傾向がある様で、Gary Mooreに至ってはもう殆どMid Highだけみたいな音だ。
尤も聴く分に何の問題も無く寧ろ美しい位だが、その方法は未研究で不明だがかなり大変そうだ。
音の特定帯域だけを極端にブーストしなきゃなら無さそうだからで、高域限界を下げるのに割と近年じゃないと実現が難しそうだ。

Beckではそこ迄じゃないが音色について強いて云うと、Guitarは少しナロー・Ampはワイド設定が望ましい様だ。
そこで
GuitarのToneツマミ絞り+Amp普通からやってみたが、Boosterでゲイン稼ぎをして行くとどんどん中低音過剰になってった。
宅Ampはワイド系の昔のFenderなので、普段でも歪ませる時はその分BassとMiddleのツマミは適宣絞っている。

それがとうとうTrebleだけ10で
BassとMiddleは0迄行ってしまったが、出来上がった音はちっともカリカリでは無かった。
自作Boosterもちょっと変わってて単なるパワーのの他にTreble Boosterが直列にしてあって、こっちでも低域は減らしてるのにだ。
寧ろそれで漸く音色のメタボを回避出来た位で、もしこれ以上必要だったら無理な結構際どい領域だった。

予め歪ませる想定がなされた設計のAmpならこんなのは起きなさそうだが、それだと今度は軽歪み時に中低域不足を個人的に感じた事もあった。
これの対策で複数チャンネルを持つのも現れたんだろうが、どうも生音(聴感上無歪)のクウォリティが軽視され過ぎてる様にも感じられる。
Ampのレンジがナローだと幾らEffectorで増やしてもお取り扱い出来ませんとなるのを考えると、後から足すより削れる方が自由度が高いと感じた。

また近年Ampの大多数は歪ませがプリ段主体で、それより古典的なOverdriveさせるのの方がフィードバック奏法のコントロールがし易く感じられた。
これは
音量設定の自由は奪われる代わりパワー段が歪んでいれば最大音量の変動が少なくなるのと、多くの場合に奏法上不要な超高域が減るせいだ。
今回の結果も踏まえるとAmpで何処迄歪ませられるかは、条件付き無制限と言えそうだ。

この条件とは中域から高域にかけてのゲインだけを必要なだけ上げられるかで、これ自体は近年の多チャンネルのでも変わりは無い。
1つのチャンネルで扱える歪ませ度には限りがあるし、音色にも適正範囲があるからだ。
それと上記パワー段の歪ませをさせるには、結局音量的使い易さは犠牲にせざるを得なくなる。

そう考えると少なくとも録音やホームStudioでだったら、「何も付いて無いAmp」でも事足りそうだ。
敢えて加えるなら電源にも整流管が使われてるかどうかで、付いてるのだと特に歪ませたり硬い音色の場合にアタック音の不自然なトゲを退治してくれる。
個人の好みにも依るけれどこれには少々稀少性があって、石のAmpや球でもEffectorではほぼ得られぬ効果なのを追記しておこう。

<つづく>

2019年1月 3日 (木)

真実の音質とは⑱ 電気楽器Amp 回路編

更に一見ヲタ度アップな感じですが、今回は主に物的証拠を求めてるタイプの人向けだす。
極力電気の非専門家に対処してくつもりなので、まだ見捨てないどくれやす!?。


そもそも電気的スペックと感性的音自体の関連性もかなり低く、ここで屁理屈こねてるのも音で示せないからに過ぎない。
楽器ってのは実際正しいとか本来の音を先ず体験して、それを基に自分なりに構築してくしかしょーがないもんだ。
けれど生活圏に楽器屋が無いだとか、本物の音を体験できる場が無いのもあり得る話し。


先頃から吠えてるがオーディオと楽器では必要とされる性能が違ってて、海外事情は未知だが市場が狭いせいかそれ用のものさしが用意されてない。
今回例示する信号経路の素子段数なんて、専門家が調べない限り普通は知る由も無い。

