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2018年10月30日 (火)

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(若干ヲタ)⑧

人の問題・道具の問題と来たから、録音面に突入するぞっと。
先ずは個人的に印象深いBeatles後期のRingoのFloor Tomについてで、有名な濡れタオルミュートを施した「のでない」のを取り上げる。
目的はズバリ「皮の振動の仕方」による低音の表現で、それが為かTom2つをミュートしてるのにFloorは無しってのが幾つかあった。
因みにバスドラはノーミュートだと鳴り過ぎて却って皮振動が目立ち難くなる様で、初期の作品とCome Togetherのを聴き比べだら一目瞭然だ。

俺個人はFloor音色としてはTomより低い音域の鳴りを出すのが好みだが、そのやり方だと万能ではない。
特にチューニングがローピッチだとかなり低音程になるので、周りの音次第で目立たせるのが困難になる。
でもそれを前述の
「皮の振動の仕方」で賄えば、実際の周波数は高いので埋もれる心配は激減するのだ。

この
「皮の振動の仕方」は高次倍音(基音から掛け離れる位高い周波数)に現れるが、ピッチが低い程皮の振動がゆっくりになるので結構如実に現れる。
だからメロタムやSnare等になるとピッチが高いので、殆ど「揺れ感」が分からなくなり言わば低いのの特権なのである。
またこの性質があったから現代の太鼓みたいに最低音部が大きく鳴らなくても、昔でも大口径・低音程の判別が可能だったのだ。

今の太鼓にしても電子音源と比べたら低域量は桁違いに少ないし、その出方の持続性だって断然劣っている。
けれどもサンプリングでも用いないと中々「皮揺れ感」は再現困難で、実用上は利点と苦肉の策の半々って処だ。
純電子音源は音程・音色では低域盛り沢山だが、サイズ感は鳴り方を遅くしたりする程度しか方式上含められない。

サイズ感若しくはスケール感は音程からの影響も少しはあるが、それより音の出方・鳴り方等の依存度が圧倒的に高い。
そうじゃないとCymbalの大きさ違いが無意味になるが、どんな素人にだってサイズ違いを順に鳴らせば誰にでも簡単に判られるのはこれが原因だ。
Beatlesの場合は音響的に当時でも制約or制限は軽重だったと思うが、それ以外の昔の録音現場ではこれしか表現方法が無かった事だろう。

体験的に近代TAMAと骨董Ludwigは弄り倒せたので知ったんだが、バスドラをSimon Pillipsみたいなウルトラローピッチにすると集音扱いに顕著な差が出た。
Tomより上では平気だがFloor Tomでも半分位は影響があり、その主因は設計ピッチの違いがもたらしている様だ。
骨董サイドはPA無しでも大きく鳴らせる必要があるので、口径毎に胴よりは皮の大音量になる音域に鳴るポイントが来るように調整されてる模様。

なので骨董で設計想定よりローピッチにすると音量低下の他基音と倍音のバランスが大きく変化し、基音に頼った集音をすると
そのままではTomより上との整合性が崩れる様だ。
それを
「皮揺れ感」へシフトすると解決するのは、皮の揺れ方自体は全体より違いが少ないからだ。
胴の影響はあるにせよ少なくともピッチ自体は口径と張りで決められてる訳で、特定の音程を出す揺れ方に相違は出様が無い。

そして
「皮揺れ感」には音程の他に音量にも関係性があり、揺れ幅は音量そのものなのだ。
弱く叩くと揺れると言うより最早僅かな震えとなり、
「皮揺れ感」は殆ど無くなる。
だから元は低音域のある意味擬似再現目的だが、音量の大小もそこに現れているのだ。
「風圧を感じる様なバスドラサウンド」なんてのもこれの典型で、ターゲットは眼前の生なら体感出来る空気の圧迫感だ。

だがMicは音は拾えても風は正しく拾えないし、音響録音装置は風は記録不可能。
今では映画鑑賞用等で超低音の振動を再生するイスなんてのもあるが、普段皆が何時もそれで音楽を聴いてくれはしない。
これの代替案発想で、風→何かが動く→太鼓の場合は
「皮の揺れ」へ辿り着いているのだ。

パワー面でこれに着目して最大活用された例がJohn Bonhamで、如何に大音量かを表現する目的だとZepのメンバーが言及している。
彼の録音でのドラムサウンドは随分広い部屋で演ってる印象があるが、響き(残響・反響)は出音に正比例し「太鼓本体以外で音量に依って音が変わる」大きなポイントだからだ。
つまり広い程「差」が強調される訳で、
もし狭かったり響きが無かったらどうなるかを想像してみるがいい。

実際に中期作品の幾つかでルームマイク不使用だったりしたのがあるが、聴き取り良好で高音質になった代わり個性は激減している。
では非力な凡人でも巨大な響く部屋で叩けばパワフルに聴こえるか!?、最初のほんの一瞬だけYesかもと答えとこう。
出だしの「ポン」が「ボワン」とか拡がるが、多分以降は響きに元音が負けて何演ってるのかさっぱり分からなくなるだろう。

BONZOの太鼓のエコーが大きいのは部屋の響きが多いからじゃ無く、元音の大きさにつれて大きくなってるだけなのだ。
差し詰め「普通の部屋でもこんなに響きます」アピールをしてるだけで、叩き手が変わればあんなに響かせるのは不可能なのだ。
Ringoは音色BONZOはパワーと目的は異なるが所謂1つの革命だったが、何とか「実際を聴者の耳迄届けよう」が根底にある。

悲しいかな現代本邦の下手錯誤模倣ではこの大前提が忘れ去られてて、ズルはしてみたものの副作用の方が強く出て収集が付かなくなってる様でみっともないったらありゃしない。
ゲスな表現だが通常録音現場は聴者の目につかないんだから、ヘボ男でも鳴らし切れるショボイ楽器にすげ替えたら良いのだ。※卑下にあらず
フェラーリを歩かせるより軽自動車だってフルに力走させれば、その迫力はかなりのもんになるんだからね。

全くの個人見解だが俺の若い頃より本邦でモータースポーツがマイナー落ちしたと感じてるが、その一因にスポーツカーの大型化があると思っている。
アメリカと比較するとあちらでは道はだだっ広いままで車は一時期よりエコで小さく、こちらでは安全・快適性と銘打って隘路のまま大きくしちまった。
道幅一杯の車ではカーブでのコース取りもへったくれも無く、只擦らない様にスリ抜けるしか走りの選択が出来ない。

環境との兼合いで誰でも同じ走りしか出来ないとなりゃ、他以上の性能を発揮するのにサーキット以外では高速でのスピード違反位しか残って無い。
後付けの寓話か本音かは定かでないが、CharはStratoよりショートスケールのMustang使用の効能を語っている。
巨大な手の外人が使う技を、楽器が小さくなった事で可能になったと。
外見と音のどっちをより大きくしたいのかと、似た様な話しだと思うのだ。

そうして何らかの手段で兎に角「ひ弱じゃない音」が出せた時、初めて色んな音響技だって本来の効力を発揮し始めるんだ。
ジャケット写真は見た目だから、ケチらずフェラーリでもF1みたいに思い切り凄いのにしときゃ良い。
けど音は車なら容姿ではなく「走り」なんだらさ、存分に走らせられなきゃどんなスーパーカーも「スー」がとれちゃって「パー」カーに成り下がるのが分かんないのかねぇっと。

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