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2018年9月

2018年9月28日 (金)

アンサンブルの低音の作り方Ⅵ

今週はツーバス案件とは別に、バスドラのゴーストノートの事を従兄の先生に教わって来た。
以前から個人的に気になってた作品があって、それの演奏の専門家としての分析をお願いしたのだった。
近年ではほぼ皆無になった
バスドラのゴーストノートだが、実際その有無でアンサンブルの低域の表情が別物になる事もあるからだ。

近年本邦ではスネアのも
ゴーストノートはすっかりマイナー化して淋しいが、こちらはあたかも皮や胴は鳴らさず響線(スナッピー)だけを鳴らす様な手段だ。
なので弱いアタック音だけを付加する効果だが、バスドラの場合は真逆となる。
スティックチップより軟らかかったり広面積での打撃なので、弱めるとアタックと余韻のバランスが逆転するのだ。

Jazz全盛期には多用されていたが如何せん「主張しない技」だからか、最早殆ど幻の技に近くなってしまったかも知れない。
俺自身お遊びレベルだが時々雰囲気だけでも味わいたくて、典型的4Beatを刻む以外で実際使いたくなった事が無い。
それなので純然たるRockでは使われないと思い込んでいたが、今回の分析で見事に勘違いが証明されてしまった。

で件の作品ってのはJohnny,Louis&CharのHead Song(アルバムOiRAの1曲目)の事で、アタック音を頼りに拾うと基本バスドラは4つ打ちだ。
がそれを低域成分や余韻に頼るとどう聴いても8つ入ってて、俺の愚頭はシャットダウンしてしまっていた。
ドラマーのジョニー吉長氏の足癖由来で偶発した事として、腑に落ちないが
長年仕方無く勝手に処理していたものだった。

今回従兄の先生の分析方法はパソコンソフトで低域だけを抜き出して聴く方法で、それだけなら音響屋の俺には元からあった発想だった。
だがそれで判別可能なのかがこっちは分からなくて、専門家はバスドラが「どう聴こえる」ものかを熟知してるので確実に自信の持てる処が大違いだった。
結果は「意図的にそうしてる」のだそうで、バスドラの幽霊側の音が安定して同じ音になってるのがその理由だと素晴らしい説得力だった。

俺が知る限りのライヴバージョンではこうなってるのが無くて、しかしそのせいかどうも全体のリズムニュアンスがスタジオ版と違って聴こえた。
彼らの録音物の中ではこのUSA LA録音のだけベースが小さ目で、しかし当時全盛期のLAサウンドではデフォルトの楽器バランスだ。
奏者本人が早逝しちまった今では確認はより困難になってしまったが、俺には「低域の刻みが足りなくなった」のを補おうとしてた様に想像された。

’80年代前半迄限定だが俺知りでは一部例外を除き、アメリカでは太鼓が大き目でイギリスではベースが大き目なバランスとなってた印象がある。
因みにこの例外はアメリカ南部ので、例えるなら全体像は乾かした英国サウンドって感じだ。
ベース音量の都合からかUSA(LA)系はギターの音も低音控え目で、サザン系はその逆だった。

これは端的に云うとRockの伴奏で良くある「
ジャンジャンジャン…」がLA系では軽やかで爽やかに、サザン系では力強く聴こえて俺好みでは後者有利だ。
公共利益を考えて脱線から早期復旧させる!?が、件の曲ではフレーズ的には8Beatを継続的に鳴らしてるのはBassだけだった。
躍動感は要るがテンポだけに頼れる早さじゃない曲で、ドラマーが誰も演ってくんないなら俺がとしたみたいに感じる。
因みにジョニー吉長はツーバスもしばしば操るが、この曲の該当箇所では彼得意の「Hi-Hatの踏み叩き」をしてるので片足なのは確実だ。

まあ彼等の様な例は簡単には実行し辛いし稀だろうけれど、楽器を更に加えたり派手にEQする以外にも方法があるのは分かって貰えるかと思う。
ベースのピック弾きでも熟知若しくは熟練者ならアブノーマルも可能だが、並の腕前ならアップダウンで行くか疲れても全部ダウンで行くか。
それだけでも太さや低域と中高域のバランスとか、結構ニュアンスが全然違ったりもするもんだ。

さらに付加えるなら音によっては弦楽器は「違う弦」で同じ音程になる場所があるが、その時何処を使うかはかなり影響大だ。
奏者目線で弾き易さを優先すると近辺が良いが、達人の中には状況に応じて敢えて「遠い方」を弾いたりしてるのを注視して欲しい。
単体で大差無くてもひとたび他楽器と混ざると、全然違ったりして来るから。
かように後からの小細工より元がどうなってるかの方が影響力は大きい訳で、その時点ではちょっとした違いを放置しないだけで結果に差が出てしまう。

俺知りのバスドラゴーストノートのもう1人がRingo Starrで、これの証拠が「Speedkingのリンゴ踏み」で以前紹介した動画にハッキリ映っている。
こちらの場合は聴き味と云うより恐らく死活問題由来で、最悪環境下で兎に角何とかリズムを他のメンバーに聴こえる様苦心した結果の様に見える。
丁度J,L&Cとは真逆のニーズになってるのが個人的には面白かったが、Beatlesの方がもう他に手段が本当に無いのだから意義は大きいだろう。

Speedkingよもやま話⑦従兄のペダルその後

従兄のStudioliteのTwitterに本人談が掲載されたのを勝手に受けて、傍目からはどう映ったのか等を少々。
現時点では彼自身の総合判断で、第2次ツーバスチャレンジ中だ。
左足奏法面で好結果を産んだSWIV-O-MATICだが、1つしか無いのと今の彼好みの音色が得られなかった為だ。
そこで従兄第1次
ツーバスチャレンジ当時使用してたペダル、掲載の如く(TAMA HP60+Ludwig L-1286[SpeedKingの純正ビータ])x2となっている。

音色については俺の好み・バンドギタリスト要望・録音屋観点からするとペダル本体もSpeedkingが単独首位なんだが、従兄は太鼓にもっと鋭さを求めてるのもあって回避されてしまった。
彼の手の音は俺と違って太くない(かと言って細くは無い)ので、足だけ太過ぎるのも少しバランスがよろしくないのかも知れない。

音でも太いのだと巧く使えばマッチョだが、失敗すればただのメタボになるのは何処の世界も共通だ。
また彼は太鼓のミュートは最低限が好みだが、「鋭く出せる」と軽ミュートでも音色的キレが保てるみたいだ。
アタックが太過ぎるとそれに連れ余韻の頭部分の音量も大きめになるみたいで、ある意味で瞬間芸の権威たる生太鼓の個性が減るともとれる。

療養中の
バンドギタリストが容認してくれるか、或は従兄が「これが俺の音だから」と無事説得出来るのかが心配ではある。
従兄の立場に立つと奏法上の都合で片足より両足なのもあるので、最終的には「仕上がり具合」が物を言いそうだ。
長い目でみれば他との整合性が持てるなら、個人のスタイルがより確立されるに越した事は無い。

だが俺の場合は音の太いのに体の重さ由来が含まれるとなると細くするのは困難で、生来の骨太はわざと骨粗しょう症を誘発でもさせない限り軽量化が不可能だ。
こっちは偶然だがそれでか俺の方がデフォルトのミュートを強めにしたがってて、でも従兄にそれを求める気は起きていない。
どうやら叩け方にも左右されたらしく表現巾の広さの点では、普段の音が俺より癖が少ない従兄に軍配と流石本職は違うわだ。

音色面でも俺の場合は元から太いから、太いのなら気にならなかっただけかもだ。
Speedkingになったそもそもが奏法上の一択なので、音色がもし不的だったらとても困っただろう。
但し従兄にとっても今後の課題になりそうなのが、バスドラチューニングを限界域Low Pitchとした場合だ。
彼は足音色もSimon Phillipsが好みだそうだが、俺分析では
限界域Low Pitchのをワイドレンジコンデンサマイクで拾う事でもたらされてると思ったからだ。

