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2018年10月

2018年10月30日 (火)

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(若干ヲタ)⑧

人の問題・道具の問題と来たから、録音面に突入するぞっと。
先ずは個人的に印象深いBeatles後期のRingoのFloor Tomについてで、有名な濡れタオルミュートを施した「のでない」のを取り上げる。
目的はズバリ「皮の振動の仕方」による低音の表現で、それが為かTom2つをミュートしてるのにFloorは無しってのが幾つかあった。
因みにバスドラはノーミュートだと鳴り過ぎて却って皮振動が目立ち難くなる様で、初期の作品とCome Togetherのを聴き比べだら一目瞭然だ。

俺個人はFloor音色としてはTomより低い音域の鳴りを出すのが好みだが、そのやり方だと万能ではない。
特にチューニングがローピッチだとかなり低音程になるので、周りの音次第で目立たせるのが困難になる。
でもそれを前述の
「皮の振動の仕方」で賄えば、実際の周波数は高いので埋もれる心配は激減するのだ。

この
「皮の振動の仕方」は高次倍音(基音から掛け離れる位高い周波数)に現れるが、ピッチが低い程皮の振動がゆっくりになるので結構如実に現れる。
だからメロタムやSnare等になるとピッチが高いので、殆ど「揺れ感」が分からなくなり言わば低いのの特権なのである。
またこの性質があったから現代の太鼓みたいに最低音部が大きく鳴らなくても、昔でも大口径・低音程の判別が可能だったのだ。

今の太鼓にしても電子音源と比べたら低域量は桁違いに少ないし、その出方の持続性だって断然劣っている。
けれどもサンプリングでも用いないと中々「皮揺れ感」は再現困難で、実用上は利点と苦肉の策の半々って処だ。
純電子音源は音程・音色では低域盛り沢山だが、サイズ感は鳴り方を遅くしたりする程度しか方式上含められない。

サイズ感若しくはスケール感は音程からの影響も少しはあるが、それより音の出方・鳴り方等の依存度が圧倒的に高い。
そうじゃないとCymbalの大きさ違いが無意味になるが、どんな素人にだってサイズ違いを順に鳴らせば誰にでも簡単に判られるのはこれが原因だ。
Beatlesの場合は音響的に当時でも制約or制限は軽重だったと思うが、それ以外の昔の録音現場ではこれしか表現方法が無かった事だろう。

体験的に近代TAMAと骨董Ludwigは弄り倒せたので知ったんだが、バスドラをSimon Pillipsみたいなウルトラローピッチにすると集音扱いに顕著な差が出た。
Tomより上では平気だがFloor Tomでも半分位は影響があり、その主因は設計ピッチの違いがもたらしている様だ。
骨董サイドはPA無しでも大きく鳴らせる必要があるので、口径毎に胴よりは皮の大音量になる音域に鳴るポイントが来るように調整されてる模様。

なので骨董で設計想定よりローピッチにすると音量低下の他基音と倍音のバランスが大きく変化し、基音に頼った集音をすると
そのままではTomより上との整合性が崩れる様だ。
それを
「皮揺れ感」へシフトすると解決するのは、皮の揺れ方自体は全体より違いが少ないからだ。
胴の影響はあるにせよ少なくともピッチ自体は口径と張りで決められてる訳で、特定の音程を出す揺れ方に相違は出様が無い。

そして
「皮揺れ感」には音程の他に音量にも関係性があり、揺れ幅は音量そのものなのだ。
弱く叩くと揺れると言うより最早僅かな震えとなり、
「皮揺れ感」は殆ど無くなる。
だから元は低音域のある意味擬似再現目的だが、音量の大小もそこに現れているのだ。
「風圧を感じる様なバスドラサウンド」なんてのもこれの典型で、ターゲットは眼前の生なら体感出来る空気の圧迫感だ。

だがMicは音は拾えても風は正しく拾えないし、音響録音装置は風は記録不可能。
今では映画鑑賞用等で超低音の振動を再生するイスなんてのもあるが、普段皆が何時もそれで音楽を聴いてくれはしない。
これの代替案発想で、風→何かが動く→太鼓の場合は
「皮の揺れ」へ辿り着いているのだ。

パワー面でこれに着目して最大活用された例がJohn Bonhamで、如何に大音量かを表現する目的だとZepのメンバーが言及している。
彼の録音でのドラムサウンドは随分広い部屋で演ってる印象があるが、響き(残響・反響)は出音に正比例し「太鼓本体以外で音量に依って音が変わる」大きなポイントだからだ。
つまり広い程「差」が強調される訳で、
もし狭かったり響きが無かったらどうなるかを想像してみるがいい。

実際に中期作品の幾つかでルームマイク不使用だったりしたのがあるが、聴き取り良好で高音質になった代わり個性は激減している。
では非力な凡人でも巨大な響く部屋で叩けばパワフルに聴こえるか!?、最初のほんの一瞬だけYesかもと答えとこう。
出だしの「ポン」が「ボワン」とか拡がるが、多分以降は響きに元音が負けて何演ってるのかさっぱり分からなくなるだろう。

BONZOの太鼓のエコーが大きいのは部屋の響きが多いからじゃ無く、元音の大きさにつれて大きくなってるだけなのだ。
差し詰め「普通の部屋でもこんなに響きます」アピールをしてるだけで、叩き手が変わればあんなに響かせるのは不可能なのだ。
Ringoは音色BONZOはパワーと目的は異なるが所謂1つの革命だったが、何とか「実際を聴者の耳迄届けよう」が根底にある。

悲しいかな現代本邦の下手錯誤模倣ではこの大前提が忘れ去られてて、ズルはしてみたものの副作用の方が強く出て収集が付かなくなってる様でみっともないったらありゃしない。
ゲスな表現だが通常録音現場は聴者の目につかないんだから、ヘボ男でも鳴らし切れるショボイ楽器にすげ替えたら良いのだ。※卑下にあらず
フェラーリを歩かせるより軽自動車だってフルに力走させれば、その迫力はかなりのもんになるんだからね。

全くの個人見解だが俺の若い頃より本邦でモータースポーツがマイナー落ちしたと感じてるが、その一因にスポーツカーの大型化があると思っている。
アメリカと比較するとあちらでは道はだだっ広いままで車は一時期よりエコで小さく、こちらでは安全・快適性と銘打って隘路のまま大きくしちまった。
道幅一杯の車ではカーブでのコース取りもへったくれも無く、只擦らない様にスリ抜けるしか走りの選択が出来ない。

環境との兼合いで誰でも同じ走りしか出来ないとなりゃ、他以上の性能を発揮するのにサーキット以外では高速でのスピード違反位しか残って無い。
後付けの寓話か本音かは定かでないが、CharはStratoよりショートスケールのMustang使用の効能を語っている。
巨大な手の外人が使う技を、楽器が小さくなった事で可能になったと。
外見と音のどっちをより大きくしたいのかと、似た様な話しだと思うのだ。

そうして何らかの手段で兎に角「ひ弱じゃない音」が出せた時、初めて色んな音響技だって本来の効力を発揮し始めるんだ。
ジャケット写真は見た目だから、ケチらずフェラーリでもF1みたいに思い切り凄いのにしときゃ良い。
けど音は車なら容姿ではなく「走り」なんだらさ、存分に走らせられなきゃどんなスーパーカーも「スー」がとれちゃって「パー」カーに成り下がるのが分かんないのかねぇっと。

2018年10月29日 (月)

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(気持ちは公的)⑦

前回でっち上げた!?「不毛な太さ競争」をもう少し解析してくが、音色に対する感覚の出発点から再確認してみよう。
楽器に長く携わってたりすれば別だが楽器の詳細な差迄は、少なくともポピュラー音楽の顧客で判別可能者は少数派だろう。

それが出来て損はしないが音楽自体を味わい楽しむのに必須でも無く、知ってるが為余計な細かい処へ気を取られる方が却ってマイナスにすらなる

予備知識の少なさは逆に印象面では敏感化したりもしそうだが、楽器単体の
最初の1音のみで太さ等を正確に把握出来る可能性はとても低い。
しかも特定の楽器に耳を傾ける事も歌以外は少なさそうで、となると「単体単位」での音色演出はとても効果が低いとなる。
この環境下で音色に効果があるのは、すべからく「対比」となって来るのだ。

第1段階としてSnare太さを優先するなら、他楽器へ注文を付ける以前にドラムセット内で「そう聴こえる」状態を作る必要がある。
必ずしも一点豪華主義を勧める気は毛頭無いが、目的物を最大に強調したいなら他に方法は無い。
10:0より7:3とかになれば、最優秀者の勝ち星は減るし負けも付くんだから。

第2段階として太鼓太さを優先したい場合、多少従前より難しさが出て来る。
他パートの誰一人己の音に太さを求めて無ければ別だが、そんなのは滅多に無いだろう。
喧嘩別れして情けない連中を集め直したければ止めはしないが、果たしてそれで求めるアンサンブルサウンドが得られるのは稀有だろう。

現実的なのは相談して曲や場所で分担する事で、アンサンブルにとってもそれは有意義に働くだろう。
但しこれを上手に実現させるには、必要に応じて太くも細くも出来る様でないとならない。
気分的には普段から太くたって強調する際更に太くすりゃ良いじゃん等と言われそうだが、落差が小さければ効果も小さくなってしまうのに気付くべしだ。

奏者の個人差から来るデフォルトの太さは様々だろうけど、普段=普通としとくとその人なりにせよ太細の両側加減巾が確保出来る筈だ。
もし叩き方や道具選択を大きく誤ってでもいると不可能になるが、そうじゃない限り必要な巾は得られるものだ。
もしその人の音が道具如何で極端に変質する様な場合、ある意味それは不適合な道具かもと確かめた方が良いと思う。

その時の一点だけの着目で良さげと感じても、他の「見てない部分」の様々な個性や魅力が削がれている可能性があるからだ。
奏者の聴いて欲しい所と聴者のそれは一致する方が少ない位だし、大抵その様な「何処かが足りない音」はアンサンブルに入ると埋没するものだ。
これの1つの判定方法のキーワードは「自他共に」で、そうなれてると駄目出しを喰らうのも減らせそうだ。

第3段階からがある意味本筋となるんだが、前述の如く普段は「普通じゃなきゃダメ」をどう上手く処理するかだ。
曲によってはひたすらか細くしてOKもあるかもだが、一部にせよ「太くしたい」って事は頼りなくなるのは無しって事が多そうだ。
それには音色に依存せずに、逞しさ等を表現出来る様になる必要が出て来る。

それを実現するのがなるべく普通な道具を用いる事で、大変だが飽く迄叩き方であらゆる音が得られる様にするのが唯一の道だ。
しかし普通の歌物Rock BandならJazzやClassicより繊細方面は不要だったりするから、いきなり万能を要求される程困難な訳じゃ無い。
要は得意なのとか十八番位は、せめて自身で何とかしろって事だ。

 

奏者のパーソナリティが著しく乖離してれば困難かも知れぬが、心底好きなジャンルであれば滅多にその心配は無い。
そもそも上記が達成されてない事には○○ドラマーになれないんだから、他のアンサンブル構成員から排除されるのも時間の問題だ。
例えばRockなら小さ過ぎがJazzなら大き過ぎがご法度とかジャンル次第で優先事項は異なるが、そもそもこれ等が成立してないと「○○を演ってる」に聴こえないんだから。

これ等まとめて俺言い比喩をさせて貰うと、自転車で速く走ろうとしてる場合こんな感じになると思う。
楽器に頼り過ぎが補助輪付き・音響後処理に頼り過ぎはレースコースに文句を付けてる様なもんで、補助輪があるとカーヴで車体を深く傾けられないからスピードが出せないって具合だ。
単に音なら直線オンリーもあるけれど、曲となると字の如しで大抵は必ずコースの何処かに曲線が出て来ちゃうんだよね。

そうは云っても壁にぶち当たったり色々障害が訪れるが、もしそんなに困難な事なんならもっとドラムに挑戦する者が稀になってるだろう。
人によって時によって適合する方法は違うだろうけど、暫く美味くないからって簡単に諦めないで欲しい。
少なくとも基本的には自力でと云う正しい認識さえ維持出来てれば、いづれ必ず道は開けるのだ。

道具主体は効果が直ちに出るので目立つが、腕はちっとも上がらないのに大枚巻き上げられている。
稼ぐのだけは大得意の方は勝手にやっとくれだが、同じの買ったヤツのと殆ど同じ音が出るだけなんよ。
そしていち早く使いこなして運良く流行ればラッキーだけど、そんな時に限って猫も杓子も買っちゃうからアッと言う間に在り来たりになって寿命が終わっちまう。

2018年10月28日 (日)

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(六応私的)⑥

この処少し精神寄りばかりだったので得意の物理方面へ寄せて行くが、今個人的に気になったのが本邦の楽器と音創りの矛盾である。
楽器は扱いミスの破損防止でどんどんゴツく、演奏ミスを隠したいからかどう演奏しても同じ音しか出ない様な方向へ向いている。
極最近は少し変化も感じられるが、それでも長い歴史からしたら偏りの解消にはとても至ったと言えない感じだ。

それでも単に機械音(打込み等)へ対抗出来れば良いのなら分かるが、本邦ではパワー感とか表情の乏しさを結局問題視して無理くり事後処理加工が横行してる有様だ。
でこれらの何が矛盾してるかっつうと願望的には痛い程同意だが、両者は完全に正反対のもので原理的に両立不能だからである。
特に近年本邦の様に小規模生パフォーマンスでも、「観客が聴ける音」は全て加工品となると尚更なのだ。

例えば楽器AよりBは2倍の音量を持ってたとしてもPAで等価されてしまうので、音量に依る迫力差を体感出来ない。
こんな状況下で効力を発揮するのは音量より音色で、ホントは非力でも死にそうな音色がするなんてのが存在価値がある筈なのだ。
で現況でそれに近いのは怪しげでヤワな骨董品等で、乱暴な表現だが「ボロいからホントに壊れそうな音」がしたりするのである。

従兄所持のTAMAのドラムセットも俺には不適合で、抜群の鳴りと安定感があるもパワー感や緊迫感の表現が欲しいだけ出せない。
尤も従兄自身はそれよりキレと安定を第一としてるので間違って無いが、Snareに限っては基本Ludwig系の昔からあったのばっかりだ。
つまりBass DrumやTomを敢えて無機質な感じにして、
Snareでの表現を強調させる魂胆らしい。

