真実の音質とは⑭ 音量と音質の関係性 オマケ編
前回の今更Bee Geesもかなりだが、今はその呼称でなくなって久しいFEN等を出してしまった。
概知の方には退屈かもだがその場合懐かしんででも貰って、一応これらのプチ用語解説みたいなのを開催しますだ。
1.FEN(Far East Network)
現在はAFN(American Forces Network)と呼称が変わったが、要するにアメリカ進駐軍兵士向けに始められたAMラジオ放送だ。
俺が生まれた時点ではまだ正規FM放送開始前で、幼少時にタダで日常的に洋楽を聴けるのはこれしか無かった。
俺の親父がセンスに乏しい大正生まれの軍隊上がりだったからか、舶来指向は無かったが本邦音楽にダサさを感じていた。
その当時の俺的にオシャレさと親近感を抱いたのはRock系だったが、本邦のラジオ・テレビでは取扱いがほぼ皆無。
本土在住の一定以上の世代で幼少時から洋楽に親しんでた者には、恐らく例外は無いと思われる。
2.ラジカセ(ラジオカセット)
名前の通りラジオとカセットテープレコーダが一緒になってるだけだが、これが出る前後で使われ方に結構違いが出たのだ。
オープンリール時代は取扱い難易度の他に高価なのもあって、一般人が使うのは必要時中心であった。
カセットテープが出て誰もが用いられる様になったが、録音には別の手間も掛ったのでまだ誰でもでは無かった。
自動録音レベルが付く様になるとこれもクリアされたが、チープ音質のラジオを同じく低性能の内臓Micで録れば音が悪いし周辺雑音も入る。
かと言って当時の素人に有線接続は困難かつ面倒だったのが、これの登場で簡単になったのだ。
個人的には幼少時よりヲタだったから手間や知識には困らなかったが、お金の掛かる接続ケーブル購入がネックだったのだ。
それにラジオは一方向通信で個人の都合に合わせて放送されてはいないので、聴いてて録りたくなってから線を繋いででは間に合わなかったりもしたのだ。
これを予め録っても良いテープを入れて置けば、ボタン一押しでいざ鎌倉が可能になった。
今なら無知の新曲はネット経由が多いから取敢えずブックマークしとけば済むが、昔はこんなのじゃないと一部概略保存すら出来なかった。
3.昔の一般向け音機器の性能実態
音響とかオーディオと呼ばないのは主に性能面からで、応接間に置かれてた管球式ステレオですらミニコンポに届くかどうかであった。
真空管物は人耳馴染みの良さ等では今よりずっと秀でてたが、シビアにだと良かったのは雰囲気だけとも言える。
石(半導体)物だと今の百均のにも負けそうに貧相で、今だったら音切れだけ起きない携帯電話とでも比喩出来るかだった。
そんな時代でも業務用や専門家向けオーディオならそれなりの性能を持ってたが、如何せん超高価でVIP専用状態だった。
レコードも洋物は高価且つ入手難だし、子供にとってはたまにのシングル程度で精一杯だった。
だがしかし平民が音楽を軽く楽しむって観点に立つと良い面もあって、頼れないだけにしても物理的音質以外がもっと重視されていたのだ。
音質は良いに越した事無いし、誰でも知ってしまって入手負担が軽ければそっちへ行きたがるだろう。
でもオーディオマニアじゃない人には、それよりホントは「感性的」性能の方が大切な筈なのだ。
幾ら高音質でも作品の持ってる雰囲気や世界観が、少しでも違って聴こえたら印象が違ってしまう。
音と云っても分析や解明では無く食べ物じゃないのに味ってのも何だが、味だとか匂いだとかを連想したり出来る方が大切だ。
鉄道ファンなら電車を見てあれは強制空気圧振り子付の50000形VSEだのと認識するが、普通人は小田急の特急かとかせいぜいロマンスカーと思う位だろう。
でも実質的に乗り間違えせずに済むならその程度で充分事足りるし、それより忘れ物や食事等の心配の方が旅には大事だ。
嘆かわしき本邦現況に「雑音の気にし過ぎ」もある気がするが、そいつぁデジタルの奴隷になった様なもんだ。
誰にでも雑音が感知し易くなったのは確かだが、雑音皆無でも音楽自体が魅力不足ではちっとも楽しめないではないか。
乱暴に言ったらつまらん聴きたくならない物にだと、聴かないんだから雑音の有無等無関係となる。
音楽技術面でも現況の方向性は大きな誤りで、ありのままが記録出来る様になったからこそ加工は要らなくなった筈なのだ。
音質の問題で聴き取り補填がどうしても必要だったから、昔は弄らざるを得なかっただけ。
尤もかつては思った程は弄れなかったんだが、だからって猫も杓子もで弄り倒しても仕方無かろう。
そしてデジタルはそのまま記録の他に、音色加工機器の超小型化(低廉で)ってメリットがある。
よりもっと聴者の好みで弄れる様にするのが簡単に可能なので、元ソースに掛けとく必然と価値はもう無い。
後から出来るのに先にやっちゃって、聴者の弄る余地を無くすのに変な訳でもあんのかなぁ?。
もっと一般的なのに置換すれば、昨今では腕時計をしてる人が随分減ったのと類似例であるべき処なのだ。
ガラケーやスマホに時計が入ってるから腕時計をしなくても平気だが、だからと云って手首に何も付けられなくなっちゃいないよね。
何でJ-POPだけそうなってんのかなぁ、可笑しいなぁ、不思議だなぁ?。
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