現在の従兄の足はClosedになってるので低音を確実に得るには、ペダルの押圧が極力少ない方が適すのだ。
どんな達人とて巨大スティックで繊細な音を出し続けるのが大変の如く、適した道具を用いる程安定度が高くなるのは確実だからだ。
ビータはSpeedkingのでってのもこの辺の影響が大きそうで、それならいっそウールビータはどうなのともなる。
だが鋭さにウールは無縁なので、原理的には
Speedking+ウッドビータとかの方が近付けるんだろうか!?。

話は変わってほぼ毎週従兄の所で隙!?を見つけては体験させて貰ってる
ツーバス、俺現時点での感想を以下に挙げる。
発音体が倍増するのと同じフレーズがシングルストロークで得られる範囲なら若干音量増加もする場合があったが、必ずしも「細かい音符」が楽にはならなかった。
慣れの問題もあろうが例え
シングルストロークでも自然体より速め様とすると、段々フルストロークじゃ無くなって来る。

単体物理的には左右で足は半分ずつの受持ちとなるのだが、だからって頭は右脳・左脳でとはならない様で脳内速度が元のまま。
末端(足)に余裕が出て不都合は無いけれど、肝心の指令が高速化出来ないのでは宝の持ち腐れとなっている。
訓練次第で変化があるのかも知れないが足・脚のアクションはその絶対値が手より数段大きいのは自明の理だ。

そして継続性には優れるものの足の左右+手との連携が中々難しく、基本的には音色が同一なので今鳴ったのがどっちかでこんがらがり易かった。
俺現況の片足で賄える範囲ではその方が頭が簡単・楽なのと、何時の間にか習慣化してしまったフットハットに依るメトロノーム機能が無くなる方が辛かった。
妙な言い回しかも知れぬが片足で行けるのは両足に不向きな証なのかも知れず、その逆もありそうな気がしている。

2018年9月25日 (火)

アンサンブルの低音の作り方Ⅴ

グラフを掲載すると文字数が減って楽だが、説明は不足気味になるので続編だ。
今回は過去の欧米と俺が苦手な現代のを比べるが、現代本邦ののソースが不完全なのしか無いのはご了承だ。

TivrosannaDont_say_lazy 
上はTotoのRosannaで下はあのアニメの「けいおん」のDon’t say ’lazy’、現代と言いつつ最新でないのが年寄りの罪っぽいが傾向比較には用が足りてると思うので…。
今のJ-Pop的音創りの始まりは個人的には、デビュー時のAikoやPuffyの「下手な真似」からだと想定している。

彼女達のはBeatlesサウンドの当時的模倣と言え、後者等は奥田民生
Jeff Lynneだから最早本物と言えよう。
それがゲーム等「打込みモノ」への対抗・拮抗へ拘り過ぎたか、段々と音圧だけに執心した挙句「機械より不自然な平坦さ」ばかりとなったのは悲しい。
切が無いから本題へ戻るが、前者はかつて一世を風靡したLAサウンドの典型だ。

下の方が軽いのは好み的には少し残念だが、昔のテレビ・ラジオ等の低音再生が苦手なのでも印象変化が極小なのが売りだろう。
現代では携帯プレーヤやスマホでもバスブースト機能付なので、後者がワイドレンジ化されてるの自体は理解出来る。
しかしこれはポピュラー音楽としては「但し書き」付で、まだ興味を持ってない人は今だって最初は低音が出ないので耳にする機会が多そうな点だ。

Scshoujo_sGb
次は上がScandalの少女Sで下は金爆の女々しくてだが、高域がバッサリ落ちてるのは低質音源由来なので本来は切れて無い筈だ。
前出のと合せ現代本邦系ので
一般に対して純然たるバンド系のScandalのだけ低域の削れが少ない様だが、やはり聴取環境差が考慮されてるのだろう。
だが耳にワイドレンジな割には低域が前回掲載のBeatlesに負け気味なのは、単なる国民性とかそんなのなのかちょっと疑問だ。

俺的に気になる&気に入らないのは高域の「傾斜」で、3~4kHzに角が出来て盛り上がってる処だ。
金爆に至ってはそれが10kHzにもなってて、煌びやかな派手さは出るかも知れないが少々音楽的には無理がある。
どのグラフでも高い方は基本的に斜めに下がってるが、これは飽く迄電気的な事なのを忘れてはならない。

以前ここの別項で指摘したが耳に聴こえる音量は、電気に変換すればオクターヴ上へ行く毎に半分の大きさがイーヴンなのだ。
だから自然な音場を得ようとしたら機器的限界到達迄は、本来峠は表れない理屈なのだ。
個人分析によると不要コンプの掛け過ぎで全てが団栗の背比べ状態となってしまい、
歌詞の聴き取り等の為に一番目立つ帯域を仕方無く無理上げした様にしか映らない。

まるで通勤時間帯の山手線の電車内みたいになっちまって、どうでも目立たせる為に不似合いなバレーボール選手に窮屈なのを我慢して見張っとけみたいな…。
だがとぉ~っても残念ですが一見目立っても高音は基本的に非力で、低音にはとても勝てないので御座居ます。
最低でも大き目の低音が同時に鳴ると高音は「歪まされて」しまい、原形が保てなくなってしまうのです。

最後に例外を1つ挙げとこう。

Sgoldfinger
これはShirley BasseyのGoldfingerで、007映画のテーマソングだ。
時代が’64な上娯楽作品なので伴奏がフルオーケストラなのが特徴で、この編成だと歌終りにそのままタイトルインストへ移行出来るのもあってかも知れない。
しかしバスドラが大太鼓ではなくセットを用いてるらしく、ペダル
ノーミュートなのと低音残響豊富な欧州劇場のせいかローエンドが物凄い事になっている。

ちっとも激しい演奏ても無いのに迫力満点なのはBeatlesがCome Togetherで真似たかは不明だが、個人的にこう云うのは独創的で大好物だ。
40Hzが剣ヶ峰になってるのがその表れだが、全体的には高域への傾斜が随分緩いのは気になる処だ。
しかし耳味は低重心のままで、最初は高域の量は多いが恐らく装飾的な音の使われ方をしてるせいだと思った。

良く見直してみると実は上じゃなく中低域の空間を
敢えて多めにしてあるみたいで、歌手の声は極太で歌詞の重要部分のメロの音域が低いからか。
やはりあれもこれもにし過ぎは無理なのの示唆とも映ったが、性格的に欲張りな俺でも素直にそう感じたのは漏らさず記しておきたい。

アンサンブルの低音の作り方Ⅳ

音楽・音響・電気を職業にして乍ら未だにオシロスコープ1つ不所持なのは酷いものだが、パソコンの発展のお陰でかなりの部分迄代用可能になって助かった。
正式な計測には今でも専用機材が必須だが、それには他にも場所や方法等の厳密性も要求される。
なので結局個人レベルでは不向きなままだが、多少大雑把なのを容認すればパソコンだけで済ませられる様になった。

業界個人御用達のAudacityってフリーソフトに「スペクトラム表示」の機能が付属してるが、今回「完成品」のを参考として幾つかキャプチャしてみた。

Bthe_endBi_want
1.BeatlesのThe End(上)とI Want You(下)で、やはり時代のせいか高域が伸び切っていない様だ。
だが低域はローエンドはバッサリでも30Hz位迄は大健闘で、現代のでもこれより少ないのの方が多い位で流石はEMIだ。

但し個人の感性等色々にも依るが俺的には彼らのが「実際演た時」の音に一番近似と感じられ、George Martinがオケの指揮者だから耳重視で行った結果なのかとも思われる。
この2つの比較意図は歌の入ってる量の差で、歌の少ない前者はそれでか中域が凹んでる。

PhotoMfire_on
2.ナローレンジ欧州系とワイドレンジ米系の比較で若干時代差があるが、上がフランソワーズ・アルディで下がMarshall Tucker Band。
個人的に知り得る範囲で最もらしさの顕著なのを持出したつもりで、オーディオ的質は今一もムードなら’60年代後半頃のフランス物は突出してると感じている。
後者もらしさの為にSouthernRockの中でも最もCountry色の強いの、って選出だ。

前者は耳味は低域中心だがストリングス等の生オケが入ってるからか、思いの外高域が小さくない様だ。
しかし電気的画像よりこもって迄は行かないが、天気で言ったら曇りか小雨な感じだ。
後者はHi-Fiではあるが耳味は至って普通で、気になるとしたら物凄く高価なリバーヴでも使ってそうなの位だ。

