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2018年12月

2018年12月30日 (日)

エレキGuitarの歪み③ 余韻を伸ばしたいけど編

エレキGuitarの歪ませには音色の他に、コンプレッサと近似な要素も内包されている。
過去例でも音色より余韻延長が主目的で歪ませた者も多いが、無制限に伸ばしたいならフィードバック奏法の方が強力だ。
今更だが要因解説に加え、歪ませ・フィードバック・コンプの3者比較をしてみよう。

その前に音響学的なフィードバックの立ち位置であるが、大まかに3種類ある状態の内の真ん中だ。
フィードバックの極限に達したのが所謂ハウリングで、これへ到達するとほぼ制御不能となる。
そのどっちでも無いのが単なる普通で、平常時と言えるだろう。

奏法歴史的にはフィードバック→歪ませ→コンプの順で可能となったが、コンプ自体は放送用リミッタとしてそれ以前から存在していた。
これが中々活用されなかったのは貴重・高価の他、Guitarにそこ迄音の長さの要求が芽生えて無かったのもあった様だ。
現代比でかつては音を簡単に伸ばせる楽器の利用率が高く、一例としてオルガン系等を耳にする機会が以前より随分と少なくなった。

現代主流のとは手法が少し異なるが、フィードバックを最初に世間に認知させたのはBeatlesのI Feel Fine辺りだろう。
当時は意図的歪ませ前夜であるから、Ampの入力感度(ゲイン)を上げる(歪ませる)のは無しだ。
しかしスピーカから出た音で弦が振動してくれん事には、音のループ現象を起こせない。

Amp入力が高感度だと僅かな弦振動でも大きな音が出るからループが成り立つが、これの裏を返せば部屋が揺すられる様な爆音が出せるなら弦も揺すられる。
そこで最初に爆音Ampを使う羽目になったのがBeatlesなので、始祖的扱いとした。

また高音では爆音でも音の振幅が小さいから、死にそうにうるさくても振動は小さい。
だが低音は低くなる程大振幅で振動要素が増して行くので、例えばスピーカキャビネットへ楽器本体を接触させるとループさせられる場合がある。
フィードバック奏法とは要するに出た音の振動エネルギーが、入口の弦に伝わりさえすれば方法は何でも良いのだ。

この第1方法の長短だが利点は音色を歪ませなくても済むのと、特に低音域の場合は「付ける・離す」に依って制御が確実・安易な処。
欠点は何と言っても超爆音じゃないと無理な処で、音色の魅力が弱かったからか使われるのが少ない様だ。
しかし俺体験で歪ませでも音色の都合でフィードバックさせるのにゲイン不足の場合に実際に活用した事があるので、気付かんだけでこっそり使われてる可能性は否めない。

続いて第2方法「歪ませ」へ進むが、これにはフィードバックをさせなくても音を伸ばす要素がある。
理屈としてはコンプと同じで楽器から見て出力音量が、見掛け上大きい音は小さく・小さい音は大きくなっている。
実際は大きいのは歪んで音量増加が抑え込まれてるだけだが、音色差はあれど無歪設定と比べたら余韻の小さくなるのを遅らせられる。

尤も供給源の弦振動は「次を弾かないと」時間の経過でやがて止まるので、タイムリミットがあると言える。
これが半ば自動供給されるのが所謂フィードバック奏法で、上手くやれれば幾らでも音を伸ばしていられる。
だがこれを維持させるのはかなり困難な上、音色にも結構制約が掛ってしまう。

しかも冒頭で記した如く「行き過ぎ」ればそれはもうハウリング領域で、そうなると弦を手で抑えてもPU自体が微振動したりして止められなくなる。
処がその「際どい領域」が最適だったり、それでも広くない一定範囲の音域でしか効果が得られない等扱いがとても大変だ。
折角ある意味エレキの専売特許で魅力もあるが、これ等が原因で何時でも何処でものは滅多に耳にしない。

そして第3方法のコンプは歪みレス延長も可能だし、第2方法より扱い易い。
だが歪まなくても全く音色変化が無い訳じゃないし、フォルテは可能でも音量的にフォルテシシモは無理等の弱点も併存している。
人耳に「小さいのが大きくなった」でも、機械的にはノッポをチビの背へ合せる様に強制的に中腰にさせてるだけだからよ。
なので伴奏系には平気でも表情豊かな主旋律担当時には、奏者側に特別な配慮が要求されるし万能では無い。

結局は状況に応じ使い分ける訳だが、俺的には求める音に係らず極端設定をデフォにするのはお勧めし兼ねる。
例えば激烈メタラー君が宅練するのに音量出せんから、無謀ハイゲインでフィードバックの練習なんてのが割の悪い練習方法だ。
本番で生の爆音ツーバスに見合う音量・鳴り響く会場等と、音場が異なると家でのとは全く状態が違ってしまうからだ。

俺推奨の出音(余韻)延長練習の第1段階は、先ずは許される範囲で大音量で演る体験だ。
昨今のJ-POPではポピュラーとは言い難い深い歪みも多用されてるが、爆音になると寧ろ不要フィードバックやハウリングを回避するのに四苦八苦させられるだろう。
ある意味そのヒントが最初の方に記した「第1方法」で、知ってて損は無い。

また近年ではボディに空洞や穴の開いてるエレキは余り使われてない様だが、これらセミアコ―スティック・フルアコ
―スティック等は周囲音に敏感だ。
ソリッドボディのと比べるとフルアコは、望まなくても実に簡単に第1方法へ到達してしまう。
元は主流だったフルアコが取り回し等以外の都合でもソリッドへ移行したのは、これに依る処も大きかったからなのだ。

Rock系太鼓に見合う音量になると全く歪ませて無くても、ハウりゃせんかと心配ばかり。
そんなだから歪ませたいとなりゃ、余程のニーズが無けりゃ真っ先にスルーされる様になっちまったのよ。
でもアコ系のボディ由来の独特な癖がある方が、
楽器的には魅力が多いと思う。
見た目・機能では大昔DEVOが使ってた「胴体無しGuitar」は面白かったけど。

2018年12月29日 (土)

エレキGuitarの歪み② Ampだけでの悲喜こもごも編

実際にこれをやろうとすると数多の困難を伴うが、それは今日の電気楽器が便利過ぎだからでもある。
便利自体に罪は無いが、楽器や音楽は元からそんなに世間に都合の良いものじゃないのを思い出しとくれ。

もし生楽器だったら且つ大音量とか大型のだったら、今だってちょっと音を出すのすらひと苦労だ。
それでもどっかで誰かがまだやってるのは、そうでもしないと所望の音が得られないからに他ならない。

今回は問題となりそうな点の洗出しと、それの解決策を少し提示するとしよう。
一番手はAmp直歪ませの大音量問題で、小型低出力であっても必要サイズのスピーカが付いてるとかなりうるさい。
このサイズは最低20cm出来れば25cm以上のが望ましく、それより小さいと普通のAmpとは性質がかけ離れてしまうからだ。

歪ませないならスピーカで足りない低音を回路側で大きく出して補うのも可能ではあるが、それだと歪ませた時に違いが出てしまう。
エレキGuitar本体からは所望より元々低音が大きく高音が小さくしか出せなくて、Ampでは高音を中心に増幅させているのだ。
またその方が歪ませた時の各弦のバランスが良く、能率稼ぎの為に大き目としたスピーカは偶然だったが低音程大きく鳴る。

結果的にこれで全体としては±0となるが、この特質から次の分業が行われてると看做せる。
高音はAmpで増やし低音はスピーカで稼ぐってな感じで、特に歪ませるには上記の理由で回路側では低域より高域を増幅させねばならない。
低域過剰になるとその悪の歪み!?は他の帯域を侵食してしまい、何をどうしても壊れたFuzzみたいな音しか出なくなる。

このスピーカサイズは能率と比例してるので、たかだか30Wでも30cm×2が載ってるVOX AC30が太鼓の前でも何とか聴こえるたりするのだ。
それでも10W以下のなら太鼓より全然小音量だし、低音が太鼓の低いのやBassよりは含有量が少ない。
なので上手くすれば俗に云われてる「ピアノ防音」レベルの遮音がなされてる部屋だったら、何とか許容されそうだ。

音量環境にとても恵まれてるならMarshall Wallでも何でもご自由にだが、普通大舞台よりは多分狭いのでそこへ注意が要る。
つまり求めるだけ歪む前に楽器とAmp
距離不足から、その巨大出力に依ってハウリングが起きたりするからだ。
スピーカユニット数が多いと大抵は能率も高く、深目に歪ませたいなら室内で100Wだとこの面でちょっと厳しい。

二番手は出音の音量が自由に出来ない欠点で、AmpをOverdriveさせるからにはその公表平均最大出力より少し大き目のだけになる。
具体的には30Wのなら35~45W位・60Wのなら65~80W位等となり、それよりボリウムを下げると歪まなくなったり歪みが減ったりする。
因みに上例の「~」はAmpの回路方式に依る巾で、その間を自由に選べるって訳じゃ無い。

電気楽器の癖に音量の自由選択が不可になるのは不便を感じるだろうけど、生楽器だったら至極当たり前の処だ。
しかも最大音量の選択肢は少なくそれらの間のが無いのも当然だが、普通ならほぼ誰も疑問を抱かないよね。
大抵はどうせ生楽器と合奏するだろうし、電気楽器特有の性質だけに囚われなければ大した問題じゃないのが分かるんじゃないかな。

三番手は歪みの深さで今日では一番の懸案になりそうだが、無歪~歪み迄は無段階選択が可能だが「それ以上」が不可能だ。
これは本趣旨に於いては特例に属するもので、予め深く歪ませられるのを探す必要がある。
但し極力単純で必要最低限の回路構成の推奨で、多機能・高機能のは便利だがある意味Effector内臓
Ampと見做せるので基本性質を体験するのには全く向いていない。

少々クドイが本趣旨では音経路に石(半導体)不使用の真空管Ampが激烈推奨で、何処か一ヵ所でも石を通ると性質が異なってしまうのでNGなのだ。
そして一部の拘りの高級機以外だと、多機能タイプには音色でなくチャンネル切替の為でも石が使われててやはりNG。
今回のこの制約は原始的歪ませメカニズムの体感に必須だからで、付いて無いのへ追加は簡単に出来るが逆は専門家依頼の改造しか無理だからよ。

これは演奏自体の練習と似てて、基礎が不足し過ぎると即興が不可能になったりするのに近い。
俺自身スケール練習はちっとも熱心では無いが、予め練習しておく程思い付いたメロを瞬時に弾けるのは確かだ。
只で楽したいか手間でも自由を獲得したいのか、何にでも共通の
ある意味究極の選択ってもんだろう。

四番手はGuitar出力の大小についてだが、この原始的歪ませ式では歪みの深さに直結してしまう。
そこでストラトでレスポール並に歪ませるのにBoosterを用いたりもするが、使用時にはこれも注意が要る。
具体的には一般的範ちゅうの高出力Guitarと同程度の歪みが得られる処迄とするのが良く、調子に乗ってそれ以上Amp入口でブーストさせると不都合が出て来る。

前回記した如くこのやり方ではAmpは通常回路の「後ろの方」で歪むので、歪みや音色の性質が変容してしまう。
これが最悪時は故障させるのも皆無では無いが、それ以上に先ず音色調整が適正範囲から逸脱してしまう。
これも前述の如く歪ませに依って周波数特性(低・高音のバランス)が変化するからで、それ故Brian MayはTreble Boosterを用いているのだ。

機器名称イメージからだとキンキンキャンキャンな音になりそうだが、実際彼の音は歪みは軽くないがどっちかってば音色はマイルドだと思うがね。
もし殆ど歪ませなければ大昔のGeorge Harisonみたいにブライトになるけど、高域が先に歪んで音量が「頭打ち」になるから起きる現象なのだ。
そう云やGuitarは違うけどAmpは同じのだったから、これって結構典型的な参考例だわな。

徐々に悲喜の喜へ自然と移って来てるが、上記の様な事例が色々付いてるのとか石のAmpでは充分な体験が不可能だ。
それと今日本邦では使用例が見当たらない様だが、特に軽い歪みを得ようとした際に純球単純と複雑石のでは大きな違いが出る。
歪みが球では徐々にだが石では突然訪れる感じとなり、特に歪ませないつもりで歪んだ時に石は急に聴き取りが劣化するのだ。

そもそも電気楽器の音だとオーディオ的「歪率」の音色への影響が格段に小さく、楽器音として明確な境界線は存在しない。
その代り過渡特性(弾いたのへの反応)差は僅かでも、人耳には別物な程違って感じられる。
それ故本番では使わなくとも練習時は奏者に厳しくも、弾いたのの違いがそのままかそれ以上に出てくれた方が理解が高まるのだ。

音色的な面だけに限定すればどんなのを用いても結構なんだが、それの影響が弾き方に悪く出てしまう可能性はとても大きい。
Effectorも良い物になる程「マトモに弾ける人」へ最適化されているので、無意識でも悪い癖が付いてると本領発揮が不能となってしまう。
発音が機械化率100%じゃない限りこれが着いて回るが、自由獲得の代金みたいなもんだ。

2018年12月28日 (金)

エレキGuitarの歪み①

今更系のお題が得意みたいな拙ブログだが、近年のエレキ歪み音に魅力的なのがご無沙汰と感じられる。
オーディオ的にはどれも中々イケてるのに、どうも個性だとかムードなんかが全然足りないのだ。
そこで例の如く独善的だがその原因を探って行く。

最初に思い当たるのは、Effector依存度が高過ぎるせいってのがある。
昔と違って今は歪み系は何でもあるし、繋ぐだけで出来上がりが多いのは一見便利だろう。
だが裏を返すと繋いだ楽器や奏者の影響力が僅少化してるとも言え、何だか
Effector様だけが神みたいじゃありませんか。

これの何が不味いってば半ば歪み自体の音色が固定な処で、それではまるで打込みで音源を選ぶしか無いのと同じになってしまう。
今時打込みが苦手って人は半分は気のせいで、だったらスマホを持ってないんだろうねと問いたくなる。
因みに俺は打込みはまあまあ得意だが、ガラケー所持歴すら未だに御座居ません。😢
何をやるにもそれなりの学習と慣れが要るもんだが、打込みはある意味頭だけで音楽を
れる方法だろう。

一方一々弦の張替えなんかの手間が掛るGuitarがまだ生き残ってるのは、ある意味手と感性だけで音楽が演れてしまうからだと思っている。
言い換えれば機械:人力とか自動:手動とかで、非機械側の手間が許容される中には自由に出来るのも含まれてる筈なのだ。
それが前述みたいになって来ると阻害され、普段はどうあれやはり基礎や歴史を誰でも少しは知っとくべきだと思ったのだ。

要はAmpで歪ませてみるのの事で、知れば知る程「便利過ぎる歪み系Effector」の弱点・欠点を痛感するだろう。
これに際し歪みの音色の作られる原理とか、要素についておさらいだ。
更にこれに際しエレキの歪む前の音から行かせて貰うが、その時の音は
生ギターより低音高音は沢山出せたりもするが資質的には同類だ。

今日俺的には歪ませエレキはヴァイオリンに匹敵するメロディー楽器と認識してるが、それは音の余韻を長く出来る様になった為と思っている。
メロと云ったら王道は先ず人の歌声だと思うが、長い音・伸びる音が限度はあるが自由になる。
それが歪ませない内は無理だったから、対応出来るメロに制限があった訳だ。

この長さ以外についてが今回扱う処だが、歪ませで起こる音色変化とその調整である。
元が歪まない時に適した音色なので、Guitarなら歪ませると大抵はバランス的に低・高音過多となる。
生では小さかった成分が、感度が上がって聴こえる様になる。
逆に元から大きかった部分は、歪む事で大凡一定レベル以上には大きくならない。

これを実用的にするには多過ぎるのを適宣「削る」のだが、その加減がその人の腕の見せ所であり個性となるのだ。
歪み自体もやり方で数種あるが、上記の音色調整みたいに無限にありはしない。
また削り方にも大別すると2種あるが、歪ませる前か後かである。
無論両方の組合せもあるが、原点的にだと基本的に前しか無い。

それは電気楽器Ampが当初は歪ませて使う想定が無かったからで、Amp回路の後段へ行くほど歪み出すからだ。
事の初めは低出力なGuitarを繋いでも所定の音量が出せる為に、入力感度に余裕を持たせていた処だ。
それをわざと歪ませたまま使おうとしたのがコロンブスの卵だったんだが、その信号経路を辿ってみよう。

エレキ本体の出力はどうしようもない程微弱で、真空管時代は増幅が一段やそこらではどう頑張っても歪む程信号を大きくは出来なかったのだ。
電子素子の進化で半導体のトランジスタは球よりは増幅率が上がったが、それでも最低2段は無いと無理だった。(ジミヘンなんかのFuzzが該当)
たった1段でも手に負える様になったのはずっと後の、集積回路(ICオペアンプ)登場以降だ。

それ等の流れもあってトーン後掛けは後年になってからが主体だが、僅少な例外がVOX AC-30辺りだ。
こ奴はパワー段に「Cut」って名のツマミが付いてて、かなり大胆に高域を削るのも可能な様だ。
他のと違った回路のお陰で高反応だが若干ノイジー、要らない時はついでに雑音も減らせそうと考えてなのかは知らないが…。

トーン先掛けの特徴は調整次第で歪み方も変られる処だが、音色と歪み方のせめぎ合いって制約はある。
一方後掛けは音色と歪みを独立して加減出来るが、歪みは殆ど深さしか変えられないのと高域を絞った時に「歪みの高域成分」も一緒に減ってしまう。
加えて軽く歪ませた場合に弦によって歪み度合いが違っても、Amp側でそれを解決する手段が通常はほぼ無い。

そんな訳で最初にAmp歪ませ体験をするなら、敢えてOverdriveチャンネル等が付いて無い真空管物が学習するには最適だ。
「もっと歪を」でFuzzを用いたジミヘンも常にOnでは無く、結構古典MarshallのAmp歪みだけの使用箇所も多い。
メタラーにとってVan Halen以上の歪みはAmpだけじゃ無理って制約はあるが、最初からEffectorだけに行ってしまうと本筋が学べなくなってしまう。

自由だとある意味キリが無いので、その人に合った加減が見つかる迄はかなり面倒だとは思う。
だが何処にも売って無い他のと違うEffectorを自ら作れて、尚且つ使える好みの音に仕上げられるならもう立派な楽器屋さんだ。
歪みを
Effector頼みでもオリジナルサウンドにするにはこれが必要で、さもなくば同じのを持ってるどっかの誰かと殆ど同じ音しか出せないのだよ。

どうせ他と大差無いなら今だったら打込みがお得、一度完成させてしまえば絶対にトチる心配が無いんだからさ。
お馴染み180°転換論だがこんな今だからこそ人力を選ぶなら、機械依存率を下げられる程良い意味での差別化が図れるのではないか?。
人次第で認識差はあろうが例え好みや所望の音に届かなくても、Effectorは無くてもエレキGuitarは本体とAmpがあれば楽器として成立する。

無いと困ったりもするから重要だけれど、それ故やはり
Effectorは楽器では無いのだ。
万一
Effectorを上位に置けば、楽器や演奏側に必ず妙な不都合が生じるの請合いだ。
世間に極マイナーな俺体験ではあるが、知った上での方が
Effectorをより上手く使えるのも確かだから。

<つづく>

ドラマー用ヘッドホンⅣ やっぱり、でも違った!?

昨日従兄の処で試し録りで使ったVIC FIRTH SIH2の、その後のインプレだ。
全くヘッドホンテストをするつもりも無かったんだが、期せずして一通り被る事となったのだった。
ま、しかしある意味実戦使用であるから、只の試聴より場合によっちゃ価値があるかもで記して行こうか。

元はと言えば事前連絡を受けてた、彼の作りかけの曲へGuitar・Bass入れの要請であった。
「デモ録りだからテキトーで」っても曲の事前情報が殆どコード進行とテンポだけだったので、
俺要望で彼には口によるガイドメロを入れて貰うとした。
先ずClickと一緒に俺がCD900STモニタで、自作バッファ経由でBassをLineで録った。

BassとClickが録れた段階で音程とテンポは確定したので、彼が先の
口ガイドメロ入れをしようとした。
この口ガイドメロ時モニタに最初はSIH2を彼は被ったが、歌い辛い為録音用モニタスピーカへ切り替えた。
だが低音残響多め環境の悪影響でこれも音程が取り辛く、先に彼自ら鍵盤ストリングスを入れる次第となった。

これで環境改善効果があって、口ガイドメロも無事録り終えられた。
このメロがちゃんと聴けてみると結構エキセントリックで、残り時間も多く無かったので宿題にさせて貰った。
課題は無いよりゃあった方が幸せだが、最悪は正月が無くなるであろう。

そして昨日の録音最後はGuitarバッキングをストラト+球Amp使用と決まったが、PUの拾う誘導雑音の最小化の為に立ち位置を移動した。
すると
CD900STのケーブルが届かなくなったので、それがより長かったDirect Sound EX-29へお取替えとなった。
体験済みで音色概知なのと爆音手前の音量だったのもあったか、これと云って両ヘッドホンに違和感等は一切感じなかった。

これの何処がインプレかと慌てなさんなダンナ、後出しで悪いが彼がSIH2被った時途端に「うわーホワイトノイズが凄いわ」と漏らしたのが今回の要点だ。
俺はMic録音はゲインが大きいからんなもんじゃねと返答しちまったが、実際自分で被ってみたら「あらホント、こりゃ失礼」であった。
本項前回の俺疑念は半分当り半分ハズレとなったが、硬さは小音量だったからか気にならなかったがどうもf特がフラットじゃなかった様だ。

持ち主の彼曰く「小さ目音量向き」はこっちも先刻解読済みだったが、まさかこんなに高域を持ち上げてたとは気づかなんだ。
うるささの原因が硬さじゃなくこんなのとは、正しく想定外とはこれを指すって感じだ。
俺様程の者が(何処が!?)騙されたのは、多分持ち上げられてる帯域が高域限界域近辺だったからではと今では思っている。

現代環境で普通にオーディオ再生する場合、音源はほぼデジタルだ。
これは無音時にテープだったらあったヒスノイズ等が無いし、プリアンプ部も大抵デジタルだからホワイトノイズは極少。
それが録音で久々にアナログプリアンプを使ったので、漸くハッキリ見えたって寸法だ。

それともう1つはSIH1が言うなれば「高音だけヘッドホン」だったのと比べて、今度のは低音が聴こえたって印象が増幅されてた様な気もする。
また普通の多くの楽音は音域が上がるに従い、物理的音の大きさは減少している。
なので目立たない処を持上げられてたんだが、そこを非爆音ででも聴き取りたい時等は重宝するかも知れない。

だが俺的には「後から個人で加減が出来る」部分に、最初から「癖」を持たせた物はお勧めし兼ねる。
特に「それしか持ってない」や「殆どそれしか使わない」場合に、知らぬ間に癖のあるのに耳が慣れ過ぎる懸念があるからだ。
人耳にはメータ等客観的判断が出来る何かが付いていないから、もし洗脳されててもとても把握し辛いのだ。

フラットな特性のヘッドホンで必要に応じて、低音上げるとか高音上げて聴くのは別に難しくないからね。
尤も「元から出せない・出ない」のだと論外で、その面でSIH1等はこれに該当してそうだが。
SIH2だって「その分高域下げて使えばいいじゃん」は間違いじゃないけど、「その分」の分量を素人では正確に測るのが困難だ。
兎に角「何もしてない時」は「そのままの音」が出てくれた方が、不安定な人耳には安全なのだ。

それからドラマー用としてについてもまだ残った疑念があるんだが、太鼓生演奏時奏者にうるさいのは確かに高域だろう。
それだけを単に取上げれば奏者装着時のSIH2は、あたかも「音量だけ下がった普段の音」になってるとは言える。
しかし他の奏者や聴者等へは、元からそうは聴こえていない!。
Guitar・Bass等「移動できる奏者」は「近くて駄目」と感じた時は離れて出音確認を取ったりしてるが、ある意味そのチャンスがあったのにドラマー耳に固執し過ぎて放棄しちまったと言える。

