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2018年8月

2018年8月26日 (日)

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑯奏法によるミュート編Ⅱ

所詮は何事も考え方次第だし理想と現実に差はあるもの、何処を妥協するかの選択だろう。
にしても余りにも俺とは反対の考え方ばかりが蔓延し、その欠点に誰も触れないのでちょっとばかり意地になってしまった。
それと気掛かりなのはもしこれが原因で音量が間に合ってても、音色の事情でPAを用いたがってるとしたら終点は難聴なのだ。

今の音は必ずしも生と違ってても美味しければ良いと、長い格闘の末に至っている。
でもそれを必ず何時も誰もがとしたのでは、当り前なだけで当初の目論見はもう果たせなくなっている。
経緯は自然で偶然でも音は不自然な訳だし、悪い意味で音色が固定されてしまっている。

そして万一何処かで生が聴こえてしまった時、「なんだ実際はそんなショボイのか」と見捨てられてしまうのだ。
「造られ過ぎた音」にどうしても依存しがちだったら、そのしがらみからの脱却には歴史を学ぶのが良い。
Ringo辺りがやり出した音作りを、今の多くの一般的な日本人が聴けば「盛ってる」かの様に捉えそうだ。

だがここが第1の落し穴で、生でも低音が良く響く会場だったらどうなんだろう。
これは本邦には少なく聴き取りも悪いからRockでは余り使われないし、広さ平均が欧米より皆狭いので響き方も異なる。
あちらでは広さのせいで響いてるのが、こっちでは風呂場の様な状態でだから似て非なるものだ。

Beatlesは「目の前だと誰も聴いてくれない」のでこもっただけで、ライブの迫力を放棄してはいない。
それまで困難だった録音でも同等の迫力を出すのが大元で、あんな小細工を始めたんだからね。
勿論それが発展して遊び要素が強まった非日常的なのも出したが、これは飽く迄オプションでメインでは無かった。
前述の如く頻繁に聴こえては日常になってしまうから、飛び道具でなくなっては困るのだ。

第2の落し穴はライン録りのリニアな低音と戦うかどうかで、過去にわざとやった最初の分はそれなりに面白くはあった。
だがこれも電子ドラムを持出して対抗するのが
必勝法で、生で無理するのは海軍と陸軍が空で戦ってるみたいなお門違いに見える。
どうせ空軍がお出ましになれば、後の連中は足手纏いになるだけなんだ。
どうせそこ迄執着するなら機械だけでは他人と一緒止まり、結局は出音の低音が人より多い程ドスが効かせられる。

第3の落し穴は倍音への影響で、既論の如く基音によって変質する。
量やバランスだけならイコライジングでも変えられるが、鳴らし方のせいで欠落した分は後からではもうどうしようもない。
たまたま誰も出せなければ無事でいられるが、もし対バンに1人でも出す奴が居たら一巻の終わりだ。

古代Micのクジラで低音をより出したがってる者が居たりするが、それも度を越せばもうあの「クジラ」とは違う音になってしまう。
しかも「違ったの」が気に入れた上に、派手なイコライジングが可能な場合に限定されるので常用するには向かない。
結局は奏者・楽器・機材のどれもを、なるべく無加工でも想定に近い音が出る様に持ってくのが安心確実なのだ。

最後第4の落し穴は周囲の状況で、アンサンブルや会場等の都合でこっちの理想を弄らなければならない場合がある処。
前回の昔の一流の話しと同じで、マージンが少ないと自分の音色がもう保持出来なくなってしまう。
そこで諦めるか周りを強権発動ですげ替えるかは人によりけりだが、そんなリスクは無いに越した事がない。

無理な近道で早着しても例えば一通逆走とかして何時捕まるかとびくびくするのか、遠くても到着後に何の心配も残らないのとどっちがってこった。
若い内(必ずしも人の齢じゃなく)は多少焦るのも仕方無いが、何時までも無理を続けてたら最後は飽きてしまうだけだろう。
「踏み方・奏法」と題にあるのに精神論みたいになってるが、気持ちが足りないと「加減」には露骨に影響がでるものなのでの結果です。

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑮奏法によるミュート編

ここまでにも散々触れては来てるが少し散逸してしまってたので、体験例も含め今回は特化して徹底検証する。
俺がここ迄拘る様になったのも失敗・無理解による困窮等に晒されて来たからで、特に録音現場でそれが多かった。
生演奏では近年はPA使用が常態化してるので気付き難いだろうが、演奏会場次第では生のみだったらそれでかなりの大差が出るのだ。

ポピュラー音楽の場合はしないよりする必要性が多いが、スネアバックビートのクローズドショットと同列に思われてる誤りが特にドラマーに非常に多く感じられる。
スネア等でも止める止めないでアタック音にも差が出るが、基音の変化は少な目に感じる。
だがバスドラでは以前記した如く、短過ぎになってしまうと基音が「別物」に変身してしまうのだ。

これも過去既述だがドラマーは普段アタック倍音に気を取られ過ぎてる為、理解し辛いのも録音技師としては参らされる。
でフレーズやその箇所によって極端に音のスペクトラム(周波数と音量の様子)が違ってしまうと、技師はどっちに合せても片方が犠牲になるし無理に間をとってもどっちも駄目になってやり様が無くなるのだ。

奏者がアンサンブルを理解した上で意図的にしてるのなら良いが、こうなるのの大抵はお分かりになられていない方々なのだ。
せめてこもってるだけとかその逆で一定範囲に収めてくれてれば打つ手もあるんだが、技師は口には出さずとも内心もうお手上げになってしまう。
それの際たる例が連打の1打目は必然オープンなのに2打目が無理くりクローズってので、「出て無い音は増やせません」ってね。

なので連打でもシングルストロークで踏めるのならまだ余り心配無いが、何某かのダブルストロークをどっかで用いるなら「止め過ぎ用心」となる。
これの特効薬はペダルバネを、「脚の重さに負ける」範囲の強さに留める事だ。
そしてミュートに力は用いず重さに頼れば、重さは即座に簡単には変わらないので加減も自動的に安定する。

他人事の様な語り口だが俺はこれで見事に一人二役も体験しちまってて、両方で挫折ったもんだから暫くはお手上げだったさ。
自分の中で音響に対して太鼓がかなり後発だったし、只最近何となく感じ始めた事がある。
俺自身もずっと止めるのがアタック音に変化をもたらすと考えてたが、それが誤りではないにしろまだ別要素もあるらしいのだ。

それはビータをある程度以上「皮に食い込ませる」って感じにする事だ。
理屈としてはスティックチップをボールからスクエアのに変えたのと似てて、当りが点から面そして広くなる程倍音は増える。
これは叩いた後のと違い「叩く最初」に作用するから、真の意味でのアタック音の意図的操縦と云えそうだ。
「止め過ぎ」でも似た状況になる場合がありそうだが、それは偶然なだけで他のリスクが多過ぎると思う。

更にもう1つご利益があり当りが広いの広いを大きいと捉えるが如く、アタック音が倍音豊富なのに太くなるのだ。
趣味じゃない人には申し訳ないのだが、これを得易いのが又Speedkingだったりしたのだ。
実は他のペダルでも同条件を備えていれば良いのだけれど、なるべくビータシャフトと皮が平行に近くないと面で当てるのが難しくなる。

しかし低音が少なければ
慣れないと近年のメタルみたいなバスドラとは思えない音になり、恥ずかしながら俺が実際そうだった。
それにはオープンにするか、止めても「消極的クローズ」にしないと無理だ。

BONZO達の録音は今のと比較したら、大抵は現場のよりもこもった音になっている。
録音媒体がアナログ磁気テープだと原理的に必ずそうなるが、ってこたぁ現場ではもっと明瞭な音で鳴ってた訳だ。

それ抜きでSpeedkingは低音出るけどマイルドなんて思ってたら、大変な誤解になってしまう。
過去記録についてドラマーは録音の、録音技師は奏法の点で見逃しがありそうなので中々話が1つに纏まらないんだろう。

しかもBONZOは基本ベタ足なので俺言い「無理くりクローズ」は使用不可、幾ら怪力でもそれだと力を作用させられるタイミングは「音の後」にしか出来ない。
太鼓がノーミュートだからとか録った箱がライブだからと
慌てて勘違いするなかれ、初期Beatlesの等と響きを比べたら分かる。
Zepはライブな音作りはしているが、良く響いてるのは高音の方で低い方は意外とデッドだから。

Micだってあの爆音ではコンデンサは無理となると、昔のダイナミック型では今みたいに低音を全部は拾えていない。
もう1つ大事なのが歪みの問題で、今はほぼ排除出来る様になったが過去は「付き物」であった。
元音が固過ぎるとそれが歪んだらもう使い物にならなくなる、演ってる事が聴き取れなくなってしまったりするからだ。

そう云や年の功か「PA常用以前の時代にその人の音色が完成した」一流の人の音を生で聴く機会を持てたが、イメージではどうでも彼らは皆「フルサウンド」を持っていた。
とても大きいのに意外と耳に優しくそれでいて低音も高音もしっかりと出てる感じで、個性豊かでも音色バランスは決して偏狭では無かったな。

音作りに関して現代は+の美学みたいだが、過去のは-されても美しいって方向性だった様にも感じられる。
この-が当時は何処かすらハッキリしなかったので、大変だがきっと何処を削られても50%位迄ならOKなんてなる様に持って行ってたんだろうなあ。
けれどもし上手く到達出来たら何時何処ででも何時もの音で、やっぱりあの人の音だと聴かせる事が出来そうだよね。

また酷暑なので最後に音ヲタ怪談を、無理くりクローズを必ず歪んじゃう’70年代の
石だけの機材で録ってみよう。
予想では右翼の街宣車・竹竿売り・選挙カーの、どれにも負けないウルサさが出せる筈だ。

<続きがあるでよ>

2018年8月24日 (金)

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑭奏法失敗体験集

俺が勇者であるからか単なる気紛れか、はたまた破れかぶれか自分でも分かんなくなったが吐露しちゃう。
普通成功体験は一杯あるから、ひねくれて失敗を集める事にした。
但しやらかしちゃった人の心持ちが分かるのって事で、自分とその周囲の人のが中心になる。
自信付けたりストレス発散には持って来いだぞ!!!。

ここ数年以前はメカニズムにロクに目を向けなかったのと、今と奏法発明当時の道具の違い等を見落したのが最大の過ちだった。
大体誤は誤認の誤で、正が実際の状況だ。

1.スライド奏法での勘違い
誤:俺の脚力が強いから出来るんだ、とずっと思ってた。(誤った昭和の体育会系か)

正:力と速度に比例関係はあるが、速度の威力主体で働いていたのに気付いて無かった。
当時使用のペダルバネが弱くなかったので、その分爪先押圧が要っただけだった。
※基準になるSpeedkingよりフットボードの位置保持力が強いから

2.トゥヒール系での勘違い
誤:俺の足首が脆弱だから出来ない、とずうっと思ってた。(誤った平成の文系か)

正:爪先立ち出来るだけの力はあって、出来ないのは変と気付かぬマヌケ。

3.アップヒールでの鈍感
誤:
脚上げをペダルバネに任せっきりに出来て楽。(おめでたいのね)

正:
奏法選択も錯誤してたりで、フットボードがちゃんと上がってない。

4.闇雲に強く押付ければ音がパワフルになると思ってた。
誤:アタック倍音が増してド派手になったぜいっ。(目立てば強いの)

正:
これをする程相対的に基音(低音)は出なくなるし、パワーは力でなく速度に比例。(注:パワー=適切音色を伴う音量)

5.得意だからと連打は何でも全てスライド
誤:スライドの方がトゥヒール系よりパワー出せるんだぜ。(洗脳されたか)

正:フレーズによって
適正があり、ゆっくりだと非力な上タイミングも怪しくなる。

ついでにセッティングミスも。
1.イスが低けりゃ足パワフル
誤:体に近い程力って強く入れられっかんね。(荷物と太鼓演奏が同じか)

正:脚上げ過労で「早く降ろしたくなってた」為、偶発的に脱力落下となってるだけ。

脚上げ負荷が増して疲れるだけで、脚を動かした時の上体への悪影響も増す。
加えて手の可動領域が狭まるのと、相対的に楽器が高くなって腕も疲れる。

2.クランプネジ増し締めすればペダルは固定される
誤:弱いから駄目なんだよ。(脳味噌が筋肉製)

正:
幾ら締めてもクランプとリムが滑れたらペダルフレームの変形やリムの破壊を招くだけ、これも力だけでは解決出来ない。
踏み方の不正も影響があり、従兄の先生曰く「スイベルはペダルのアンダープレートが付いた後から」。

3.脚上げアシスト率を上げる・ビータの戻りを早める等の為バネを強くする
誤:常に強く足が押されてるから、脱力すれば勝手に脚が上がるんだ。(ふーん)

正:結果的に踏む側の力が増加するので負担は差し引きゼロ。
踏むのが低速化すればリバウンドも減るし、脚の重さがフットボードに乗ったままではその分バネの力を殺している。

本日の標語:ペダルは鳴らすのに使い、脚は自力で上げましょう。

これらの原因は基本的には「あぁ勘違い」だけれども、今になると
環境次第でし易いのとし難いがあるのも分かった。
この環境差の源泉はペダルのバネの強過ぎと丈夫過ぎで、奏法に対して公平じゃなくなってるからなのだ。

元から偏ってれば正しい体験・体感が得られなく、意地悪なクイズと同じだ。
現実には中々そこ迄に至らないだろうが、例えば太鼓・奏者・ペダルのどれが壊れるのが一番困るか?。(こっちは親切です!?)
正解は人・太鼓・ペダルの順だが、
人だけだと手拍子とか道具を使うより出せる物は限られるが演奏するのが「人」だからねえ。

その次はペダルだろうと思う人は固定観念に惑わされてるだけで、緊急時はバチで叩く
か蹴っ飛ばせば取敢えず何かしら音は出るのよ。
その人の演奏スタイル次第で影響度は違うけど、ギターの人ならピックを落すより弦が切れる方が困るのと一緒。

ところが太鼓はギター等と比べると皮は弦より全然裂け難いしで、壊れ難いのは有り難いけどそのせいで「優先度」は学び難い。
どうにかしてこんな状況からは抜け出せないと、盛られた下着にまんまと騙されるエロオヤジと一緒ですわ。

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑬奏法選択編Ⅱ

前回とは逆にお休みにした、フレーズによる奏法選択の最適化を追及しよう。
現実的には各奏者毎に奏法の可否もあるので、使えるのの中から選んでるだろう。
運良くそれが適正
(フレーズの)に合致してれば、そのままでも良さそうに思ってるでしょう。
でも多くの場合は「ちょっとズレて」たりするせいで、どうも今一しっくり来ないなんて感じるのが多いのでは!?。

ともすれば筆者の態度が良くないから上から目線と誤解されても仕方無さそうだが、実態は失敗の解決策が後から見つかった体験を並べてるだけですのよ。
なので発見する前は最も本件に頭を使ってなかった口で、唯そんなに腕が無いからこの程度の精度しか出せないんだろうと勝手に長い間思い込んで居りました。

前置きはこれ位で抑えて本題に入るが、フレーズ適正の基準が先ず問題になる。
動作・操縦的にやり易いのは精度の為には絶対だけれど、楽曲によってはやり難いのの方が雰囲気が合ってる場合だってある。
けれどもそれを今ここで言い出すと切が無くなってしまうので、敢えて一旦芸術性以外の部分で分類してみます。

基本はベタ足でもアップヒールでも「単打用」のから、どの段階で「連打用」のにスイッチするかが最初の選択になるだろう。
俺はたまたまスライドが昔からかなり得意(だから上記の保険掛けた!?)だったので、本来はトゥヒール系が適してるのでもスライドで賄ってしまっていた。
だが是迄に色々記して来た様に、中速には合って無かったのでした。
具体的にはHi-Hatの16が片手で出来る位のテンポでは、スライドには遅すぎでトゥヒールが最適だった。