シンバルの美味しさ等では迷わず後者の勝ちなのだが、全体の雰囲気で「味があるか」となると前者の圧勝なのが面白い。
因みに筆者は50をとうに越してるので超高域(16kHz以上)の耳感度に自信を持ち辛いが、若い時の経験からも「音楽的」には無いよりあった方が良い程度の影響力と感じられている。

ポピュラーでRock系になる程「上より下の影響」は絶大で、現代でも音量バランスが大きくなるので小さな超高域はとても聴き取りが悪い様だ。
これを上手に活用したと思われるのが米でも黒人系ので、結果的にはBeatlesのグラフとかなり近くなっていた。

Ifootsteps
今の視点(聴点!?)でもLow-Fiでは無くなり出した’70中盤のIsley Brothersのだが、「音世界」としてはかなりオシャレに聴こえるのが電気的にはこんなもんだ。

<つづく>

2018年9月24日 (月)

アンサンブルの低音の作り方Ⅲ

さて今回案件の「中域」についてだが、敢えてその周波数範囲は少々独善的としている。
一般的にオーディオ界等では200~4kHz位とされてるし、楽器の種類によっても捉え方に多様性もある様だ。
しかし音楽系録音に於いては上記のより
個人的に低く見積もってて、1kHz位を上限と考えている。
もっと正確に表せば中低域と中高域等と呼べるが、
~4kHz位は全体としての粒立ちに強烈に影響するので弄るのは最後の手段としてなるべく温存だ。

この帯域に元から極度な過不足があれば手直しが要るが、大抵はそれはマイキングの不具合等が原因だ。
なので音色調整の初期段階は「俺言い中域」からで、無論低・高域だって含まれはするがこの領域は環境や曲の条件等で制約される。
また低・高域は目立つので音量と共に間違え難いし、ベースの低いサイドで絡むのは通常太鼓の大きいのだけだ。

強いてこれを系統立てると中域は個性等「好み」で、低・高域はある意味「ビジネス」と考えても良いと思っている。
中域は他のほぼ全てと被ってるから厄介だが、既述の如く特定楽器のモデル差等の個性は主にこの部分に左右される。
素人には判別困難なシンバルでもアタック音の「キン」「チン」「パシン」等位なら分かるが、ここには案外中域成分が作用している。

「低音の作り方」って言っといて中域ばかりとは妙だろうが、何も考えずに低音を増やす前に有効手段があるのを指摘したいのだ。
それは1に各楽器毎にそれぞれに無駄若しくは不要な中域を見極める事で、これらを削ぐと分離度向上にも効果的だ。
これをすると結果的に中より低高が相対的に大きくなるが、これがその2となる。

太鼓の低い側やベースの場合は特に影響が大きい様で、これには人耳とMicの「性能差」もある様に感じられる。
大昔連発してた人耳の弁別能のせいで、聴きたいor聴こうとしてるのだけ感度が自然に上がったりしている。
機械の方は正直な分融通が効かないので、余程○○様専用仕様とでも作られてない限り劣っても仕方無い。

しかし下手に専用度が高過ぎるMicでは制約がキツ過ぎるし、その場の人の気分迄は流石にもう面倒見てられないからねぇ。
又機械側が一定であるのは同状態の再現し易さ等には必要なので、それを思うと面倒でも動くのは人の側だけの方が良さそうでもある。

ではその「不要中域の見極め」の初めを具体的に一言で表すと、特定周波数のみを下げても「音色・音量共殆ど変わらない」のが「それ」だ。
極論的には「出て無い物は下げても平気」だがそれ以外にも、実は「出てても器楽音に無効」なのもあったりするのだ。
つまり「誰も聴こうとしていない部分」があったりするからで、そこは周りの邪魔にもなってるし個性の鈍化にも繋がっている。

一具体例を挙げると、拙ブログ「Speedkingよもやま話⑥従兄所持ペダル比較」での録音結果等が該当している。

Speedkingだけメータの振れが一目盛り小さいのに、実際の出音は一段大きかったあれだ。
機械は正直に最大音を示してはくれるが、それは耳にでは無く飽く迄電気的な部分なのだ。

人耳で感知困難な極短時間のでも出た物は「出た」と表示されただけで、耳に対する音量にはそりよりは時間の長さも必要だからだ。
なので無駄中域判別も「耳」中心で判断するのが大切で、耳が主役でメータは脇役なのを忘れるとロクな結果が得られなくなってしまったりする。
人耳は気分に左右されたりするから何かと不安も伴うけれど、最終目的は「メータを眺めて楽しむ」為じゃないからねえ。

それと無駄中域となると
音量は低目な場合も多そうで、それだと最早メータは役立たずだ。
もう1つ注意せねばならぬ点があって、無駄と必須が至近距離の隣り合わせになってる場合がある処だ。
現代ではデジタル力のお陰で帯域の細分化は比較的楽になったが、時として「限界に挑戦」等と云う側面に出くわす覚悟はしといた方が良いだろう。

2018年9月19日 (水)

アンサンブルの低音の作り方Ⅱ

引き続きで低高域と中域のバランス問題だが、いつ作られたかの時代性重視ならやはり極力ワイドレンジにすべきだろう。
最近の様な広帯域は過去には不可能で、それはそれは涙ぐましい迄の努力をしても虚しい結果しか得られなかったのだから。
しかしこれを幾ら出来るからって闇雲に追及するのはとても危険で、前回述べた通り現代でも聴取環境は一様にハイファイなのでは無いからだ。

それも再生装置側だけでなくそれこそ本当にそれが置かれた環境に至っては、寧ろ今日の方が騒々しくなって悪化したともみえる。
1つひとつは小音量化してても携帯電話やら何やらで、生活には必要でも音楽に対しては邪魔なのの種類と数は圧倒的に増えたと思う。
エアコンや車のドアの鍵等電波によるリモコンの物は、本体から操縦者が離れてるのもあって確認は「ピッ」とかの音頼みだ。

更にこれは考え方にも依ろうが聴こえさえすれば良いのかで、不要に聴者に聴き取り負担を負わせるのもどうかと思う。
こうして考えて行くとやはり中域主体若しくは、重視するのを外す訳には行かなくなる。
同じ対象物を裸眼で見るのか拡大鏡を覗くのかと云った感じで、意図的特例以外は対象物が違ってしまっては宜しくないのではと思うのだ。

俺が良く知ってる理想的な例としてはPaul McCartney等がそれで、この面でも伊達に世界一じゃないんだなと痛感させれる。
お馴染みのいつものトーンでありながら、新しいのになる程少しづつワイドレンジ化もなされている。
こう云う要点を熟知した人だと楽器・録音の方法等の悪影響は一切受け無さそうで、それはやはりミッドレンジの重要性を知ってるからなんだと思われる。

Wings時代のRickenbackerでは俺は当時中域強過ぎと感じていて、

Beatles後期のより軽薄な印象すら受けていた。
だが楽器単体の音色自体は今一でも彼のメロディックベースはそれ自体がもう曲だったりするので、今では聴取環境を選ばない為の施策だった様にも思えて来た。
思い起こすと確かにテレビやラジオだろうが、カーステでもオーディオでもHi-Fi度以外に違って聴こえる事が無かった。

アンサンブルとして純粋に○○Hzの低音成分が欲しいだけなら別だが、もし倍音を極度にカットすると楽器由来の音色差は僅かとなってしまう。
「何による低音」なのかを気にし出すと、中域の情報量が必要なだけないとならなくなって来るのだ。
低音域のだと「
基音に近い倍音」が中域になるからで、特例を除き「基音に特徴が近い倍音」はその倍数が小さい程顕著になる傾向がある。

例としてスラップ奏法のプルの「パキッ」音を解析すると、「パ」が中域で「キ」が高域となっている。
「キ」は何かとこもって聴こえがちなのが補われるし現代的だが、ギターより太く長い弦を打付けた「らしさ」がそこには無い。
これを担ってるのが「パ」で、ギターのそれとは明確な差がある。