考えてみると従兄は俺と違って基本リズムにTomやFloorを使うのは稀で、楽曲上の必須が無い限りそう云う用い方をしていない。
奏者サイドとしても
極力Snareに集中したいから、他は比較的無神経に扱える方が良いかの様な事も言ってた気がする。
パッと見俺は過去の人で従兄は今の人みたいに映ってたが実態はそうでなく、従兄はある種裏技活用をしてただけらしい。

こう云った百戦錬磨の専門家なら活用法を会得してるが、そうでない者に選択肢が乏しいのは由々しき問題だ。
近年のゴスペルチョップス系の達人達はパワー・技術・速度のどれもを共存させてるが、道具でそれを実現してはいなく只単に滅茶苦茶巧いだけだ。
ちょっと以外感があるのは彼等の演奏中の「楽器修正」で、Hi-HatクラッチやCymbalの留めネジが緩んだのをしばしば叩きながら締め直してたりしてる処。

最近の我々の調査によると世界の達人達の多くがセットや契約ブランドが何であっても、
Hi-Hatクラッチだけは大多数がYAMAHAかDWの「昔からの」を半ば内緒で使用してるらしきが判明。
と言うのも従兄所持のTAMAのは特に薄軽Hatでは極端に鳴りを阻害してて、彼はそれに最近ずっと腐心させられている。
必ずしも物の良し悪しでは無いと思うけど、用途不適切にせよ傾向としては確からしい。

上記の2つは古典的で今や機能面では優れてるとは言い難いが、音色を優先してるらしい。
でここからがチョイと大事なんだがその「低機能!?」で不便しそうな気もするが、達人たちの様子を伺うと寧ろ逆らしいのだ。
「簡単に緩む」は欠点だが、頻繁に「途中で緩めたかったり」したらそれがどうなるかだ。
従兄提供の専門的情報によればツーバスやツインペダル常用者だと、途中で「Hatの開き」を変更する事があるんだそうだ。

そう言われてみると最近登場した4点締めクラッチは片手操作が困難で、手回しナットの位置もバチを持ったままでは無理そうだ。
要は「弄れる代わり動くかも」「動じない代わり弄り難い」の選択が可能となっただけで、結局今でもまだ完全な両方はやはり原理的に無理でしたって事だ。
達人達はそれを寧ろ「そんなもんだ」と受入れて対応策の腕の方に磨きを掛けた様で、「簡単に治せる」となれば気にならなくなれてる様だ。

私的案件では皮の交換時にどんなのにするか逡巡した時期があったが、当初は耐久性を重視して
Emperorを用いてみていた。
使ってみると厚くても2枚重ねで各々は決して厚くないせいか、大した寿命の延長は得られなかった。
音色的に太くなるのは私的には好都合だったが、叩く強さによる音色差が出難い点も却ってパワー感の演出に負の作用をもたらしてた感じだった。

以降は1枚物で厚めのを探してるが、経済事情からSnare打面用以外は該当品が見つかっていない。
こんな懐状況なので少し前まで千載一遇で「ご自由にお持ちください」をフル活用してたが、半ば当然乍ら標準若しくは薄目の皮しか無かった。
けれども叩き方の方でこなれて来ると、当初予想よりは力感のある音も出せるのを知った。
決してあからさまに太くは出来ないが上手くしっかりショット出来ると、その代り目一杯感では却って優れていたのだ。

こうなってみると物理的強度等では確かにゴツイのはそのまま反映されるが、音とか表現と云う事になると案外反比例する場合も多いみたいだ。
如何なる場合でも並より太い等の一点でなら、厚い皮は有効だ。
しかし俺言い「不毛な太さ競争」に陥ると、それも効果は無くなってしまう。
これは自身がかつてハマって苦闘したから断言出来るんだが、想像では全部太ければ全体が逞しくなるとにわか妄想をしていた。

実際は妙に暑苦しくなっただけで寧ろ鈍くなった様に聴こえたが、全員が同じ強さなら勝負が必ず引き分けにしかならないのを気付けなかったからだ。
負けずに勝ちたいのが人情だが、負けが無いと勝ちの価値も無くなるのだった。
「勝ち」を必要に応じて自由に与えるには、「何もしなければ」全てが普通になる加減にしとくのが良かったのだ。

<つづく>

2018年10月22日 (月)

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(五応私的)➄

少し遠回りな流れになるけれど、今週した新たな体験が役立ちそうなのでそれから。
お馴染み従兄の太鼓の先生のちょっと困った習性か、一旦終結した筈のバスドラペダル案件で「後出し」事案が発生。
彼が手本としたSimon Phillipsがその当時使用してたのと同一のを持ってたのを思い出したで、それの実験をしたいから付合えってのだった。

先に結論を言うと従兄が踏むと本人とは大違いの音に、俺が踏むとどのペダルでも大して変わらぬ音が出た。
奏者毎に体格も踏み方も違うだろうから当たり前ではあるが、その他に道具の影響度の高低もあるらしいのは改めて実感した次第だ。
そして従兄の場合は却って本人と少し異なるペダルの方が近い音が出せてて、逆に俺だとどうしてどれでも毎度の音しか出せなかったのか?。

分析へ進むがこれの最大の原因は脚重も含め、脚のパワーと速度の違いの様だった。
従兄の先生曰く「太鼓はその楽器が出せる限界音量に近付くと、色んな意味で似た様な音になってく」もんなんだそうだ。
物理的には基音と倍音の割合がこれをもたらしてるみたいで、強い(マトモに)程通常基音率は高くなるものだ。
基音は音色より音程等を司っどっているので、音色差が減少する訳だ。

一方従兄がそうなった主体は力ではなく踏み方の癖が原因だったが、これはSpeedkingで苦闘した過程で確認が取れてるので保証出来る。

Simon Phillipsみたいにするには俺言い「開いた柔らかい脚」から脱却出来て無いからで、目的に対し柔らか過ぎるアップヒールになっているからだ。
本家の参考例ではオープンを「ベタ足」で踏まれてるが、それでないと完全なオープンは特にバネ弱ペダルではとても困難だからだ。

へろへろ蛸
アップヒールは美フォームなので無駄力みが入らないのは良いが、打点時の「爪先の離脱」が遅れ気味になる弱点がある。
つまり最初は股関節から指令と動作が順番に爪先へ波及して行くが、その為奏者意識で踏むから上げるへ反転しても爪先にタイムラグが生じるのだ。
結果的に打撃瞬間の長さが僅かでも長目となり、超低音の生成を阻害してしまう。

特にウルトラローピッチではより皮の
振れ幅増加と時間延長の許容が求められるが、俺言い「ビータ離れ」の遅さで無意識ミュートしちまってる。
この件の詳細は過去に記してるのでご参照願うとして、結果的に従兄の現況ではある程度バネ強さで早く爪先を排除した方が低音が出るのだ。
しかし俺的には関心し兼ねるもので本来音を出す為だけには要らないバネ反力が加わり、「音を出す為の力」が幾分かでもペダルに横取りされてしまう。

これが音だけの影響ならまだ良いが実は労力への影響の方が大きくて、手に高度な技術があって楽な分従兄は余計踏みたがらなくなりそうだ。
俺が手下手の他にもすぐ脚で誤魔化したくなるのが多分逆現象が起こってるからで、これは長い目で見るとかなりな運命の分かれ道かも知れない。
従兄の場合は本人が何処迄求めてるか不明なのでここでは終りとするが、パワーや低音が欲しければ奏法的には「ベタ足」が最善策だ。

手の方でも下手に無理して小さな(動作範囲が)叩き方はしない方がと述べたが、高度な技術を駆使してなされるそれを決して否定は無い。
しかしもし高度技術が不要な場合、敢えて技術レベルを下げた分を基礎部分の加減等へ振り向ける事だって出来る筈だ。
太鼓の基本的な出音やノリを重視してたらどんなに簡単なフレーズでも暇になんかなりっこなくて、寧ろ数が少なく各音が目立つので余計神経を尖らせる位だ。

一流奏者だと無為に演ってもそれなりに上手いだろうけど、奏者内部を覗けば訓練度の高さが本件では災いし「思ったままが音に出てしまう」だろう。
だから技術面では何も労してなくても、他人に外から見える姿程は気持ちを緩める事が出来ないのだ。
これの典型例が前回記したJohnny吉長談なのだと思ったが、こう云う心持ちがあると奏法選択にも波及して然りとみえた。

上述「不要爪先残り」に着目すると柔軟アップヒールよりベタ足が桁違いに優勢だが、もしかしたら大元の求める音色の願望の「強さ」が現われただけなのかも知れない。
俺は
Simon Phillipsの音に対して特に興味は無くどうチューニングしてどう踏んでるかを、先日の実験迄ノーマークで全く知らなかった。
それが蓋を開けてみるとヘッドは穴無し両面張り・Micは内部仕込み・ベタ足踏みと、ピッチ以外はそっくりだ。(※全て我々が参考とした時期)

どうやら常に「ドンッ」とか「ズシン」とかバスドラでは重い音色を出そうとして試行錯誤した挙句、各個人の体格差等以外が必然的に近似になったんだろう。
因みにベタ足は脚上げ面では柔軟アップヒールより基本労力面では不利だが、Simon氏程の達人でも音色の為にわざわざ茨の道を選んでる事になる。
要は所望バスドラ音色がたまたま元から似てた結果なんじゃないかと感じられ、未確認だが従兄のそれは対俺比ではにわか仕込みと伺えている。

もひとつ因みに「踏めれば良い」ならどっちの奏法でも大差無いが確実に「出せる最低音を維持」を最優先にすると、実は柔軟アップヒールの方が過労となる。
その仕組みは確実に速攻爪先離脱させるには、ベタ踏みよりかなりストロークの余裕が必要になるからだ。
音量に不要な領域まで脚を上下させる事となるが、こうしとけば完全脱力で下がり切った爪先も流石にフットボードから離れるって寸法だ。

こうした観点に立てば何故Charlie Wattsがわざわざぎこちなく面倒な叩き方に、長らく固執してるかの理由も少し分かった気になれる。
キャリアの浅い人には実感が持てる話しじゃ無さそうだが、普段どう求めてるかも長い間にはこんな処に迄違いが出て来るとなると全く気が抜けない。
始まりは気持ちの話しだったが奏法選択迄異なって来るなら、実はちっとも精神論では無く純粋な科学的理論だ。

2018年10月20日 (土)

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(四応私的)④

少なくとも俺の体験ではSpeedkingは爆音面でもかなり優れてるのを述べたが、エエからかんに踏んだ場合は現代一般ペダルより大抵非力になる。
そこへも使い辛さを覚えられそうだが、現代一般ペダルならホントにアンサンブル内で足りてるかの確認が必要だ。

製造者にはちょっと申し訳無いが俺的に正直言うと、9割方今の道具だけでは足りてまへんだす。
これホントは道具だけのせいじゃなさそうだが、音色に騙されて奏者がしくじり易いって事かも知れませぬ。
取敢えずアタックは聴き取れたってんで油断したと、太鼓ってアンサンブル内ではそれで演奏の可否の判断するのが普通らしいからね。

実際体験的にもそれが有効なのは分かるんだけど、どうもこれにも但し書きがあるらしいんだわ。
つまり普通の音色ならOKだが、作為的にアタックが目立つ様にしてあったりするのの場合は該当しなくなって来るみたいなんだねぇ。
ドラマーより他楽器奏者や観客は離れて聴いてる訳で、眼前では目立つのが遠鳴りしてるとは限らないのよ。

太鼓以外の音も含めると体験的に、上記の眼前目立ちはどっちかっつうと遠鳴りしてない方が多かった。
これは高音は遮ってしまえば遮断できるが、低音だと空気的に遮断しても振動成分が通過して音漏れとなる防音の件でも実証されてる。
まあそもそもバスドラムの使命は低音だから極論するなら、アタックだけで良いんならCymbalでもメロタムでも他の何でも構わなくなっちゃうね。

そして通常はアタック音=高音・基音=低音(バスドラの場合は超低音)となるが、両者では指向特性(音の拡がれる向き)に違いがある。
音の指向特性とは音は物理的には空気の震えだが、この震えの空気中での伝わり方が音程の高低次第で異なるパターンに自然となってしまう現象だ。
高音は直線的に伝播するが低音は発音源から全方位へ球状に伝播し、前者は指向性が鋭い・後者は無指向性と呼称されている。


だから元からアタック音がそのまま聴こえるのは特定箇所限定で、ありのまま全部が聴こえてるのはバスドラ打面の表正面だけなのだ。
ドラムセットの客側正面でもハスドラフロントヘッドに穴があったり、それ自体を装着して無かったりすれば胴の中の打面ヘッドは見える。
なので少しはアタックが聴こえる様にはなるが上述「高音は遮られると伝わらない」から「裏面」なので、ドラマー比では全然小さくこもった音となっているのだ。

また多くの場合本番での舞台の配列等では電気楽器アンプは太鼓からはほぼ側面しか見えない位置関係になってるが、これはドラマーに聴こえる他楽器音が実際より低音中心に変化してる事になる。
そう云う位置関係故他楽器奏者が耳にする太鼓音もドラマーより低音中心化してて、各奏者は自分のはアタック音・他人のは基音を聴いて判断・加減する様な状況になりがちだ。

また賑々しいのの中だとアタックが明瞭に越した事無いけれど、鳴ったのが単に分かるのと全体で「ズンっ」とかになるののどっちが大事で必要かなのよ。
これも過去に別稿で述べたが低音てのは空気を沢山揺すらなきゃなんないから、どうしても発音エネルギーが結構要って減らせない。
それでもチューバで最低音を綺麗に鳴らすのよりはマシそうなので、無理に楽しようとしないのが賢明なんじゃないだろうか。

こうしてみると音楽に真の意味で都合の良い道具ってのは最初からフレンドリーなのじゃなく、自分にも他人にも正直なのの方が向いてると思った。
その意味では現代一般ペダルは、ちょっと罪な奴なんじゃないのか。
商業的に買うのは奏者でアンサンブル内の他楽器奏者じゃないから仕方無い側面があるのも分かるが、それでは恐らくモデル寿命が縮まる事だろう。
スタンダードがこれによってコロコロ変わるのでは、奏者の技量向上には負の寄与となりそうで困る。

処で大昔のドラムマガジンのインタビューでJohnny吉長氏の「んなもんは気合を入れて一発叩きゃ音はヌケる」ってのが載ってたけど、当時は只上手きゃそうなるのかなんてタカを括ってた。
今にしてみると実はこれが核心を突いてたの気がしてるが、絶対雑な気持ちにならずに音を出そうとするのが最も効果的なのの一表現だった様だ。