しかもKOSS QZ99等と比べて
SIH2は低域遮音性が劣るのを加味すれば、昔風の高域が殆ど無いBassの聴き取り等は結局今度のバージョンでもまだ不足となってしまうだろう。
良くも悪くも真にドラマー用ヘッドホンなんだろうが、アンサンブル観点で見るとかなり「危険な代物」に思える。
俺的には「パート分断促進機」となり兼ねないので、少なくとも他のヘッドホン無しで使うのははばかられるかな。

この
SIH2も本来は物が悪いんじゃなくて必要な説明が足りてないだけなんだが、使用者側で簡単に見つけられそうにないから不親切だ。
いっその事ど素人全開の大阪のオバチャン辺りに、あらゆるシチュエーションで試してでも見て貰ったらどうか。
簡単単純でも基本的な処については、案外素人感覚ってのもバカにならないもんなんだが。

2018年12月26日 (水)

真実の音質とは⑮ 電気楽器的高音質って何編

俺は不当価格面(対性能・機能)も含めヴィンテージ崇拝は微塵も無いが、近年設計のAmpの音の悪さには疑念が絶えない。
高機能で便利になって雑音も減って、メンテも楽になってるのにだ。
それは楽器の一部分としての能力にかなりの衰退を覚えたからで、これもやはり方向性設定に難がある様に思えるのだ。

俺自身も末端だが技師の端くれなので注意してるが、音響と楽器では重なる部分が多いも全く異なるニーズを持ってる処だ。
楽器界でも生楽器系では平気なのが、電気を用いた途端にこれが忘れられている様に感じる。
ここでの事前必須知識は電気音響の基本的性質の理解で、言われれば知ってても案外普段は忘却の彼方になってそうだ。

生楽器では音若しくはその原動エネルギーが物理的なのしか無いので、一度減衰したのを強める手段が無い。
だから必然的に「源」に悪影響が無い様に注意が払われるが、例え電気力のアシストがあっても元が物理エネルギーなら条件に差は無いのだ。
それがどうも後から弄れるからと、どんどん疎かにされているのが宜しくないのだ。

現行電気楽器の設計は実使用時に石(半導体等)Ampにしか繋がないとしても、その殆どは未だ基本真空管Amp対応仕様だ。
もし
石(半導体等)Amp専用なんてのがあったらちょっとは状況が異なるかもだが、少なくとも是迄に成功例を見た試しが無い。
現時点では球しか無い時代に構築されたシステムのが楽器として優秀だったのもあって、そこに留めている感じだ。

音響機器であっても楽器のそれに真っ先に必要なのは、僅かでも弾きが違ったらそれが出音に反映される事だ。
奏力不足だと粗がバレ易くなるからこれはとても厳しいが、折角上手になれてもそれを存分に発揮出来ないのでは夢も希望も持てないからね。
知らぬ者には意外だろうが、実は未だに
石(半導体等)Ampはこの目的を果たす能力を持っていないのだ。

近年ではデジタルAmpも増えては来たが、それですら楽器性能的には回路が複雑過ぎて不適当なのだ。
現時点で楽器Ampではまだ主流のアナログ
石(半導体等)回路の弱点を、先ずは御披露しよう。
物理的性能なら明らかに管球式より上なんだが、その殆どは「不都合なからくり」を用いたらの限定付きなのだ。

そのからくりとはフィードバック(奏法のとは全く別物)技術の事で、回路出口の音が入り口のと違ってたら修正すると云うものだ。
これは決してまやかしなんかじゃないんだけど、悪くなってから直すのに僅かでも時間が掛るのが難点なのだ。
つまり「間に合わなかった」分は、劣化したのをそのまま垂れ流してるのだ。

管球式でも出力段には古くから用いられてはいるが、回路の増幅率が低いので気休め程度の効果しか得られていない。
また世間の大勢が失念してるのが所謂裸特性ってので、フィードバック回路無しなら今でも管球式の方が高性能な処だ。
それ故
石(半導体等)Ampは楽器用程高反応を要さないオーディオには何とか耐えても、楽器には適してない方式なのだ。

ここで改めて球と石の適性のおさらいをするが、一般用途なら消費電力や大きさ等の点で石は絶対的優位がある。
性能範囲の広さも応用が効くので良いが、単体楽器用途にだと不要だ。
また是非皆さんに「再考」して頂きたいのが「求むるべき性能」で、なるべくなら楽器的には録音機より上回っているのが必要な処だ。

但し「楽器性能」であるから「音響機器性能」とそのままの比較をしたら駄目で、優先要素の違いの把握が重要になる。
例えば音響で雑音は微小レベル音の聴き取りを邪魔するからご法度だが、楽器ではその為に器楽音に変更を加えられるならその方が不都合だ。

音響では音源に入ってる低音・高音が漏れてはいけないので、極力可聴帯域全域が確保されねばならない。
だが楽器では繋げるものが出す範囲に対応出来れば良く、寧ろ余計な帯域が出せると「雑音だけの帯域」となって逆効果となったりもする。

電気理論観点のみではどっちも音響増幅と同じに見えるが、実際には楽器も熟知してないと上手くは作れないんだが最近はどうもねぇ。
素人がAmpを持つのに機能や価格等の都合で石へ行くのは仕方無いが、それは言わばシミュレータと思っとくと良いだろう。

近年ド下手は居なくなったが、過去比較では達人・超人が出なくなったと感じられる。
全く確証は無いがもし球Amp経験の無いせいだったら、奏者的には死活問題なのではと危惧される。
生ピアノとかドラムだったらどんな高性能のでもデジタルのだけで練習してたら、生でやって来てる人に負けそうと誰でも考えるだろう。
電気楽器ではそこが球か石かが該当してるんだが、すっかり見過ごされてる様だ。

そんじゃ上手くなりたきゃ球のを入手するとして、大きな注意点がある。
現代高機能のの多くは切替回路に石や半導体が使われてるが、これは極力避けないと本件には合致しない。
なので不便だろうけど何も付いて無いの程回路が単純で、信号経路も最短になるから弾いたままが出て来る。
Guitarの歪みすら極力直結が良く、どうしても不足する分だけ外付けコンパクトEffector随時追加が望ましい。

別にそれを必ず録音で使わなくても構わないし、楽曲内での正規の所望音色が出せなくたって構わない。
俺はほぼ偶然で練習が球のになっただけだが、そこで発見した事がある。
原始的球Ampで習得したのだと、音色は違えどAmp無しでも弾いて出た音のニュアンスは全く同じになってたのだ。
要するにAmpが何もしてくれん分、自らの手が何とか出来る様に自然となってた訳だ。

生楽器ですら拙ブログ別項で述べたように影響がある様だが、どうやら電気楽器の方がもっと影響が大きいみたいだ。
しかし何分「電気に化けた機械の中の音」なんてのは全く見えないし知る由も無いから、何も考えずにほっといたら一生涯気付くのさえ無理っぽい。

最後に機器の高音質の定義を再確認しとくが、先ず物理的性能と人の感覚的なのは一致していない。
更にオーディオと楽器でも異なっていて、更に更に高音質なら必ず何を聴くにも気持ち良いかっつうと実際はそうでも無い。
もし酷い音源のだったら高性能な程粗が全部耳へ攻撃して来るんだから、却って最悪だ。

そこで機器どうこう以前に演奏レベルが問題になるが、それを育むのに楽器的高音質が要るって寸法なのだ。
なので上手くなれる迄はこれだと粗見え見えの不親切で、一瞬入手を後悔するやも知れん。
だからって上手くなれるチャンスをわざわざ減らすのは、勿体無いと思うがどうだろう!?。

2018年12月25日 (火)

真実の音質とは⑭ 音量と音質の関係性 オマケ編

前回の今更Bee Geesもかなりだが、今はその呼称でなくなって久しいFEN等を出してしまった。
概知の方には退屈かもだがその場合懐かしんででも貰って、一応これらのプチ用語解説みたいなのを開催しますだ。

1.FEN(Far East Network)
現在はAFN(American Forces Network)と呼称が変わったが、要するにアメリカ進駐軍兵士向けに始められたAMラジオ放送だ。
俺が生まれた時点ではまだ
正規FM放送開始前で、幼少時にタダで日常的に洋楽を聴けるのはこれしか無かった。

俺の親父がセンスに乏しい大正生まれの軍隊上がりだったからか、舶来指向は無かったが本邦音楽にダサさを感じていた。
その当時の俺的にオシャレさと親近感を抱いたのはRock系だったが、本邦のラジオ・テレビでは取扱いがほぼ皆無。

本土在住の一定以上の世代で幼少時から洋楽に親しんでた者には、恐らく例外は無いと思われる。

2.ラジカセ(ラジオカセット)
名前の通りラジオとカセットテープレコーダが一緒になってるだけだが、これが出る前後で使われ方に結構違いが出たのだ。
オープンリール時代は取扱い難易度の他に高価なのもあって、一般人が使うのは必要時中心であった。
カセットテープが出て誰もが用いられる様になったが、録音には別の手間も掛ったのでまだ誰でもでは無かった。

自動録音レベルが付く様になるとこれもクリアされたが、チープ音質のラジオを同じく低性能の内臓Micで録れば音が悪いし周辺雑音も入る。
かと言って当時の素人に有線接続は困難かつ面倒だったのが、これの登場で簡単になったのだ。
個人的には幼少時よりヲタだったから手間や知識には困らなかったが、お金の掛かる接続ケーブル購入がネックだったのだ。

それにラジオは一方向通信で個人の都合に合わせて放送されてはいないので、聴いてて録りたくなってから線を繋いででは間に合わなかったりもしたのだ。
これを予め録っても良いテープを入れて置けば、ボタン一押しでいざ鎌倉が可能になった。
今なら無知の新曲はネット経由が多いから取敢えずブックマークしとけば済むが、昔はこんなのじゃないと一部概略保存すら出来なかった。

3.昔の一般向け音機器の性能実態
音響とかオーディオと呼ばないのは主に性能面からで、応接間に置かれてた管球式ステレオですらミニコンポに届くかどうかであった。
真空管物は人耳馴染みの良さ等では今よりずっと秀でてたが、シビアにだと良かったのは雰囲気だけとも言える。

石(半導体)物だと今の百均のにも負けそうに貧相で、今だったら音切れだけ起きない携帯電話とでも比喩出来るかだった。
そんな時代でも業務用や専門家向けオーディオならそれなりの性能を持ってたが、如何せん超高価でVIP専用状態だった。
レコードも洋物は高価且つ入手難だし、子供にとってはたまにのシングル程度で精一杯だった。

だがしかし平民が音楽を軽く楽しむって観点に立つと良い面もあって、頼れないだけにしても物理的音質以外がもっと重視されていたのだ。
音質は良いに越した事無いし、誰でも知ってしまって入手負担が軽ければそっちへ行きたがるだろう。
でもオーディオマニアじゃない人には、それよりホントは「感性的」性能の方が大切な筈なのだ。

幾ら高音質でも作品の持ってる雰囲気や世界観が、少しでも違って聴こえたら印象が違ってしまう。
音と云っても分析や解明では無く
食べ物じゃないのに味ってのも何だが、味だとか匂いだとかを連想したり出来る方が大切だ。

鉄道ファンなら電車を見てあれは強制空気圧振り子付の50000形VSEだのと認識するが、普通人は小田急の特急かとかせいぜいロマンスカーと思う位だろう。
でも実質的に乗り間違えせずに済むならその程度で充分事足りるし、それより忘れ物や食事等の心配の方が旅には大事だ。

嘆かわしき本邦現況に「雑音の気にし過ぎ」もある気がするが、そいつぁデジタルの奴隷になった様なもんだ。
誰にでも雑音が感知し易くなったのは確かだが、雑音皆無でも音楽自体が魅力不足ではちっとも楽しめないではないか。
乱暴に言ったらつまらん聴きたくならない物にだと、聴かないんだから雑音の有無等無関係となる。

音楽技術面でも現況の方向性は大きな誤りで、ありのままが記録出来る様になったからこそ加工は要らなくなった筈なのだ。
音質の問題で聴き取り補填がどうしても必要だったから、昔は弄らざるを得なかっただけ。
尤もかつては思った程は弄れなかったんだが、だからって猫も杓子もで弄り倒しても仕方無かろう。

そしてデジタルはそのまま記録の他に、音色加工機器の超小型化(低廉で)ってメリットがある。
よりもっと聴者の好みで弄れる様にするのが簡単に可能なので、元ソースに掛けとく必然と価値はもう無い。

後から出来るのに先にやっちゃって、聴者の弄る余地を無くすのに変な訳でもあんのかなぁ?。

もっと一般的なのに置換すれば、昨今では腕時計をしてる人が随分減ったのと類似例であるべき処なのだ。
ガラケーやスマホに時計が入ってるから腕時計をしなくても平気だが、だからと云って手首に何も付けられなくなっちゃいないよね。
何でJ-POPだけそうなってんのかなぁ、可笑しいなぁ、不思議だなぁ?。

2018年12月24日 (月)

真実の音質とは⑬ 音量と音質の関係性 続編

そればっかとの声がしなくもないけれど、理解を深めて欲しい気持ちを込めて行きたい。
異常明瞭度強調で適正な効果が得られるのはかなりな小音量時限定なのを、
又してもであるが書き漏らしてしまった。
これは環境制約等で最低限の適正音量すら確保不可な時の、元来は裏技なのである。
それ故異常×異常=準正常の方程式も成立するんであって、普段に用いるのは全く相応しくないのだ。

それが近年本邦の悪況をもたらした最初は、プロ側の過失と言える。
ってのも素人が音がどうするとどうなるかを知っている必要も無く、当初は違和感を覚えたとしても飼い慣らされてしまったとみていい。
この慣れの他に例えば自分が遊びで爪弾いたのと違う音に対して、本当はそうでなくても流石プロは違うなんて誤認しても責められない。

ここから異常明瞭度強調の異常を無理と言い換えて進めるが、その無理を列挙して行こう。
①物理的に音の全てを同時に主役化するのは無理
②不要に目立つのがあると背景音の聴き取りが無理になる
③常にフル目立ちさせているとそれ以上に強調したくなっても無理
等と全力疾走直後でも、寝てる時の様に呼吸しろって迫られるのと同義となる。

これに関し勘違いされてそうなのの代表としては、音の存在感と明瞭度に比例関係は無いのの見落としだ。
曲が始まって割とずぐから聴こえるとその音が居るのは認識し易いが、それは単なる出欠提示に過ぎない。
存在感はずっと入ってて他にも影響を与え続けてたりするのについてであって、どんな音かは関係有だが何の音かは必ずしも要る情報では無い処だ。

大変マイナーでコアヲタな凡例で済まぬが、もっと良いのが見つかったらその時点で提示するとしてだ。
個人体験に過ぎぬが若き日々のBee GeesにRun To Meって曲があって、それには時々得体の知れないポコポコいう様な音が入っていた。
これは昔のアメリカのであるが、当時から彼等はポピュラー王道まっしぐらだったのも付記しておく。

これの私的解明過程が本件に役立ちそうだからの掲載で、最初は只の雑音かと思っていた。
何せ米軍のAMラジオ放送「FEN」で遭遇し、次回の放送をラジカセでエアチェックしたので聴いていたからだ。
だがその後FMをステレオで聴いても件の音に変化は無く、近年まで正体不明のまま存置されていた。

改めて捜査再開後の次の見解は「口」で、歌のパーカッシブな遊びなのかと思った。
彼等は言わずと知れた名うてのコーラスグループだから、そんな芸当をやってても何の不思議も無いからね。
それが最終的に漸く解明出来てみるとそれ迄の全てを覆すもので、何とピック弾きエレキBassのアタック音だったのだ。

俺様にしては情けない!?話しだが、これには大きな!?訳がありましてん。
これで弾かれてるBassは俺熟知のRickenbackerなのに益々お間抜け疑惑が高まるかだが、張られてる弦が「フラットワウンド」なのに惑わされたのだ。
大昔に偽リッケンでの体験があったけれど、もうホントに「あれから40年」では流石に想い出すのに時間が掛ったのだった。

この
Rickenbacker4000シリーズ+Flatwowndには他に類を見ない独特な特徴があって、弾いた時のアタック音がかなり分離独立して聴こえる現象が起きるのだ。
特にピック弾きでは顕著になるが、今流に置換するなら殆どスラップのサムピングみたいな音が出る。
但し弦のせいでブライトにはならず太目となり、全くとんでもないヤツだ。

個人差は承知の上で申すが解明に45年も掛っても、それ迄忘れなかった忘れられなかった事実がここにある。
ほんの一例に過ぎないが、こんなのも立派な音の存在感の1つなのだ。
そのせいで曲と俺には珍しくずっと題名迄忘れずに居られたんだから、これはもう大変な効能であろう。

これの追加情報だが、先ず曲的にはBassのアタック音は不要な感じだ。
しかも大まかに分ければ2種あるみたいで、Bassのそれと思えるのとそうでないのがある。
後者は主に曲の後半に多く現れるが、ちっとも聴き取り易くも無い。
しかしもし簡単に分かる様な音量だったら歌の邪魔になりそうだし、ミステリーでは無くなってただろう。

つまる処楽器音にもイントネーションはあるが、歌詞(日本語だったら主に子音部分)は無いので同等の明瞭度は不要な場合が多い。
時に目立つが歌詞聴き取りを阻害しない音量バランスになってたから、両者の併存・共存が出来てる訳だ。

歌わず楽器演奏だけの者には酷かもしれんが、ポピュラー音楽である為には歌詞がある時は寧ろ楽器音を聴かれたら不味い位と覚悟を決めとこう。
良く聴き込めばあれもこれもになってても一向に構わんが、「聴こえた」程度で聴くのに少しでも負担が生じる様ではお話しにならないのだ。
なるべくなら一発目で曲の骨格が簡単に捉えられて、それ以上に興味を持って貰いたいのだ。

こう云うニーズの場合必要情報量は少ない程理解が早まるので、目立つ音は最低限迄少ない方が適している。
ここで特段気を付けて頂きたいのは、目立たないからって入って無くは無い点にありまする。
本当に裏が留守なのとそうでないのでは、全体の雰囲気は全く別物になるからだ。

もう一点よぉ~く確認して頂きたいのが目立つかどうかと聴き取り可否の関係性で、どちらかっつうとホントは無関係な処だ。
寧ろ目立たせた音単一内ですら、その目立ちのせいで含有量の少ない個性等の情報は却って捉え難くなたっりすらするのだ。
収録後加工前から目立ってたのは別として、後加工で目立ちを加えるだけでも情報量は増加する。
数が増える程主役は埋もれ易くなる訳で、これも寧ろ弄るなら出過ぎちゃってるのを引込める方が効果絶大なのだ。

更に適正以上若しくは大音量時となると上記現象が増加して、例えばBassの中低音が大き過ぎ(量が多過ぎ)て他の音が聴き取れなくなる等が起きる。
他分野で例示すれば地震の揺れで立ってられなくなるのと類似で、もし手摺等へ掴れば立ってられても結局体が揺すられ自由にはならない。
残された道は音色が保てる範囲で「削る」しかないが、贅肉を削ぐだけだから心配ご無用なのだ。

近年の現場状況が無知なので何だが、音色を調整するEQの基礎的使用法も増やすんじゃなく削るのが先だ。
結果的に同一バランスを得るにしても特にアナログの場合は、増やす側主体で用いる方が劣化が多くなりがちだ。
これは音色変化させるのと一々同時にオーバーレベルの注意を要するんだが、微妙なレベルの時にどうしても見落とし易い為だ。
音色調整で減ったのを上げる分にオーバーさせるなんてのは滅多に起きないし、足りないのを見落す心配もまず無いからね。

2018年12月23日 (日)

真実の音質とは⑫ 音量と音質の関係性

今しがた従兄の太鼓の先生のTwitterでVIC FIRTH SIH2の感想記事を見たが、「エイジングが進んで高域の硬さが収まって来た」に半信半疑を覚えた。
要点を先に述べると「音量の大小次第で違って聴こえる」点で、彼のは部屋聴きでのだったからだ。
従兄も古くからのオーディオファンなので一応これを知ってると思うが、注釈付きとしてない辺りに俺との認識度の差が感じられた。

音量次第で音色が違って聴こえるの自体はかなり皆知ってるだろうけど、それが及ぼす具体的な状況は案外周知されてないのではと感じている。
Guitar Amp1つをとっても宅練用のをフルアップにするのは通常不可能に近いだろうし、Studioのを物凄く小さく鳴らす機会も僅少だろう。
そーすっと普通はAmpの違いで音色が違うと思うだろうが、本当にそうかどうかには証拠不足だ。

以前から指摘してる如く音量如何で人耳の特性は変化するし、スピーカにも人耳よりは少ないがこれがあるのだ。
だからせめてそれぞれが出せる最大音量で比べたりでもしないと、先ず機械側の条件が不揃いなのだ。
それでもその音量如何に依っちゃ人耳の方はイコールコンディション未到達もあり得、これの解決には録音したのを同音量で聴いてみる必要さえあるのだ。

ある程度以上の音量が出る楽器をやってると実感出来るかと思うが、自らの楽器とオーディオでの音量感覚の比較だ。
実際には楽器の方が数倍大きくても、オーディオの方がちょっとの事でウルサく感じられたりしないか!?。
それは出てる音が違うからってのもありはするけど、最大の原因は自分が出そうとしたのか他人が出したのかなのの差だ。

汎用オーディオでは再生音量対応範囲を広げる努力が払われてるが、これの限界は案外低いし近年の大抵は小さい方がより重視されている。
本邦近況では器楽のみや外国語の歌が敬遠され気味で、これには歌詞の聴き取り易さが最優先となる。
それを満たす中に「小音量でも」も含まれるとなれば、大多数のオーディオは生での現実より明瞭度の高い音に舵を切られているのだ。

この現実乖離のある面不自然な傾向だが、しかしヘッドホンポータブルオーディオの普及には必要だった。
近くの周囲の他人に迷惑を掛けぬにはなるべく小音量で、聴く本人にはそれでも全部が聴き取れる様にする為の方法だ。
最近は「ノイズキャンセリング」も普及して来たが、これも殆どが電子式なので生より硬い音になってしまう。

馴染みのある音程楽に認識出来るからか、これがPAや楽器Ampにも及びつつある様だ。
それでも
楽器Ampで全く同じにすると不要雑音も目立ち過ぎてしまうので、他の一般用途音響機器よりは程度が軽いみたいだ。
尤も聴きたくない人の耳には楽器だろうが生の歌声だろうが、騒音公害でしかないが。

この辺で俺らしく物理的解析へと向かうが、最初はスピーカについてだ。
小音量で明瞭ってのは高反応が要求されるが、それは大音量時には過剰反応になるって事だ。
大多数の一般的スピーカは電動でも未だ純然たる機械で、性質を機械的に切替える機能を持っていない。
電気のみで出来る切替もあるが
本件については関与不可、つまり狭い範囲にしか最適化が出来ないのだ。

人耳については今迄未出の部分中心で行くが、読み取り認識的な面では視覚のそれに近いものがある。
今の俺はベリー老眼になったから論外だが、若い時でも明るさが不適切だと微小文字が読み取れない時もあった。
これは画像的に述べればコントラストの過不足で、どっちも字とその背景の区別が付き難いのから読み辛くなっている。

処が字で無く自然の景色等となると時として様相が反転し、個別の造形より全体の印象のリアルさが大事になって来る。
ここで文字は人工物・景色は天然物なのに着目すれば、例え不明瞭でも全体印象に勝ってるのの方が生肉眼と近い事となるのだ。
目も耳同様「見たいのだけ見る」機能があるので、これを抜きにしてボーっと眺めたものなら実際がこうなってる筈だ。