一等目立つ部分だけを取り上げると単に「弦を打付けた音」として近似だが、「含まれる」ものをみて行くと異なっている。
ギターでは「ピ」とか「ペ」なのがベースだと「ポ」「プ」等になってて、周波数的には思いの外下の方迄あるのが分かるだろう。
で、この部分はもう完全に中域なのだ。

倍音と名乗るからには実際基音より○オクターヴ上になるし、今時倍音と言えば高域と思ってしまう。(普段は俺も!)
処がその実態は案外中域にも沢山あるし、低音楽器だと音色の基本的個性を決定付けるものは高域には余り残っていないのだ。
常に「あるのが当り前」の中域なだけに案外見落とされ易く、太い音色の根源はここにある。

但し確かに「棲み分け」は考えなければ混濁するだけで、楽器ごとに出しても効果が低い帯域はある様だ。
単独でなら量感が出はするがアンサンブル内となると、個人経験からは電気楽器系の場合200~350と500~600Hz辺りは割と邪魔になるだけで寧ろ少し削ると良い感じだ。

だが好みにも依るが400とか800Hz辺りは太さやタッチ感に大いに関わってる様で、一般的にベースの太さと思われてる100~
00Hz辺りは無関係では無いが他への悪影響が大きい。
ギターとベースでは「目立たせる音域」は異なる事が多いけれど、物理・電気的観点だと「たったの1オクターヴ
違う」だけに過ぎないのだ。

そして減衰音とは云え
電気楽器は生より持続性が目立のもあり、どっちかっつうと削るより部分強調するのが効果的な様で太鼓と比べたら真逆かも知れない。
では具体的にどう整合性を取って行くのかは、次回に過去例を挙げ乍ら説明しようと思う。

アンサンブルの低音の作り方

バスドラの事でまた1つ気になる気付きがあったので、それと併せて記して行く。
それはポピュラー系以外では手で叩いてるのと、主に反対の手で適宣行われてるミュートについてだ。
そこから今更感満載だが何故マレットなのか等、改めて色々考えてみた。
ベースについても過去と現在の違いや、それによる弾かれ方等について。

大太鼓の出現当時には当然まだ工業と呼べる程のは存在してないので、手を使って鳴らしたのに疑問は無い。
加えて素手では表面が柔らかいので不要ミュート
(皮に触れる時間が意思に反し長くなる)を避けるには、それより固い物と考えたのも理解出来る。
この件については過去記事参照願うが、だからって特別柔らかい音が欲しいでも無いのに何故バチでなくマレットか?。

結局は皮と胴が和等より洋は薄いので、倍音が豊富過ぎた為の処置なんだろう。
最初は材料調達条件が和洋で違ったからだろうが、そうこうしてる内に使い方にも違いが出て来て変えられなくなった感じを受ける。
樹齢○○年のをくり抜いてではとても1人では運べないが、それでは楽隊屋さんには使えない。
それで生き残ったマレットがビータに迄至った様だが、要は音色上の必要性からだ。

近年では大きさ・材質・形状とも多様化したビータだが、それでも皮との接触面積はやっぱりスティックのチップより全然広い。
又そうでないとSimon Phillips辺りが多用してる、ゴングバスとの区別が殆ど付かなくなってしまいそうだ。
こうして経緯を辿ってみると幾ら明瞭度を上げたくても、なるべくスティックチップとは「かけ離れた物」で得た方が良さげなのが分かるんじゃないかな。

ベースでは近年J-POPのだと弾いたのが指かピックか分り難い音色が流行ってる様だが、ベースらしさを優先するだけなら妥当とは言える。
しかし俺的には度が過ぎていて、使ってる楽器の種類すら関係無い程いじるのは行き過ぎだと思う。
この種類の件は太鼓等他のにも該当するが、それなら打込みの方が確実だ。
下手するとどっかのBANDのは人前では生でも録音は機械で、それがバレない様に近付けてるだけなのかも知れないけど。

手前味噌だが今若干悩まされてるのがベースの倍音の「出し加減」で、ウチのバンドのギタリストからはなるべく減らせと言われてる件だ。
エレキベースは普通正式にはベースギターなのでギターとの音色差は、楽器由来としては単に1オクターヴ低いだけだ。
それが本邦で崇拝されてる指で弾いたりすると、それによって「ピック弾き」のギターとは弾き方由来で音色差が生じてるだけだ。

また彼がメタル系出身なのもあってかベースもピック弾きでとの注文で、単に楽器にとって素直な音創りにすると似通ったニュアンスにならざるを得ない。
上述ビータ話しの如く太い弦を充分動かすにはピックの当りがギターより深目になるから少しは差があるが、どんなに大きくてもピックの先は尖って小さくなってるから大太鼓みたいな差にはならない。

だが彼好みの激しく歪ませてても下品にウルサくはならないギターサウンドは、どうしても周波数帯域的にミドルレンジ中心になる。
つまり音創りを自然体にすると帯域の被りが多くなるが、これを回避する為にベースには中域を出さないで欲しいと言うのだ。
高域についても太さを堅持するには余り出せないが、低域だけでは「タッチ感」を出せ難いので困りものなのだ。

ここでもう1つ俺が問題視してるのが聴取環境面で、スマホのスピーカ等だと低音楽器は倍音域しか聴こえなくなる処だ。
西洋太鼓は素がある意味偶然倍音豊富なので「鳴ったかどうか」位の判別は可能だが、エレキベースではかなり気を付けないと「留守」になる。

個人的にはワイドレンジなのが好みではあるが環境次第で留守にならないのと、それによってアンサンブルの印象が変化するのを最近は極力避けたいと俺は思っている。
この面では近年のミックスより大昔のの方が良く出来てたと感じてるが、次回はそれについて記としよう。

2018年9月14日 (金)

Speedkingよもやま話⑥従兄所持ペダル比較

SWIV-O-MATICショックのその後、今週はStudioliteでツーバスで色んなペダルの録音比較をした話し。
俺的には凄腕先生の従兄と云えど、足に関しては左右別々の癖が付いてしまってると認識している。
両利きではあるが左右それぞれをメインにしてた時期が異なってて、その時の使用ペダルへ各足が慣れ過ぎてしまったのが原因だ。

下剋上な上偉そうな物言いばかりの俺だが、確証が得られたからには例え悪く思われても嘘はつきたくないのだ。
それは後での結果に違いが出て来るからで、相性は無視出来ないが癖付きがうっかり基準になってしまうと面倒が延々続く事になる。
現代ペダルで習得した踏み方はSpeedkingへは通用しなかったが、程度差は出ても逆は比較的すぐに適用出来たからでそこに好みは一切入って無い。

特に従兄がツーバス訓練開始後は俺の2号機はそれが為召上げ状態で、彼の所では使えなくなってしまっている。
俺としてはとっとと自前化して貰いたいが、
SWIV-O-MATICショックがあった従兄が二の足を踏むのも致し方無い。
バンドのドラマーなので録音の都合で従兄優先なのだが、上述の経緯もあって彼はSpeedkingに簡単には慣れられない様子だ。

そこで将来的には兎も角も逆転の発想で、現状の彼のそれぞれの足に最適化したら一体どうなるのかを具体的に実験してみたのだ。
単純に考えても左でペダルA・右でペダルBとしてた合計期間を、Speedking両足でも経験しないと条件はイコールにならないだろう。
しかも彼の第一次ツーバスチャレンジ期のペダルがCと、是又違ってるんだから俺的にはなんとも面倒な事をしてくれちまったもんだ。

ここでABC等としたのは型番確認が面倒なのも正直あるが、BCは代替えが豊富な現代タイプだからと半分言い訳しとく。
Aは
SWIV-O-MATICで従兄左足はこれの時だけテクニカルに豹変する。
従兄右足は当時扱ってた楽曲等の関係か、奏法的には割と道具を選ばないが左より非力となっている。
多分Pearl P-122TW辺りだと思うが、それの時だけパワーが出せる様だ。

手なら左手レギュラー・右手マッチドグリップなんてのの応用で、
邪道な対処療法に過ぎぬがものは試しなのだ。
総評から述べると人の左右が偏ってしまってるので、最適化自体は大いに効果があった。
違うペダルで音色も揃う等と何とも妙な感じだが、それ以上に
最適化時だけプレイ自体がスムーズになる点が大幅に違った。

