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2018年10月13日 (土)

Speedkingよもやま話⑩ペダル論争×→談義○

今週の実験の後従兄とペダル論争もとい談義へ発展中だが、その中で耳寄りな初耳の実験談が出て来たのでそれから。
若い頃なら掴み合い寸前の論争となったかもだが、現実は体力・気力より知識由来で懐がお互い広がったお陰の様だ。
一点だけで停滞しなくなると思わぬこぼれ話も漏れて来たリするらしく、もっと俺が早く大人になれてら既に訊けてたかもと小反省。

その実験とはバスドラペダルで、今回Hi-Hat Standでやった様に取替えられるのは全部の組合せを試したんだそうだ。
っても主にビータだけではあるが、その結果彼等の想定恐らくは一般認識とも実際が正反対だったんだって。
因みに彼等とは太鼓の先生の従兄と我々共通の古い友人の息子さんで、一頃暫く生徒として習いに来てた期間での事だそうだ。

先の一般認識とは皮を直に打つのはビータなのでスティックと同様音色を、ペダル本体は演奏性(踏み心地)を左右するだろうと云うもの。
俺もSpeedkingで実体験する迄はずっとそう信じてた口で、他のペダルでもほぼ全ててそれが真逆だったとは今更ながら驚いている。
それもSpeedkingは調整箇所の少なさのせいで「そう見えるだけ」、との思い込みも見事に消し飛ばされてしまった。

たられば式思考をすると従兄が今一フィットしなかったのが、少しビータを短めにしたら普通のは普通に踏める様になったのを思い出したりしている。
「踏み心地」を言われるとどうしようもない側面が出て来るが、それであればこそ本来なら踏力の強い物程使い手を選ぶ筈だ。
しかし現実はこれも逆の事例が多そうで、俺論の自信は風前の灯火になる…ならないんだわそれが。

ペダル=音色も俺言い「手足一緒論」に則って
チョイと物理分析してみると、重さやバネ強さはバチのサイズや重さに対応すると看做せる。
ビータもヘッド部分は位置関係的にスティックチップと対応するが、ではシャフトの長さはバチ自体の長さだろうか!?。
この疑問を大抵はクリア出来ぬので実際の真逆と誤認する様で、バチは実演奏時は手加減等によって実は長さは変動している。
でもビータシャフトはネジ固定なので、演奏中の長さは絶対不変と大違いだ。

そこで手で長さが不変なのの対応箇所を探すと、「1の腕」(そんな表現あるか知らんが2の腕より前なので)が一番至近にあった。
体が違えば同じバチに相性の良し悪しが出るのも尤もで、足演奏では指活用が著しく限定される為「1つ上へずれる」と云う事の様だ。
また裏を取るならばペダルはフットボード上の踏み位置を演奏中に変えられるし、それで音色の加減等も確かに可能だ。

ここからペダルでもHi-Hatの方へ移行してくが、近年ではJazz 4Beatのバックビートをフットハットで等のニーズは激減している。
それでより分り難くなってる嫌いがあるが、今週の実験結果を踏まえると実はバスドラ以上にHi-Hatの方が神経を使うべきかもと俄かに深刻度が上がって来た。

先ずは比較の容易化としてフットハットを取り上げてみると、バスドラにはビータがあるがハットにはもうその部分が無いッ!!。
足とフェルト以外に調整の仕様が無く(バネ強さ可変のがあるが主目的が音色ではないので)、その分
Hi-Hat Standの責任度は重くなりそうだ。
加えてバスドラならペダルはリム装着なのに、
Hi-Hatはフェルトを介すものの「直付け」なんだから尚更だ。

今では演奏は手が主で足動作が従だが、
Hi-Hat StandはTomでならホルダーも兼ねてるのを忘れるとこれも大変だ。
Tom等太鼓にはRims等の切り札が用意されてるが、その要素迄本来はStandが担っている訳だ。
最終的にはバランスの問題だろうけど、演奏性はとても重要だが俺は音色の方が先に大事だと思っている。

だって欲しい音が出なけりゃ操縦する意味がないもの、音楽の名の通り音と楽しいが基本条件だと思うんだわ。
それに演り易いと云っても熱意が生じぬなら発展・向上は見込めないので、「最初が良いだけ」ですぐ飽きて放置でもしちまいそうだ。
余りに負荷が高ければ挑戦意欲を削がれるが、継続性のあるものにはそれなりの負荷はあってもいやあった方が良いのだ。

楽器演奏自体が今じゃ打込み等で簡単に誰でも音楽を作れるのに、わざわざ知って覚えて慣れてと一番遠回りのルートを選んだも同然。
一般平均感覚の人からしたら新幹線で行けるのを知らないローカル線の乗り継ぎにして、それを自慢する乗り鉄みたいなもんで所謂「物好き」でしかない。
面倒は少しでも誰もが避けたくて当然だが、好きな音の為の少しのにでもそれを感じる様なら演奏家に不向きか心の病だろう。

意味のとか意義のある苦労の経験値が高ければ、こんな過ちに染まり切る心配は無い。
油断大敵火がボウボウで案ずるより産むが易し、どのみち「無苦労」も無けりゃ「無楽」だって無くて何時も両方併存しかない。
それを偏って感じられるのは大抵はタイミングが原因で、そこは確かに中々巧く合わなくて困るもんではある。

<つづく>

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