だが体験的に何らかの影響があるのは概知なので、文書化出来るのを探って比べてみようって寸法だ。

最初は回路構成っても信号経路についてであるが、単に目的地へのルートと思って読んでちょ。

少なくとも遠くなる程何処かが消耗するのは、自明の理ってもんだからね。
俺自身前から少し気になってたが今回漸く初めてちゃんと調べてみたらば、予測を超えるかなりの違いがあった。
新しい高度な電子部品が用いられる程、却って遠回りになっていたのだ。

先ず球のの代表例としてFender Twin ReverbとMarshall 1959(どっちも原形の)だと増幅素子(球)は5段通ってて、後年の歪ませ付加回路の無いのは大体どれもこんな感じだ。
石の方の
代表例のRoland JC-120では、回路図「外見上」は石を9段と倍迄は行っていない。
より高性能な部品を用いてるのでそれ程悪くは無さそうだが…。

開発時期の関係でその素子はプリ部はオペアンプIC(集積回路)になってるが、ここに俺的には「負のからくり」が潜んでいるのだ。
ICってのは汎用性が高い最低限の電子回路が予め組み込まれてて、外見では1つでも中の信号経路では「1つじゃない」のである。
試しに代表的な4558ってののデータシートを覗いてみたら、IC内部で凡そ5コのトランジスタを経由していた。

だから実質の経路は6(
プリ部)×5+3(パワー部)=33段となり、球のより何と6.6倍も「遠回り」させられていたのだ。
幾ら部品に性能差があろうと石ならオーディオ・球だとインターホンって程では無いので、これでは遠回りが原因で音楽データが損なわれたり変質しちまったって無理も無いやね。
また理論上は音を弄る電子回路に楽器用ってのは無くって、強いて言えば今では他で殆ど使われなくなった原始的真空管回路位が該当となるかだ。

電気楽器Ampの仕事は「本体で達成されてない残りの音を創る」であるが、飽く迄「奏者がやろうとしてる」のをアシストするだけだ。
どんなに音響物理的に秀でてても、奏者の意思に従えないのでは意味が無い。
それにはオーディオ的高性能よりも、例え低レベルでも操縦に対して素直とか単純な反応をするのが最も大切となる。

また素子種類差に
よる音の歪み方の違いも、楽器としては気にせざるを得ない部分だ。
生楽器でも物理的限界はあるしそれを越した音が出はしないが、その限界値自体が結構曖昧且つ環境その他で変動する。
これは楽器が物理より感性に従う様に作られた結果なだけだが、電気楽器だからとて例外が認められてはいない。

もし認めちまったら生とのコラボに支障を来し、わざわざ使える場面に制限を設けてしまうからだ。
それにはAmpが規定尊守で融通の利かぬ堅物より、多少いい加減でも高い対応力が求められる。
その性質を持ってるのが真空管で、向いてないのが前者半導体なのだ。

真空管は最近の高性能ICと比較すると、桁違いに「歪率」が悪い。
シュールに言えば「最初から、もう既に少し歪んでる」で、特に正確さが要る測定器等だったら絶対的にICが良い。
だが同じ近年高性能のでもスピーカの歪率をゼロにするのが不可能で、残念乍ら「完全無歪サウンド」を耳にする事は達成されていない。

石でもデジタルなら完全試合は無理でもノーヒットノーラン位迄は行けてるが、前回迄に述べた如くまだ現状では音データの「取りこぼし」が避けられない。
残るは石のアナログ回路だが、これは限界域に到達すると急に歪み出してしまう。
アナログの癖にそこだけ妙にデジタルチックで、これの回避の為に大きな様々な余裕を持たせると小型の利点等は消し飛んでしまう。

この様にどうせどれでも駄目なんだったら試す価値が無くなりはしないが、そう云う挑戦は専門者に任せるのが賢明だろう。
演奏内容に関与出来るのは奏者だけだしで、もっと演奏と音創りをセットで考えると結局先ずは原点に立ってみるのはどの道必要な事なのだ。
電子部品メーカーが物理的性能を追及するのが正論な以上、真の意味での楽器用部品を望むのも難しい。