ここから一旦好みを度外視して結果公表して行くが、音色のみについてはやはり誰が踏もうとSpeedkingが圧勝であった。
特筆すべきは前回触れた「実質音量」で、録音機のメータの振れを見るとこれだけ他ペダルより一目盛り小さかった。
なのに耳に聴こえる音量は正反対で、従兄曰く音量の出てる周波数範囲がこれのみ他のペダルより広く感じたそうだ。

彼のビータの好みがSpeedking付属のLudwig L-1286なので他ペダルでも換装したのを試してみたが、音色に効果はあるものの音量面では前述の効果は得られなかった。
演奏内容を気にするとこの対処療法式が現況では最適だが、バンドギタリストの要望からは音色の都合で適合しない危惧がある。
確固たる意志とスタイルを持合せられないと、説得は困難と予測される。

個人の音色の観点からは明確なターゲットが欲しい処だが、俺よりドラマー比率の格段に高い従兄は発想が違っている様だ。
俺の場合メインは今迄もこれからもベースで変えるつもりは無いが、どの楽器でも好みの音色が
もっとアンサンブル由来なのだ。
基本何でもマッチョなのが好きだが、アンサンブル内での音色は比較の問題と化し易い。

なので一般的にはベースを太らせたい時は他を少し遠慮させたりするが、なるべくそう云う小細工無しで何時も通用させられるのを求めている。
これは労する割に効果が出難く、実は太かったんだと認識され辛い欠点がある。
一見非合理な手法だがしかし曲中の何処かで単独になった時、音色の印象変化が起こり難い長所がある。

そして俺の場合音色は具体的だが従兄はそれが印象派って感じで、これは専業ドラマー特有の感性なのかも知れない。
生楽器だと電気・電子楽器みたいに、ツマミの目盛5でこの音なんてのが無いからねえ。
だが全体としてはこれは芳しくなく、なるべく明確化を図って貰いたい処だ。
しかも奏者固有の音色創生に直結してるしで、優柔不断気味な従兄には困難な要望だが最も必要な事だと思っている。

2018年9月13日 (木)

Speedkingよもやま話➄手持ちペダル比較

筆者は環境と経済等の事情で現代ペダルには余り詳しくないけれど、全くの偶然乍ら一応3っつの名機なら経験豊富だ。
そこで前回の補足も含め、
Ludwig Speedking,
Rogers SWIV-O-MATIC(一体型フットボードタイプ),
YAMAHA FP-702の比較を綴ってみる事にした。

どれもが設計が古い物なので無頓着な踏み方をすれば、現代ペダルみたいなパワーは出ない。
では非力なのかと云うとそうでは無く、特にSpeedkingは上手く踏めると恐ろしい大音量が出せるのだ。
それも付属の何の変哲も無いビータのままでで、後の2つはやはりビータをそれ用(セッティング含む)にしないと少々物足りないかも知れない。

だが気を付けて頂きたいのが強弱の問題で、俺は奏者意識に無関係にパワーが出るのを良しとはし辛い。
それって弱い側だけじゃ済まず、強い方だって得てして思い通りにならないからなのだ。
アンサンブルの状況如何で「ここぞ」にいつも以上が必要になった時、加減の効きが悪い現代ペダル(全てでは無さそうだが)では諦めるしかなくなる。

それで俺はSpeedking一押しだが、確かに他の現代ペダルとは操縦法も大分違うと感じられるかもしれない。
そんな場合に
後の2つだったらバネこそ今の強いのよりは弱目だが、調整箇所やその仕方に現代のと大した違いは無い。
バネにしても上記は最弱時についてで、強める方はかなりの範囲迄対応可だ。Speedkingだと現代並強さにするのは困難だし、
構造的にも非推奨だ。

なので多少苦労しようと徹底的に攻めたいのであれば
Speedking、一番無難なのはFPだと思う。
但しFPではビータニュートラル位置調整がネジ穴の選択に依る為、俺個人にはベストな位置へ持って来られなくて気になってしまう。
その点
SWIV-Oは全く自由になるので、主に厚いヒール部の問題さえ解決出来れば使い易いだろう。

12_2
表現が最適か不明だし個人差もあろうが、これでもなるべく主観を排除して表にしてみたつもりだ。
音量項目中の「ピーク:平均」の意味は簡単に言えば、録音した時のメータの振れと耳に聴こえる音量と考えて貰いたい。
詳細は次回に具体例込みで記すが、音の聴こえは物理のみに依らない為だ。

この傾向がまたアンサンブルに入るとより顕著になり、表中の「ピーク」が物理的・「平均」は「実用音量」と言い換えても良いと思う。
ドラマーだけの立場ではアタック・ピーク・高域倍音が多い程聴き取り易いし大きく感じられるが、他の奏者や聴者には寧ろ真逆になりがちで要注意だ。
演奏内容は分かり易いに越した事はないけれど、本来の目的はバスドラが入ったせいで全体が「どう化学変化するか」が重要なのだ。

またアンサンブル内に硬い音があると軟らかい音は
パッと聴きだと脇役っぽくなるが、録音後や距離が離れたりするとこれも様相が異なって来るもんだ。
硬いのを最初の一口目が美味いとすれば、軟らかいのは何時までも忘れられない後味の良さと云う感じ。
これについては俺はマルチ奏者で自身の手による他パートにも拘りがあるので、なるべく単一楽器だけの都合で他を妥協したくない処から得られた知見である。

気のせいかも知れぬが単体の音色なら専業者のの方が優れてても、アンサンブル内(全体)だと兼業者(他楽器も演る人)のに音色の良かった印象がある。
又もし「負けない音」を目指すならそれを機材に依存するのはアウトで、ヤワな楽器から恐ろしい音が出せる様になれたら負ける気がしないとなる。
不要な音色の硬さは条件次第ですぐ無力化するが、それはその成分が出てる時間が極端に短いからだ。

にぎにぎしい系の音楽ではとかく音色の太さを要求されるが、それには上記理由も含まれてるからだ。
音が細過ぎると重なったり増えたりした時最初の印象と違って来てしまい、「後で」の処理も要する様になって何かと面倒が増える。
これはアンサンブルである以上はどんな楽器にも共通するが、太鼓みたいに時間の短いヤツ程影響が大きく出る様だ。

2018年9月 8日 (土)

Speedkingよもやま話④SWIV-O-MATICの踏み心地

前回迄の様に慣れとは時に大変なもんだが、実際のSWIV-O-MATIC(一体型フットボードタイプ)の踏み心地について少し記してみたい。
メカ的な点等では他の研究家の皆さんから素晴らしい発表がなされてるので、
踏み心地に影響の少なそうな部分はここでは最小限に留める。
一般的な観点からの踏み心地についてはどうも見当たらない様なので、Speedkingも含め他のペダルとの相違点等については掘れるだけ掘ってみた。

短刀直入に言うと
SWIV-O-MATICの踏み心地は、普通と呼んで差し支えのない範囲だと感じる。
昔の設計で片側ベアリングなのもあってか、近年のみたいなの程機械的動きが良くは無い。
しかし演奏には無問題で、以前の俺言い「無駄動き」が無い程度だ。

カムは順偏心(※)なので踏み始めが軽く最後が重くなるタイプだが、バネ強さ自体はYAMAHA FP-702と全く同じ。(以前の簡易計測値)
FPのカムはリニアとここのタイプは違うけれど踏む重さ等は大凡同じで、昔のペダルとしては特に癖があったりはしない。
現代の平均よりこれらはバネが弱いけれど、そこを除けば今でも普通の範疇にあると思う。

※:俺が世間に疎いので適切表現か不明だが、近年の偏心と称されてるのと偏りが同方向なので順とした。
本来ならSpeedking等もっと以前からあったのの方を基準にすべきと思うが、その時代にカムの偏心についてはあまり気に留められてなかったみたいだ。

SWIV-O-MATICで気になりそうなのは一体型フットボードタイプの部分で、従兄の場合はそれが為トゥ踏みがし易いと感じられるそうだ。
但しこれはSpeedkingを仮に10・現代のを1として比較すると、6ぐらいと云った感じで一番適してるとは言い難い。
足首には頻度にもよるが、やはりバネが弱い程有利に働く。