生だからなのか動作が他楽器より大き目だからか理由はまだ俺に分からないけれど、何故か太鼓は他楽器比では悪い意味でのテキトーが一切通用しないのだけは断言出来る。
では演奏がその分大変なのかってば必ずしもさに非ずで、サボりさえしなきゃムキになんなくても平気みたいだ。

個人差次第で俺だけか分からんが他楽器では普段物凄く手抜きしててもいざって時だけ必死こく感じで、そっちは休みは多いが時々大地震みたいなもんだ。
俺みたいに先に他楽器に慣れてると違和感解消に手間取ったりもしそうだが、太鼓はそれで言うなら浮き沈みが余り無い様な感じか。

そこからの太鼓の考えるべき点としては、出そうと思えば他を圧倒する大きな音が可能な楽器って処である。
電気楽器の最大音は機械的限界が絶対だが、生の場合は人次第でそれよりは融通が効く。
つまり足りなきゃ駄目だが大き過ぎも他からは迷惑と、自然と音が大きくなる所より要らん処で小さくなりがちなのへの注意がもっと要る様に思われたのだ。

更に演奏家個人のパワーを誇示したいだけなら瞬間最大のみに心血を注げば良いが、それは聴き手がドラマーだけを注視ししてくれてたらの話し。
そんなナルシス君こそ興味の無い人にも見て貰いたいのが人情で、となれば如何にアンサンブルとその中で存在感を発揮出来てるかが勝負になる。
どぉんと欲しいが他楽器奏者が皆フレーズの都合などで苦心してる時なんかに、太鼓が任せろって感じでビシッと決められれば決定的ヒーローの誕生だ。

2018年10月17日 (水)

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(三応私的)③

太鼓自体には未だ道半ばの俺だが、Speedking関連に限っては初期に苦闘したお陰でそれなりの体験はした自負がある。
このペダル音色は今でも世間で割と好評らしく異論は無いが、その音色面でアンサンブル内ではチョイと工夫が実は要る。
低音豊富な代わりアタックも柔らか目なので、時としてBassと合わさった時現代一般物よりそれが埋もれ易いのだ。

解決方法自体は至極簡単で、現代一般ペダル時より少しハッキリしっかり踏めば良いだけだ。
が、演ってみると案外難しかった。
少しでも気が緩んだりでもすると全部正直にそれがキッチリ反映される、いやぁ本当に良い楽器で参るわだ。

これを「自覚した耳!?」で聴くと、一流人達のでも物によって少し聴き取りにムラがあったのが分かる。
けれども今迄無意識で耳にしててアンサンブルに不安感を抱かされる様な事は無く、ある意味「気に仕方の問題」なんだと思った。
逆にプロの現代一般ペダル使用物でこれを覚えたのが多々あり、結論的にアンサンブルの為には気持ちの力がとても大きいとなった。
紛らわしい表現補足でお断りさせて頂きますが、所謂「精神論」ではありませんで後程説明致しやす。

分析目的と味わい楽しむつもりでは人耳の聴こえ方が違って来る訳で、制作サイドと聴者の立場差が現われたのだろう。
録音での良い演奏とか技師として良い録音に意識が行けば、ちゃんと全部聴こえてるかに先ず気が向いてしまう。
これがアンサンブルパワーにはマイナスで、楽器もロクに弾けない技師が携わるのは荷が重過ぎる気がする。

J-POPの項でもそうなんだけど、どうも自分が納得出来たのと比べると録音技師の質のせいもある気がすんだよねえ。
俺自身音楽好きでも第一候補が駄目だった場合の保険意図で、かよった音響の専門校も半分は親の意向だった。
今でもその手合いはそこそこ居ると思うし、根底には音楽愛もあるんだろう。

だが近年事情に暗くて何だがその学生時代に音迄は学んだが、音楽自体が授業で出て来るのは遂に最後まで無かったんだ。
少々野暮な言い方だが超難関一流大学と比べたら、専門学校の生徒にはかなりのアホだって混じってるですよ。
それには卒業時に必要なレベルへ持ち上げるには、
一流大学より余計に教えとかなきゃイケナイ筈なんだ。

高い方のレベルでは同等かそれ以上の生徒も居るが、反対側は敷居の高さが全然低いですので。
報道関係や通信業務であれば聴き取り第一だが、音楽ではそれが単に物理的なのでは足りず芸術性が要求される。
だから下手すると音楽家以上にホントは才能若しくはせめて適正が要るんだが、日本の学校システムでは紙の上の成績で成り立ってるので無理があるかも知れない。

実際個人事情抜きで学生時代ブラック理工学部生よりもっと暇も休みも無かったんだけど、そうまでさせといて遂に「音楽」は無し。
それが海外の過去の名作では例外無く漏れなく、音に係るスタッフは音楽家の端くれなんですわ。
Beatlesなんか極端でGeorge Martinなんて自ら率いるオーケストラの指揮者が本職なんだもの、どんな突飛な技術だって音楽優先になってて当然なのよ。

でこの点を太鼓へ持って来ると、毎度で申し訳無いがやっぱし道具より演奏の仕方なんですよ。
冒頭のバスドラ案件も瞬間最大では無く、その時その場面で過不足無い音量を出せてるかって事なんでしょう。
つまり分析耳ではアタックが目立って聴こえてるからセーフの現代一般ペダル音でも、音楽耳には実は通用してるとは限らないと。

余談だが過去の実態も漸く極最近知ったのは情けないけれど、
Ian PaiceがFire Ballの録音でツーバス演るのにKeith Moonからバスドラ1個借用した話を調べてみた。
何をかってぇと当時普段
Paice氏はLudwig・Moon氏はPremierを使ってたから、それなら足の左右の音色が微妙に違うんじゃって疑念をだ。
処がウィキペディアに
Moon氏もLudwig持ってたの記載があり、その証拠を当たるとDrummerWorldに写真があって勝手に納得。

実際どれを借りたかは不明だが、彼等の
Ludwigは組合せは若干異なるも色も含めほぼRingo Starrのセットと同じ物の様だ。
売れ出してからの
Paice氏には22ではLiveで・Moon氏はLudwigのは1つしか無くて足りないので、あっバスドラのこってすが録音には用いてもあまり人前では使わなくなってたみたいだ。

色を除外すればGinger BakerのはBDが20と22なので、
Ringoの「人間上げ底用!?」20のと録音用22のを一緒に並べて使ってる事になる。
皮にしても’70年代に入ってやっとドットが出る迄は、厚み3種と表面ザラザラかツルツルか程度しか種類が無い。
それで皆さんあんなに全く音が違ったんですからね、少なくとも「楽器分析耳」ではなく「音楽耳」で聴くとね。

これも道具より人の影響の方が甚大だって証拠なんだが、ジャンルや曲にも依ろうがやはり変にちまちま叩いていたのではアカンのでせう。
これは個人特有の例かも知れんが俺は弦が先だったからか、太鼓で出すパワーの「出し方」を理解するのに結構時間が掛っちまってた。
要は瞬間最大より平均のパワーが太鼓には必要な処で、延々演らなきゃなんないとなると力では解決不可な処。

自分にとって現状で判明してるのは、①要るべきストロークはケチらない②力は要らんがキチンと叩くとなっている。
前述の如く動きの太鼓より小さい楽器のせいかもだが、「同じ音が出せるならなるべく小さい動きの方が楽」と洗脳期間が長かった。
物理学的には無駄が無くて正解なんだが、僅かな動作の中で(小音量の為では無く)微妙な加減をするのは却って大変になるのを見落してた訳だ。

フレーズ等如何では僅少ストロークでのフルショットもニーズはあるが、動きが小さくなる程高速化して瞬間的なものとなる。
その狭く短い時間の中でとなると加減なんかロクに効かなくなって当然で、落着いて考えりゃ弦にもEric Claptonの「スローハンド」とかあったんだよねぇ。
※音は沢山で素早いのに見た目がゆったりと見えた様。

無苦労では入手不可だが頭を正しく働かせ乍らだったら、パワードラミングってそこ迄難しくは無いと思ったんだよ。
オプション機能!?のある物ってベーシックなのより大抵高価だから、それを入手するのにその分余計に稼ぐ労力で消耗するですよ。
そんなら練習での疲労が同じ迄かそれ以下だったら、果たしてどちらがお得でせうか?。

道具は消耗品は買い直しだけど、一たび人の身に技が付けばその後はタダで御座居ます。

2018年10月15日 (月)

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(二応私的)②

今回はヘッドのミュートに特化する、つもりで船出だ。
但し本稿ではミュートそのものよりお題の通り関係性最優先なので4649。
考察の物差しとして基礎原理から始めるが、ミュートの有無で何処がどれだけどんな風な影響が出るのかだ。

①ミュートがある程音量低下
ミュートがある程倍音低下
ミュートがある程余韻短縮
これの②についてなら皮の細かい振動がし難くなりそうなのが想像着くので、マイルド若しくは低域の強い音色に変化するのが分かりそうだ。
注意が要るのは①の方で、自分も含め普段は多くが気にせず音色だけ視点で加減してるんじゃないかと思う。

だが物理原理からすると「振動し辛く」なれば、必ず音量もその分低下してる筈なのだ。
それが人耳には高音程けたたましく感じるので、高域が減るとうるさく無くなる分安堵して往々にして叩く勢いの抑制が無くなってるのではないだろうか?。
無意識下で叩く強さが変わってしまうなら、ミュートで音量変化は無いと認識しても無理も無い。

元が爆音でその中での少しの違いがとても判別困難になってるのもありそうで、バスドラペダルの項で力を結構入れたままで微調節するのは難しいのと何だが同じだねぇ。
太鼓の最大音量を僅かでも小さくしたく無かったりするなら、ミュートはしないに限るとなる。
但し通常皮のまん真ん中を強く抑えたりはしないので、音量低下量はそんなに大きくは無いだろう。

音色以外で他に影響が出てるのは余韻の長さで、これの影響度は音色・音量の中間位と思われる。
叩いた直後は皮の振動も大きいが、鳴り止む寸前の振動は微々たるものとなるからね。
実際バスドラでは余韻短縮目的でのミュートが多い訳で、何れにせよ音量を少し損ねても音色を優先させての措置なのがミュートとなる。

アンサンブル内での音色の都合として現実的に太鼓のレンジが広過ぎて他パートに不要干渉する場合があるが、そんな時はミュートをした方が全体としての聴き取りは向上する。
俺は「自作ドーナツミュート」を常用してるが、太鼓練習の俺言い「擬似バンド」時の他パートの聴き取り向上も目的に含まれている。

かつてはオーソドックスなガムテ―プ主体で、必要に応じてティッシュペーパー追加等で様々なのを散々試行錯誤していた。
だが録音時に楽曲由来で欲しい音が違った時に
問題があり、長期間ガムテを貼ってると剥がしても半乾燥した糊がヘッドに残る欠点があった。
要は「残り」があるとフルオープンにならなくて、その為にこれをこそぎ落とすにはかなりの手間と時間が掛ったのだ。

因みに
「自作ドーナツミュート」は中央部が破れたお古のヘッドから切り出しているが、これの外側とリムの隙間を無くしたければ1サイズ大きいヘッドを使用する。
同口径のだとヘッド外周部の折り目の都合で、搭載時に全体が浮き上がって想定通りの効果が出せなくなるからだ。

裏技として裏返しに乗せるのも試したがミュート側に張力が掛って無い為、太鼓側の表面の具合と
微妙に合わず浮き気味になる事もある。
もしスネア
交換等をして輪っかのみそのまま移動させたりすると、大抵は状態が異なってしまい効果も変化してしまう。
だが「折り目」部分が輪っかに付いて無ければぺらぺらなので、その点では打面がどんな状況でもそれなりに追従してフィットしてくれる。

また
俺言い「擬似バンド」とは他の生楽器はPAから流すしかないが、電気楽器類はそれぞれのアンプから再生させて本物へ近付けさせるという仕掛けだ。
完全に近くするにはアンプ台数・PA・
マルチトラックレコーダを含む録音機材迄揃ってないとならないので大掛かりだが、録音の為の練習としては恐らく最高級な手法且つそのまま移行も可能なメリットがある。
個人的にマルチプレーヤの都合上どの楽器の練習も要るのと、ともすれば拙い太鼓練習に誰かを無理に付合わせずに済む訳だ。

ステップ
:予め所望の他パートを演奏して、マルチトラックレコーダへ録音しとく。
コツとしてはこの時電気楽器はアンプで鳴らすが、記録するのを「アンプ直前」から拾っておく処。
ステップ
2:生物はPAへ繋ぐが電気物はそれぞれ録った時のアンプへ繋ぎ、全体を再生させ乍ら音色と音量バランスを調整する。

こんなある意味面倒なのに至ったのも「もしや人望に乏しいの」と訊かれたら「貝になる」だろうが、本人としては大音量生楽器の慣れ不足対策なのだ。
電気物や生でもPA必定の物なら音量バランスはフェーダの上げ下げだけでも済むが、生だとそうは問屋が卸さなく手加減・足加減が全てだ。
更に奏者の各太鼓のバランスの好みもあるし、想定範囲を超えた増強・抑制が急遽訪れたら下手な内は無理対応すると他の演奏自体が崩れたりし易い。

アンタの好きな音にはこん位の加減が要んのよってのを知って、それを身に着けたいと思っての所業だ。
これが全パートを偶然巧く演れるとリアルさは凄まじいもので、超高級オーディオで苦心惨憺するより良好な音場空間が得られてしまう。

ベテランの域に達すると個人練習で他人からは単独にしか見えずとも、しばしば「全体での音」が本人の内部では流れてる事だろう。
それでも微妙な調整等は実際に音を合せるのが近道だし、錯誤が起こり難いのは確かだ。

俺的には太鼓は奏者本人と周囲の奏者への聴こえに差のある方の部類との実感があるあるが、それ故ミュート等に関しても叩き乍らだけでの判断では調整不足が出易いと感じている。
他楽器にこれが無くは無いけれど弦の類だと、任意に移動が出来るから実態を把握するのも簡単に出来てしまう。

そして太鼓等の生楽器は叩く強さで音色が露骨に変わるのが当たり前、変わらんでも困るがだからこそ各自がデフォルトの強さを自覚しとくのも必要そうだ。
叩く場所にしても同様で普段は変わると困るけど(音色が不安定化)、そうじゃ無い時はドンドン変わって欲しい。
これが安定化させられた上で音色調整へ入らないと、振出しに戻るになってしまって先進みしないであらう。