太鼓単体でリズムを鳴らしてれば大して気にならないのが、いざベースを入れてみると「ドゥーーーゥッ、ドゥドゥ」がカッチリとは合わない。
太鼓は右利きなら右手が16を刻んでてメトロノーム的基準が明確に有るから、最初はベースの方が不正確だったかと思った。
しかし俺としては本職の方がどう考えても安定・正確な筈なので、?の連発。
随分最近まで実は足が犯人なのを気付かずに過ぎてしまっていた。

これの分析結果は正しい譜割りより足のやり易さが優先されてしまってたからで、単体でなら聴けてもちゃんとは合ってなかったのだ。
元がどうしようもないアホなので、リズムよりどうしても希望より小さくなる1打目の音量を2打目に揃えるのにばかり腐心していた。
録音して他楽器と一緒に聴くと、いつも1打目が殆ど聴こえなくなっちゃってたからさ。
それ以前にスライドに必要な速度がテンポの都合で足りてないのにね…。

それでトゥヒールに置換えたが当初はトゥもヒールより原理上非力なので、リズムは合っても音量がでまだ悩んでいた。
それでもどうして苦手なトゥヒールが生き残ったかと云うと、1打目の「明瞭度」に差があったからだった。
小さくてもスライドで録ったのよりは、微かに聴こえ始めたからだ。

改善の見込みが低いのを続けてもしょうがないから、思い切って音量を無視してトゥヒールに慣れる様に続けて行った。
それから今1年位経過して、音量の問題は何時の間にか解消していた。
奏者の性格も大きく影響しそうだが音の大きいのが特徴の太鼓こそ、訓練中は下手に気にすると駄目らしいのを悟る。
「元が大きいからそんなに心配しなくたてってきっと聴こえるさ」と、わざと自分を騙す位で丁度良い様だ。

その後これの副産物として見つかったのが、ラテン系ので延々16で「ドドッ」と演る際の利用法。(適応可能テンポの範囲は割と狭いが)
どれで演っても2分3分と継続すると疲れて辛くなって来るが、狡いけど疲れたら交互に切り替えるのだ。
どの程度の改善がみられるかはそれこそ疲れるので未実験だが、一応理論的な裏は既に取れている。

スライドは脚上げ負荷が高く、2打目以外は上げてる羽目になるのが多い。
連続スライドは真に上げっ放しになるが、スライド連続(間があっても同じ奏法の連続)でも足を毎回「引き戻す時間」を稼ぐ為他の奏法より「早目の脚上げ」が要って来る。
なので「上げてる」のの疲れが大きいし早くにやって来るが
、他はロクに使って無いから疲れない

一方トゥヒールでは「脚に負けない爪先」にするのもあって、パワーを出しながら回数も要るので脹脛が疲れる。
※決して露骨に力を入れはしない、弱くとか曖昧になり過ぎない様に気を付けるだけだ。
しかし脚上げは
2打目の瞬間だけなので、休みが多くてこっちは全然余裕だ。

この様に違う筋肉を使う事で程度は不明だが、多少なりとも延命が図れるのには疑いの余地が無い。
一見邪道オンリーっぽいけど演るのが「疲れる」人間となれば、疲労軽減は精度・安定度向上に繋がるので無視出来るものではない。
奏法にも「スペア」は無いより、やっぱり有った方が色々と良いみたいだ。

2018年8月23日 (木)

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑫奏法選択編

前々回のアップ君の補足続編も兼ねて、バスドラ奏法の最適化を考えてみる。
現代一般的状況からは敢えて距離を置き本来の音の都合を最優先とするのと、フレーズによる制約は変えられないのでそこは今回はお休み。

さて昨日執筆後も従兄のStudioliteのサイトで推奨動画を見たりしたが、近年ではどんな達人でもかなりアップヒール主体なのに辟易させられる。
道具等からの影響もあるので単純に批難すべきでは無いが、手に比べると余りにも足技が軽視されてる様に感じられお寂しやだ。

俺がアップ君を妙に嫌う様になった発端は、クローズドショット(叩くと同時に押付けて止める)の闇雲な乱用にある。
間隔のある単打で出来ても連打だと誰も使えないので音色差が出るが、これを無神経に混在使用するのがどうにも合点が行かないのだ。
大昔みたいに太鼓は基本ノーミュートならまだ分かるが、今では音色の為に最初から僅かでもミュートが掛ってるのが常でそこ迄何時でも要るんかいと。

楽音を単音単位で捉えると可能な限り出音の明瞭化をしようとするのに瑕疵は無いが、聴者には単音より全体の音の方が
印象として残りそうだ。
加えて明瞭化にしてもその優先度を検討して行けば、単打より連打(ロール等は除く)時こそ演った事の聴認性向上の為にも明瞭化させたくなる筈だ。
少なくとも俺は何時もそうで、だって苦労はなるべくなら報われたいじゃないですか。

一番肝心な時に使用不可なんならショットのクローズよりミュート等で音色を定めるのが理に適うし、そうするとフレーズと明瞭度の加減をもっと楽曲主体へ持って行けそうだ。
「沢山鳴らす時は只盛上げたいだけだからどうでも良いさ」なんて言われちゃったら元も子も無いんだけど、それならクローズドショットの方が小音量じゃないと可笑しいが大抵はそうはなってないぞなもしよ。

又一聴すると今日多用されてるクローズドショットはかなり積極的にやられてる様だから、特に低音域のバスドラの場合だと拙ブログ前回の通りで低音が削がれ気味。
低音ヲタの俺としては「出せる低音」をわざわざ出なくするなんて言語道断なので、俺言い「消極的なクローズドショット」で限界だ。

尤も常にオープンも速い連打時に余韻長さにかなりの制限が掛るので、フレーズによる強制的な音色差が嫌な俺は今普段は不採用となっている。

ところで歴史的観点から奏法主流の変遷を追ってみると、最古の当時は特定の主流が恐らく存在しなかったのが気に掛る。
電気・電子楽器はおろかPAも無いしで、それは録音・再生もマトモにはほぼ無理なのに繋がる。
生で限られた機材で「間を持たす」には、絶対的にバリエーションも必要だったからだろう。

その次は今ほど極端では無かっただろうけど、やはりクローズだと思う。
太鼓の音色の為の「半恒常的」ミュートがRingo辺り以降と歴史が浅いのと、西洋の舞台はともすれば太鼓には鳴り響き過ぎるので。
そして理由が俺と一緒かは不明だが、数年前の本邦ではオープンが主流だったらしい。

5年前位から長いブランクを経て再び従兄の太鼓の先生と活動を共にし始めたが、ずっとクローズだったのに当時何の説明も無く至極当然な顔でオープンでやられたのには大いに当惑された。
結局今では彼も何時の間にか元へ戻っていたが、現在中断中だがどうやらBAND録音の都合が原因みたいだ。
要は外見上どう見えても流石にベテランの先生だから、一通り出来た上で選んでたんだろう。

過去のほぼ未成長の俺は無理くりクローズしか出来なかったから、パワフルでも彼のよりどうにも音色が貧相で仕方無かった。
但しいきなり無理くりクローズから消極的のになってはおらず、間にSpeedking化直前の1年程はオープン主体の時期があった。
この期間の体験で低音欲しけりゃすぐ止めは無理と悟り、しかしバネ凶で消極が困難だった故の選択だ。

俺言い「消極」は別表現ではナチュラルクローズ(あれっこっちの方がホントは良かったわ、時既に遅し😢)なので、こっちが戦う意思が無い時向う(ペダル)も友好的じゃないと中々厳しいものがある。
感覚的にだが何時も押されれば押し返せねばいけなくなるから、どうしても無駄に力みがちで止め過ぎになってしまってたのだ。


そこから鑑みればどれを使うにしても、やはり一旦基礎レベル程度は一通り習得してからの方が効果的だと思う。
表面的な理屈ではやりたいのだけ出来れば事足りるが、それでは各奏法の特徴を出し切るのが難しそうだ。

奏法以上に道具(ペダルや太鼓)の方で偏重が著しい様なので厄介だが、やり難いからって物に負けて損してては勿体無い。
し、出したい音が出ないんじゃつまんない。

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑪音色編Ⅲ

今回はビータ周りに特化して考察するが、先ず誰でも気付くのはビータの形状差やサイズだろう。
その中にもシャフトの長さとか色んな違いはあるけれど、案外見落とされてしまうのが「打点時の角度」だ。
打点位置だって大事だが、「アタックの音色」については角度のファクターはかなり響く。
踏み方で音色って題なのに何故なのかは、後程のお楽しみよん。

太鼓のアタック音色を解析するのに一度に全要素を考えると混乱するので、先ずは「当り方」から考えてみよう。
参考としていつも見えてる手で行くが、最初はドラムスティックのチップ(頭)形状からの差異だ。
チップの皮に当たる面積によってアタックの太さに影響するのは、両手で打合せる時の事を考えれば明白だ。

但し太鼓の現実にはこれに強さと角度を含めないと、正しい予測が出来ない。
一番ポピュラーなビータヘッド形状はバチで言う処のスクエアに近似だが、そうするとバスドラヘッドとビータ側面が面で接した時に太さMaxになるだろう。
これがまん丸だったら無関係になるが、それでも更に注意せねばならんのが強さだ。
端的に言えば強いと皮に少しめり込み出すが、それは皮が変形して接触面積が増加すると云う意味だ。

Photo

概念図であるからして文句非対応願うが(年寄りに無理言うの赦して)、図の1-A~Cが俺言い「積極的クローズドショット」・2-A~Fが「消極的クローズドショット」だ。
この積極・消極は打音後のミュート目的のビータ押付けの強さ、と思って貰えればよござんす。

1は現代標準的な「積極」で、2が俺心酔のSpeedkingによる「消極」の状態を本人は勝手に表せたと思い込んでる。

粗描だが先ず気にして欲しいのが1-Bで、ビータ側面と皮は平行じゃないが食込みで「面で当たってる」処。
何しろ完全に余韻なんか許さんってな勢いで踏み込むから、打つ力と速度がどうであれ「押圧」はとても強い。
この度合が高いとビータ形状の差の出方がどんどん減るが、打点接触面の形を
半強制的にビータに合せる様なもんだからだ。

これを上手に活用すれば弱く踏むと点接触・強いと面接触となるので、音量の大小と同時にアタックの音色差を追従させらる利点はある。
手と違い足では1音毎に角度を変えられないので、ある意味それを補填してるとも取れる。
だがあたかも奏者俺様主義で基本的に「皮には一切自由を与えないシステム」とも言える状況が為、基音(低音)がとても犠牲になり易い大変な弱点も持っているのだ。

俺としては低音ヲタの立場上これは不許可なので2のやり方になってるが、太鼓と喧嘩しないで協力して貰ってる様な感じだ。
かつては下手でゴリゴリの1でずっと無理してたが、どんなに頑張ってもアタックの倍音がデカくなるだけで音色が薄っぺらくて下品極まりなくて弱っていた。
だが普通のペダルのバネ強さでは技術が未熟なのと相まって、当時はどうしても少しは力を意識しないと打てなかったので中々抜け出せなかったのだ。

今だってちいとも完璧では無いから常に図の様にはなって無さそうだが、兎に角1と2の最大差は皮が往きだけか復路もあるかだ。
音響学的にはその皮で可能な最低音(基音)が出るのは、
最低1往復がお約束なのよ。
これについては長くなるので、例に依って過去記事参照で。
又2-FについてはE止まりでも音は一緒だが構造的にSpeedkingは押圧が弱いので、しっかり止めようとしたらなってそうと云う予測。

また勘の良い人はもしか気付きそうだが、1では皮が真直ぐ(打たれてない時)から図では左側へ行くのしか無いが2は左右両側になってるね。
皮の動く距離が倍違うってのは空気を揺さぶる量も倍なので、2の方が音量も倍になっちゃうねえアハハ。
まあ現実は理論通りでは無いので滅多にここ迄の差は出ないが、1より2の方が物理的に合理性があって高効率なのは間違い無いさ。

これが一見チープなSpeedkingが音的には
案外力持ちな秘密!?、まあ速さだって突詰めればその為の力は相当なもんにもなるしねぇ。
1式ではどうしたって「普段から」力が要る分、そっから増やせる量は減っちゃうね。
分かってて設計されてるかは不明だが、ここでも結構速度とパワーの相関関係が深いらしきがまたぞろお出ましになったね。

では1でもオープン気味にすれば基音を得られるのでは!?、正解だが別の問題が出て来る。
図のまま角度があるとその時接触面積が減少しがちになるので、アタックが痩せてしまうのだ。
物凄い達人だとこれも何とかしてしまいそうだが、それでも安定度は全く違ったままだ。

こうなって来るとパワー必須の音色もあるのは確かだが、それは一時的な物であまり普段使いには向いて無さそうだ。
Speedkingが低音出るとか音色が良いと言われるのもこの辺が原因で、逆に無茶踏みすれば1式だって出来なくは無い。

最終的には何れも奏者のお好み次第だけれど、アタック音や基音の原理自体は不変だ。
道具選択もだがだから踏み方で音色が変わるし変えられる訳で、それがもし原理に反してたらどう頑張っても求める音は得られない。

正味な処
俺は今ではガチガチのSpeedkingヲタだが、そうなった原因は「したい踏み方」が出来るからだ。
実に欲張りだが速く大きく明瞭で、且つ低音もバッチリ効いてて…。
それに必要な踏み方が出来るのが、って経路を辿っただけなのだ。

2018年8月22日 (水)

アップヒール奏法の功罪

今世間を見渡すとアップヒール奏法がポピュラーに映るが、俺にはまるで抗生物質の乱用の様に見えてしまう。
見た目の良さ以外にも実際利点はあるが発展性がとても乏しいので、
俺言い「行き止まりの奏法」では副作用をもっとしっかり前説すべきなのだ。
ベーシック奏法は大した事が出来なくても将来の発展性に制限は無いべきで、俺からするとこの風潮は「ふーん、そんなにリア充なの」とつい溢したくもなっちまう。

こんなエエ加減なオヤジなので名称と内容の一致が微妙だが、足首とペダルバネの力を利用して脚上げする方法についての話しだ。
見た目以外の利点は
①腿の力が殆ど不要
②ペダルバネ力で脚上げアシスト
③連打時は更に省エネ化
これだけで済むなら結構な技だ。

しかし欠点があって主に
ストローク不足を起こし易い
➋最高速が低い
➌他の奏法への移行が困難
気付いて無い人が多そうでワシャ恐いよん。

例によって順に説明してくが欠点の根本原因は
足・脚の動作の時差と非制御になる部分がある事だ。
奏者意識ではフットボード上に足が乗ったまま爪先で蹴ると、爪先が動けない代わりにカカトが上がる。
その勢いとバネの力で「理論的には」爪先も上がって、結果的に脚・フットボード共上るとなる。


上記の「理論的には」は拙ブログ別稿を参照願うとして、今回は果たして確実に「現代バネ強ペダルなら平気」になってるのかだ。
弱いバネを強く効く様に調整したのならその通りだが、バネ強でもう強さが足りてるから
設定(調整)は最弱のままだったりするとどうなるあるか?。

フットボードニュートラル位置近辺ではバネの力がほぼ無くなるので、その時爪先がまだ板上に残ってたりしたら知らぬ間に実際は押し上げ力不足になってる。
ので一般的にはバネ強いからOKとか思われてるが、現実は必ずしもそうはなっていないのだ。
その時の膝の上りが一定でも爪先も同じとは限らないので、無添加だと出音の粒や音色も実は不安定になり易い。