ここからが最近回と重複するが
一体型フットボードタイプでもっと気になるのは、ヒール部が一段高くなっている処だ。
従兄はアップヒール系に慣れてるので気にならない様だが、俺みたいにベタ足系主体でヒンジの近くも踏む者にとっては違和感ありありだ。
特にスライドの時にヒール部至近のフットボードを蹴るのは中々難しくなり、通常設定のフットボードの傾斜が緩いままだと困難を来たした。

これについて段差は解消のしようが無いのでそれが問題となると不適合だが、それ以外はフル調整が可能なので「合わせ方次第」と言える。
しかし個人差はあれど往々にして調整箇所が多過ぎる物は一般用途に最適では無く、実演奏までに手間暇が掛り過ぎるとも思える。
もし普通で足りるのならわざわざ労力を使って入手する意義は低いと言わざるを得ないが、特殊条件を持ってる様なら寧ろこれしか無いかもだ。

ここでの特殊とは例えばバスドラに対してフットボードを水平方向で斜めにしたい等の事で、普通なら不安定になってもペダル全体をわざと左右どっちかへ曲げて取付ける等しか手が無い処だ。
またこれは近年のでもどれかを優先すれば他を妥協しなければならなくなるが、ビータヘッドをシャフト長さに依らずに必ずセンターへ持って行ったりが出来る。

当時の他ペダルと比較すると「普通も出来るけど変態が全然OK」となってるので、そもそもがそれらよりは「ニッチ商品」の位置付けだった様だ。
その意味では駆動がリンクやチェーンだったりすると交換の制約が大きいのも、ベルトで単純なネジ止めなのでとても自由で守備範囲が広い。
そう云やプラとフェルトの切替可能なビータヘッドはこれが確か元祖だったと思うが、この辺にも設計思想が窺い知れる。

昔のとしては設計年次が新しい方なので、強度についてはほぼ何の心配もないのも元祖且つRogersらしさだ。
なので個人的感想としては勉強にとか実験になら最適と考えられ、もしかしたらこのペダルのお陰でここ迄俺は何時の間にか色々理解出来る様になったのかも知れない。
尤もかなりメカ好きじゃないとそこ迄弄り倒してたか疑わしく、元は従兄のだったのに俺の方が詳しくなってたのもそのせいみたいだ。

おっと忘れるとこだった、もう一点珍しいのがあったのを危うく書き漏らす処だった。
内容が正にニッチであるがSpeedkingを除く多くのペダルは、ビータかフットボードか大抵どれかが中心からズレてる物ばかりだ。
構造的に仕方無さそうでもあるが、これが左利きメインの従兄にはとても気に障るらしい。

設計者が右利きか若しくはその前提での設計が多い為、左利き使用には「偏り」の向きのせいで著しく支障するらしい。
それが少なくとも従兄が知る限りではSWIV-O-MATICだけ偏りが逆なんだそうで、彼同様の違和感で苦労してる人には重要な選択肢となり得そうだ。
この点が従兄に踏み易いのに、傍目にも一番影響してるのが分った。

俺もFPよりSpeedkingが楽なのはバネのみならず、フットボードが「寄って無い」のが実際都合良く感じている。
SWIV-O-MATICの場合正面から見てフットボードはセンタで、ビータが僅かに左寄りだ。
但しその「寄り幅」が恐らく他のどれよりも僅かで、ビータヘッド高さ調整が可能なので殆ど気にせずに済むと感じられる。

近年のだとシングルペダルでもそのままツイン化出来そうな位、ビータが右に寄ってるのが主流だ。
パワーを徹底追及してます等と歌い乍ら、実際はこんな横をぶってますとはなんとも片腹痛いわな。

2018年9月 7日 (金)

Speedkingよもやま話③SWIV-O-MATICショックⅢ

お題の「ショック」の度合いを知るには、もう少し予備知識が必要なのでそこはご容赦願いたい。
従兄がツーバスを試すのに際して参考になったのはSimon Phillipsで、俺的にそのルーツはKieth Moonと伺える。
これを持出した意図は手が凄い割には足はそうでも無さそうな処で、傍目にもタイプ的に適合してると納得出来る。

それ以外の点でも彼の好みだったりもするが、メタラー等では無い彼に挑戦意欲が湧いたのはここだろう。
彼は得意の手についても片手より両手が勝るし、両利き故どの道左右どっちの足でも踏んで行き続ける事になる。
なので20年程前の現用ドラムセット購入時点で既に準備済みだったが、想像より簡単に行かなかったので封印してたそうだ。

その後はドラム教室で先生と生徒のを同じ楽器にするのに活用してたのもあって、機会を逸していた様だ。
だがそれもバンド録音に際し楽器の音に問題が出て(この辺りの詳細は相当前の拙ブログ参照)、過去のライブハウスで使用してた彼の2代目セットの再使用開始によって情勢が逆転したのだった。

音色の都合上ペダルはSpeedkingと療養中のバンドのギタリストの指定もあるので、まだ充分には馴染めてないペダルとなれば余計シングルよりツーバスの方がと云う経緯だ。
それも他のペダルでも本人感覚としては自在に操れなかった前提があったからで、従兄はもうすっかりSWIV-O-MATICの事は忘却の彼方だったそうな。

それが何とかは忘れた頃にやって来るになっちゃったから、さあ大変だ。
俺にとって最大の危惧は録音の無期遅延で、彼お得意の優柔不断病再発必至な情勢だ。
慎重になったり思慮深くて困りはせぬが、それは決断力も同等に持合せてたらの話しだ。
堂々巡りで迷い続けてては試験結果が中々得られず、データ不足では適切な判断の下し様が無い。

最終的に奏者本人の問題であるけれど、人生の半分以上が既に終わってる我々にはいつかその内はもう無いと思っとくべきだろう。
俺自身はSpeedking2号機を貸出ししてる代わりとして、合間にツーバスの練習はさせて貰っている。
色々調べてみたら過去の巨匠達はどちらがより得意にせよ、バスドラが1つでも2つでも演奏可能みたいなのだ。

現況では俺はシングルバスの無茶踏みの方が音数も稼げたりと、ツーバサーになる芽は出て来ない。
その他にも割と自分にはHi-Hatのニーズが高いのもあるが、従兄曰く同理由が原因で黒人のツーバサーが少ないのだそうだ。
だが両方を知った上でと知らずにいるのとでは、例えシングルメインにするのでも色々後で違いが出そうな気がして止まないのだ。

最初は遊び心で片足でもCozy Powell位のフレーズが踏めちゃったら痛快かも等と思い浮かんだが、それを実行に移せたのは俺の「腹が既に決まって居た」からなのだ。
音数もだがそれ以上にパワーを継続的に出すのが大変だから、決意が無かったら面倒だからと放棄してたと思う。

これ自体はまだ途上だがその副産物として、俺は苦手だったトゥヒール系が寧ろ得意分野に加わりつつある。
向き不向きの判断をするにも一定以上の体験値が無いと不正確になるだろうし、良いも悪いも暫く格闘しないとその原因特定も出来なくなる。
人にもよるんだろうけれど、決断力には体験の影響が大きいみたいだ。

何でも上手く行くに越した事は無いが、こっ酷く懲りれば簡単に諦めも付く。
それには他の方法なんか
あんまり簡単に見つからない方が、却って良かったのだが…。

Speedkingよもやま話②SWIV-O-MATICショックⅡ

事の初めは従兄が研究中のアントニア“ヤヤンク”インリって、インドネシアの若き凄腕女流ドラマーが使ってる魔改造バスドラペダルだ。

Photo
こんなのは俺も初耳ならぬ初目だが、兎に角やたらとフットボードを長くしたかったらしい。
上図左のを青で示した板か棒か何かと赤で示した在り来たりの蝶番を追加し、青の上へヒール部もろともフットボードを貼り付けて
上図右の様になっていた。
後ろヒンジが「只の蝶番」でどうなのか不安だが、動作角度が小さいので間に合ってるのかも知れない。

