Bass Drum Pedalの踏み方Ⅱ⑦力続編
前回「落すだけ」にと唱えたが、人から見ても踏んで無いフリをしろってんじゃないのよ、実際ペダルは踏まれなけりゃ音が出ないんだしね。
けれども少なくとも只の普通の単打するのに、一々「せーの」とか「どっこいしょ」って演ってたんじゃそこ迄止まりになりがちなのだ。
強いて例外「踏んで意識」が残ってても平気なのは足首で踏むトゥ時のみで、それですらもし足甲の上りが足りなかったり遅い様なら上げる方を意識しないと間に合わない。
太鼓演奏の難しさで俺が個人的にたまたま手が苦手だからこそ最近痛感したんだが、複雑な動かし方もあるが何よりタイミングをホントにピッタリ合わせるのが大変と感じている。
楽器がどんな種類だってリズムは良いに越した事は無いが、太鼓の音は他より短めなのも加勢して求められる基準が厳しくなる。
しかもメトロノーム的要素も強いので全体の流れとしての安定感も必須で、だからこそなるべく「普通に演ってる」だけでそれが得られるのが良いのだ。
それにはたまにドンとしか演らないつもりなら別だが、様々なフレーズを盛込もうとすると踏むと思ってたらオーバーワークになってしまう。
特に間隔の短い連打をしたい時等がそうで、踏んで上げて踏んでの意識では間に合わなくなったりタイミングを取る余裕が不足したりしてしまうのだ。
どんなに運動神経が良かったとしても頭が指令を出してから体が動く迄には必ずタイムラグがあり、慌てて修正するにも限度がある。
しかもそう云う発想では意識に対して音は後追いとなり、リズムの波にも乗り難くなってしまうだろう。
踏むタイミングの調節が効く方法はそれより前にしか無い訳で、それが脚上げになるのだ。
無論訓練(慣れ)は要るが特にスライドやトゥヒール系ではいざ演り出したら一瞬で終わってしまうので、その最中に出来る事も大変限られている。
先ずスライドの場合1打目は一言で表すと「膝動作の空中蹴り」なので、蹴り始めてからの調節等殆ど不可能だ。
しかも速度が一定以上じゃないと音量は落ちるし滑らせる勢いも不足するから、こっちが選べるのは蹴り始めのタイミングと強さの段階迄だ。
いざ始まってから出来るのは、せいぜいフットボードへの引っ掛り加減だけだ。
次にトゥヒール系の場合だが今度は時間的な問題より、力の入れ抜きの場所とタイミングが響いて来る。
音とタイミングの都合で足・脚に思い描いた通りの動きをさせるには、なるべく単純化(特に意識を)させるのが近道だ。
つまり旗を両手で上げ下げする体操と似てる感じもするが、片脚と両腕では大きな違いがあるのに注意が要る。
これは足首動作時に脚の重さが掛ってるか否かが問題で、個人差はあれど足首は腿に対して筋力の絶対値が大幅に小さい。
重さが掛って無ければ大凡意図通りに動かせるが、重さが掛ってると少なくとも速度が稼げなくなってしまう。
折角脚だけで間に合わないのを足首で補填しようにも、こうなっては元も子も無い。
なので足首に力(と言っても素早くとか勢い良く動かすのだけ)を入れる時には、腿が下向きへ押す力が入っていない時が良いのだ。
無理すれば「踏んだまま」爪先上げられるよって人も居るかも知れないが、少なくとも爪先踏み時に脚の重さを掛けるのが全く不可能となってしまう。
もし脚重が掛けられればトゥの反動で自然とカカトが上がり易くなって、これは高速化や省力化に繋がりその分の余力を制御や回数増加等へ向けられる。
そしてこれらの場合は「重さを掛ける」にしても力を入れるのではなく、寧ろ「抜く」事で作用させるのがコツだ。
何しろ目まぐるしく慌ただしい瞬間での事だから、脚若しくは爪先が「落ちて来た勢い」を敢えて「止めない」で放置する感じにするのだ。
勢いを止めないってのは必要動作終了後に余力がある事で、それで自動的に重さが乗ってしまう訳だ。
爪先踏み時を例にすると
①爪先はまだ動こうとするがペダルが打点到達で止まり
②「反動」でカカトが浮き気味になる
③結果的に脚重が爪先→ペダル→ビータ→ヘッドへ
と伝わるのだ。
この時点で人の方は力を一切入れてないから、「次に入れる」のだけを全く自由に気にする事が出来る。
こうして常に意識或は指令が「一歩先んじる」事が出来れば、間に合わせる時間を創り出せる訳だ。
無理に間に合わそうとするとそれだけで一杯一杯になったりするが、余裕があればさらなる小細工を画策するのだって可能になる。
止まってるのを急激に動かそうとするよりは止めるのに要る力は小さいが、完全脱力では反動が自然終息する迄はそれなりの動揺が出る。
直に次の音が来ないなら「止まった→不要になったから力抜いた」の作業時間が確保できるが、時隔が足りない時は止めるのより次を鳴らすのを優先せざるを得ない。
ここで音楽を実際演奏する状況を想像してみて欲しいんだが、極僅かな例外を除けば他楽器と「協調」する事になる。
そこでは太鼓だけの都合なんてほぼ通用せず、全体が出そうとしてるリズムやフレーズに「どんな風に参加するか」の選択が主眼となるだろう。
この様な場合何故か大抵は一番演り難いのが丁度フィットしそうだったりして、普段よりかなり余裕を削がれたりしがちだ。
そもそも聴くのに都合の良いのってのも大抵がこの傾向にあり、聴くのは簡単で分かり易いのに限って演る側には随分シンドイのが多いもんだ。
だけど幾ら楽でもつまんなくて聴いて貰えない方がもっと無駄骨で、こう云った部分では楽は出来ない・しない方が良いのである。
その為にも少しでも楽に演奏出来る事が、とても大事なのではないか!?。
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