それで一工夫して足・脚動作に「確実なマージン」を盛った(添加物)として、今度は足・脚ストロークが過大になって来て燃費悪化・間隔延長…。
フットボードより随分沢山動かさなきゃなんなくて、それでいて別にパワーアップするでも無くご苦労さんでしただ。

俺言い「過労
アップヒール」は足首を力ませてカカト着地を断固阻止式で、これなら脚重を板に乗せられ出力増大作用はあるしバネ凶徒労クローズには少しは効く
だがその外観たるやもう殆ど単なるカカトが不着地のベタ足にしか見えなくなって、
見た通り足首が固くなった分蹴り上げによる脚上げ効率が大幅低下とすっかりらしさが損なわれてる。

これとは逆に脱力出来てる俺言い「自然食アップヒール」の場合、次の2通りの動作のせいで脚重が板に届かなくなる。(伝わるのは勢いのみ)
前者は従兄の先生曰く「脚重抜け」が発生するんだが、爪先が先にフットボードへ着地するケースでその後に問題発生。
ここで足首が脱力でフリーになってっからカカトの重さ(肉体構造上脚重はほぼこちら側に集中)が爪先へ行かず、他所へ逃げてしまう。(大抵はペダルヒール部か地面)

それから限界速に近付くとだんだん爪先の「遅れ割合」が増加するが、それでカカトが先に着地すれば今度は「脚重の既に無くなった爪先」で踏む事になる。
それでもメリットが出るのが「一定間隔連打」時で、物理的には無駄な過剰ストロークもタイミングを取る為の間となると「全く無駄」では無くなる。
なのでフレーズ的に適してれば、アリな手法ではある。

だがしかしここからが非常に重要なのである。

「ベタ足で踏んでても」特定テンポ域の連打をしてると、「無意識に勝手に適宣アップヒール化する」のである。

正しいベタ足が出来てたなら自然と足首が動かないだけで、「絶対動かないもんね」と意識して力んでガチガチに固めてる訳やおまへん。
脚の上下が連続してある程度速くなって来ると慣性モーメントが増加し、だんだん爪先が足首の位置から自然と遅れ出すのはアップ君の時と同様だ。
そこが無意識ですから体が勝手に腿筋
疲れたり足りなくなったら他の筋肉で補おうと作用して、爪先の蹴り成分が増えて来て…あら不思議何時の間にかアップヒールになっちゃったと。

これを逆視点で捉えるとフレーズ如何ではアップヒールが最適な場合があるとなるが、ほっときゃなるなら最初からわざわざしとくメリットがあるのかが論点になって来る。
で冒頭に吠えちゃった発展性云々とは何ぞやだが、必ずカカトから上るとか上へしか上がらない等の制約があるからだ。
アップヒールと名乗るからには踏み終ってもカカトが上がっててOKだが、

それだと直後にトゥ(爪先踏み)したい時に困窮する。

普通は爪先上げ→下げだけで完結するのに、その前にカカトを一々降ろさなきゃなんなくなっちゃう。

ところが非力なトゥをわざわざ出すのは、大抵はアップ君では役不足の「高速連打」をしたいからとかだ。
普段より時間が無いのにその時に限ってアクション追加って、理に反するし間に合わすのが大変だ。(出来るもんならやってみろい、オラ知らねっと)

直後スライドではそもそも「足甲の行き先」が違いうので、爪先蹴り上げが使えない。(蹴るのは連打の1打目になってから、酒タバコはハタチに…)
結局無理・無駄無しに奏法移行が可能なのは、スイベルとちょっと移行動作に違和感が出そうなベタ足だけとなってしまう。
細かく行けば
バネ凶徒労クローズ以外でも小さい子供で足・脚が極端に非力で軽い等、特定条件下では有効性が出る場合はある。

しかし前述の通りベタ足意識で自動移行があるので(逆はまんず難しいよぉ)、ベタ足を差し置いてアップ君を教えるなんてのは最低の非人道対応になるんだぞ。
ベタ足を教えといて自動でなるのを許容すりゃ済む話しで、それでアップ君の習得も同時にしっかり出来てるんだもんねーえっ。

Ludwig Speedkingの使い方③

前回俺初号機と対処療法後の2号機の演奏上の差について具体的に触れられなかったので、それを記しておこうと思う。
全く行き当たりバッタリ(俺界隈では失敗が多いので行き倒れバッタリといつも称してるが)ではあるが、Speedkingでのバネ強さによる違いを再体験してしまった。
これ迄の体験では太鼓が違うとかどこかで条件が揃ってなかったのと、トゥヒール系がロクに出来なかったのも今回とかなり違う。
もし宜しければ、別項Bass Drum Pedalの踏み方と合せてお読みくだされ。


対処療法の可否確認の目的での比較だったが、それは大丈夫そうと分かってもどうも労力が違って妙となった。
ちっとも注意深く無い性格のせいなのか「バネ強さは最初に揃えたから」と無視状態で、暫くは気付かず「なんでやねん」だった。
スライドも連続になると少しは差を感じたが、大きく異なったのはトゥヒール系であった。

トゥヒール系だと速度・連続回数の両面でまるで別物って位で、あんまり
大変だったから流石の俺も真面目に点検し直したって程だった。
初号機では普通の8Beat中に6連符のトゥヒールがテンポ140位迄は入れられるのが、2号機だと120でももう厳しくなった。
バネ強さ由来の体験をする度に桁が増えてく感じで、高速化を追及する程これでもかの「まだバネ強過ぎたんだだ。
これでは現代バネ強ペダルじゃ、試す気すら起きなくても仕方無いなと思った。

スライドにしても太鼓からのリバウンドに対するバネ力の割合が増えるせいで感覚が捉え難く、その分制御がし辛くなった。
なので少しでも
Speedkingに興味を持てるなら、バネは弱めるのをしつこいが強く推奨するものである。
バネ弱にしたら得られる利点をここらで並べてみよう。

①力が少なくて済んで超楽
②最高速が上がる
③摩耗が減る
④奏法の選択がより自由になる
⑤太鼓の反応を感じ取り易くなる

では順を追って詳細説明に入るが、①は
本来は言うまでも無いだろう。
人によって今迄の環境のせいであまりにも「脚上げ」に不慣れだとバネを強めたくなりそうだが、俺の答えは「およしなさい」だ。
強めた処で現代ペダルと比べたら所詮蚊の鳴く声程度にしかならないし、摩耗を大いに促進するだけだから。

以前述べた通り
Speedkingは「カム比率」(バネ伸縮距離)が現代の他のより全然短いので、もし打点でのバネ力を同等まで持って行けても今度は別の処が変になる。
凄く強いバネだったらニュートラルポジションではバネ力ほぼゼロでも、打点では強力発揮となる。
それを弱いので我武者羅に
近付け様とすると、ニュートラル付近でもとっても固くなりまっせ。
それでいて打点では、思った程全然強くなんてなってくんない変な踏み心地。

②は名前からすればこれが設計上最大の目的らしいが、やはり重くて強いより軽くて弱いの方が何でも速くなるみたいだ。
現代ペダルと比べたら実際強度も劣るけど、ここでの弱いは踏力の事。
普通速くするには先ず動力源をパワーアップするんだが、無神経にそれをやると前より重くなる。
折角パワフルにしても重いとそこで相殺されて大して速くならず
、それはベアリングとか他の場所でも同じ

しかも動力源が人だと個人差があっても最初から限界値が見えてる、言い換えるとこれをたかが知れてるってか。
そこで昔のアメさん考えた「じゃあ軽くすっぺ」と、を最大限に生かすには何でも弱く軽く「でも速く」が設計の方向と一致してんだわ。

③は油漬け(実際はグリスだが)でも押付けて擦る構造なので、他の普通の構造の以上に抵抗値による差が大きく出ます。
自動車のエンジンのカムと全く同じ方式だが、そう云や新車から走行距離○○kmに達する迄は○○回転以上に上げないでなんて注意書きがあったね。
これはエンジンオイルが十二分に浸透する迄は、摩擦抵抗が高くなるからなんだそうだ。

まあ凡人は俺様みたいな超高速はどうせ出せないから関係無さげだが、他ユーザーの間ても「馴染む迄は本調子は出ない」と語られてる様だ。
尤も製造中止から時間を経てる分新品でも「作り立て」のよりはだいぶ油は回ってそうなので、この面の心配度は下がってそうだ。
けれど調子よく滑ってくれても「擦ってる」事に違いはないから、バネが強いとその分減りが早くなりそうなのは未来永劫変らない。

④は実際の演奏時に関るので奏者にとって大問題だが、悲しいかな現代バネ凶ペダル(もう今日から強を凶て呼んじゃうもんね!!)蔓延で奏法の方が浦島さんに成り掛ってるよ。😢
もしや旧標準ペダルの保有量が少ないせいで本邦ドラマーの足技レベルが低下して、だから誰でもJ-POPなんてなってんだったらホント勘弁して欲しいわ。

俺が手下手なのでそうでない普通の皆はそんなに堪えないかもだが、太鼓演奏で使えるのは基本手足4本だ。
その1/4がロクに何のテクも使えないとなれば、
単純計算だがたったそれだけで全体の技量がもう25%も下がる訳っすよ。
ここへ着目すれば限界に近いハイレベルな手を無理して鍛えるより、無策の脚が向上したら素晴らしいじゃないの。

⑤に至るには④である程度に達しないと分かり辛いかもだけど、普通手の方では余程の初心者以外は誰も皆「反応を体感しながら」演ってるんでないかい。
その手に良く合う様にするには、脚だって同じ若しくは近い感触が得られた方が良いと思うがねぇ。
それとこれも手と一緒だけどリバウンド利用率が高まる程、奏者の労力は減少すんだよね。

もし高度テク不要な場合でも、労力の減った分を表現とかへつぎ込んだりも出来る。
上手下手とか難解単純とは関係無しに良い意味での楽なら、した方が結局それだけでも音が良くなるんじゃないのかな。
演ろうとしてるのは音楽なんだから音を出すのに「只出すだけ」にじゃなく、「もっと良い音」の為に労力を費やすのが奏者本来の使命でしょう。

現代ペダルの常識視点からだと使い方にも半ば指定があるかの如くに映る
Speedkingだが、他の現代ペダルを乗用車とすれば名前に偽り無しのレーシングカーだ。
競技用自動車には走りに直接関係無い装備は付いて無いから、乗用車より居住性等が劣るのは確かだ。
しかし演奏用の道具であって、1日中着用が必須の
下着なんかとは優先事項が違う。

最近のドラムイスにも俺は同様に感じてるが、イスであるからには座り心地は確かに大切だ。
けれどもそれをすると踏み難くなったりするんじゃ本末転倒で、座り心地偏重ならドラムイスの名は偽りになり休憩用イスと改名すべきだよ。
これももし脚じゃ皆どうせ大して何もせんのやからだったら、由々しき事態ですよホンマに。

2018年8月20日 (月)

楽器の欠点と使用者の立場

ここんとこSpeedkingを筆頭に色んな楽器に振り回されてるが、楽器屋としては心が折れ気味だ。
例えどんな欠陥・弱点があろうと克服してみせたくなるので、それが叶わなかった時は罪の意識にも似たブルーになる。

でも落ち込んでても解決には繋がらないから気持ちの整理となるが、何処迄が開き直っても良いのかとなる。
なまじ中年ともなると図々しくなり勝ちで、却って無神経になるのを嫌悪してしまう。
ここは1つ理性で仕分けして、白黒付けてみようと思った。

1.Speedkingの左右ポスト開きは引き分けで、時間の悪戯で暗黙の了解みたいなのがどっかへ飛んじまったと解釈。
太鼓の基本設計がペダルのそれと乖離してなければ大きな問題が起きず、設計者が太鼓がこんなに固くなるのは予測不能だったろう。
使う側もそれなりの常識には準じて居たのだから犯人不在、よって誰も責任を感じる必要無し。

2.固定が弦ポストのナットのみのダイキャストペグ、これはやはり構造的欠陥と見做すべきだろう。
なので扱い者側に非は無く無罪放免。
只特異な条件下では不備があってもあると助かる場合も出て来る。

Photo
図の左側は欠陥ペグで右側は改良ペグを同じヘッドへ配置するとこうなるが、もし図よりヘッドを小さくしたかったら改良ペグでは入り切らなくなりそうだ。
こんなのは所詮邪道な裏技に過ぎないけれど、小型のダブルネックにでもしようとしたりすると他の条件を優先しなきゃなんない場合もある。
楽器も物としては部品の集合体である以上、バランスの都合で中々全部をベストには持って行けないもんだ。

3.Rickenbacker Bassのテールピース捲れ上がり、これは前出Speedkingのと同様で引き分けだ。
メーカーからちゃんと専用弦が供給されてるし、必要に応じて改良・改造もありと一時期のカタログに記載があった程だ。
それどころか最初からテールピースにネジが追加されてたのも出てたが、買う側が「あのお方達のと違う」って理由で落選してしまった模様。

楽器は最初は只の道具としてスタートしてるんだが、ひょんな事で歴史・文化○×△□等と別の存在に変貌してしまう。
こうなると道具として改良すべきでも「違ったら駄目」圧力ばかりが幅を利かせてしまって、進化を大いに阻害されてしまったりするものらしい。
文化遺産に近くなったりすると演奏目的では無く、コレクションや展示目的と楽器より美術品要素が高まるのだろう。

だがそこで俺が不思議に思うのは現在資金枯渇でお休みの、鉄道模型での例との比較だ。
模型の方では数が売れなくどうしても高価になるので、鑑賞専用のはモータを省略する等してお求め易いバージョンも出されている。
そして場所が無く走らせられないとか眺める方が好きな人等に大歓迎されてるし、そうでない人達からもほぼ文句は出ていない。

それなのに楽器となると脳天パーの成金供が、
弾けもしないしないくせにちゃんと音の出るのじゃなきゃヤダと駄々捏ねる始末。
どう考えても玩具が高級になった電車を走らせるより、マトモな演奏をする方が遥かに難しいし膨大な訓練期間が要る筈なのにだ。

加えてそれを助長してるのが儲かれば良いだけの「偽の楽器屋」で、欠点等はひた隠しにして派手な売込みをしたりしてる処。
例え真実でも地味なのと派手なのでは後者が知名度を得るもんだが、そうしてる間にちょっと不都合だか必要な情報が世間から排除されて行く。
内容に注力すればどうしても宣伝は疎かになるから、作る人・弾く人はどうしたって売るだけの人・買うだけの人よりいつもマイナーサイドだ。

誰のせいだろうと楽器の扱いに失敗して、出費が増したり手を焼くのは実に痛い。
でもこんな状況を目の当たりにすると、一々気にするのなんてバカバカしくなって来るね。

2018年8月19日 (日)

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑩足・脚の動かし方「力学」編

執拗に念じ続けてる「脚上げ」だが、今回は力学的観点から検証する。
毎度の「手足一緒論」も叩く相手が同じ太鼓だからで、叩かれる側から見たらそれが手か足かバチかビータか等知ったこっちゃないかも知れないからだ。
太鼓君にしたら使われる物より「どう叩かれるか」が気になる筈で、相手が存在するからには人の側からだけで考え続けても片手落ちだ。

Photo_2
いきなりシンプルな図が出たが、フットボード上の「力関係」である。
青はバネによる引き上げる力で、オレンジと赤は各々図上のその位置で青に拮抗させるのに必要な力をイメージした物だ。

これの意図はアップヒールで踏んでると、何時頃からフットボードが上昇しそうかを想像して貰う為だ。
特に足の位置が深い場合だと奏者の脚上げ開始意識より、実際の上昇はかなり遅れそうだ。
図示した如くフットボードの反発力が赤よりオレンジはかなり弱く、その分「重さに弱い」ので足甲程度の重さでも影響を受けるからだ。

