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2018年11月

2018年11月28日 (水)

パソコン自前修理②汚れ編

今頃言うとホントは順番がオカシイが、本稿で扱う「修理」は必ずしも高度なのではありませぬ。
仮にも電気屋が専門家から教わったけれども、俺自身としては「歴の浅さ」を日々感じているのです。

PCはその昔電子計算機等として世に出たので、最初は専門家相手の純然たる電子機器でした。
一般人に縁をもたらしたのは本邦では「マイコン」(マイクロコンピュータ)辺りと感じるが、当時のは今比較だとガタイが小さいってよりゃ機能が極少って感じのだ。
少機能だと弄れる箇所もほぼ無いので、操作とか扱いはやはり専門技師だの博士が最初の経験者だったと思う。

初期のOS(オペレーティングシステム)は上記要素が含まれてたので、その時代から触れてたらもっと原理的理解が高かっただろう。
残念乍ら俺が触れ出したのは丁度それが無くなった時期で、かと言ってプログラミングの勉強も皆無なので多少の知識もハード寄りだろう。
太鼓の先生の従兄は俺よりそれが早かったので、PCハード・システム面では未だしもコマンドプロンプト等では今でも俺より上と感じられる部分もある。

本職にするなら今でも必修と思うが手も回らないし、操作やソフト(プログラミング等)では今からじゃ到底上り詰められそうにない。
その代りっちゃ何だが電気面と両方とか平民の使用感性と専門知識の両方を持ってる人は多くない様で、俺的にはそっちを向いてるつもりだ。
師匠の親友もそこが傑出してて、最初からコンピュータの人じゃ無かったのが功を奏したのかも知れない。

個人主観では本邦では高度な機器は多いが、使いこなしてる人の割は少ないと感じている。
太鼓の話しでもそうだがどうも「間が足りない」のがイケナイ様で、皆一緒が良いと唱え乍ら変な処で二極化が激しい国だ。
前回触れた俺が瀕してる問題も使用者が「とんでもない素人」なので厄介だが、一般人向けを標榜するからには本来は機器や操作解説の不備が主因だろう。

ユーザーサイドにも瑕疵は多々あるだろうが、訊く耳を持とうとしても全く理解出来ない様だと放棄しちまう。
今世間で騒がれてる「煽り運転」にしても目立つ処をそれこそ煽ってるだけで、本当に危険なのはペダル踏み間違い事故等の方ではないだろうか?。
煽るのは褒められないが意思表示があるとも取れるので、防護・解決の道が少しは残されてるとも云える。

だが何の前兆も無しに突然襲って来るものには対処のしようも無く、加害者の悪意の有無に拘わらず必ず被害を被るのだ。
悪意やそれに伴う攻撃を受けたくは無いが、例え痛みを感じる間が無く悪気が無くとも一発で殺された方がましな訳も無いやね。
どれも結局は他人無視で自分本位オンリーが根底にあると思うが、それが簡単に見抜けない相手こそ一番質の悪い脅威だと思う。

これらも正に「分断」の表出例なんだろうが、経験値の「狭さ」も関与してそうだ。
散々苦労しても失敗したりしてたら、それを簡単に巧くこなす人には自然と敬意が湧きそうだ。
なので必要最低限の「一通り」の体験があれば少しは他人の気持ちも分かりそうだが、接点ゼロでは理解は困難だ。
出来ないかも知れん奴にやらせて手間暇経費が掛かると非効率だが、それをケチり過ぎれば今度は教育は出来なくなる。

過大な中置はこれ位にしてその感覚へ移るが、先ずはPCの汚れについてだ。
一言で表せば結構すぐに汚れるもんで、強制空冷と電磁誘導が原因だ。
高効率なコンピュータはその為の小型化の弊害で、自然冷却だけでは放熱がとても追い付かない。
そこで電動ファンで冷やしてて機器の目的は違うが、電気掃除機みたいに外部のものは埃でも何でもガンガン吸っているのだ。

吸ったのを漏れなく吐ければ無関係だが、内部が狭く複雑な形なのでご丁寧にもわざわざ埃だけ残ってしまいがちだ。
冷やすには風が良く当たると良いので「風通しの良さ」が大事になるが、何にも触れずに素通りしたら冷やせない。
なので外部観点では風通し良好でいて、内部では風が一々あっちこっちにわざわざ引っ掛かる様になっているのだ。

意地悪に見れば埃が溜まる様に出来てると云え、それでいて多くは外からは殆どそれを感知出来ない構造だ。
最近では吸気口にフィルタが付いてたり後付け用のも売られてるが、見栄えもあってか大抵は一番外側には付いていない。
素人なら精密機器は開封しない方が良いけれど、それではもし折角フィルタが付いててもそれの掃除が出来ないのは考えものだ。

またPCは電磁波の宝庫だが、電磁波で最も有名なのは電波だ。
この電磁波は上記の様に電線の外へ飛び出し易い他、名前の漢字に含まれる如く微弱だが磁力も持っている。
それが只でさえ様子が見えない内部で、肉眼では見えづらい微小な塵を吸着させているのだ。
とても小さいと空気抵抗も小さいから、冷却風より磁力に反応して機器内に留まるのも出て来るのである。

これらの害は先ず冷却性能低下を起こすがその他に、内部接続部の接触不良も引き起こす。
常時の抜き挿しが無いので小型化が優先されるのも仕方無いが、PC系のコネクタは他用途比ではかなりヤワでちゃちいのが多い。
これは微小な力等で簡単に動いてしまったりもするので、防塵性能はとても低く塵の影響も受け易くなっている。

環境差は不明だが宅では2年以上不清掃だと何らかのマイナートラブルが出易く、
修理と題しといて清掃ってのも何だけど知っといて損は無いと思うよ。
只知識等が無ければ中を開けない方が良いし、頼む相手を間違えれば法外な経費請求をされる懸念もある。
PCは他のと比べてOSや技術進歩のサイクルも短いので、一般事務的利用が多いなら買換えもアリだろう。

不慣れなトラブルに始終翻弄されては大変だろうし、だがそれでもまだ素人にも少しは改善の余地が残っている。
先ず誰にでも出来るのは外部清掃と設置場所選択だが、冷やす都合だけだとなるべく「低い所」が優位だ。
けれど有引力空間では低い程埃や塵は多く、床が絨毯敷きなら直近は危険度が高いだろう。

これも本来一般汎用を標榜してるなら本来製造側で解決すべきだが、価格とニーズ等の絡みもあって現状ははかばかしく無い。
業者サイドに期待が薄いから諦めるかってばまだだで、ユーザーサイドの使い方も様々な違いを生んでいる。
例えばこれも師匠からの入れ知恵だが、1台限りのPCに何でもさせるのは賢明では無いんだそうだ。
売る方はその都合で「これさえあれば何でも出来ます」と推すが、自由度が高いってのは裏読みすれば個別適正度は低くなってるって事だ。

場所的問題等で今は低性能複数より高性能単機が主流みたいだが、幾ら性能差があったって30分掛る作業を1秒に出来る様な事例は稀なのだ。
もし急ぐのが「他のが出来なくなるから」だったりしたら尚更で、せめてもう1台独立して持ってれば全く気にしなくて済む様になる。
それと人がずっと張付いて無いと無理な作業は少ない筈で、少し時間が掛っても寝てる間にとか出来るのが只の機械とコンピュータの差なのだ。

外から見てると例えば「動画の編集しかしてないのに」と、単一作業に思えるだろう。
だが動画には音も付いてたりで、PC内部では複数の作業を平行同時進行で行っているのだ。
もし画と音を別々に作業してたら、
単純計算で云えば倍の時間が掛るのだ。

じゃ音だけだったらっつうと、昔の録音機だって複数トラックの同時処理自体はとうに達成されている。
Effectorを掛けるのだって時間的になら同時も可能だが、機械の数へ目を向ければ1つじゃ無理で2つに増えてるね。
概知の余談だが初期のマルチトラック録音では録音機のトラック数が足りず、4トラックのを3台同期運転させたりしてたよね。

決して何が何でも複数台持てとは言わないけれど、大昔の俺の誤解も含め意外と知られてないみたいだ。
それとちょっとブラックだがどうも日本のはどれも冷却性能の余裕が低く見積もられてて、只でさえ熱に鈍感なPC業界(機械より人の感覚)なのにだ。
なのでフル運転の時間が長いとその場で壊れなくても、寿命はかなり短縮される事となる。

2018年11月27日 (火)

パソコン自前修理①

Speedkingよもやま話⑫と前回の⑬に間が空いたのは、宅の家庭用PCの不具合に翻弄されたからだった。
従兄には君ん処は頻度が高いねと言われる始末で参るが、貧民としては機器類を一度に全更新は厳しいので仕方無いのか…。


経済事情は大いに関係するけれど深夜に突如となったりすれば、専門家を呼ぶにしたって少しは時間も掛るだろう。

そこで参考事例としてを含め、是迄に体験した苦闘の歴史!?を少しづつ紹介して行こうと思う。

齢か柄かは不鮮明だが本シリーズ含め、万一の重複等はスルーして貰えると助かります。

最初に簡単に俺PC歴から行くが、大凡40代以降とかなり遅い口だった。
第一理由は経済だが個人的にはブラインドタッチ不可なのもあったかもで、PC使用の実情に無知だった昔はそこへ目が行ってたのもありそうだ。
20歳過ぎには専門校を出て既に電気屋だったが、そんなこんなで導入は子供の教育目的で親戚からお古をいただいたのが始まりだった。