音での俺的代表例としてはSONY MDR-CD900STとKOSS PRO4AAの音質比較が推しだが、本件比較観点では前者は音量が小さい方・後者は大きい方へより特化されている。
どちらも実績充分な業務用なので苦手側使用でも聴き取れなくはならないが、前者は過剰演出でウルサく後者は人側が集中してないと聴き洩らす位目立たなくなってしまう。

業務用モニタなんだから聴き取り第一なので煩かろうと聴こえればと皆さん思うだろうが、それは機械面だけの都合でしかない。
プロであっても聴くのが人である以上、疲労の影響は全く無視出来ぬのだ。
1日中連続でそれなりの音量で聴く等の状況下では、疲労度は最早死活問題となって来る。
なのでせめてそんな時は後者しか使いたくない、俺はそう感じている。

これの如く近年俺が気になるのが、機械的技術のみへの偏重だ。
かつてのは技術レベル不足からの苦肉の策だったとは思うが、どんなのにも実使用面にもっと配慮がなされていた。
前出の例だと「ボーっとしてても耳に入る」だけなら楽だが、その分不要なのもみな煩いのでは疲れさせられる。
「集中してないと」の方はその負担は掛かるがそれ以外は楽となると、状況次第で割合は変動するが疲労度の大略は似た様なもんだ。

しかも大音量時には後者の特性はニュートラルとなるのを思うと、小音量がデフォでないならCD900は過労ヘッドホンと言えなくも無い。
楽器やPAでも近年の誤った明瞭化一筋には、大いに警鐘を鳴らしておきたい。
近年楽器の音の中へ古いのを持ち込むと一聴地味に感じられたりするが、録ってみればそれ程でも無いのは前に記した。

これから紐解くとある程度以上の明瞭度は必要だが、過剰となれば他楽器音を阻害するだけとなる点だ。
これは歌が不要に目立ち過ぎて伴奏が聴けなくなるのも同様で、俺言い「明瞭度競争」は最終的には音楽に死をもたらすのみと吠えとこう。
要するにキリが無いし、皆が一斉に押し駆ければ結局は区別が付かなくなっちまうだけなんだよねぇ。

バーゲンセールへ挑む恥も外聞も捨てたオバチャン達の仁義無き戦い、そんなのが必要なのは音楽ではかなり少ないと思うが如何かな。
格好良く決めたつもりのジェイポッパー、その実上記のオバチャンと何ら差異無しに見えてたら辛いんじゃないスカ。
こんなのを避けるには小音量時の為の明瞭度であっても、必要最低限に留めておくのが肝要だ。

何より精神と健康を蝕むしか無いのが大音量時の不要明瞭化で、ゼスチャーに変換して考えればどうだ。
動きが小さいと区別が付き難いから、何らかの演出的強調がある方が分り易い。
だが充分に大きなそれと分かる動きがもう出来てるなら、余計な添加物は純度を下げるだけなのだ。

この場合疲労度も音量に比例して大きくなってるから、幾ら明瞭度を上げたって疲れ過ぎたらもうマトモになんか聴けなくなるから意味が無いのだよ。
そもそもかつて大音量が流行ったのだって、バカでかい割には意外と気持ちいいぞがあったから。
Guitarを歪ませるのだって同じで、下手が闇雲にFUZZったのしかなかったらここ迄一般化しなかった。

とどのつまり音楽聴取に於ける明瞭度とは、ワサビやスパイスと似た様なもんって訳。
足りないとそれこそ物足りないが、多過ぎたら辛くてもう食べられませんって。
多過ぎだとそれを付けた元の素材の味は、ハイもう分かりませんね。
ブラック発想ではその為にわざとやってるなんて云う…。

俺体験例で挙げられるのに、Deep PurpleのMachine Headを初めて耳にした時の感想がある。
当時小学生になったばかりだったしその手のを耳にした経験も皆無だったが、「何でこんなに歪んでるのに綺麗なんだろう」と思ったものだった。
この音より後で生まれた人には、無理そうだけれど…。

2018年12月21日 (金)

コンプレッサー(リミッター)の話し⑥ Bass編

前回アンサンブル的な音量バランスが得られるのは、手加減しか無いのを述べた。
これのエレキGuitar以外のについてを前半で、その中で生では無いのに一番面倒なBassのを後半に記して行こう。

確実性の面で人力より機械を選びたがるご時勢だが、録音の場合は機械が単純作業の場合にしか同じ様にはなりません。
しかも奏者自身が機器に詳しくてその設定からやれるならまだしも、技師頼みでは正確伝達の困難さ+手間が掛ります。
機械本願は弾く時間は最少になるので一見楽に思えるけど、実は単なる「気のせい」で御座候。

録り直しは部分的でも特に他人からの指摘だと滅入るもんだが、「まだやり直せる」「もっと良くさせられる」もあるから負けちゃ駄目よ。
そもそも今みたいに幾らでも弄れるったって「録った元のを」だかんね、元が良い程結果が良くなるを忘れんでちょーだいな。
では人力推奨を推す訳を以下に。

先ずはリズムのタイミング修正問題からだが、確かに今ではPCを駆使すれば「それだけ」なら自由だ。
だが前後の繋がりが他と違う感じとなったり流れが急変したりの弊害があるので、それを気にせん位なら打込みを選択する方が手っ取り早い。
打込みなら人力比較では不自然だが、一定の状態が続くって点で流れが阻害される事は無いのでね。

次に音程修正については微小レベル以外は上記と同理由で、音程が直っても余韻が変化したりするからやはり実質的には制限付きとなる。
だいいち絶対にLiveで演らない曲でも無い限りどうせ後で演るんだから、結局は正しく演れる様になっとく必要が無くならない。
ケチって先送りする意義はとても低いと思うし、箇所次第でパンチイン・アウト(部分録り直し)も可能ですし。

機器の発達と人の様々な事情等もあって曲の一発録りは大変だが、バランス以外の点でも音楽的に最有利なのは今でも不動だ。
なのでバラ録りするにしてもこれを念頭に置いとくのが重要で、1人で弾く時も頭の中では皆にも弾いて貰っとく感じで演らないとゴールが遠のく。
メンバー全員で演った時のを、しっかり記憶しとくのが前提となる。

映画やドラマの演技で「いかにも相手役が眼前に居るかの様な」ってのがあるが、音楽でも同じなのだ。
この手の演技力が不足してたなら、一緒に演らなければ確実にクウォリティが低下するのは覚えておこう。
尤もある程度の体験と時間は要るが上記認識を持ててたなら、これの習得は誰にでも可能なので心配する暇にもう一回演る様にして行けば良い。

そろそろお待ちかね!?のBassへ行くが、近年世間では錯誤による音量一定のが好まれてる様だ。
この錯誤と言ってるのはBassと言われると単体扱いしてしまう処で、音楽での役割を忘れなければ「アンサンブル内で必要量を安定供給出来てるか」なのに気付けるだろう。
つまり周り次第で単体では必ずしも一定にはならず、却ってその方が全体で聴けば何時も同じ割合で聴こえるのである。

ここで割合に拘るのは曲のコード(和音やキー)に影響するからで、これに問題があるとハーモニー迄台無しになったりするからだ。
逆視点では例えBass自体は聴こえ方が曖昧な感じでも、これ等が達成されてるならアンサンブルとしては寧ろそっちの方が合格だ。
この辺がメロだけとか雰囲気だけが目的のパートとは大違いとなる処で、個人(単体)視野は却って邪魔な位だ。

現に近年俺体験でもウチのギタリストがこれを把握し切れて無く、未加工の太鼓にわざわざ合せたのの意味を未だ理解出来ていない。
後でコンプにしても最初からバランスしてるのとそうじゃないのでは違いが出て、音量が揃っても音色が揃わなくなってしまったりするからだ。
俺はこの事態は彼が生楽器での録音体験が少ないのが原因と推察してるが、その点エレキでも特にBassは殆ど生と同じ扱いと捉えるのが良さそうだ。

そもそも(Ⅱ)只弾くに際しスラッピングと指を併用する場合等無配慮で無造作に演ると、同一音量なのに低音の含有量が変化し過ぎてBassパートとしての機能に支障したりする事がある。
確かにコンプの高等技駆使でBassの音程域を取り出したので「掛り方」の指令を出せば、それなりの安定度は得られる。
しかしそれをやると
今度は倍音の含有率が不自然に暫時増減を起こしたりで、音色が不安定になるから機械で両立は困難だ。

他の楽器だってこの要素は皆無じゃ無いが、Guitarで深く歪ませたりしてるとかなり緩和される。
この不安定は安定を求める際は面倒な性質でしか無いが、裏返せばそれだけ可能な表現巾が広いって事だ。
GuitarでもスラップはあるけれどBass程リズムの強弱表現は出来なく、これも安定第一なら今は打込みにすれば一発解決だ。

他楽器でも安定には打込みはご同様だが、「不安定=表現巾の広さ」必要時には打込みは非対応なのだ。
Bassで後からの機械で補填出来るのは小幅の一点のみと思っとけば間違いが無く、大幅加工をすると「弄りたく無い処」まで一緒に他所へ行っちまう。
なので妙な表現だが少なくとも初期段階には「大雑把でも良いから大違いは無い」のを目指すと良く、要修正箇所が多過ぎると弾いたのと別物化するだろう。

これが出来る様になった上で先述の演技力も持ててるなら、細心の拘り弾きで数か所のミスは部分録り直しの方法が初めて有効になる。
とは言えもしポピュラー系ならそこ迄じっくりBassを聴いて貰える事は滅多に無いしで、単体ではなく全体としての流れが確保出来てりゃ大抵は大丈夫だ。
下手な拘り方をするのは一般聴者には無意味だし、土台が神経質な感じだと聴者は何となく不要に緊張させられたりするもんだ。

また本邦では「Bassは指弾き」神話が根強い様だが、俺的にはこれはノータリン思考だ。
これホントに脳足りんで、一部の偶発を全てと誤解したのが源と思われる。
上記の様な「役割上の責任」を維持出来てたのが偶然指弾きに多かったのか、指でさえ弾けばと錯誤短絡思考されたのだろう。

実際は何で弾こうと役割意識が足りなけりゃ、「サビは良いけど他が何か音程感が足りないな」等となってしまうだけだ。
これを必要なだけ分かってればこそシンセベースなんてのも成立してる訳で、本来Bassパートに楽器の種類何ぞ一切無関係ってこった。
さもなくばBassレス編成なんて絶対不可能でしょ、実際は誰かどれかがコッソリとそれを担ってるから気付かなくても聴けちゃったりしてるのさ。

何かの楽器を演奏して音を出すってのは、結局最初は人力だ。
だからそれを忘れちゃお終いよぉだが、これの影響度は楽器の種類次第で差があるかと思う。
独断だが参考例として例外を除けば、
①生は100%
②基本的には歪ませない電気楽器70%
③歪ませる電気楽器や出音変化巾の小さい電子楽器40%
って感じだろうか。

因みに電子楽器でも表現巾の広いのだと、例えばデジタルシンセのサンプル音源のだったら殆ど生のつもりで△まで持ってける。
これの△から○への不足分は「本物との違い」で、一旦生のつもりで演って変だった処を奏で方等で修正って寸法だ。
楽器の種類って先ずは音色だが、結構「奏でられ方」が原因でそう聴こえる部分もあるからねぇ。

先の指弾き神話にしてもそうで、「次の音を出す準備で弾く前に指が弦に触れる」ってのがある。
これ音的には弦が動けなくなるからミュートになるんだが、タイミングが良いとあたかも「自動ミュート」となるのだ。
低音域となる程音の鳴る・鳴り止むの挙動が鈍くなるが、それ故無作為なレガートは明瞭度を損ねてしまう。

寧ろ必要時以外は次を出す前に止める意識が必要で、特に次音が他の弦へ移動する場合は顕著に表れる。
Guitarと同感覚で演ると止めたつもりが実際には間に合わず、次音の頭と被って濁ってウェーキッタネーとなりがちだ。
両手で急いで抑えてもBassの弦は長いから、何処かに震えが残っちまっておいそれとは止まってくんないもんだ。

んでお題へ帰結するんだが、特にこの部分は機械は担当外なのですわ。
何つったって例えば2弦と3弦が間違って一緒に鳴ったのも、録音では単一トラックに一緒に記録されますよってに。
後処理可能化には4弦のなら、弦別に4トラックでの記録が最低条件。
しかも隣の弦のクロストーク(音漏れ)ゼロが必定と、そんなんでやったって話し訊いた事おまへんで。

太鼓にマルチ録音があるのにBassに見当たらないのもこの辺で、弾き直した方が良いからってのがあるんでしょうな。
太鼓だってマルチにした処で大した分離度にならないが、「被ったら駄目」が滅多に無いのがBassとは違ってるね。
特に高性能なエレキBassはサスティーンが抜群だから伸ばしたい時は良いが、ミュート命って位気にして無いとすぐ被るよ。

それと比べりゃ太鼓はどんな高性能でも、すぐに減衰して音が小さくなるよね。
歪ませエレキGuitarでも格別にメロが明瞭なのは、やっぱりこの現象を意識して回避されている。
その点一度に1つしか音が出せない楽器は、明瞭度が最初から保障されてる様なもんだ。
管楽器の速いパッセージなんかも、これが理由でしょう。

2018年12月20日 (木)

コンプレッサー(リミッター)の話し⑤ 「ムラを減らしたい、が…」編

久々の続編だが今回は敢えて太鼓はお休みにして、エレキ(Guitar・Bass)に特化してみよう。
Rock系だと同じ音が短間隔で続けて弾かれるのは、弦系のバッキングが典型例じゃなかろうか。(所謂ジャ
ジャジャジャ)
この状況はすぐ前後に比較対象があるので、ムラがあると検知し易そうだ。

音色・密度の他にここを安定させたくて近年J-POPでは兎に角コンプとなってる様だが、俺的には無駄若しくは害悪となってるのが大半と感じられる。
どうも「何がムラなのか」をはき違えてる様に思われるんだが、この点から考察して行こう。
その始めは言わば何処迄機械演奏に迫る必要があるのかで、安定・正確度では物理的に絶対に適わんって前提があるのを肝に命じといて貰おう。

リズム(タイミング)についてはコンプは無力なので、これは弾く方を頑張るかPCに頼って修正するしか無いので今回は除外。
ほら、もうこの時点で機械:人では人に勝ち目が無いですね。
けれど人耳に美味しいムラっつうのもあってこれ人間様しか出来ない技だが、それが所謂「ノリ」って奴ですな。
勝てるとしたらここが勝負でせう。

少々ややこしくなるが人耳にと物理的な正確さは不一致部分があるので、本当に追及するなら達人化してショボイClick等捨てちまうしかない。
だが多くの場合ポピュラーにそこ迄の精度は不要で、それより注力すべきものが盛り沢山だ。
この面では楽曲を聴くのに、聴き手に負担が無いレベルが達成されれば合格だろう。

特別気になる様な凸凹が無ければOKって事だが、その代わりってんでもないがアンサンブル全体でそうなっている必要は大いにある。
ここが俺的第一懸案で、楽器単体毎での配慮では不足で最悪時は無意味だって処だ。
つまりアンサンブルに於ける各楽器音量のバランスが意図に反し不用意に変わると、その中で目立った或は隠れたヤツがトチったかと聴こえるのだ。

現代の一般聴取環境は結構厳しいからそれへ対応させるには、音量はなるべく一定な方が良いのは確か。
だから兎に角コンプ…じゃ駄目で、音色等次第で物理的同音量が人耳にそうなるとは限らないのを見落している。
その上人耳自体が個人差の宝庫でもうお手上げ…、物理的観点では御名答ではあるが。

しかしある意味「細かい事は気にすんな」のポピュラーでは、最大公約数的なのを確保出来れば実用上無問題だ。
ってさっきからのだと「どっちよ」ぽい論調だが、であるからして機械(メータ等)でなく飽く迄人耳で加減をすると解決するのだ。
その精度は演奏集団の腕次第だが、技師側でもっと気を付けるべき点があると思っている。

技師は任務全うの為少しでも良い音を追及するが、奏者達に聴こえてるのと違い過ぎるのを拾ってはいけない。
が、余程気を付けないと大抵はそうなってしまいがちだ。
奏者側も強弱やバランスが全然演ってた時の耳のと違うのに、
美しいからってそれをOKテイクにしちまったらアカンでっせ。

現代では多くの場合パート個別の挿替えが可能なのもあって、録ったのを試聴する時自分の単独でしか聴かなかったりしてしまう。
その段階でOKと思っても、バランスの確認がお留守になってるのだ。
集団音楽では個人の力量より全体が問題なんだから、バランスが駄目=それだけで没テイクと考えなきゃヤバいんす。

また生楽器みたいにダイナミックレンジ(最大・最小音量の差)が広く、Micがこの面でその出音に追従し切れて無い場合には補填コンプはあった方が良い。
だがエレキで特に歪ませてるヤツは、少なくとも物理的には殆ど出音の音量が最初から一定なのだ。
なので音量面ではこれにコンプを掛けても何の効果も出し様が無く、関係性があるのは音色に少々なだけなのだ。

処でJ-POPにとても批判的な俺だが、今の若者に対してこの点ではほぼ批判は無い。
メジャー配給の元締めはクソオヤジ共で、特に音楽をロクに知らん癖に勘違いして分かったつもりで威張ってる奴等へ向けてのものだ。
ってのも形はどうあれ歴史・経緯は体験者しか発信出来ないんだから、知らせて貰えん分は後進者にはどうしようも無いんだからなぁ。

てなこって本件に関連する部分を今更だが、エレキの歪みのおさらいだ。
昔の球Ampには「歪み機構」は非搭載で、過大入力or過大出力に依って得ていた。
この場合歪み出してからは音量の上昇は僅少化するが、それでも少しは変化があった。
良く言えば高反応だが悪く言やムラが出易く、奏者が腕不足だと歪み方さえ不安定になる。

その次が所謂コンパクトEffectorで、最初のはFUZZだった。
これもアナクロなアナログ回路なので多少の差は出たが、昔の球Amp歪ませよりは最大音量の変化が更に少ない。
これから先進みしたDistortion系となると、安定度は素晴らしいが音量的強弱は基本的に一切受付なくなっている。

人耳には音密度・音色の変化を音量変化と感知される場合もあるが、物理的な最大音量の変化は起きていない。
歪み系Effectorは上記の点で人耳を一瞬騙す作用は持ってるとも言えるが、それが必ずしも人耳や奏者の都合通りとはなってくれない。
コンプレッサも漸次進化してるものの機械なので、基本的に物理量しか取り扱えない。

では
Effectorを使えば諦めるしか無いかっつうと音量的強弱が要る時はフットスイッチでOffにしたり、他の目的に適したEffectorに切り替えればOKって道が残ってはいる。
それが近年は派手さを求めたか深く歪ませたがる輩が増えた様で、
音量的強弱が出せないのばかりを並べてる光景を良く見掛ける。
であれば音量的ムラは物理的には存在しないので、コンプを掛けても安定感に何も貢献しないのだ。

アンサンブル全体の均一化を図りたいなら、生-無歪-歪みの順でコンプに有効性がある。
先ず生楽器での注意点は前述の如く物理的と人耳の音量の非同一性で、バランス的にアタック音が強いとコンプは大きく働く。
だがこの手のパーカッシブな音は音程感が普通のより少なく、それをコンプで更に潰せばもっと音程感は減っちまうのだ。

極端表現すれば何かの音が鳴ったのは分かるが、人耳にはもう何のとかどれの等は殆ど分からなくなってしまうのだ。
アンサンブルってルールがあると倍音は一旦置いといて、基音の割合=ほぼ各楽器の音量バランスとなるのである。

エレキBassは純生では無いがこれの影響が一番出易く、単体での音量均一が場合によってはアンサンブル内では全く無効になったりする。

リズム隊がこんな具合にも拘わらずGuitarを妙に安定化させたら、どんどん差が広がるだけで全体としてはムラムラになるだけなんじゃい。
しかもこの現象はフレーズ・音程・組合せで無限に変化するので、耳からの情報を頼りに手加減する以外バランスが取れる方法が無いんですわ。
それを無理にコンプでまとめようとしたら、「ノイジーで劣化が激しくリズム不安定な打込みの出来損ない」にしかなりませんですの。

<つづく>

2018年12月18日 (火)

日本のポピュラー音楽って何なのさ③ (歌唱力がヤバっ!?編)

以前従兄の太鼓の先生から訊いた、歌手の声量が落ちたから太鼓奏者が非力化したの独自考察だ。
POP好きの彼的には近年J-POPのは兎に角歌に魅力が感じられんそうで、声量のみならず歌自体が下手になったのではと勘ぐっている様だ。
そうだとした前提で、原因を考えてみた。

個人事情で大凡10〜20年前に偶然知った事だが、小中学生が学校の音楽で歌う際のある状況にとても驚愕させられた。
最近は若者の男女の声の音域差が縮まって来た様に感じてたが、それの元凶かもと思しき事態に遭遇したのだ。
女の子は今だって男よりは高い音程が出せるのに、教師の指導で基本的に歌の全部をファルセット(裏声)で歌ってるじゃありませんか!!!。


子供なんですよ、他の誰より地声で一番高い音が出る出せる時期にですぜ。
そんじゃもし大人になって少し声域が下がったら、高い所はマライア・キャリーみたく「裏の裏の声」で歌うんですかっての。
それ
幾ら頑張っても才能と適正無いと、誰にでも出せるもんじゃないんスけど。
出なくなったら歌うなとでも…!?。

一体何時頃からそう変ったのか目的も何もワシャ知らんし何となく知りたく無い気も湧いてるが、こんなの自動車教習所へ入って最初の練習がいきなりバックみたいなもんで絶対変でんがな。
素人向け歌唱の基本として先ずは地声で、それが高くなって出せなくなったら裏声でって順にやるのが理に適って居ります。
特にポピュラーではMiwa等表現上の理由での特例を除くと、地声で歌えなくなっては好きなのをカラオケで演れなくなっちゃうじゃんか。

も少し掘ってくと通常条件下では地声より裏声は声量が小さいもので、大きくなって超えるのはその人が出せる高域限界域に近付いてからだ。
特に低い側では極端な声量低下がみられるが、これは地声でも同様。
しかし幸いな事に裏にはまだ地が下にあるので、普通は同じ調子で歌ってデフォルト声量が出せる方へ切り替えれば解決だ。
そうすればこそ「楽に歌える」で、素人にこそ必要なものと思ってたがねぇ。

この文言はあるクイズの超サービスヒントとなるが、
ファルセット(裏声)の特技とは何ですかってのだ。
地声で出せる高い音程はギリギリに近付くと、かなり大声にしないと出せなくなる。
それをもし
ファルセット(裏声)にすると、大抵はかなり小さな声量で高さが出せちゃう。(息も断然楽)
って事はある意味小音量用の秘密兵器で、大きく出したい時に用いるのはあべこべのおバカさんなのです。

ここで歌声の正しい作り方とでも云うのを説明すると、最初は地声でなるべく大きな声を出すようにする。
但し不用意に喉を絞ったりして危険な負担は絶対に掛けず、普通にしゃべる時より少し綺麗目な声を目指してだ。
下手に体に見合った声量が得られる前に「声色」を加えると、物真似は得意になれてもそれで歌おうとした時に喉を壊す危険が生じる。

特に人に請われて調子付いたりして歌えば、ついもっと大きな声を出そうとしたりしちまうからだ。
地声でのシャウト唱法は普通に歌うより高負荷になるので、普通の声で大きくも出来ない内からやれば安全な加減が出来ない。
昔の野球部員等で張り切り過ぎて喉を潰したりしたのは、こう云う状態を無理に続けた結果なのだ。

もし上記の様なベーシック歌唱を入部迄に習得出来てたら、喉を潰す確率は激的に低下する。
大人つまり成長期が過ぎたって練習で歌唱力は上げられるが、声域や喉の強度は通常僅かな伸びしろしか無い。
この後者の部分は成長期に正しく取組めればかなりの向上が見込める上、喉が強くなれば風邪予防等にさえ効能をもたらす。