近年強いての例外としては俺は未体験だが、
せいぜいNutube位かねぇ。
これはKORGと
ノリタケ伊勢電子で共同開発され、VOXの一部のAmp等に搭載されている。
尤もこれ、新種の「真空管」でICとかじゃ無いんだわ。
俺には漸く感満載だが、どうやら本件に気付いた者が増え出したと伺える。

向かない物で何とかするのも称賛に値しはするが、根本的部分の問題が解消される迄亜流は亜流に過ぎない。
楽器や音楽は常に進化してはいるが、それで過去の物を完全に駆逐した例を俺は知らない。
例え旧式で不便でも楽器として成立する状態が得られたら、その時点の物も新しいのと並行して残っている。

技師や特定分野のヲタなら別だが、エレキGuitarを気に入ったのならAmpは「球」ってのが単なる当り前ってこった。
変に石ので良いじゃんなんて思ってたらそれはある意味、エレキにガットGuitar用のナイロン弦張っちゃって「音出ないんだけど」ってバカやる様なもんよ。
エレキは弦が磁石がくっ付く材質のじゃないと、音を拾えない。

真実の音質とは⑰ 電気楽器Amp続編

じわじわヲタ性が強まっておりますが、どうして未だに真空管物の方が適性があるのかの概要だけは伝われば嬉しいです。

俺は世代的に音関係の電気機器は、初期に触れたのは球(真空管)のが多かった。
或は三つ子の魂になってるのかもだが、物心付いてからの当分はほぼ石系(半導体)オンリーであった。
なので初めて自分で買ったBass Ampも、当然の如く石のだった。
但し先にGuitarを始めてて先の見込みは不明だったし、購入余裕も無かったのでAmpは古いオープンリールテープレコーダ(球)で代用していた。

これに付いてるスピーカが今では珍しくなった楕円形の小さいので、この手のは大抵低音が足りなかった。
当時の好みが軽めの歪み迄だったのでGuitarには一応イケてたが、流石にBassには無理だったので買ったのはBass Ampとなっていた。
斯様な経緯で毎度の偶然だが電気楽器用Amp(全くの非正規含😓)は、球と石のを併用する事となっていたのだ。

オーディオ系のテレコを歪ませて使ってても平気だったのは球だったからで、石ので続けてたら幾らも経たぬ内に壊していただろう。
尤も苦肉の代策だし今は小型でも良質な球Ampがお手頃入手可能となってるから、こんな真似をする意味は無くなっている。
この体験で予想と違ったのは球は感度を上げてたのに、歪ませてない石のの方が
意外とノイジーだった処だ。

因みに今や太鼓の先生の従兄の所でも似た様な事をやっていて、彼は当時は弦は全く演らなかったからAmpを買う理由が無かった。
けれど貴重な太鼓と合せてみたくて皆が押し掛けてたので、Bassはエレクトーンの外部入力・Guitarはラジカセ(石)なんてのが常套手段だった。
今ならそんな不適切な事をして壊して修理代が掛るより手頃なAmpを皆買っただろうが、当時はロクでもないのでもAmpは高嶺の花だったからだ。

遅まき乍ら本筋へ入るがこれら球から石まで代用品からその後手に入れた業務用迄、Ampも妙に幅広い体験を持つ事となった。
これ等の総合判定!?の結果を石のから挙げてくと、
①石の多くは音量の割に妙にうるさい。
②物理的性能に勝ってる筈の石のの方が、大抵無音時の雑音が目立つ。
③石のは鳴らす上での耐久性が低く、ちょっとの無理も駄目と融通が効かない
であった。

石のでもかなり後になってから知ったが、例えばRolandの業務用JazzChorus辺りだとそこ迄貧弱では無い様だ。
但し歪んでも構わんとオーバーパワーにすると、大してウルサくはならん代わりに音像がボケて潰れ過ぎるのでそう云う使い方は非実用的だ。
これはBass用のでも同様でもし石のを用いるなら、少なくともパワー段では絶対に歪ませずに済むよう配慮が要るだろう。