この最初が「お古」だったのと電気屋だったのが、苦闘の歴史を紡ぐ原因となってしまった気がしないでもない。
機器トラブル初体験は内臓Hard Diskの老衰で、それを期に普通なら機種替えも選択肢にあるんだろう。
だが貧民かつ頂き物なので先に他の方法を模索し、その筋の専門家になっていた親友へ相談を持ち掛けた。

その彼は専門校で出会って以来の付合いだが、我々の専門は電気の中でも音響であった。
俺はそのまま来てるが彼は紆余曲折を経て、その頃には専門がPCの方へシフトしていたのだ。
元は音響屋
ミュージシャンだった筈が何時の間にかブラインドタッチやらコマンドプロンプト(文字で操縦する方法)等一通りマスターしていた。

で彼の勧めは
Hard Diskの交換で、依頼者が電気に疎ければ自身のみで施工しただろう。
が俺は電気屋なので教えりゃ分かるだろって事で、そこから「PC虎の穴」が始まったのだ。
こっちの本来の要望は虎は虎でも穴じゃなく巻の方だったが、身内で儲けにならないのに翻弄されては敵わんと思ったかどうかは不明である…。

何分当時俺は利用経験が無いからPCの魅力も知らず、齢の他にも意欲が薄かったからそう感じたのもあったかも知れない。
この修行!?は約10年後に彼が倒れて以降まだ復帰してないのもあり、キツかったけれど今はとても感謝している。
もし「教わりそびれ」があったらどれだけ困ってたかと思うが、それより倒れずに済んでる方が本来の希望ではある。

何れにせよしかし人に託すとなれば時間の猶予は必須で、冒頭に記した如く救世主到着迄は本人が対処するしかないのは確かだ。
当然適性もあるから幾らでも深入りするのを推奨はしないが、少しだけ知恵を持ってれば素人でも対処可能な事態が多いのも実情らしい。
PCは正に精密機器だが開発時期が新しいせいかモジュール化が進んでて、その点では昔の純然たる機械よりは手に負えるだろう。

で今回のはLCD Displeyの電源部死亡と、OSの起動不能である。
LCD電源部は内部部品の早期劣化で過去に自前修理歴ありで、保障期限が丁度過ぎた頃の発症は若干怪しさも伴うが…。
ネット検索で電解コンデンサが原因の場合があると知り、当時経年も浅かったのでダメ元で挑んだのだった。

運良く手持ち部品への交換で延命出来たが、今回も先ずはそこを対処してみたが駄目だった。
今のだって画面を光らせるからには必ず発熱を伴うが、バックライトがこれみたいにLEDでなく蛍光管だと中々のもんだ。
電解コンデンサは内部に電解液って液体が入ってるので、どうしたって熱に弱いし熱いと劣化は早まる。

実際2個程妊娠してた(不具合で原型より膨張)のを交換してみたが、他の部品も逝ってたらしく無反応に終わった。
一説に液晶の寿命は7年とも訊くし日本の法定耐用年数も6年、
新品購入だったがもう6年以上経ってるので修理は諦めた。
老眼対策もあるとタダで直せれば別だが、
近年の低廉化を受けてサイズアップに出費するのが得策かと心得た。
痛いに違いないが相手に寿命がある以上、結局は決断のタイミングの問題か。

未だ完全緩解未確認で格闘してるのが
OS起動不能で、まだ原因がハッキリしていない。
色々やって駄目で再インストールになり、その後
現況では何とか可動してはいる。
本事例で師匠の教えに依れば真っ先に怪しいのは
Hard Diskだが、現時点迄の調査ではシロと出ている。

又こうなる少し前から起動時のBIOS画面が出ない症状があったが、最初はバックアップ電池の消耗を疑った。
実際減り過ぎてたので交換したが、その経過を診る前にLCDご臨終と間が悪いったらありゃしない。
こうなると疑うべくは本体のATX電源辺りか、これも前出同様
電解コンデンサ使用で普段の健常時から発熱ありだ。

<つづく>

Speedkingよもやま話⑬1足3連余談Ⅱ

前回の補足プラス図説主体になるが、その前に少々。
俺は割と強めの表現が多そうなので何だけど、実際誰がどうするかに対して固執はありませぬ。
少なくとも求める音に対して過不足等が無くて、結果が得られるなら一向に構わないと実は思っとりますです。

けれども只単に何でもOKって言っちまうと、時に「後で不具合」が出たりもするのを避けたいんですわ。

復唱になっけど太鼓は個人的には体格・体質差等からの影響大と感じてて、俺に良くても他人に駄目とかその逆があっても不思議じゃないと思うんです。
とは云えこの紙上では各個人の個性は不明なので、論理的観点からの優先順位で吠えてるのでありんす。
何せ外見と本人意識が正反対なんてのもあるんで、最適値を求めるにはマンツーマンじゃないと難しいと思います。

Photo
久々でいきなり出ましたが、題して「押出し踏み」と命名させて頂きやす。
先ず黄緑の線が膝より体側からの力の向きで、青線が
カカトを「支点」にした時の足首からの位置関係を示したつもりだす。
足各部の距離関係は人次第でまちまちだが、そこが正に個人差なので一例としての概念図と思われたしざんす。

で現実的な力には膝で前へ押す分もあるが、上から下へのそれと比べたらかなり非力だと思われる。
脚の重さは「作為的な動作」が無ければ近い方中心に掛り、つまりくるぶしから爪先・カカトそれぞれへの距離割合で大凡分配されるだろう。
加えて基本的にカカトは固定なので、他の奏法よりどうしても動作範囲は狭くなる。

だから俺的には絶対的必要性が無ければ用いて無いが、単純原始的な爪先踏みよりはパワーが出せるのも確かだ。
上図左は踏む直前で右は直後を描いたが、カカト固定の癖に足が何故か前へ少し移動してるのに着目されたしある。(描画は誇張気味)
これの度合いもまた人次第でまちまちだが、余程極端に「カカトが長い!?」主で無い限り押出さないと爪先へ重量モーメントを持って行けないからなのだ。

こんなんでどうして「
Slide」意識を持たぬかっつうと、それをすると「カカト支点」が機能し難くなり易いからだ。(移動しなけりゃSlideじゃないので)
それと「踏む前」に爪先がしっかり上がってないとビータストローク不足→パワー不足となって、唯の
慌てた爪先踏み」に成り下がっちまう。
よって目一杯勢いを付けようとはするが、
Slideと思わぬ方が大抵はベタ―なんじゃないかと思われる。
一番単純な思考では「目一杯威勢の良い爪先踏み」をしようとしたら、近い状況が得られる場合もありそうだ。

欠点は是迄に綴った通りだが、では利点は何か。
奏法的には大きな動作が不要なんで、「何か演った直後」に用いるのには有益だ。
それと他の奏法と足・脚の動作箇所と向きが少し異なるのも、複数ストローク用として有利だろう。

複数ストロークと称する多くは手足の基本の「振り」が一回で複数音を出すと解釈してるが、それを可能とするのは大抵は「違う場所を動かす」ので得ている。
だが増やせる数に限界と制約があり、パワーを要する場合個人的には3つ位が限度と感じられている。
工夫の余地は無限かも知れぬがそれ故、現状俺では4つは2+2で賄う等となっている。

基本手足一緒論の俺と云えどペダルとバチの相違を無視はせずで、ペダルは最低でもフットボードの分がバチより多いとなっている。
その影響はやはり応答性に現れてて、手より脚では複数ストロークの数的限界が下がってると感じられている。

またRock系では常時フルのバスドラサウンドが要求されがちなので、「パワーを伴わない速さ」だとご利益僅少だ。
こうなると手で言う処のバズ系の技法は、もし足で出来ても用途不一致だ。
もしツーバスとかでバズロールが出来たとして、使い道が少なそうなのも確かなのである。

これ等から俺言い「押出し踏み」の適正を考察すると、最適なのは「Slide Double直後」って判定になっている。(つまりSlide Triple)
個人差で極度に足首が非力とか遅いとか、何らかの事情で
Slideが不可な場合だったら採用に意義は出て来る。
けれども物理的に最適解で無いのが検証済みなので、特に「これから脚のDoubleに挑戦」ってんなら非推奨なのだ。

もし試すなら他の方法を暫く訓練した後、もし余りにも結果が芳しく無かったらそれからにするのが良いんじゃないかと思う。
尤も
高純度のSlide Tripleに挑戦するなら必須となるだろうけど、それはSlide Doubleを充分習得後での話し。
因みにこの高純度と称してるのは、速度・パワーが得やすいのが「全部違う動作」の組合せだからだ。

体自体もだがそれだけでは限界が近く、前に述べた通り「指令速度」も大事だ。
「頭を楽にする」のにも同じのを繰り返すより、
「全部違う動作」を順番にやるだけの方が普通は低負荷だと思うのだ。
既に目一杯押してるのに更にもっと押せったって無理な相談でしょ、でも「違う注文」だったり「前のは気にしなくて良い」となったら余地も出て来るんじゃない。

