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2018年12月14日 (金)

真実の音質とは⑩ 音質にも色々あるの編Ⅸ(やまびこ)

エコー(残響)にも色々あるが一歩目は反響音だと思ってるが、Delayと言わずにカビ臭く「やまびこ」と題した魂胆を明かそう。
今ではエコーってば「機械で掛ける」のが第一で、その次はせいぜい風呂場やホール等響く部屋でと誰でも想像するだろう。
でも「事の初め」は人工物じゃなく、自然現象だったのが根底にあるのだ。

これも又近年J-POPのエセ高音質へのアンチテーゼでしつこくて済まんが、只批難するんじゃなく「勿体無い」事をしてると思ってるからだ。
どんなに
リッチな響きでも歌の内容にそぐわないのに付けたりしたら、それの世界観をスポイルするだけなのよ。
良い音を追及するにしても、それは不変じゃなく変動相場なのをきっと忘れちまってんだわね。

過去例の提示へ行くが、初期のThe Rolling Stones等が好例かと思う。
売れる前だったから偶然そうなった可能性もあるが、Beatlesのエコーが広い部屋っぽいのに対しまるで土管の中で演ってるみたいな感じに聴こえた。
歌の内容が同じだったらこんなチープじゃ大損だが、どっちかってば当時Beatlesは夢を・Stonesは不平不満をメインテーマに歌っていた。
なので歌の世界観とエコーの感じが一致してて、もしかしたら既にBeatlesがバカ受けしてたのにStonesも売れた一因じゃとさえ感じられるのだ。

誇大解釈的に論じるともしStonesのエコーが金満リッチ感満載だったらで、虐げられた若者だと言ってるが本当は金持ち坊ちゃんの道楽みたいに感じられそうってね。
実際はBeatlesが労働者階級・Stonesは一般階級出身だったが、前者はデビュー後暫く(金持ちになれる迄!?)はスーツ着用で見事に全員騙されたってか!?。

って訳じゃ無く演ってる「歌の世界観」に合せた結果で、それぞれがそれぞれの世界観を大事にした結果に過ぎない。
ポピュラー音楽の第一の命題は大勢に売れるつまり「気に入られる」だが、それに最初に必要なのは分かり易さだ。
それには見栄えに始まり、例え音のどの部分を聴かれても誰にも「同じ」に感じられる程良いだろう。

又この売れるは先ずは顧客数だが、一瞬で終ると累積販売量が伸びない。
だから長持ちするのも含まれるが、これを達成するには「何度聴き返してもあの雰囲気」が安定して継続しないとならない。
だから意図的にズラす場合を除き作品世界観の統一維持が重要で、尚且つ「自然の理」に適ってないと危険なのだ。

誰にでも共通な感覚となると、自然と得られてしまうものとなる。
そこで人にとってのエコーの原点を辿ると、機械系は却下で天然系が生き残る。
この天然系がお題の「やまびこ」で、それ用の操作を何もしてないのに音が響いて返って来たである。
人工物由来の残響も近年では一般化が著しいが、まだ世界の全員全てに共通ではない。

例示した2グループはアルプスイメージじゃないからやまびこは不使用だが、それでも街のどんな場所ってのは大いに反映されてたと思う。
Stonesの俺言い土管紛いってのは、あまり広くない地下の安酒場とか地下鉄駅への殺風景な地下道を俺には連想された。
爽やか目なBeatlesのに対し特定の癖がある感じのStonesのに、前者が表社会・後者が裏なんて何となくそんな気分を覚えたのだ。

現実的には個人差千差万別で最大公約数程度が限界で絶対は無いが、純粋に音楽を聴く際は五感の内のたった1つしか無い。
なので少しでもこの景色の場所では良くこんな音が聞えるなんてのを、音に盛り込んで補わないと分かって貰えなくなりそうなのだ。
マンガの吹出しにセリフ以外に擬音の活字もあるが如く、音の方だって単なる演奏以外に何かを加えるならこう云う視点は必須だろう。