近年本邦では真昼間に子供が大きい声を出すのすら困難化しているが、健全成長の為にはとんでもない状況だ。
これが社会情勢で仕方無い面があるってんなら、せめて学校の音楽室等でだけでもやらせてあげないとイカンです。
特定の感情の時以外にそれなりの大きい声が出せなくなるとどうなるかっつうと、歌わせると蚊の鳴き声より小さく弱いのに友達とはしゃぐ時だけバカでかいなんてね。

昔よりそんな光景にしょっちゅう出くわすなと感じるのは、気のせいなんですかね?。
こっちからすると要は声の制御力が低下して声を出すのもだが、特に自分の出したのの大きさ判定が殆ど出来なくなってる様に伺えますな。
普段に気持ち以外で声量を加減する機会が普通orたまに内緒話し位しか経験出来ないんじゃ、感覚的に会得出来る訳無いんだわさ。

こんな処迄又2極化ですかいで問題になるのは、歌唱力の「中間層」が居なくなる処だ。
こんな不適切環境にめげずに抜群の歌唱力だったら凄いけれど、見方によってはそれだけ歌唱にしか興味が無いのかも知れない。
これが正統派オペラとかになら申し分無いんだが、ポピュラーとなると少し不都合も出て来るのだ。

音楽には違いないがそれ以外、流行・文化・趣味的要素等が不足だと音楽ヲタ専用と化す。
ポピュラーでは親しみ易さ第一なので下手過ぎては困るが、同程度の才能の持ち主でも「配分箇所」が増えれば単一能力は当然下がるからだ。
なのでポピュラー有望株になるのはちょっとオシャレで面白い奴で、普通より少し歌が上手なんてのが向いてる。
これを歌唱力のみで分類すると、中間層となるって寸法なのだ。

尤もそれが近年J-POPみたいに行き過ぎては、聴き取る段階でお客さんは疲れ切っちまうからOUT。
音程
・リズム・発音の正確さは大事だが、それは先ず歌声が「聴こえてから」の話しだ。
或は声量不足のまま無理に大声を出そうとすれば手一杯になって、普段の制御力が発揮出来なくなったりもするだろう。
全ては生演奏の前で普通に歌って「普通に聴こえる」様になってからなのだ。

2018年12月17日 (月)

真実の音質とは⑫ アンサンブルの厚みと実際の楽器数編

プチ編曲の勧めを勝手にぶったので、意外体験をした参考例を挙げるとする。
ここでの意外は聴いた印象と実際のトラック数が不一致で驚いたので、例えばGuitarが10重ねてあると思ったのがだった2つだったとかの類だ。

①Stevie Wonder-Superstition(迷信)
出た当初から聴き続けて45年余り、かなり最近に真実をやっと知った。
何でも演る人のでサビ部分は賑やかなので、さぞかし重ねてんだろうと思ってたら見事にハズレでした。
特に俺が騙されたのが使用楽器の種類の少なさで、ドラム・シンセベース・クラビネット・ホーンセクションだけだった。

この内ラッパはサビ前・サビとエンディングだけだから、それ以外の箇所は種類は3つだけしか無い。
クラビは妙に沢山重ねちゃいるが、厚みにはかなり縁の薄い音色が持ち味だ。
ラッパは4本だけと至って並でクラビ以外は歌も含め、何と重ねが
一切無し。
但しクラビはほぼ全て違った弾き方になってて、つまり音色は1つでも実際に様々な音が沢山って事になってた。

②Queen-らしいの全般
これは考えてみたらで驚きは無いが、初対耳ではかなり仰々しいと感じた。
だからさぞかし何でも重ね捲ってるイメージがあるが、ちゃんと聴くと極端な2極化の奴等だ。
GuitarとChorusは際限無い感じだが、それ以外のはまず滅多にちょっとも重ねて無い模様。

俺が感じた仰々しさの原因は楽器数よりハーモニーの構成音の多さが原因で、決して音数が少なくは無いが重なりは異常に少ないのが独特だ。
一般的にはGuitarだと同じ演奏内容のを異なるトーンので重ね、それで膨らみを得てるのが多く単一楽器のユニゾン系だ。
また俺言いハーモニー系は他でもよく耳にはするが、多くはアンサンブル内の「どれか1つ」のみがデフォルトみたいだ。

上記2つは特定楽器の一部を重ねた物だが、中には重複が殆ど無く楽器の種類だけが多いパターンのも対極的に存在する。
これ等組合せに特段ルールは無いが、楽器の性質等の関係で何でも同じ様に重ねられるもんでもない。
それを目的・課題としたの以外でドラムセットやBassの重複は少なく、これの全く同じに演ってるの2つってのは俺の記憶には登場していない。

この所謂「ダブルトラック」って技は歌声の補強策等が代表実施例だが、俺体験では必ずしも成功しなかった。
歌った1回目と2
回目が適度にズレてると効果が高いが、妙に一致し過ぎてしまうと単にボヤけた感じになるだけだった。
そうなる様ならShort Delayでも掛ける方がマシだったりで、フィーリングは近似・明瞭度は維持となり2回歌う意味は少ない。

楽器だと大抵はモデル違いとか音色違いのを用いるから上例よりはマシになるが、それでも違う人2人で演るのより効果は小さい。
前回(別シリーズ)で紹介したSnareとCongaの場合楽器も一応別だが、それ以上に「発音方法の違い」が気にかかる。
バチと素手では叩かれたのの反応は当然かなり違ってるだろうから、上手く音が合成されれば元のどちらとも違う音が得られる訳だ。

先述の如く不適切な機器の高性能化で、現代の録音ではこの手の技の効力が減少させられたのは残念だ。
それでもである、機器の音の分離度・分解能に頼れば入れた数は確認可能。
だが例えば5本分聴こえれば太くなったり存在感が増すかってえと、それは今でも全く別件である。
意外かもだがしっかり演れてたなら、実は単体な程これらが獲得出来るもんだ。

原点から考察して行くので先ずはClassic Orchestraの生聴きを取り上げるが、音場空間と広がりは広大だし全体としての力は絶大だ。
でも楽器から耳への距離は遠いので1つづつを取り出してみると、地味で存在感はどっちかってば弱目だ。
これは多数のを融合させるには必須の性質で、もし無用にどれがが出しゃばり過ぎるとその陰に隠れるのが出て来て全体としては音が減ってしまうからだ。

凡例僅少だがRockでそれを演ってみちゃったアホなのがあって、
WingsRockestra Themeってのがあるが状況は同じと感じられる。
極端な話し他に何にも無かったら幾ら目立っても構わないんだから、無制限一本勝負も可能。
これは演奏力が足りないと達成出来ないけれど、制限がキツい程見込みも無くなるのは定かなのだ。

今の録音で数を増やして効果が本当に出るのは、それまで入ってるのと違う音程のだとか違う楽器の場合だ。
因みにClassic Orchestraの登場時は1台で沢山音が出せる楽器は僅少だったし、録音不可・Effector皆無と今のBandのとは目的がチト違いまっせ。
また俺体験では楽器の音自体へ耳を向けると、なるべくエコー等が何も掛って無い方が却って太さが際立つ様だった。

残響系は膨らみはもたらすが、太さとなると楽器音のせいか響きのせいかはハッキリしなくなって来る。
それに何より視覚無しで音だけの世界では、比較対象も音しか無いから「落差命」なのだ。
そこで色々な表現や誇張をするには、各々目的のの「逆」のも近くに用意しとかないと効果が出せない。

近年J-POPに見られる常套手段の簡略フレーズを使い古されたパターンで用いる編曲は、原理的には最も薄く地味になるものなのだ。
どんなに後加工を施しても華やかにするには、元の音の(違う物の)数や種類が少な過ぎるのだ。
隙間を無くして騒々しさが出た処で、うるさいと賑やかは違う。

近年大手での内部実態を知らないから何だが、例えばBandのにストリングスを付けるの専門のアレンジャーとかが昔は居たのだが。
生では生の迫力がある反面予算その他でゲストプレイヤーは制限されるが、無観客のハコではそれが丁度逆の条件となるのに今昔は無い。
制作側も非ナマならやり直しが出来るから作り込めるし、聴く側も聴き直しがやはり可能だ。

となると必ず聴いた1回目で全貌把握が出来なくても構わなく、寧ろその後に何も出て来ない方が味気なく感じられるだろう。
一度に全部と思い過ぎちゃってんのかなぁ!?。

2018年12月16日 (日)

日本のポピュラー音楽って何なのさ② (編曲がヤバくなって来た編)

人の事を言う前に俺も感じているが、過去比較だとここ暫くは新しい楽器が出て来なくなってしまった様だ。
前世紀中はデジタルシンセ・サンプラー等迄、長くても10年以内には新しい物が続々と現れていたんだが…。

これは今ん処打込み系でも同じで、新ネタが出なければ音色自体の変革は困難だ。

人が演る以上新楽器からの刺激ももっと欲しいが、では昔の全てが良かったかっつうとそうでもなかった。
ハイペースで来られても人が本当に慣れるまでの時間は大して短く出来ないから、充分使いこなせてたのは極一部の達人だけだった。
それとホントは使い方の下手さが悪かっただけでも、古く感じられる音のは不要に虐げられてた気がする。
特にシンセがアナログからデジタルへ移行する時期に、最も酷かった。

今振り返るとデジタル化邁進期頃から奏力・編曲力の低下が始まったみたいだが、ポピュラーにはテクよりアイデアなので表面化しなかったのかも知れない。
けれどもその頃から他ジャンル同士の交流低下が進んじまったから、各自のジャンル内だけに留まってる者は浦島太郎化が顕著になったと思う。
先に記した「使いこなせた達人」の殆どは専門系の人なので、元からポピュラー専門には殆ど居なかったからだ。

単に音楽の流行と時代背景に目を向ければ、今の若者の自主的行動半径の狭さとJ-POPは悲しい意味で見事に一致している。
これも原因は社会と大人で、学校・学習塾の他に趣味(遊び)まで習い事として物凄い束縛・高管理だ。
確実性と安全性では結構だが全て大人が勝手に用意したもので、自発性・新発見等の「子供目線での」未知との遭遇は全く期待出来ないに等しい。

勿論数多の訳ありの交錯から社会自体ががんじがらめに絡まっちまったんだが、個人の内面まで支配されて黙っていては病んでしまう。
そこで例によって俺なんで売れてる方は別として、どうせ売れぬならGuitarでパワーコードを止めたって殺されはしないと提言しとこう。
貧すれば鈍すって言葉があるが、だからこそ無料・無害部分位は意図的に自分勝手にして少しでも発散するのだ。

アイドル界では地下がある他その中に何階かってのも今やあるそうだが、特にBandとなると何故かそれが無いのが不思議で仕方無い。
日本のプロ野球でも最近は一部に3軍迄出来てるのに、これでは参加出来る者が減っても無理も無い状況で是又お寂しやだ。
珍しく売れてる人向けへ行くが、とても少ないパターンを一回りしてしまえばそのままではもう後が無い。

音楽水準の基幹は曲(作曲)にあるんだが、これは才能と運に左右されるので確実性に乏しい。
演奏にしても基幹部は同様なので一朝一夕には行かないが、編曲に限っては少し性質が異なっている。
やはり当然才能の影響は大きいが、それが特に響くのは決められたフォーマットの中での場合だ。

だからBestは無理でもBetterやGoodなら、枠を自由にしてさえやればそこそこ到達出来るのだ。
俺目線で近年
J-POPは妙に楽器構成にも拘り過ぎに映るが、それだけで個性が維持出来ると思ってたら悲劇だ。
だってあらゆる組合せが既に一杯居る(居た)んだもの、それじゃあ方向音痴もいい処だ。

寧ろこれ系のメロディライン(歌では無く楽器で裏メロ等の)では、アイツは何時もここら辺で休符が入るなんてのが固有の独自性なのだ。
度が過ぎると聴き手が付いて来れなくなるから加減は要るが、適度に「らしい」自分勝手こそが誰もが生まれ乍らに持ってる才能だ。
量や適正は様々だが、才能ゼロの人って実は居ないんですよ。

これは個人演奏からでも不可能では無いが、折角出来たのが皆で演ろうとしたら無理だったの危険がある。
だが最初から周りを良い意味で意識した上でだったら、メンバーからの評価は不明も演れない事はとても少なくなる。
これって見方を変えれば、もう編曲の初期段階と云う寸法だ。

一般的なBandでは極度に専門性の高い者は居ないケースが多いと思うが、されば担当外にも全く無頓着なままだと力不足になり易い。
けど演奏と同じ様に作曲や編曲も単独じゃなきゃ駄目なんてのは無いから、少しづつ力を足してけば良いんだ。
プチ編曲(アレンジ)なら歌詞を一行書くより全然楽勝なんだから…。

日本のポピュラー音楽って何なのさ① (リズムパターン減少編)

題が別系統でも前回との繋がりがあるが、近年のJ-POP化以降で俺的に気になったのの内にリズムパターンの画一化ってのがある。
世代間断絶もあろうが、最大要因はバカな大人だと思っている。
今の本邦メディアとYoutubeを比べただけでもすぐ分かるのが、「他にどんなのを推して来る」かだ。

本邦のはどんな素人でも自分で簡単に見つけられるのばかりだが、
Youtubeのそれは一見無関係そうなのも出て来る。
それが煩わしく感じるのも多々ではあるが、時には自分では中々遭遇し辛い情報となる事もある様だ。
これは確率は低くても「新規開拓」へ繋がる手法で、ここでの肝は「供給側でしか出来ない」処である。

商業メディアが受け狙いなのは必然だが、音楽の指向は様々なので「全受け」等あり得ない。
されば「受ける」のの盛り上げ目的等で、少し毛色の違うのを加えるのも効果的だ。
のみならず直に並べて見せれば、目的のとの対比効果だってある。

こんな風に健全供給であったなら、誰でも触れられる範囲がもっと広い筈なのだ。
ポピュリズムをうたうからには新旧なんかで排斥したら愚の骨頂で、もっと面白きゃ何でもOKへ舵を切るべきものなのだ。
古い世代なら大抵経験してそうだが、俺ならRock好きだから演歌には基本目もくれなかった。
しかし演歌の極々一部に見つかった面白さ迄否定する必要も無く、当時の小学男児達が「私バカよね」なんてキモくふざけるネタ止まりでも誰も困りゃせん。

こんなの概観では殆どどうでもいい一現象だが、「へぇ〜そんなのもあるんだ」的部分ではあると無いとじゃ大違いだ。
現況の望ましくない個別化の行き過ぎがもたらすのの中に、リズムパターンの減少若しくは画一化もある様に感じられる。
今は若者に不人気なラジオ放送での比較では分り難いかもだが、その昔のでは近似リズムパターンが続けてかかるのすら稀だった印象がある。

従兄の太鼓の先生が嘆いているゴーストノートの近年ご無沙汰も、実はJazzよりPopsの方が被害甚大と俺は思う。
他との差別化をするには何かの足し引きがあるが、
Popsはそのせいで複雑化したら分り難くなるから不都合だ。
だから露骨に加えるより目立たぬが何か違うってのが好都合で、料理の隠し味と同じなのだ。

ゴーストノートの流行は長い間で増減を繰り返して来てるが、最初にゴーストをわざとそうでなくしたのは良いアイデアだった。
でもこれの効果があったのは「他と違ってウチ等だけ」の間で、珍しさが無くなればもう時代遅れなのだ。
それにリズムパターン自体が新しい・珍しい・独特だのの方がもっと大きな効果があり、特に独特は賞味期限が無いのが別格だ。

新しい・独特は生むのが困難な上
更にPopにするのはもっと大変だからたまにしか出なくても仕方無い。
だが珍しいについてなら過去からの半ば無限の中から探せば、引用ネタは腐る程転がってるのだ。
歌詞を作るに際しても「リズム違い」は刺激的で、今迄のと違ったのを書こうとするなら大きなキッカケを与えてくれる。

もう1つ前回の補足も兼ねた件があり、バスドラムとBassの問題がある。
ここでのそれは「何か今ボって聴こえたがどっちだ」で、昔の音質レベルなら条件次第では「相互補完」が出来た。
要は前回のバスドラかスネアゴーストかのバリエーションみたいなもんで、特に強さが要求される以外でならどっちかだけで演っても「そう聴こえる」の類だ。

再度吠えになるが無条件の聴き手にとってその音が誰がとかどれがは2次的問題で、全体としてどうなってるかが最優先だ。
片方だけでもOKな場合の利点は多く先ずは独りじゃ無理なのが可能となり、これは正にグループ音楽の優位点だ。
また並レベルのを単独担当としておくと、それより強めたい時は2人・もっとの時は3人と人数調整だけで強弱が選べて表現の自由度が高くなる。

これも楽器PAレスの生なら今でも充分行けるが、現況本邦ではそれに見合った環境はほぼ皆無だ。
環境変化に応じた奏者側の対応は必須ではあるが、演ってる本人より良く聴こえる分(細部迄等)は技師側で解決すべきだろう。
この意識の不足も懸念材料だがもっと厄介なのが機器の問題で、音のには劣化させずに適度にぼかす様な物は未だ存在しない。

カメラだったら被写界深度でバックをぼかすのなんか朝飯前だが、奥にしたいのへ余計にリバーヴを掛けても元音自体はクッキリのまま変化させられない。
演ってる人の耳のままに記録可能なら奏者が制御すりゃ済むが、現代の勘違いした要求と機器ではこれがとても困難となっている。

現時点で確実に音をボヤかす方法は古来よりのMicを音源から遠ざけるのしか無いが、これは生のをそのまま収録で良い物に限られる。
現行ポピュラーで主流の録ってから加工主体だと、後から変えられないのは不採用だ。
なのでこの系統での残された手段は、ゴーストノート等の主張しない音しか残っていない。

こんな調子で高音質になったから何でももっとイケる筈のが実際はがんじがらめなので、今こそ音質に無関係な部分へ目を向けるのが得策と思うのだ。
それが尤も元から音楽の基本要素であるがリズムパターンだったり、ハーモニーだったりと云う訳ね。

<つづく>

2018年12月15日 (土)

真実の音質とは⑪ 音質にも色々あるの編Ⅹ(高音質化の弊害)

音が良くなるのはとぉっても良いんだが、奏者側に全てプラスに働いてくれない部分も少しある。(ボロがバレ易いって意味じゃ無いヨ)
今の音楽再生はほぼ必ず電気に頼っているが、もしかしたらそのせいで機械寄りにチューンナップされ過ぎたのかもと時々思わされる。
特に録音物だと演った人の耳より、聴者の方が著しく明瞭・細密に聴き取れたりしている。

当然マトモな奏者ならそれを見越して奏ではするんだが、演奏時に「聴こえない分」迄完璧になんかコントロール等出来やしない。
大工さんが加工中の木の状態を良く見乍ら少しづつ削って行くのと同様、奏者は自らの耳からの情報に従って加減してくもんだ。
なので未確認だがもしかしたら、超絶に上手い奏者程その実力を発揮し損ねてるかも知れぬ。

こっから俺的サンプルを挙げて行くが、かつて俺のバカ耳(ホントは頭の方!?)が騙されたフレージングについてだ。
主に俺が10代だった頃の事だが、一部のスネアのゴーストノートがバスドラムだと捉えちまってたのがそこそこあった。
当時俺はドラマー以前だったのもあろうが、従兄の太鼓の先生に証拠付きで諭される迄自説を信じ込んでたりした。

CDが出るか出ないかの
当時に俺はレコードとその針の消耗を嫌い、普段はカセットテープに録ったので聴いていた。
これは当時の時点でも言わば「中音質」って感じのレベルだったが、極一般的な方法だった。
これは音楽を楽しむ自体に支障は皆無だったが、一度コピーしようと思って聴くにはかなり難儀させられる音質だった。

思い切ってレコードを聴くにしても超高級プレーヤは持ってないし、スピーカ・ヘッドホンにしたって高価過ぎて業務レベルのは大金持ち専用。
そもそも再生側はオールアナログだしで、楽しむには結構だが分析には不適当だった。
スピーカは今でも高嶺の花だが、ヘッドホンに至っては高級素人用の方が桁違いに高価となったのには隔世の感ありありだ。

その1:ToTo-Goodbye Elenore
当初当時の俺耳には太鼓の基本リズムは、ドドドタンッと認識されていた。
実際はド3つの真ん中はスネアのゴーストノートなんだが、楽器の種類とかどうのこうのを除くと感覚認識としては必ずしも間違いでは無かったのだ。
それ迄耳にしたシャッフルの殆ど全てはこう云う場合ドットタンッだったので、それと一線を画して聴こえた処が大事だし。

恐らくJeff Porcaroもその「新しい味」若しくは「Porcaro流」を、狙ってわざわざそう叩いた(踏んだ)んだと思われる。
これに関し演奏家のみの視点では「どれで出してたか」は重大問題だが、音楽家視点だとどれで演ってようと「そんな風に聴こえる」のの方が重要なのではと思うのだ。
それ次第で曲の基本リズムの印象が、大巾に「違っちまう」んだからさ。

これをもし今ので録音したら比較的誰にでも簡単に解析出来そうだが、余程苦労して手を掛けないとスネアとバスドラの音が違い過ぎて同じ効果が得られなさそうな気がする。
俺個人の解決方法では全くの偶然でバスドラをSlide Tripleにして「嘘を真」ってなりそうだが、現時点では出来る奏者が著しく限られ一般化には程遠そうだ。

その2:Hi Recordsの打楽器「隊」
昔からドラムセットとコンガの併用は良くあったが、Al Greenのを筆頭にこちらさんのはちぃっとばかし変わっていた。
スネアのバックビートと同時にコンガの低いのをオープンで鳴らすが、同時以外はコンガでその音は基本的に出さないとなっている。
これが貧乏レーベルだったからか独特のLo-Fiと相まって、あたかもTomにスナッピー(響き線)を張ったかの様な音に聴こえるのだ。

この他にも2Tomドラムセットの一番小さいTomだけシングルヘッドにして、端っこ寄りのオープンリムショットをしてティンバレス擬きの音なんてのも。
後年は本物使用かもだが、演り始めはAl Jackson Jr.考案!?のこの方法だった。

一般聴者には今迄聴いた事の無い「変なSnare」と聴こえ、多くの場合
小節それが出て来るんだからもう効果絶大だ。
俺はこれを小学生になるかどうか位で初めて耳にしたが、一発で完全ノックアウト・以来そのまま続いている。

現代でも「不要PA無し」で生演奏すればこれらのマジックは可能だが、録音では殆ど使えなくなったと感じさせられている。
本来なら音楽は表現や表情が最優先で、分析等「聴いて楽しむ」のにはどうでもいい部分だ。
だが音響の進化の方向が音楽的には誤ってしまったか、現代の状況ではあべこべ気味だ。

かつては奏者にとって演ったものが全部は記録されなかったから、兎に角全部聴こえるに拘り気味だっただろう。
しかし意図的に曖昧・うやむやに演るのも一杯あって、そこがハッキリ聴き取れて欲しいとは望んで無かった。
それが何時の間にか妙な具合となって来て、つまりボケた音しか出せない程度の腕前の主のでも聴き取れる様になっちゃったっと。

最初のは機械のせいだが次のは俺は奏者にも責任ありと感じてて、「ボケてるのはボケたままに」って要望を誰も出さなくなりゃそりゃあねって。
これの何がヤバイってのが上記等の例で、生演奏系特有の折角の「魔法」が減ったんじゃオモロイのなんて演れる訳無いやんとなるのである。

近年J-POPでの異様な一体感無理創出はある意味この問題への対策なんだろうが、目立つべきとそうでない音の落差が殆ど犠牲になっいる。
フレージングが先かサウンドが先か或は同時平行かワシャ知らんけん、表裏みたいなのが出せないからって全部表の音しか無いつまらなさは絶品…。

これが特にポピュラーだから「あきまへん」おすが、刺身と妻の大根が同一階級ってのは主役侮辱で御座居まして。
良い意味での分かり易い音楽とする為には、横一列並びでは対象が多過ぎるんですよ。
折角性能向上で聴き取りが劇的向上してんだから、昔より「後ろに居るヤツ」だってもう皆に
ハッキリ見える様になったんだけど。