ドラムの神様ってばBuddy Richだと思ってるが、従兄の先生の分析では今のが違って聴こえても
技術面では越せてる者は見当たらないそうだ。
その
Buddy Rich実際に途方もないレベルだが案外「簡単な意識」で演奏してた様で、複雑なHi-Hatでのアクセント等を主にバチの「当てる角度」だけで実現していた様だ。
どうやら高度な演奏をしたい程、不要な際は「簡便化」が重要らしいのだ。

2018年11月23日 (金)

Speedkingよもやま話⑫1足3連余談

今週従兄にとある外国人の踏み方の質問を受けたが、それは変形足首ダブル(ヒールトゥ)であった。
何処が変形かってば普通の2連打なのにカカト→爪先と順番が一般的なのの逆なのに、2打目が決して非力にならないのが珍しかった。


従兄は選択ミスで俺言い「足首ダブル」で
かつて逆順に慣れてしまい、必要なパワーを得るのに難儀した為苦手意識を持ってしまっていた。
力を意識すると今度は速度面が一層不利になるが、スライドが体質的に苦手だったのもあって半ば脚は放置プレイ化していた。
それに一条の光明を見出したかの如くだったから大いに興味を持った様だし、普通なら見落としそうなのにも気付いたらしい。

これの秘密を述べるに当り誤認回避で
「足首ダブル」のおさらいをしとくが、強弱無視で単に2つ鳴らせれば良いんなら順不同である。
だがCloseを意識したり色々「条件」が加われば、「演り易い」とかもっと言えば「演れる」順番の制限が出て来るものなのだ。
一例として上記「
Close意識」について述べると、次のような現象が起こる。

普段の単打との差を極小化しようとすると、どうしても必要な時以外は足の何処かがフットボード等から離れなくなるだろう。
この時ダブルでもカカト(腿に依る脚踏み)を先にすると、1打目後の爪先は上がっていない。
Close意識なので当然の結果だが、これが為どうしても2打目動作の開始が遅延気味になってしまうのだ。

特にアップヒール常用だと一段と顕著に出て、1.カカト降ろして→2.爪先上げて→3.それから漸く踏むと随分な迂回になる。
これではパワーは勿論それ以前に速度面で不利で、ダブルストロークにする意義すら薄れてしまう。
では何故順番が違うトゥヒールだとセーフかっつうと、以下の如くになるからだ。

1打目を爪先とすると特にアップヒールならカカトは「上がったまま」なので、素早い足首の脱力をすればそれだけでもうフットボードが上がってくれるのだ。
少なくとも奏者意識的には「踏む前に上げる」が不要となり、身体の動作数のみならず脳の指令系統の方も「時短」化される。
加えて「爪先踏み前」には猶予が取れるので、パワーを出し易い踏み方へ持ってくのも容易になって来る訳だ。

普通の現代ペダルでは
所詮パワーでは爪先がカカト(脚)には勝てぬが、Speedking等の骨董系でバネ弱になって来るとその差はかなり縮小する。
昔だって歯切れでは
Close優位なのは一緒だが、PAレスで肝心な「低音」が補償不可となれば優劣も逆転する。
それで「楽にOpen」が得やすいとか他楽器の音量が今より小さ目な昔では、足首由来の爪先踏みが優位に立つので道具側も意識せざるを得なかったからだ。

これ以上続けると何だから詳細は過去記事参照願うとして、本件の核心へ向かおう。
一見只の逆順に見える今事例のヒールトゥだが、自称専門家の俺分析では違っていた。
実はトゥの方が普通ではなく、俺言い「超速1足3連」(Slide)の3打目と同じ踏み方となっていたのだ。

核心の核心に触れるが、要は爪先踏みの動力源が足首のみじゃなく「膝」等を利用するとこう云った芸当が可能になるのだ。
これも詳細は俺別言い「Slide Triple」過去記事参照願うが、通常誰だって足首より膝の方が力は強いもんだ。
殊に足首とハイブリッドとなれば脚を大人1人とすれば、子供でも2人掛かりになれば対抗の可能性も生まれるって感じだ。

普通のヒールトゥならカカトが上がっていても平気だが、動画の主の2打目時は必ず「カカト接地」状態から為されてるのがその
証拠だ。
膝動作で爪先を下げられるのは「カカトが突っかえてる」からこそで、足首関節とカカトの先端に多少なりとも距離差があるからこうなるのだ。
理科的表現をすればカカト=支点・足首=力点・爪先=作用点となっていて、力点の動力源が膝である。

厳密には腿の筋力も使ってるかとか各部の力のバランスはってのもあるだろうが、体格差もあるのでそこ迄の追及は各個人毎じゃないと無意味だと思う。
俺自身の意識は「下へ」であるが、今回の件で若干の見直しにもなった。
それは爪先上げ時には
「下へ」より「前へ」の方が有利なのが明かだからで、自身の脚を無視してフットボードばかりを凝視してたからかも知れない。

俺がこれのキッカケを得たのは「
Slideの延長」で、元々膝を使っていたし前へ押す発想があったせいで早かったみたいだ。
ってより実際足を前へ動かしてて、「止めなかっただけ」とも取れるか。
尤も指不使用のバチのリバウンドと一緒で数の制約があり、フットボードと脚の両者の長さもあるから3つ程度が実用限界みたいだ。

俺は2連には現況必要性が低いのでこの変形ヒールトゥはほぼ不使用だが、従兄みたいに逆順がフィットする者には確かに朗報であろう。
けれども一番利用率の高い連打では1打目は「16分の裏」が多いので、2打目の「表」時に単打と連打で逆動作となる懸念は残るシステムだ。
フレージングの自由度を考えると手と同様で、平常時「表裏の鳴らす方法」が固定の方が有利に思える。

演りたいのがこれで充足する等条件次第では、1つの選択肢なのも確かだろう。
何しろ全身を使うからか、太鼓演奏は個人の体格差の影響が大きいから。
但ししかしこれ以外の奏法も習得したいんなら、亜流から入れば従兄がした辛酸舐めは辞さない。
例えば
1足3連へ行くのは道順がとても複雑化してしまい、習得前の修正箇所からして多くなってしまう。

なので原理的に考察すると次善策ともみなせ、俺的には余りお勧め出来るものではない。
複雑な技を持ち出すのは速度的必然性等があっての事なんで、可能な限り一番簡単な方法を用いるのが良さげに思っている。
またその様な発想にしといた方が、更なる高度化への発展性に繋がるのだ。

2018年11月15日 (木)

日本のRockって何だろう③暴言みたいでもホントマジな話し

今週は従兄が復活してツーバスの微細セッティングの研究をしたが、とある情報を伝えられ驚愕しちまった。
それは従兄も推してる新進女流ドラマー「ミカナベ」さんが、落されたコンテストの件だ。
てっきりとても厳しい審査で落されたのかと思いきや、審査員の模範演技動画の下手さ酷さ加減を見て「これはヤクザより悪い商売」だと痛感させられたのだ。

個人主観に過ぎんと仰せられるか知らんが、こっも伊達に長年音のプロを貫いて来ちゃ居らん。
それプラス誤認回避の前提として、俺はミカナベ氏を評価はしてるが特に好みでは無い。
だがミカナベ氏を3とすれば偽師範供のは1って位、力量差が明白だったから論を待つ迄も無いだろう。

またどう云う理由か不明だが偽連中の「録音された音」が妙で、使用楽器・叩き方等どれもが異なるのに同じ音になってたのがとうにも不可解だった。
しかも「出せそうに無い音」になってて、しかしミカナベ氏の方はちゃんと見た通りの音となっていた。
例えばブランドもサイズも(恐らくチューニングピッチも)違うバスドラで、低域のピークが同じ周波数になるなんてあり得ないからだ。

この時もし楽器のスイートスポットを犠牲にしてでも周波数(音程)を合せたら、今度は音色に大きな差が生じてしまうものだがそれも無い。
音量はマルチMic録りなら・周波数毎のバランス等なら矯正可能だが、ピークの出るタイミング迄弄るのは不可能なので何らかの相違は必ず残ってしまう。
であるからして偽連中のは「当て振り」の疑念すら拭えず、そこ迄で無いにしても無添加純正では得られない音であった。

加えて駄目押しになるのが定評のある録音屋が録ったのなのに、メモ録りでカメラ付きMicで拾ったのの方が良い音だったんだわ。
これは実は俺も経験してるんで分かるんだが、無理加工を施した場合に起きる現象なのだ。
かれこれ30年程前録音時に正規のバンドドラマーが不在になった時、今以上に大した腕でなかった俺が叩いたのでこれを施した事があった。

バンドの楽曲最優先で太鼓の瑕疵を半ば隠蔽しようとして、何とかそれだけはクリアさせた。
だがそれで全体としては聴ける状況になったものの、太鼓だけに耳を傾けたら何とも不自然で妙な音になってしまったのだ。
対して過去記事に記した従兄に叩いて貰ったコンプレス録音の如く、腕が良い程只叩いただけでもう完成品の音が出るものなを体験済みなのだ。

一部に立場上とても不都合になる犠牲者を出す事になるが、敢えて吠えよう「クソ野郎!!」。
この中身が伴ってない審査員供の何が問題かっつうと、バランス等が非現実的で滅茶苦茶なのである。
つまりPA無しでは他楽器との合奏に支障を来す様な有様で、自分より上手い奴を落しとき乍ら金を稼いでいるのが犯罪級なのだ。