2018年10月14日 (日)

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(一応私的)①

先週実験の折にヘッドやミュート等の会話も少し出たが、そこから歴史込みで探って行く。
一々歴史ってのも年寄り臭い気もするが、生楽器は環境変化の影響をモロに受けるので無視出来ぬのだ。
殊に本邦の今日では狭小空間でも俺言い「無駄PA」全盛と、半生がデフォルトになりつつあるから深刻だ。

我々位の世代迄はRockへの関わりが遅く無ければ、辛うじて一流人の生のを体験する機会が残っていた。
それも単体だけでなくアンサンブルとしてもで、その一流人達は最低限PAでレコードに遜色無い寧ろそれ以上の音を奏でていたのであった。
そこから小細工せんでもかなり本当は行けちまうのを知れたが、その点今の若者は可哀想な状況下に追いやられたと思う。

基本生の時代は太鼓の皮1つとっても今より無加工のが多く、理屈からしたら聴き取りはそんなに良く無い筈だ。
けれど実際の現場では寧ろ今より断然クリアで、だからこそきっと小細工アイテムのニーズも低かった様に伺える。
それと関係してるか確証はまだ無いが、今日でも超一流の者は太鼓のミュートが少ない様な気がする。

自分の体験からも生は未だしも録音すると、演奏が下手な内はミュートしないと雑音だらけで使い物にならなかった。
同時期・同環境で従兄が叩くとそれが不要で、以前触れたがそれどころかコンプすら不要で最後まで楽々ミックス出来てしまった。
俺はこっち系では弦が先だったので当時はこの現象へ違和感があり、エレキなら下手が深く歪ませりゃ何処ぞの街宣車並みに訳が分からなくなるからだ。

因みに俺の楽器歴と云えば最初はホントの三日坊主に終ったオルガン教室で、その次は我流のボンゴで当時小3位だった筈だ。
今ならこんな僭越は起きんだろうが当時もう既に洋楽Rockに行き切ってたのに、歪みに無縁の電動オルガンでは続く方が奇跡的だろう。
ボンゴにしても俺も親も無知だった為に、本来演ってみたかったコンガでなかったので止めはしないが休みが膨大という結果をもたらした。

今なら例えばBABY METALにハマってる子に意図無しに、フォークギターを与える様な真似は誰もしないだろう。
だが当時の世間の認識なんてその程度で、中学の途中での初めてのエレキギターも酷い偽物であった。
それがデパートの楽器コーナーで堂々と陳列されていてと、今からしたら何で通用してたのか全く信じられない低レベルだ。

値段だけで比べたら俺のは¥1.5万で、子供に買ってやったのは¥9千だからケチな親と思われ兼ねない。
しかし中古の程度の良い格安品を知識と経験から上手く探し当てただけで、元値は¥6万だしFERNANDESと子供のは至極マトモだ。
けれども折角物や文化に関しての知識が浸透した代わり、弾き方や扱いの一部は却って退化してしまってる様に感じる。

Rockの本場の欧米でさえ当時の特に太鼓等だとRock用と謳われててもせいぜい大きさと組合せ程度で、物自体は他ジャンルで使用されてるのと全く同一だった。
そのままでは不足を来す場合もあったから独自改良などは多少なされてたが、根本的には道具でなく「演り方」だけで各ジャンルの音楽を成立させていた訳。
だからもし競争でもしたら今の若造がフロイドローズ付きのギターでも、昔の泰仁はボロいフォークの弾き語りで圧勝しちまうかも知れんのよ。

道具は大切だが演るのが人である限りは、人が道具を上回ってる位でないとRock度は高められないとオッサンは思っとるんで御座んス。
それに機械だけでもこう自由に演れる様になって来ると、単にヘビーな音ならいとも簡単に出せてしまう。
だからって必ずしも迫力が最大へ持ってけるでもなく、安定し過ぎで冷静な音は人の興奮を完全に呼び覚ますには役不足なのだ。

加えて人には慣れがあるのでどんなに凄くても一定の音では、最初は驚いてもそれだけで終わってしまう。
それを超越するには寧ろ出だしから全開では駄目で、敢えて弱さを何処かへ盛り込んどかないと強さの強調や誇示が出来ないのだ。
もし美味く叩けてJazzの道具なのにあんなヘビーな音が…なんて方が分り易く、Ginger Bakerなんかがその典型だろう。

パワードラミングの象徴たるBONZO(John Bonham)の楽器は小編成グループとしては26インチは巨大だが、特注品ではなく彼が使うより随分前から売られてた物だ。
Jazz全盛時のそれこそホントのBig Bandでのニーズから、もっと言えばクラシック系の大編成オケ辺りが最初の必然として作られただけだ。
大人数の大太鼓をJazzでは他のと一緒に1人で演るってんで脚付けてと、物の変化は極僅かで大きく変わったのは使い方なだけなのだ。

皮(ヘッド)はEmperorだから標準より厚いけれど採用の主眼は耐久性で、ワンステージ持たせたかっただけ。
これは2枚重ねであの程度の厚みとファイルのクリアホルダーみたいなもんで、和太鼓などの本革物より断然薄くてチープなもんだ。
バチにしてもマーチングやその練習用のでもっとヘビーなのもずっと以前からあったが、使い方(叩き方)と場所(単体でなくセット)が従前とは違っただけだ。

でも考え様によっちゃまさか「そんなのであんな音が出るとは」が特許レベルの発明同然で、寧ろ比較対象があったからこそ余計突出して目立ったんだと思われる。
本邦とは異なる環境なので若干想像困難かも知れないけど、あちらでは色んなオーケストラや鼓笛隊は日常的で身近に溢れていた様だからね。
差し詰め相撲取りがプロレスへ転向したら、思ってたより身のこなしが全然速くて驚いたとでも比喩しとこうか。

最初の内は何が原因でも他よりヘビーな音ってだけで耳目を集めるが、下手に道具の効能が大き過ぎたら売れるのは楽器だけだ。
楽器屋のプロモーションならそれで大成功なんだが、演る側としては人が売れてくれないとしょーがない。
しかも誰が演ってもだと物珍しさが無くなれば短期間でブーム終了、只のバリエーションのひとつへと成り下がりその他大勢へ編入されるのだ。

悪い楽器商人は売らんが為「これさえあればあなたでも、今すぐ立派なメタラー」等と囁きかけて来るかも知れんが、騙されてはこっちの負けですぞ。

Hi-HatとそのStand⑮実験備忘録

最近は滅多に雑誌も見なくなったので実情不明だが、例えばまだ持った事が無い人に参考になる様な情報を全く見掛けない。
そこで先週の実験結果を掘り下げ記述するが、俺にとっても簡易で基礎的だが忘れると困る部分を中心に掲載する。
1つはHi-Hat Standによる音色差で、もう1つはメーカー(ブランド)やタイプによる大まかな個性と前者からの影響度の大小だ。

ではStand差の影響度から行くが、薄く軟らかいCymbal程影響度は高かった。
俺と従兄は並よりヘビーなタイプを不所持なのでそこは未だ不明だが、手持ち中では一番ヘビーな俺のPaiste The Line Soundedge(現在では表記のある場合Medium相当)でも明確な変化が認められた。
奏法関連で述べればどのCymbalでも大差が出たのはフットハットで、音色・余韻は言うに及ばず音量自体が激変した。


Hi-Hat Standがゴツくなるに従い先ず最初は低域成分が欠け、次に高域その次に核心たる俺言い「目立つ倍音」が消失して行った。
これはクラッチ部・そのフェルト等単体部だけでも同傾向で、全体でも個別部のみでも兎に角極力ヤワな程Cymbal本来の音が得られる結果となった。

ここで先に
メーカー(ブランド)差の大凡を具体的に記すと、
Zildjanは地味目だが深みを損ない難く
Paisteは派手目だが扱いを誤るととたんに安っぽくなる
であった。
我々が他ので有名なのを不所持で
今回の以外ではそれなりに経験はあるが、実比較を出来てないので済まぬが他の詳細は今回は省略させとくれ。
しかし上述の如くで全体傾向の中では割と上出両者が個性面でも右大臣・左大臣な感じで、他の多くはその中間にあると思っといて大丈夫だと思う。

特急通過待ちが終わったから又本線走行に戻るが、
Zildjanの場合は元から「目立つ倍音」が地味目な為どんどんこもって音の通りが悪化した。
最悪時を得意の!?誇張表現すると特製合金が真鍮になり次段階ではブリキ、最終は最早金属では無くプラみたいでフリスビーで代用でもしたかの様な変遷を辿った。


俺は普段大昔の慣例!?からポピュラーなAシリーズを単にZildjanと称しているが、Kの国内販売が後からだったののせいかと思っている。
その当初のAとKの違いは高級感で
Kは更に渋めの個性だがワイドレンジで、個人的に時にAで感じる超高域の天井低目みたいな制限感が無かった。
近年に近付く程Aの天井も高くなってった感があるが、一時期は代わりに少し安っぽくなった気がした頃もあった。


個人的には昔よりアンサンブル全体の高域成分が増加してると感じてるが、そんな中で
Paiste比だと余裕の少ない倍音が削がれるのは厳しいと感じた。
実施したBassとの合奏でもCymbalが発した音量の割に、リズムの聴き取り(特にチック:スティックチップで叩いた音)が早期に劣化して行った。

Paisteはと云うと全体にある弱点たる「安くなる」が増して行き、最悪時は「しまった偽物掴まされた」みたいな血の出る出費が無効になる感じだった。
実験に用いたSoundedge以外は薄軟タイプで並のより小音量だから結果を待つ迄も無くハナっから厳しいが、それでも最良条件時のみは合奏で何とか聴き取りが可能であった。


PaisteもK Zildjanに対抗したのかは不明だが、602(正式には前にFormulaが付く)等はかなり思い切って渋めでピッチも低くなっている。
総体的に
Paisteはハイピッチで倍音が強く俺は全く気にならずにいるが、従兄の所で彼はSoundedgeに触れた瞬間に「うわっ、高っ」と声が漏れた。
この特性だと爆音で且つ混雑時でも他楽器より更に上で鳴る感じだから、鳴ったかどうかの確認が取り易いと思う。

俺は
Zildjanが嫌いな訳じゃないが従兄より太鼓のアベレージ音圧が高目だからか、或は一体感より分離や消えない存在感をより求めた辺りで金を払うならPaisteとなった様だ。
有名な2002は
Paiste内でも一段と華やかで目立つので爆音下では最強っぽいが、残響が少ない所で録音するには低域不足に感じるかも知れない。

俺のPaiste購入時当初は2002が第一候補なのをカノウプスの店員氏に咎められた一幕があったが、録音にもガンガン使用と言ったのを受けての事で今となっては有難く思っている。
実は俺のフェイバリットはBig Beatかもとその後の情報・知識の充足から導き出されてるが、当時はまだ販売休止期でしかしThe Lineが中では近似だった。
相違点はLineは
Big Beatが金持ちになってギャルメイクをした様な感じで、ゴージャスだが少しケバくなった様な印象だ。

急行に追付かれたので又待避線へ向かうが、ある意味ちゃっちいStand程Cymbal本来の音色が引き出せると言える。
そこから従兄が少し拘って持ってる他のCymbal Standの話しになったが、彼は鳴りを気にして意図的に華奢なのを選択している。
その乗せ方も教室として交換の簡便化の意図もあるにせよ、Splash系以外は上側はフェルトもネジも付けずフリーにしている。

こうするとCymbalの動きは一番スポイルされなくなるからだが、彼の好みが太鼓の皮もCymbalも並より僅かでもヘビーになると不許可なのの現れの様だ。
俺は手下手由来で彼より何処に行ってるか分からないのを、叩ける自信が無いから「上」は付けている。
だがそれなりの紆余曲折を経てCymbalの最大移動時のみ上フェルトが効果を発揮する程度に、
わざと「フェルトがあるのに隙間がある」位に落着いている。

俺のケースは音色より演奏性からの結果で、最初はJohnny,Louis&Char時代の
Johnnyさんの真似をしてかなり締め込んでいた。
動画等で確認するとその方が短時間でニュートラル位置へ戻っており、それへ演奏し易さを求めてみたのだった。
処が実際俺が演ると復帰が早くても必ずしも演奏のタイミングと合致せず、逆相(現実のCymbalと想定したのの向きが逆)となった時に
却って危険且つ叩き難くなってしまった。

私分析に依ればCymbalの動揺が重力由来だけの自然数と異なるのが不味い様で、Cymbal位置予測が困難になった為の様だ。
凄く慣れられたら違って来るのかもだが反力は増加してるので、動揺の速度は速く動きは細かくなるから目に厳しくなるのは間違い無い処だ。
反対に結局極力自由を与えておくと振動速度が最低速化したので、それをキッカケに上記の設定となった。

これをHi-Hatでも連続アクセントOpen時の安定目的で固めるのを試したが、同様にタイミングが奏者都合と合わぬ場合が発生したので止めている。
Hatの場合はTopを上下両方向へタイムロス無しに移動させる必要があるので、目に見える様な上フェルトとCymbalの隙間は持たせていない。
けれども余計な圧は
やはり不自然動揺を招いて不便が増すので、隙間は無いがちっとも押さえてはいない程度の締め具合に落着いている。

そして従兄が君の古Standだとそれ自体も共鳴してる気がすると言うんで、物は試しでHat用以外のも含め色んなののパイプ自体の打音検査をバチで実施してみた。
するとチューブベルには遥かに及ばぬが、古い或はその手のタイプの程何と「キンキン」と良く鳴るのである!!!。
これだって万一その特性が逆相になれば逆効果になる危険は内包するが、「受けた力を巧く返せる」様ならStandも楽器の一部として機能するのだ。

お恥ずかしい事に近年のを一切不所持な俺は「金属パイプは鳴る物」の認識しか無かったが、この手ので殆ど鳴らないのもあるのを初めて知ったよ。
でも従兄とは程度が違うが俺も汎用性面等で激厚Cymbalは用い辛いので、鳴らない式を今後も求める可能性は無さそうだ。
特に薄柔を使用する場合は「思い切ったキンキン」を用いると、対音量比の耳通りが格段に高かったのを記しておく。