ここでもう一点注意して欲しいのがバネ強さとの関係で、見掛け上はバネが強い程確かにフットボードは早くから上がり始める。
だがそれをこの図の様に表すと、「単純に全部の矢印が同じ比率のまま長くなる」だけだ。
脚より後で爪先を上げる式である限り、程度差はあっても必ず脚よりフットボードは上りが遅れてしまうのだ。

つまり奏者は普通に脚上げした積りでも、必ずしも必要なだけフットボードが上がって無い場合がとても多くなりそうと云う事。
どんなにバネを強くしても割合は変わらないので、この現象を皆無にするのは不可能だ。

普通のアップヒール奏法では足首は一切操縦せず、その動きは自然任せになる。
すると音を出すよりかなり早目に脚上げ開始しないと、フットボードが上がり切るだけの時間が足りなくなったりするのだ。
ところがそれで脚を上げてる時間が長くなるのでは、折角ペダルバネを利用して楽しようとしたのが無意味になってしまう。

だからって脚の都合を優先すればペダルにとっては不都合になるので、乱暴な表現だがアップヒールで楽になるのは「音がどうでも良ければ」と云う事になる。
更にバネ強の場合「踏むために上げる」のは楽になっても、ミュートの為にビータをヘッドに密着させるのに継続して物凄い力が必要になって来る。
大きい音を出すでもないのに、じっと我慢の子でずっと踏み付けてなきゃなんないなんてお気の毒様。

では沢山踏むならミュート時間が短くなるから平気かっつうと、今度は強いバネで疲れてそんなに沢山なんか踏めないのである。
要するに人間サイドからは見た目も良く動きも自然で滑らかなアップヒールが、力学的には誤りとなってしまうのだ。
バスドラペダルは単なる機械で、単に人から受けた力に応じて反応するだけ。
人が矛盾を押付け様としたって一切受け付けず忖度などゼロ、どんなペダルであれ飽く迄「人の側で何とかする」、しか方法は無い。

慣れや得手不得手もあるので強制まではせんですが、認識の段階で間違えたままで得する事は1つも無いよ。
駄目押し行きますが、本当によぉ~くお考えくんなまし。
そもそも「踏む」には足・脚が上がってなきゃ踏めないよね、なのでもしどんなに苦手でも先ずは上げなきゃ始まなんない。

上げる方にかなり制約があるとなると、踏む方を楽にするしかない。
それがバネを弱くする事で普通に歩けてるなら脚を上げられない訳が無いので、「ベタ足」(単に足・脚全体を上げる)が力学的には正解なのだ。
それともう1つの手段が「脚を上げずに踏む」式、つまり爪先で足首の力で踏めば良い。

カカトがフットボードのヒンジより後ろになってれば、押付けでもして無い限りカカトを上げる必要が全く無い。
ここで勘違いが多そうで参るのが、不適切な「バネ強」のままで爪先踏みを試す事。
もし足甲すら上げるのが億劫に感じる人でも足甲は脚よりは全然軽い、その分バネ弱にしてもアシスト量は全然減らんですから。

極端な例えをするなら「爪先踏みは脚より手に近い」、とでもイメージしてみては如何なもんざんしょ。
現代人の皆さんは何を勘違いされたか存ぜぬが、バスドラペダルは介護ロボットでは御座居ません。

Ludwig Speedkingの使い方②

速報した俺2号機の事件!?のその後だが、半日以上を費やすも何とか邪魔なレバーは切除出来た。
そこで改めて宅で試運転した処バッチリ健康体に戻ったが、今度は全然別な処が気になり出した。
給油もして整備したばかりで動作も滑らかなのに、初号機よりどうも踏むのが疲れる。

この2号機購入時に一応同じセッティングにした積りだったが、最近トゥヒール系も多用する様になったら違いが演奏結果に出て分かる様になったらしい。


よく比べると2号機の方がバネが強いが、裏の調節ネジはもう底面表面に到達している。
初号機ではネジをそこ迄緩めるとニュートラル位置付近ではバネが無効になるので、多分バネかプッシュロッドの長さが違ってるんだろう。

やはり製造ロットか何かが初号機とは違うみたいだ。

今更気付くとはどうにもいい加減なもんだが、元が初号機は宅内用・2号機は宅外&予備用の位置付け。
それぞれ全く違う太鼓にしか使ってなかったし、従兄の所で宅より上手く操縦出来ないのはこれと先生からのプレッシャーのせいとすっかり思い込んじまってた。
毎度の事とは云え、もういい齢したオッサンの癖に頼り無くて情けなくなって来る。

それで第1段階として思い切ってネジがフレーム底面より出っ張るのを気にしないで、ビータの寝具合が同等になるまで緩めるとした。
バネ長さがもっと長けりゃ無理だったが、ネジがフレームから脱落しない位置で何とか収まった。
但し床が固かったりすればこれじゃあ亀の子状態になって、またフレームを変形させたりする危険がある。

本来は内部スプリングを切るなり削るなりして短縮すべきだ。

太鼓の設置場所の床状態が宅ではカーペット外装の木製ドラム台、従兄の所は定番のドラムマットと偶然弾力があるから許容されるだけだ。
それでもまだ僅かに2号機に重さを感じたが、使用頻度とポスト矯正からの機械的馴染み度の違いなのか。
なら良いが初号機ビータフェルトが擦り減って小さくなって軽くなってるせいだったら、厄介な課題を又抱えた事になる。

このL-1286にサイズ違い等無いが、他で代用したら材質が違うから音色が変わってダメ。
下手するとヘッドも余計に痛めそうだし、何故か大いに減ったビータでも音量・音質には全然差が感じられないのだ。

長さはリバウンドが変わるとこれのフル活用に支障するので、奏法の都合上変えられないと云ってもいい。

高速で沢山踏むにはこれ迄俺が予測してた以上に何でももっと軽いと良さげで、これは人間側がペダルに負けてるれっきとした証か。
思い出すとF1は車なのに車体がプラ(正確にはカーボンファイバだが)だとか、イチローのスパイクが厚手のソックスに迫るかもな軽さ。
同じ力で倍速を出すには重さは1/4じゃないといけないんだったけか、超高速域に入るとそれ以外の僅かな差も拡大されて現れるんだったね。

何となく俺がSpeedkingじゃないと困る理由が見えた気がするが、奏者が自身の限界迄攻めないと発見し難いかもね。
もう残された道は更なる完全脱力でも目指すしか無い様だが、このペダルのポテンシャルは底無しなのか死ぬ迄には是非知りたいもんだ。

これらの体験からも構造的にも、やはりSpeedkingは目指した設計が現代のとは真逆なんだろう。
なので現代と古代の壁を乗越えられる迄は奇妙に感じそうだが、俺には今のの方が間違えちゃってるとしか思えない。
手でも足でももし必要な音色とパワーが得られるなら重く固い必要等全く無く、使い方次第でBONZO達位迄のは出せると証拠がとっくに挙がってらい。

踏むのは半ば無視で脚上げに神経を没頭させねばならないが、こんなのであんな迄出せるんだからホントに現代ペダルは無駄骨ペダルだ。
唯一のメリットは丈夫さだろうが、それも万一相手(太鼓リム等)を傷付けても構わないならの但し書き付きと他を犠牲にしてでの嘘の強さだ。
こうしてみると製造中止の責任は我々ユーザー側のが重いと、尽々痛感させられる。

それと「クランプ締め過ぎは駄目」等の「使う為の情報」を、もっと世間に拡散・浸透して行かないとイカンと思った。
使い方を誤ると駄目だが見かけによらず演奏に対する耐久性は高く、これもBONZOのが「キコキコ」鳴り出す位迄連続使用出来てた証拠ありだ。
強いてメーカーに瑕疵があるとすれば取扱い説明が不十分な処か、新品購入の初号機の箱にその類は一切入ってなかったな。

それから左右ポスト開き問題だが、俺みたいにカムシャフト脱落が起きて無くてもとっとと矯正しとくのをお勧めする。
これはプッシュロッドとカムの接触位置がズレるので、そのままだと確実に偏摩耗が見込まれるからだ。

本来はフレーム変形を戻すのが一番だが、曲がらない様にした物を弄るのは素人には敷居が高い。

Photo_4

ちゃんと計測していないのが又僭越だが、左右ポスト間でロッカーシャフトが余計な左右動出来てしまう隙間がベアリングの厚み(5mm位か)以下なら脱落は起きない。
が1~2mm以下じゃないと普段の動作に無問題でも、内部で上図中みたいな状況になってしまう。

旧型のカムは上図右の様にプッシュロッドを挟み込む「ツバ」が付いてるからポスト開きに耐性があるとも云えるが、脱落の心配が無くなる代わりに強く擦れて動作不良を起こしそうだ。
少し面倒なのはこれって外部からは全く判別出来ないので、動きに疑問を感じた時はグリス劣化と合せて確認すると良さそうだ。
もしプッシュロッドを抜いてポスト間隔が拡がる様なら同じ病気だ。

俺が速報で実施した方法は対処療法に過ぎないが、それでも上記の懸念を抱えたままにするよりはマシとの判断からだ。
もしこの修理を扱える専門店等がある様なら、そこへ依頼するのがベストだ。
打込みピンは昔のパールのタムホルダ等でも使われてたので、カノウプスなんかだったらその工具も工房にあるんじゃないかと思う。

俺は折角ご近所でも資金が無いのと、ポストとロッカーシャフトの隙間を無くすだけで行けるかをまず知りたかったからの措置だ。
アバウトなペダルなので今回の様に直接比較が出来ないと、本件での差も気付き難そうだ。

だが特にカムの偏摩耗が心配なのは、実際擦れる部分は恐ろしく小さな丸棒形状。
何せ現代ペダルだったらベアリング収納部程度の空間で収まる程小さいんだから、想定外に対する余裕は皆無とみていいだろう。
旧型にしてもツバとプッシュロッドの外側が設計より強く擦れるので、動作・摩耗両面で芳しくないのは同じだ。

俺は全く容認し難いがもしバネ強めが好みだったら尚更で、ハッキリ気付ける頃には手遅れになりそうだ。
それですら過去のだが欧米ではスタンダードだったから部品調達も不可能ではないが、我が国は英語圏じゃないので面倒が増えるの請合いだ。

※2018/8/20加筆修正

2018年8月18日 (土)

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑨音色編Ⅱ

前回音量迄到達出来なかったので音色より先に音量について記すが、両者に密な関係性があるからでタイトルに逆らうのではない。
一見誰が考えたって力がある程大きく鳴らせそうだが、相手は重い荷物じゃ無く
楽器なのだ。
すると力でも単なる絶対値では無く、速さの為の力となる。

両方を持ってる者でも後者を相当優先させないと効力を発揮出来なくなるが、それには特例以外は押さえつける力が無い程良い。


楽器の共鳴周波数次第で必ずしも基音が一番大きく出るとは限らないが、基音が一番低い周波数(音程)で「基」と呼ばれるには本件でも意味がある。

これがしっかり出る分だけ鳴るってのは太鼓なら皮がフル稼働してる訳で、倍音との割合がどうあれ最大音量となるのだ。
この時が意図的な場合を除いて一番豊かな音色にもなるが、そのメカニズムは前回等の通りだ。

早々の有関係脱線かつクドイがRingo Starr辺りが始めた音色の為の太鼓ミュート、実はこれ奏者がかなり充分なパワーを持っていないと想定通りに機能しない。
1つは倍音を減らすのだから、基音が弱すぎたら単なる音量抑制のミュートになってしまう。
2つ目はもしオープン時の倍音が少な過ぎると、ミュートしても音色変化巾が狭くなってしまう処だ。
Ringoのやったミュートであんな劇的変化が出せたのは、元々が太鼓を「フルに鳴らし切れてた」からに他ならないのだ。

この類の現象は小音量時には起こり(起こし)難いが、それってもし変な叩き方になったらもう聴こえなくなっちゃうからよ。
だが大音量時ともなると太鼓奏者は眼前の大音響に惑わされ、この点に対して鈍くなってしまう。
だが奏者だけの立場だと不都合でも、聴力維持等の為には寧ろ
鈍くなって正解なのだ。

人の耳で歪むのも少し危ないが、神経で歪むとしたらそれは最早破壊だ。
だから防衛本能として耳にコンプリミッタ機能も備わってるが、これが作動し出す以上の音量だと近年のJ-POPみたいに大抵は実音より迫力があるかの様に聴こえてしまう。
ドラムが現行の最大音量まで大きくなったのは、主にPA無し時代の大舞台での都合たろう。
なので奏者に最適化してるとは言えず、無給時間外労働みたいな事になっている。

手前味噌の体験談として元は音の大きさからの疲労軽減目的で、去年頃は暫く遮音ヘッドホン(基本音無し・たまに有ってもメトロノーム程度)を被って練習してた。
俺の場合幸い耳は丈夫な様で助かってるが、忍耐力が大変乏しいからか耳が平気でも心が草臥れるのでの措置だっだ。

それで演ってると低音程遮り難いので結果的に基音が普段より良く聴こえるが、叩きそびれると基音がとたんに減るので却って簡単に判別出来てしまった。
相も変わらず得意の!?結果オーライでしかないが、被っててマトモなのだと素耳になってもそっちの方が音色・音量共遥かにグッドだったのだ。
結局どっちも太鼓の皮のフル稼働に近付く程良い様で、BONZO辺りだともう皮の稼働からギターに対抗してオーバードライブさせてそうだ。

浅知恵的には足りない腕を何とか楽器で補いたくなるのが人情だが、余程太鼓にだけ好条件とならない限りは全然効力が無い。
演ってる側は頭の中にもっと鮮明・詳細なイメージがあったりするので、実音よりそっち寄りに捉えがち。
気にしてる処が少しでも出てくればそれに夢中になって「ほら出てる、
出てるでしょ」ってなるが、現実の含有量は僅かかも知れない。

それを聴者が同様に意識してくれるのなんて滅多に無いだろうから、音色の「根っこの部分」に差異がある位でなけりぁ見逃されるだろう。
望んだ音が得やすい程奏者の調子は良くなるけれど、聴者は最初に少しの興味も湧かなけりゃそんなの関係ねぇで終いだ。
でも無理して難しいのをやろうとさえしなければホントはそこ迄叩くのは難しくないらしく、この点については専門の従兄の先生Studioliteで確かめとくれ。

それと機材と人のバランスももっと考えるべきポイントで、ヘビーな楽器でもその分ハードな音に
は必ずしもならなかったりする。
多少怪しげでも「もう壊れる寸前みたいな音」の方が、単に大きいのより迫力があると人は認識するもんだ。
この面では楽器が立派過ぎて逆効果になる事だってあるのだ。

今だって
俺は全然太鼓自体は上手いと云えぬが、遮音ヘッドホン被りがきっかけで演奏の成否判断の感覚は少し養われたみたいだ。
それ迄の「不適切な自意識過剰」から解放されつつあるのか、最近の自分の中では音色重視で音量は殆ど無関心化している。

この方法では体がちゃんと温まってからとか余計な力みが無いだとかでないと成功しないが、
温まって勢いを出せて来ると両者共楽に格段の向上がみられるのだ。
叩き出してすぐにベストにならないのはもどかしいが、少なくとも俺には音色を気にした方が音量も安定して大きく出せる様だ。
以前は不正な方法だったので局所的には兎も角、大音量の継続・安定等が今より全然駄目だった。

必死になってる音の姿は緊張感に溢れ、一生懸命さ等では好結果を生むかも知れない。
だがパワフルとなると楽にとか普通にやってるのにとんでもない音が出てる方に強く感じてしまうもんで、ここぞの一発も大事だが「普段がどうか」なのでありんす。

<も1つ続く、かも>

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑧音色編

今度は音色や音量と力の関係について検証して行くが、西洋太鼓では割と比例しない部類らしい。
鳴らし方のコツを掴めぬ内は確かに力を入れた方がパワフルになるが、但し大抵
それではロクな音色にならない。
特に音域が低いの程尚且つ打楽器系に
顕著な様で、その楽器の音色の中心要素が減ると聴者には貧弱にしか伝わらなくなる。