単に趣味で演ってんならまだ只の偽物で済まされるが、嘘或は間違いを正当化した上それで金を取ろうってんだから許す訳には行かんぞなもし。
追求しても騙される方が悪い等と言い逃れしそうだが、好きな音楽に対してすら不誠実とはものの哀れの極致だ。
挙句の果てに自己保身の為に(悪・嘘を貫くのに)正しく出来てる方の人を排斥、つまり「わざと」不合格とする事で世間の無知な者へ対してアピールしている。

しかしそんなんでも間違ってでも一応成立してたって事は、かなり狭い世界だが「世論」が不足してるせいなのも否定出来ない処だろう。
現代本邦の異常環境即ち俺言い「不要PA」が、この「悪さ」の根源にある気がして止まない。
要するにそのせいで素人が生本に接する機会を損ねてて、実際はどんなもんかを知るのが困難になってるからだ。
もしやこの段階から悪意図的になされてでもいるのだろうか?。

で更に「不要PA」の源を辿ると、稚拙な西洋の模倣からの「恥ずかしい勘違い」があるとしか思えないのだ。
コンプで本家元祖はOn Mic録りの対生耳補正が主目的だったのが、J-POPでは異常音圧獲得の為だったり。
頑張れば奏法と楽器だけで得られる低音を、EQで持ち上げて誤魔化したり。

けどそれって保冷車をサブエンジンで走らそうとする様なもんで、どうにも無理があり過ぎる。
因みにこのサブエンジンってのは荷室を冷やす冷凍機の動力で、トラックが停車してメインエンジンがアイドリング(低回転)になったり止めたりしても温度を保つ為のもの。
わざわざ走るのの他に小さいエンジンを、追加搭載してるヤツだ。

日本古来の美学としては「自然をそのまま生かす」が得意な反面、考え様に依っちゃ西洋的演出は下手な部類だと思う。
しかし「ものの本質」に立ち返れば洋の東西なんて無関係で、結局は「源がどうか」が最終的に左右するもんだろう。
それを何時からか表面ディテールの模倣だけに走る様になってしまい、「見た目から入る」と「見た目だけ」の区別が出来なくなってる様に感じられる。

この恥ずべき勘違いからの脱却方法は、そもそも演出とは何かを正しく認識する処から始まる。
彼等西洋系の演出の豊富さを初めて知ると少しビックリさせられたれもするが、そこで盲目になると今みたいな不始末をやらかしちまう。
あたかも「今時やんなきゃ時代遅れ」的な焦燥感に駆られるが、ここで焦りが出るのは本邦じゃ「演出無し」がデフォルトだったり「一緒じゃないと不安心理」からだろう。

そこで本家たる西洋人達はどんな気持ちで演出を施してるのか、ここを観察熟考してみるのだ。
こっちと違ってするのが当たり前って事ぁ大凡平常心が保たれてそうで、焦って視野が狭まったりはしてないだろう。
そして肝心なのは当たり前だからやっただけで、こっちが勝手に想像する程別に演出になんか大して頼っていないのだ。

また演出ってのは本来強調等はするにしても、変身させる様な術では無いしそう云う効力を持合せていない。
ここら辺りを本家のご仁は皆熟知した上でやってるだけで、結局は「源が」を決して忘れちゃいないんですわ。
街では傍目にゃ化粧だけが目立ってても、家ではしっかり毎日美肌もやってましたってな具合だ。

機械文明の導入も早かったからどっかで既に経験済みなのか、自然を機械で置換える無意味を知ってるんだと思う。
かつてアメリカ車社会に我が国が不要に看過されたりしてたが、これも大幅な環境差を見逃しての失敗だ。
向うじゃ広くて遠距離で人口密度が桁違いに低くって、人に頼んで移動するのが困難なだけだ。

だから鉄道斜陽のあちらでも大都市の地下鉄等は健在な訳で、「違って見える気がした」のは実際には交通手段じゃ無く町の方なのだ。
地図を眺めて「ここは狭い路地」とどうして思えるかってば、他にそれより太く交差点間隔の広い道が
描かれてるのと比べたんじゃないのか。
つまり地図の「縮尺感」って普通は全然分かんないから、「対比」で想像してるに過ぎないと思うのだ。

その内試しにアメリカの田舎の人と北海道の郊外の人と、知らない所の距離が載って無い地図を眺めてその距離を当てっこでもしてみたい。
「次の角までの距離」の
推察は北海道の人は俺より一桁、アメリカの人はもしかしたら二桁多く見積もったりするかも知れない。
因みに現環境下の俺は10m以内を真っ先に主張するだろう。😓

2018年11月13日 (火)

日本のRockって何だろう②何で甲斐バンド編

飽く迄一例に過ぎず限定されるものでも無いが、何故今更の甲斐バンドかを説明させて頂こう。
個人主観に過ぎないが活動開始時期が早かったとか、幾つかの原因が選択理由にある。
もし参考にしようとするなら’70年代のライブ音源が推奨で、彼等はまだ現役だが
失礼乍らやり方等を変えてしまった様で現状は参考にし辛いのも併記させて貰う。

この趣旨に今のじゃ駄目なのは上手くなり過ぎたからで、メンバーチェンジ等に伴って変貌してしまった。
甲斐よしひろ氏には海外先達の翻訳なだけとの不評もあるが、単に訳しただけならあんなに当時の地方の場末ムードには持ってけない処に注意されたい。
それとこれも歴史を知らぬが故の誤解なんだが、アメリカ以外ではRock初期には何処でももっと露骨なカバーだらけだったのも強く指摘しとこう。

近年本邦では一部権利者の既得権益だけの為に行き過ぎ著作権横行でカバーが廃れたが、実際に体験してみる意義は霞む事無く大きいものだ。
いきなりオリジナルの全てが悪くは無いが、先に世界観を会得してた方が手戻りが無いのは明白だ。
だいいちいきなり知らない曲でノレってのは無理な話しで、作曲だけの人なら未だしもどんなバンドか等を知って好きになって貰うのが先に必要だと思う。

ある意味カバーを演るのは「お近づきの印し」的要素があって、本来なら王道且つ登竜門であるべき処なのだ。
で次の段階で有効なのは特定フォーマットに則った作品で、例えばストーンズが好きな人の大多数には好まれそうだとかってパターンだ。
カバーにはそれ以外にもとても大きな効能があるんだが、スタンダード会得によって初対面の者とのセッションが著しく演り易くなるのだ。

奏者同士に限らぬが「同じ曲」をどう「料理する」のかで、各々の個性が明瞭になる上とても分り易くなったりもする。
個人の修練としてならコピーは有益だが、対外的には出来不出来の評価程度に終始する。
だからコピーじゃ無くカバーなんだがそれの日本での黎明者に甲斐よしひろ辺りが該当してると言え、引用だったからこそ寧ろそれが成立してたとも考えられるのだ。

またこれも失礼だがテクニックレベルが高くないのも味噌で、それは演奏力等に頼らずにRockにしてた証と捉えられる。
特にこの点が近年のJ-POPとは正反対で、近年本邦のに俺が興味を削がれる最大要因ともなっている。
つまりひ弱なフォーク或は歌謡メロなのに、メタルテクとパンク音色で無理盛りすんなって聴こえちまうのだ。

俺には甲斐バンドを丸腰の勇者とすれば、
J-POPは廃棄されたモビルスーツの様に映ってしまう。
ビジュアルや体裁は大事だけど恰好に目が行くのは最初だけ、回数が重なってけば自ずと内部へ視点は移動するものだ。
その時に上るか下がるかの威力は絶大だし、如何せん所詮は音楽であってグラビアモデルでは無いのだ。

演奏が上手いに越した事は無いけれど、一般聴者の多くは初期段階でそこへ一番の興味を持ってる訳じゃ無い。
どんなに予備知識が無くても何かしらにそそられて、興味を持たれてからじゃないとそもそも上手いか下手かすら聴いて貰えない。
それにはある意味奏力に無関係な部分が問われてて、基本的な曲やアレンジの力が問題になるのだ。

奏力頼みで脅しを利かすのは「小手先」で地力とは違い、この俺言い「地力」の分かり易いのがバイブルにはうってつけだと思うのだ。
あからさまに凄く聴こえるのはそれとして、「大して上手くもないのに何で良いんだろう」に着目するのが秘訣なのだ。
エゴがゼロの奏者なんて滅多に居ないし必ずしもそれが良くも無いが、だからこそ余程気を付け続けてないと何時の間にか曲全体に対しては疎かになってしまってるものなのだ。

ひねくれ者と見られるかも知れんしある程度実際そうかもだが、近年のでは敢えて○○を語らない者に却って本格派を感じる始末だ。
アイドルと銘打ったBABAY METALが案外メタルしてんじゃんとか、コミックと銘打ったピコ太郎に結構ファンクしてんじゃんと思わされる。
してこの「中身が上」案件は本邦では未だしも、海外での評価には実際如実に反映されてますねぇ。

