Bass Drum Pedalの踏み方⑫トゥヒール編3
奏者の意識も大切なのでつい長々力説しちまったが、反省も込めて具体的部分を先へ進めて行こう。
前回迄に「脱力」について書いたがもう1つあるのが所謂ヒールダウンでって処で、これも慣れてる人が今は少なそうだ。
もしかすると現代標準の感覚の人には初めから言うべきだった気もして来たが、俺個人の感覚では脱力してればカカトも自動的に着地するからと思ってつい省略してしまった。
ところがカカトは常に上げてるものとの認識が強かったり習慣が付き過ぎてると、カカトを下げる発想が出て来ないかもと心配になって来た。
トゥが充分習得済みならまだしもそうでない場合、カカトを上げてる力だけでも障害になる可能性があるからだ。
トゥでも「踏み終り」に脚加重するのは全然OKだが、踏む寸前や踏み始めに不要な負荷が掛ってると疲れるだけ。
爪先でしか踏まないんだからカカト上げ不要だし、寧ろ脚の重さを着地したカカトで支えるのが良い。
こうなれば爪先は「晴れて自由の身」となって、さあ後は奏者の腕(脚)次第となりこれが第一段階。
先ずは持てる力を強さではなく速さへ集中させたいからで、それを会得出来ると後のご利益が万能なのだ。
次に「足首動作だけ」の純度が高い程練習になる訳で「踏み終り脚加重」は出来てもまだ後回し、この段階で音量等を下手に意識するのは時期尚早だ。
そもそも足首力と太股力では差が大き過ぎだし、重さだって大差がある。
力に頼ると交互使用時に無用な強弱が必ず付くが、それを回避・同等化出来るのが「速度によるパワー」なのだ。
脚には力と速度の選択肢があるが、足首にはそれが無いに等しい。
今回も発生したヘン語!?「踏み終り脚加重」だが、これは飽く迄結果論に勝手な名称を付けただけだ。
これが現実に成立するのは速さと必要なだけのストロークが確実に得られた時で、奏者自身は寧ろ加重意識が皆無じゃないと成功しない。
詳細は後で説明するがこの第二段階時点では、先ずは単打で良いから簡単なフレーズが演れる位を目指しておくれ。
フレーズに気を取られても踏めるとなれば、一応踏む動作が身に付きつつある証だ。
さてお待ちかねか分からんが「ヘン語」解説だが、一言で表せば「勢い余って」偶然瞬間的に脚の重さが掛るとなる。
「速度に拘った爪先」の魔力的所業で
①フットボードに触れてこれを押す
②ビータがヘッドに到達しフットボードはそれ以上下がれなくなるが
③勢いが残ってたらその反動でカカトが浮き気味になる
って現象が「自然発生」する。
この「カカト浮き上がり」を別観点から眺めたのを、取敢えず「踏み終り脚加重」と称したものだ。
但しこれの度が過ぎると即時に次を演る場合に、アップヒールスタートでも構わない奏法しか使えなくなる。
それと「音が出る瞬間」には有効だが「出た後」には殆ど無関係になるので、ホントに極瞬間的なもの。
つまり「速さの副産物」に過ぎず、これは力では実現不可能なのだ。
体験的に言うならば速さとストロークが無理無くキチンとした時に得られ、それ以外の意識では再現不可能だ。
本編はトゥヒールだから短間隔の連打を目指してるが、それにもなるべく余計な意識は無いのが望ましい。
複雑な指令になる程「神経の動作時間」が長くなって、間に合わなくなって来る。
実質的には単に1打目が足首か脚かの選択だけの意識で演ってて、だからこそ現代では大抵は不慣れな「トゥ」に慣れるのが近道になるのではと思うんだ。
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