筆者は本職がベースのバスドラヲタなので低域への拘りは尋常ではないが、かつて学んだ音響学を駆使して色々試している。
リズム楽器はどんな低域でも歯切れが要求されるが、以前論じた如く低音の創出には高音より時間が必要だ。
だが俺言い「必至クローズ」等で踏めばアタックの高域は前に出て来てとても目立つが、下手すると肝心の低音が出し切れなくなってたりするからヤバイ。

余りにもアタックがこもってたり弱ければ確かに音像がボヤケて、目の前で出てる音と思えなくなったりもする。
しかしバスドラの倍音はその基音が低い為、どう頑張った処で量的・質的両面共他楽器の音域に含まれがちだ。
奏者自身は自らの足元は大抵他楽器より近いのと、フロアタム等も鳴らすのでアタック主体に耳を傾けたくもなる。
実際演奏するのにもそれは必要だが、「他所」では同じ様に聴こえてはいないのを肝に銘じておかないと後で後悔するだろう。

目立っても所詮脇役のバスドラアタック倍音の役割を考えると、聴き取り難い低音が何処から出始めたのかのアシストだ。
低域成分(基音)が足りなさ過ぎれば幾ら立派なアタック倍音を出しても、出音は張りボテ状態の幽霊状態で「本体」が留守で不気味なのだ。

醤油と生卵だけで卵掛けご飯を味わえと言われても、肝心のご飯が無いのでは同じ食感が得られないのだ。
それならまだのりたまふりかけとご飯の方が少しはマシで、一応卵・塩分・ご飯のコラボがどんな感じか位は掴めるのだ。
これをバスドラへ適用すればこもってるよりハッキリした方が良いが、低域がお留守では論外なのである。

別の例ではかつて録音機材の音域が楽音より狭かった頃の秘策で、「低音が一杯出てる感満載の倍音」を巧く拾って雰囲気だけでも低音を伝えようとしたりされてた。
実に素晴らしい技だが気を付けぬと墓穴掘りになるのが、「実際現場ではどんな音が出てたのか」で往々にして見落とされがちだと思う。
倍音だって皮の振動の仕方で変化する訳で、そもそも「低音が一杯出てる感満載の倍音」は実際にそう云う風に鳴らしてないと得られないのだ。

倍音と基音のバランスは結構様々だったりはしてるが、飽く迄両方有って初めて成立してるものなのだ。
それには歯切れは要るが短過ぎたら絶対ダメで、音の出てる時間を短くするにも音程・楽器の種類毎に最低必要長さがあるのを把握されたい。
ではどうすればそれが得られるかだが、人の感覚的には力でなく勢いとかと意識するのがよろしい様だ。

音を鳴らすには足でペダルを動かさなければならないから、現実には力ゼロにはなっていない。
素早く動かすのにだって力は使うが、単に力を入れようとするのとは大きな違いがある。
入る方もだが用が達された後力の抜ける早さも往々にして違ってて、つまり同じ力でも種類が全然違うのだ。

音を鳴らすのと不要な余韻をミュートするのでは、通常なら後者は鳴った後「動かさないだけ」なので力の絶対値は少なくて済む筈。
だが俺言い「必死クローズ」で力み捲ってるとこの抜けが不足したり遅れたりして、もう鳴り始めてるのにまだ皮を執拗に押してるとなってしまう。
こうなると皮の真ん中が固定されてるので「分割振動」(口径が
実際の半分以下になったかの様な震え方)しか出来ず、基音(低音)生成が阻害されてしまう。

今にすればお恥ずかしいが過去の俺がその典型で、どうだスゲェでっかい音だろうといきんでも録れた音は安っぽかった。
普通録音では当然歪まないようにレベル調整をするので、絶対音量は録れ高にはあまり効果がなかったのであった。
それを避けるには鳴ったらそのすぐ後の瞬間は脱力しなければならないが、時間が短過ぎて意図的に力を入れて(鳴らそうとする)-抜く(鳴った直後)-少し入れる(ミュート)なんて芸当は非現実的。

そこで気分的にはずっと押付けるにしても、1音分鳴る間だけはビータが勝手に暴れる自由を与える様なイメージへもって行くのだ。
太鼓のナチュラルリバウンドは最初の1回目が一番強く大きいのを利用して、その時だけわざと太鼓に負けてやるのさ。
結局それを一番得やすいのは極力最低限の力で鳴らすのと、力より速度を意識するのが秘密の裏道で早く目的地に着けるのだ。

<これも続く>

2018年8月17日 (金)

Ludwig Speedkingの使い方①

間違い無く名機だが昔ののせいで、今実際に使われるのは昔の(或はからの)音楽の場合が大多数だ。
しかし俺にとっては最早無いと困る道具で、趣味は古いがラップだろうと何だろうとこれで踏んでるのだ。
世間と言っても主にネット上ではあるが演奏実務的観点の情報はとても少なく、ペダルの方に人が合せるのが多いと感じられた。
そこで普段使いしちゃう時の使い方について、僭越乍らこれから記して行こうと思う。

最初は使う上でのSpeedkingの特徴を列記する。
①絶対的強度はやはりそんなに高くない
→保管・移動時等は現代ペダルより注意した方が良い
②セッティングに対する強度は低い
→フープクランプを強く締められない(フレーム側が変形💢)
③演奏時の強度はかなり高い(フットボード・ビータ保持力除く)
→作りが柔な為却って耐衝撃性が現代のより高い
では順に詳細を述べて行こう。

①②については現代ペダルが強固になった経緯も大事なのだが、それは主にツアー途中で壊れて困らない様にした処から来てると云える。
特に舞台本番が始まってしまうと演者はお客さん相手で手一杯(そうならんでも困るが)になるので、機材類は他の者が扱う事が多くなる。
しかしそのスタッフが必ずしも精通者とは限らず、普通の人が普通に扱えば壊れないのだと助かるからだ。

②に関しては「やらかしたかも」の最中の俺だが、限りなく自己弁護臭く思われそうだが「違う真実」をここに挙げる。
それには設計当時の楽器の強度等が大いに関係してて、何処か1箇所だけ桁違いに丈夫にするとその周りを必ず壊してしまうからだ。
当時の対今比では貧弱なフープの破壊を防ぐには、ペダルクランプの締め付けが強過ぎると不味いのだ。

ペダルが壊れても太鼓が生きてたら最悪体やバチを使って少しは音を出せるが、本体が先に逝ってしまったらハイそれまでよだ。
現に宅で’69と’79年製のLudwig 3Plyセットと俺初号機との組合わせでは問題は一切発生しておらず、固定度についても少しだけゴムを貼った(過去記事参照)だけで全く安定している。
それよりドラムラック+
3Plyでとても軽いせいか、バスドラ全体が少し移動する位だ。

現代では固くツルツルのフープが一般的で、太鼓側視点ではどんな強締付けでも割れないもんって事だろう。
チューニングの都合だってあるだろうが固過ぎるフープは衝撃を他の部分にまんま投付けてしまうので、却ってチューニングボルトの緩みを促進させるだけだ。
これはある意味ペダルに不親切なフープで、こうなると強引に力のみで固定するしか無い。

中古入手の俺2号機や従兄ののポストが開いてたのはこれが原因の様で、しかも多分ずっとスペーサ無しで留めてたんだろう。
SpeedkingはLudwigである以上先ず自社の太鼓にフィットさせる為、ご存知の通りクランプが他のフープには深過ぎる。
スペーサ無しって事は左右に支えが無くなってて、
今週の俺よろしくそれを締付け強さで補おうとしがちになる。
だがクランプ可動側の先にギザギザ加工等の滑り止め対策がなされておらず、幾ら締めても少しは滑ってしまっている。

それがどうして太鼓が昔の
Ludwigなら平気なのかっつうと、フープが撓ったり表面の凹凸の摩擦で密着したりして滑らないのだ。
寧ろ下手に
クランプ可動側の先にギザギザ加工等があったらギザギザの山の頭なんかの接触圧が高過ぎて、フープの木の表面が望まない加工を施されてしまうのである。
これも宅のフープにYAMAHA FP時代のだけ「傷痕」が残ってて、最悪の場合この傷から割れたりする心配だって出て来るのだ。

関係のある脱線をして世間常識の確認をしてみると、近年では電車ですら「クラッシャブルゾーン」の概念が浸透しつつある。
万一の事故に対し最初はひたすら頑丈にしてみたが、これは衝突等の衝撃がそのまま乗客に伝わって人の体がもたなかった。
自家用車の方がより軽量化が必要だったので早期に方針転換され、車は駄目になっても極力人が助かる様に工夫してったのの応用だ。

その車に至っては今では屁にちょっと当たっちゃった位では殆ど車に痕跡も残らなくなったりしてるが、これは特にバンパーをわざと柔らかく作ったりしてるお陰だ。
当たれば凹むが簡単には割れず、障害物から離れると「元の形」に戻る。
差し詰め「緩やかな形状記憶」機能を持ってるのと同等で、少し柔だからこそ「後が無事」で済んでいるのだ。
それからすると一部では改善が見られるものの、太鼓楽器界の認識は古過ぎると思う。

しかもかつては上記例の様な「バランス主体」の時期を体験しとき乍らで、残念だが実に馬鹿な話しだ。
只現役現代ドラマーとしては「勝手の違い」を先に知ってないと俺みたいな事態に陥る訳で、それをもし不便と思うなら仕方無い。
但し現代ペダルを古典太鼓に付ける場合立場が逆になるだけで、この手の懸念が結局残る処は留意されたい。
個人差次第だが中々機材が1社の同時期のだけになる事は少なかろうから、程度差はあれどこの問題は避けるより学ぶ方が得策かと思う。

そして③だがこれにもちゃんと理由があって、主流の奏法と履物の変化の影響だ。
靴底が固い(当時)なら無理に力だけで踏もうとしたり等せぬ限り、4本リブ以降のフットボードなら強度は充分足りている。
でも靴底が柔らかいと狭い範囲に大きな力が加わる場合があるので、設計思想からすれば想定外なのだ。

ビータについてはオープンで踏んだり俺言い「閉じた柔らかい脚」であれば、このバカ踏み大王様が幾ら頑張っても緩んだ試しが是迄只の一度たりとも無い。
しかしバネ強現代ペダルでの俺言い「必死クローズ」での踏み方をすると、10発すら持たずに飛んでったりしてる。
どう云う事かってぇとSpeedkingは「摩擦方向の力の耐性が低い」で、極度にずっとビータをヘッドへ押付けてると緩むのだ。

人は呼吸するだけでも体が僅かでも動くが、手や反対の足で色々演ってれば尚更揺れる。
すると気付かぬ内にビータとヘッドが擦れ合っていて、「鳴らす時とは違う向き」に不要な力が働いてしまってるのだ。
これも設計側からしたら想定外で、
Speedkingではクローズするのにそんな無駄力は本来全く不要だからなのだ。

Speedkingの最大のご利益は何より「楽」なのが真髄で、フットボードに足を放置してればそれだけで絶大なミュート力があるのだ。
つまりバネは弱く脚は落すだけと全部脱力で纏めれば良く、腰掛けて足でリズムを取るのをペダルへそのまま持ってくだけで済んじまう。
手だと誰でもなるべく楽したがる癖に、どうして脚だとそんなに無駄な「音にちっとも繋がらない」苦労を皆したがるかねぇ。

<続く>

<緊急速報>Ludwig Speedkingポスト開きの原因と対策

やらかしちゃいました~ぁだと😢だけど、Speedkingユーザー4年目にして初のその場では凌げない事態に遭遇。
今週もいつもの様に従兄の所へ行って実演付きドラム談義をしてたら、右カムシャフトがベアリングから脱落しちまったい。
簡単に外れたんだからすぐ嵌められると思いきや、どっこいそうは問屋が卸してくれない。
帰宅後世間様のお知恵を拝借とネット上を彷徨ったが適したのが見つからず、それならばとまだ作業途中だが緊急速報発令だ。

今にしてみたら実は予兆はあったのだが、
Speedkingの左右ポストの事は俺的太古の昔に誰かが語ってた微かな記憶があった。
「だんだん使ってる内に開いて来て○×△□」と冒頭だけしか覚えてなかったが、それでよくある現象なんだとスッカリ思い込んでいた。
2号機購入時にその写真でポストと
ロッカーシャフトに隙間があるのも分かってたが、従兄所持のも似た感じだったのでちっとも気にしなかった。

一部のを除き現代のならコンピュータ制御のロボット制作(若しくはそれ並の精度)だとかだが、
Speedkingは某大国のデタラメ君主みたいにいい加減な作りだ。
見掛けよりはズレてる様で一応合ってたりはするが、今の日本のみたいに0.9mm~1.2mmなんてのとは程遠い。
しかも現時点の不勉強な俺ではあるがそんな事例を全く目にしなかったから…。


実際今迄は何ら無問題で絶好調だったのに、この突然の仕打ちとは。
だがパッと見どっかがヒビ入ってるとか所謂壊れた箇所は何処にも無いので、単にビータ飛ぶの似た様なもんだろとたかをくくってた。
帰宅後分解点検してみるがやはり決して壊れてはいなかったのだが、嵌め直してもちょっとの事で簡単にまた外れてしまう。
そこでそもそも何故ポストが開いてたのかの検証に入ったが、中々決定打は発見出来なかった。

ポスト自体は曲がってなくて上が開けるには下が曲がってるしか残って無いが、あらゆる角度から眺めても特に変形は見当たらない。
そこで真直ぐな鉄のL断面棒をフレーム裏面に当てて、何処かに変な隙間が出来てないか見て行った。
隙間があったら反ってる証拠って按配で進めて行ったらば、
フープクランプの軸受の下だけ向う側の光が見えるじゃありませんの!!!。

これが全く大した野郎で、フットボード側とバスドラリム受けの2本のツノ状部は全く平ら。
件の箇所だけが反り上ってて、これじゃあ一周したって外側は完全に平らなままなんだから分りっこないわな。
しかし健気なポスト君は素直に下板の歪みに追従した為、上が開いたのだ。
だからって何故抜けるのかってえと現代のみたいに「何処でもネジ・ボルト」じゃなく、嵌め込んでるだけだからなのだ。

Photo_2

チョイ久々で略図だが上段左2つがポストの正常・異常(誇張表現)で、上段中2つがカムシャフトとベアリングのそれ。(フットボードの形は決して気にしてはなりませぬ??)
上段右2つが所詮対処療法に過ぎないが経験のある方法で下段2つがポスト開き原因の解説用、下段中2つが後述ステンレスベルトだ。

下段左はフレームを裏から見た処で今回は耐久力主眼なので板部分は半ば省略、左から2番目は側面図で
フープクランプの力がどう掛って来るかを想像してちょ

早速上段左2つからだが異常側のベースフレーム真ん中が持ち上がってるが、実際はこれは部分的でかなり発見が困難だった。

これの大元の原因は生産設計上の不備と言えなくも無いのだが、下段左の赤で示した穴が問題なのだ。

専門家のブログを参照すると最初は無かったもので、当初はフチ以外に全く無かった補強リブを沢山追加したから平気だろう感満載だ。


確かにリブに無影響なら目論見は正しかったのだが、穴がリブに食い込んでるせいでそこは半分位に薄くなっちまってるぞい。

それでも全体としてだったらまだ平気だが、問題はフープクランプの軸位置との兼合いだ。
この「穴」はそもそもクランプ軸受の真裏で、「表に一杯あるからその分空洞にしても同じだよね」と間違えちゃってますよ~ぉっと。