話の乗り心地の悪さを反省してここから本筋だけで行くが、海外のに遜色無いのを基準とすれば俺的には甲斐バンドは該当していない。
誰かと云えばJohnny,Louis&Charだとなるが、Rock要素が常に他要素の過半数でレベル自体が高度って基準からの選定だ。
けれど日本的とか本邦独自へ軸足を向ければ、J,L&Cは外国の外人でも実現の可能性が残されてる様に思える。

だが甲斐バンドみたいな昭和の地方の場末感ともなると流石に現地人でなければ無理そうで、その点かつてブームになったレゲエの模倣と本場物の違いと似てる気がする。
Bob Marleyって普段は気さくなのに妙な処だけ急に俺様化するのが不思議だったが、後から当時の現地事情を知るにつれ合点が行った。

同様に東京在住の俺には甲斐バンドの兄ちゃん達若いのに、何であんなに出稼ぎオヤジみたいな感性で歌うかねと感じられていた。

これらの「ローカル色」ってのはダサかったりもするけれど、カッコイイだけにすると何故か軽薄で没個性になっちまうもんだ。
本邦ではすっかり廃れたお国訛りであるが、本家本国では古くから重要戦略の1つとの位置付けがなされている。
前出レゲエもだが過ってのLAサウンドとか、Southern Rockなんてのはその最たる証拠だろう。

最初からRockで来てる俺にとって特に初期段階では、甲斐バンドのどフォークやド演歌っぽい曲にはドン引きした。
当時はどーしてRockって言っといてそんなん演るかねと、日本のって何処迄行ってもダサいんかいと幻滅したものだった。
実際今だって俺の好みに変化は無いが、「他に無かった」のを鑑みるとその点を無視出来なくなって来たのだ。

俺的には甲斐バンド自体ではそれらをRockとして消化し切れなかった様に伺えてるが、新たなネタへ挑戦しないと進化や独自性を育めないのも確かだろう。
そしてもう一つこれと逆の観点から眺めて、Rock純度の高いのはどれ位迄行ってるかも見てみないと不公平だ。
俺的評価では個人的には余計なのもあるがその代りか、王道モノでの純度の高さは当時では傑出していたとなっている。

それで好みに合致せずとも歴史的に無視は出来ぬって結論に達してて、不十分であろうと避けては通れぬ道の様に認識している。
参考にする側の勝手もあるから嫌いな処はスルーして、好きな処だけ取り入れりゃ良いんだからさ。
それも音自体を真似たりせず考え方だけに絞ったって、何らかの役には必ず立つだろうしね。

現代ではどうすりゃRockになるかは皆知ってるから、こんなのは余計な戯言みたいに感じるだろう。
だがある意味「守りに入る」度が過ぎると副作用が強く出て、毒にも薬にもならない没個性なのしか作れなくなるのだ。
例え条件面だけクリアしてても優等生タイプってのはRockに相応しくなく、それをJ-POPと呼称だけ変更した処で新味に乏しい事実は消えちゃくれないのだ。

甲斐バンド以外でも
捉え間違い等さえしなきゃ、他の誰でも構わない。
彼等の真の奏力は披露して無いだけかも知れんけど、少な目な技だけであれだけ色んなのをこなせてしまっていたのには気付いといて欲しい。
近年本邦の多くは対西洋比だと半端に非シンプルなのばかりで、かと言って深みのある複雑さもすっかりなりを潜めてしまった様な…。

2018年11月11日 (日)

日本のRockって何だろう①伝承断絶編

最近齢のせいか今更なテーマが気になってるが、今回の発端は2つ。
従兄がかつて一番手に馴染んでたStimmungのドラムスティック、改めて解析したいらしく自らのドラム教室のサイトhttps://twitter.com/StudioLiteDrum で情報を募ってる最中だ。
数十年前の常識!?とは云え
Stimmungのバチはあれだけ有名且つありふれたものだったのに、ネットによる情報氾濫時代にも拘わらずロクにヒットしないからだ。
その彼が風邪気味で活動が休みになったが、偶然出来た時間に気紛れで甲斐バンドの古いライブ音源を聴いてみた。

時にフォークっぽかったり演歌チックだったりもして特に好きでもないし、テクニック的にも奏法的にも左程のオリジナリティがあるでもない。
世間的にだって余り今の日本のRockの(特にBand)ルーツと認識されてない様だが、敢えてそれへ大きな一石を投じたくなった。
Rockで止まらずに&Rollが付いて良いなら、キャロル(矢沢永吉)なんかが該当するのに異論は無い。

それより以前に目を向ければロカビリーを経てGS(グループサウンズ)からの流れが本流だろうけど、多分に特定のスタイル等の維持に終始してた感が拭えないのだ。
つまりコーラス取ったらもうGSじゃなくなるし、歌を取ったらエレキブームのテケテケの残党に見えてしまう。
いや別にお好きな方達への非難じゃないんだ、只それだけだとその後の発展性に対する「枠」が狭過ぎだと指摘したいのよ。

主題に行くが日本のRockルーツにしても
Stimmungのバチ案件にしても、歴史や情報の断絶とか分断が原因と思えてならないのだ。
別に知らなくたって死にゃあせんけど、最悪努力が徒労に終わる危険だってある。
本人は引用のつもりでも他人からはコピーとか模倣と思われ兼ねなく、知ってさえ居たならもっと上手くやれるものをだ。

一介のヘボオヤジが語るには随分大それた話しだけれど、この手の「悪しき分断」の悪影響は何も音楽界に限った事ではない。
最近の台湾での鉄道事故に日本製の電車の設計ミスが多少なりとも加担しちまったみたいだが、過去比較だと何とも解せない事例だ。
新幹線の台車亀裂もそうだったが、今日ではこの業界でも規格化が格段に進んでいるのだ。

昔の日本製電車はオーダーメイド主流で、造る度毎回全部が違ったからさぞ大変だったろう。
それが前出規格化で注意点がかなり絞られたにも拘わらず、下らないミスが頻発したのは全く矛盾しているのだ。
この結果から導き出される原因は唯一つ、単に「造るのが下手になった」以外考えられないのだ。
どんなに省力化で機械化率が上がった処で、その源は人の「した事」が反映されてるだけだからね。

以前出来てたのが駄目になったとなるとちゃんと教えられる人を無神経にクビにし過ぎたのか、「使える電車の造り方」の伝承に失敗と云う事なんだと思う。
それの更に源を辿れば「行き過ぎた学歴偏重」もありそうで、企業の体裁としてはやむを得ないにしても本当に勉強が出来るだけで何でも出来りゃ誰も苦労せんわいっての。

今日ではどの分野でもパソコンだけは弄れないと困るけれど、肝心なそこは本邦の学校教育では殆ど手つかず状態だ。
それでもせめて各分野別の実践的な教育が足りてれば及第点だが、テストの点に貢献するだけで実務に対しては相変わらずサッパリだ。
近年の企業系での根本的な「あ~ぁ勘違い」は、先ず○○屋ならそれにだけは詳しくないと話しが始まらないのがどっかへすっ飛んじまってる部分だ。

ここから幾つか
個人体験談へ移るが、最初は成功例で長い付合いのあった自動車販売会社の営業マン氏だ。
彼は営業職の在籍だったが整備士の資格も持っていて、つまりセールスマンの前に単に「自動車屋のオジサン
だった訳だ。
知合ったのは彼の就職間もなくで俺は当時中学生、そもそも元の顧客は父であった。

以来
彼の定年迄の間我が家の「車の世話」をして貰ったが、当時クソガキだった俺に対しても「プロの自動車屋」として付合ってくれたのがキッカケだったと思う。
先を見越した営業戦略だってあっただろうけど、それだけで長続きするもんじゃない。
人間性の内でもあろうが車に関しては
どんな相談にも真摯に応じてくれ、その信頼が揺ぎ無かったのが決め手だ。
彼が定年後の担当者の引継ぎを1年掛けてしっかりやっといてくれたお陰で、その後継者に対してこちらは何の変化も要せずに済んでいる。

次は失敗例で最近困ってる俺の歯の健康問題で、不可抗力とは云え主治医が急逝してしまったからだ。
それはドラム教室の先生とは又別の7歳程年上の近隣在住だった従兄で、彼は祖父が開業したのを継いだ三代目の歯医者だった。
俺は彼の父(つまり伯父)の代からそこへ世話になってて、下の代の従姉弟達が医師見習いで来てた時分には実験台を務めた事もあった。

彼は高卒後すぐには医大へ行かず、ベーシストとして暫く仕事をしてた異色の経歴の持ち主でもあった。
親戚且つ同業且つ兄代わり…とあらゆる点で俺を熟知してたので、とって代われる人は皆無に近い。
候補足り得る可能性があったのは
四代目で本来ならそこへ任せたい処だが、三代目が想定外に急逝したのでカルテに記せない個人情報の伝承が間に合わなかった。

俺から四代目へ伝えればと思われるかも知れないが、
外から見た客観的姿は本人には分からない違いが埋められない。
加えて三代目は俺の親も診ていたので遺伝的推察も出来たが、俺の親はもうこの世に居ないからこれも体験不可だ。
更に人的面を妥協しても治療方法も最先端を行っていたのでそれだけでも厄介で
、こっちも誰にも足りるだけの伝承が出来ぬ間に逝ってしまった。
今の処適したのがどうにも見つからず、箸にも棒にも状態だ。