諸条件次第で適応度低下の可能性は否定できないが、これらを総合すると基本的にCymbal類の保持はなるべく放任の方が無難だと俺には思われた。

Hi-HatとそのStand⑭Closed失敗体験

前回別項でClosed Hi-Hatの部分で「負の無限ループ」と書いたが、実際自分が結構な期間それにハマってたのを後から想い出した。
内容は以前にも少し触れてたので鮮度を欠いて何だが、奏者としての俺の当時の心情はまだ言ってないと思うんでその辺を。

今回から読む人向けにあらすじを示しとくが、根本原因は目的に適さないHi-Hatを強引に適合させようとして挫折しただけの情けない物語である。
当方の貧民事情で当時中古購入したのがPaiste 602 
Mediumの14のセットで、Old Style Jazzには最適だがRockには…って代物だ。
選択理由は勿論価格だが、本貧民(俺)は一般人とは若干思考が異なるのだ。

たまには少しリッチになる者なら買換えチャンスが再来するが、清水の舞台から飛び降りれば死ぬから次はもう来ない。
そうなると当時買うまでの時間的猶予が無かった中、後で後悔の心配がある安物へは絶対に手出し不可となるのだ。
ロクに叩けなかった当時からそれでいてハナから録音利用するつもりもあったから、その点でも音がオモチャでは困るのが原因だ。

実際にこれで少なくとも10曲以上は録って、他人様のお耳に入れている。
太鼓に腕も無いが知識も全然だったから今からするとCymbalだけのせいでは無いが、初めに苦闘したのはClosed時の余韻過剰であった。
Old Style Jazzよりどうしても強く大きく叩いたりするので余韻過剰になるが、強引に踏み付けるので切り抜けようとした。
当然無理なので、これが「失敗1」である。

そこで雑誌等からの即席学習でガムテミュートを試みるが、当時はそれで妥協したつもりになってたが今にすれば「失敗2」である。
余程の熟練者が施すなら或はもあるが、単に俺言い「目立つ倍音」を減少させてたのが実態だ。
それに伴う音量低下と輪郭低下を余韻短縮と「誤聴」してたんだから酷い話しで、不慣れな太鼓の大音量下での聴き分け経験不足が原因か。

集音・録音機材も太鼓に適切ではなかったから、ヘルプ無しのアホでは救われる見込みが無かった訳だ。
この誤ミュートの為に一層「無茶踏み」も増長したが、Hat自体の特有音より只の打撃音としての余韻に耳が行ってしまいゴールから遠のいていた様だ。
その結果求めてるのは「ツ」とか「チ」なのに、短余韻だが「コ」や「カ」を無理加工で変身させようとしてしまってた。

マトモなMicがあったら「叩いて無い時」に聴き比べが出来るが、それが無い内は「ドラマー耳」の育成は難しいのかも知れない。
今は把握出来た全貌からだと寧ろ当時の行為は逆効果で、先ずは極力ブライトな音色を得られる様に持って行くのが正解だったろう。
そうしてたら少し無茶踏みしててもハイが残って、お盆サウンドじゃなくHi-Hatの音を出せてた事だろう。

極め付けはStandフェルト劣化の見過しで、これ等認識出来たのすら約1年前の体たらく。
これが為Top Hatの位置保持に難が出てたが、それもClosedには大きく響く処だ。
Hi-Hat Cymbalの「適正位置」については俺は未だ知識不十分だが、ズレが大き過ぎると余韻過剰になるの等は把握済みだ。
尤もこれも近年になってからで、「失敗3」であろう。

それで生来の阿保を除きこれらの「あ~ぁ勘違い」の源を顧みると、俺的には自覚がもたらした様に思える。
かつてはドラムのそこそこ行けるベーシストの自認だったが、それがドラムサウンド分析にマイナス作用をしたらしいのだ。
今は他楽器の成否に無関係に片足だけギネス級の下手なドラマーの自覚を持ってるが、なってみると目・耳の付け所が自然と変化していた。

良し悪し・好き嫌いの他にちゃんと「その楽器の音がしてるか」を確かめる様になって、これ迄の見・聴き落としが続々判明中だ。
近年従兄と再度組んだ処から楽器の修理・改造等の相談も増えたが、彼はドラマーなので今迄少なかったそれも俄然増加した。
従兄は俺に最初は主に物理科学面を期待しての事だろうが、結局は音が分からないと仕方無いとなった。

近年俺言い「音の為の物理」は只の物理学とは反する場合も多々を痛感してるので、セットで進めて行かない事には適切処理が施せないのだ。
マトモなプロドラマーが叩き出した良い音若しくは正しいと単体では思えた音が、アンサンブル内で埋没・不適切化変身する近年の体験も役立っている。
従兄で文句が出る位なら俺が叩いてたら殴られる位になりそう等、専門的感性は本人がその気になってからじゃないと得られぬものらしい。

2018年10月13日 (土)

Speedkingよもやま話⑪ペダル論(現況私的)

題にしては今回もHi-Hat Stand中心なので何だが、現在俺が確認・実験可能な俺言い「旧基準ペダル」がSpeedkingなのが原因だ。
相性も無視出来ないが他の現代ペダルでは不可なのが演れてしまったり、程度が上回ったりしたからだ。
何でも出来て加減が効く裏に操縦の手間と「無意識での安定性」が無いのはあるが、元来「良い楽器」ってのはこっち(奏者)のまんまが出る物を指すものなのだから。
タイトルに(現況私的)と付けたのはコンセンサス考慮で、個人的には実証を得て確信を持っている。

薄れ行く過去の記憶を辿ると、かつてのペダルは太鼓用・金物用のどっちももっとへなちょこだった感触が残っている。
実際様々な点で現代比でかなりチープだったが、その割にはだけども演奏性全体で大きく劣りはしなかった。
つまり必ずしも現代一般的なのの程「余計なお世話」が無くても、演奏する事自体には不足は無いのだ。

バスドラで俺の実体験からペダルが最低限な方が最高速等が高いのを知ったが、
今週の従兄の所での実験から推察するとHi-Hat Standも同様なのではと思い始めている。
久々のプチ脱線するが例えばギターの一番高音域の弦は細い故切れ易いが、これの予防には太さアップが効果がありそうにも見える。
でももし切れ難くなっても張力が高くなり過ぎて、弾くのが困難となるだろう。

太くなるとその分余計に強く張らないと元の音程が保てず、特にエレキだとチョーキングが不可となってしまう。
切れるの嫌でも自由な表現を継続的に出来ないと意味が無いから、欠点を容認して音楽性を優先してる訳だ。
それからすると足で扱うからにしても、何故そんなに太鼓ペダルだけボディビル大会優勝を狙わなアカンのかと。

本線帰還初めは
Hi-Hat Standのバネ強さから考えを巡らすが、絶対的に必要な力はTop Hatを必要高さ迄持ち上げられる強さだろう。
バスドラペダル同様「脚上げアシスト」の水増しがある方がこれも一見楽に感じられるが、Closed時の安定性はバスドラよりこっは注意が要る筈だ。
プレイスタイル次第で影響度は異なるが、
Hi-Hatには「踏み叩き」(今回は例外的に一定に踏んだままも含める)が常用されるのだ。

現代では過去より厚手のHatを用いるのが多いので気付け難くなってるが、薄手若しくは柔らか目を用いると一目瞭然なのだ。
それが偶然今週の従兄ので露呈したんだが、彼は現況Hatもバネ強しか持ってないので俺より「何時もと違わないから」と俺からすれば見逃がしていた。
それでも俺がJohnny吉長式踏み叩きの成否で大差があるのを、実演したので漸く気付いて貰えた様だ。

俺言い「
Johnny吉長式踏み叩き」を説明すると、手の他に足も連続的に踏み乍ら叩く奏法。
足と手の音符の組合せでバリエーションはあるが、Closedの程度を音符単位で変えて表現を広げられる。
手でもロキュモーション(腕・手首によるダブルストローク)等で類似効果を得られるが、こっちはスティックの「当たる場所」の差による音色差だ。
両者は併用可能だし、本家は大抵併用していた。

彼以外にも類例はたまにあるがこれの特徴はハットを緩めはしても決して開かない処で、上下の押圧のみを変化させるのである。
この手の微妙な力加減をするにはバネが強いと不向きで、「Ludwig Speedkingの使い方」等でも指摘した通り「力を入れるのが重なる」のは極力避けたいのだ。
そうなってしまうと必ず制御力は低下する。

そしてHi-Hat Standでバネ強はClosedが不安定となり易いが、踏み足りず緩むのより実は踏み過ぎが起こり易い様だ。
力持ち+薄手or柔らか目ハットでは踏み過ぎにその逆では不意に緩み易いが、他の手足動作で僅かにせよ腰が揺れるせいか「継続的で微妙な中間出力」の制御は困難な様だ。
上述
「力を入れるのが重なる」と内容的意味合いは同じだ。

意図せぬ踏み過ぎの何が不味いのかっつうと、Cymbalの必要としてる倍音をミュートさせてしまう等の部分だ。
Closedなので余韻は無くて平気でも、特に俺言い「目立つ倍音」が削がれれば
Hi-Hatのキレも音量も低下してしまう。
強めに叩いても音が伸びない様に踏力を増加させたりするんだから、それでは本末転倒になって又もや負の無限ループのお出ましだ。

Hi-Hat Standがバネ弱で不都合とすればOpenの「開度」で、想像と違い速度的には意外と影響が無い。
この「開度」は奏者の想定と実際との差の事で、脚重を逃すのに例えばカカトを降ろす等脱力だけでは不足したりして来る処だろう。
処が宅のバネ弱に慣れてるままを従兄のバネ強で演ると、現実的には真逆で却って開き切れなくなっている。

分析してみたら
原因はバネでなくストローク(上下の間隔)で、バネ強緩和目的でそれを狭めに設定しがちだったからだ。
これも以前から述べてるがバネは「元の長さの寸前」になると、どんなのでも必ず力は弱まるものだった。
これから紐解けばOpenの確実安定に有効なのは、なるべくバネ力の「変動が少ない領域」のみを使うって事になる。

ツーバサーの一種の裏技で足を離すと丁度「シャンシャン」の開度って設定は出来なくなるが、バネ弱で充分なストロークを用意しておくのが上記条件に該当しているのだ。
一番上を敢えてそこ迄開く必要ない位にしとくと、「使う領域」のバネ力変動が最少巾になる。
極端に軽脚だと上がり過ぎの不安は残るが、そこそこの脚重があればバネ弱なだけに足が触れてればそこ迄上がらないと云う按配だ。

人によってOpenもClosedも一種のみしか使用しない等ならこれとの関係性は薄くなりそうだが、エレキギターで本体のボリウムを小まめに加減するのなんかと似た使い方をしたいなら一択である。
俺は他でも車のアクセル・ブレーキ等のペダル類にも同じ様に感じられてるが、強くてショートストロークのは加減が大変で滑らかな運転がし辛い。
しかし免許不所持の同乗者には理解されないから、運転者のせいにされちまって損して敵わんよコレ。

Speedkingよもやま話⑩ペダル論争×→談義○

今週の実験の後従兄とペダル論争もとい談義へ発展中だが、その中で耳寄りな初耳の実験談が出て来たのでそれから。
若い頃なら掴み合い寸前の論争となったかもだが、現実は体力・気力より知識由来で懐がお互い広がったお陰の様だ。
一点だけで停滞しなくなると思わぬこぼれ話も漏れて来たリするらしく、もっと俺が早く大人になれてら既に訊けてたかもと小反省。

その実験とはバスドラペダルで、今回Hi-Hat Standでやった様に取替えられるのは全部の組合せを試したんだそうだ。
っても主にビータだけではあるが、その結果彼等の想定恐らくは一般認識とも実際が正反対だったんだって。
因みに彼等とは太鼓の先生の従兄と我々共通の古い友人の息子さんで、一頃暫く生徒として習いに来てた期間での事だそうだ。

先の一般認識とは皮を直に打つのはビータなのでスティックと同様音色を、ペダル本体は演奏性(踏み心地)を左右するだろうと云うもの。
俺もSpeedkingで実体験する迄はずっとそう信じてた口で、他のペダルでもほぼ全ててそれが真逆だったとは今更ながら驚いている。
それもSpeedkingは調整箇所の少なさのせいで「そう見えるだけ」、との思い込みも見事に消し飛ばされてしまった。

たられば式思考をすると従兄が今一フィットしなかったのが、少しビータを短めにしたら普通のは普通に踏める様になったのを思い出したりしている。
「踏み心地」を言われるとどうしようもない側面が出て来るが、それであればこそ本来なら踏力の強い物程使い手を選ぶ筈だ。
しかし現実はこれも逆の事例が多そうで、俺論の自信は風前の灯火になる…ならないんだわそれが。

ペダル=音色も俺言い「手足一緒論」に則って
チョイと物理分析してみると、重さやバネ強さはバチのサイズや重さに対応すると看做せる。
ビータもヘッド部分は位置関係的にスティックチップと対応するが、ではシャフトの長さはバチ自体の長さだろうか!?。
この疑問を大抵はクリア出来ぬので実際の真逆と誤認する様で、バチは実演奏時は手加減等によって実は長さは変動している。
でもビータシャフトはネジ固定なので、演奏中の長さは絶対不変と大違いだ。

そこで手で長さが不変なのの対応箇所を探すと、「1の腕」(そんな表現あるか知らんが2の腕より前なので)が一番至近にあった。
体が違えば同じバチに相性の良し悪しが出るのも尤もで、足演奏では指活用が著しく限定される為「1つ上へずれる」と云う事の様だ。
また裏を取るならばペダルはフットボード上の踏み位置を演奏中に変えられるし、それで音色の加減等も確かに可能だ。

ここからペダルでもHi-Hatの方へ移行してくが、近年ではJazz 4Beatのバックビートをフットハットで等のニーズは激減している。
それでより分り難くなってる嫌いがあるが、今週の実験結果を踏まえると実はバスドラ以上にHi-Hatの方が神経を使うべきかもと俄かに深刻度が上がって来た。

先ずは比較の容易化としてフットハットを取り上げてみると、バスドラにはビータがあるがハットにはもうその部分が無いッ!!。
足とフェルト以外に調整の仕様が無く(バネ強さ可変のがあるが主目的が音色ではないので)、その分
Hi-Hat Standの責任度は重くなりそうだ。
加えてバスドラならペダルはリム装着なのに、
Hi-Hatはフェルトを介すものの「直付け」なんだから尚更だ。