で物に不備があるにしても激務の初号機が無事なのに何故2号機が先にか考えたら、Speedking君としてはクランプネジの締め過ぎと原因特定。

実際今回だけ今迄より増し締めしてたのもあったんだが、それ位にしないと動いて行っちまうからだったんだが。

そこで太鼓のリム自体についても考察が必要になって来たが、手っ取り早く云うと初号機は昔ので2号機は「今の」に付けてた。


そもそも宅では太鼓とペダルが同じLudwigだが、これのリムはかなり柔らかく少しの力で変形する。

尤も柔軟なので力が掛らなくなれば簡単に元に戻り、表面はサーフェイサー不使用のペンキ(細かい凹凸有)と真ん中はカバリング仕上げだ。

一方従兄のStudioliteのはウッドと鉄プレスのの2種あるが、どちらも固くほぼ無変形で表面はスケートリンクには負けるがスベスベだ。


今回は鉄の方のへスペーサ無しで固定を締め付け力に頼ったのがイケなかったらしく、やはり柔軟な
Speedkingの方が太鼓に合わせてしまったらしい。
Speedkingは一時的な力には牛若丸対応で却って実用上は丈夫なのだが、同じLudwigでも金属製且つ板じゃないので継続的な力には復元力が無かった訳だ
今の下手に固い「絶対動かない設計」だと全く応用が効かず、一定までは微動だにしない代わり一瞬でも限界を越すと一気にもげたりするもんだ。


ここで漸く図の上段右に入るが、過去使用初期にオッカナかったので右の左の様な自作アダプタ(ったって只のコの字形の簡易加工鉄棒・黄緑)を取付けていた。

少しはマトモに踏める様になった頃試しに思い切って外してみたが全然平気で、「演奏に対して」はかなり丈夫な部類であるのを知る。

これを付けてた時の様子は最初のデモ動画に一応映っていて、今回も最初はこれの復活を考えた。


だが当時はスライドご執心でトゥヒール系は不使用だったので良かったが、トゥヒール系をフルに駆使すると邪魔になって駄目なのである。

妙に!?優れた設計の為
ロッカーシャフト周囲に全く余剰空間が無く、ベアリング近辺で挟むのを一旦諦めて別の道を探った。
色々
余剰空間を探した処フットボードとリムクランプの間だけは「埋まらない」のを発見、今度はここで「締める」方法を模索する。

そこでフと浮かんだのがステンレスベルトなる物で、以前使用した残りがあったのを思い出す。

手動でステンレス薄板の帯をラチェット式で締め上げる物だが、他の樹脂製荷造り用のより余計な伸縮も無く強度が高い。

そして後から緩むのも全く無いのでこれを図の上段右々の様にして、隙間を無事退治しましたとさ。


で普通はめでたしなのがならないのが俺ってか、これの締め上げレバーが邪魔になっちまったのだ。

ちゃんと寸法は按配してからなので収まる筈(図下段中左)がどうしてか!?、想定位置にレバーを持って行けなかったからだ。

手持ち余剰品のこれはもっと大きい物を扱う想定なので、レバーを動かした途中の位置がポストに都合の良い位置になってしまったのだ。(図下段中右)


して例の如く仕方無く今後不要なレバーを切断するとして、これの上側はさっき漸く鉄鋸で切り終えた。

でも下側はペダルフィンが被るしポストやクランプに取り囲まれて、ちっさな道具しかアクセス出来ない。

更に仕方無く目立てヤスリの一番小さいので正に地道な道へ突入、只でさえステンレス製で切り難いが他に術無し・やむなし・体力残り無し。


こんなんなら手抜きせず過去のフットボード反り治し同様、板金屋の方がマシに思えて来る。

ところがどっこいしょお完全分解するにゃ打込みピンを打つ「専用の棒」みたいなのを持って無いッ、ここは他ので代用すると再組立に明らかに支障しそうなので結局却下。

作業から一時逃避して執筆した次第で御座居。

2018年8月15日 (水)

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑦力続編

前回「落すだけ」にと唱えたが、人から見ても踏んで無いフリをしろってんじゃないのよ、実際ペダルは踏まれなけりゃ音が出ないんだしね。
けれども少なくとも只の普通の単打するのに、一々「せーの」とか「どっこいしょ」って演ってたんじゃそこ迄止まりになりがちなのだ。
強いて例外「踏んで意識」が残ってても平気なのは足首で踏むトゥ時のみで、それですらもし足甲の上りが足りなかったり遅い様なら上げる方を意識しないと間に合わない。

太鼓演奏の難しさで俺が個人的にたまたま手が苦手だからこそ最近痛感したんだが、複雑な動かし方もあるが何よりタイミングをホントにピッタリ合わせるのが大変と感じている。
楽器がどんな種類だってリズムは良いに越した事は無いが、太鼓の音は他より短めなのも加勢して求められる基準が厳しくなる。
しかもメトロノーム的要素も強いので全体の流れとしての安定感も必須で、だからこそなるべく「普通に演ってる」だけでそれが得られるのが良いのだ。

それにはたまにドンとしか演らないつもりなら別だが、様々なフレーズを盛込もうとすると踏むと思ってたらオーバーワークになってしまう。
特に間隔の短い連打をしたい時等がそうで、踏んで上げて踏んでの意識では間に合わなくなったりタイミングを取る余裕が不足したりしてしまうのだ。
どんなに運動神経が良かったとしても頭が指令を出してから体が動く迄には
必ずタイムラグがあり、慌てて修正するにも限度がある。

しかもそう云う発想では意識に対して音は後追いとなり、リズムの波にも乗り難くなってしまうだろう。
踏むタイミングの調節が効く方法はそれより前にしか無い訳で、それが脚上げになるのだ。
無論訓練(慣れ)は要るが特にスライドやトゥヒール系ではいざ演り出したら一瞬で終わってしまうので、その最中に出来る事も大変限られている。

先ずスライドの場合1打目は一言で表すと「膝動作の空中蹴り」なので、蹴り始めてからの調節等殆ど不可能だ。
しかも速度が一定以上じゃないと音量は落ちるし滑らせる勢いも不足するから、こっちが選べるのは蹴り始めのタイミングと強さの段階迄だ。
いざ始まってから出来るのは、せいぜいフットボードへの引っ掛り加減だけだ。

次にトゥヒール系の場合だが今度は時間的な問題より、力の入れ抜きの場所とタイミングが響いて来る。
音とタイミングの都合で足・脚に思い描いた通りの動きをさせるには、なるべく単純化(特に意識を)させるのが近道だ。
つまり旗を両手で上げ下げする体操と似てる感じもするが、片脚と両腕では大きな違いがあるのに注意が要る。

これは足首動作時に脚の重さが掛ってるか否かが問題で、個人差はあれど足首は腿に対して筋力の絶対値が大幅に小さい。
重さが掛って無ければ大凡意図通りに動かせるが、重さが掛ってると少なくとも速度が稼げなくなってしまう。
折角脚だけで間に合わないのを足首で補填しようにも、こうなっては元も子も無い。

なので足首に力(と言っても素早くとか勢い良く動かすのだけ)を入れる時には、腿が下向きへ押す力が入っていない時が良いのだ。
無理すれば「踏んだまま」爪先上げられるよって人も居るかも知れないが、少なくとも爪先踏み時に脚の重さを掛けるのが全く不可能となってしまう。
もし脚重が掛けられればトゥの反動で自然とカカトが上がり易くなって、これは高速化や省力化に繋がりその分の余力を制御や回数増加等へ向けられる。

そしてこれらの場合は「重さを掛ける」にしても力を入れるのではなく、寧ろ「抜く」事で作用させるのがコツだ。
何しろ目まぐるしく慌ただしい瞬間での事だから、脚若しくは爪先が「落ちて来た勢い」を敢えて「止めない」で放置する感じにするのだ。
勢いを止めないってのは必要動作終了後に余力がある事で、それで自動的に重さが乗ってしまう訳だ。

爪先踏み時を例にすると
①爪先はまだ動こうとするがペダルが打点到達で止まり

②「反動」でカカトが浮き気味になる
③結果的に脚重が爪先→ペダル→ビータ→ヘッドへ
と伝わるのだ。

この時点で人の方は力を一切入れてないから、「次に入れる」のだけを全く自由に気にする事が出来る。
こうして常に意識或は指令が「一歩先んじる」事が出来れば、間に合わせる時間を創り出せる訳だ。
無理に間に合わそうとするとそれだけで一杯
一杯になったりするが、余裕があればさらなる小細工を画策するのだって可能になる。

止まってるのを急激に動かそうとするよりは止めるのに要る力は小さいが、完全脱力では反動が自然終息する迄はそれなりの動揺が出る。
直に次の音が来ないなら「止まった→不要になったから力抜いた」の作業時間が確保できるが、時隔が足りない時は止めるのより次を鳴らすのを優先せざるを得ない。

ここで音楽を実際演奏する状況を想像してみて欲しいんだが、極僅かな例外を除けば他楽器と「協調」する事になる。
そこでは太鼓だけの都合なんてほぼ通用せず、全体が出そうとしてるリズムやフレーズに「どんな風に参加するか」の選択が主眼となるだろう。
この様な場合何故か大抵は一番演り難いのが丁度フィットしそうだったりして、普段よりかなり余裕を削がれたりしがちだ。

そもそも聴くのに都合の良いのってのも大抵がこの傾向にあり、聴くのは簡単で分かり易いのに限って演る側には随分シンドイのが多いもんだ。
だけど幾ら楽でもつまんなくて聴いて貰えない方がもっと無駄骨で、こう云った部分では楽は出来ない・しない方が良いのである。
その為にも少しでも楽に演奏出来る事が、とても大事なのではないか!?。

2018年8月13日 (月)

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑥力編

これ迄も折に触れ述べてきたが、太鼓の足に関しての力の入れ方を掘り下げる。
今回は手と足の一緒な部分と違う部分についてから行くが、これは主に太鼓よりも人の体についてだ。
何故なら1つは太鼓は大きさや向き等は全然違ってるが、バスドラとそれ以外の太鼓に金物(シンバル等)との程の差は無い。
そして2つ目に体の方は手の指はバチの先とは逆向きに動かせるが、足ではそれが出来なかったりするからだ。(音を出すの自体には使えない)

冒頭に2つ目をもう少し具体的にすると、例えばSpeedking等一部例外を除きフットボードにそもそもヒンジより後ろが無い。
つまりバネやリバウンド以外で人が意図的にビータを戻せなくて、その分自由な制御が出来ない。

手ではバチを直に「持ってる」ので、身体のどの場所の作用ででもそれは簡単だ。

電車だと終点に着いてもあっさり反対向きへ走り出せるが、車で細い行き止まりの道へ入ったら出るのはバックだけで大変なのと似た様なもんだ。

ここから個別に見てみよう。
1.足で踏むが、踏むのと上げる方のどっちが大事か?
ズバリ正解は上げる方で、タイミングのみならずストローク(必要な高さ)も備えあれば患い無しだ。
無用バネ強ペダルでは踏むのも大変になって来るが、それは調整やペダル変更で対処出来る。
だが己の脚に変更を加えるのは困難だし、出来たとしても長い時間を要してその場でなんてとんでもない。

当たり前だが踏む為にはその前が必須で、その段階(脚上げ)で既にテンポの波に乗れてれば後は自然に落すだけで済む。
上げ遅れて慌てて踏むのも音が忙しなくなったりして不味いが、間違って上げ急いでしまうともっと苦労させられる。
踏むのをゆっくりにするにも限界があるので、空中に上げて不安定なままで待たなければならない。

2.ではその脚上げはどうする?
決してバネを利用するなとは言わないが、下手に依存すればペダルの言いなり下僕と化す。
踏む速さや間隔にバネ強さが自動調節されたりはしてくれないので、合う時と合わない時の差も極端に大きく影響するだろう。
動く物は特有の周期(共振周波数)を持ってるので、演奏に都合の良い部分はあっても只の一点しかない。

何事も訓練次第ではあるがバネ活用度が最高になる俺言い「柔らかいアップヒール」(足首脱力意識のままで踏む)が有効なのは、ダブルストロークには遅いかもな「連打」時のみ。
それも2打や3打程度じゃ無く最低でも小節を跨ぐ位の時で、最近の俺みたいにトゥヒール系が得意になるとこっちの方がタイミングの正確さを得るのが簡単な様だ。

3.それじゃあ疲れるじゃんか!?
残念乍らその通りだきんどもちょい待ち、先ず踏むのと両方よりはマシ。
それと考えなきゃしゃーないのが万有引力で、踏む方はタイミングさえ合せられれば落すだけで行ける。
が、上げるのはバネと「違うタイミング」になれば自ら汗を流すしか無いのよ。

4.次に踏む方に力を使ってはイケナイ
ってか場合に依ったらそんな余裕も無くなるんだが、兎に角大事なのは「タイミング」を取るのに全力を注ぐべきだからだ。
それと踏むのにムキになってると(俺等特にそうだが😓)筋肉が連続稼働で張って固くなって来て、だんだん脚の上がりが劣化して来る。

上げ足りないのを踏力で半ば常時補おうとしようもんなら、もう負のループのとりこで疲労加速度も増加の一辺倒だ。
それとこれをやっちまうと高速化にとても不利で、もてる力は制御と速さだけに割り振りたい。
脚は腕より大きくて重いから制御・速度共劣るが普通の太鼓演奏は手足を同時に駆使してなされるので、なるべく手に追従出来なければ困るでしょう。

5.
踏む方に力を使ってはイケナイⅡ
求めるフレーズ次第で程度差はあるけれど、やはりコントロールが大事だし難しい処。
大きい物(脚:対腕比)を動かすと胴体等体の他部分への影響も大きいが、力が入れば「固く」なる分衝撃吸収力が減って余計振り回される。
又「踏み意識」が強いと自然と体の重心が不要に前へ行ってしまい、これも脚上げ負担をより増やしてしまう。
それに現代のバネ強にしても「それを踏むと腰が浮く」様な事は滅多に無い筈で、体重が乗り過ぎれば脚上げ協力はして貰えなくなる。

6.掛けて良いのは脚の重さだけ
もし力を大して使わなくても毎度体重を掛けてるとどうなるか、体が毎回揺すられて不安定になり手のタイミングも不安定になってしまう。
もし脚が軽いとかで力を多少なりとも入れ続けないとクローズ出来ないなら、それはバネ強さ等が体に合ってないだけの話しだ。
パソコンで打込むだけのと違って生楽器は大抵それよりは力も使うが、飽く迄楽器の操縦であって土木工事じゃあるまいしだ。

土方や大工のオッサンだって外見よりはパワーより加減に心血を注いでて、そうじゃないと道路も家もきっとぐにゃぐにゃに曲がったのとかしか出来ないだろうさ。

2018年8月 8日 (水)

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ➄ペダルの相性編2

前回独断的宣言!?はしたが現実は厳しく、値段の他にコンディションの問題もあって誰でも確実には入手出来ないかも知れない。
それなのにどうしてと言うと、やはり基準点は余程の事でも無い限り下手に動かすべきではないと思うからだ。
個人の経済事情等で経験値が限られ充分な代替案を示せないのは申し訳無いが、奏法に直接影響があるのまで無視しては却って無責任とも思うのだ。

現時点で他に思い付くのはPremier 250位しか無いが、問題とする点は「トゥ(足首動作)だけでも簡単なの1曲位なら平気」である。
奏法上脚(落すだけ)の次点で必要なのはこれだと思うが、数を増やしたり連打の間隔を詰める最初はこれしかない。
俺自身は順番が違ってしまったが、それだって道具と人のどっとちのせいとしたら恐らく前者だ。

スライドは高速専用だしスイベルも遅くて良いなら一々捻る必要は無く、只のトゥヒールで充分だ。
俺の場合過去は中速不要だった訳じゃないが、マトモに学ばなかったのと当時ペダルがSpeedkingよりトゥに不向きで挑戦する気が起らなかったからだ。
時間の経過はあれどSpeedking以降は散々トゥヒール系を用いる様になったし、他のペダルですら出来る様になって来た。