外見上理屈的に計り知れるのは、フットボードの元ヒンジ寄り(奏者目線で手前)を踏んでもカカトが必ず「新ヒンジの前」となる処。
研究熱心な従兄はどうしても試してみたくなったらしく、最初は彼手持ち余剰のの改造の相談を持ち掛けられたのが先週の話しだった。
しかし蝶番は未だしも手持ちに図の青の部材候補が無いし、固定の為にはフットボード自体にネジ穴加工等も必要になる。

本人のは元々フットボードに穴があるデザインのだが彼の候補のにそれは無く、テスト終了後原型復元したくなった時に不具合の残る懸念があった。
そこで考えを巡らし無改造で近似体験が出来そうな方法として、最初の段階では先ずフル調整が効くSWIV-O-MATICで小細工したのを代替案として提示した。
長年スライド屋だった俺はフットボードは長目な方が演り易かったので、過去に一番伸ばしてみたりとこれを弄った経験があったからだ。

実は最初に彼からその動画や画像を見せられた時、ヒンジ部がフットボード表面より高くなってて変なのと感じていた。
が、そのシルエットどっかで見覚えがあるなと。
あっ!!!
SWIV-O-MATICだッ!!!、キッカケはたったそれだけと毎度の僭越振りは今日も健在だ。

一昨日持参する前に宅で少し調整して擬似体験可能の確認も取れてたし、何でもかんでもネジ(っても太鼓用の□頭ボルトだが)でその場で変えられるしね。
そしてStudioliteでも少し追加で弄る事で、めでたく当初の目的は達成された。それが最大とか全ての理由なのかは不明だが、要はやはり「カカトが必ずヒンジ前」の様だった。

こうなると「無神経な」アップヒールで踏んでも、従兄言い「脚重抜け」が原理的に防止出来る。
それ以外ではフットボードの踏み位置が奥でも手前でも踏み応えの差が小さくなるとかは分かったが、それが何の為に必要なのかは俺には分からなかった。
何れにせよこれで無事完了になる筈が、ならないのがウチの従兄である。
折角だからノーマルセッティングにして試奏してみたらと、つい余計なお世話を焼いた俺がもっと不味かったか???。

三つ子の魂百までなのかマトモに踏むのは何十年振りなのに、「多分こう踏めばこう動く」と何故かすぐに直感出来たんだそうだ。
それでも大概は現実は想い出とは異なるもんだが、何と思い通りに操縦出来ると言い出すではないか。
他のだと無理だけど
SWIV-O-MATICなら多分スライド出来るよと言って、あれだけ近年悩まされ続けてたのに実際あっさりドドッと鳴らせちまいやがった。

上手く行ったんだから普通なら唯喜べば良いのだが、昨今の取組みに半ばリセットさんが掛ったんだから腕組み状態突入だ。
それと言うのも暫く振りでバンド録音のオファーが入る迄、従兄はずっと教師としての向上に集中していた。
そのせいか録音に耐え得るバスドラダブルに家出されたも同然となってて、克服手段として厳選したツーバスの練習真っ最中だったのだ。

最近の本邦ではバスドラのドドッのニーズがとても少なくなったと俺も感じてるが、それもあってか余りに永い事演らないでいれば怪しくなるのも仕方無い。
特に苦手となれば余計そうだし、その演らない期間中にペダルがどんどん違うのへ変わってたりもしたしね。
プロだってここ迄「全替え」となれば大手術直後のスポーツ選手と同じで、確証の持てる見通し等たつ訳が無い。

<つづく>

2018年9月 6日 (木)

Speedkingよもやま話①SWIV-O-MATICショック

本シリーズでは基本的には体験談ですが、幅広く緩~く語って行こうと思います。
初回の主役はお題にある如くRogers SWIV-O-MATIC(一体型フットボードタイプ)だが、
実はショックを受けたのは俺じゃないとのっけから怪しげだが…。
そもそもこのペダルは今やStudioliteの太鼓の先生たる
従兄からの譲受品で、俺にとっては一応初のマイペダルだ。

従兄にとっても最初に「自ら選んだ」物で、その前はデパートで売られてたPearlの一番安いセットに付属のペダルだった。
’70年代末当時本邦の初心者向け楽器の大多数と来たら、今と比べたらホントにいい加減な代物で正規の練習等殆ど無理な有様であった。
それに毎日悩まされ散々な目に遭わされてたので、大いに奮発して安心なのをゲットした訳だ。

実際それが功を奏して急激に腕前が上がって行ったが、それで人と演る機会が増えたら今度は別問題が発生した。
当時学生の彼にとって外のスタジオへ持参して使うのに不都合だったからで、フープへの装着の仕方がちょっと特殊なのだ。
一旦先にフープ側にアダプタ金具を取付てからそれへペダルを装着しなきゃなんないので、普通の倍以上の時間と手間が掛ってしまう。

もし何時も付けるのが「マイバスドラ」だったら何の不便も無いが、貸しスタジオの太鼓が例えRogersの
(過去一度だけ経験)でも半ば当然だがアダプタは付いていない。
ここが当時のニーズに合わなくて養子に出されたが、付け外しが直接じゃないのでフープを痛める心配が無い利点は持っている。

日本では大金持ちかド偉いプロ以外はドラムセットを
所持してても持参は録音時位だが、車社会でもあるアメリカではそうじゃないとこの辺が文化の違いと推察される。
今や伝説のモリタ楽器のオヤジさんの勧めで従兄は購入したが、この辺も本邦では災いしたか普及はしなかった様だ。

宅に来てからは当時の俺は初心者だったから良いも悪いも無かったが、それでも幾つか困り事を抱えていた。
フットボード自体はヒール部迄一体のの方が当時からフィットしたが、ヒール部が分厚く高さがあるのに不自由した。
Hi-Hat Standが他社製のヒール部が別に固定されてて薄く低いのな為に
右脚だけ高くなってなんとも不安定になってしまってた。

それと後に見つけた裏技を使えばかなり解消出来るがフットボードの傾斜が緩く、只でさえ分厚いヒールが邪魔してスライド奏法がやり難かった。
お揃いのHi-Hat Stand(本来こっちが有名だったのね)が出てるのさえ良く分って無い等、当時俺に技術も知識もロクに無かったので良い印象が持てなかった。
尤も知ってたっておいそれと買えはしなかっただろうけれどね。

結局それから5年後位だったか従兄がメインペダルを買換えた際、前例の如く今度はYAMAHA FP-702がやって来て交代となった。
その頃丁度一緒にバンドを組んでてそれの活動場所が出来たばかりの宅のスタジオだったが、手ぶらで来ても済む様に彼の旧ドラムセットも宅に常設していた。
お陰でこっちも家で太鼓練習が出来る様になって大いに助かったが、彼が全替えした訳では無かったから不足機材は中古で購入する。

そこから後は以前に述べた通りだが、中古購入の
Hi-Hat Standが偶然YAMAHAの同列シリーズのだったのでスイヴォ君は冬眠期に入ったのだった。
その後近年の珍騒動!?でバネ強さ比較の際にエキストラ出演はあったが、俺はSpeedkingにモロにハマってしまったので
スイヴォ君はまたお休み。
それが今回どうして急遽出動したか
は次回へ続く。

2018年9月 2日 (日)

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑱ベタ足ベーシック論Ⅱ

毎度話の順番が滅茶苦茶で申し訳無い限りだが、敢えて深~ぁく追及してしまおう。
唐突だが足でリズムを取る真のベーシックは爪先で、但しそれは太鼓演奏と云う枠を取っ払った場合の話しだ。
単に体でリズムを取れと指示されれば、大抵は一番省エネな指から始まるだろう。
それを「手じゃ無く足で」と言われたらどうなるか?、先ずはここからだ。

手は通常胴体からぶら下がってるので自由だが、足はほぼ大抵の場合重さが掛っている。
又手と違って指を連続的に動かすのに余り慣れて無いのもあるので、足首を使って爪先を動かすのが多いだろう。
これなら立っててもカカトで重さを支えられるので、余り長時間で無ければそのままで行ける。

恐らくはこの辺からSpeedking等の古典ペダルは足首で踏めるのを意識したと推察するが、この動きの特徴は「習わずに誰でも即出来る」処だ。
理論的にベタ足よりトゥが簡単なのは、
そもそも普通にやれば脚重自体掛らないので脚重抜けが起こらない点だ。
脚重抜きでは非力かも知れんが、奏者意識に反するムラ等は出様が無い。
ので、この点で一番リニアと言えるだろう。