球(プリ段・パワー段両方の)では、
④Brightな音色にしても石よりウルサくならない
⑤少し歪むのをを気にしなければ無理が効く
⑥パワー段を歪ませられる
であった。

特に⑥が楽器としてはあると好ましいもので、これはプリ段で歪ませるのとは別物だ。
プリ段歪ませは増幅素子の相違からの差はあるが、球でも石でも所謂Distortionサウンドとなるのは一緒だ。
だがパワー段の歪ませはこれとは異質なもので、その作用が別名パワーコンプレッションと呼ばれる様な類だ。

この状態は音色的歪みは少しで、あたかも軽いコンプを掛けた様な音に変化する。
過去の例で俺みたいに半ば偶然も多かったろうが、例え歪ませない音色の演奏のでも
多く散見されている。
これには電気楽器の悪い意味での機械っぽさを緩和する効果があり、生楽器との融合に特に昔は貢献してたと思われるのだ。

生楽器は発音源と人耳の間には空気しか無いが、電気楽器は途中に電気通信が介在している。
電気は空気より伝播速度が速い等の違いで出音を明瞭にするには優れるが、一歩間違えると不自然な音にもなり得るのだ。
言い換えると「生身の人間が弾いてる感じがじない」とか、楽器じゃなくてスピーカ測定用かなんかの発信音の方へ近寄ってしまったり等。

過去の録音現場でこれが出るとどうなるかっつうと、全体をOff Micで録ってるのに電気楽器だけLine臭くなったりするだろう。
電気楽器の音だって余韻や部屋の響きは拾われるが、今的にだとLineで収録したのへReverbでも掛けたかの様な感じってば分かるだろうか。
要するに「1つだけ別録り」でもしたかの様になって、アンサンブルバランスを乱してしまう。

パワーコンプレッションとは増幅器のリニア領域を超えた状況で、
物理的には不完全増幅となっている。
それに依り限界以上の音が入っても音量は殆ど増えなくなったり、音のアタック部が少し潰れて平坦になったりする。
明瞭度も少し低下してオーディオ的に言えば、嘘増幅器となってしまっている。

だが音楽或は楽器と機械では重要点が異なり、単に
オーディオ的リニアなのでは寧ろ不向きだ。
元は生しか無かった楽器音と聴衆の耳の間には必ず空気が介在して、それこそエアクッションでマイルド化されているからだ。
言うなれば皮も剥いて無く熱調理もされてない、生のジャガイモが食えるかって事だ。

オーディオでもっとリニアにと叫ばれてるのは調理済み食品を扱うからで、折角適度な塩加減になってるのに更に掛けちゃったらしょっぱくなっちまうからだ。
別方面から眺めれば楽器なのに「電気の力を借り過ぎる」と、当然乍ら機械っぽさが増すと言える。
普通なら「間の空気」が取ってくれる「音の不要なトゲ」等が、電気力で強引に人耳迄届いてしまうのだ。

これが往々にして石系の方が球より強く、音量以上にウルサさを増長してしまう原因なのだ。
更にこれは人耳健康にも害悪でしかないので、無理に我慢して耳を壊してでは泣きっ面に蜂でしかないのである。

これ等をまとめて比喩するなら楽器は音楽を創る道具なので、楽器本体は料理の素材・Ampは加熱調理器具って感じとしようか。
そして石のAmpは電子レンジ・球のはガスコンロってな処で、コンロじゃないと普通は「焦げ目」が付けられないのが相違点だ。
多忙な独り暮らしには
電子レンジの方が便利だが、三ツ星レストランでそれだと全メニューは調理出来ないよ。

2019年1月 2日 (水)

真実の音質とは⑯ 電気楽器Ampは真空管で頼んます編

新年早々寒いから熱くなるヤツってんじゃなく、幾つかの違いが原因で実は今でもまだ楽器には真空管が適しています。
Guitarで歪ませると差が分り易いけど、生単体では気にならなくてもアンサンブルで録った最終結果等では結構な違いが出るんですよ。
では音機器をデジタル・石(半導体)・球(真空管)で回路構成した時の、長短から参りましょう。