悪戯込みでも一応太鼓歴30年に対しSpeedking歴は3年と桁違い、それでもう他のペダルでもとは全くの異常事態だ。
そうなった原因は「演り始め」の環境差で、「練習したらもしかして出来る様になれるかも」と思える程度の親和性があったかどうかだ。
ここで訴えてるのは個人的部分ではなくこれでも誰にでも影響する部分限定としてて、限定解除したらSpeedkingが理解出来ないなら人間じゃないって位偏屈になるだろう。

今独自のツーバス(両利きの為)習得中の従兄の先生にも再三両足
Speedkingじゃないので覚えて大丈夫かと念を押してるが、暖簾に腕押し反応とつれない。
だが彼は現代的ペダルで苦手な
スライドも右でなら少しは既に出来てたし、ヒールトゥと順番は普通と逆だがそれも一応マスターしていた。
手が得意で足が苦手なタイプなので足は奏法限界領域からはまだ遠く、俺より差が実感出来ないのも仕方無いかも知れない。

しかしもしまだ全然出来ないのなら話は違って、可能性の高い方を選ばないと恐らく雲泥の差が出てしまうだろう。
足首でも踏めるには俺教の念仏!?「バネ強駄目」が第一だが、加えて座り方も影響がかなりあると思う。

最近はバスドラの音量は太鼓全体のバランス優先で気にしてないが、そもそもバスドラに関しては全ての面がとても気になるヲタの俺だ。
数年前迄はずっと低く遠目に座っていて、錯覚だった可能性も高いが実際それでパワーが得られていた。
但し足首では幾らも踏めそうにないペダルでの事で、座り方は力を入れても手に影響が出難いからだったんだと思う。

腰を低くすると胴体が脚に振り回され難くなるし、猫背にした上ペダルから遠目に居れば爪先から指先の距離は一番遠くなるからだ。
だが只普通に演奏するのだけでかなり疲れ、太鼓演奏の頻度が低く若かったから間違ってそれを通用さしちまってた様だ。
今にしてみれば太鼓のパワーは力より速度の方が段違いに効果があるし、パワーの持続には力は少ない程有利に働くのを知った。

力の要るペダルはその悪いご利益で強く踏むからパワフルと錯覚するが、太鼓へ伝わる力が大きいとは限らない。
軽くても上手く行くとパワフルなペダルは、こっちが加えたパワーを余す処無く伝えてると云えるのだ。
俺も最初がSpeedkingではなく変な癖が付いてたらしいのでこの正しい踏み方の習得は結構苦労させられたが、普通でとか普段からパワフルとするにはコレ一択だと尽々痛感した。

又パワーには物理的や瞬間最大音量よりも音色の影響大で、これも座り方と踏み方が大きく響く。
バカな俺はずっと太鼓のせいと思い込んでて、太鼓単体なら結構なのがアンサンブルに入るとサッパリとなっていた。
ヘッドへの押付けが強過ぎてアタックの高域成分はご立派だが全体は鳴って無くて、常にもっと低音をと念じていた。

これも今にしてみると太鼓の最大の特徴たる1音に色んな音が折角一杯入ってるのを活用し損ねてて、アタックだけの人だったのがイケなかった。
ホントはちゃんとある音程が分り難い程「色んな音」が出るとは、他の様々な楽器と一緒になっても「何処かが孤立して残る」事だ。
それがアタックの高い処しか出せてなきゃ自分で入れたシンバルやら何やらで、その他大勢へ仲間入りをしちゃうんだから目立ちっこない。

これを解消するのは1に座り方2に踏み方で、踏んでも踏まなくても
極力手に無関係になる位置が求められる。
それは個人差はあるが感覚より高め近めとなる場合が多く、水平方向で体から爪先とペダルが離れ過ぎないのが大事になる。
距離が増える程脚上げの力も増して不要な疲労度が高まるし、手の為の姿勢維持も負担増になるからだ。

BONZOが低く座ってたので低いとパワフルと誤解してはいけない、もしかしたら1ステージ終りまで太鼓を持たせる
為に力を弱め様として低くしてたのかも知れないのだ。
速度を出すにも遠ければ重く感じられるから不利で、現代より高く近いのが当たり前だった俺言い「旧標準座り」の上でペダル試奏に臨んで欲しい。
そうすれば本来原理的に太鼓に合致してる「速度反応型ペダル」を、誰でも自然と選んでしまう筈だ。

2018年8月 7日 (火)

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ④ペダルの相性編

俺にとって相性と言われれば本職でも無いのにSpeedkingと即答になるが、他の楽器にだってコレってのはそれなりにある。
本来なら本職のBassでRickenbackerを挙げるのが筋なのに何故かってぇと、演奏上の都合がもっと顕著に表れたからだ。
今回は相性でも好みより、「どんだけ出来ちゃうか」に焦点を当てて考察しよう。

体験を例として運と偶然の出会いは敢えて横に置き、客観的な部分のみだけを眺めても然るべき理由が存在した様だ。
先ず本職じゃないのはその分人の側で合せられないので、その道具の差はより大きく表れてそうだ。
次に楽器の種類や担われる部分を見てみると、バスドラペダルは演奏中に調節等(奏法や加減以外)が一番出来ない部類だ。

エレキはアームは言うに及ばずボリウムやPU切替SW等だと、寧ろ弾いてる最中の方が頻繁に弄られているかも知れない。
アコースティックでもギターはどっかで手が離せるその隙に、ペグを回したりする事だってあり得る。
ドラムもスナッピーSWや緩んだシンバルのネジ位は、叩いてる途中で触れてたりしてるだろう。

そっからしたらバスドラペダルは遠いしスネアや脚の影にあるしで、弄れるのなんて
せいぜい曲間にビータネジを締め直す位が関の山だ。(それどのペダル!?)
バチみたいにグリップ持ち変えなんてのもそもそも無いから無理だしと、演り出した後からは何も変えられないのの代表と思う。
裏返すとそれだけ「最初から合ってる」じゃないと苦しい訳で、スティックより最低一段は選択の重要性が重いと考えるべきだろう。

バチなら上述グリップ変更以外にも逆さにするとか、僅かな雑音が平気ならわざと落して違う種類のを掴むのだって出来る。
だが足では靴の履き替えが出来ると言っても、演ってる最中はとても無理だ。
それだけ成否の鍵を握ってるのだが、正しい選択をするのが案外難しい面を持っている。

ここで又脱線(っても大いに関係があるんだが😓)、貴方はどれ位バスドラムを重視してるだろうか。
得手不得手や好みもあるけど、その前に再認識しといて欲しい事がある。
歌の入らないのしか演らないならまだしも、歌入りの曲では手は下手に自由にしてはイケナイ。
どんなに上手でも音域に被りが出て音が喧嘩して、どっちも駄目になってしまうからだ。

ポピュラー性の高いのになると作・編曲者の意向もあって尚縛りがきつくなるが、そんな中でも個性や邪魔にならない自己主張が出来るのの筆頭がバスドラムなのではと思う。
Hi-HatやRideのちょっとした刻み方違いもこれに含まれるが、大音量でも文句が付けられにくいのはバスドラの方だ。
他の音が無い一番低い所で短めにしか鳴らないし音程感にも乏しいからで、お邪魔するのはリズムだけなのでお許しをって感じか。

個人の主観に過ぎないが手の猛者はインスト系出身に多く、足では歌物系出身に多い気がするがどうだろう。
Jeff Porcaroを例として見てみると何でもこなした人だが、少なくとも本人としては活動の中心はToToだったとみて相違ないだろう。
そもそもノリから既に個性があるが、登場当時から体験のある俺として一番印象に残ったのはドラムから曲に入る時の1・2・3・ドドタだった。

これなら他に誰も弾いてないしまだ曲にも入って無いから、誰に忖度する必要も皆無と素晴らしいアイデアと技術だ。
しかも当初はほぼ本人以外出来なかっただろうから間違われる心配も無く、極端な言い方をすれば曲の始まる前にもういきなり強烈にアピール出来る。
それに駄目を押してるのがフレーズの簡単さで、ここまで単純なら誰だって一発で覚えられそうだ。

技術的にはBONZOなんかだったら何とかなりそうだが、
Porcaroの方が速さにもっと余裕があった様に伺えた。
テンポを気にしなくて済むから何処へでも気分次第で入れられるし、曲中ではどちらかと言うと
BONZOより総体的にはシンプルだったのはより歌物屋だったからだと感じられる。

選択の難しさへ戻るが、これは結構な数がある。
本邦だと練習パッドより練習台所持者は少ないだろうし兎小屋の密集と、手より環境的に試せる機会が少ない。
今日では標準ペダルはDW□000とかなんだろうが、敢えて断言させて貰うがそれは本当は不正解ですッ!!。
未来永劫本来の基準はSpeedkingしかあり得なく、それは最初に一般化した物だからで御座居ます。

納得出来ない方程良く考えてみて頂きたいんですが、クラシックピアノだったら今でもフルコンサートグランドが基準です。
最低でも「グランド」である事は要求され、それが原因で音大を落されても文句が言えない程です。
今では演奏性能だけならデジタルの最上級機種の方が上回ってそうだが、楽器が確実過ぎる=手加減はその分向上しない危険があるからでしょう。

生楽器ってのは味はあっても実にいい加減な物で、デジタルの方が無味乾燥でも間違い無く頼りにはなります。
只デジタル専門の奏者でない場合、いい加減なのを何とか誤魔化す技や加減を習得してないと困るでしょう。

上述の
フルコンサートグランドピアノは今日の他ジャンルでも日常的に使われてるが、何でバスドラペダルだけ今のでOKってなるのかな?。
もしやそれってドラマー特有の常識かい、こう云う類のは他所だと必ず非常識なんだけどねぇ。

<つづく>

2018年8月 6日 (月)

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ③足の方向編

足の動かす・力を入れる方向なんて今更のお題だけれども、結構誰でも把握の甘そうな点だ。
前回指摘した「無自覚でもフットボード上で足は少しは滑るもの」同様、必ずしも奏者意識と実際の動きは一致してなかったりするもんだ。
手の方でもその道の権威!?たる従兄の先生によれば、「指だけの時も手の甲を無理に固定しない方が良い」と
指摘している。
意図的に動かしたら駄目だが、自然に揺れるのを無理に固定するのもバチの動きを阻害してしまうそうだ。

とても訓練された手なら誤差は小さかろうが、人の単一動作で機械みたいに寸分違わずは不可能だ。
その代り常に微妙に加減する対応力では勝っていて、指のムラを手の甲で修正してるとも考えられる。
だから見た目は全体でも演ってるのは
指だけが成立してるんだが、足の方なら更に加減が大雑把になるんだから余計にこう云った滑る等の要素が必須になるのだ。

最初はペダルが機能する方向から見て行くが、勿論主体は上から下だ。
横だと掛けた力の行き場が無くてフットボードが下がったりはするが、パワーロスが大変多いし動作抵抗も格段に増加する。
前後方向について後ろはフットボードのヒンジが後端にある為殆ど不可で、前の場合は「動くことは動く」。
しかしこれも物理的に非効率な向きで、スライド奏法等は例外措置だ。
スライドが例外なのは上下が間に合わなくて「仕方無く前」なのであって、この低効率の為に速度が一定以上でないと成立しなくなっている。

次に人の側から見てみてると、一部例外を除き大抵は腰掛けた状態での動作だ。
この例外は楽ではないが立っていると自然と上下主体になるが、座ってる時は気を付けないと「不適切な前」になってる場合が多々ある様だ。
後ろに関してはフットボードをヒンジへ押付けるだけだし、イスから前へ滑り落ちる力も発生してやり辛いのであまり起こらないだろう。

ここで両者を合わせて見てみるが、手のフィンガーストローク時と同様に「踏んだら自然と僅かに前へ行った」なら平気だ。
それはフットボード上の同じ場所に足がある時、フットボードは小角度の回転運動をしてるからそうなる。
フットボードはニュートラル時より打点時は水平に近くなるが、それでヒンジからの距離が微増するからだ。

だがもし意図的に前へ押してもフットボードの可動方向に含まれないので、運良く音を鳴らせた処でアンダープレートの無いのだったらヒンジ部が浮き上がって雑音を出すだけだ。
スライド時ですら無理をするとこの現象が発生するが(体験済み😓)、フットボード位置が正規からズレる為演奏に支障を来す。
なので意図的前へは必要最小限に留めるのが良い様で、極力「上下だけ」と思っておくのが無難だ。

この面でスイベル奏法の難点は外見は左右だが、充分習得出来てる者のはペダル側から見たらほぼ上下のみの加力となってそうな処。
そうでなければペダルがあんなに速くは動けなくて、それでもスライド以上に効率は悪い奏法と云えよう。
もしスライドが出来るならその方がまだ下への力が簡単に掛けられるからで、ペダルはスティックみたいに可動方向がフリーじゃないからだ。

久々の余談!?は手前味噌だが、俺の現行バンドでの話し。
従兄の先生のバスドラサウンドにギタリストから苦情が出た事があったが、一言で原因を言うなら奏法選択ミスとなる。
ミディアムスローテンポの曲で連打じゃ無い時に「柔軟なアップヒール」で踏んだのが不味かったんだが、これは脚の速度が低過ぎたのに起因している。

俺言い
「柔軟なアップヒール」は見た目が美しく奏者自身はタイミングが取り易いが、「柔らかい」のは裏目に出れば必要な力も吸収して伝え切れない弱点があるのだ。
適切な速度(テンポ)でずっと動き続けてればその「勢い」で自然に加力されるが、適正領域を外れるとわざと「大袈裟な動きで意表を突いて小さく鳴らす」のと同じ事になってしまうからだ。

もう1つの難点は柔らかい故かなり気を付けぬと脚の重さがフットボードへ伝え切れなくなる処で、勢いが足りない場合はベタ足より却って重労働になる。
だからやはりペダルの基本奏法は「ベタ足」としとくのが合ってる様で、これもSpeedking等の骨董ペダルに限らない。
ベタ足は基本的に単に
脚の重さを全部下へぶつけ様とする」だけなので、余程低く座らない限りはパワーロスの無いシステムだ。

奏者意識は「落すだけ」だが自然と「動く所」へ加力される様に、
「自動補正される」と考えて貰おう。
「下へやったのに少し前」とか「指だけなのに甲も揺れる」と同様で、傍目と当事者意識の相違な訳だ。
ベタ足の積りでも速く連打となるに連れ、音を重視してれば「自然と」柔軟なアップヒールに必要分だけなってる筈だ。

これはスライドにも同じ事が言え、飽く迄必要に迫られた結果でないと上手く行かない。
唯一例外なのがトゥヒール系で、これはかなり大袈裟に位意図的にそうしないと成立しない。
大凡タップダンサー以外にとってはちょっと非日常的動作なので、
実際は本人の想定より大抵足が動いて無いからだ。

漸く本線へ復帰するが足の方向でも上記と同様で、なるべく単純な動作をすればズレは起こり難い。
不要に複雑な動作は僅かなタイミングの誤差が加力方向の異常につながり、奏者の意図と出音の誤差となって表れてしまう。
常に足とペダルが完全に連動するなら話は別だが、単調な連打時以外は速度も頻度も変化するものだからね。

慣れの問題もあると云えどベタ足が余りにやり難いなら、多分それはペダルが「合ってない」のが原因だ。
もし「そのペダルじゃないとスイベルが出来ないから」等と感じたとしても、スイベル自体もまだ本物にはなり切れて無い可能性が高い。
必要に迫られて「追加」する技は、その土台が充分出来上がって無ければ砂上の石の家状態できっと脆いだろう。

