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2018年11月15日 (木)

日本のRockって何だろう③暴言みたいでもホントマジな話し

今週は従兄が復活してツーバスの微細セッティングの研究をしたが、とある情報を伝えられ驚愕しちまった。
それは従兄も推してる新進女流ドラマー「ミカナベ」さんが、落されたコンテストの件だ。
てっきりとても厳しい審査で落されたのかと思いきや、審査員の模範演技動画の下手さ酷さ加減を見て「これはヤクザより悪い商売」だと痛感させられたのだ。

個人主観に過ぎんと仰せられるか知らんが、こっも伊達に長年音のプロを貫いて来ちゃ居らん。
それプラス誤認回避の前提として、俺はミカナベ氏を評価はしてるが特に好みでは無い。
だがミカナベ氏を3とすれば偽師範供のは1って位、力量差が明白だったから論を待つ迄も無いだろう。

またどう云う理由か不明だが偽連中の「録音された音」が妙で、使用楽器・叩き方等どれもが異なるのに同じ音になってたのがとうにも不可解だった。
しかも「出せそうに無い音」になってて、しかしミカナベ氏の方はちゃんと見た通りの音となっていた。
例えばブランドもサイズも(恐らくチューニングピッチも)違うバスドラで、低域のピークが同じ周波数になるなんてあり得ないからだ。

この時もし楽器のスイートスポットを犠牲にしてでも周波数(音程)を合せたら、今度は音色に大きな差が生じてしまうものだがそれも無い。
音量はマルチMic録りなら・周波数毎のバランス等なら矯正可能だが、ピークの出るタイミング迄弄るのは不可能なので何らかの相違は必ず残ってしまう。
であるからして偽連中のは「当て振り」の疑念すら拭えず、そこ迄で無いにしても無添加純正では得られない音であった。

加えて駄目押しになるのが定評のある録音屋が録ったのなのに、メモ録りでカメラ付きMicで拾ったのの方が良い音だったんだわ。
これは実は俺も経験してるんで分かるんだが、無理加工を施した場合に起きる現象なのだ。
かれこれ30年程前録音時に正規のバンドドラマーが不在になった時、今以上に大した腕でなかった俺が叩いたのでこれを施した事があった。

バンドの楽曲最優先で太鼓の瑕疵を半ば隠蔽しようとして、何とかそれだけはクリアさせた。
だがそれで全体としては聴ける状況になったものの、太鼓だけに耳を傾けたら何とも不自然で妙な音になってしまったのだ。
対して過去記事に記した従兄に叩いて貰ったコンプレス録音の如く、腕が良い程只叩いただけでもう完成品の音が出るものなを体験済みなのだ。

一部に立場上とても不都合になる犠牲者を出す事になるが、敢えて吠えよう「クソ野郎!!」。
この中身が伴ってない審査員供の何が問題かっつうと、バランス等が非現実的で滅茶苦茶なのである。
つまりPA無しでは他楽器との合奏に支障を来す様な有様で、自分より上手い奴を落しとき乍ら金を稼いでいるのが犯罪級なのだ。

単に趣味で演ってんならまだ只の偽物で済まされるが、嘘或は間違いを正当化した上それで金を取ろうってんだから許す訳には行かんぞなもし。
追求しても騙される方が悪い等と言い逃れしそうだが、好きな音楽に対してすら不誠実とはものの哀れの極致だ。
挙句の果てに自己保身の為に(悪・嘘を貫くのに)正しく出来てる方の人を排斥、つまり「わざと」不合格とする事で世間の無知な者へ対してアピールしている。

しかしそんなんでも間違ってでも一応成立してたって事は、かなり狭い世界だが「世論」が不足してるせいなのも否定出来ない処だろう。
現代本邦の異常環境即ち俺言い「不要PA」が、この「悪さ」の根源にある気がして止まない。
要するにそのせいで素人が生本に接する機会を損ねてて、実際はどんなもんかを知るのが困難になってるからだ。
もしやこの段階から悪意図的になされてでもいるのだろうか?。

で更に「不要PA」の源を辿ると、稚拙な西洋の模倣からの「恥ずかしい勘違い」があるとしか思えないのだ。
コンプで本家元祖はOn Mic録りの対生耳補正が主目的だったのが、J-POPでは異常音圧獲得の為だったり。
頑張れば奏法と楽器だけで得られる低音を、EQで持ち上げて誤魔化したり。

けどそれって保冷車をサブエンジンで走らそうとする様なもんで、どうにも無理があり過ぎる。
因みにこのサブエンジンってのは荷室を冷やす冷凍機の動力で、トラックが停車してメインエンジンがアイドリング(低回転)になったり止めたりしても温度を保つ為のもの。
わざわざ走るのの他に小さいエンジンを、追加搭載してるヤツだ。

日本古来の美学としては「自然をそのまま生かす」が得意な反面、考え様に依っちゃ西洋的演出は下手な部類だと思う。
しかし「ものの本質」に立ち返れば洋の東西なんて無関係で、結局は「源がどうか」が最終的に左右するもんだろう。
それを何時からか表面ディテールの模倣だけに走る様になってしまい、「見た目から入る」と「見た目だけ」の区別が出来なくなってる様に感じられる。

この恥ずべき勘違いからの脱却方法は、そもそも演出とは何かを正しく認識する処から始まる。
彼等西洋系の演出の豊富さを初めて知ると少しビックリさせられたれもするが、そこで盲目になると今みたいな不始末をやらかしちまう。
あたかも「今時やんなきゃ時代遅れ」的な焦燥感に駆られるが、ここで焦りが出るのは本邦じゃ「演出無し」がデフォルトだったり「一緒じゃないと不安心理」からだろう。

そこで本家たる西洋人達はどんな気持ちで演出を施してるのか、ここを観察熟考してみるのだ。
こっちと違ってするのが当たり前って事ぁ大凡平常心が保たれてそうで、焦って視野が狭まったりはしてないだろう。
そして肝心なのは当たり前だからやっただけで、こっちが勝手に想像する程別に演出になんか大して頼っていないのだ。

また演出ってのは本来強調等はするにしても、変身させる様な術では無いしそう云う効力を持合せていない。
ここら辺りを本家のご仁は皆熟知した上でやってるだけで、結局は「源が」を決して忘れちゃいないんですわ。
街では傍目にゃ化粧だけが目立ってても、家ではしっかり毎日美肌もやってましたってな具合だ。

機械文明の導入も早かったからどっかで既に経験済みなのか、自然を機械で置換える無意味を知ってるんだと思う。
かつてアメリカ車社会に我が国が不要に看過されたりしてたが、これも大幅な環境差を見逃しての失敗だ。
向うじゃ広くて遠距離で人口密度が桁違いに低くって、人に頼んで移動するのが困難なだけだ。

だから鉄道斜陽のあちらでも大都市の地下鉄等は健在な訳で、「違って見える気がした」のは実際には交通手段じゃ無く町の方なのだ。
地図を眺めて「ここは狭い路地」とどうして思えるかってば、他にそれより太く交差点間隔の広い道が
描かれてるのと比べたんじゃないのか。
つまり地図の「縮尺感」って普通は全然分かんないから、「対比」で想像してるに過ぎないと思うのだ。

その内試しにアメリカの田舎の人と北海道の郊外の人と、知らない所の距離が載って無い地図を眺めてその距離を当てっこでもしてみたい。
「次の角までの距離」の
推察は北海道の人は俺より一桁、アメリカの人はもしかしたら二桁多く見積もったりするかも知れない。
因みに現環境下の俺は10m以内を真っ先に主張するだろう。😓

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