それを差し置いてベタ足としたのは、ペダル(道具)と要求される音の都合からなのだ。
トゥの権威と化しつつある俺
(ホントはスピキンのお陰なだけ!?)でも、今の普通のペダルでならせいぜい数発でたちまち降参致します。
ペダルは動くのが仕事なのにあんなに固くなっちゃって、例えバネだけにしたって変過ぎるじゃんか。
は切が無いので
置いといて、子供や女性の様に非力だと足首だけでは今のポピュラーに足りる音量には脚の重さが要りそうだからだ。

脱線コーナー復活だが先日従兄の先生が主目的は違うが、結果的に俺のJ-POP嫌いを別観点で検証してくれた様な件があった話し。
彼は俺みたいに嫌ってはいないがそれでも最近の本邦のがどうもパッとしないと感じてたそうだが、それは歌が昔のより全然ダメになってるからなんだそうだ。
カラオケの功罪なんだろうけど音程は皆正確になってても、話し声のままで歌声になって無いのがどうも訴求力に欠けると云うのだ。

それが太鼓にも大いに波及したのか「昔の」(俺言いPA無し時代)を知らない生徒さんは、一様に無駄に小音量なんだそうだ。
これの何が不味いかって楽器の設計音量とかけ離れるので、それでは幾ら頑張っても所望の音色が得られる可能性は無いからなのだ。
かと言って歌の先生はやってないので元凶の直しが効かず、教えるのに困ってるらしい。

何とも道具(楽器)と矛盾した状況でそんならもっとヤワでも楽に音が出るのを作ったら売れそうなもんだが、そんなんだから楽器不況にも拍車が掛るんだろうさ。
学校の軽音部なんかで普段はPAを禁止とでもしたら、少しは状況が好転するかねぇ。
有名歌手の誰かが公共歌手はカラオケでは練習になりませんって言ってくんないかなぁ、カラオケってのは歌唱力(人前で歌うのに足りる声量)が無くても歌手気分を味わえるのが目的の機材で御座居ます。
仲間とだけで「ごっこ」で遊ぶのと、子守歌の練習になら持って来いかもだ。

本邦の教育が国語は優秀・美術以上に音楽は理屈主体なせいか、嘆かわしきや兎に角1にも2にも皆「歌詞」ばかりで音楽なのに音はどうすんの?。
海外に通用し辛いのも言語では無く、単に音量不足で良く聴こえないからなだけだったりしたら実にアホらしいぞなもし。
数少ない通用してる
内で個人的には特に好みでも無いが、BABYMETALは日本語のままだしワンオクのボーカルは親が前出PA無し時代の達人だ。

前者は例えアイドル出身だろうとMarshallの壁に対峙しなきゃなんないから、現代のでもPAだけではどうにもならない。
これからもっと交通機関の発達で世界が狭くなり、でも本邦の少子高齢化は当分収まりそうもない。
その内下手したら学園祭とかライブハウスなんかでも、ガイジン来ないと客居ないなんてなったりしてな。

はアマチュアには大袈裟としても、太鼓界でもガラパゴスに留まっていては先は無さそうだ愉しみが凄く限定されちゃうよ。
だからカラオケ国に留まるならヘビーな楽器をもう止すか、そうでないなら世界標準にちゃんと目を向けるべきなんじゃないかな。
だとしたらバスドラペダルの踏み方だって、デフォルトが「小細工済み」ではオカシイんだよねぇ。

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑰ベタ足ベーシック論

Speedkingを使い出してから意識する様になった「ベタ足」ですけど、最近益々その重要性を痛感している。
そこで体験も含め重複覚悟の上で、何故「基本」に向いてるのかを記してみたい。

今週はStudioliteでツーバスの限界速みたいなのを試す(6連符)体験をしたが、俺の場合は片足と大差無かった。
両足でダブルストロークが出来る様になったりするとまた違うんだろうが、速さより足の左右相互と手のタイミングを合わせるのがとても大変と感じた。
片足
数ストロークなら頭だけ合わせられれば後は半ば自動だが、全部シングルストロークなだけに1音毎に気を付けてないとどれかがズレてしまう。

左足ダブルが不可な
現況では両足シングルの限界速×2となるが、この時知らぬ間にベタ足ともアップ君とも又違った踏み方になっていた。
高速化しようとするとストロークも自然と最低限にしようとなるが、タイミングを合せるのに精一杯でもう踏み方なんて全く気にしてられない。
こうなるとアップ君はおろかベタ君でもまだ足りず、足首が全く動かない様に力が入っていた様だ。

余裕が無くなると動かすのもタイミングを取るのも1ヵ所限定の方が却って操作が効く様で、それには足・脚の動ける場所も1点だけになった方が良いらしい。
但し力が入ったと云っても殆どが速度の為に消費されるので、残りはかなり少なくなってる。
足首を単に固定すると云うより、「外力の影響を受け難い角度」を辛うじて維持してる感じだ。

かなり足首を伸ばし後で示す図だとFの状態を維持したままと、横だと折れやすいが縦なら突っかえるから折れ難いと云った按配だ。
複数ストロークが得意になってからは限界速シングルを使わなくなって久しいので、新鮮かつプチ発見した感じだ。

因みにペダルは両方バネ最弱Speedkingだったので他のよりは楽だったが、それでも限界挑戦となれば余裕は全く無くなった。
意図したテンポとフレーズに集中した結果だったが、やはり速度によって自然と踏み方は変わるしそれを拒絶しない方が良いみたいだ。
要は奏法を自由に選べる時こそ気を付けてないと、後から切り札や飛び道具が出せなくなるのを体感した様な感じだった。

2_3

ここで今迄連呼してたのを漸く図にしてみたがフットボードと足・脚の関係を描いた積りで、A,Dが「踏んでない時」・B,は「踏み途中」・,Fは最大限にビータを返した場合の例だ。
この内A~
がベタ足でD~Fはアップヒールな場合だが、その差を明確にする為一番カカトを高く上げてるのとしている。

アップヒール時のフットボードへの悪影響についてだが、どのタイミングで足甲角度が変わるのかへご注目だ。
ベタ足では基本意識は足首非動作なので「踏み始め」にしか変わらないが、アップ君の方は「永遠に」!?変化し続ける。
そうでないと脚上げアシストがフルには機能してくれないからで、特にビータを最大に返したい時の「折り返し地点」付近にとても注意が要る。

この往復動作は
人体は意外と回転運動系なので「変換」され、SLのピストンロッドと動輪みたいな関係になる。
スイベル奏法なんかがこれの典型例だがそうじゃないと中々タイミングが安定しなくなるからで何処かが動き続けてる事である意味カウントしてる訳だ。
これは末端域では途中よりも移動距離が短くなる事を意味するが、奏者意識に比例せずに爪先移動距離が極端に短くなってしまっている。

今回の俺体験を速度系列で整理すると、
①次の音迄脚を休めた方が適す位の間がある速さ→ベタ足
②動かし続けた方が適した速さ→ナチュラルアップヒール擬き
③限界若しくはそれに近い速さ→半硬直(名前はまだ無いorワシャ知らん)
音の都合で踏むと自動的にこうなった。

上の②が擬きなのは本人には爪先による脚の蹴り上げ意識が無いからで、俺言い「足首由来スライド」よろしくブレンド技とみなせる。
原理的には単に
爪先が脚に追付かなくなって遅れただけだが、実態は力の伝達もその分遅れてるだろう。
すると無意識でも結果的に爪先は「踏む」より「蹴る」のに近付いてる訳で、多少はその反動が脚上げアシストになってるだろう。

もう1つ正規のアップ君と違うのは、継続的タイミングを取る為にやってはいないからだ。
今回の6連符はそれを連続では無く1小節に1回だけなので、片足では3つしか踏んで無い。
アップ君が最適なのはダブルストロークを持出す程ではない速さで、最低でも4つ以上長く連続する時だ。

人は飽きる事がある生き物だからか、単純作業が延々続くと感性が鈍って来る。
そんな時は意図的にリズミカルにやらないと「ムラ」が生じ易いが、それを補えるのがアップ君だ。

<つづく>

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