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ②フットボードの摩擦抵抗編

同じ抵抗でも今度はフットボードについてで、俺みたいにスライドを多用する場合は重要となる。
スライドさせないなら一見全く滑らない方が良いと思われそうだが、極端に引っ掛かるのは実は適切じゃなかったりする。
それは足首関節がカカトの後端に付いてないからで、横は未だしも前後方向に固定され過ぎたら雑音を発したりし易くなるだろう。
その横にしてもスイベル多用・常用となると、やはり全く動かなくなるのでは都合が悪い。

例によって手と一緒論から行くが、太鼓は必ず跳ね返り(反発力)が発生するのでこれに対応しなければならない。
例えば単打の場合だったらすぐに次を鳴らさないので、鳴った後は一旦動作を止めるのが賢明だ。
不要に動いてると誤って皮に触れて音を出す危険もあるし、リズムに乗るのに必要なだけ以上に動いても疲れるだけだ。

この時手だったらグリップの強さや指・手首等でやんわり受ける事で、力を吸収若しくは逃がして処理しているのだ。
この中で関節系の部分は一応足にも存在してるが、前回記したのと同様「足自体でグリップの加減」は僅かしか出来ないのだ。
押付けるのは同じでも「掴む」のが無い訳で、この分を何処かで何とかして貰わなくてはならない。

この段階で注意して欲しいのは手とバチを完全にくっ付けて微動だにしないなんてのが通常はあり得ない点で、本人に自覚が無くても少しは「遊び」がある状態となっている処。
もし瞬間接着剤で貼り付けたとしても、骨と皮の間で動ける余地がまだ残ってるね。
だが固い革靴等を履いてるとそれがスポイルされ、足の方はどうしたって手よりは固目になるのだ。

ベルトドライブ等のペダルなら伝達部に遊びがあるではないかと言われるかも知れないが、それは主にビータよりフットボードが先に上がった時に限る。
しかもそう云う動きをさせると伝達部が弛んだり引張れたりするので、雑音を出しがちだし動作もギクシャクしてタイミングがズレ易くなるだけだ。
フットボードと足ですら下手に距離が空いたり離れたりすれば、やはり接触時の音が大きくなってこれも困る。

ここで冒頭の「間接の位置」問題だが、先ずは前後方向について見てみよう。
Speedking等の骨董デザインのを除いて「フットボードの関節」(ヒンジ)は後端にあるが、足のは足首より後ろにまだカカトがあって不一致だ。
次に垂直方向について検証するとフットボード表面は一部を除き回転軸からせいぜい1cm程度の差しか無いが、足はそれより大きく厚底のを履いたらもっと拡大してやはり不一致。

言いたいのは奏者は爪先だけ上下・脚だけ上下と思って動かしても、フットボードの動ける向きが足と少し違ってしまう処に注目すべしだ。
つまり意識は上下だけでも現実には足は僅かでも
必ず前後動もするが、フットボードにはそれが無い。
だからその分は「気付かぬ内に」こっそり滑ってくれてると、全体としては流麗な動作になる訳だ。

そして左右位置が固定されたペダル・ビータであるから多少横を踏んでも音は鳴るが、手だったら音色が激変してあり得ない話しだ。
だが足だって力の方向(ベクトル)
がズレる程ロスは増えるし、最悪時は情けない出音+バスドラが移動と云う新手のコメディーになる。
宅で大太鼓は並の固定は施してるが、恥かし乍ら拙者は今でもムキになって無理にスライド連発するとこれが発生してる位だから…。😓

ここからは偶然性も高いが体験から物申すと、肉体的に可能(主に足裏の皮膚がもつ)なら裸足で踏んで様子を確かめるのが良い様だ。
これは人の手足(皮膚含む)は、止める滑らすの両対応に一応なってるからだ。
普段の環境が宅内の為に半ば必然的に靴下とか裸足になっただけだが、手ならそのままの者が圧倒的多数だろう。
人や状況によってはグラブや手袋をする者も居るが、これはアレンジの範疇で基本は素手で間違いなかろう。

なのでまとめて行くと両極端は論外として「グリップし過ぎるフットボードは履物を選ぶ」で、その逆もまたしかりで程々がよろしい様だ。
中間レベルなら裸足でも酷く辛くはならなさそうだし(表面デザイン等にもよるが)、履物選択等で適宣グリップ調節も可能になる。
土方のオッサン達は仕事中はごっついのを履くが、休みの日はサンダルだったりするのと同じ事だ。

最後に
足首系の動作なのに滑らないと困るのの典型例を紹介しとこうってか、証拠を挙げた?。
最近従兄のStudioliteのTwitterで7/31・8/3に紹介されたアニカ・ニレスの片足3連動画でも、これに気付いたか今迄グリップの良さげなスニーカーだったのが見事にフットカバー(浅く薄い西洋足袋とでも…)に変わってやんの。

自称片足3連の権威(多分俺が元祖だと思う、が、きっと…)としては足首動作が必須なので、3打目を明瞭化させる為にとった措置と言える。
只のトゥヒール系以上にカカトが完全にフットボードに押付け乍らの足首動作となる上、更に間髪を入れずなので脚側に前後動許容力が殆ど無いのが原因だ。
ここ迄行かなくてもそれは「度合いが低下」するだけで、完全に不要になる事は無いのです。

過去の拙ブログでも折に触れているので参照されたいが、今回の件はバネやペダルの方式・新旧問わずの話しだ。

2018年8月 5日 (日)

Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ①ペダルの動作抵抗編

Speedking賛歌の項で「動き過ぎるのも駄目」と書いたが、この点についてもう少し掘り下げてみよう。
当ブログではお馴染みの「手と一緒」論での比較から入るが、その根拠をもう一度ここで確認しておこう。

今日ではBass Drumもその「使われ方の流儀」みたいなのが定着して久しいが、何時までも「それだけに特化した演り方」だけで
本当に良いのだろうか!?。

ファッションでも何でも奇抜と定番はその両立によって価値が保たれてると思うが、片方だけでは最早ファッション性は無くなってしまうだろう。

本邦の音楽業界の低迷も好きな人には申し訳無いが、行き過ぎたJ-POPの万延で面白味が減ったせいもあるんじゃないか。

わざわざ「規格」に則ったってどうせ売れぬなら、思い切って冒険し始めない事には新たな道なんて開けっこないんだよ。


これは太鼓奏法についても本邦特有なのかは不明だが、手はニュートラルなのに足は偏狭とは妙な具合だ。

現況それが他では望めない故の今更のSpeedking賛歌でもある訳で、バネ強さの他にお題の「動作抵抗」の点も問題になるからだ。
現代バネ強ペダルはそれによる踏み難さを補う積りもあってやたらと動く様にしたのか知らんが、「無駄動き」が多くなったら演奏には邪魔なだけなのだ。


手の場合
腕や手首等生身で出せる速度を越したい時は、リバウンド活用で手や指は震える程度でバチだけ沢山動いて貰う方法を用いている。
それにはグリップを必要なだけ締めたり緩めたりして適切なストロークにする事で、出音のタイミング等を加減している。
最終手段のバズロールなんてもう全く叩いてもいなく押付けてるだけだから、出音の調整はもう「持つ強さだけ」しか残っていない。

だが足だとフットボードは「持ってない」からこう云う芸当が不可能で、万一持てた処でダイレクトドライブ以外はビータと足は不一致だ。
そして最大の問題は手の様に空中の特定位置に継続的に置いとけない点で、リバウンド制御に手と同じ方法が使えない点だ。

それには最高速に耐え得る範囲で、寧ろ動き過ぎない方が適切となって来る。


先ず最高速についてはメタル系両足スイベルでもハーレーダビットソンのエンジン音程度が
せいぜいで、F1はおろかバスのそれにも負ける遅さだ。
人の振動(意図的震わせ)等所詮その程度のもんで、機械と競争したら速さは全然たかが知れてて完敗だ。
だから機械工学だけに基づけば
滑らかな程良いがバスドラペダルは機械でも「楽器の一部」だからそれでは誤りで、俺言い楽器工学がないがしろにされてしまってると言える。

ある意味我儘だが踏む時とそれが返って来る時は軽く速い程良いが、その後は何もしない(もう動かない)でいて貰えると助かるのだ。
確かに鳴らしたと同時に止める(押付ける)奏法はあるものの、これが有効なのは単打時だけで連打となるともう間に合わない。
足が止められない以上はペダルが「止まってる状態」からじゃないと正規には踏み辛くなるので、大変深刻な懸念点なのだ。

これを踏まえるとベアリング等だけが良過ぎては何時までも止まらない(収まらない)だけで困るので、軽さはバネ強さを最低限にして得る方が望ましくなるのだ。
手とバチの間にベアリング等無くてもあの速さ(個人差激しいが…😓)、忘れたとは言わせねいぜぃ!?。

それと幾ら腰掛けてても爪先から支点の腰迄は遥か彼方で、手より強力な脚と云えども「ペダルに振り回されて」ベストポジションからズラされてしまいがち。

手では支点の指がどれであってもそれ以外ので可動範囲制御は日常的に行われてるが、足の脚でベタ足踏みの時にはこれに該当する箇所は無くなってしまう。

例えば干しといた布団を叩くのには普通は「布団叩き」を用いるが、それを野球グランドの土を均すの等に用いる「トンボ」でやってる様なもんだ。

これだと一度に叩ける面積は増えるがコントロールが大変で、かつてその作業の主流だった女性では尚困難だろう。

これは布団の場所による状態差の為「細かい加減」が必要なので、回数が多くなっても負担が殆ど増えない方が適してるからだ。


俺みたいにバカ多踏みする奴は居ないったって、ポピュラーでの大太鼓はクラシックのオケよりは頻繁なので決して回数が少ないとは言えないだろう。

そう考えるとパワーに気を取られて、回数や操縦性を疎かにしては骨折り損のくたびれ儲けになるだけなのだ。

回数・操縦性に劣ると疲労がどんどん蓄積され、その奏者が持ってる本来の速度・パワーも必要時何時でも発揮出来るとは行かなくなる。


ペダルだけ無事でも肝心の人の方が簡単にバテさせられる様では、現代ペダルの高性能も発揮不可となって全く意味が無くなってしまう。

逆に道具は少々チープでも人が元気でいられれば上記の不具合は発生せずで、結局は「道具と人のバランス」の問題なのだ。

どんなパワー重視のドラマーでも電柱で叩く様なのは居なくて、「自分や楽器が持つ」範囲でのヘビーなスティックを使ってるでしょう。

それなのにペダルとなると急にそれがどっかへ飛んで消えるなんて、全く可笑しな話しじゃないの。


それでちょっと思い当たるのは「試奏時の音数」で、スティック選びの時の手より足の時の音数が少な過ぎるのが災いしてる気もするのだ。

制作・使用者のどちらにも考えられるが、開発側の耐久試験を機械に任せるのもこれに該当しそうだ。

試験データを正確にするにはいい加減な人間より機械が頼りになるが、実際の使用時に機械が踏んでくれるなんて先ず無いのだ。

メーカー担当者は大変だろうが延々「人が踏んでどうか」のデータ収集こそが、「楽器としての試験」には相応しい。

スネアならその上へボールペン位を落しても高さがあると驚かされる位大きな音がするが、バスドラペダルだったらペンとフットボードの衝撃音だけで太鼓は先ず鳴らないだろう。
やはり手物よりは桁違いに大雑把な訳で、それ用のペダルならマクロより先にそう云う部分に目を向けないとイケナイのだ。
それプラスもっと持続性も考えるべきで、現代は余りにも発想が単打主体過ぎると感じられる。

2018年8月 1日 (水)

Ludwig Speedking賛歌③

俺にとっては運命的遭遇だったSpeedking、今の処社会的には効果は表れていないがそれでも見事なまでに世界観は変えられてしまった。
まさかこんな大昔からあった物に、まだポテンシャルが幾らでもあったとは驚かされるばかりだ。
しかし落着いて理性的に考察してみれば、今最新の物だって設計や製造等は厳密には過去になされている。
道具の新しさってのは物の方より、その使い方にこそあるもんなんだろう。

明確に見た事の無い風貌でも持っていたなら、新しいのかも知れないと認識されかかる
だがそれを使った結果が見てる者の想像の域に留まってたら、今度は知らなかっただけで前からあったのかもと思われる事もありそうだ。
何時も頻繁に目にしてたらある程度の時間の経過で心理的鮮度等あっという間に損なわれるし、今迄偶然目にしてなかっただけで勝手にその者には新鮮に映ったりする。
Speedkingの場合は流石に前時代的デザインのオンパレードなので、新品でもレトロ感は満載に違いないが😓。

俺自身の事は自分では内部からしか見られないので確証が持てないが、ヨニ・マダールだとかジョジョ・メイヤーが見た事も聴いた事もないのを演ってる動画を見ると新鮮な衝撃を受ける。
ジョジョ氏自身のペダル以外彼等は取立てて目新しい道具を用いていないし、風貌だっていい齢をしたオッサンそのものだ。
ここで他の楽器の状況も考察してみるとしよう。

Gibson Les Paulは’52年に発売されたが、売れなかったので’60には一旦製造中止されていた。
最初の有名化は’66にEric Claptonの使用でもたらされたが、その時点では製造中止の6年後だ。(再発は’68)
Fender Stratocasterは’54年誕生後暫くは有名人の使用があったものの定着せず、これの有名化も
’66のJimi Hendrix以降で発売12年後。

もっと極端なのがRickenbackerで、しかもモデルやギターかベースかでも時期が異なっている。
これに関しての有名化は基本The Beatlesだが、彼等それぞれがそれぞれの型を使用し出した時点からだ。
しかし基本的にはどれも仕様に差異はあれど’58頃から販売されていて、Bassの4001だけPaul McCartneyは’64初頭には貰ってたのに2年位しまいっぱなしだっせいで遅くなっている。

近年では数多のヲタやネットの情報で過去よりはこの傾向は鈍化した様にも感じられるが、とどのつまりは見た人に初めてなら新しいと思われただけの事だ。
Les Paulだって本人も有名だったし最初から死ぬまで愛用してたが、彼の居たJazz界自体が全盛期を過ぎつつあった。
次にブームが来たRockから興味をもった者達にとっては多くは本人をロクに見てないから、Claptonが抱えてるので初めて知って新鮮に捉えた訳だ。

但し1つ留意すべきは楽器のみではなく、使い方がお初だった点だ。
エレキギターの歪ませ演奏はブルース系黒人達からと思うが、元は歪ませたかったのではなくてショボいアンプで無理するしか無かっただけだ。
しかもギターも当初はフルアコやセミアコ中心だったから音色も異なるし、Claptonは意図的にわざと歪を音色として活用した処が全く違った。

ストラトにしても最初はサーフィンミュージック御用達か!?(The Beach Boys)だったのに、Jimiさんと来たらいきなりヘビメタの大元迄ドロドロにしちまった。
とっても爽やかだった筈なのに、同じヤツでぐじゃぐじゃなんだから誰だって仰天するわな。
もし彼以前にストラトを知ってても音が正反対で、見た目似てる気がするけど違うのなんじゃないかと思ってしまっても無理の無い位だ。

少なくとも楽器に関しての新しいなんてのは大凡こんなもんで、個人事情でSpeedkingを選択した当初実はこんな複葉機でホントに大丈夫かと心配もしたものだ。
自動誘導ミサイルの時代に紅の豚なんだから、そりゃあオッカナかったよ。
だが暫く使ったてみたら、俺にとっては宇宙ロケットだったのだ。
取敢えず何とか飛べたら良いなだったのが、気が付いたら知らない星に到着してた。

見出す力やこなす力も要るけれど、それに耐え得るポテンシャルがあったればこその話し。
こう云うのは奇をてらい過ぎるより、案外身近な処とか忘れ掛けてる様な所に潜んでいるものらしい。
尤も未だ俺はマイナーなので、魅力再発見とかには
全然なってなさそうだが…。

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