強いて比喩すればマンガの癖に線が細かすぎて却って見辛いみたいになっちまいやがって、そっちは地獄で逆が天国行き方面なんすがねえ。

2018年12月14日 (金)

真実の音質とは⑩ 音質にも色々あるの編Ⅸ(やまびこ)

エコー(残響)にも色々あるが一歩目は反響音だと思ってるが、Delayと言わずにカビ臭く「やまびこ」と題した魂胆を明かそう。
今ではエコーってば「機械で掛ける」のが第一で、その次はせいぜい風呂場やホール等響く部屋でと誰でも想像するだろう。
でも「事の初め」は人工物じゃなく、自然現象だったのが根底にあるのだ。

これも又近年J-POPのエセ高音質へのアンチテーゼでしつこくて済まんが、只批難するんじゃなく「勿体無い」事をしてると思ってるからだ。
どんなに
リッチな響きでも歌の内容にそぐわないのに付けたりしたら、それの世界観をスポイルするだけなのよ。
良い音を追及するにしても、それは不変じゃなく変動相場なのをきっと忘れちまってんだわね。

過去例の提示へ行くが、初期のThe Rolling Stones等が好例かと思う。
売れる前だったから偶然そうなった可能性もあるが、Beatlesのエコーが広い部屋っぽいのに対しまるで土管の中で演ってるみたいな感じに聴こえた。
歌の内容が同じだったらこんなチープじゃ大損だが、どっちかってば当時Beatlesは夢を・Stonesは不平不満をメインテーマに歌っていた。
なので歌の世界観とエコーの感じが一致してて、もしかしたら既にBeatlesがバカ受けしてたのにStonesも売れた一因じゃとさえ感じられるのだ。

誇大解釈的に論じるともしStonesのエコーが金満リッチ感満載だったらで、虐げられた若者だと言ってるが本当は金持ち坊ちゃんの道楽みたいに感じられそうってね。
実際はBeatlesが労働者階級・Stonesは一般階級出身だったが、前者はデビュー後暫く(金持ちになれる迄!?)はスーツ着用で見事に全員騙されたってか!?。

って訳じゃ無く演ってる「歌の世界観」に合せた結果で、それぞれがそれぞれの世界観を大事にした結果に過ぎない。
ポピュラー音楽の第一の命題は大勢に売れるつまり「気に入られる」だが、それに最初に必要なのは分かり易さだ。
それには見栄えに始まり、例え音のどの部分を聴かれても誰にも「同じ」に感じられる程良いだろう。

又この売れるは先ずは顧客数だが、一瞬で終ると累積販売量が伸びない。
だから長持ちするのも含まれるが、これを達成するには「何度聴き返してもあの雰囲気」が安定して継続しないとならない。
だから意図的にズラす場合を除き作品世界観の統一維持が重要で、尚且つ「自然の理」に適ってないと危険なのだ。

誰にでも共通な感覚となると、自然と得られてしまうものとなる。
そこで人にとってのエコーの原点を辿ると、機械系は却下で天然系が生き残る。
この天然系がお題の「やまびこ」で、それ用の操作を何もしてないのに音が響いて返って来たである。
人工物由来の残響も近年では一般化が著しいが、まだ世界の全員全てに共通ではない。

例示した2グループはアルプスイメージじゃないからやまびこは不使用だが、それでも街のどんな場所ってのは大いに反映されてたと思う。
Stonesの俺言い土管紛いってのは、あまり広くない地下の安酒場とか地下鉄駅への殺風景な地下道を俺には連想された。
爽やか目なBeatlesのに対し特定の癖がある感じのStonesのに、前者が表社会・後者が裏なんて何となくそんな気分を覚えたのだ。

現実的には個人差千差万別で最大公約数程度が限界で絶対は無いが、純粋に音楽を聴く際は五感の内のたった1つしか無い。
なので少しでもこの景色の場所では良くこんな音が聞えるなんてのを、音に盛り込んで補わないと分かって貰えなくなりそうなのだ。
マンガの吹出しにセリフ以外に擬音の活字もあるが如く、音の方だって単なる演奏以外に何かを加えるならこう云う視点は必須だろう。

であるからしてJ-POPならPOPである為には、常に世界最強のGuitarなんて全くお門違いで恥ずべき処理なのだ。
時々わざとのミスマッチだったら「へぇ〜珍しい」も貰えるだろうが、切り札を真っ先に見せて勝てる勝負がある訳ない。
だいいちもっと強くしたくなったらどうすんのか、もう残ってませんけど。

それと一等気になるのがポップスでの強さとはで、ジャンルによって強さにも色々あるものだ。
録音・記録等の性能が上がった今日では、それがクラシックのだったら
最強でも歪んだらアウトだ。
単に下品とか下手とか失敗と思われるだけで、弱い時の音量の小ささ・繊細さとの落差が大きいの程強さと感じられるだろう。

近年はGuitarは幾らでも歪ませられる様になったが、歪み度に関してはVan Halen辺りで打ち止めと感じられる。
どんなにそっと弾いても必ず少しは歪みます以降は、変化が出るのはほぼ余韻(サスティーン)部のみとなる。
つまり弾いてる間は差が殆ど分からなく、ロングトーンが出て来ない限り効果が無いと言っていい。

歴史経緯として俺的にVan Halenの源は、BeatlesのRevolutionのJohn LennonのGuitarがルーツな気がしている。

この俺的元祖様は随所で音を伸ばしてて、極めつけは曲の最後だ。
近年のメタル系の連中でも、「分かってる奴等」はちゃんとこの方法を用いて効果を得ている。

Van Halenと
Johnでは歪ませる方法が違うし、奏法も異なる。
だが奏法上の都合だけなんだったらハーモニクスを演る時はボリウム全開な筈で、しかし
Dance The Night Awayでは実際そうはなっていなかった。
奏者として弾き倒し型ではあるが、やはり結構長く伸ばしてるのも頻繁にあった。

もう1つこの両者に共通点があるがそれは、リードギターの癖に案外音量バランスが大きくない処だ。
無歪では弱い所はかなり音量低下するから、そこも聴き取れる様にするには基本バランスを大き目にする必要がある。
しかし激歪みでは弾き方最弱でも音量低下が殆ど無いので、そんなに大きくしなくても済んでしまう。

この逆に最低限バランスで留めたいが歪ませたくないものへコンプを掛ける方法があって、こっちは大きい方を小さいのに合わせて抑えた格好だ。
近年本邦では歪ませ用or生音貧相Guitarの使用が多いのか知らんが、余りに「生+コンプ」の強さをシカトし過ぎとみられる。
強いが弱さもあったら「強いが脆い」で最強に非ずで、強くないが弱い処皆無だって「安定の強さ」では最強なんだけどね。

歪み・コンプの併用の絶対必要案件は、Larry Carlton辺りが筆頭で歪ませ過ぎずに余韻だけ伸ばしたいって要求の結果だ。
だから
J-POPの多くの如く結構歪んでも平気なら、コンプは不要且つ掛けた処で幾らも御利益は無いんでごんす。
強いて効果!?を述べるなら、弾いて無い時のノイズを盛大に大きくしてくれますとなる。

この辺でエコーへ戻るが残響も音色歪みと同じで、世界観の他にも曲の要求との一致が必要だ。
頼り無い歌声をエコーで誤魔化すのは最早カラオケの常識だろうが、これは掛ければ掛ける程歌詞の聴き取りが劣化する。
普通の音楽だけの聴取時にカラオケみたいな字幕は無いから、そのまま真似たら一長一短。

しかしプチ天の声で近年の高性能デジタルリバーヴには、極端に余韻が短く子音が余り埋もれずに音像を広げられるプログラムが用意されている。
にも拘らず近年
J-POPではこれもまたスルーですかい、っと。
これだけ無理して10年以上前と同じ音って、リーマンショック以降大手Studioじゃ機材更新が止まってんのかよって勘ぐるぞい。
どれどれオジサンに見せてごらん…!?。

真実の音質とは⑨ 音質にも色々あるの編Ⅷ(打込み)

打込み最大の利点は楽器が演奏出来なくても、自分で好きに音楽を作れる処だ。
遊びだったらそれだけで終了だが、プロとかプロ指向だとそれだけで成り立ってる人を俺はまだ知らない。
もしかしたら居るかもだが、少なくとも歌うとか何かしら人力で音楽を演れる者の方が大多数らしい。
要は音楽自体へ詳しくなるのに、少しは演ってみないと分かり辛いからだろう。

それ故近年だと人によっては少し物足りなさを覚えるかもだが、打込みの中でもボカロ(ボーカロイド)は格上な気がする。
楽器は猛練習すれば必ず少しは出来る様になるが、声に限ってはそうは行かない。
なので弾ける人限定でもやってみる価値があるが、俺は個人事情でまだだ。

長所は先の通りで最初は弾ける人対象で行くが、問題となるのは機械と人力の振り分けだろう。
ここでそれに際し機械の欠点を見て行くと、音源は選べるが自分で完全に自由には出来ない点だ。
無論人力だって有限だけれど、弾き方で変える等の部分が機械は苦手。

現実に人様の作品を聴いてみると人に頼むにせよ、自給自足出来る部分は自前なのが最近はどんどん増えてる様だった。
まあ機械ってもリアルタイムじゃないにしても、元は人が操らないと動かないんだけどね。

この面で今俺が特に迷ってるのが、「弾けないけど弾ける楽器」だ。
妙な言葉だが本物は自分では無理だが、キーボードでなら弾けるって事。
理想の音質としては本職に頼むのがベストと俺自身痛感しちゃいるが、経済その他を考えるとそれは苦しくて仕方無い。
最初は打込み+を考えたが、打込み用の手持ち機材がPC内のフリーソフトオンリーでは流石に本番用には断念した。

鍵盤にしたってシンセはもう聴くに堪えない瀕死の古典しか無いが、現状のままだと弾ける分さえ自由迄奪われてグレードダウンでは敵わない。
元を辿れば納得出来る音の出せるのが足りないんだが、収益に繋がる保証が無いのに掛けられるお金が今は無い。

何処かの時点で脱却しないと曲若しくは編曲に望まぬ制約が掛って困るが、それで一切作れなくも無い。
主にストリングス・ホーン等オケ系はアウトだが、太鼓・弦・ピアノ系迄なら自給自足可能なのが現況だ。
苦肉の策だが「何も無くはない」ので、取敢えず出来るのから演ってみっかとなってしまっている。

けれどこんなストレスは創作意欲の特に勢いを削がれるから、音楽的には誠に不健全だ。
経緯的にはシンセが古びるにつれだんだん使わなくなりと、対処の遅れは拭えない。
だが問題は偶然のキッカケで、そうこうする間に生楽器の生演奏に沢山触れてしまったのがマズかった。

一度味を占めてしまうと前は平気だったのがどんどん耐え難くなって、清水の舞台から飛び降りる覚悟をしたって「偽物のどれにするか」ったってねぇ。
これも毎度の人次第だし美しい妥協もしないと先進みしないが、改めて「生の威力」を痛感したのだけは間違い無い。
本来とても良い事が、個人事情で不都合となった悲劇でした。

俺は今後どうなるかどうするかサッパリだけれど、大いなる確信を持って吠えられるのは「元は何でも生でした」って処だ。
これは機械だけで演るんだって音楽なら共通事項で、「実情的」知識はどのみち必要だし持ってる程思ったものが作れる寸法だ。

芸術面からだと既存のとは一線を画す使い方が出来る程斬新で宜しいが、親和性を持たせるのがとても困難だ。
聴くのが人だと人は「生」なので自然の法則から離れる程親近感が減り、それ等は嘘臭く感じられてしまうだろう。
途方も無い実験と偶然によって「例外的に特定時のみOK」が見つかってない限り、奇をてらっても先ず好結果はもたらさなさそうだ。

現時点で打込みで結構イケてる人で、もし生演奏未経験だったら是非挑戦してみて欲しい。
無理に完成品にそれを入れる必要も無く、下手でも全然構わない。
それでも実体験から得られる感覚は、聴くだけのとは何処かが違ってるだろう。
これも実は「音楽を知る」の一断面で、如何なる方法で演るにしても必ずレベルアップ致します。

今回は天の声に代わってプチ歴史講座とするが、’60〜’70年代に少しブームとなったアメリカの「
Hi Records」ってのを紹介したい。
ここでこれをの意図は編曲の「編成」の独自性がお目当てで、ストリングスの入れ方にかなりの珍しさがあった。
普通はオーバーダブにせよある程度「本数を稼ぐ」もんなんだが、随分思い切ってて数本程度で済ましちまってる。

貧乏レーベルなのでか当時としてすら全体も
只でさえ独特なローファイなのに、「厚くしない」とはとんでもない勇気だ。
しかし「裏メロ」的に弾いてるので、それで全然変な感じがしなかったのだ。
その後シンセの次辺りに「ストリングス」って名のキーボードが登場したが、今のマルチシンセみたいに沢山同時発音するのはまだ無理だった。

コイツはそれでもモノシンセよりは音に厚みと広がりがあったし、本物とは違うが要素的には近似な音色を持っていた。
それで多くの曲での使われ方が「裏メロ」的となってたが、編曲的にこれを用い出したのはHiの方が実は10年も先を行ってた訳だ。
道具は違うが使い方は同じで意識したかは不明だが、参考例の1つとなってたであろう事は想像に難くない。

なので俺的には生じゃないの程、「生から得るヒント」がものを言うのではないかと思うのだ。

2018年12月12日 (水)

真実の音質とは⑧ 音質にも色々あるの編Ⅶ(マスタリングⅡ)

てな訳で(訳は前回迄のを読んで)、現代本邦の流行・大手式を完全無視して続けて参ります。
今回最初に取り上げたいのは、音楽に於ける視覚と聴覚についてからだ。
ここでは題にある如く主に録音現場ででの話しで、昔と違って今の機器には立派なメータが付いてるが…。

諸悪の根源推測①:音の処理なのに「メータ監視」に拘りすぎちゃった?
集団音楽演奏を実体験すれば分かるんだが、人耳にはバランスは影響大・僅かな全体音量の増減はスルーとなっている。
耳にOKならメータへは「目を瞑る」べしで、無用加工は副作用のリスクありだ。
唯一の例外はデジタルなのでレベルオーバー、アナログみたいな忖度は一切御座居ません。

諸悪の根源推測②:機械と人耳が感知する音量は違う
音色等次第で耳に同一音量でも、電気的レベルは同一とはならんとです。
ここでの注意点は同じ楽器でも音程その他等の僅かな違いで、「元のの聴こえ具合」が激変する場合がある処。
人力なら例えばドの音の時だけ弱くとか簡単だけど、機械でそれは無理。
曲や他楽器との組合せでも、どんどんこれが変化して行きます。

諸悪の根源推測③:楽器バランスは各々の均一化だけでは獲得ならず
これが通用するのは短めのループ音源だけで、機械に依る音量や密度調整等だけでは耳には不足します。
実際の必要加減量は少しで足りるが、施すべき場所と量がとってもランダムだからなんだわ。
膨大な量の計算は機械の方が得意だが、曖昧とかまちまちとなると人間様の領域なのよ。

諸悪の根源推測④:クリック使っても耳にはリズムが不正確
正確なテンポは物理的限定ならメトロノーム通りだが、楽曲となって様々なフレーズになると耳には不正確になる事があるのだ。
人耳は測定器では無いので、音によって聴こえ方が変わる場合があるのだ。
海外の猛者達はクリックにも合せるが、同時に対人耳を優先した微調節を常時随意に行っている。
彼等は寸分違わずも出来るけど、聴くと変だから没にしてと皆言うでしょう。

これは打込みでも時々発生する現象で他人がどう処理してるかは知らんが、過去にどうしても耳におかしいのを修正した経験もあった。
最初は入れ間違ったかと思ったが、確認するとそれは無し。
でいざ再生させると何度聴いても「ここだけもたるな」で、お試しでわざとズラしてみましたとさ。

この経験を元にその後は最初からと思ったっけそうならず、フレーズ・音色・組合せ次第でこれもランダム変化でした。
パターン特定が困難な以上、随時の試行錯誤しか方法無しだす。

諸悪の根源推測⑤:密度上げてもパワフルにはなりません悪しからず
暴言気味ですが真実なので正直にだと、単にウルサくなるだけでした。
うるさい位だから弱くはないんじゃって錯覚効果はあるけれど、効き目はとっても短いです。
聴いててすぐに疲れ出すから強いんじゃって、バスドラの中へ頭を突っ込まれて鳴らされちゃいねんだからよぅっと。

正しいパワフルは適正音量で再生してたら、演ってる人は疲れそう・聴いてる方は楽〜楽。
だから音楽は演るのは大変で、聴くのは楽しいんで御座候。

大分低くなった!?天の声行きますが、俺って事で太鼓も弦も打込みもの体験から書かせて頂きやす。
全部が同等な修練度でない嫌いはあるけど、「加減」に限ると生の人力が一番楽だった。
正確さのみだったら機械なんだけど、少しでも加減を要求されるととても時間が掛ったのだ。

先ずはお目当てのパートのパラメータを修正して行くが、そーすると大抵は機械でもバランスに変化が出ちゃうんだ。
それを戻すのに結局他パートのも最悪だと全部修正掛けなきゃなんなくて、手間もだが兎に角物凄く時間を取られんだ。

最近でだと休止中のバンドの新曲のガイドを打込んだが、弾けるし普段は弾くのも打込む事になる。
だから弾くのと打込むのが自動的に直接比較出来ちゃったんだけど、弾けるんだったら弾いた方が全然楽でしたわ。

俺の中では得意じゃない鍵盤ストリングスは、最初は打込みをそのまま使う積りで居たんだ。
が我儘リードギタリストの要望で、毎回コロコロ変更が出たとです。
打込むにしても和音の加減等だけの具合を先にみるには、手弾きだったらその場でOKなんでちょっとは毎回鍵盤を触ってみてた。

そうこうしてる内にどっちも楽じゃないけど、それでも弾く方がまだましになっちゃったんだな。
1つのパートにもフレーズ以外に強弱とか色々あるのを、打込みだと同時変更は出来ないから時間地獄に根を上げたんだ。
失敗すれば録り直しになるけど、上手く行けば1回で全部まとめて処理出来る。

体は疲れてもその方が頭は楽で、打込みは単純作業っても延々ととなると精神的にとてもキツかったのです。
すると減点になるのは[手弾き:体だけ]vs[打込み:頭と心]で、
試合結果としては手弾きの勝ちと出たんだな。

もう1つ考えるべきは「弾けないものは打込むしかない」処で、機械による自動化時代だからって人力の方が楽なのだって一杯残ってんだ。
その意味で機械の本当の価値は、無人でもな部分じゃないスカねぇ。

それと近年俺言い横行の何でもClick使用ですが、教則音源でも無いんだから特にワイルド系のに用いるのは愚の骨頂です。
少しでも気にして勢いを削がれたら、欠点が無くたって長所が削られる。
魅力が足りないなら間違って無くったって、聴く意欲が湧かない。
先ずは何かがおもしろくて、飽く迄その上でだったら整ってる程良いって「順番」があるのは何処へ忘れて来たんだいっと。

真実の音質とは⑦ 音質にも色々あるの編Ⅵ(マスタリング)

俺が今のJ-POPに批判的な理由で最大案件と思ってるのが、近年本邦の画一化も行き過ぎなマスタリングだ。
ポピュラー音楽は生活密着型とも言えるから聴き易さは大事で、様々な聴取環境を考慮するのは当然ではある。
だが真の意味での「様々」を実現するには、「やり過ぎ」は却って障害となるだけなのだ。

今更だし俺如きのほぼ無実績な奴が講釈するのも何だが、音楽を売りたければから考察して行こう。
普通ならメロが歌詞がと続くんだが、ちょいとお待ちなせい。
世間に娯楽は数多と転がってて、そのどれもが甘い誘いでおいでおいでしている。
音より視覚的なのに興味のある人が、こっちにも来てくれる可能性はかなりの偶然が伴わない限り不可能に近い。

戦術としては映像のBGMとか色々あるけれど、本質的にはかつてない程の衝撃的な曲でも出来ないと難しいだろう。
この様な確実性の低いのは除けといて考えを進めるが、通常は不動な他のメディアとの「性質差」から行ってみよう。
グラビア(画像)等は気に入れば延々眺め続けたりもするだろうが、好き嫌いとかの可否判断は見た瞬間でほぼ決まる。

音楽だってイントロのインパクトは影響大だが、最低限イントロ・歌の1番・サビ位「ひと回り」は聴かないと曲の概要すら掴めない。
更に2番と3番の間にそこへしか出て来ないBメロなんかがあったりすればで、確実な全貌把握にはたった1曲ですらいちいち全部聴かなきゃなんないのだ。
映画・ドラマなど動画系ではもっと時間と手間と場所を要すが、兎も角画像等より時間を要するものなのだ。

この様にメディアの種類次第で選択の段階で既に条件が違う以上、幾ら頑張ったって音楽は原理的にそれらよりは売れっこ無いのだ。
近年本邦の製作者達はこれを忘れて、悪い意味で自分の業界内だけで完結してるんではと思わされている。
ポピュラーってからには音楽界の内輪だけを見てたんじゃ狭過ぎで、折角新規開拓の確立が一番高いのにもったいない。

J-POPも初期にはゲームに興味のある人を対象に、わざとゲーム音楽ぽく演出したりしたのは新技だったと認められる。
だが暫く続けて聴こえていると耳が慣れて新鮮味が失せ、人は飽きてしまう。
しかも只の音楽だとセットになってたゲームの分が無いから、その分元から「か弱い」のである。

流行への追随性にしても画像等の瞬間メディアじゃないし、聴く以上に作るのに時間を要するから遅れざるを得ない。
流行を追うのではなく生み出そうとすれば覆せるって声がしそうだが、これにも偶然性が含まれるのでそれだけの追求では成立しないだろう。
万一新楽器の開発から始めるなら「誰も聴いた事無い音」もあり得るが、既存の楽器を少しでも用いればそれの何処かに「過去」が含まれてしまう。

斯様に手間暇を要するメディアタイプな程新しさは原理的に苦手となるので、それだけでの勝負に出たら勝ち目は無くなるのだ。
けれど発想を逆転させると「作るのにある程度時間が掛けられる」と云え、そこをフル活用したらどうだろうか。
瞬間モノには考える暇が無いんだから、こっちでは圧倒的に優位に立てるね。

それの1つに耐用期限みたいなのがあると思うんだが、その中でも「今だけ」を理想的には「ずっと」へ持って行き易いのは非瞬間メディアだ。
極例すれば音楽には1曲に3分とかの時間の長さがあるんだから、最悪だと曲が終わる前に飽きられるのだってあり得るのだ。
それ故どんなに瞬間だけを狙うにしても、「曲が終わる迄」は聴者の興味を持たせなくてはならない。

それには何を置いてもある種の「面白さ」を求めなきゃいけないんだが、近年本邦の「売れ線」は似たり寄ったり且つ相変わらずお馴染みのへ陥ってしまった。
強いて言えば歌詞とか歌い方が少し違うかもだが、それだって一夜にして全くの別物を生むのは不可能。
前出「打ち上げ花火」で表通りへ出て来たDAOKOさん米津玄師氏だって、実際は随分前から活動していたね。

そこでこれ等を源に天の声と行くが、偶然一発目で売れた人のを
参考にするのは主にアイデアだけに留めてみよう。
一発を狙うなとは全然思ってないけど、んじゃ万一ハズレたらその後はどうすんのかなぁ。
一発狙い用のやり方だけで駄目だったから、とっとと止めて他行きますか?。
「でもまだ」ってんなら一発じゃない「地道なやり方」しか無い訳で、地道で居ながら一発も狙えば良いだけだよね。