デジタルは物理的性能ならほぼ完璧で、音に癖が付き難いのも秀でている。
それでもニュアンス・表情の再現性に関しては、音データが現行方式である限りは絶対的に不完全から脱し得ない。
それは音は「継続して」連続変化するものなのに、瞬間的であっても時分割されて「間」が記録不能だからだ。
アナログ記録では連続だったのがデジタルでは細密でも断片化されていて、コマ数の異常に多いスライドショーみたいになっている。

映画だってそのフィルムにコマがあって同類の技が使われてるが、視覚には元から残像って現象がある。
音にも残響はあるが残音ってのは無くて、響きゼロ環境だったら鳴らすのを止めれば途端に無音となる処が違っている。
だから今のがどんなにリアルに思えても、厳密には現行方式だと飽く迄「ぽい」だけなのだ。

当節話題のハイレゾはこれを従前よりとても細かくしたもので、その分「取りこぼし」が減って再現性を向上させてはいる。
だがどんなに細分化した処で所詮は「階段」状態で、実際の音が「滑らかな坂道」なのとは同じにならないのだ。
それでも高性能なのであまり人耳に気になるレベルでは無いんだが、物理面での完璧さと比べると却って差が大きく看過し辛い。
デジタルは原理的に収録以降の劣化は無いしデータ保存性も良いので、一般用途オーディオになら許容範囲だろう。

石(半導体)の中には大別して過去主流だったディスクリートと演算増幅器(オペアンプIC)の2つあるが、最大利点の球より小さいのが顕著に発揮されるのは後者の方だ。
IC(集積回路)はその名の如く1つの器の中に多数の半導体が入ってて部品毎のバラつき不安も無い反面、概述の負帰還を必ず掛けねばならない仕様だ。
なので後から物理性能に目を瞑って、音硬さ回避の為に帰還回路無しにするのは不可能だ。

ディスクリート(トランジスタやFET)だと球より
なまじ高域性能が良いのでノイズも目立つが、工夫すれば帰還回路無しが可能だ。
それでヘッドホン等の音質に拘る一部のヲタが、敢えてこの旧式な回路のを自作したりされているのだ。
ある意味簡単な機能しか要らんのには、高度な集積回路はお呼びじゃないとも言えよう。

処が量産するには部品の選別は要るし
ICより場所は取るし等で、大手の普及品ではもう作られていない。
鶏が先か卵が
先かの如くでどんどん部品自体も廃版となって来てるから、特に量を要する場合は完全に選択肢から漏れた。
尤も個人で簡単なのを組むのには使用数が少ないだけに、多少の部品値上がりの影響はまだ大きくない。
しかしエレキ用には元々最適でも無いので、用いるとしてもEffector等付属機器止まりが無難だろう。

球(真空管)は上記のと比べると物理面では色々不利なので、複雑な回路だと度偉い騒ぎとなっていた。
石の無かった時代の球のコンピュータたるや超巨大で、広大な部屋1つが丸々
コンピュータって程だった。
大きさの他に消費電力も桁違いに多いので、ポータブル化なんてのは全く不可能だった。

でもその代りってのも何だが極力「少数且つ単純でも使える」様には設計されてて、この辺が他の2つとは真逆だ。
これは回路自体も複雑・高度なのは苦手な代わり、求める仕事の種類が少なくて良けりゃ割と「まんまで行ける」って事だ。
また妙な理屈だが低性能故わざわざ負帰還回路を組んでも大して性能が上がらないが(出力段除く)、無帰還での比較なら案外石より高性能だったりする。

フィードバック回路(負帰還)は物理性能に勝っても音的感性性能に劣るのは概述だが、石系部品は半ばこれを用いる前提の設計となっている。
一般用途に足りる前者2つのオーディオ機器も、もし俺みたいに昔の球のの音色を知ってたらきっと疑問符が付くだろう。
大昔の球ステレオは出力段こそ帰還回路が付いてても、プリ部は殆どのが帰還回路無しだった。(楽器用球のは近年のでもほぼコレのみ)