であるからしてJ-POPならPOPである為には、常に世界最強のGuitarなんて全くお門違いで恥ずべき処理なのだ。
時々わざとのミスマッチだったら「へぇ〜珍しい」も貰えるだろうが、切り札を真っ先に見せて勝てる勝負がある訳ない。
だいいちもっと強くしたくなったらどうすんのか、もう残ってませんけど。

それと一等気になるのがポップスでの強さとはで、ジャンルによって強さにも色々あるものだ。
録音・記録等の性能が上がった今日では、それがクラシックのだったら
最強でも歪んだらアウトだ。
単に下品とか下手とか失敗と思われるだけで、弱い時の音量の小ささ・繊細さとの落差が大きいの程強さと感じられるだろう。

近年はGuitarは幾らでも歪ませられる様になったが、歪み度に関してはVan Halen辺りで打ち止めと感じられる。
どんなにそっと弾いても必ず少しは歪みます以降は、変化が出るのはほぼ余韻(サスティーン)部のみとなる。
つまり弾いてる間は差が殆ど分からなく、ロングトーンが出て来ない限り効果が無いと言っていい。

歴史経緯として俺的にVan Halenの源は、BeatlesのRevolutionのJohn LennonのGuitarがルーツな気がしている。

この俺的元祖様は随所で音を伸ばしてて、極めつけは曲の最後だ。
近年のメタル系の連中でも、「分かってる奴等」はちゃんとこの方法を用いて効果を得ている。

Van Halenと
Johnでは歪ませる方法が違うし、奏法も異なる。
だが奏法上の都合だけなんだったらハーモニクスを演る時はボリウム全開な筈で、しかし
Dance The Night Awayでは実際そうはなっていなかった。
奏者として弾き倒し型ではあるが、やはり結構長く伸ばしてるのも頻繁にあった。

もう1つこの両者に共通点があるがそれは、リードギターの癖に案外音量バランスが大きくない処だ。
無歪では弱い所はかなり音量低下するから、そこも聴き取れる様にするには基本バランスを大き目にする必要がある。
しかし激歪みでは弾き方最弱でも音量低下が殆ど無いので、そんなに大きくしなくても済んでしまう。

この逆に最低限バランスで留めたいが歪ませたくないものへコンプを掛ける方法があって、こっちは大きい方を小さいのに合わせて抑えた格好だ。
近年本邦では歪ませ用or生音貧相Guitarの使用が多いのか知らんが、余りに「生+コンプ」の強さをシカトし過ぎとみられる。
強いが弱さもあったら「強いが脆い」で最強に非ずで、強くないが弱い処皆無だって「安定の強さ」では最強なんだけどね。

歪み・コンプの併用の絶対必要案件は、Larry Carlton辺りが筆頭で歪ませ過ぎずに余韻だけ伸ばしたいって要求の結果だ。
だから
J-POPの多くの如く結構歪んでも平気なら、コンプは不要且つ掛けた処で幾らも御利益は無いんでごんす。
強いて効果!?を述べるなら、弾いて無い時のノイズを盛大に大きくしてくれますとなる。

この辺でエコーへ戻るが残響も音色歪みと同じで、世界観の他にも曲の要求との一致が必要だ。
頼り無い歌声をエコーで誤魔化すのは最早カラオケの常識だろうが、これは掛ければ掛ける程歌詞の聴き取りが劣化する。
普通の音楽だけの聴取時にカラオケみたいな字幕は無いから、そのまま真似たら一長一短。

しかしプチ天の声で近年の高性能デジタルリバーヴには、極端に余韻が短く子音が余り埋もれずに音像を広げられるプログラムが用意されている。
にも拘らず近年
J-POPではこれもまたスルーですかい、っと。
これだけ無理して10年以上前と同じ音って、リーマンショック以降大手Studioじゃ機材更新が止まってんのかよって勘ぐるぞい。
どれどれオジサンに見せてごらん…!?。

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