何か俺には最近のは焦って無理してる様にしか映らんのだが、残念ですが音楽には「焦れる」カードってのが元から無いんですのよ。
また元から「他より売れぬ」にはCD等の儲け率の低さとか、どんなに売れたってカップヌードルよりゃ全く少量ってのがある。
しかるに「儲からん商売」で少しでも稼ごうってんなら、他の普通の商売なんかと同じ発想・感覚では無理に決まってんじゃないすか。

何時までも昔の夢に縋り付いてなんか居ないでって事で、例えばもうこれ以上コンプ深く掛けらんないなら思い切って一度止めちゃうしか無いね。
もうこれ以上音の粒を揃えるのが無理なら、敢えてバラケさせるしかしゃーないっしょ。
フル盛りメイクしてもブスサイドなんだったら、顔じゃなくてスタイルで売り込むみたいなね。

それでか俺耳には無論物に依るけど、最近のだと人が演奏したのよりか打込みのの方が強弱や表情が上回ってるのが一杯出て来てる始末だ。
しかも変なのが対昔比で表現力に乏しいが安定度に優れた最近の楽器なんで、昔より整形しなくったって見られる顔になる筈なんだわ。
実際若い世代になる程、昔遭遇したありゃ〜あってブスはホントに居なくなりましたよ。
化粧とか無関係でさ、直接じゃないけど体系の整い具合からしてもうまるっきり恰好良くなってんじゃないのさ。

こんな処に書いても殆ど無意味だけど、大手の皆さんもしかして現況以外の方法が出来ないんじゃね?。
やれるもんならやって…は置いといて、今短期間だけ稼ぎたい方は別として現況では細く長く自前で行くしか将来性のある道は無いみたいよ。
でももっと昔に生まれてたらなんて嘆くのは無駄で、昔っからずっと「音楽なんて食えねえ」って35年前に師匠から言われてんだ。

幸か不幸かこんな状況は何処でもでは無いみたいだから、情報入手がチト面倒だけど海外のを参考にすれば置いてけぼりにはならないよ。
それと昔では絶対的に有り得なかったのが、「外国で日本語のまま歌う」ってやつだ。
BABY METALとかが下手に向うで全編英語で歌ったら、逆に石投げられそうな気もする位だもん。

2018年12月11日 (火)

真実の音質とは⑥ 音質にも色々あるの編Ⅴ(エレキベース)

最近では機器性能向上で昔より随分楽になったが、音域が端っこへ寄ってるヤツはその分録るのが大変だ。
この点でだと太鼓よりBassの方が面倒なのは、元音の低音含有率が格段に高いから。
特にエレキだと顕著で、うっかり減らし過ぎたら違う楽器に聴こえちまうんだから。

少々順番が不親切となるがここで、
俺体験の収音の難易度を記しとこう。
使える道具(主にMic)にもよるが、栄えある第一位に輝いたのは和楽器だ。
西洋のと違い近年のでも基本的にMicの事は無視した設計なのもあるのか、特にOn Micだともう大変。
大昔従兄ん処がLive Houseだった時に三味線のPAをやらされたのがあったが、現場環境的にOff Mic不可・コンデンサ無しとお手上げだった。

だからって中止には出来ないからコーラス掛けて誤魔化しちゃったっけ、兎に角ポピュラー系での普通の方法では実際より音が硬くなって仕方無かった。
第二位は音量と音域の広さでドラムセット、その次が今回のBassである。
Liveと録音では違いはあるが、耳に優しい低音も技師のお手て
には優しくないのであった。

Liveでは残響からの影響が録音では低域の拾い損ねが第一問題となるが、Liveで特にPAと併存させるのが一等厳しさを呼ぶ。
太古の昔且つ幸運な偶然でも無い限り、Bass AmpとPAのスピーカは当然「違う物」になるから性質も異なって来る。
これは意図しない違う音を同時に鳴らす事となるので、奏者にしても技師にしても中々思った様になんか操れたもんじゃない。

ここから特有部分へ絞って行くが、指弾き・スラッピング時の「タッチ感」についてだ。
楽器の楽器側条件として弦とPickupの特にポールピースが近い程得られ易く、Amp側では中低域を増やすと得られ易くなる。
けれど音程感の明瞭さとは敵対関係となる部分があり、Amp側だけで対処するのは無理気味だ。

また「少し意外な現実」があって、感覚的には理屈に反してLineよりスピーカ録りの方が好結果が出易い様だ。
コアヲタ表現すれば「スピーカのコーン紙が動く時の雑音」が加担してくれるらしく、音程(ほぼ認識不可)・音域共楽音とは割合隔離している。
しかし雑音って位もうまともな音じゃないから、これを丸々Micで捉えるのは大変だ。

過去例でこれに秀でてたのが大手Studioで録られた、Fender系Bassのモノに多い。
楽器の方は以前に記した如く「得意」であるが、大手のハコってのに重要なのが含まれている。
ここで云う大手とはあらゆるジャンルを扱ってるの意も含み、何にでも使える高性能Micがどっさり用意されているのに繋がっている。

何人のどんな編成となるか不明・未定なので専用Micは最低限として、何でも行けるのを大量保有となってたのだ。
単純理論的にならBass実音の最低部迄扱えればOKなので、この俺言い「古代大手式」だと一見Micはオーバースペックだ。
どっこい生で聴いた時にはそれ以外の音も量は大抵僅かだが含まれていて、電気楽器の生ってのも妙だがAmpの次は人耳と解釈しとくれ。

しからば生と同じ音を求めたら人耳と同等以上の性能がMicへ求められるが、だからBassさえと思ったら大抵は不足してるのだ。
更にコアヲタ突っ込みすれば低音を爆音再生すると大抵振動も伴うが、それ故せめて音だけは全部拾わないと生耳に惨敗するのだ。
それなのに近年はとある事情でこれがやり難くなって来た。

アナログ時代は原理的に音が無くても常に雑音があって当り前だったから、生耳から足りなくなってるのがあるとそこが真っ先に気になっていた。
それがデジタルとなると真逆になってじっとしてれば無雑音って位だから、生耳より「何か余計な音」に対して敏感になってしまう。
よっぽど勇気を出さないと、誰でもやたらと極僅かな雑音が気になってしょーがなくなっちゃうのだ。

それとBass Ampだって進化してるも主にスピーカがネックになって、Lineの方が楽器が出した全部を拾える様になってしまった。
本来電気楽器はAmpを抜いたら半人前なんだが、先述楽器Ampはオーディオ性能より楽器性能優先なので若干ノイジーだ。
主にホワイトとかピンクノイズと呼ばれる類のだが、弾いて無い時の雑音なだけにデジタル収録だと余計に目立ってしまう。

ノイズゲートで隠す等の手もあるがそれにしたってそれ以前に、高級なAmpとMicの両方の準備が要る。
尚場所に依っては爆音で狭い部屋の何処かが共振して雑音を出したりするし、太鼓よりは楽器から出る音が長いから雑音も長くなってどうにも許容し難くなる。
Bassは低音中心だが部屋雑音は大抵高域成分が多いのもあって、楽音で雑音をマスク出来る可能性はほぼ無い。

この件は大音量低音楽器ならどれにでも付いて回るが、同時に鳴る高域量が他より少ないBassの時だけ目立ってしまう。
この様にAmp→Mic以外に低コスト・高確実性な方法があるとなると、商業性のある場所では採用し辛いのも仕方無かろう。
けれども本来は「もっと指で触ったまんまが出て来ます」を知り辛くなってるのは、由々しき問題だ。

それでか近年は奏者側の問題点として、ピッキングが小さ過ぎる人が増えた様だ。
電気楽器は感度を上げれば触れただけで爆音を出せるが、弦の動きが小さくなる程「どんな方法で得た低音か」は判然としなくなって行く。
これは一般論のとは違うけれど倍音の減少に直結していて、倍音は楽器の種類・特徴・弾かれ方を担ってる要素なのだ。

これが又単独時は未だしもアンサンブルへ入るとその差が大きく響いて来るが、近い或は同音程の違う楽器が現われる場合もあるからだ。
だから太い・強い・鋭い等の成分は機械より手に頼るのが有効で、草臥れるけどツマミを上げる前にしっかり弾かないと結局は貧相となってしまうのだ。

最近恒例化させつつある天の声コーナーだが、残念だが今回はちぃと渋く悲報気味だ。
スピーカレスでタッチ感を補うのにコンプが乱用されてるが、その補填度はスラップで50%・ピックで30%・指では15%位がせいぜいってのが俺の体験的見識だ。
スラップで半減するのはアタックを目立たせると、その代わりに基音が不要に小さくなってしまうから。
ピック・指でアタック部の効果を大きくするには「コンプのアタック」をかなり遅めねばならんが、それでは全体に余計な癖が付いてしまう。

コンプだって他の機器も動員すればもう少しは対応が向上するが、電気の機械に「何の音か」の判断力はAI化でもせんと持ち合わせが無い。
大体余りにこれらが大掛かりになれば手間暇経費もバカにならず、弾けるんだったら弾いた方が手っ取り早くなる。
全く頭を使わないでいたら上達しないかもだが、そうじゃなければ弾けば弾いた分腕も向上するしね。

状況次第で妥協が要りそうだけど、先ずは弾くの自体で何とかするのがお勧めよ。
効果の「度合い」が偽手段とは違って絶大ですから。

処で結局はどれでも「先ず演るので何とかせい」ばかりで、如何にも昭和非論理的と思われるかも知れない。
現に俺は昭和生まれのオッサンだが、寧ろ理論に基づくとこうなってるのだ。
電子楽器みたいに演奏は「音を出す指令」だけなら未だしも、それ以外の楽器は時に
変身させたりはするが人が鳴らしたのが出て来てるだけだから。

変化量が多かったり先述の様な原因で体感し辛くなってるので、一度でも良いから電気楽器の基本的ダイレクトを是非体験して欲しい。
因みにダイレクトボックスとの誤解を避ける為に「基本的」って付けといたが、楽器本体をそれだけで完成品の音創りが完結出来るAmpへ繋いでね。
クドイがこの場合はAmp内臓EffectorもONにしちゃ駄目あるよ。

真実の音質とは➄ 音質にも色々あるの編Ⅳ(生楽器録音Ⅱ)

前回の太鼓の続きとそれ以外のへ行くが、最初にドラムを取り上げたのは改悪とその影響が他より大きかったから。
大音量系金管楽器を除くと元音の音量が尋常じゃ無くデカいし、金管みたいに特定音域限定じゃないからだ。

ラッパは強く吹かれると猛烈にウルサイが、その音域が人耳が敏感な領域と被ってるせいもある。
また大勢で同時に吹かれたら物凄いが、奏者1人が出せるのも1音だけだ。
でもセットドラマーだとたった1人で最大4音同時に鳴らせるし、広目の音域の中から選べる。
音域はどっちかっつうと上下に偏ってるが、これが又そのままを収録するのをとても困難化させている。

音量面ではかなり楽になるが生ピアノも音域の広さでは手間が掛るが、特定のニーズ時以外は「音程が充分聴き取れる」のであれば量が少し変化しても影響が少ない様だ。
今では入手が大変になって来てるが、ピアノにはエレキ版(つまり電気楽器)が数種類ある。
なので場合によってはMicを用いず「Line録り」の選択肢もあるが、太鼓だと生の次はいきなり電子式しか無い。

この内YAMAHA CP系は所謂「エレアコ」(電気を使うが生楽器近似の音色)タイプで、ギターでこれに対応するのがホントのElectric Acoustic(Ovation等)、Fender Rodes系等はエレキギターの鍵盤版だ。
尤もエレアコの音色は生とは近似であっても同じじゃないので完全な代役は無理だが、アンサンブル的観点では置換え可能な場合も少なくない。

そして生弦楽器の殆どには電気版があるし、コンタクトピックアップを楽器に取り付ければやはりMic以外での収録の道がある。
コンタクト〜はピアノ用もあるがどれ用のでもまだ開発途上と云え、Liveに事足りても録音に使うのはかなり厳しいのが現実だ。
それでも絶対Micしか手が無いのよりは収録に柔軟性があると云える。

現況俺個人の憶測に過ぎぬが、試せる方法が少ない程誤用・誤認に陥り易いのではと思っている。
実験ってのはやれるだけやれてると、そこから現れた「傾向」の信憑性が上る。
それもあの手この手と種類が多い程「どうやってもこうなるんだから」と、納得が行き易くなるもんだ。

だから当事者にとってそれが不十分だとターゲットの絞り込みは甘くなってしまうし、コツを掴むのから遠ざかってしまうって筋書だ。
しかも近年はドラム自体が「変な進化」に走っちまってるから、「基本的に太鼓ってのは」がどんどん理解し辛くなって来たとも感じている。

この辺で毎度の天の声!?へ進めるが、音加工の基本の「収録で何かがズレたのを元のへ修正する」のを忘れなければ最悪は必ず避けられる。
意図的に奇抜を狙う場合でも「必要最低限」に留めれば良く、強い薬程副作用も強いのと同じ事なのだ。
そしてここで大事なのが「今は平気」な副作用でも、Mix最終段階迄無事かどうかは「やってみてから」じゃないと分からない処だ。

俺推奨の参考例としてBeatlesの初期と末期のドラムサウンドがあるが、基本的には初期はOff Mic一発録り・末期はOn Micマルチ録り+収録後音加工付きとなっていた。
人と場所は同じだが音響手法は随分違ってるので、太鼓の音の第一印象も当然異なっている。
だがいざそう思って聴き比べてみると、誰それの何々の音って部分では奏者の要求が同一なものは
殆ど「同じ」音になっていた。

記憶からのイメージでは後のになる程ヘビーだと思ってたが、楽器自体の音色はミュート以外実は大差が無かったのだ。
ヘビー化印象の原因を探ってみると演奏ではなく曲の方で、曲に合った演奏をしたのでその様に聴こえた模様だ。
録り方が違っても「Rnigoの音」を維持させてた訳で、曲と同時に奏者の個性も配慮されてた証だろう。

今の俺は録音では
ドラムに一番神経を使わされてるが、ドラムだけを重視したからでは無い。
ドラムは鳴る時間は短めだが大音量且つ広音域なので、ほぼ必ず他の楽器と音の何処かが「被って」来る。
すると同時に鳴ってる他楽器の音へも必ず影響出るので、先に何とかしとかないと後が余計大変になるのだ。

個人的にバスドラもBassも重低音タップリなのが好きなので、このバランスのせめぎ合いに独りで勝手に腐心している。
現時点で低域の「割り振り」の条件を整理すると、
①音域は多弦Bass以外だとバスドラの方が下がある
②太鼓の方が低域の量は少なくても低音感が出せる
と判明している。

バスドラも低域でのアタックが目立つのはBassと同じ帯域なので、近年本邦のは無理に両方が持上げられてる様だ。
良く言えば「見せかけ上の一体感」が得られるが、折角「違う楽器が2つ入ってる」部分はモロに犠牲となっている。
更に一体感命か分からんがGuitarとBassも帯域が近似に揃えられていて、重いGuitarに底の浅いBassとなっちまってるのばっかしだ。

俺視点ではわざわざ3つあるのを1つに無理まとめして、淋しくなった分を節操無く重ねてゴチャらせちゃった様にしか聴こえない。
適度に被らせ適度に分離させときゃ、そんなに一杯詰め込まなくったって充分リッチなアンサンブルが組めるんだけどねぇ。
なので上記のバスドラvsBass案件ではバスドラで低域を持ち上げるとしたら、出せてる一番低いのを先ず最初にターゲットにしている。

より具体的に示すと「Micのせいで減ってるかも」な超低域を、補正してみる辺りから始めている。
それより少し上の音域はBassの出せる最低音域なので、極力増やさない様に務めている。
Bassでも太さを誇示するには低音の中でも高い方を上げると得られるが、その帯域が今度はGuitarの最低音域なのでこれも極力避けている。

弦の詳細は次回へ譲るが、アンサンブル物なら単一楽器単位での行き過ぎた音創りは骨折り損のくたびれ儲けとなり易い。
他のが入ると単独とは大抵少しは違って聴こえるからで、この心配がほぼ不要となるのは結局「生で聴こえてた音」なのだ。

最後に従兄の太鼓の先生の金言!?を紹介ってか最近の口癖だが、「海外のドラムサウンドは、どれも思った程は弄られて無い」んだそうだ。
これのキッカケは偶然俺が作っちまったんだが、これも以前別項で触れたJohnny,Louis&CharのOiRAってアルバム内の1曲の分析依頼であった。
これの録音はU.S.A.のLAなんだが、その曲のバスドラには何とコンプが掛って無いと指摘された。

一瞬ホンマかいなとは思ったが、確かに微妙な意図的強弱がしっかり聴き取れたのである。(サービス:件の曲はHead Songだす)
彼等の国内録音のではバスドラ・コンプ・レスは思い当たらないので、彼の発言は見事に証明されてしまった。
でもチョイと考えてみりゃ聴く方にとっちゃ耳にさえ良ければ、どう加工されてるかなんて知ったこっちゃ無いんだよね。

ネクタイ無しでもビシッと決まったホストのお兄さんは恰好良く、ネクタイあってもヨレただらしないサラリーマンのそれに最早スーツのフォーマルさは残って無い。
要はネクタイの有無じゃなく、スーツの「着こなし」が問題な訳だ。
「外人が先にやった」からって、それだけに拘り過ぎなんでしょうよきっと多分。

もう平成も終るってのに何時まで経っても外人コンプレックスとは、オオお恥ずかしや…。

2018年12月10日 (月)

真実の音質とは④ 音質にも色々あるの編Ⅲ(生楽器録音)

日本の住宅事情では生楽器を生で味わうのも大変なので、普段は録音された物を用いるのが多そうだ。
オーディオ分野の特に一般大衆向けの技術が高いのもあるから、選べれば便利な方へ流れるのも人情だ。
だがそのせいか生の生が忘却気味となって、変な物が大量流通する事態となってしまったか!?。

実際はそこ迄大袈裟じゃなさそうだけど、「偽の生の音」が通用し過ぎる様になってるのは事実だ。

知らないのを良い事に、いったい何時まで騙し騙され続けるんだろう。

ここでの偽の生とは録音等によって、演奏現場で耳にするのと違って聴こえる音になってるのを指している。
他人に詰らぬかもだが、これに通じるちょっとしたエピソードをご披露しよう。
俺は子供の頃親を皮切りに周囲の大人から、容姿について悪意は無くも嘘を刷り込まれていた。
誰もが若い時は綺麗とか、大人になれば立派になるもんだと。


綾小路きみまろでは無いが「あれから云十年」、俺が当時真に受け過ぎたのも駄目かもだが少なくとも美形の最大原因がこれでは無いのを確信させられた。
単に生まれながらのデザイン設計が他より抜きんでて優れてた人が美人で、その様な方は何歳であっても美しさで他を圧倒してたのだと。
齢を取ったから若さへの憧憬等もとても理解出来る様にはなったが、それと所謂美形は全くの別物なのであった。


んでこれは容姿のみならず音だって同じで、特殊メイクを除けば化粧だって下地の影響が必ずあるのだ。
もし元音が悪過ぎれば「聴いてらんない」からは脱却出来たって、「ずっと聴いてたい」迄持ってくのは幻想に近い。
それと至近前数回等に記した如く、初期の「加工」理由は「生に近付ける」だ。

ここで経緯へ行くが従兄の太鼓の先生談によれば事の始まりはかなり遡るらしく、最初はあるブランドの太鼓の寸評に片鱗を見たそうだ。
俺言い「無理盛り加工」されたのみたいなのを生で出せるのを目指した云々だそうで、発想だけなら批難よりユニークと思っても差し支え無さそうだ。
だが専門家の彼によればもし実現出来たとして、生太鼓の楽器としての部分はろくでなし・音色も想定とは違って酷いのにしか為り得んそうだ。

これには主に2つ原因が思い浮かぶが、人耳と機械の違いと楽器とやはり機械の違いだ。
前者は概述なので飛ばして後者へ行くが、機械の絶対安定性重視が楽器には不都合な部分があるからだ。
安定って字面からは良い印象しか受けぬが、別表現をしたら固定とか不動とか果ては変化拒絶の意味が内包されている。

丁度良い処での安定は大変結構だが、「変化が必要なの」には邪魔でしかない。
一例として近年主流のドラムスティックで、ボールチップってのが一面でこれに該当する。
要はバチの角度が変わっても皮への触れ方が同じになるので、均一なアタック音が得られるって代物。

奏者のミスで角度がズレたのは帳消しにしてくれて助かるが、角度を変えて音色を変えようったってもう無理だ。
皮肉れば「超初心者本番用」・素直に捉えりゃ「便利グッズ」で、バチ自体は無罪である。
が、それが一般化し過ぎたらどうなるか。
角度で音色を変えられるのを知れなくなるか、少なくとも知れるのに無用に長い時間を要する様になって損させられるの請合いね。

音加工については概述なのでそっちを読んで貰うとして、楽器自体の方も最初は進化としてやったものが認識不足からの誤用により「錯誤の源」に成り下がっているのだ。
俺は世代的に古典全盛より後なので、普段のCymbal演奏でのハンドミュートは瞬間止め以外に用いて無い。
しかし「手加減ミュート」(極軽くCymbalを持って残響や倍音を所望によって抑制)を知って以降、ガムテープを貼るミュートは止めてしまった。

かつて雑誌等で目にしたガムテミュートの画像だが、その後どうしたとかやる頻度等は特に書かれて無かった。
今思えば恐らく「臨時だからこそガムテ」と想像も出来る様になったが、当初はそれを想い付けなかったからずっと貼りっ放しにしていた。
これが後で面倒を連れて来たのはこれも過去概述だが、更に大変だったのが皮「ドラムヘッド」でワーストNo.1はコーテッドのだ。

Cymbalは軟らか目っても金属で、乾いて固形化したガムテ糊よりは硬かった。
なので中間の硬さの物を探してそれでこそげば何とか大体は落せたが、皮の方は俺みたいな貧民には全部プラ製と軟らかだ。
下手すると糊の方が硬いから無傷除去は絵に描いた餅で不可、コーテッドに至っては糊とコーティングの「剥がれ競争」で結果は神のみぞ知る状態。
すっかり懲りて最低でも「自分の皮」には、ガムテは2度と貼るもんかと誓いを立てちまったぃ。

俺の場合は雑誌に騙された様な恰好だったが、今だとインターネットや通販の弱点認識不足がこんな失態を引き起こす元となってんだろうね。
どっちのでももし通りすがりにでも見つけて、そこに居る貼った人に直接話を聞いてれば起こり得ないやね。
ネットや通販等「
機械化率」(松本零士かよ!?)な程度忘れ等によるミスは減らせるが、欠けた情報が他にあるかどうかは受け手側には全く分からない。

近年の音楽の売れ行きの悪さや音楽家寿命の短縮に関係ありと見てて、つまり1つの音色しか出せないと所属Bandが解散したら途端に無職とか。
それなりの腕の持ち主がこんな僅かな事でプーになったら、本人のみならず本来なら業界の損失なのである。
出来る様になって来たらクビでは、一向にレベルが上がらない処か下がってっちまいそうだ。

もしプロ前夜迄に一通りを知れてれば良いが、一度プロとなってしかももし結構稼げてたら「変なお見合い」現象になって来る。
お見合いっつったって縁談じゃ無くて遠慮し合うの意で、奏者側は変なことをスタッフに訊いてアホ若造呼ばわりされたくない。
先に業界人だったスタッフ側にしても稼ぎ頭の機嫌は損ねたくないで、そう云う面では素人時代みたいに気楽な会話は難しくなって行くのだ。

これではつまり何てったって「損」。

<つづく>

2018年12月 9日 (日)

真実の音質とは③ 音質にも色々あるの編Ⅱ(電気楽器)

前回迄のは全体像への経緯だったが少し楽器別へ突入で、俺観点で最大案件たる電気楽器を取り上げる。
今の流行りや需要だけから見たら何が問題と思われるかも知れんが、ある意味「Effectorでしか選べない音色」では奏者の個性は必ず削がれているのだ。

