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2018年10月28日 (日)

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(六応私的)⑥

この処少し精神寄りばかりだったので得意の物理方面へ寄せて行くが、今個人的に気になったのが本邦の楽器と音創りの矛盾である。
楽器は扱いミスの破損防止でどんどんゴツく、演奏ミスを隠したいからかどう演奏しても同じ音しか出ない様な方向へ向いている。
極最近は少し変化も感じられるが、それでも長い歴史からしたら偏りの解消にはとても至ったと言えない感じだ。

それでも単に機械音(打込み等)へ対抗出来れば良いのなら分かるが、本邦ではパワー感とか表情の乏しさを結局問題視して無理くり事後処理加工が横行してる有様だ。
でこれらの何が矛盾してるかっつうと願望的には痛い程同意だが、両者は完全に正反対のもので原理的に両立不能だからである。
特に近年本邦の様に小規模生パフォーマンスでも、「観客が聴ける音」は全て加工品となると尚更なのだ。

例えば楽器AよりBは2倍の音量を持ってたとしてもPAで等価されてしまうので、音量に依る迫力差を体感出来ない。
こんな状況下で効力を発揮するのは音量より音色で、ホントは非力でも死にそうな音色がするなんてのが存在価値がある筈なのだ。
で現況でそれに近いのは怪しげでヤワな骨董品等で、乱暴な表現だが「ボロいからホントに壊れそうな音」がしたりするのである。

従兄所持のTAMAのドラムセットも俺には不適合で、抜群の鳴りと安定感があるもパワー感や緊迫感の表現が欲しいだけ出せない。
尤も従兄自身はそれよりキレと安定を第一としてるので間違って無いが、Snareに限っては基本Ludwig系の昔からあったのばっかりだ。
つまりBass DrumやTomを敢えて無機質な感じにして、
Snareでの表現を強調させる魂胆らしい。

考えてみると従兄は俺と違って基本リズムにTomやFloorを使うのは稀で、楽曲上の必須が無い限りそう云う用い方をしていない。
奏者サイドとしても
極力Snareに集中したいから、他は比較的無神経に扱える方が良いかの様な事も言ってた気がする。
パッと見俺は過去の人で従兄は今の人みたいに映ってたが実態はそうでなく、従兄はある種裏技活用をしてただけらしい。

こう云った百戦錬磨の専門家なら活用法を会得してるが、そうでない者に選択肢が乏しいのは由々しき問題だ。
近年のゴスペルチョップス系の達人達はパワー・技術・速度のどれもを共存させてるが、道具でそれを実現してはいなく只単に滅茶苦茶巧いだけだ。
ちょっと以外感があるのは彼等の演奏中の「楽器修正」で、Hi-HatクラッチやCymbalの留めネジが緩んだのをしばしば叩きながら締め直してたりしてる処。

最近の我々の調査によると世界の達人達の多くがセットや契約ブランドが何であっても、
Hi-Hatクラッチだけは大多数がYAMAHAかDWの「昔からの」を半ば内緒で使用してるらしきが判明。
と言うのも従兄所持のTAMAのは特に薄軽Hatでは極端に鳴りを阻害してて、彼はそれに最近ずっと腐心させられている。
必ずしも物の良し悪しでは無いと思うけど、用途不適切にせよ傾向としては確からしい。

上記の2つは古典的で今や機能面では優れてるとは言い難いが、音色を優先してるらしい。
でここからがチョイと大事なんだがその「低機能!?」で不便しそうな気もするが、達人たちの様子を伺うと寧ろ逆らしいのだ。
「簡単に緩む」は欠点だが、頻繁に「途中で緩めたかったり」したらそれがどうなるかだ。
従兄提供の専門的情報によればツーバスやツインペダル常用者だと、途中で「Hatの開き」を変更する事があるんだそうだ。

そう言われてみると最近登場した4点締めクラッチは片手操作が困難で、手回しナットの位置もバチを持ったままでは無理そうだ。
要は「弄れる代わり動くかも」「動じない代わり弄り難い」の選択が可能となっただけで、結局今でもまだ完全な両方はやはり原理的に無理でしたって事だ。
達人達はそれを寧ろ「そんなもんだ」と受入れて対応策の腕の方に磨きを掛けた様で、「簡単に治せる」となれば気にならなくなれてる様だ。

私的案件では皮の交換時にどんなのにするか逡巡した時期があったが、当初は耐久性を重視して
Emperorを用いてみていた。
使ってみると厚くても2枚重ねで各々は決して厚くないせいか、大した寿命の延長は得られなかった。
音色的に太くなるのは私的には好都合だったが、叩く強さによる音色差が出難い点も却ってパワー感の演出に負の作用をもたらしてた感じだった。

以降は1枚物で厚めのを探してるが、経済事情からSnare打面用以外は該当品が見つかっていない。
こんな懐状況なので少し前まで千載一遇で「ご自由にお持ちください」をフル活用してたが、半ば当然乍ら標準若しくは薄目の皮しか無かった。
けれども叩き方の方でこなれて来ると、当初予想よりは力感のある音も出せるのを知った。
決してあからさまに太くは出来ないが上手くしっかりショット出来ると、その代り目一杯感では却って優れていたのだ。

こうなってみると物理的強度等では確かにゴツイのはそのまま反映されるが、音とか表現と云う事になると案外反比例する場合も多いみたいだ。
如何なる場合でも並より太い等の一点でなら、厚い皮は有効だ。
しかし俺言い「不毛な太さ競争」に陥ると、それも効果は無くなってしまう。
これは自身がかつてハマって苦闘したから断言出来るんだが、想像では全部太ければ全体が逞しくなるとにわか妄想をしていた。

実際は妙に暑苦しくなっただけで寧ろ鈍くなった様に聴こえたが、全員が同じ強さなら勝負が必ず引き分けにしかならないのを気付けなかったからだ。
負けずに勝ちたいのが人情だが、負けが無いと勝ちの価値も無くなるのだった。
「勝ち」を必要に応じて自由に与えるには、「何もしなければ」全てが普通になる加減にしとくのが良かったのだ。

<つづく>

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