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2018年11月13日 (火)

日本のRockって何だろう②何で甲斐バンド編

飽く迄一例に過ぎず限定されるものでも無いが、何故今更の甲斐バンドかを説明させて頂こう。
個人主観に過ぎないが活動開始時期が早かったとか、幾つかの原因が選択理由にある。
もし参考にしようとするなら’70年代のライブ音源が推奨で、彼等はまだ現役だが
失礼乍らやり方等を変えてしまった様で現状は参考にし辛いのも併記させて貰う。

この趣旨に今のじゃ駄目なのは上手くなり過ぎたからで、メンバーチェンジ等に伴って変貌してしまった。
甲斐よしひろ氏には海外先達の翻訳なだけとの不評もあるが、単に訳しただけならあんなに当時の地方の場末ムードには持ってけない処に注意されたい。
それとこれも歴史を知らぬが故の誤解なんだが、アメリカ以外ではRock初期には何処でももっと露骨なカバーだらけだったのも強く指摘しとこう。

近年本邦では一部権利者の既得権益だけの為に行き過ぎ著作権横行でカバーが廃れたが、実際に体験してみる意義は霞む事無く大きいものだ。
いきなりオリジナルの全てが悪くは無いが、先に世界観を会得してた方が手戻りが無いのは明白だ。
だいいちいきなり知らない曲でノレってのは無理な話しで、作曲だけの人なら未だしもどんなバンドか等を知って好きになって貰うのが先に必要だと思う。

ある意味カバーを演るのは「お近づきの印し」的要素があって、本来なら王道且つ登竜門であるべき処なのだ。
で次の段階で有効なのは特定フォーマットに則った作品で、例えばストーンズが好きな人の大多数には好まれそうだとかってパターンだ。
カバーにはそれ以外にもとても大きな効能があるんだが、スタンダード会得によって初対面の者とのセッションが著しく演り易くなるのだ。

奏者同士に限らぬが「同じ曲」をどう「料理する」のかで、各々の個性が明瞭になる上とても分り易くなったりもする。
個人の修練としてならコピーは有益だが、対外的には出来不出来の評価程度に終始する。
だからコピーじゃ無くカバーなんだがそれの日本での黎明者に甲斐よしひろ辺りが該当してると言え、引用だったからこそ寧ろそれが成立してたとも考えられるのだ。

またこれも失礼だがテクニックレベルが高くないのも味噌で、それは演奏力等に頼らずにRockにしてた証と捉えられる。
特にこの点が近年のJ-POPとは正反対で、近年本邦のに俺が興味を削がれる最大要因ともなっている。
つまりひ弱なフォーク或は歌謡メロなのに、メタルテクとパンク音色で無理盛りすんなって聴こえちまうのだ。

俺には甲斐バンドを丸腰の勇者とすれば、
J-POPは廃棄されたモビルスーツの様に映ってしまう。
ビジュアルや体裁は大事だけど恰好に目が行くのは最初だけ、回数が重なってけば自ずと内部へ視点は移動するものだ。
その時に上るか下がるかの威力は絶大だし、如何せん所詮は音楽であってグラビアモデルでは無いのだ。

演奏が上手いに越した事は無いけれど、一般聴者の多くは初期段階でそこへ一番の興味を持ってる訳じゃ無い。
どんなに予備知識が無くても何かしらにそそられて、興味を持たれてからじゃないとそもそも上手いか下手かすら聴いて貰えない。
それにはある意味奏力に無関係な部分が問われてて、基本的な曲やアレンジの力が問題になるのだ。

奏力頼みで脅しを利かすのは「小手先」で地力とは違い、この俺言い「地力」の分かり易いのがバイブルにはうってつけだと思うのだ。
あからさまに凄く聴こえるのはそれとして、「大して上手くもないのに何で良いんだろう」に着目するのが秘訣なのだ。
エゴがゼロの奏者なんて滅多に居ないし必ずしもそれが良くも無いが、だからこそ余程気を付け続けてないと何時の間にか曲全体に対しては疎かになってしまってるものなのだ。