今では演奏は手が主で足動作が従だが、
Hi-Hat StandはTomでならホルダーも兼ねてるのを忘れるとこれも大変だ。
Tom等太鼓にはRims等の切り札が用意されてるが、その要素迄本来はStandが担っている訳だ。
最終的にはバランスの問題だろうけど、演奏性はとても重要だが俺は音色の方が先に大事だと思っている。

だって欲しい音が出なけりゃ操縦する意味がないもの、音楽の名の通り音と楽しいが基本条件だと思うんだわ。
それに演り易いと云っても熱意が生じぬなら発展・向上は見込めないので、「最初が良いだけ」ですぐ飽きて放置でもしちまいそうだ。
余りに負荷が高ければ挑戦意欲を削がれるが、継続性のあるものにはそれなりの負荷はあってもいやあった方が良いのだ。

楽器演奏自体が今じゃ打込み等で簡単に誰でも音楽を作れるのに、わざわざ知って覚えて慣れてと一番遠回りのルートを選んだも同然。
一般平均感覚の人からしたら新幹線で行けるのを知らないローカル線の乗り継ぎにして、それを自慢する乗り鉄みたいなもんで所謂「物好き」でしかない。
面倒は少しでも誰もが避けたくて当然だが、好きな音の為の少しのにでもそれを感じる様なら演奏家に不向きか心の病だろう。

意味のとか意義のある苦労の経験値が高ければ、こんな過ちに染まり切る心配は無い。
油断大敵火がボウボウで案ずるより産むが易し、どのみち「無苦労」も無けりゃ「無楽」だって無くて何時も両方併存しかない。
それを偏って感じられるのは大抵はタイミングが原因で、そこは確かに中々巧く合わなくて困るもんではある。

<つづく>

2018年10月12日 (金)

Hi-HatとそのStand⑬

では予告通りHi-Hat Standのアンサンブル内での相違から行くが、音色でも主に「聴き取り」についてである。
単なる音色なら使用者本人だけで済むが、もし周囲の共同演奏者に余計な影響が出るならもう好みの問題では無くなるからだ。

当初は小音量なCymbal使用時に多少関係があるかとタカを括ってたが、想像より遥かに問題視しないとイケナイのが判明しちまった。
知らずに居てバカやんないで済んだかもで、危ない危ないのくわばらクワバラか!?。
今回時間等の都合でBass以外は同時演奏をしなかったが、
筆者はマルチ奏者なので大凡の推察にそれ程的外れはないと思う。

具体的に順番化してくと聴き取り劣化が大きかったのは
①ゴリStand
②硬直フェルト
③Cymbal自体のモデルの適正
という結果が出た。

YAMAHA HS-710以外では困難若しくは何かしらの懸念が出て、例えばBassだけならギリセーフでもギターだとか両方だったら聴こえんがなであった。
勿の論で逆もあったが更に面倒なのが「場所」についてで、太鼓奏者と他楽器奏者への「音の違い」も拡大していた処だ。
実際見解の相違が発生して俺がHatを鳴らしたのを、従兄に移動しながら聴いて実感して貰った位だ。

これでは現代一般的
Hi-Hat Standの大多数は、皮肉な俺論ではバンド人間関係破壊マシーンであるぞなもし。
ちょっと昔(オッサンには)のアニメの「けいおん!」みたいな集団以外一緒に買いには行かんだろうし、その場でバンド単位で試奏するなんてもっと滅多に無いだろうし。
最低でも昔より桁違いにドラマーと他楽器奏者では違って聴こえるとでも予習しとかないと、ぼっちになる日もすぐだなんてね。

際どい表現だらけだが今回の誤認用心点は必ずしも製造者批難や回顧主義なのでは無く、入手可能材料への対処と考えて頂きたい。
楽器製造の材料は世間全体からしたら超小口消費者で、最近の新幹線の台車亀裂事件の如く少しでも材料が丈夫な方が何かと安心なのは確か。
本来有難い物が運悪く、楽器と云う特殊用途に不都合なだけなのだ。

わざと古い手法例えばダイキャスト(一体鋳造)をプレス物(板を曲げた物で内部は空洞)にすれば、軽量化するし共鳴等もし易くはなる。
また材質を鋼から真鍮等へするのも同効果が見込めるが、何れも強度・摩耗耐性は低下しコストは恐らく嵩むだろう。
これを
製造者が思い切って採用しようにもユーザーが歓迎しそうでないと難しく、その面でもドラマーの知識と理解がもっと末端まで浸透するのが必要条件だろう。

この材料面の他人からしたら俺の執心!?、いえいえ体験からなっただけで普段は興味はあるも大してロクに気にしてませんでしたっと。
発端は宅の中古Standのクラッチの摩耗で、購入当初からTop Hat上側のナットがネジ山の摩耗・変形で外せなくなってた処からでやんした。
長持ちさせたい俺には「何かを減らす」のは意に反するが、そのままでは埒が明かないので仕方無くナットが回せるだけヤスリで削った。

当時これは中古でも製造からせいぜい10年位だったが、今回従兄の所のクラッチではそんな摩耗は一切見られなかった。
使われ方の差等もありそうだが、それでも明らかにそれなりに年季が入ってるのは見て取れた。
材質を彼に説明するのに今思えば真鍮と言ったのは誤りぽく不安になってるが、それ位「そんなに簡単に減っちまうんかい・削れるんかい」ってのが根底にあったのだった。

で御座居ますから自分のを讃えてるでもなく、現に持ち帰った後積年のタバコのヤニ汚れ落しを昨日漸く終えて組み直したらありゃりゃだすわ。
又またClosedの具合がルーズになっちゃって、かと言って特に不具合は見当たらずと別段満足出来ては居らんのでありんす。
只現代のよりは気紛れなので、何時の間にか調子が戻るのを期待してるだけって感じ。

これが今のだとこの手の面倒は少ないが、ちっとも気紛れが無いだけに最初でヤバければそれがほぼ永遠と云う次第。
そして気にしなくなったのも齢で感覚が鈍ったからとかじゃなく、常用がRockに不向きな602 MidiumからThe Lineへと近年設計ので並の厚さになって影響度が低下したからよコレほんま。

せやから今並より薄目が好みの従兄は昔の俺みたいな心境になってそうで、太鼓は硬く金物は柔らかくの希望に沿わすと無茶叩きで強引になんてのは使えない。
彼は長年New Beatを常用してたがドラム歴の過半を超えてると思うし、より柔らかさを求める様になってからのアンサンブル経験は以前より少ない。
太鼓で彼より専門外の俺でも続けてると、たまにはこっちがベテランになる事もあるんだねえ。

Hi-HatとそのStand⑫

半年振りの続編は今週の成果!?よりで、物語的にはSpeedkingよもやま話⑨従兄のペダルその後Ⅲの続きだ。
が、今回はバスドラ側は非登場だし内容の継続性からこっちの項目とした。

この際なので俺と従兄の現況で可能な全てを集めて比較したが、かなり知識・経験値の向上をみた自負はある。

機材概要はHi-Hat CymbalがPaiste The Line Soundedgeと602 Midium,Zildjan New Beat(’70年代末期),上がPaiste 2002 Crash/下がZenって従兄独自組成の4つで、サイズは全て14だ。
StandはYAMAHA-HS710,TAMA 
HH95・95NLとHH35Sで、クラッチ部だけから果てはそれのフェルトだけなんての迄可能なのは組替えて試験してみた。

先ず踏力の件の続報として強まる程Closed時の「踏み過ぎ」の発生し易いのが判明、特に薄手・柔らか目のCymbal使用時は顕著且つ回避困難だった。
しかも被験者が従兄の先生であるから特に弱い側の力加減は達人域で、それへ俺が煩く注意を促してもだから信頼度99.99%と断言出来る。
残りの0.01%は例えば相撲の白鵬関が太鼓の達人化した場合で、超重脚・超強力・超柔軟・超微細加減能等を同時共有してれば或はって感じだ。


SoundedgeとNew Beatなら辛うじて一定範囲に収められるが、602 Midiumや特にそれよりTop側が薄い従兄変態コンビでは不安定極まり無くなってしまってた。
最後者は奏者の従兄には未だしも、今回意図的に極力傍聴サイドに身を置いた俺にはあと少しで新拷問手段発見みたいであった。

Cymbalの鳴りについては簡単に言えば古いStand程良好で、各部の硬度と材質の差異が原因とみられた。
拙ブログ「
楽器の欠点と使用者の立場」等で継続的に唱えてるが如くで、構成部品が強度より硬度や共振に留意されるのがより楽器的なのがここにも表れた。
完全に当て嵌まりはしないが「古い」はその時期次第で、今よりチープな材しか無かったのが実は意外と楽器には向いていたと云う事。

また硬度についてはフェルトも同様で、従兄が購入当時入手性の都合で選択した某P社の極硬フェルトに至っては俺には立派なミュートと感じられた。
これを使うともうどれのどれとの組合わせでも必ず音質変化して、従兄よりCymbalでは鳴りにかなり無頓着な俺でも即不許可であった。
乗せられて無理購入した俺のSoundedgeが、大袈裟に言えば価格の桁を1つ減らしたみたいに安っぽい音色になるんだからたまったもんじゃない。

それから鳴りで俺でも見過ごせなくなったのがFoot Hatで一番明確に差が現われ、そもそももう音量からして全然違った。
これはどちらがどう試みても人の方は結果差が僅少で、フェルトもだがStand自体の依存度がとても高かった。
加えて「聴く場所に依る音色差」が同様に出現し、この部分は完全On Mic時以外は何人たりとも無視出来ないだろう。

本実験の結論としてはHi-Hat Standはゴツイのは駄目ってか無理で、現在販売されてる物からすると酷な結果となった。
使用者観点からも強度・耐久性はあるに越した事がないので厄介で、只でさえ俺みたいな粗忽者にはCymbalの破壊用心だけで大変なのにだ。
しかし少なくとも維持費増加があってもフェルトだけでもなるべくヤワとするのが良さそうで、一番壊れても安いの位は他の為にケチらんのが賢明そうだ。

従前からの俺論の証拠的意図は皆無だが、Cymbalの位置保持は「音の為」には基本的に諦めざるを得ないと心得るが良い様だ。
破壊予防的には位置が安定してる程有利と感じて来たが、叩き方の方で対処するしか無いと云う事でもある。
当日は他にアンサンブル時のテストとして従兄太鼓と俺Bassってのも試したが、それ等は次回の講釈へ続く。

2018年10月10日 (水)

J-POPサウンドの間違い探し③

前の流れから今回は「音圧」をテーマとするが、専門職以外の者にとっては聴感上の問題となる。
最近常々俺が気になるのは無暗に何にでも深いコンプを施す点で、これは単なるローファイ化になるだけなのだ。
本邦レコード会社のお偉いさんはよっぽど昔のAMラジオやテレビの「悪い音」が好きなんだろうかと、つい勘繰りたくなってしまう。

実際力感とか密集度・一体感の点ではそれなりに効果はあるが、単なるローファイは真の明瞭度やリアルさは殆ど犠牲になってしまう。
本来プロが意図的にこれらを取り入れる場合は上の点にも注意を払い、必要部のみ限定とか丸々施す事はかつて無かった。
全部にしたら冒頭の通りで一般聴者には単に音が悪いと思われるだけとなるし、マトモなプロデューサーやパフォーマーだったら高い金払ってこれかと文句を言われるだろう。

俺的にはこの大きく初歩的な恥ずかしい錯誤は、知識不足が最大の原因だと見ている。
巧く使いこなすにはやはり「技の本質」は必修要項で、それには最初は簡単で良いから歴史を辿るのが大切だろう。
かなり以前から触れてる通り「音色創作コンプ」は、スタジオに籠ったBeatlesの「おウチでも生みたいな」対策が嚆矢だ。

ここで要注意なのが当時は機器性能の問題で、どう頑張っても現代みたいに「ありのままを収録する」のが不可能だった点だ。
コンプ使用は苦渋の決断・苦肉の次善の策だっただけの話しで、わざわざ自信を持って創り上げた音を変えたい筈が無いのに我々はもっと気付くべきだ。
演ったままと録ったのがどうにも違っちまうから、仕方無く修正しようとしただけなんだよ。

もう1つ注意すべきなのが電気楽器音の扱いで、一部例外を除き電気楽器用アンプは元から「弱いコンプが掛った音」になっている処だ。
電気楽器とオーディオの両方にそれなりに携わってないと認識し辛そうだが、楽器用は意図的になるべくそうなる様に作られている。
器楽音の認知の問題も結構「三つ子の魂百まで」が強いもんで、初めて耳にしたのの印象が強い程それに近いと「あの楽器だ」と捉えられる。

エレキの黎明期に現代比では音響は非リニアしか無かったが、それが人々へエレキの音として刷り込まれているからだ。
そして特にエレキギターの音色は歪ませる程自動的により音量
均一化が促進され、生の太鼓とは音響的に正反対の性質を持つ様になる。
なのでアンサンブルの整合性を求むるならば、生度の高い物程コンプして生度の低い物には極力コンプが掛らない様にした時程音が揃うのだ。


よってギターへ綺麗な歪みのエフェクタを掛けてるその後でコンプするのは愚の骨頂、且つ実質的には有意義な効果は全く望めない。
万一そんな事をしたくなる様ならそれはエフェクタ選択ミスが原因で、もっと雑でもワイルドな音色の機種を用いるべき状況だったってこった。
普通は何でも汚すより綺麗にする方が大変なので間違え易いが、この件では単に雑音を増やしたりするのではないから当て嵌まらない。

一たびポマードやグリースで整髪してしまうと幾ら掻きむしった処で、シャンプーしないと自然乾燥させて乱れた様な感じには出来ないのと同じなのだ。
大元が生の人の演奏では電気的後処理に出来るのは、整える方の一方通行路なのだ。
もし機械で意図的に乱すにしても奏者の意図を完全に履行するには、その為の情報を特別な手段で先に記録でもしておかなければ再現不可能。

もっとミクロな視点になるが例えばMic1つとっても、厳密には入力レベルによって周波数特性は微妙だが必ず変化する。
音を電気信号に変換する核心部分は未だ完全アナログのしかないが、アナログ機器の動作は一切の例外無く全てが「徐々に」だからだ。
そもそも音自体が空気振動で環境の影響をモロに受けるので、デジタルチックな世界観はハナッから無意味で通用しないのだ。

