真実の音質とは(演出過剰への懸念)
ドラマー用ヘッドホンの項で触れた古典KOSSの件等より、近年の「作られ過ぎた」音質の功罪を綴ってみたいと思う。
俺は今にしてみれば世代の関係等でギリギリ「生の音」に触れられたが、その頃と比べると近年の「音を出す」装置の多くはかなり異常な音質なのだ。
最初に「功」については新鮮味があるとか、悪環境下でも聴き取りが容易ってのはある。
けれど折角良好な環境だったり新旧を問わずに聴きたくなっても、人の感覚的にあるがままの音を出せる物がこれ等には備わっていない。
この点が「罪」に相当するが、聴いて楽しむだけなら大した支障は無いかも知れない。
だが聴いて学ぼうとか自らの楽器演奏の模範としようとすると、「実際とは違う音」を本物と誤認しちまうから一大事だ。
Micへ目を向けると未だSure SM58等が居座ってるのもこれの関係で、近年のより音のアタック部等の第一印象が人のそれに近いからだ。
しかしこれにもちょっとしたカラクリがあって、Micと人耳では音源との「距離の違う音」が似ている処が要注意なのだ。
本来距離が違えば違って聴こえるのが当たり前のが、ある意味製作・提供者側の利便性からこの様になってる様だ。
拙ブログで何度も出て来てる「人耳の弁別能」を、Micに与えられないのがその発端だ。
弁別能をおさらいすると「特定音のみに聴神経を集中稼働させる」とか、耳に入った音を「聴き分ける」等となる。
だから音源から離れて他の音の混入率が多少上がっても、脳内で選別して取り出せるのだ。
が、Micにそれは無理なので、混入率を一定以下に減らさないと目的音が聴き辛い音になってしまう。
理想からは次善の策でも現状では最善策なので仕方無いけれど、人にとっての実際とは異なるのでそれが新たな問題を色々生んでいる。
弁別能を駆使しても複数音の相互干渉等は完全排除されて無いし、空間に依る残響からの音色変化でも相違があるのだ。
つまりSure SM58の存在価値に疑念は無いが、その音は現実とは「似て非なる」もの以外の何物でも無いのだ。
集音側の弱点を無理に補おうとしたか新鮮味で販売促進を狙ったのかは定かで無いが、再生側はもっと極端な恐ろしい状況になっている。
端的に表せば大多数のが、「人物写真の主人公の輪郭を、マジックペンでなぞった」様な音になってるからだ。
確かに輪郭自体は明瞭化するが、それは言わば「音のプリクラ化」とか「スノー化」である。
これだけだったら「面白そうじゃん」で済むが、本家たるプリクラと近年音響再生装置では大きく異なる点がある。
本家は使用者が自由に操縦出来るが、分家の方は根本的な質が固定で変えられない。
バスブーストやらエコーやら色々付いててもそれは着せ替え人形の服の部分で、人形本体を痩せさせたり太らせたりは出来ないのと同じ感じなのだ。
人物の姿だけを眺める場合はどれの影響でも美しくなってれば、綺麗なお姉さんに変わりは無い。
だがそのお姉さんは「誰?」となると、「一見別人かと思ったけど、やっぱりあの人だ」とならないと具合が悪い。(わざとは別よ)
そしてこれが従兄の太鼓の先生だと以前の生徒に無かった異変に出くわし、俺同様危機感を抱いたそうだ。
特例を除くと多くの奏者も奏でるより聴く方を先に体験するものだが、その時の音が実態と違うのばかりにいよいよなり出したみたいなのた。
間違ったイメージしか持てなかったら、下手すりゃ練習すればする程「変な音」になってっちまうんだからこりゃ大変だ。
またこれが困ったもんで誰だって第一印象が良かったり強烈な方へ惹かれてしまうが、実際多くの場合はその後最低3分やそこらは聴き続けるので頭よりかそれ以外がどうかの方がホントは重要なのだ。
更に素人程騙されちまうのが真に自然なものには特別な印象等湧かない処で、無印象な為に折角出逢えてもスルーしてそうだ。
そして現況へ至る過渡期にはまだ両者が混在してたから聴き比べが出来たが、実は過剰演出でもどれもが右へ倣えだとそれが普通と思えて来てしまう。
気付き難い上にチャンスも少ないのでは打つ手無しも同然で、殆ど無駄な抵抗っぽいが俺等は訴えて続けて行くしか無いと思っている。