ひねくれ者と見られるかも知れんしある程度実際そうかもだが、近年のでは敢えて○○を語らない者に却って本格派を感じる始末だ。
アイドルと銘打ったBABAY METALが案外メタルしてんじゃんとか、コミックと銘打ったピコ太郎に結構ファンクしてんじゃんと思わされる。
してこの「中身が上」案件は本邦では未だしも、海外での評価には実際如実に反映されてますねぇ。

話の乗り心地の悪さを反省してここから本筋だけで行くが、海外のに遜色無いのを基準とすれば俺的には甲斐バンドは該当していない。
誰かと云えばJohnny,Louis&Charだとなるが、Rock要素が常に他要素の過半数でレベル自体が高度って基準からの選定だ。
けれど日本的とか本邦独自へ軸足を向ければ、J,L&Cは外国の外人でも実現の可能性が残されてる様に思える。

だが甲斐バンドみたいな昭和の地方の場末感ともなると流石に現地人でなければ無理そうで、その点かつてブームになったレゲエの模倣と本場物の違いと似てる気がする。
Bob Marleyって普段は気さくなのに妙な処だけ急に俺様化するのが不思議だったが、後から当時の現地事情を知るにつれ合点が行った。

同様に東京在住の俺には甲斐バンドの兄ちゃん達若いのに、何であんなに出稼ぎオヤジみたいな感性で歌うかねと感じられていた。

これらの「ローカル色」ってのはダサかったりもするけれど、カッコイイだけにすると何故か軽薄で没個性になっちまうもんだ。
本邦ではすっかり廃れたお国訛りであるが、本家本国では古くから重要戦略の1つとの位置付けがなされている。
前出レゲエもだが過ってのLAサウンドとか、Southern Rockなんてのはその最たる証拠だろう。

最初からRockで来てる俺にとって特に初期段階では、甲斐バンドのどフォークやド演歌っぽい曲にはドン引きした。
当時はどーしてRockって言っといてそんなん演るかねと、日本のって何処迄行ってもダサいんかいと幻滅したものだった。
実際今だって俺の好みに変化は無いが、「他に無かった」のを鑑みるとその点を無視出来なくなって来たのだ。

俺的には甲斐バンド自体ではそれらをRockとして消化し切れなかった様に伺えてるが、新たなネタへ挑戦しないと進化や独自性を育めないのも確かだろう。
そしてもう一つこれと逆の観点から眺めて、Rock純度の高いのはどれ位迄行ってるかも見てみないと不公平だ。
俺的評価では個人的には余計なのもあるがその代りか、王道モノでの純度の高さは当時では傑出していたとなっている。

それで好みに合致せずとも歴史的に無視は出来ぬって結論に達してて、不十分であろうと避けては通れぬ道の様に認識している。
参考にする側の勝手もあるから嫌いな処はスルーして、好きな処だけ取り入れりゃ良いんだからさ。
それも音自体を真似たりせず考え方だけに絞ったって、何らかの役には必ず立つだろうしね。

現代ではどうすりゃRockになるかは皆知ってるから、こんなのは余計な戯言みたいに感じるだろう。
だがある意味「守りに入る」度が過ぎると副作用が強く出て、毒にも薬にもならない没個性なのしか作れなくなるのだ。
例え条件面だけクリアしてても優等生タイプってのはRockに相応しくなく、それをJ-POPと呼称だけ変更した処で新味に乏しい事実は消えちゃくれないのだ。

甲斐バンド以外でも
捉え間違い等さえしなきゃ、他の誰でも構わない。
彼等の真の奏力は披露して無いだけかも知れんけど、少な目な技だけであれだけ色んなのをこなせてしまっていたのには気付いといて欲しい。
近年本邦の多くは対西洋比だと半端に非シンプルなのばかりで、かと言って深みのある複雑さもすっかりなりを潜めてしまった様な…。

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