これらを忘れないがしろにして幾ら「無理加工」を試みた処で、所詮は「暖簾に腕押し」と虚しい結果しか招かない。
そこ迄無駄な苦労をする位だったら単純に練習する方が確実に音は良くなり、「後で無理して」に対し「最初から」なので効果も桁違いに大きくなる。
先に記した通り電気的操作は受動的作用しか持たず、能動的に柔軟に作用するのは今だって「演る方」オンリーなのだ。

こうなって来ると課題となるのは「POPに何処迄音圧が必要なのか」で、極端にひ弱にでもならなければハッキリ言って「不要」で御座居ます。
「最初」なら生の癖に打込みっぽいのも新鮮だけど、効能があるのはせいぜい3年位が限度じゃないんスカねぇ。
それに何と言っても正確さ等では機械に勝てっこないし、その逆もまた真なり。
やはりそれぞれの特徴は無理に改変するより、上手に活用するのを考えた方が利口なんじゃないのかな。

また近年のAKB48を筆頭とする「成長過程を楽しむ」アイドル文化の観点に沿えば、許容範囲の失敗はそのままとした方が可愛さアップになるのでは。
ポピュラー音楽は「親しみ易さ」命なんだから、クラシックの大御所の名手に対抗する様な真似は寧ろホントはマイナスでしかないでしょうよ。
上手い下手より綺麗汚いより、身近さとか独特の個性とかそう云った魅力にもっと注力したらもっと楽しめる物になる筈なんだよね。

或は若干無責任な提案だが打込み専門のバンドなんてどうだろう、各パート専属でって俺は未だそんな存在を知らないが。
そしてLiveでは歌はどっちでも良いがダンスパフォーマンスに専念する、俺知りでは近年の若年層では勉強よりスポーツより踊りの上手い奴が神らしいし。

2018年10月 8日 (月)

J-POPサウンドの間違い探し②

昨日から始めた危ういテーマだが、どうか慌てて勘違いして簡単に老害と言うなかれ。
過去の時代の体験者からみると近年はどちらさんもグローバル化が著しいのに、邦楽系だけ海外との交流が極端に減っている。
まるで意図的に日本のレコード会社が鎖国でもしたのかと思わせられる程で、J-POP界はとても異質に見える。

時代の流行があるにせよ日本のポピュラー音楽界では第二次大戦後、進駐軍絡みで交流が盛んになって以降’80年代位迄それはずっと普通だった。
Jazz全盛後もベンチャーズとの深い絡みでテケテケブーム(
エレキ)が起きたり、彼等が作った曲(何とド演歌)がヒットしたりもしていた。
その後今度はそれ迄は来て貰うだけからこっちが出向くのも段々増えて、海外でのヒットこそ産めなかったが少なくとも業界レベルでは価値観の共有等も多く見られた。

正直な処俺が基本的に邦楽に興味が薄いのでそれが変化した正確な時期は不明だが、日本で一応メジャーになってから海外でも知られた人について見てみる。
なのでピコ太郎みたいにイキナリ世界を除くと最近なら、YOSHIKIとかBABYMETAL辺りが先ず思い浮かぶ。
処が少し前に記した通り彼等の所属事務所が何時の間にかアメリカの大手になっていて、その意味で彼等は日本人でももう既に「外タレ」(外人タレント:死語!?、海外アーティスト)になっちまったのだ。

前所属事務所を止めた記述は無いので
国内では従前のままなんだろうが、逆に言えば日本の事務所は海外での仕事を放棄してる事にもなる。
数多の困難を伴うのは必至だが折角のビジネスチャンスを手放す訳で、少子化でマーケット縮小が既定路線と云うのに妙な具合だ。
現時点ではそれなりのお金は入って来てるんだろうけど、芸能事務所はアパートの大家さん等とは仕事の種類が違う筈だ。

不動産業には若干の知己があるのでこれへ置換すると、大家さんは音楽なら作曲家等の立場と近いだろう。
バンド等はグループによっては持ち曲が全て自前ではない者もいるので、彼等は大工職人辺りになるか。
とするとその元締めたる事務所は建設会社の立ち位置となり、本来ならどんどん色んな所へ進出して新築契約を取って来るのが最大の職責になるのだ。

因みにPA屋は左官・楽器屋は製材所とか鉄工所…キリが無いので留めるが、チームプレイで為されてる仕事ならやはり類似の構造だと思う。
近年の本邦の企業活動を眺めると規模の大きい所程経営サイドが老害の巣窟だからか、未だに20世紀の能率主義に固執の挙句失敗してる様に伺える。
その昔の悪い意味での非効率な親方絶対主義的なのばかりと比べれば、経済的合理主義にも価値と意味は確かにあった。

しかしどうも何時まで経っても老害供は白人絶対崇拝的な主義が抜けない様だし、しかも「下手な真似」なので見落としも多い。
俺自身中々この誤った論を正しく理解・解明出来なかった為に、貴重な若い時間を半引きこもりみたいにして浪費してしまった。
それの根幹は字面或は理屈と実際の現場の人間の感覚の違いで、例えばアメリカではちょっと怪我した位で簡単に野球選手をクビにする等冷血と誤解してた辺りだ。

それはこちらの受止め方の感覚が日本的なままだった為に生じた事で、一度クビになったら殆ど
もう終わり的に勝手に思い込んでたからだった。
実際のあちらではもっとドライと云うか軽くゲームみたいな感覚で捉えられてるらしく、クビも早いが雇うのも早いみたいなのだ。
駄目なのを黙認出来ぬが優れてるのに対しても見逃さず、日本的感覚では身分がコロコロ変動して不安定に映るが労働と対価の点では単に正直なだけだった。

最近これの具体例として現れたのがGibsonの倒産で、傍目にはTEACを子会社にしたら潰れたかの様に見えるがどうなんだか。
それと比べたら売り上げが全然少ないRickenbacker何ぞとっくに潰れてても可笑しくないのに、実際は健在みたいだ。
これについてユーザー観点ではG社は「良かった時の仕様」のはバカ高く、それが為少なくとも数が売れっこない。

一方R社は完全仕様のはそれなりに値が張るが何分小規模なんで、そんなに沢山部品の種類を作れやしないし開発も遅い。
だが結果的にそのお陰で多少の差はあっても、実質的にはどれもが「良かった時の」と大差無い物となっている。
経営者の声も時々目にするが最初それは偶然だったが、最近ではこの点にも充分気付いていて注意している様で「運命の分かれ道」だったんだと思う。

個人的趣味の鉄道車両でも近年本邦では無茶な画一化と合理化が酷い様で、
複々線化完成で混雑率が下がったからってわざわざ前より狭巾車体にした
小田急は人でなしだ。(それ以前俺は熱烈なヲタでした)
一番込む時は150%と3人に1人は未だまともな空間が得られてないのに、前より空いたんだから良いでしょって事あるかよ。
製造コストをケチるにしたってそこ迄安くはならないのにね。

それより乗客にケチが露骨に露呈する方が明らかにイメージダウンなんだが、要は今の経営者が自分の代の時の成績だけを重視してんだろうね。
だけど将来要介護にでもなった暁に面倒見る側が皆ど貧乏だったりしたら、後で困るのにそれすら分かんなくなっちまってんだな。
それを他業種比較では元から儲からない音楽業界へ持ち込むんだから、根本発想から転換しなきゃ幾らケチった処で赤字間違い無し。

個人的にこの病気からの脱却の鍵は「餅は餅屋」なのではないかと思っているが、高学歴以上に「その業務に対する実力」が重要だと感じている。
中盤に述べた俺を筆頭とした「日本人の勘違い」案件にしても、唯アメリカ人であるだけで全く発生しない現象なのではないか。
金以外興味が無い奴なんか雇えば金融業界以外じゃ使い物にならなくたって当り前で、ギター屋なら一応弾けるとか鉄道なら少しはヲタだとか当然そっちの方が役に立つのにな。

そうすれば前回指摘したコンプとリミッタ・レベラーの違いなんか最初から皆分かる訳で、無知な邦人にしか通用しない様な不始末は起こりやしない。
打込み・ゲーム音楽への対抗で野暮な音圧稼ぎが横行してるが、ノーエフェクトでもやたら蒸し暑い音源だって昔から一杯あったんだよねぇ。
余程仕事としてしか聴かないから知らないのか知らないが、お初なら良いけどずっと後発で模倣してたんじゃちっとも目立ちゃせんてそんなんもう古いわ。

2018年10月 7日 (日)

J-POPサウンドの間違い探し①

J-POPが好きな方には悲報となり兼ねないので、冒頭にお詫びさせて頂きます。
また個人の好みに干渉する気は微塵も無いのと、必ずしも近年本邦の作品全部が該当するとは限らぬのもお断りしておきます。
俺が問題としてるのは主に録音上の音創りやミキシングについてで、画一的でつまらない他に難聴を誘発する心配もあるからだ。

どうしても記録されてる音の全てを漏れなく聴かせたいとなれば、
極力音量が一定で各パートの音量差は小さ目にすれば取敢えずは一応聴き取れる様にはなる。
これは小音量再生された場合でも全体が聴こえるので、音漏れ懸念等から解放される利点はある。
但し聴者が制作側の意図に沿った必要最低限の音量としたらの条件付きで、現実にはこれを守るのは容易でなかったりしている。

巷にある様々な音のどれもが
必要最低限とされてはいないし、聴者が周囲で次に何が起ころうと絶対聴こえなくならない様にすれば爆音へと向かいがち。
つまり悪環境対応性能は高いけれど、ある意味「好きな聴き方」をあたかも否定した音創りと云える。
同じ人ですら何回も聴く中で今は歌だけとか次はギターだけとかの、違った聴き方要望が出て来るのが当然の事なのにそっちはほぼ非対応ですわ。

因みに上記の一部聴きは歌唱や楽器練習の為の抜き出し分析等は例外扱いで
、飽く迄娯楽目的の場合を指すもの。
スマホアプリやPCソフトで今ではそれを簡単に実現出来るけど、それではこんな伴奏でそんな歌と云うのは味わえないですから。
一部のみと云っても背景次第で印象が異なるのは当然だし、それまで奪っては「その曲の時は」等の要素が欠落してしまう。

そもそもポピュラー音楽で歌物なんなら主役は常に不動で歌、例えその曲で如何に重要な任務を持ってても器楽音(伴奏)は脇役じゃないと意味をなさない。
逆にギターの伴奏が歌でも構わないがそれではある意味ポピュラーの範疇から逸脱するし、曲のタイトルから変更を考えた方が良いかも知れないのだ。
つまり主役の安定・固定が安心感等にも繋がり、それが親和性をもたらしてる訳ですな。

これを車に置換するとぶつかっても絶対壊れないとなってそれだけで済めば最高だが、相手が歩行者なら無用な大怪我を負わせてしまう。
誤って他所の家に突っ込んだ場合なら唯の解体重機となり被害拡大、では同じ車同士なら無事!?とならず乗客全滅だろう。
「人が」移動する為の道具なので壊れにくいのも大事だが、極力「人が無事」で済まないと一般的な道具として危険過ぎて成立しない。

目に見えない分分り難いが音にだって「無くせない背反条件」があって、これは原理的に解消不可能だ。
俺的には本邦では歌を聴くのがほぼ=歌詞を聴き取るになってる人が多数派に見えるが、そのお陰で悪運強く目立たない歌でも聴いて貰えてると感じる。
「ポップ」を重視したら「無意識」でも「楽に」「自然と」歌だけが先ず耳に届かないと変で、聴き取れるのとその手間不要で最初から簡単にもう楽しめるのの違いを忘れている。

誰が主役かサッパリ分からない劇を見てストーリーが分り辛くなるのと同じで、程良く分離が残ってるからこそ
却ってそれぞれの存在感が生まれるってもんだ。
もう1つこれの弊害なのか分からんが、インストゥルメンタル(歌無し)が異常に少なくなってるとも痛感してる。
ホントにギターならギターを前面に押出したいなら、必要最低限時のみゲストボーカルを参加させる等の編成の方が圧倒的に効果的だ。

ここも大した矛盾で売りたいから流行りの音ってのは分かるが、「合わない手法」をわざわざ採用固執してどーすんのよだ。
全部が一様に聴こえるってのはプチスターの集合体になる訳だが、それじゃどう頑張ったって唯一無二のスーパースターなんか絶対産めやしないのよ。
厳然とした主役・脇役があって尚且つその差が歴然としててこそ、スターの価値も分り易くなるんだからさ。


そして何より問題となりそうなのが冒頭の物騒な文言「難聴」で、耳馴染みや聴者の疲労にはとても厳しい音になってしまうのだ。
無理難題を無理矢理共存させたのでどうなってるかっつうと、どれもパワフル・明瞭・存在感抜群ってのは本来現実には存在し得ない音なのよ。
俺には各パートが全員で大喧嘩してる様にしか見えないし、幾らこっ酷く殴られても永遠に倒れないゾンビじゃあるまいしってね。

これに輪を掛けて不味いのが音量均一化の手段の選択ミスで、音色もデブって一石二鳥と安易にコンプレッサを乱用しちまった処。

日本人が古来より得意だった「間の文化」と正反対だからしくじったか、「詰込み文化」なら大陸系人の専売特許だろう。
量を揃えるは英語ならレベリングとかになるんじゃねで、
近年ではほぼ名称を耳にしなくなったが一応「レベラー」なるエフェクタもあったんだけどねぇ。

昭和の電気・音響に明るい人にしか通じないだろうけど、かつてのテープの自動録音の中にはオーディオ向けに言わば半自動のもあった。
SONYではそれをリミッタと称してて実際入力過大時に感度を下げるものだが、PA屋のそれとは少し違いがあった。
普通のリミッタは一度作動しても入力が下がるとすぐ感度が元へ戻るが、これは戻る迄の時間をわざと長くしていた。

その目的は電気的原理はリミッタもコンプもレベラーも同一なので、反応が良過ぎるとコンプみたいに音色をイジって変える危険があるからだ。
この際ついでで3者の相違を記しとくがその名称は主要用途を表してて、
①コンプレッサ:音色を変える(聴感上の音圧を上げる等)
②リミッタ:過大入力の制限(PAの故障・記録物の歪み回避等)
③レベラー:音量の均一化(聴き易さの向上等)
とそれぞれなっているからだ。

なので本来聴き取り目的ならレベラーが適してて、少なくとも上述みたいな「急な音量変化はしない設定」で用いないと中々所望の結果は得られない。
この錯誤は結果的に不自然に「隙間」無さ過ぎな満員電車痛勤サウンドになって、辛うじて聴き取れはするがとても疲れ負担の多い音になってしまう。
しかも大巾な音色改変を容認した割には荒く安っぽくなってしまい、俺みたいにある程度年取った者には「電池の減った安物AMラジオ」みたいに聴こえる。