例えばFUZZで有名なJimi Hendrixはその通りだけれど、彼の音色が存分に発揮されて印象に残るのはLittle Wingなんかの方が強くは無いか?。
FUZZが掛ってる時のは
、実は音色よりフレージングやギミックに惹かれてません?。
今は変えてしまったEdward Van Halenも彼らしい音と言われたら、初期から知ってる者なら独自の無理矢理歪ませのが真っ先に思い浮かびませんか?。

Effectorの使用法で名を成す者だって居るけれど、それが維持出来るのは「他の誰もが使わない間」に限るんじゃないの。
そして機械にはどれも決まって寿命があるけれど、やはり楽器度が低いの程それが短い。
奏者本人が自身で完璧なメンテを死ぬまで出来たりするんじゃないと、どっかできっと変更を余儀なくされるんでしょうなぁ。


更に最初は
Effector無かったしで、となりぁ先ず目を付けるべくはAmpだ。
それなりの想定・試験はしてても現代では稀有になったが、電気楽器みたいに「2つに分離」してる物も最初はちゃんとセットで作られていたのだ。
多くの初期の電気楽器製造者は両方を作っていたが、例えばギターの方が有名なRickenbackerやGretsch・Gibson等でも中々のAmpをかつては作っていた。

Ampの方が有名なVOXにしてもしかりで、「今迄は無かった」のを上手く鳴らせるのは多くの場合やはり「今迄は無かった」のとなりがちだったろう。
この部分で昔より今は「連携」の点では退化したとも看做せ、自由度は上がったが美味い組合せを見つけるのは困難化している。
それでももし定番が歴然と存在してたら良かったが、ベテランには未だしも初心者にとっちゃ変なハードル増えちゃったかもだ。

さてここで電気楽器AmpでのHi-Fi(高音質)とはに一寸言及しとくが、一般のオーディオ用とは重要事項がかなり異なっている。
呼び名はAmpだが「楽器の半分」なんで、Bass Ampは兎も角Guitar・Organ用なら原音再生より俺言い「源音生成」なのである。
繋げた楽器の個性・らしさの増強が第一で、何々ギターの「何々」の部分はその楽器がギターである部分より大抵少なく弱いものだからだ。

悪いより少しでも良い音に聴こえるに越した事は無いが、個性を犠牲にしては楽器としての部分が損なわれる。
AmpがOKで相性に無問題でも音が今一な時は、楽器の楽器側を疑ったり変えたりも出来るのでね。
これらからすると電気・物理的にはどんな特性が求められるかっつうと、純粋オーディオ的高性能は殆ど意味を為さなくなって来る。

いわゆる周波数特性・歪率等は、楽器の音域・音色等に干渉しないならもうどうでも良い。
逆に気にせねばならんのが耐久性・過渡応答特性で、前者は単に丈夫なのの他に少しは無理が利くってのも含まれる。
オーディオなら過大入力で壊れても文句を言えぬが、楽器用なら音が歪んでも構わんけど飛んだら絶対駄目となる。
物に必ず限界はあるが、それが演奏の自由度を奪ってはイケナイからだ。

Bass Ampを少し例外扱いしたのは「ちゃんと低音を出すのはとても大変」だからで、ここを最優先としてるのが多い。
決して楽器向けを放棄してはいないが、低音が不足したらもうBaasには聴こえなくなるかも知れないので。
少し間が空いたがここでの「過渡
応答特性」とは、弦楽器だったら弦に対するスピーカの動き・反応の良さとなる。

これは今だと太鼓等他の楽器についても俺的懸案事項となってるが、本質的にはリニアな程望ましい。
つまり弾いた・叩いた「まんま」が出て来るのが相応しいが、奏者の僅かなムラも露呈するので今では余り歓迎されなくなったのか?。
副作用も中々だけどだからって「まんま」が出なくて良いなら、打込みの方が確実で良いに決まってんじゃあぁ~りませんかぃ。

幾らボロ隠しで
過渡応答性を落すにしてもゼロには出来ず、ムラを皆無にはできませんので悪しからずだ。
それだったら欠点も楽器の音の内と覚悟して、運良く上手く演れたのがそのまま出てくれた方が嬉しいと思うしか無いのよ。
因みに仮想現実でもしこれをゼロに出来たとして、出て来る音には強弱一切無しとかになっちゃうヨン。

又今迄殆どの楽器側のはカレーライスに例えると「ご飯」みたいなもんで、それだけでは所謂「何味」ってのが付いて無い。
これに倣うとAmpはスパイスや出汁・Effectorはルーで、演奏内容が具ってなもんだ。
Ampは味付の基礎は担うが、本来の役目を果たすには調味料領域まで託すと過負担となり易い。

そのせいで音色面で見落とされ易くなるが、日本人なら分かるだろう「出汁は重要」ですだ。
なので楽器側楽器に無かった音が追加されても、個性や演奏に支障しないのなら沢山あってもOKなのだ。
尤もそれは作る段階でとてつも無い試行錯誤を経て与えた物で、料理で出汁をとったりするのが意外と大変なのと同じだ。

俺言い「出汁」と言うからにはで、意外と変な材料が有効だったりする。
それが真空管Ampでなら整流管だったりするんだが、こ奴は
ある意味電気・物理的には不正直で音的には割と正直ってな曲者だ。
理屈的に今一な上高コストなので代役が見つかると他の半導体部品へ置き換えられ、現行での生き残りはほんの僅かとなってしまった。
しかし電気楽器の原典では必ず使用されてたし、それによる音の変化が音色の原典にも当然含まれている。

で核心へ近づくが電気楽器の親は生楽器だから、親からの遺伝を全部無くしちまったら他所ん家の子になっちまってOUTだ。
生楽器の音はその音源と人耳の間に通常必ず「空気」が介在するので、その分人耳への馴染み易さが生じている。
電気楽器でもこの部分を減らし過ぎれば聴き疲れし易い音になってしまい、疲れないのの方が良い音なのに異論はあるまいて。

大元は足りない音量対策で電気武装させただけなんだが、当時のオーディオ技術がプアだったお陰で全くの偶然だが「丁度良く」なってたのだ。
但し前出の如く「出汁」部分なので効能がとても分り難く、朝から晩まで毎日鳴らし続ける位しないと中々違いを実感し難い。
それに科学的に半導体より低性能なので、多くの人はそっちへ目が行って利点が見えなくなりがちだ。

製造業者としては職人任せ式では時間も費用も未定となるので、科学的・工業的に解決出来る物はそっちで考える。
答えの決まってる物は安心だし、先の予定も立てられるからねぇ。
しかし機械っぽくても「楽器」なのであり、違う物は違うのだ。

<つづく>

真実の音質とは② 音質にも色々あるの編

一口に音質と言っても人や場合によってターゲットとなる部分が違ったりするが、一般論では低雑音・ワイドレンジである等が多そうだ。
しかし本シリーズで掲げてるのはちょいとそれとは違ってて、出発点はピアノがちゃんとピアノに聴こえるかってな観点だ。
それもピアノにだってメーカーやモデル毎に音が違うが、それが過不足なくありのままで聴けるかと云う部分についてだ。

楽器を演らない人にとっては単により魅力的だとか、良い音である程心地良いであろう。(人によって「良い」は様々だろうけど)
だがもしそれが何処か途中で少し無理な加工が加えられた音だったりすると、かなり後になってからボロが露呈したりしてしまう。
余程特殊な設計で無い限り、楽器は先ず本体だけで「使える・聴ける」様に作られているからだ。

ここで一番大変なのがバランスを取る処で、気の遠くなる様な手間暇掛けて漸く落し所へ導くのである。
そして必要悪論と似てるのが綺麗な音は「綺麗な音だけ」で構成・成立しない場合が多い処で、時に全体の向上の為にわざと音としての異物を混入させる様な事もあるのだ。

これを一般物理・科学的なだけの尺度で個別に取出して判定すれば、異分子であるので却下・削除されてしまう。
で、それを安易に実施しちまうと「何か物足りない音」になってしまうが、最近俺吠えの「音楽物理・音響物理」と云った論理が含まれぬせいで行くべき先を誤ってしまっているのだ。
取ったらイケナイのをもいだのにそれを顧みず、足りないから何か模造して足しちまえである。

昔は音響機器の性能が今よりかなり低かったので保持したくても削がれるのが多々あったから
やむを得ない措置とも捉えられる。
尤も後付け加工の方も低レベルだったから、目一杯弄っても音の変化割合等タカが知れていた。
特にアナログ式しか無かった頃は弄る度に素材が必ず劣化するので、今のデジタルだけでのみたいに無制限に加工するなんて全く不可能だった。

これの裏を返すと今デジタルだったら、「元の音素材が無問題」だったら変質しないから「加工不要」となるべき処だ。
だがしかし特に本邦では、現に「無理盛りサウンド」全盛となってしまっている。
今に至る経緯を振り返ってみると、デジタル化初期から中期頃迄はまだ性能に弱点があっても加工は少なかった。
これはプロの世界でデジタル化して行った順番も影響してた様で、録音機→Mixer→Effectorと開発時期に差があったからだ。

末端では価格の兼合いで俺みたいにReverb・Delayのデジタル化が先も多々であったが、予算無制限の現場でのメイン使用では上記の順であった。
全デジタルとなって「望む部分だけ無劣化加工」が可能となって久しいが、「正しく用いる」限りは大変有難いもんではある。
ここから問題洗出しへ行くが、では誤った用い方とは何ぞやだ。

それが冒頭から暫くの拙文に記した要素を無視或は忘れる事で、もっと端的な表現をすれば「機械操作とは云え飽く迄音楽を向上させる目的を逸失」となる。
それには機械より音楽の理解度の高さが必要だが、本邦の特に企業系では誤った分業化の為にそれが犠牲となった模様だ。
前にも触れた俺の専門校体験はもう30年以上昔だが、既にその時点で適正教育は施されて無かった。

俺の学校には音響分野は俺の行った音響工学科と音響芸術科の
2つあったが、どっちにも音楽の授業は皆無だった。
システム上専門学校は期間が2年しか無いので量的に厳しいが、音楽の付いた科が他に無かったからにはこれではロクなのが育たなくても仕方無い。
実際出た学校とリンクする業種へ就けた者は
、俺みたいに皆個人で音楽を結構突っ込んで演ってた奴だけだった。
残りの3/4で少しは関連のある電気関係に行ったのが1/4と、つまり
卒業生の半分は全く無関係な所へ追いやられている。

近年では余りの人材難に懲りたか教育状況に変化がみられるが、彼等が主戦級になれる迄にはまだ時間が掛る。
また体験からの実感も含むが幾ら想定しても、実際の生活が懸かった現場とそうでないのとの差を完全に埋めるのは不可能だ。
それにはプロの現場に「知ってる」先輩が居ないと教わり様が無く、これを含めると数十年先迄トンネルが続いてる事になる。

だが俺はここで只悲観論を嘆こうってんじゃなく、だったればこそどうすりゃ良いのかを訴えたいのだ。
先述の企業系の行き過ぎ錯誤経済追及は本来有能な者への低評価又は追出しとなったので、現在有名所には余り猛者が残っていない。
だからってクビと同時に皆死んじまったでも無いから、マイナー小規模となってもどっかで仕事してる人は結構居る筈だ。

そんな人の多くは安定した高収入よりやりがい追及へシフトしてそうだから、「流行りには縁遠いがかなり良い音」みたいな部分で見分けが出来るだろう。
妙だし乱暴だがもしアナタが「流行命」なら将来の希望は捨て、なるべく大手に何とかして潜り込めばよか。
ばってんどんどん減少するCD売上げ等からも分かる通り、今の売れ線は将来は確実に不要品扱いされるだろう。

1億歩譲って現況J-POPが最高峰としても、それだけ沢山聴かされりゃ何れは飽きてしまうのが明白だからね。
今ガッポリ稼げてる者以外にとっては、今の以外で儲かりそうなのを探さなきゃ仕方無いのよ。
昔からそれは不変だけど違って来たのは何処でヒントが得られるかで、今はマイナーな処になればなる程美味しいのが転がってる筈だ。

たまたま子供の同級生に
DAOKOさんってのが居るが、彼女は極端な家内工業から出発した様だ。
最初から容姿には少し恵まれてる方だったが当初は独自性以外に売りは皆無で、まだ全然若いけれど紅白に辿り着く迄7年以上経っている。
今後どうするかは不明だが現時点迄その独自路線は堅持してるので、ある意味「粘り勝ち」って事である。

俺自身は打込みより手弾き指向だが現況の曲のレベルは、ボカロ系が大手人手系より数段優れてるのがハッキリ分かってしまった。
これも先述と同様に力に自信のある者は、勘違いし捲った大手を敬遠した結果と受け止めている。
件の「音質案件」では今ん処ハッキリした現象は表れてないが、時間の問題となるのは確実だ。
何しろ大手は「儲からなくなったら辞めちまう」んだからさ…○×△□!?。

<つづく>

2018年12月 8日 (土)

真実の音質とは(演出過剰への懸念)

ドラマー用ヘッドホンの項で触れた古典KOSSの件等より、近年の「作られ過ぎた」音質の功罪を綴ってみたいと思う。
俺は今にしてみれば世代の関係等でギリギリ「生の音」に触れられたが、その頃と比べると近年の「音を出す」装置の多くはかなり異常な音質なのだ。

最初に「功」については新鮮味があるとか、悪環境下でも聴き取りが容易ってのはある。
けれど折角良好な環境だったり新旧を問わずに聴きたくなっても、人の感覚的にあるがままの音を出せる物がこれ等には備わっていない。

この点が「罪」に相当するが、聴いて楽しむだけなら大した支障は無いかも知れない。
だが聴いて学ぼうとか自らの楽器演奏の模範としようとすると、「実際とは違う音」を本物と誤認しちまうから一大事だ。

Micへ目を向けると未だSure SM58等が居座ってるのもこれの関係で、近年のより音のアタック部等の第一印象が人のそれに近いからだ。
しかしこれにもちょっとしたカラクリがあって、Micと人耳では音源との「
距離の違う音」が似ている処が要注意なのだ。

本来距離が違えば違って聴こえるのが当たり前のが、ある意味製作・提供者側の利便性からこの様になってる様だ。
拙ブログで何度も出て来てる「人耳の弁別能」を、Micに与えられないのがその発端だ。

弁別能をおさらいすると「特定音のみに聴神経を集中稼働させる」とか、耳に入った音を「聴き分ける」等となる。
だから音源から離れて
他の音の混入率が多少上がっても、脳内で選別して取り出せるのだ。
が、Micにそれは無理なので、混入率を一定以下に減らさないと目的音が聴き辛い音になってしまう。

理想からは次善の策でも現状では最善策なので仕方無いけれど、人にとっての実際とは異なるのでそれが新たな問題を色々生んでいる。
弁別能を駆使しても複数音の相互干渉等は完全排除されて無いし、空間に依る残響からの音色変化でも相違があるのだ。
つまり
Sure SM58の存在価値に疑念は無いが、その音は現実とは「似て非なる」もの以外の何物でも無いのだ。

集音側の弱点を無理に補おうとしたか新鮮味で販売促進を狙ったのかは定かで無いが、再生側はもっと極端な恐ろしい状況になっている。
端的に表せば大多数のが、「人物写真の主人公の輪郭を、マジックペンでなぞった」様な音になってるからだ。
確かに輪郭自体は明瞭化するが、それは言わば「音のプリクラ化」とか「スノー化」である。

これだけだったら「面白そうじゃん」で済むが、本家たるプリクラと近年音響再生装置では大きく異なる点がある。
本家は使用者が自由に操縦出来るが、分家の方は根本的な質が固定で変えられない。
バスブーストやらエコーやら色々付いててもそれは着せ替え人形の服の部分で、人形本体を痩せさせたり太らせたりは出来ないのと同じ感じなのだ。

人物の姿だけを眺める場合はどれの影響でも美しくなってれば、綺麗なお姉さんに変わりは無い。
だがそのお姉さんは「誰?」となると、「一見別人かと思ったけど、やっぱりあの人だ」とならないと具合が悪い。(わざとは別よ)

そしてこれが従兄の太鼓の先生だと以前の生徒に無かった異変に出くわし、俺同様危機感を抱いたそうだ。
特例を除くと多くの奏者も奏でるより聴く方を先に体験するものだが、その時の音が実態と違うのばかりにいよいよなり出したみたいなのた。

間違ったイメージしか持てなかったら、下手すりゃ練習すればする程「変な音」になってっちまうんだからこりゃ大変だ。
またこれが困ったもんで誰だって第一印象が良かったり強烈な方へ惹かれてしまうが、実際多くの場合はその後最低3分やそこらは聴き続けるので頭よりかそれ以外がどうかの方がホントは重要なのだ。

更に素人程騙されちまうのが真に自然なものには特別な印象等湧かない処
で、無印象な為に折角出逢えてもスルーしてそうだ。
そして現況へ至る過渡期にはまだ両者が混在してたから聴き比べが出来たが、実は
過剰演出でもどれもが右へ倣えだとそれが普通と思えて来てしまう。
気付き難い上にチャンスも少ないのでは打つ手無しも同然で、殆ど無駄な抵抗っぽいが俺等は訴えて続けて行くしか無いと思っている。

現代の音基準をもし標準とするなら生演奏のよりボカロ等打込み物の方が、この点で高純度だから人気があるのかもとさえ思ってしまう。
生では奏者が耳にした「楽器から聴こえた音」と完成品のは別物になるが、打込みのは作者が耳にしたままのを完成品に残せる訳だからねぇ。

ではそれならどんな救済策があるかっつうと、生楽器だったらPA不使用の保証があるのを聴きに行ってみる道が残っている。
理想は一流奏者だけどそう云う人気者は観客数の多さのせいで、PAレスが困難なのでこの目的としては諦めよう。
経済面も含めての狙い目は「学生さん」で、ある程度のレベル保証があると看做せるコンテストとか「音大の発表会・学園祭」等だ。

現時点ではとても及ばないが、彼等の中には将来の一流の卵が含まれてたりもするのでね。
ここで俺が推してるのは「無料」のものについてで、それなら調べる手間等はあってもハードルは決して高くない筈よ。
それも少し退屈の懸念があってもマイナーとか小規模の程適合してて、最近は学校のでもちょっと立派なのになるとPA君コンニチハとなる様だから。

殊更深刻なのが電気楽器で、電子系なら操縦方法が違うだけで打込みと同列だ。
今度のには複数理由があり、最初はLive時にAmpのみで音創りされる事が僅少となった事だ。
その為にAmp側もEffector等とのコンビ使用時に求める音が得られる設計のが多く、Amp自体が単独では所謂「エレキの音」を得られ難くなって来ている。

又プロは自宅や録音現場等必要時になら触れている者も居るが、移動・予算等運営上の都合で
Live時の「妥協」が常態化しつつある。
少し大げさに言えば「何処の馬の骨か分からん奴にPAで弄られるなら、大枚叩いて拘る意義が無い」って処だろうか。

また海の向こうと比べるとどうしても本邦では「電気楽器音が重要」な演奏会場の歴史が僅少なせいか、奏者・扱い者の両方共で現役のベテランが元から少なかったと感じている。
しかもRock人の平均寿命が一般より10年位短い様で、いざ教わろうと思ったらもう居ないと来た。
どの世界だって素人→見習い→若手→中堅→ベテランと来て、その後が後進の育成に本腰しとなるのは共通事項だろうからね。

また現在売れてる人程現況適応の都合で、「昔のシステム」(本来の手法)を半ば諦める様な状況下にある。
処が余り売れてない人(俺が最右翼か!?😢)だと若い人は誰も知らないから、そもそも接点の持ち様が無い。
結果的に誰も居ないに等しくなって、益々「原体験」が難しくなってしまっている。

最終手段としては過去の録音物から紐解いて行くとなりそうだが、例えそれを古典系の機材で聴いてもまだ現場の生とは中々距離が縮められない。
記録物のクウォリティ以上に音量であるとか、どう弾いた時にその音が出たとかは動画じゃないから非記録だ。
俺みたいな悲しいかな過去の人になりつつある者達ならある程度これが出来たのは、少しでも何らかの現場体験からの凡例みたいなのがあったからなのだ。

因みに古典RockのだってYoutube等に多数アップされてるが、これだって有効性が高まるのは元の生音を先に知ってたらだ。
更なる因みにだがここでの生は、Ampのスピーカからの音をその場で直接耳で聴いたって意味だ。
経験者として具体的な違いを簡単に語っとくと、割合はとても少ないが色んな音が含まれて出ていたとなる。

今の流行りにエレキギターのAmp直結音のニーズは不明だが、0cmの無い物差しでは測る時に大変だ。
基準点が未定だと5cmとか他のだって予め書いとけないから、一々順番に目盛を数えてくしか無くなるでしょ。

もし運良く今欲しい音ドンピシャのDistortionが持てたとして、一生涯その音だけしか要らないならOKだ。
けれど飽きっぽい人間様はほぼ例外無く他のを欲しがるから、基準無知だときっとその時に死にそうな苦労をするでしょう。
しかも余程の幸運が再度訪れぬ限り、最悪は死ぬまでに見つけられずに終わっちまったりしてな。

2018年12月 6日 (木)

ドラマー用ヘッドホンⅢ 駆動の問題編

極力詳説回避でどこまで理解が得られるか不安だが、音響屋等以外にインピーダンスは普段不要だ。
それでか本件も専門と入門の「間が僅少」で、余計に一般化が阻害されてる様だ。

再生音量の前提条件として出力側に電力とインピーダンス、受け手側には
耐入力・能率・インピーダンスがある。
これらはどれにも相関関係があるので面倒だが、単純に額面通り受止めて良いのがAmp出力電力(所謂○○W)だ。
繋げたスピーカやヘッドホンを無知識でも壊さない方法としては、一番大きく書かれた出力の最大値より受け側の耐入力を大きくすれば良い。

しかし現実的には非効率だったりと意外と困難な場合も多いので、次の手は買う前に「専門家に訊いて確かめる」のがお勧めだ。
だがこれも残念乍ら近年本邦では1億総一般人化したか、ヤクザより恐い無茶苦茶な普通人とかどららさんも専門家の減少が著しい。
それと購入が
通販なのが多いとなると又厄介で、作ったのと売るのが別人と変な処だけ専門化が促進されちまってる。

となりゃもう学ぶしか無いんだが、只で教えるお人好しが多い筈も無い。
そこで俺様大勇者!?が思い切って先陣を行くが、その代りっちゃ何だが少し大変だったとしても堪えとくれ。
最初は出血大サービスで、ヘッドホン特定機種の場合を表示しよう。


Photo_3

標準的ヘッドホンアウトへ繋いだ時の「実際の各ヘッドホンの稼働状態」ってのだが、「インピーダンス」と云う「魔物」のせいでちょっと面倒で複雑な計算をしないと数値化出来ないものだ。
特に「実際に出る音量」(出力音圧レベル)に至っては対数計算を要するので、関数電卓があった上それを駆使出来ないとならない。

音響屋には必修だがドラマーには普段不要なので学ぶも良しだが、その時間を太鼓練習へ向ける方が宜しかろう。


幸か不幸かドラマー用ヘッドホンは大して種類が無いので、上表を参考・目安として最低限は賄えそうに思う。

電気的詳説はコアなので更に先送りするが、それより大事で見過ごせないのが幾つかあるのでそこを記す。

先ずは前回からの続きにもなるが再生音の「歪み」案件で、只でさえ普通の音楽鑑賞時より大音量にするんだから影響大なのだ。

例え機械的・電気的にOKでも継続的且つ充分な「聴き取り」が可能じゃないと非実用で、もし無理にこなした処で莫大な疲労を要してしまう。
疲労だって短時間なら何とか根性で我慢する手もあるが、継続するとなると気持ちが持っても神経が麻痺し始めてしまうのには打つ手が無い。