一時と比べれば近年は子供側本人の選択で世襲がまた増えて来た感じを受けるが、経済活力を逸した中では消去法の結果かもの懸念も拭い切れない。
昭和の後期生まれ世代は若年期の前世代からの筋の通らない無理強いに辟易してたので、自ら進んで次世代へ教えるのを躊躇し気味な処がある。
教えないのが悪いと言われればその通りの面もあろうが、伝承って本来は教わる側の問題なのは動かぬ処だ。

年寄りは後は死ぬだけでどんどん無関係になってくが、これからやってかなきゃならない人達には死活問題なのだから。
「歌は世につれ…」ってのがある通りで、とりわけメジャー路線なら世間との整合性は保たねばならない。
しかしそれは歌われる物語等についてであって、制作サイドの手法迄わざわざ改悪するには及ばない筈だ。
独自性に影響が無い様な部分なら昔にあったからって避ける必要も無く、良い物はジャンジャン放り込んじゃってOKなんだ。

<続けちまえ>

2018年11月 3日 (土)

Hi-HatとそのStand⑰フェルト実験編Ⅱ

結果発表の途中で分断とは乗換が不便になっちゃった渋谷駅みたいで悪いが、実は想定外の新発見があってそれを詳述しようとしたからだ。
それはHi-Hat Stand下側で薄フェルトを試すのに、偶然利用した「鉄板」である。
フェルトにはほぼ俺の狙い通りの効果が得られたが、それより数段「鉄板」による変化(良)が大きかったのだった。

一等印象深かったのが鳴らしたOpen Hatを閉じた際で、高い倍音は余韻が残るが低い方が即座に止まった処だ。
これによって聴感上のキレが異次元に向上し、とても格好良くなったのだ。
所謂タチーチーなんてのを演るのは歯切れを強調したい時だったりするが、それの効果が最高になる感じだ。

個人的にはBottom受けが薄鉄板+薄フェルトの体験の明瞭な記憶が是迄無いが、これは断然お勧めだ。
薄フェルトは常時(正確には分厚いのの方が皆無)だが、「その下の材質等」に関しては完全に見落していた。
ここが柔らかったり厚かったりすると上述の逆の性格となってて、目立つ高い方が即座に鳴り止んだ割には特にキレの良さを感じられなかった。

恒例のたられば分析に依れば「目立つ」に囚われ過ぎてたのが敗因みたいで、もっと全体域(周波数)に注意が向けられてたら気付けてたのかも知れない。
頻出「同音量に聴こえてもオクターヴ下がるとエネルギーは倍」なので、少ない方(高域)より多い方(低域)の即停がキレへの貢献度が高い様だ。
思い起こせばチックサウンドでも同現象を体感して居り、Cymbalの音量面のキレは隠れがちな低域成分に依存してるのを力説しとこう(忘れてた癖に…)。
因みに「聴こえの良さ」は過去説高域成分の「目立つ倍音」が主要因。

Stand本体は現況我々にはこれで限界だが、一応本稿案件は可能な範囲は大体これで試せたと思う。
以下に結果を影響度が高かった順にまとめて行くが、共通条件として基本的にCymbal系はその支持がなるべく放任じゃないと性能を損ねてるのは間違い無い。
それと薄柔なのになる程、この悪影響は大きく出る。

①フットハット(脚で鳴らすもの)
薄柔の場合は極端で鳴りどうこうは愚か、単独でさえ普通に聴こえるか否かの差があった。

②音量
これも薄柔では源の成分に低いのの含有率が低いからか、露骨に変化がみられた。
物理的確認は余り取って無いが聴こえぬのなら意味が無いから端折っただけで、録音機のメータより生耳や合奏時の聴こえで判断するの推奨だ。

③明瞭度
特定時以外元から最大音量が要求されないものな以上、「大きく無くてもしっかり聴こえるか」が最大案件だ。
その点バスドラ等より寧ろ条件は元からかなり厳しく、理想は極力小音量でありながら聴こえる処だろう。
それを実現出来るのは唯一この点で、その良否は演奏自体にも大いに関わ
る。
前回記した従兄の
本音吐露「コントロール出来る様になった」、これが動かぬ証拠である。

④音質
①~③もこれに依存してはいるが「それ以外」についてで、無頓着な人でも近年は音響グレードが上がってるから録音時は無視しない方が良いと思う。
俺みたいな「ナケナシ君」には半ば死活問題になり兼ねない程の差が出てて、理想のCymbalを持てて無い場合程「天の救い」となるであろう。

ここから大判振る舞いだが、我々の実験で得られたプチ裏技を特別掲載する。
上側フェルトについては前回記した如くYAMAHAは
域増加・カノウプスは域増加に貢献するのが判明したが、ブレンド好き!?な従兄の要望から「上側フェルトブレンド」も試してみた。
もしや巧く併用したら低高の両方とも向上出来やしないかと、案外従兄は欲張りだったのか。

結果が安易過ぎて若干胡散臭さを感じられてしまいそうだが、上側の上側をカノウプス・上側の下側をYAMAHAとすると理想に近くなった。
再度の
たられば分析に依ると上の下にはTop Hatの自重+叩かれた圧力がかかるので、それなりの厚みが無いとフェルトが縮み切って柔軟性が発揮不可となるらしい。
上の上は自重が掛らないのと奏法的に意図的に強く踏まれた場合は、硬さが出ても許容されるから薄くても構わないって按配と見られる。

これの副産物として上フェルト1組の「全高」の縮小があり、YAMAHAのは何故か大抵のクラッチでは緩めにするのに分厚過ぎる。
そのままでも暫く使ってるとその柔らかさ由来で低くなって来るが、それでもフェルトの挟み圧力を無くす迄には至らない。
現に宅のHS-710での交換時にも準純正にも拘わらずこれが出たので、次善策で締め込み調節ナットの片方を敢えて外して高さを稼いでいる。

それでも不安でフェルトの片方をカットして短く加工した位だが、これらの問題も一気に一掃されてしまった。
上側フェルトは何故かYAMAHAだけ2コセット・カノウプスのは独自の自社Stand交換用なのになぜか個別販売なのを不思議に感じてたが、ゲスの勘ぐりをすると本件に気付いてる人が結構居るせいなのかもと思ってしまった。
つまり上の上下フェルトの独自組合せ使用者が、結構大勢居るのかも知れない。

2018年11月 2日 (金)

Hi-HatとそのStand⑯フェルト実験編

従兄からの協力要請がキッカケで色々体験出来たが、今週はフェルトについて。
協力要請と言い乍らその根っこの幾らかは、「合奏時Hatが聴こえんで困る」って俺のクレーム!?なのがありゃりゃでありまするが…。

その昔ライヴハウスだった従兄のドラム教室では、
Hi-Hat Standのクラッチフェルトは当時の予備品の残りを使用している。
コストと耐久性から選択されたフェルトだが、
20年以上前ってのもあってHi-Hat  Cymbalはゴツイ系だったから許容範囲内だったのかもしれない。
実際にはそれでも硬過ぎたんだが、従兄の所持Stand等の絡みで彼には「硬過ぎ」に気付く機会が中々訪れなかった様だ。

俺はと云えば
Hi-Hat系に関しては従兄の真逆の体験が殆どで、近年従兄の処へ出入りする迄あんな硬いフェルトがあるのさえ全く知らなかった。
こっちは太鼓を家で叩ける(当時は挑戦に過ぎなかったが)様になったのが約30年前で、中古で少ない予算の都合の結果なだけだ。
その頃からRock向きのごっついのが出だして流行ったので、演りたいのに最適じゃなくても手に入れられるのは古風なヤワなのだったのだ。


太鼓だと従兄比じゃ肝心な処はサッパリな代わり、こんな時は変な処だけ妙に詳しくなった俺の出番だ。

至近にカノウプスがある地の利を生かし、先ずはYAMAHAの旧式のとカノウプスのを下側のも含め各々1組だけ先手購入しての実地試験を提案しそれを今週やって来た。
拙ブログ「ドラムのパワーとトーンの⑥」で述べたHi-Hatクラッチの状況等も加味した選択で、個人的に目算はあるも確証はとれてなかった。

フェルト以外は最近一通りテスト(かなり限定的だけど)したものの個別だったので、各部の影響度合いの同時比較が出来て無い。
従兄の処は教室なのもあって最低所要数は3セットなんだが、見当が外れて浪費になるのも防ぎたかったのだ。
それと何より今従兄が常用してる
Hi-Hatは彼のオリジナルブレンドだが、かなり薄く軽い上Top側に至ってはCrashの流用だ。
ベテラン専門家の裏技だからそれ自体に問題は無いものの、Rock Bandのアンサンブルには凡そ適してはいない。

それで本人はCymbal自体の購入迄覚悟してる位なんで、どんだけ対策すれば事足りるかは実験しなれりゃ分からない。
本稿の過去の経緯で
Hi-Hat部全体について2人で多角的に思案したが、現況のままではどれもが怪し過ぎて有効施策の見極めは無理だ。
けれど絶対的に駄目そうな箇所だけはここ迄の実験で分かったので、失敗しても低負担なのと何れにせよ手を入れる必要のある処から手を付ける事にした訳だ。