昔の人には競馬・競艇・競輪場のヘベレケ迷惑オヤジのうるさいラジオで分りそうだが、今の若い人なら携帯電話の声に近付くとでも言えば少しはピンと来るのかなぁ。
折角スマホが高音質化されてもネタがこれでは全く無意味、日本では音楽関係の元締めは殆どがオーディオやってる会社なのにねぇ。
聴く人が各自の状況・好みに応じてアプリで加工してが出来る様になったんだから、
録音は素直にしといた方が何かと便利な筈なんだけど…。

2018年10月 5日 (金)

Speedkingよもやま話⑨従兄のペダルその後Ⅲ

Rock系の世界では個性第一は大変結構なのに、俺が従兄をヘソ曲がり呼ばわりするのは以下の理由に依る。
普通で良いとしながら在り来たりを嫌うので、俺的には中途半端に地味に違うのを良しとしてるのだ。
その気持ちは充分理解出来るが実現性が問題で、こう云う微妙なレベルとなると道具より使い方由来となって来るのが常だ。
が、道具自体も少し違ってて欲しいと我儘を出すのでこれは難しい。

前回バスドラペダル案件にしても参考にしてるSimon Phillipsは、TAMA
 HP60をオープン踏み・フロントヘッド(昔は穴無し)付き。
しかし従兄はテスト省略でフロントヘッド大穴有・クローズド踏みなので、「どんなのであんな音」の部分は未体験のままだ。
諸事情で誰しも理想通りには行かぬものではあるが、どうせなら纏めて経験しといた方が知識としても系統立って行けるので惜しい気がした。

踏み心地が奏者に問題になるケースだったからペダルはまんまだが、音色とその物理的原理を考慮すると本来なら極力押圧の小さい方が原典に近い筈なのだ。
何せウルトラロウピッチだと皮の反発がノーマルより大分弱まるから、同じ踏み方のままだと「止め」が自然と早まったり強まったりする。
すると周波数低下で、最低発音可能時間が増した基音がより出し難くなるのだ。

なのでSpeedkingでの再テストを試して貰ったが奏者従兄の場合は却って芳しく無く、一番下よりその上が膨らみ気味で何よりアタック音が全然不足になった。
どうもゴリ脚でなくても本家の方が従兄より重いとかパワフルとからしく、教則ビデオ内でトゥだけで踏むのが慣れもあるにせよ従兄より楽そうに見えた。
試しに強ゴリ脚の俺が踏んでみたら殆ど真逆の音がして、俺言い閉じた柔らかい脚(ナチュラルクローズド)でもアタックオンリーみたいになっちまった。

従兄はベテランのプロだから口にしなくても予備計算等もあったんだろうが、結果オーライを良しとするのは奏者ならではなのかもしれない。
俺みたいに楽器屋・技師の立場も併存してる者にとっては微妙になるが、それは条件成立がかなりピンポイントで応用や調整の巾が限られるからだ。
万一現状より少し何処かを変えたくなったりしたら、恐らく再度ゼロからやり直しになりそうだ。

Hi-Hat Stand案件で従兄は実は買い替え案を持っていたが、上記の様な懸念から俺は敢えてストップを掛けている。
彼の所望は薄目・軽目のハットでも鳴りが良く、そのままでJazzもちょっと行けると云うものだ。
だが現行品では並の価格帯のだと特にスタンドの下半身がヘヴィ過ぎると判断したからで、Cymbal本体がCrashやRideより小型軽量な分「支持の硬さ」が不要ミュートに繋がるからだ。

宅とは環境差があるのでそこも無視出来ないが、次回訪問時に思い切って宅のYAMAHA HS-710を持参して直接比較してみるつもりでいる。
購入時点で既に十二分な中古だったが、個人的には
当時は「下は結構ゴツイな」と感じていた。
今だと華奢な部類だろうがLudwigやRogersのヴィンテージとだとゴツく、一言で表せば「非最低限」だ。

現段階では実証が無いが、例えば次の様に想定している。
もしアコースティックギターを頑丈なコンクリート壁に完全固定して弾いたらで、低音はしっかりしても恐らく音の拡がりが無くなるのではないかと。
どうも過去の動向を思い起こすと俺言い「厚胴オリンピック」は太鼓より弦の方が先に終った感があるが、重量・コストだけがその原因では無さそうなのだ。

皮より弦は小さく非力だし、皮みたいに「大きな入力」を与えるのは不可能だ。
エレキの方でも特にギターアンプのキャビの板の薄さに良く反映されてて、人耳に大きくてもスピーカは恐ろしく非能率なアイテムだからね。
幾らコスト・重量で華奢が有利でも音が駄目なら売れない訳で、それが無いからオーディオとは完全に反対方向へ進化したんだからさ。

通常の汎用オーディオでは再生ソースを選ぶ様だと不便なので、例外を除き極力「スピーカだけの音」が出る様にしてある。
掛ける曲等如何で不要な悪癖が付くと困るので、響かせるとしたらスピーカの弱点だけを補填する分に留められている。
しかし楽器は「極力各々独特の響きが欲しい」ので
正反対になり、美味しくなる様に調整は要るがなるべく響きを増やしたいのだ。

このドラムセットの支持(保持)剛性(固さ)の件は、太鼓について俺はRims等が一応最終回答ではないかと感じている。
響きを妨げてはイケナイけれど不要に動揺し過ぎては叩き辛くなるし、万一音と
動揺の共振周波数が悪一致してしまった場合(逆相)は響きが相殺される。
となると基本的にはガッツリ位置を保ちつつ、音に依る振動(つまり響き)に対する分だけ自由なのが適してる訳だ。

だがCymbalの方は太鼓でだとあたかも「皮の部分」だけしか無いのと同じなので、上記思想を適用するともう動くのを幾らでも許容するしか無いのだ。
又薄いのになる程振動し易いが、ってこたぁ代わりにそのエネルギーは弱くなる。
特に薄手だが余韻の長さがそれなりに得られないとならないタイプの場合、一番この影響が顕著となるだろう。

これは物理的には最悪条件とも言えるが、従兄はその手の音が好みなのだ。
最近じゃ俺だって多少マシになって来たが、それでもCymbalの音の綺麗さではまだ全然従兄の圧勝だ。
金物類のスタンドも彼は可能な限り意図的に軽量・華奢な物としていて、それだけに余計ヘヴィなHi-Hat Standでは孤立してしまうのだ。

Speedkingよもやま話⑧従兄のペダルその後Ⅱ

さぁて今週の収穫は、バスドラのマイキングでした。
従兄好みのSimon Phillipsっぽい音色の分析結果、俺の想像通りでやはりウルトラロウピッチだった。
本家がTAMAを使用するのも、そこ迄下げても鳴るからと実感したのだった。
このチューニングでは宅の物理的には貧弱なLudwig 3plyだと、録音には耐えても生だと埋もれる。

俺的には無味乾燥感満載の近代国産太鼓であるが、外人でも好む理由として丈夫さ以外にもこの辺が効いてるんだろう。
但し今度は生で平気でも何せ周波数が低くなるので、並の録音方法ではそれが充分には拾い切れなくなって来る。
それでか近年の本家は英国人だからか収録は全てコンデンサマイクで、しかもエンジニアリング迄本人自前となっている。

処が従兄はまだバスドラに使えるコンデンサは不所持だし、前と違ってツーバサーになったから2本要る。
けれど完全にSimonサウンドにしたい訳でも無い様で(それだとオリジナリティが無い)、取敢えずMic本体より設置位置の研究を先に試みる提案をしたのだった。
従兄は俺程ヘヴィな音色は所望して無く、アタックのシャープさ等
主にニュアンス面でSimon氏を参考にしている。

現に彼所持の
Simon氏の教則ビデオ(VHS)に参考例があるってんで見てみると、これがかなり昔のだからか本人も若くまだコンデンサでなくダイナミックで収録していた。
そのMicは角型のダイナミックで外見は
SennheiserのMD 409とかっぽいが、性能面から考えるとAKG D12か。
Mr.おぼろげマンたる俺の記憶じゃ怪しいが、
Sennheiserでもふた昔前は角型低域用があった気がしたが…。

それでも物は試しでやってみるもんで、本家の設置位置を参考に少し試しただけで見つかってしまった。
元からの従兄の好みでMicはクジラx2(
Sennheiser MD-521なので厳密にはクジラ擬き!?)だが、それでも低音不足にならなかった。
実際の位置を許諾を取って無いんで少しだけ披露すると
バスドラ収録としては少々特殊で、かなり打面に近く打点からは少し離した感じだ。

これで従兄のバスドラ懸案は残す処ホントに後は腕(足)次第となったは良かったが、それによって今度は従前よりの懸案事項たるHi-Hat Stand問題を再燃させちまったい。(´Д`)ハァ…
それ位とっとと自分でと感じなくも無いけれど彼は講師・奏者で楽器屋ではないので、意地悪は止してこれへ取り掛かった。

ツーバサー化後の従兄の
Hi-Hat Standは拙ブログ過去記事に記したのからは変更されてて、現用太鼓と同時購入のTAMA HH95NLって脚の付いて無いツーバサー御用達のとなっている。
また当時の彼思想がお試しだったので同型の一般型HH95も買ってたが、その後脚固定ネジ穴をナメて以降お蔵入りとなってた。
これらはLever Glide式で踏み心地の特殊なのは難点だが、バネ強さが調整可だし特に強くは無い物だ。

前回からの経緯で従兄はバスドラペダルはSpeedkingで無くなり、俺は再びStudioliteで2号機が使える様になった。
これも過去の経緯だが従兄もバスとハットのペダル強さが極端に違う困難を体験済みだったからか、ナメたネジ穴の修理方法相談も兼ねてその
HH95を持ち出して来た。

俺自身宅の中古のでこちらは原因は異なるが「締め」問題に対処してるので方法論は持ってるが、今回のは「位置を維持出来る」だけで良いのでもっと安易な手を提案した。
タムホルダ等パイプ位置を特定させるのにメモリロックってのがあるが、これに類似ので上下から挟み込めば事足りる。
しかもその手のは太鼓屋なら他でも幾らでも使い道があるから、万一不満足になったとしても手戻りの心配がない。

そして取敢えずこれの類似手段で一応使える様にしてみたが、これで
漸く俺好みの「Hi-Hat踏み叩き」がほぼ普段通りに演れる様になった。
が、しかし、流石はヘソ曲がりの従兄だから
!?、「このStandはハットの鳴りが悪いからそれが困るんだよねぇ」と来ちまった。
但しそれが単なる愚痴ではなく生徒さんに誤解を植え付けるのを懸念しての事なので、こっちはストレス山の標高が上がって仕方無いがおいそれとは批難出来ない。

<つづく>

2018年10月 2日 (火)

アンサンブルの低音の作り方Ⅶ

こう唱えて来るとEQ嫌いと誤解され兼ねないが、イコライザに限らず音質調整は大好物な俺だ。
しかしだからこそそれなりの追及の結果、俺言い「後電気加工前」がとても気になり出したのだ。
この難解表現の説明を端的に言えば、主に録音後と云う意味だ。
それに追加するなら電気楽器に於いて、演奏状況を無視したアンプ調節辺りが該当する。

本邦の信者様には申し訳無いが、ベースは指で弾かなきゃの癖に無思考なフォームの者の多い事。
実際ウッドベース(コントラバス)ではスラップ奏法の叩く方とピック弾きは、困難且つ不適切だろう。
だがベースはベースでもウッド経験レスでエレキしか弾きっこないヤツが、理解不足のまま雰囲気だけで盲信ってのは全く頂けない。

最多のバッドケースは折角指でも趣旨不理解の為、低音不足の上に細くなってしまってるパターン。
次点は非力なのに無理して結局弾きが弱過ぎたりした為、輪郭が無く雑音過多になってしまったりしてるパターンか。
無論アンサンブル等へのニーズを満たしてるならご自由にだが、エフェクタ等で無理修正したのと元からのでは後で大差が付く事請合いだ。

Bass
一例として指と弦の角度の略図を示したが、正面から見て指が弦に対し起きてるのと寝てる場合の差についてだ。
左の赤・右の水色の矢印の巾を比較されたしで、要するに右の巾広=広面積の方が音が太くなり易いと。
特に対黒人比で手が小さく指が細い東洋人なら大問題で、左様ではあたかも軟らかい(薄い)が尖ったピックで弾いたのと近似状態になってしまってるのだ。

そう言いながら俺自身は右式の使用頻度が高くないが、弾く強さと指が弦に掛る「深さ」が極限に近くなってる但し書き付きの為だ。
近年のJ-POPを耳にするとどれも必死に太くしようとしてる様に伺えるので、だったら単純な手がありますよと云う訳。
只このフォームの難点は楽器の構えが高いと手首が急角度になるのと、支点親指の移動が必要な処だ。

ここ数回述べてる元音・出音の件だが、概略は以下の様に認識すると良いかもだ。
体を大きくするのに筋肉を鍛えるのと服の中に綿を詰めてコスるのでは、前者は押されても殆ど変化が無いが後者はおもむろに凹む。
その前者にしてもプロテイン等を飲んで促成栽培したのだと落ちるのも早くなるが、大変でも時間を掛けて築き上げたのならほぼ一生ものになる。

だいいちポップスに今の本邦のみたいに、どれもにあんな迄マッチョな音が
そもそもホントに要るのか大いに疑問だ。
俺自身今ウィキペディアを見るまで不認識だったが、BABYMETALを始め一部の日本人音楽家の事務所が既に米最王手の
所属になってた。
野球界でも実力者の選手のメジャーリーグへの流出が継続してるが、「誤った今本邦の基準」に下手に合致させてたら将来命取りになりそうだ。

音楽界に限らず特にアマチュア系スポーツ界はもう滅茶苦茶になってるが、悪い意味での旧態依然の興行師(近年では死語か!?)がはびこってる内は見込み無しだ。
彼らは各業界の「特性」に無知で安易な短期収益しか頭に無い様だが、ブームと云うものに魂を売ったんだろうか!?。
確かにブームは通常短期的だが、何時来るかも回数も実は全く決まって無いのだ。

ちびっと後乗りするだけなら計算に基づくのも可能だが、真の大ブームは石油や温泉が唐突に掘り当てて噴き出すが如しである。

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