なので現実的に「マトモなモニタ」をするには、簡単に言えば「聴き続けてられる音」であるのが必要条件なのだ。


となると一般向け推奨のVIC FIRTHは超硬質音質なので爆音再生は不可、もう一点用心が要るのがヘッドホンアウトの出力だ。

表の如く300mW/32Ωって一般的に多く存在するパワーでも、うっかりフルボリウムにすると壊す危険があるからだ。

新製品にケチ付けたいとか粗探しの意図は毛頭無いが、電気・音響に素人の誰にでも無注意でも全面的に安全なのでは無いのを指摘したいのだ。


「ドラマー用」と銘打つからにはもっとそうであるのが理想で、本業以外に何らかの手間暇を要するのでは微妙に看板に偽りありと思えなくも無い。

本日の因みにⅠで何故音が硬いと大きいのが駄目になるか
であるが、人耳は高音域になる程耐入力が低下するのと過度な刺激からの自己防衛機能で聴き取り力が低下するからだ。

また以前よりの再三吠えだがそもそも人耳の対周波数感度は音量に依って変動するもので、爆音になる程普段より高域は高感度となって行く。
低域も高い方より割合は減るがやはり感度上昇、尤も低音は小音量時の感度低下の方が問題になり易い。

ポータブルプレーヤに良く付いてるBass Boost機能はこれの為で、なるべく周囲の人に迷惑かけずに自らは低音を堪能出来る様にする工夫だ。

ヘッドホンの命を第一にするならDirect Soundは適してるが条件付きで、マトモであろうとなかろうとやたらと爆音が出せるので人耳に若干危険だ。
VIC君より音質が少し劣る上前回の図にある如く小口径(内部ユニット)なので、どうしても歪み易いだろうからだ。

極端な話し音質無視・爆音で兎に角聴こえる、で構わないなら選んで困ら無さそうって感じか。

こうなるとある程度マトモな音で且つ大きくってのを具現化してるのが、モニタ定番のCD900STなのに気付けるかも知れない。
しかも出力1W(1000mW/但し32Ωの場合限定)位のに繋いでも飛ばす心配の無い設定がなされてて、遮音性面でドラマーには最適じゃないのが惜しまれる。

それでも体験的には出力が120dBを越すと硬さ歪み両面で苦しくなって来て、本来の音質的高性能は得られなくなる感じだ。

俺経験的に120dB以上でもマトモな音が出せるのはKOSS PRO4AAのみで、悪環境下の録音技師としては一択激奨である。
こヤツは寧ろ110dB以上じゃないと「本来の特性」が発揮出来ぬ位で、真の爆音専用設計なのだろう。

表から分かる如く鳴らし切るには出力インピーダンスが32Ωだったら、23.44W(ミリじゃないッ!!!)なんて「あり得ない」供給源を要す曲者だ。

こんなコア会社だからかQZ99では正反対の発想で、鳴らすのは全く並レベルだが滅茶苦茶遮っちゃうもんねって事だった様だ。
正直遮音性能以外では利点が僅少なので、普段使い兼用なら損だろう。

だがホントの専用と考えるなら元がちょっとローファイでも、上げての劣化が無いのは結構大きい。

太鼓が爆音の癖に静かに演りたいなんて我儘な俺だが、静かになる程冷静になれ易いのは誰にでも共通なのではと思う。

結局の処はドラマーがドラマーなだけで手に負うのにはKOSSは面倒過ぎるので、VIC君・Direct君のどっちかってのが現実的だろう。
けれども俺みたいに身体的都合で不適合な際、他に選択肢が皆無で無いのは指摘しておきたい。
コスパも含めれば先に記した注意点さえ踏まえれば、VIC君自体に罪は無い。

それと
実務用ヘッドホンとなると消耗品扱いにせざるを得なさそうだが、個人が普通のプロセスで適正価格で部品入手出来るかである。
現時点でこれをクリアしてるのが本稿掲載のでは、KOSSとCD900STだけなのも指摘しておこう。
物やその箇所次第で修理はプロ任せが良い場合も多いが、自前修理の選択肢が用意されてない物だと買換え有利なケースが多い。

運が悪いとちょっとの事で「もう買換えですかぃ」しか道が無くても平気かってね、それと所在地次第で修理の持込み・配送(買い直し時も)の結構な費用までまた掛りますね。
更に基準点的意味合いからは余り頻繁にモニタが変わるのも望ましく無く、CD9090ST等が異常な長命なのはそれが理由ですわ。

なので俺個人では選ぶ時はかなり徹底的に調べたり試したりするが、一度定まった後は「道具の事」は遠ざける様にして居るざんす。
ドラマーの立場としては演奏内容向上が至上命題で、道具は飽く迄その一部手段に過ぎないと思ってるので。
特にオーディオに大して興味が無い方でしたら、何時迄もヘッドホンだけに振り回されてては損で御座居ます。

2018年12月 5日 (水)

ドラマー用ヘッドホンⅡ

前回のをもう少し踏み込んでみるが、それにしても公表スペックの規格がまちまちで不便なもんだ。
もしどんな使い方をしても平気なんならそれでも構わんが、設計の新しいの程「余裕」が少な目傾向なので弱る。
そこで代表的なのの一部を表にしてみた。

Drs_2

感覚表現については個人差もありそうだが例えと思って貰って、それより比較の為にドラマー用じゃないのと製造終了品が入ってるのにご用心だす。
先ず終了品がSIH1とQZ99で、前者は新品入手がかなり困難っぽい。

非専用はPRO4AAとMDR-CD900STだが、これ等との比較で「ドラマー用」の傾向が浮彫りになればって魂胆。

価格はサウンドハウスの税込のを参考掲載してるが、同一店舗のなら差の具合が分り易そうって按配。


表上段右側の「感覚的表現」については個人差があるので一例扱い願うが、遮音性能に公表値を載せなかったのは「訳あり」でだ。

メーカーは立場上「最良点」を提示するが、それが使う側に無益になる場合もあるからだ。

ドラマー用
と限定してすら太鼓の数・種類・音程がオマケに演る人自体が様々で、真に対応させるならオーダーメイド以外全然無理なのもあるだろう。

次にその右の「深さ」とはイヤーパッドから内部迄の距離で、耳の形によって浅いと被ってる間耳やその一部が圧迫されたりするからだ。
例えば俺は柄が大き目で頭頂部から少し遠いだけだが、従兄の先生はかなり「立った」形だったのを50年以上掛ってこないだ漸く知った。

それで深い程良いかと思ったら本人にはそうでも無かったりとややこしいが、俺自身は無変形で済む物に快適さを感じている。

そして冒頭に記した如く公表値に規格差と詳細不掲載等もあるので、これからする説明も熟読されたしである。
また※注1とあるのは元から発表されてないのを、宅で人柱覚悟!?で長時間連続試験をしての結果を載せといた。

それと耐入力・能率・インピーダンスも載せたのは、これ等次第で必要とする駆動Ampが違って来たりするからなのだ。


では総評へ移るが、この表からも爆音君・原始人以外にはVIC FIRTH SIH2が推奨だろう。

これの方向性としては「なるべく遮って普通に鳴らす」って感じで、これはKOSS QZ99も同系統の原始人向けって感じか。

そして音量を出さない時のHi-Fi度では
SIH2が頭一つリードしてるが、超硬質な音色は並以上に鳴らしたいなら拷問機材化しそうだ。

次に上に該当しない場合(俺とか)にはDirect Soundのが有力候補となるが、最大音量が大きい他に普通のヘッドホンアウトでそれを得易いのも特筆だ。

高能率なのに加えインピーダンスが32Ωとなってて、この「
32Ω」は各音響機器ヘッドホンアウトの現代標準値だ。
インピーダンスの詳説は難解につきここでは省くが、要はこれの大小でツマミ位置に対する音量が違って来ると思っとけば良い。


例としてAmp側・ヘッドホンとも
32Ωのへ64Ωヘッドホンを「そのまま」繋ぎ替えると、大凡半分位の出力に落ちるのだ。
この他に音量は能率にも左右されるので一概には断じられないが、250Ωとかに迄なれば少なくとも大パワーを得るのが「条件付き」になるって事だ。

参考掲載したKOSS PRO4AAではもうヘッドホンアウトでは役不足で、真価を発揮させるにはスピーカアウトの方が好結果な場合もある位だ。


この件の詳説も長くなるので過去記事等へ譲るとして次は重さだが、ご覧の通り1つ(PRO4AA)を除きやはり遮音性能を稼ぐには重さへの妥協は要る様だ。

因みにこの例外もそうしたのは遮音以外の目的での重さも含まれてるからで、決して無関係ではない。

それからその左隣の「ユニット[mm]」とは発音体の直径で、今回は大音量時の性質に関係が出るのでの掲載だ。


大きい音はその分空気を沢山揺さぶらないとならないが、それには口径が大きい程有利そうなのは自明の理だろう。

それで同じ音量が出せたとしても違いが出るが、小さいと主に歪率等で不利となる。

因みにⅡでオーディオでは普通歪率は誇示されてるが、スピーカ・ヘッドホンとなると急に非公表となっている。


本来とても問題となる点な筈だが前者は設置環境差を危惧してか、俺知り過去で公表されてたのはTANNOYと業務用JBLの一部位だ。

ヘッドホンは耳直だから尚更大問題なのだが一般人の実感と測定値が必ずしも一致しないせいか、これは俺知りではKOSSが唯一だ。

実体験的に特に大音量時に「マトモな音色」で鳴ってくれるのはほぼKOSSのみで、それが俺が固執し出した一因になっている。


並の音量でなら近代のとか定番CD900STが頼れるが、爆音再生時は定番君ですら少し「違う顔」となってしまう様だ。

だから聴こえるだけで済めば良いが、技師として爆音録音モニタを要する際に正確さを期すならPRO4AA一択となっている。

前から逐次述べてるが、そもそも人耳の性能が音量で変化してしまって一定に収まってくれないもんなのだ。

<つづく>

2018年12月 3日 (月)

ドラマー用ヘッドホン(一部準緊急)

先週は望まぬ災難に遭遇して間が開いたがそれはさておき、成果としては従兄の先生が購入したVIC FIRTHの新ヘッドホンのプチ体験だった。
彼も教室のTwitter等でレビューしつつあるが、この期に一度これまでの俺体験を少しまとめてみよう。
ここでの俺のウリは、音響屋・音楽家の両方だと勝手に思ってるが…。

珍しくとっとと行くが
VIC FIRTHはSIH1から2へ移行したみたいだが、外見はイヤーカップ(外側)の模様が変わっただけだった。
値段もほんの僅かな上昇だけだし、大きさ・重さ等にも差はみられない。
しかし音は別物って位違ってて、音色は硬いが低音高音のバランスはまともになっていた。

これがもたらす利点は「Bassがまんま聴ける」処で、リズム隊として低域バランスを取るのが可能になった点だろう。
先代のは高域中心で「アタックの聴き取り」はどんな楽器のも優れてたが、Bass Drum・Floor Tomと低音楽器の「低音のバランス」は不明だった。
なので超爆音君とか巨頭君以外の一般用途には激奨なのだが、俺の場合はこの2つともあるのでそのまでは不適合だった。

あと数ミリヘッドバンドが長いか伸ばせれば、ベストポジションへ持って来れるのにだった。
因みに俺の体は父親が大正生まれだったからか基本設計が古いみたいだが、帽子のサイズが格別大きい訳でもない。
だが兎に角頭のてっぺんから耳迄の距離がチト長いらしく、
VIC FIRTHのだと最長にしても耳たぶが圧縮されて厳しいのだ。

であるから俺みたいな人には1にKOSSの古典タイプ、2にDIRECT SOUND辺りが候補となる。
次にサイズから音量へ行くが、古典KOSS以外には実は若干の不安要素があるのだ。
新しいの程高能率なので特別なAmp等無くても充分鳴らせるのは良いが、耐入力の余裕があまり無いのである。


VIC FIRTHのを調べると新旧どっちも最大入力100mW・能率110dBだったから、最大音圧は130dBとなる。
遮音型なので耳の健康も思えば妥当な値だが、アベレージは30mWなので124.77dBとなってしまう。
このアベレージを日本語化すると「耐連続入力」で、実使用時はこれを「絶対値」としないと破壊の危険が芽生えてしまう。

それでも耳瀕死レベルなのに何故かっつうと録音時の「未加工音源」等がソースの場合と、低音域の遮音性能が争点となって来るのだ。
実用上の問題から軽さは大事なんだが、軽いとどうしても低域遮音性能がかなり低下してしまうものなのだ。
で更なる事情として人には同音量でも周波数の高低でうるささが異なってる処で、これは人耳耐入力とも比例している。

低域遮音性能が高くないからこそ大きく鳴るってのは理屈に合ってるが、これと「実用上の理屈」は実は一致しないのだ。
以前のでは幾ら上げてもどうせ低音は聴こず高域がうるさくなるだけだったから諦めて貰えてたが、今度のはちょっと上げれは聴こえるのである。
それでうるさくないのもあって「前より大音量」にしちまう可能性もあり、その面ではマージンが減ったのと同じなのだ。

現行新品入手が可能なのの中で
低域遮音性能で唯一勝ってるのは古典KOSSで型番はQZ99だ。
古典頭・非常識爆音対応且つ異常高耐久だが、デカいは重いは能率高くない(102dBでVIC君達より-8dB)はと何かと面倒だ。
遮音性を除けば旧標準!?の
PRO4AAも適してるが、太鼓演奏に用いると耳の健康は保証対象外かもだ。

それでも叩かれてる眼前で録音モニタ等をするには
PRO4AA一択で、「兎に角聴こえなきゃ」の人無視仕事のみ優先みたいな状況には他では無理なのだ。
それが極一部の者には悲報でまだ
QZ99は巷で売られてるが、KOSSのサイトからは姿が消えていたのだ。
重さと音色のショボさが災いしたと思われるが、遮音性能では断トツブッチギリで現況代替候補は皆無なのである。

ここで準年寄りの特権を生かして過去体験を例示して行くが、ヘッドホンの遮音性能には大別して2つの要素がある様だ。
最初は「入れ物」で、これは俗にイヤーカップ等と称されている。
人が装着するのに限界はあるが、ここがゴツイ程特に低域を遮断出来る。
近年の技術を駆使すればかなり丈夫に作れる様になってるが、軽いと例えば超低域の殆ど振動みたいなのには無力なのが分かって貰えるかだろうか。

その昔Keith MoonがLiveでの「同期演奏」時に用いてたのがPioneerのSEシリーズで、ショーケンこと萩原健一がTVドラマオープニングで被ってたデカいヤツ等だった。
時期によってKOSSやBOSEのも使ってた様だが、どれも大型でゴツイのばかりだ。
因みに彼の職場The Whoは
ギネスに載った事がある位の大音量である。

そしてもう1つはイヤーパッドで、こっちは材質・加工技術等の関係か近年の物程高性能だ。
但し掛け心地・肌触りは格段に良いものの、反面耐久性ではかなり昔のより短く感じられる。
しかも大抵近年のはパッドの劣化が遮音性能劣化に直結してるので、幾ら見栄えを妥協しても済まされなくなってしまった。

歴史的有力参考例として現物体験が無いので程度不明だが、昔Beatlesが使用してたのの名前が漸く判明した。
英国のSG Brown Type Super Kだそうで、興味のある方はググってみとくれやす。
以前どっかで触れた気もするがこれの特徴がとても気になってて、
何とイヤーパッドが「2重」になってるのだ。

何しろ当時は細密技術が今より無かったから現代比では恐らく低能率で、次善の策だったらしきは拭えないかも知れない。

簡単に言うと外側のパッドはオーバーイヤーで内側のがオンイヤーとなってて、前者は耳を外から包む・後者は耳に乗るって意味だ。大昔のだから見掛け程大したもんじゃなさそうだし掛け心地も二の次っぽいけど、それだって1重と2重では流石に同じにはならないだろうからだ。

現代で近似状態を再現するならイヤープラグ(工事現場等で利用されてるヤツ)とインナーイヤー(耳の穴に差し込むヤツ)併用となりそうだが、普通の音楽鑑賞以上の音量でのインナータイプ使用は俺的にはご法度だ。
これも過去記事重複だが「空気のクッションゼロ」で耳の安全が保障出来るのは、囁き声レベルと思っとけば確実だからだ。

耳穴の容積等微小に過ぎぬが、それだって突っ込むか否かでは倍以上の差が出るものだ。
そして振動板面積がスピーカでは数十センチなのがヘッドホンでは数十ミリと桁違いで、こうなれば「数cc」の差だって響いておかしくないのである。
100と80なら大差無いが1と3だったらって相違で、極論すれば有りと無しでは大違いなのは誰でも認める処でしょ。

結論的にはKOSSだって買ったままでは役不足があり、それは自前魔改造で補っている。
具体的にはユニットの表裏が隔られて無い為、逆相で低音がスポイルされていたのである。
これを下図の如く工作して簡易分離した処、以前より低域が聴こえる様になった。

Koss_qz99_1

近年のこの状況は古代人!?へは切捨て無視の差別とも感じられるが、商業的に成立するニーズが無いのではやむを得ずかもだ。
しかしそれでもせめて「素材」位は残して欲しいもんで、それが古典的なゴツく重いイヤーカップなのである。
耳に合せるには楕円形が良いがそれ自体を自作するのは流石に困難で、既存の物の小改造が現実的だと思う。

また別観点でも留意されたいのが音質で、普通の意味でだけなら新しいの程良好ではある。
だが極限音量時では一概にそうはならず、例えば小音量で聴き取り良好なのは往々にして大音量になると硬過ぎとなる。
これは継続時間の長さでも同様で音色が硬い程疲労も高くなりがちで、それを無理に我慢するのも難聴へ直結している。

残念乍ら現況新品でこの部分が合格点のはたった1つ以外皆無になったが、良く言えばそこ迄無理に鳴らす必要が無くなったと解釈出来るかもだ。
けれどそれで小さい方優先で大きい方が置き去りな感じで、デフォルト音量が大きい分野にとっちゃ退化である。
俺知りでこれがクリアされてるのが前出KOSS 
PRO4AAで、最早これだけになってしまった。

最後に因みにだが、誰でも出来る確実な難聴対策だ。
感覚が麻痺してからだと無理だけれどそれ前なら、「ウルサかったらウルサくなくす」のが基本だ。
巷では音量ばかりが論じられてるが、実際には音色もそれに遜色無い位影響しているのだ。

2018年12月 1日 (土)

パソコン自前修理③部品編

専門は音響だし経験値の高いのは電気楽器だが、長年電気屋をやっててPCに特異な部分を感じた処がある。
それは部品のチャチさで、実用に足りてるとしてもかなり独特だ。
工業技術の基本が出来上がった後からの開発だからか、どうにも貧相に見えて仕方無いのだ。

内容的にはかなり高度なのだが、あたかも使用条件に甘えたかの如くヤワなのだ。
普段素人の触れる可能性が無いのもあるだろうが、どうも他のより悪い意味での消耗品意識が高い様に感じられてならない。
大変な仕事をしてる程消耗が激しいからか、他のより必要最低限となってる場所が多いのだ。

しかし何時壊れるか分からん物に頑張ったってコストが張るだけだろうで、用いる側が俺言い「独自の変な文化」に合せるしか無さそうだ。
このPC界とでも云うヤツは楽器界とは正反対で、それらはかなり両極に近い。
使用者の立場としては一度覚えりゃ一生ものが有難いし、使い方の習得意欲だって湧き易い。
将来は不明だが現状では
楽器と違い10年経てば確実に性能が桁違いともなると、実用枠から完全に離脱するから仕方無いのかも知れない。

個人的には高頻度の買換え等はとても苦手なんだが、現実は余程幸運な時か性能的に魅力が消滅した程古いの以外生き残っていない。
出た当初から低性能だったから消耗が少ないのか分からんが、長持ちして欲しいの程サッサと逝っちまうもんだ。
俺はまだPC界に充分詳しいとは言えないが、兎に角他の電気製品等への感覚は通用しない感じだ。

となれば何でもケチりたくなる処だが、ケチり過ぎては不味い処も幾つかある。
偽物・不正コピー物回避にはOSは純正でないと危ない(サポート期限内の物)がハードじゃないので置いといて、先ず気にすべきは電源だ。
多くのPCでの所謂ATX電源についてだが出力容量が重要点で、寿命を気にするならかなり余裕を見ないと危うい。

一部の超高級機は体験が無いので程度が分からないが、例えば500Wと書いてあってもそれは瞬間合計の値だ。
なので特定の電圧のだけ沢山使用とかになると、実際は限界スレスレになってたりする場合がある。
少し電力の知識があれば予備計算で確かめるだろうが、これが他のと違って頼りに出来ない側面もあるのだ。

ってのは使用途中での部品追加・変更の可能性が高く、余裕が小さいとその時に合わなくなって「壊れてないのにお取替え」となったりするからだ。
それと熱問題の都合上「熱くならない程延命」なので、コストとの兼合いはあるが余裕はかなり大きく取っといて損にならないのだ。
これも仕方無くも残念な現実だがメーカー製の多くはかなりここをケチってて、極論的には安全第一なら「何も足すな」って位際どいのもある感じだ。

また
電源は「Mr.中古マン!?」の俺が言うのも何だが熱劣化が不安な処で、他のどの部品より動作時間が必ず長いのに着目されたしで新品推奨だ。
表示出力容量が大きいと消費電力を不安に思うかもだが、これの心配はほぼ皆無と断言出来る。
PC用の電源回路はスイッチングって方式で、簡単に言うと電気は「出る分しか入れない」構造だからだ。

そして最早スマホ全盛だがPCもデスクトップよりノートが人気だが、小さい物程部品交換が不利で寿命は期待しない方が精神衛生上宜しい様だ。
金満様はご自由にだが俺みたいな貧民はなるべく弄れるのと、中古から探し始めるのがデフォルトになっちまってる。
が、ここにも注意点があって、消耗品度の高い部品に限っては適応する新品が売られてる内は中古の方が損をし易い。

具体的には「機械的に動く部分のある物」が主体で、Hard Disk等その筆頭だ。
また近年ではDisplayも低廉化が進んでるので、この類のはジモティとかのあげますを貰うとかどっかに捨ててあるのを拾って来る以外は新品の方が得になりそうだ。
他との比較で元から寿命の信頼性が低い上保障期限も新品より短いとなると、支払った経費の回収不安が拭えない。

では中古でも比較的安心なのはってぇと、ケースとか本体である。
外観ではかなり劣る場合も多いから気分的には沈みそうだが、PCは画面やキーボードを見るのが主で本体を目にする頻度はかなり低い。
良く分らない訳あり品だと工作が得意でないなら後で難儀するかも知れないが、それ等を避ければそんなに心配はいらない。

また先に記した新品推奨物は完全では無いが規格品なので、本体より寿命が長くなっても無駄になる率が低目だ。
何時もの様に個人の主義・指向の否定は一切無いけれど、PCは多数部品の複合体だ。
だから超高級な代わりたった1台って考えはリスクも大きくならざるを得ず、特に自前修理が全く不可なら僅かな故障に泣かされそうだ。

スマホ等を含めこれらのコンピュータ系機器は対応力が高いので、心理的には「これさえあれば」に陥り易い。
だが「何でも出来る」と「幾らでも使える」は全く別物で、高負荷の頻度や時間が長ければ寿命が縮むだけなのだ。
だから一定以上割合で固有の用途に用いるなら、「用途別機器」って発想も持った方が安全度が上がる。

俺自身も今では体験から理解しつつあるが、これの源は俺より20年程古くから体験のあった師匠の進言だ。
師匠の親友は専門家として、俺は主に自作CDの大量焼きと子供の動画編集でPCの蛸部屋体験をした。
しかし通常は高負荷の継続経験する機会は多くないかもで、最悪のパターンは「壊れる寸前で終了」だろう。

電子機器はその消耗が外部からとても把握し辛く、使用者側には「こないだまでOKだったのに、何で突然」としか思えない場合も多そうだ。
しかもなるべく「ギリギリまで機能する」様に作られてて普段は有難いが、それ故「寿命の兆候」はとても表れ難い。
要するに全てがデジタルチックで○か×しか無い世界なのである。
これらの感覚は使うのにも重要だが、相手の性質を知らないと修理はおろか故障診断に難儀させられるだろう。

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