正直俺は大きな成果獲得は想像して無かったが、今回は珍しく良い方に予想が外れてかなり驚いている。
音色や鳴りが変わるだけならまだしも、オリジナルブレンドでは音量が激増したんだからこりゃ大事だ。
更に普段生徒用に用いてるNew Beatも含め、挙動や操作性も激改善。
彼曰く「コントロール出来る様になった」って、今迄よくそんなマトモに操れないので演ってたもんだと思わず関心しちまった。

原因的には直にCymbalに触れてる箇所なので、影響が大きいのも納得ではある。
結果を得てから考えれば「たられば」の「あったり前田のクラッカー」と本来至極当然なんだけど、それの程度っつうのは実際体感しないと良くは分かんないもんだ。
マクロ部分についてのみは俺の推察通り、やはりCymbalが薄軽な程大きな変化が出ていた。

なので厚重常用者にとってならそんなに気にしなくて良さそうだが、薄軽好きだったら絶対避けて通れないって感じだ。
薄軽物は触れた程度でも反応が良い代わり、望まない外部からの僅かな抵抗でもう音に変化が出る様だ。
深読みすれば本体の軽い分標準的なのの使用時より、
相対的にフェルトの硬度が硬くなったのと同じなのである。

それでも俺なんかだと手は大したのは演らない(ホントは出来ない!?)から、そんなには関係無いかとも思ったが後から考え直している。
その理由は「Cymbalの値段が違うかの様に聴こえた」からで、ナケナシをはたいた身にはこれは看過出来ん大問題だ。
決して大袈裟じゃなくフェルトの適性次第で、価格の桁が変わる程なんだから。

今回実験の結果を並べてくと…
1.Zildjan New Beat
①フェルト全部がYAMAHA
端的に表すと音質向上で、特記されるのは低域の増加だ。
Paiste等より地味目だが元々下が出て音色に重みとか深みのあるのがZildjanの売りだが、それが漏れなく発揮される。

②全部カノウプス
高域のレンジ拡張が著しく、①では少し昔っぽかったのが近代的な感じになった。
派手とか華やか迄は行かないが、もう地味ではなくなった感じ。

2.オリジナルブレンド
①全部
YAMAHA
音質向上もかなりだがこちらの特記は音量激増で、数値的計測はしてないがBassとの合奏時の聴き取りが容易になった。
決定的だったのはCymbal自体が爆音アンサンブルに不向きなのに、それを忘れさせる位全然違った。
低域については源からあまり出て無いので目立たないが、下手すると軽過ぎて安っぽくなるのは見事に解消されていた。

全部カノウプス
こちらも
高域のレンジ拡張だが、源が倍音豊富なだけに特徴全開って感じになった。

3.下側フェルト
これは少し前説を加えたいが、今回実験に供したStandは受け部(プラ製)とフェルトが接着されてる物だった。
そのフェルトは硬度は並だがかなり分厚く、重ねて試すのには色々懸念が拭えなかった。
そこでこれを取り外したがそのままではフェルトの受け皿が不十分な状態となるので、別タイプのStandにあった鉄板(平面円形)を代わりに用いてみた。

下側フェルトは今回試用品はどちらも柔らかで薄いが、これは俺の体験的拘りが発端となっている。
Bottom Cymbalの振動阻害を軽減するには接触面積縮小が有効だが、演奏で斜めに傾くのの復元性も要求される。
厚みがある程安定性は高いものの如何せん接触面積が広過ぎるし、Cymbalが傾こうとする時だけ抵抗が増えるのも気になったからだ。

過去に音質安定化の為に神経質になった
時期があったんだが、その時は確実に「同じポジション」に戻ると良さげとプチ追及した。
それでカップ形状を裏返した様な凹みのある物(ゴム製)を試したが、復元性は優秀も戻る動作に段差が出来た上そこで雑音を発するので没となったのだ。
Topを硬めに締め・上下間隔を最低限みたいなセッティングだったらこの欠点は出ないが、Rockのリズムで使うオープンには上下共極力放任なのが音色的に好ましい。
フットハット(特に足の蹴りで鳴らす方)等も間隔が狭いと不向きなので、特定セッティング時限定品って感じで俺には合わなかった。

長説漸く終りで戻るが前述小細工をしたのは、上記体験から厚いの駄目・転がり難いのダメを概知だったからだ。
こっちの結果は両社のが近似なのもあって
音にメーカー差は殆ど無かったが、音質向上と挙動の自然さはどっちもこれら以外のより格別だった。

<続くんだ>

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(前回の物理分析)⑩

ひょんな事で経験値が上がったバスドラのウルトラローピッチ、低い方の一極限状態はかなり参考になった。
高い方なら極限じゃないにせよ、Snare等で割と日常的に誰でも体験してるだろう。
けれどホントはあった両極の片方だけでは、性質と傾向を理解し切れて無かった気がしている。

Floor Tomのウルトラローでだって似た体験は可能だが、皮の面積が小さいからベロベロにすると音程が殆ど聴こえなくなる。
そこで研究、先ずは俺らしく物理分析だ。
少々回りクドイけど音の色々を表す言葉から行くが、音は目に見えぬせいかどうも物理と文学では洋の東西を問わず表現の整合性が乏しい様だ。

例えばエレキギターのアーム呼称にTremoloとVibratoの2つが使われてるが、前者の方が使用例が多い。
だが音の変化の内容に対して正しいのは後者の方で、音程が揺れるだからだ。
最初は単なる取り違えだったかもだが、それで恥の上塗り紛いが起きている。
Fender Ampの内臓
Vibratoは名前と内容が逆で、音量が大小に変化するんだからホントはこっちがTremoloなのだ。

けれど
感性(文学的)に基づき兎に角「音揺れるの」に拘れば、物理的に不正解でも感覚的に捉えやすい方を優先しても必ずしも錯誤と言い切れぬ。
しかしそのお陰で使う側への誤認を助長する面も出て、余計な困難を後にもたらしているのだ。
そしてこれは音量等もご同様になってて、音の大きさ=音量も実は物理的には誤りなのだ。

これを持出したのは太鼓みたいに時間の短い音を正しく捉えるのに必要だからで、音が大きいのに短過ぎるせいで音程が聴き取れなくなる等妙な現象が色々起こるのに備えての話しなのだ。
加えて近年本邦では文学的「音圧」の横行で益々訳を分かり辛くしてしまってる様で、本来は音圧こそが瞬間最大音量を表すのに適した言葉なのだ。
これも巷では「逆用」されてて音の密度が高い様等、本来なら是こそが量が多いんだから大音量なのだ。

ではウルトラローピッチの分析へ入るが、瞬間最大音量はノーマルピッチに対してどうなってるだろうか。
物理らしく行くと「皮の張り緩い」→動ける巾拡大となるので、ピッチが下がる程瞬間最大は実は増加してるのだ。
けれども「張り緩い」→反発力弱い→振動終息が早いで、音の出てる時間は短くなって行く。

何故なら叩くのは「一度きり」なので、その後の音は「反発力」エネルギーで出ているからだ。
冒頭のFloorのウルロー聴こえんくなるのその1はバスドラより振動面積が小さいのが原因で、径が小さい分大きく振れられないからだ。
又この小さいは音長さの短縮にもつながってるが、それも余韻のみならずSynthesizerで言う処のDecayも短くなって行く。

因みにDecayは厳密には正確じゃ無いが、
ここでは大凡アタック音+音程認識に必要な長さの音の出始め部と考えて貰おう。
物理的にだとアタック音にはその音本来の音程は含まれて無く、日本語的に値するのが子音だ。
子音だけではどんなに大きくしてもヒソヒソ話しみたいなのしか出来ず、歌のメロディーは雰囲気を再現程度で精一杯でしょ。

方や母音は言葉化には不足だが音程なら完全再現可能で、しかるにこの要素が鳴らないと
音程判断が不可能だ。
前回Simonウルローはオープン踏みじゃないとってのがここに係ってて、超低音程は只の1個でもそれなりの長さを要するからなのだ。
因みに更に低くなれば音としての認知は不可になるが、今度は振動として認識可能となって来る。

でFloorに戻ると振動面積が元からバスドラより小さい→短いので、音程再現限界も早めに訪れてる訳。
なのでバスドラだと限界値は高くなるが、それでも音の量は並から低音程へ向かう程減少するのだ。
だから瞬間最大が増加したにも拘らず、聴感上の音量はどっちかっつうと減少した様に感じられるのだ。

「音が聴こえる」には他より大きいからの他に、「他より長く出てるから」も含まれると思って良いだろう。
んでこれが当節お流行りの「音圧」で、ある意味「質より量効果」と言っておこうか。
だが度が過ぎると隙間が無くなり過ぎるだけで、「太鼓らしさは放棄された」も同然だ。

太鼓は瞬間最大音量が群を抜いて大きいが、爆音の時間は短いお陰で他種楽器とアンサンブル出来てるのである。
アンサンブル内での太鼓の責務はリズムなので短くも出来るってもんで、低音でいながら明確な音程を求められるBassには無理な相談だ。
こんな風に単純な音の大きさ以外の色んな性格が楽器毎に違ってるのもアンサンブルの醍醐味だし、それで混然一体に共存させても判別が出来るのだ。

