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2018年10月10日 (水)

J-POPサウンドの間違い探し③

前の流れから今回は「音圧」をテーマとするが、専門職以外の者にとっては聴感上の問題となる。
最近常々俺が気になるのは無暗に何にでも深いコンプを施す点で、これは単なるローファイ化になるだけなのだ。
本邦レコード会社のお偉いさんはよっぽど昔のAMラジオやテレビの「悪い音」が好きなんだろうかと、つい勘繰りたくなってしまう。

実際力感とか密集度・一体感の点ではそれなりに効果はあるが、単なるローファイは真の明瞭度やリアルさは殆ど犠牲になってしまう。
本来プロが意図的にこれらを取り入れる場合は上の点にも注意を払い、必要部のみ限定とか丸々施す事はかつて無かった。
全部にしたら冒頭の通りで一般聴者には単に音が悪いと思われるだけとなるし、マトモなプロデューサーやパフォーマーだったら高い金払ってこれかと文句を言われるだろう。

俺的にはこの大きく初歩的な恥ずかしい錯誤は、知識不足が最大の原因だと見ている。
巧く使いこなすにはやはり「技の本質」は必修要項で、それには最初は簡単で良いから歴史を辿るのが大切だろう。
かなり以前から触れてる通り「音色創作コンプ」は、スタジオに籠ったBeatlesの「おウチでも生みたいな」対策が嚆矢だ。

ここで要注意なのが当時は機器性能の問題で、どう頑張っても現代みたいに「ありのままを収録する」のが不可能だった点だ。
コンプ使用は苦渋の決断・苦肉の次善の策だっただけの話しで、わざわざ自信を持って創り上げた音を変えたい筈が無いのに我々はもっと気付くべきだ。
演ったままと録ったのがどうにも違っちまうから、仕方無く修正しようとしただけなんだよ。

もう1つ注意すべきなのが電気楽器音の扱いで、一部例外を除き電気楽器用アンプは元から「弱いコンプが掛った音」になっている処だ。
電気楽器とオーディオの両方にそれなりに携わってないと認識し辛そうだが、楽器用は意図的になるべくそうなる様に作られている。
器楽音の認知の問題も結構「三つ子の魂百まで」が強いもんで、初めて耳にしたのの印象が強い程それに近いと「あの楽器だ」と捉えられる。

エレキの黎明期に現代比では音響は非リニアしか無かったが、それが人々へエレキの音として刷り込まれているからだ。
そして特にエレキギターの音色は歪ませる程自動的により音量
均一化が促進され、生の太鼓とは音響的に正反対の性質を持つ様になる。
なのでアンサンブルの整合性を求むるならば、生度の高い物程コンプして生度の低い物には極力コンプが掛らない様にした時程音が揃うのだ。


よってギターへ綺麗な歪みのエフェクタを掛けてるその後でコンプするのは愚の骨頂、且つ実質的には有意義な効果は全く望めない。
万一そんな事をしたくなる様ならそれはエフェクタ選択ミスが原因で、もっと雑でもワイルドな音色の機種を用いるべき状況だったってこった。
普通は何でも汚すより綺麗にする方が大変なので間違え易いが、この件では単に雑音を増やしたりするのではないから当て嵌まらない。

一たびポマードやグリースで整髪してしまうと幾ら掻きむしった処で、シャンプーしないと自然乾燥させて乱れた様な感じには出来ないのと同じなのだ。
大元が生の人の演奏では電気的後処理に出来るのは、整える方の一方通行路なのだ。
もし機械で意図的に乱すにしても奏者の意図を完全に履行するには、その為の情報を特別な手段で先に記録でもしておかなければ再現不可能。

もっとミクロな視点になるが例えばMic1つとっても、厳密には入力レベルによって周波数特性は微妙だが必ず変化する。
音を電気信号に変換する核心部分は未だ完全アナログのしかないが、アナログ機器の動作は一切の例外無く全てが「徐々に」だからだ。
そもそも音自体が空気振動で環境の影響をモロに受けるので、デジタルチックな世界観はハナッから無意味で通用しないのだ。

これらを忘れないがしろにして幾ら「無理加工」を試みた処で、所詮は「暖簾に腕押し」と虚しい結果しか招かない。
そこ迄無駄な苦労をする位だったら単純に練習する方が確実に音は良くなり、「後で無理して」に対し「最初から」なので効果も桁違いに大きくなる。
先に記した通り電気的操作は受動的作用しか持たず、能動的に柔軟に作用するのは今だって「演る方」オンリーなのだ。

こうなって来ると課題となるのは「POPに何処迄音圧が必要なのか」で、極端にひ弱にでもならなければハッキリ言って「不要」で御座居ます。
「最初」なら生の癖に打込みっぽいのも新鮮だけど、効能があるのはせいぜい3年位が限度じゃないんスカねぇ。
それに何と言っても正確さ等では機械に勝てっこないし、その逆もまた真なり。
やはりそれぞれの特徴は無理に改変するより、上手に活用するのを考えた方が利口なんじゃないのかな。

また近年のAKB48を筆頭とする「成長過程を楽しむ」アイドル文化の観点に沿えば、許容範囲の失敗はそのままとした方が可愛さアップになるのでは。
ポピュラー音楽は「親しみ易さ」命なんだから、クラシックの大御所の名手に対抗する様な真似は寧ろホントはマイナスでしかないでしょうよ。
上手い下手より綺麗汚いより、身近さとか独特の個性とかそう云った魅力にもっと注力したらもっと楽しめる物になる筈なんだよね。

或は若干無責任な提案だが打込み専門のバンドなんてどうだろう、各パート専属でって俺は未だそんな存在を知らないが。
そしてLiveでは歌はどっちでも良いがダンスパフォーマンスに専念する、俺知りでは近年の若年層では勉強よりスポーツより踊りの上手い奴が神らしいし。

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