電子素子固有所持の雑音低減には有用な負帰還回路だから、付けなかったら恐ろしく雑音だらけかと心配になるかも知れない。
球は増幅率が石より小さいのでそれをすると、必要なゲインが得られなくなるのもあった。
だが逆手に取れば増幅率の低さは雑音もロクに大き出来ないのと、回路構成が単純で素子数も少ないので耳にはあまり問題にならずに済んでいる。

石のに大抵は付いて無い出力トランスが球にあるのの影響もあるにせよ、上記事由により実際に半偶然でも「音が硬くならない仕組」が用いられているのだ。
また
帰還回路は硬くさせる他に例え補正であっても、音に意図的加工を加えてるとも看做せる。
だから原音に対する鮮度が落ちるのは当然で、懐古趣味でも何でもなく実は「やり方の差」のせいでそうなってるだけなのだ。

そして素子違いの差は故障・修理面にも結構なものがあり、手間・暇・コスト・技術以前の問題をはらんでいる。
石系は小さいので電気の通り道は狭いが、増幅率が大きいので過電流破壊を起こし易い。
これの保護の為に音には不要な付帯回路ごっちゃりドッサリとなるが、お陰で信号経路は複雑怪奇となってしまう。

言うなれば狭小住宅街の宅配ルートみたいなもんで、沢山曲がる度に車体を擦って傷だらけってか。
これが球だと田舎の一本道で未舗装だからガタガタ揺れるが、埃は被っても変形は無いって感じか。
こんなんだから石系がピュアさを損なうのは、仕組み的には半ば最初からのお約束状態なのだ。

それだけ頑張って配達に回っても留守宅があるかの如く、PA業務用を除き石系Ampの保護回路は不完全だ。
俺過去体験で何度も故障に遭遇したが、瞬間的なのには耐えても無理が継続的になってしまうとオシャカ確定だった。
球では歪みに依る高域成分増加からのツィータ破壊さえ気を付ければ、こう云う顛末には至らない。

因みに石系にも同じ危惧はあるし、壊れてるのを気付かず電源を入れればウーハだって爆破出来る。(当然非推奨でガス)
石系の複雑なのは修理が面倒だがそれ以上に困るのが
、パソコンよりはまだマシも部品のディスコン(製造終了)による修理不能だ。
例え代替品が見つかり物理性能はクリアしても、殊「音」に関しては同じになる保証が何処にも無いので厄介だ。

球は余程変な事をせぬ限り、無理状態となっても単に音が歪むだけだ。
故障も殆どは物理的損壊(球ぶって割っちゃった等)以外は、単なる経年による部品劣化が大勢を占めている。
大柄で振動が苦手なので壊れにくいとは言い難いが、修理上の問題と云えば高電圧にご用心位だ。

すべからく再生ならまだしも電気楽器Ampは楽器の半身で、音を創造しなければならんのだから本件は避けては通れぬぞなもし。
余程の事情が無い限りエレキ用に石(半導体)を買うのは、楽器としての部分を捨てるも同然で金の無駄となる公算が高い。
それだけで済めばまだめでたいが、大抵は球知らずで過ごすと演奏面にも直接的悪影響が及ぶからタイヘンなのだ。

録音現場での今昔比較がこれを表出し易いが、近年デジタル録音オンリーとなって以降は音響周辺機材の球化が著しい。
記録や保存等の都合上録音は現状大抵はデジタルに頼るしか無いが、少しでもその弱点を補おうと時代逆行でもそうなっている。
Micプリやコンプがその典型で、俺が若い頃は直接目にする事が一切無かった現象だ。

その頃の録音はテープ(アナログ)が主流で、誰も望んでなくても録ると生より必ず音がボヤケるものだった。
これはホントの意味で柔らかいのでは無いが、今よりは音が硬くなるEffectorを気にせず済んでたのは確かだ。
実際は苦し紛れの怪我の功名になってただけなんだが…。

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