だから無理くりコンプで闇鍋サウンド化させるのは、実はパワー感には負の作用をしてしまうのだ。
その楽器にだけ許された「特権」をはく奪するも同然だから、やたらむさ苦しい割には非力になってる。
これが猪なら牙をもがれて豚の大群になるだけで、圧迫感こそ凄まじくても強そうではもう無くなってしまうのよ。

コンプ始祖たるBeatlesでの使われ方は、生と記録物の差を埋める為の一手法に過ぎない。
生では楽器と聴者耳間の空気が作用して、AttackやDecayかマイルド化されている。
距離が増す程瞬間最大とその後の音量差が縮まり、相対的にDecayが長くなった様に聴こえるのだ。

これには残響も大いに加担していて、一番最初の反射音がAttack音と耳で分離出来なければ長くなったように感じられる。
時間軸以外にも結果的に音の種類が増えるから、一般的にエコーを掛けた方がリッチに聴こえるのだ。
そして中々体験困難そうだが広い原っぱで叩ける機会があったら是非一度は体験してみて欲しい、普段よりえらくショボく聴こえるから。

それが室内で特にOn Mic収録するとこれ等の作用の含有率が著しく低下するので、そのままでは実は生耳とは違う音になっているのだ。
本家のはそこを補正しようとしただけに留め、特定意図の無い限り楽曲表現に必要な強弱は損なわれない様に配慮されている。
現に用いられた機器はコンプレッサでは無く、ラジオ放送用リミッタであった。

近年本邦の悪習はもしかしたら呼称誤用から、音圧の圧力の意味を間違えたのが始まりなのかもと勘ぐってしまう。
隙間の無いのは確かに圧迫感を与えるが押されっ放しなだけで、その力は必ずしも強いとは限らない。
なので弱さを隠し誤魔化すのは出来ても、クライマックスの「押しの強さ」は寧ろ封印してしまうのだ。

他楽器ならまだしも瞬間最大が武器の太鼓にとって、これではある意味丸腰にされるも同然だ。
対比で強さを明確化する為にも、必要悪ならぬ必要弱を排除しては為にならんので御座候。
すべからくドラマーが無理くりコンプを自ら求めるのは、自殺行為なのである。

2018年11月 1日 (木)

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(も少しヲタ)⑨

筆者は弱小文章力の癖に気紛れな想い付きをしたためるもんだから話が前後して済まないが、漏らしたくないのが幾つか出て来てしまった。
先ずは「バチはケチらずに振れ」で、しかし闇雲に振り回せって意味じゃない。

これは当シリーズの③後部で触れたが、体験談を書いとくとしよう。
何時もの様に個人差は不明乍ら、俺は可能なら普通の叩き方では必要な振り巾をケチらなくしたら安定度が上がったのだ。
従前は加減って言葉しか使わなくてそれも当りだが、微細なミスの悪影響が低下したのだ。
つまり例えば角度で言うと30°が29°になるのと90°が89°になるんじゃ、「誤差割合」が後者の方が1/3に少なくなる。

人は機械じゃないから常に誤差があって当然で、確かに鬼の訓練を達成したら人間技じゃ無い領域へだって到達出来るかもしれない。
それでも0%なんてのは儚い夢でしかなく、他にも方法があるんならそれを用いない手は無い。
ハナッから同じ「音になり易い」叩き方をなるべくしてみようと、勇気を出して発想のプチ革命をしてみた様なもんだった。

Ringo Starrは当初から一貫して俺言い「ケチらん叩き方」で通してるが、ハチャメチャな環境体験が世界一だったからなのかも知れない。
「良く聴こえないけど、多分こう叩いときゃ大丈夫」ってか、そう云や叩きながら歌うのも常にあったしね。
それがBONZOになると普段のショットは正反対傾向だが、不思議なのは指を使う叩き方の時は異常にストロークが大きくなる処だ。

細かく素早くすれば普通は逆になるのに何故とずっと疑問だったが、身体の重さを掛けられるか観点で気付きが出た。
指以外も使える時は重さをバチへ載せられるが、連続リバウンドフル活用時はそれが不可能になる。
激重の腕は脱力するとその分瞬時に落ちそうで、下手に普通人のストロークにしたら直ちにオーバーパワーで太鼓を壊しちまうのかも知れぬ。

だが指ストロークではこの絶大な重量パワーは利用不可なので、音量低下を避けるにはどんなに大変でもストロークを確保するしかなさそうって推論だ。
しかし何となく分析出来ても巨漢の外人以外不適応な方法で、悲しいかな分かったのは真似不能なだけだった。
けれどそんな輩達よりゃこちとら身軽な訳で、俺言いRingo式を採り入れて上を目指すしか無さそうだ。

超ローカルだがこれの類似案件が従兄と俺の間でも生じていて、かつてはずっと従兄≒Ringo・俺≒BONZOだったのが何時の間にか逆転していた。
従兄は太鼓奏法ヲタ且つ講師なので省エネ打法の追及の結果か、高度な技術体得のせいかスッカリ「小振り」になっていた。
2人の間比較では彼がしなやか系・こっちがゴリ系だったからか、俺はずっと「ちゃんと振る」のが億劫だった。

結局はお互い「無い物ねだり」憧憬の様な気もするが、従兄は毎日先生やってる内に前より腕が重くでもなったんだろうか!?。
苦手挑戦も腕向上や可能フレーズ増加には役立つから無駄じゃないけど、少なくとも俺程度の半端な腕なら本道優先が宜しかろう。
太鼓演奏だけが好きなら別だが、曲を演る方が大事なら骨格が成立せんと非実用的になっちまうからね。

次は前回「皮の揺れ感」の件で、バスドラをSimon Phillipsみたいなウルトラローピッチにした時の補足。
従兄の近代TAMAでは物がサイズ以外全く同じなのでそのまま普通に行けたのは当然だが、宅の骨董Ludwigでは体験を具体的に述べるとBassと合奏時に奏者本人により聴こえ難くなるのだ。
古いの程ある意味「近くより遠くでの音を重視した設計」なので、ハイピッチ以外では元から奏者聴き取りは劣っている。

但し別項に記した如く
近代TAMAの眼前で目立っても、録ったら違ってて意外とバスドラの「含有量」は減ってた現象がある。
けれど骨董での逆現象も度が過ぎると目立た無さ過ぎとなって、録れるけど合奏自体にかなり苦労が伴ってしまう。
なので相当アベレージが強く踏めないと、骨董でウルトラローピッチは実用性に乏しいと云う事だ。

さてこの
ウルトラローには知識不足が原因もそれ用の配慮が必要で、Simon氏と同モデルのTAMAでもまんまでやるとボルトがすぐに緩んで来た。
これのウッドリムが角ばってるからかフックがダイキャスト製で、鉄板プレス物より柔軟性が無い。
リム自体も俺感覚じゃ木製と思えない程強固で、普通のピッチで使うなら狂い難いのかも。

だが皮がぶたれて揺れてリムへの応力が変動すると、その最弱時にボルトが回ってしまう様なのだ。
ウルトラロー=ボルトテンションが極限迄低いとなると、そこから下がれば瞬間的にノーテンションとなってそうだ。
これが各部がヤワだったら伸縮があるのでゼロにはならなさそうだが、それ位皮以外は微動だにしない位じゃ無いと今度はウルローじゃ鳴りが劣化しそうだ。

今週の実験を別項に記すがそれの兼合いで偶然発見したのが、メーカーから純正で
出てた「バスドラム用ラバーストッパー」なる物だ。
現況で他社では見掛けないのでハテはSimon氏御用達と推察、ついでで購入し従兄の処で装着してみた。
長時間経過の具合は未明だが取敢えず踏んでる内にドンドンってのは無くなり、ウルロー化以前のピッチでも俺のバカ脚踏みで少しピッチが下がったりしてたのも起きなかったから効果はあるみたいだ。

更にウルローでちょっと驚かされた気付きがあったのが、余韻の性質の変化とミュートの役割が普通と違った処だ。
ピッチが下がれば余韻も正比例で短くなるのは分かってたが、その音量の下がり方は飽く迄徐々にだった。
それがまるでバネ最弱Speedkingの挙動みたいに、初めの1往復はワイドなのに直後はもうガクンと皮が揺れなくなっていた。

後から理屈で考えれば当たり前なんだけど、中々そこ迄下げてそこそこの音量が得られる事が無いので想像が付かなかった。
でもだから本家が両面張り・打面側のみ軽ミュート・オープン踏みなのに、タイトな音になるのねである。
それどころかクローズで踏むとあたかも音程がオクターヴ上がったかの如しで、リバウンド最弱だからか前出「
1往復」の間は「触っちゃダメ」って感じだ。

皮がすぐ止まるとなるとその為のミュートじゃないのは明白で、音色も倍音の音域が下がるからかミュート有無でそんなに変わらなくなっている。
とすると万一不要共振が起きた場合の保険みたいな、役どころが変化してる事になる。

只まあ鳴るにしても最大音量が出る領域からは逸脱してる訳で、一般レベルより弱くしか踏めない様なら非実用的かも知れぬ。
今はRock系だと「生でもPA」だから可能だが、本生だと厳しくなりそうだ。
それと再三の指摘通り「録ったら思ったよりちっさい」懸念は健在そうで、尚且つ「
1往復」分しか正規音量!?が出ないから音の量は少なくなる。

<つづく>

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