現代の音基準をもし標準とするなら生演奏のよりボカロ等打込み物の方が、この点で高純度だから人気があるのかもとさえ思ってしまう。
生では奏者が耳にした「楽器から聴こえた音」と完成品のは別物になるが、打込みのは作者が耳にしたままのを完成品に残せる訳だからねぇ。
ではそれならどんな救済策があるかっつうと、生楽器だったらPA不使用の保証があるのを聴きに行ってみる道が残っている。
理想は一流奏者だけどそう云う人気者は観客数の多さのせいで、PAレスが困難なのでこの目的としては諦めよう。
経済面も含めての狙い目は「学生さん」で、ある程度のレベル保証があると看做せるコンテストとか「音大の発表会・学園祭」等だ。
現時点ではとても及ばないが、彼等の中には将来の一流の卵が含まれてたりもするのでね。
ここで俺が推してるのは「無料」のものについてで、それなら調べる手間等はあってもハードルは決して高くない筈よ。
それも少し退屈の懸念があってもマイナーとか小規模の程適合してて、最近は学校のでもちょっと立派なのになるとPA君コンニチハとなる様だから。
殊更深刻なのが電気楽器で、電子系なら操縦方法が違うだけで打込みと同列だ。
今度のには複数理由があり、最初はLive時にAmpのみで音創りされる事が僅少となった事だ。
その為にAmp側もEffector等とのコンビ使用時に求める音が得られる設計のが多く、Amp自体が単独では所謂「エレキの音」を得られ難くなって来ている。
又プロは自宅や録音現場等必要時になら触れている者も居るが、移動・予算等運営上の都合でLive時の「妥協」が常態化しつつある。
少し大げさに言えば「何処の馬の骨か分からん奴にPAで弄られるなら、大枚叩いて拘る意義が無い」って処だろうか。
また海の向こうと比べるとどうしても本邦では「電気楽器音が重要」な演奏会場の歴史が僅少なせいか、奏者・扱い者の両方共で現役のベテランが元から少なかったと感じている。
しかもRock人の平均寿命が一般より10年位短い様で、いざ教わろうと思ったらもう居ないと来た。
どの世界だって素人→見習い→若手→中堅→ベテランと来て、その後が後進の育成に本腰しとなるのは共通事項だろうからね。
また現在売れてる人程現況適応の都合で、「昔のシステム」(本来の手法)を半ば諦める様な状況下にある。
処が余り売れてない人(俺が最右翼か!?😢)だと若い人は誰も知らないから、そもそも接点の持ち様が無い。
結果的に誰も居ないに等しくなって、益々「原体験」が難しくなってしまっている。
最終手段としては過去の録音物から紐解いて行くとなりそうだが、例えそれを古典系の機材で聴いてもまだ現場の生とは中々距離が縮められない。
記録物のクウォリティ以上に音量であるとか、どう弾いた時にその音が出たとかは動画じゃないから非記録だ。
俺みたいな悲しいかな過去の人になりつつある者達ならある程度これが出来たのは、少しでも何らかの現場体験からの凡例みたいなのがあったからなのだ。
因みに古典RockのだってYoutube等に多数アップされてるが、これだって有効性が高まるのは元の生音を先に知ってたらだ。
更なる因みにだがここでの生は、Ampのスピーカからの音をその場で直接耳で聴いたって意味だ。
経験者として具体的な違いを簡単に語っとくと、割合はとても少ないが色んな音が含まれて出ていたとなる。
今の流行りにエレキギターのAmp直結音のニーズは不明だが、0cmの無い物差しでは測る時に大変だ。
基準点が未定だと5cmとか他のだって予め書いとけないから、一々順番に目盛を数えてくしか無くなるでしょ。
もし運良く今欲しい音ドンピシャのDistortionが持てたとして、一生涯その音だけしか要らないならOKだ。
けれど飽きっぽい人間様はほぼ例外無く他のを欲しがるから、基準無知だときっとその時に死にそうな苦労をするでしょう。
しかも余程の幸運が再度訪れぬ限り、最悪は死ぬまでに見つけられずに終わっちまったりしてな。
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